レミディアス・アルデバランは小皿が並ぶ貴族の伝統的な料理を好まない。
それよりも、大皿に盛られた料理を取り分けるタイプのものを好む。
理由としては単純で。細かく分けられれば分けられるだけ毒を盛られる危険性が高まるからであり。その上でレミディアスがかなりの健啖家でもあるから。
膨大な魔力を用いる召喚術を行使するに当り、レミディアスは毎日相当量の飯を喰らう。魂をストックする事と同じだけ、彼女にとっては食事も魔力確保の為に重要である。
故に。細かく分けられたものを食べるよりも大皿の料理の方が効率がいい――という事らしい。
「時々はこういうのもいいわね。腹持ちもいいし」
「お前はよく食うなぁ....」
「貴方が食べなさすぎるのよ」
レミディアスの食事は所作こそ優雅だが実に気持ちのいい豪快さがある。
ゆったりとした手つきで肉を切り分け切り分けるが。その一口一口が大きい。
咀嚼の力強さも凄まじく、多少の骨など気にもせず噛み砕いて飲み込む。
骨付きのまま揚げ焼きした鶏肉を、そのままかぶり付き、当然のように骨ごと砕いて飲み込んでいく。
レミディアス曰く、命の根幹を成す部分にこそ魔力が宿っているらしく。心臓や血液、脳などの部位の次に骨に魔力が籠っているらしい。
彼女は旅の中でも。狩りで仕留めた獲物を食らう時も、優先して心臓を食らっていた。魔法使いとして、魔力に拘るが故。彼女は大飯食らいであり、悪食でもあった。
「....前から思っていたけど、貴方の料理は不思議な味付けねぇ。時々この塩分の強い味が恋しくなるのよ」
「だったら素直にそう言えや。こんな回りくどい事しなくてよぉ」
「あら。だったら飯を作らせにこっちまで来てもらおうかしら」
「その代わり俺に領主を辞めさせろ」
「それは出来ない相談ねぇ」
ばりばりと骨を噛み砕きながら、レミディアスは言う。
「その役割が出来るのは、わたくし達の中で貴方だけよ」
「お前も出来るだろ。元貴族だし」
「わたくしは――貴方が言うところの”タンカス貴族”の血を引く者よ。そのやり方しか知らないもの。政争は出来ても、領主なんて出来るわけがないわ」
「おいおい。まだあの時の事根に持っているのか。悪かったって」
「....」
――貴様は弱味を見せる事を絶対に許さぬ。プライドが高く、強きを演じる事に執着する。
ギリ、と奥歯を噛み締める。
まさに今。この心理的状態に陥っている。
根になんて持っていない。持っているはずがない。
あの時に与えられたものが、今の己の根幹を成す程に重要なものになっているのだから。
でも言えない。
弱味を、晒せない。
弱味を晒したところで大丈夫だと理解している。信頼もしている。なのに――それでもこの根本からの恐怖を消せない。己が弱味を敢えて晒すという行為が。
言えばいいのに。
一人にするのが心配だからここに来たのだと。ただ一緒に食事をしたいからここに来たのだと。
....久々に顔を見たくてここに来たのだと。
言えばいいのに。
「....わたくしは、どうしようもない人間ですもの」
それは。
恐る恐る踏み出した幼子のような一歩だった。
「....どれだけ怒りに吞まれ。己が手で滅ぼし尽くそうとも。わたくしには、わたくしが憎んで止まないあの家の血が流れている」
「その事を忘れてはならない」
「――貴方の大切なものを奪った、アルデバランの血を引く者である事を」
遠回し。
至極遠回しな、言葉であった。
卑怯とも言えるかもしれない。
レロロの性格や内心を信頼した、飛び込みのような言葉回しであった。
慰めや否定を期待しての言葉。
それが――彼女に出来る、精一杯の弱味の発露であった。
「.....」
その言葉を放つ意味というものを、レロロはよく理解できていた。
こんな弱音じみた事を、プライドが恐ろしく高いレミディアスが呟く意味が。
だから――あまりの衝撃に、少しばかり閉口してしまっていた。
「....何か言いなさいよ」
「あ、ああ....」
それと同時。
レロロは――あの時自分が口にした言葉を、予想以上にレミディアスの内心に食い込んでいた事実を前に。二重の衝撃を受けていた。
レミディアス・アルデバランは良くも悪くも、己の中で完成しているような人格をしているとレロロは思っていた。
己の価値は、己で決まる。故に魔法の研鑽を行い、己の価値を否定し排除しようとしたアルデバランを滅ぼせる程に、苛烈かつ強烈な精神性を持つに至ったのだと。
己が磨き上げたプラスの価値、とは別に。自分の中に流れる血や、自分の生まれといった。自分という存在が生まれるまでに積み上げられた過去の事柄。そういった――自分の外側に位置するマイナスの価値に対しても、内心では気にしていたのかと。
恐ろしく高いプライドが覆い隠していた弱味。それに触れて――レロロは、少しだけ目を閉じた。
その事実を噛み締めるように。
「....レミディアス」
「....なによ」
「これから俺が言う事は、信じてくれなくていい」
あの時の言葉が棘となり刺さっているのなら、取ってあげるべきだろう。
たとえ信じてもらえなくとも。あの時に隠した本心を口にしなければならないと、そうレロロは思った。
「俺は――あの屋敷の襲撃があった時も。お前を冤罪から助けた時も。一度もお前を憎んだことはない」
「....気を遣わなくてもいいわ。わたくしがアルデバランの人間なのは変わらない事実だから」
「俺はさァ。――あの時絶対に俺は死ぬと思っていたんだよ」
あの時。
レロロはせめてレミディアスを救った後に、アルデバランの報復を受けて死ぬはずであった。
そうなる事はほぼ確定であったし。そうならないようにするつもりも無かった。生き残ってしまった責任を果たしたら、さっさと死ぬつもりだった。
「お前を助けた報復で俺が殺される事がほぼほぼ確定だったからさ。――お前に罪悪感を持って欲しくなかったんだよ」
「....」
「自分の為に死んだなんて思われたら忍びないからさ。――お前の為に助けた訳じゃないって思ってもらう必要があった。そしてこの”お前の為じゃない”ってのは半分本当だ。お前を救いたいからってより....生き残ったならそれなりの事をしなきゃな~って気分だったからやったんだ」
だからさ、と。レロロはレミディアスに言う。
「あの時に俺が言った言葉が心の何処かに引っ掛かっているなら謝る。本当にすまなかった。――俺はお前にただ自由に生きて欲しかっただけなんだよ」
「....」
「お前がたとえアルデバランの血を引いていようがね。お前という人間を形成しているのは、レミディアス・アルデバランとして生きてきたこれまでで、そしてレミディアス・アルデバランとして生きていくこれからだ。アルデバランの血を引く者として生きてきた事は、当然”これまで”に含まれるだろうけどよ」
レミディアス・アルデバランが生きてきたこれまでは、苦難の日々であっただろう。
天性の才を持ち、家族から疎まれ、幾度となき暗殺の危機を味わわされ、罪を着せられたその日々は――彼女という存在を形成する上で絶対に避けては通れない代物だろう。
彼女が生きてきた”これまで”に。きっとそれは大きな影を落としている。
故に人を容易に信じぬ人格が形成されたのだろうし。己が魔法に依存する性質が出来たのだろう。
故に己が魔法を研ぎ澄ませ、生きる術を得たのだろう。
故に――魔王を倒した先にある名誉を欲したのだろう。
過去が己を作る、過去の延長線上に現在の己があり、その延長線上に続く道しか未来は歩めない。
それは、厳然たる事実として存在していて。その事実が今もレミディアスを蝕んでいる。
「アルデバランはクソみたいな連中だった。女神教と同じく、絶対に存在しちゃいけねぇ野郎共だったよ。――でもよ。その血を引いてしまっているからって理由だけでお前を恨むことは、俺はしたくなかった」
「冤罪が晴れて自由に生きられるんだ。あの家の呪縛から逃れて生きてくれればそれでいい」
「だから――俺はああいう風に言ったんだ。俺はただ俺の都合の為に死ぬのであって、決してお前の為じゃないってな。折角手に入れた自由に、水を差したくなかった」
「俺は――アルデバランとして生きてきたこれまでを払拭するようなこれからを、お前に歩んでほしかった」
「ただ、それだけだったんだよ」
本当は、こんな事は自らの口で言いたくなかった。
これじゃあただ言い訳を並べ立てているようにしか聞こえないだろう。というか、実際に言い訳だ。
あの時に吐いた言葉が、ずっとレミディアスの胸に引っ掛かりを作っているのなら。
どれだけ醜く聞こえようとも。みっともない言い訳にしかならずとも――秘めたものを明かす義務が、己にはある。そうレロロは思ったのだ。
「――アルデバランとして生まれた事は逃れられない業だとしてもよ。だからって、それだけで自分の存在を否定するこたないぜレミディアス」
「お前はアルデバランであると同時に....魔王を滅ぼした勇者の一人なんだ」
「お前が背負った業が、この栄誉を消す事はありえねぇよ」
「人間誰しも生まれてから現在まで生きてきて功罪はあるよ。こうして偉そうにくっちゃべってる俺にだってある。マイナスもプラスもひっくるめてその人間の現在地だ」
「だから....重要なのは、これからをプラスの方向に歩んでいく意思が確立されてあるかだと思うんだよ」
「お前は今間違いなく、プラスに向けて”これから”を歩き出しているよ」
レロロはそう笑いながら言った。
たとえ業を重ねた生まれであろうとも。それが確かな己が一部であろうとも。――それらが、己が全てではない。
それが、それ以外を否定する事は決してない。
そして、その上で――これからを正しい方向へ進んで行けるのなら。それでいいのだと。
それがレロロの思想であり、信念であった。
ああそうか、と。レミディアスは思った。
あの時助けられ。命まで救われて。それから旅を続けて――きっと理解していたはずだった。
レロロという人間が、どういう存在なのかを。
今己は、きっと欲しい言葉をかけてくれるのだと、期待して弱音を吐いたのだ。
理解していたことを、ただ再確認したかった。
再確認して、安心したかった。
故に....安心して、しまった。
人の言葉を期待して。弱音を吐いて。その内実を信じて。そしてその言葉に安心を覚えて。
こんな事――”これまで”には無かった事。
”これまで”を踏まえた上の現在地。その道から――少しだけ曲がった先にある”これから”へ踏み出した一歩。
その一歩目を見たが故に。レロロは誠実に、彼女の望みを叶えた。
だから。
「....何よ」
両目から溢れるそれを押し留める事もできなかったし。
それを見たレロロが――また頭を撫でる様を止める事も出来なかった。
「よく頑張ったな。褒めてやろう」
「うるさい....!」
レミディアス・アルデバラン。
何でもないような日に。少しだけ新しい歩を踏み出した、それだけの話だった。