グレアム・ノーツは、優秀な人間であった。
優秀故に、ごく自然と――効率的に生きてきた。
貴族の血筋で生まれ、魔法の才があったから魔法使いとなった。魔法学園を優秀な成績で卒業した後、大領主お抱えの魔法使いとなった。
ただそれだけであった。
己が能力が示す指針通りに歩んできた道のり。
その最中で、足蹴にしてきた存在は数知れない。
道端の枯葉を気にしながら歩く人間はいない。市井に暮らすゴミを蹴散らす事に躊躇いを覚える事など、あり得ない。
己が才覚。己が努力。そうして積み上げてきた、己が能力。
何一つ迷うことなく歩んできた道のりが――眼前で滅び去った。
歯車が、噛み合わなくなる。
軋みを上げて。己が人生は転落の一途を辿っていった。
歩んできた道。枯葉のような者共を蹴散らし何一つ迷うことなく進んできたそれ。
彼は気付いていなかったし、今もまだ気づいていなかった。
蹴散らしてきた枯葉の裏。そこに隠された道はもう――罅塗れの、崩落寸前であった事を。
「――ふざけるな....!」
枯葉を踏み散らす。
銀行から逃げ、邪魔な群衆へ術式を向ける。ただそれだけで――風に吹かれるように、枯葉共は悲鳴と共に蜘蛛の子を散らす。
ただ踏み潰されるだけしか価値のない枯葉共が、邪魔をするな。
「何故だ...何故この俺が....!」
転移魔法の行使によって失われた左耳から激痛と共に耳鳴りが響く。
爆炎を撒き散らしながらも――グレアムは、あても無く逃げ続けていた。
「――ふざけているのは貴様だ、グレアム」
逃げ行く先。
行く手を阻むように――女が、眼前に現れる。
「テメェ、誰だ...?何故俺の名前を知っていやがる」
「アーリア・サンドバル。――腐っても同じ学園の同輩だろう?覚えていないか?」
「アーリア....ああ」
グレアムは、更に表情を歪め――眼前の女を見つめる。
「――王宮仕えの騎士様が、領主の走狗か。堕ちたもんだな」
「....」
せめてもの嘲りの声を、グレアムはアーリアに投げかけ。
その言葉に――ただただ、アーリアは憐みの視線を向けた。
視線から伝わる憐憫の情に――更にグレアムは、苛立つ。
「――投降しろグレアム」
「....」
理解している。
この場を逃れたとて、己の破滅の運命が変わる事はない。
袋小路の最中にて、どうしようもない運命から、逃れられぬと――そう解っていながらも。
それでも。
それでも――男は否定する。
己もまた、――どうしようもなく蹴散らされる枯葉である事を。
「――やなこった」
そう言ってグレアムは――再び、術式を編み込んだ。
その瞬間、グレアムの姿が消える。
――転移の術式!?
先程己が左耳を代償にした、高位魔法。
今度の代償は左耳だけで済まないかもしれない。それなのに――。
「――くたばれ!」
構築された術式は、先程よりもより洗練された陣を空間に描かれ。
アーリアの死角側から――グレアムの爆撃魔法が叩きつけられた。
「ぐ...!」
――追い詰められた状況下で、即席の魔法を使い、そしてその危険性を身を以て味わわされたことで。かえってグレアムの術式の理解が急速に進んでいた。
より安定し、より魔力をカットした、グレアム独自の転移魔法の術式が――ここに来て、開発された。
「――これほどまでの才能を持っていても、こうなってしまうのだな」
突如の事態であろうとも、それでもアーリアは落ち着いていた。
二刀に風を纏わせ、爆撃の衝撃を風に吸収する。その風にて炎を掻き分け――己が死角へと転移を果たしたグレアムへと斬りかかった。
「がああああ!」
斬撃はグレアムの肩口を斬り裂き、血飛沫が風に乗る。
風はアーリアの身体の動きに加護を与え――強風の如き激しさの連撃を走らせる。
たまらず、グレアムは再度転移魔法を用いて、その場を離れる。
――純粋な魔法使いとしての才覚や力量はグレアムの方が上であろうが。こと戦闘において、騎士として生きてきた私に付け焼刃で上回れるとは思わない事だ.....!
転移の魔法で死角を取られたとて。魔法である以上は術式を刻まなければならず、転移のタイミングや転移先の位置は把握できる。
転移先とタイミングを見定め。風に乗るようにアーリアはグレアムに迫る。
転移を終えたグレアムは爆撃の術式を展開している。
しかしそれは――アーリアには向いていない。
「可哀想になぁ。――お前は枯葉を守らねばならないのだから」
「――ッ!」
術式は――現在避難している市民へ向けられていた。
爆撃の魔法が放たれると共に。アーリアは市民の防護の為にグレアムから離れる必要性が生じてしまった。
爆撃の軌道に身を挟み、防御術式で弾き飛ばす。
市民を盾に、逃げんとするグレアムの前に、
「あ....?」
――壁がせり上がる。
「――そこの風魔法使いの女騎士様。少々お聞きしたいのだが」
壁の上。
そこには――焼かれたような切り傷が顔を横断せし男が、いる。
「重大犯罪者の確保の協力金の規定はあるか?」
「は....?」
男の目は――何一つ迷いのない目をしていた。
とても澄んだ目で、
「市井に暮らす無辜の者を脅かす強盗犯を見過ごす事はしないが――ここで協力金が支払われるか否かで俺が取る行動が変わってしまう」
「一般協力者に対する報酬の規定がないというのなら。その狼藉者を叩きのめした後、領主に交渉を行わなければならない」
「この者の手足の骨を踏み潰された枯葉のように粉々にして確保した後。犯人確保の為の武力行使及び一般市民の避難誘導を行った俺に対して正当なる報酬を支払ってくれるのは、警察か領主か、どちらだ」
「本来このような下世話な話はしたくないが。刻一刻と俺を取り巻く債務は膨れ上がっている」
「債権者は債務の回収の為に傭兵を雇っている。彼等をひとまず納得させるだけの金が今の俺には必要だ」
「規定があるならば規定通りに支払ってほしい。ないのならば領主と交渉する機会が欲しい。――規定はあるか⁉」
男の言葉には、切迫しているが故の圧があった。
故に――アーリアもまた、素直に言葉を返した。
「協力金の規定はない。後々長官が謝礼金を支払う可能性はあるが、あくまで可能性でしかない」
「返答ありがとう。――おい聞いてるか腐れ銀行強盗犯。我が名はカイロウだ」
せり上がった壁から降り立つと。
カイロウは――己が得物である槍を手に、グレアムの前に立つ。
「如何なる事情があるとしても――暴力で非戦闘員を傷つけ、狼藉を働きし貴様には。魔法を扱う資格も、人として扱われる資格もない」
「故に。俺は貴様を人としては扱わぬ。ただの金員引換券だ」
「せめて――俺の債務の泡沫として消え去るがいい!」
カイロウは己が左足にて術式を刻み、地面を踏みつける動作と共に――グレアムの周囲一帯を壁で囲む。
魔力を内包したそれらは、易々とは壊れぬ。
「壁なんぞ作った所で――同じだ!」
閉じ込められたような形となったグレアムは――当然の如く、転移魔法を行使する。
たとえ転移先を読んで近付いてこようが。また市民を狙って魔法を使えばいい。そうすれば勝手に、そっちを庇ってくれる。
そう意図し、転移を行ったグレアムであったが。
「ぎゃァ!」
転移した、その先。
肉体の再構築が済んだその瞬間には――槍の穂先が、もうそこに”置かれていた”。
カイロウの槍。その柄口が伸び上がり、グレアムが転移した瞬間にはもう目前に突きの一撃が放たれていた。
目にも止まらぬ二連撃。術式と共に伸び上がり、重量を増したであろうその得物を軽々と突き込み――グレアムの両足の腱を正確に斬り裂いていた。
決着は一瞬であった。
「――確保した」
にこやかにカイロウはそう呟き、その首を掴むと。
「では、すまない女騎士様。――少々時間をもらう。債権者の使いと、話し合いをせねばならないからな.....!」
そう言うと。
カイロウは――足の腱を斬られ泣き叫んでいるグレアムの髪を握り込むと。全力疾走で走り去っていった。
「あ....待て!何処に行くつもりだ!」
呆気にとられた風情で、一連の流れを見ていたアーリアは、走っていく
これが、傭兵カイロウと、女騎士アーリアとの出会いであった――。
●
「――という訳で。新しくウチの屋敷に新しく傭兵を入れる事になった」
「あの....何が”という訳”なのかさっぱり理解できませんが.....」
レレレレーロ領城塞都市にある、レロロの屋敷。
そこでは――書斎で諸々の後処理を行っているレロロと、その傍に佇むメイド長・クレオの姿があった。
「あの傭兵。考えなしに借金し回った馬鹿の極みオブクソ阿呆の多重債務者だったが。――集まった野次馬共や市民の避難誘導と犯人確保に協力してくれた借りが出来てしまった。あの馬鹿にだ」
「まあ、はい....。そのようには聞いていましたが」
「それでだ。あの馬鹿は銀行強盗犯を引き摺り回して債権者の使いの傭兵共の前に行ってまた借金についての話し合いを再開して」
「はい」
「犯人確保に協力してくれた善意の傭兵だと思って礼をしようとやってきた俺を見るなり、”協力金をくれ”の一点張りだ。さもなければ強盗犯は引き渡さないと。さっさと犯人確保して警察に引き渡してぇのにこの始末」
「....はあ」
「もう面倒くさくなっちまったから。俺は、奴の債権を買い取る事にした」
心底嫌そうに、レロロは表情を歪めている。
「どうやらあの野郎は、今度首都で行われる御前試合に出場するらしい」
「ああ。アーリア殿も出られるという....」
「元はかなり腕前が知られた傭兵だったらしいが、この大会に出場する為に引退したらしい。で、こっちに来るまでの渡航費の調達にクソほど借金を重ねてここに来たと」
「....はあ」
「という訳で。今、奴の債権者は俺だ。なのでアイツにはこの屋敷で働いて借金を返してもらう。基本的な業務は騎士と同じだ」
はあ、と。溜息を一つ。
いつまで経っても――己が身を蝕む苦労性は消えてくれない。
「勤務はいつから?」
「今日からだ」
「業務は誰が教えるので?」
「アーリアに任せている。――はぁぁ。もうこれ以上頭痛のタネが出てこない事を願うぜ本当に」