ファミリアが都市の外に出るにはギルドの規定で一々煩雑な手続きを踏まなければならない為、都市内部ならともかく外部の整備の人手が限られるという事情がある。
この手続きが除外されているのは、憲兵団としての側面を持つガネーシャファミリアと、秘密にされているが都市の創設神ウラノスの便利屋として動いているヘルメスファミリア、最後にオラリオの食糧事情を一手に担う生産系及び商業系のデメテルファミリアである。
そういう事情もあり、世界の中心とまで言われるオラリオに繋がる街道は基本的に整備されているが、あまり人の通らない道は逆に全くの手つかずということも珍しくない。人が通る分には問題なくても、大きな障害物があって荷車等の輸送用の道具は通れないということもある。
例えば今、都市外部にいるヘスティアファミリアの団員達の前に身の丈を遙かに超える大岩が道を塞いでいるように。
「おらぁっ!」
――――――――――ヴェルフは 鉄甲斬を はなった!
『ドラゴンシールド』を置いたヴェルフ・クロッゾが飛び上がり、回転した勢いもつけて両手に持った『キングアックス』を大岩に叩き付けた。
固そうな大岩もLv.5間近のヴェルフの技を叩き込まれては無事ではいられない。『キングアックス』を叩き付けられた大岩は頂点から綺麗に真っ二つに割れた。その結果を確認したダフネ・ラウロスは、ヴェルフが近くに立て掛けていた『ドラゴンシールド』を取りに下がったのを確認して、隣で詠唱を続けているヤマト・命に顔を向ける。
「次、命。始めて」
頷いた命は詠唱を終わらせる。
「――――――フツノミタマ!」
――――――――――命は フツノミタマを となえた!
――――――――――大岩に 重圧が おそいかかった!
放たれた重圧魔法が割れた大岩を覆い隠す。しかし、幾ら重圧がかかろうとも『キングアックス』で割られた頂点部分の端が少し欠けた程度で大岩を崩すほどの力は無い。
想定内の結果を見て取ったダフネは背後で準備を進めているリリルカ・アーデに意識を移す。
「リリルカ」
「行きます。ルーラ!」
――――――――――リリルカは ルーラを となえた!
何時でも『
「イオ!」
――――――――――リリルカは イオを となえた!
放たれた『
先の中層14階層に現れた
爆発が収まり、破片が周囲に行かなかったことを確認して命も重圧魔法を解除する。
「よし、良い感じに砕けた。『フツノミタマ』の範囲外にも出ていない。後はカサンドラ!」
「うん、バギマ!」
――――――――――カサンドラは バギマを となえた!
人の身長以下に砕かれた大岩の破片達を、カサンドラ・イリオンが放った『
道の脇から放たれた真空の刃は砕くのと同時に道から避ける副次効果もあり、後は残った小さな破片を取り除くだけでいい。考え込まれた無駄の無い一連の流れに、大岩の除去を頼んだ女神デメテルは深く感心した。
「見事な連携ね、ヘスティア。あなたの子供達は。まさかこんなに早く、あの大岩が無くなるなんて思わなかったわ」
「へへへ、どうだ凄いだろ!」
新しい農場予定地に続く道を塞いでいた大岩があっという間になくなった手際の良さに感心するデメテルに、眷属が褒められたヘスティアは鼻高々だった。
「ええ、ただ砕くだけなら上級冒険者なら難しくないだろうけど、ここまで迅速に片付けることが出来るファミリアはそう多くない……」
ただ砕くという結果を出すならば人間離れした力を持つ冒険者ならば可能ではあるが、全員の力を無駄なく活用して短時間で事を進められるファミリアは限られると、長年オラリオに貢献しているデメテルだからこそ分かる。
「というか、出来るファミリアが困っているからと手助けはしてくれないのだけど、本当に良かったの? 農作業まで手伝ってくれて」
「構わないさ。これもボクに黙って歓楽街に行ったベル君達が悪いんだ!」
罰としての社会奉仕の一環なんだと続けるヘスティアに、始めて協力してくれた理由を聞いたデメテルはコテンと首を傾ける。
「あら、そうなの? でも、男の子なのだから、そういうことに興味を持って仕方の無いことじゃない。寧ろ健全だと私は思うわ」
豊穣と慈愛を司るデメテルにとって、まだ大人になりきれていない男の子が抱える性欲に関して理解があり、寧ろ興味があって当然だとする立場にあった。
「駄目だ駄目だ! ベル君はそんなところに行っちゃあ駄目なんだ!」
母性がありすぎるデメテルの意見にヘスティアは顔を何度も横に振り、ツインテールの髪がパシパシと自身の体を当たる。
「もうヘスティアったら…………あまり束縛が強すぎると嫌われちゃうわよ?」
「う゛っ!?」
古今東西において、束縛が過ぎれば男は逃げる。少なくとも好まれる行動ではないとヘスティアも知っている。
「…………やっぱり駄目だ! 歓楽街に行って朝帰りなんて許せるわけないじゃないか!」
分かってはいても我慢できないことはある。今回の朝帰りがそうだった。
「初めてが朝帰りになるなんて、お盛んなのかしら?」
「いや、二人ともそういうことはしてないって言ってたけど……」
「嘘をついたの?」
「ベル君達は嘘を付いていないよ」
ベルもアルスも、性的なことは何も無かったと言った。神々は下界の子が嘘を言ってれば分かるので、その点に関してはヘスティアも信じられる。
「なら、本当に行っただけなら怒らなくてもいいんじゃあ……」
「歓楽街に行ったことは事実だし、一晩過ごしたのも本当のことだったんだ。ボクは歓楽街に興味を持ったことが許せないんだ!」
未だ怒りが収まらない様子のヘスティアに、デメテルは困った子とばかりに頬に手を当てる。
「あなたは貞潔の女神だものね。無理はないけど、子供達に無理をさせたら駄目よ?」
「分かってるよ」
「なんにしても、手伝いに来てくれて助かったわ。新しい農場に適した場所はあったのだけれど、間の道にある大岩をどうにも出来なくて困ってたの」
話題を蒸し返しても怒りを再燃させるだけなので、デメテルは感謝を伝えることで話を変える。
「渡りに船になって良かったよ。貧乏時代に野菜を分けてくれた恩は、こういう時に返さないとね。またボク達の力が必要なら遠慮無く言ってくれ」
ヘスティアファミリア創設初期、主食が揚げ物である『ジャガ丸くん』だけでは育ち盛りのクラネル兄弟の成長に良くないと考えたヘスティアは同郷であったデメテルを頼り、農作業を手伝う代わりに野菜を分けて貰っていた。アルスが【
本当に辛い時に助けてくれた恩をヘスティアは忘れていない。だからこそ、こうして再び手伝いに来たのだ。
「もう十分に助かってるわ。作るつもりだった畑も、二人のお陰で直に出来そうだもの」
「ベル君とアルス君はオラリオに来る前は農業をやっていたらしいからね。慣れたものさ」
大岩の除去にクラネル兄弟が参加しなかったのは、人手が足りているので必要無かったというのもあるが、先に一足早く農場作成に着手していた為でもあった。
オラリオに来る前は農民であった二人に指導は必要ないことは以前の手伝いから分かっており、簡単な指示さえあれば後は勝手に動ける。事前にダフネに『
「お礼は本当に市場に出せなかった野菜でいいのね?」
「うん、ありがとう。食べるのに問題はないんだろ?」
「少し傷があったり、見た目が悪かったりするだけだから味に問題はないけど……」
農業に完璧はない。様々な条件が重なり、市場に出せない物は一定数出てしまう。
金銭ではなく報酬としてヘスティアが求めたのがそのような規格外品であることに怪訝そうなデメテル。貧乏だった以前はともかく、今はそこまで困窮していないので十分に食料は買えるはずだからだ。
「ああ、別にお金がないからとかじゃないんだ。寧ろ資金に余裕はある方だと思う」
「じゃあ、どうして?」
「孤児院に持って行こうと思ってるんだ。ここに来る前にも、色んな所で奉仕活動をして、いらない物や売り物にならない物を預かって一緒に持って行くんだ」
だから出来るだけ多めに都合してもらえると助かると纏めたヘスティア。
「アポロンとの『
目立つファミリアなので妬み嫉み僻みを買いやすい。ヘスティアファミリア全員で社会奉仕活動を行うことで成り上がりという印象を消そうとしていた。
『
こうやって全員で参加するのは実は初めてのことだが、ヘスティアの本音の面では歓楽街から朝帰りしたクラネル兄弟だけでなく、連れて行ったヴェルフ、知っていて見逃したダフネや命も同罪としても罰という面もあったりする。行き詰まっているリリルカの気分転換も兼ねており、全くこの件に関係ないカサンドラは一人残すのも可哀想だろうと完全に巻き添えである。
お礼を貰うこともあるので、どうせなら社会に還元出来るようにオラリオ内にある孤児院などに寄付もしていた。
「ヘスティアも、ファミリアの主神らしく頼もしくなったわね」
「そうかい? 少しでもそうなれたのなら嬉しいな」
落ち着いた様子で自分の眷属達を見つめるヘスティアは最初の頃に比べれば本当に変わった。
「それに引き換え、私は――」
少し暗い顔をするデメテルの口の中だけの呟きは冒険者ではないヘスティアの耳には届かなかった、届かなかったのだった。
デメテルは思いの外、ヘスティアの活動に感銘を受けたのか、想定以上の野菜類を渡してくれた。一か所に持って行くには多い量となれば、別れて持って行くことになった。
『ボクはベル君と一緒に行くんだ――ァッ!!』
『二手に分かれるなら主神と団長は別行動です。諦めて下さい』
予定にない場所には主神が赴くとなれば、元から行く予定であった場所には失礼の無いように団長と副団長が行くことになり、ベルと別行動になることにヘスティアが難色を示したりもしたが些末なことである。
ヘスティア側にはNo.3であるダフネが、冒険者っぽい全身鎧のヴェルフと続き、カサンドラはこちらを希望した。
アルスは初めて行く場所で失礼があったらいけないので予定の場所で振り分けられているので、残る人数比で命はベル達側に自動的に振り分けられた。
そうしてアルスが荷物持ちと化しながらダイダロス通りを進み、目的地であるマリア孤児院である教会に辿り着いた。
「いらっしゃい、ベルさん」
「え、シルさん?」
入り口をノックしたら何故か教会側から出てきたのは、豊穣の女主人でウエイトレスをしているシル・フローヴァその人である。
いるはずのない人による出迎えにベルが目を白黒させていると、シルは良いことを思いついたとばかりに笑みを深くして口を開く。
「ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも――――――ワ・タ・シですか?」
小悪魔風に笑ってお約束を口にしたシルに、ベルの背後で命に荷物を押しつけたアルスが飛んだ。
→勿論、シルで!
勿論、一緒にお風呂で!
「いやん、子供達が見ちゃいますよ」
ジャンプと同時に鎧をその場に脱ぎ捨て、『やすらぎのローブ』一枚になって、両手は合掌の形で頭から突っ込むアルスに、恥ずかしがりながらもシルは両手を大きく広げて待つ。
待つシルの前に踏み込んだリリルカが『らいていの杖』を振りかぶる。
「なにやってんですか!」
――――――――――リリルカの こうげき!
――――――――――かいしんの いちげき!
――――――――――アルスに ダメージ!
じょ、冗談だったのにと地に叩き落されるアルス。
鼻血を垂らして、ヨヨヨと泣くアルスに『らいていの杖』の杖足を地面に突き立てた。
「していい冗談と駄目な冗談があります! シルさんが受ける気満々なので今のは駄目な冗談です!」
「残念。じゃあ、ベルさんはどれにしますか?」
「えっと……」
まだ続けるのか、とアルスに荷物を押しつけられていた命はシルを驚愕の目で見て、まるで何事も無かったかのように選択を迫られても付いていけていないベルは返答に窮する。
「ベル兄ちゃん達だ!」
そこへシルが出てきたドアの向こうから、子供達が飛び出してきた。
子供達の先頭に立つ茶髪のヒューマンの子供――――――ライは場の意味不明さに首を傾げながらも、ベルに駆け寄っていく。
「なあなあ兄ちゃん達、腹減ってない? シル姉ちゃんが弁当を持ってきてくれたんだよ。兄ちゃん達も食べてってよ」
「アストロン」
――――――――――アルスは アストロンを となえた!
――――――――――アルスの からだが てつのかたまりに なった!
――――――――――アルスの からだは てつのかたまりとなり なにものも うけつけない!
リリルカに正座させられて説教されていたアルスは、ライの言葉を聞いて即座に自らに『
瞬く間に正座の姿勢のまま鋼鉄となったアルス。前回に訪れた時、魔法を見せてほしいと頼み込まれ、一番見栄えの良かった『
「あっ、アルス兄ちゃんだけずるい!」
思わず本音が出てしまったライの肩にシルの手が乗せられた。
「ずるいって、どういうことかな」
機嫌の良さそうな声だがライは知っている、発せられるプレッシャーから笑顔の奥に鬼が宿っていることを。
「ねえ、ライ君?」
両肩に手を置かれ、逃げられない状況に追いやられたライの目が泳ぐ。
「だ、だって、前までお店の美味しい料理だったのに、シル姉ちゃんが作った弁当になって味が――」
「味が? うん、なにかな? もっとはっきり言ってくるとお姉ちゃん助けるんだけど」
何故かシルには嘘をついてもバレてしまうので、出来るだけボカして伝えようとするも、そんなことは許されなかった。
笑顔の鬼が間近に寄ってきてはライに成す術はない。
「うわーん! ベル兄ちゃん助けて!」
その後、助けを求められたベルが間を入ったことでライは見逃され、『
「――――――まさか、シル様の弁当があそこまで微妙な味わいだったとは。だから、知っていたアルス様は『
『
「ベルお兄さんの所為で大変な目に合った」
「命お姉さんが料理作ってくれなかったらボク達、泣いてたかも」
丁度、食事時ということもあってご相伴に預かったリリルカ達。
シルはベルだけは弁当を食べさせなかったので子供達も弁当を作る理由を察してしまい、本来ならば恨みを向けられていたところだが人数が増えたこともあって、命が簡単な料理を作ってくれたお陰で少ないながらも喜んで食べられる物があって子供達の表情は明るい。
尚、命とシルは院長のマリアと厨房で後片付けをしており、身長が足りないリリルカは子供達の相手ということで残っていた。アルスは余程『
「ベル兄ちゃんて、頭良くないよね」
「急に罵倒?」
自分の所為で実験台になってもらっている罪悪感を感じているベルを見て、どうしてシルが弁当を作っているかに気づいていないことに気づいたライはウンウンと一人頷く。
「いやさ、英雄譚の知識は凄いのに、他のことは空っきしだし。『学区』のことも知らなかったじゃん。もっと世の中のことを勉強しろよ」
そう言われると返す言葉の無いベルである。
「でも、ライ君。ベルお兄さんの持ってきた英雄譚をよく読んでる。今は『ビルガメスの冒険』が好き」
ハーフエルフの男女どちらなのかはっきりとしないルゥがぼんやりとしながら言った。
「『ビルガメスの冒険』?」
「リリ姉ちゃん、知らねぇの? 英雄ビルガメスが数々の冒険をするお話で、俺が好きなのは淫蕩のバビロンを倒すところなんだ!」
目を輝かせて熱弁したライは剣を持っているかのように手を動かす。
「神々よ、御照覧あれ! 我が剣が穢れし娼婦、淫蕩の女王に鉄槌を下すその時を!」
「悪を倒す英雄譚が好きなんだって、子供だよねぇ」
『
そんなベルにルゥが意を決したように近づく。
「……ねぇ」
『プリンスコート』の袖を引っ張られたベルが顔を上げる。
「どうしたの?」
「これ、報酬…………少なくて、ごめんなさい。『
子供達からの『
「確かに子供達が言っていたように唸り声のような音が聞こえます」
断る理由の無かったベル達はようやく『
一人で逃げた罰としてアルス一人に大きな石柱や木材を撤去させ、露出した石畳の中で一枚だけ石板が僅かに浮いていた。耳を欹てる必要もなく、音はその隙間から漏れ聞こえている。
「音の発信源は、この石畳の下のようです」
発生源を調べる為、命が石板をどけると暗闇の向こうには階段が続き、その先には石畳が続いていて先は見通せない。
「地下通路、みたいだね」
「この空気感、まるでダンジョンのような……」
「シル様達を置いてきて正解のようですね。アルス様、『どうぐぶくろ』からリリ達の装備を」
この先を調べるならばダンジョンに潜る気概でなければならないと判断したリリルカは完全装備で行くことを決断した。
「空気感はダンジョンのようですが、作りは人の手によるもののようです。ダイダロス通りの地下にこのような空間があるということは、これも大昔にダイダロスが作ったものなのでしょうか?」
装備を整え、階段を下りて石畳を進めば作りはダンジョンと違って人為めいている。となれば、考えられるのはダイダロス通りを作った奇人ダイダロスが候補に上がる。
「それはまだなんとも。可能性は高いですが」
命の推測に、リリルカは今の段階ではまだ断定は出来ないとしながらも、その可能性は排除出来ずにいる。
→それよりもベル、娼婦と何かあったのか?
それよりもベル、前にシルのパンツ見たって本当か?
「そういえば、先程も娼婦という言葉に反応していました。もしかして、本当は酷いことをされたとか?」
先頭にアルスが立ち、最後尾にベル、その間に命、リリルカという位置で進む最中、唐突に振られた話題にリリルカも乗りかかった。
「娼婦の人達に追いかけられはしたけど酷いことはされてないよ、それは本当。春姫さんっていう優しい人に助けてもらったから……」
「春……姫……?」
ベルから出るはずのない既知の名前に命は口の中で繰り返し、理解が及ぶと最後尾のベルの下へ戻って肩を掴む。
「ベル殿! その春姫殿という方は『
「え、あ、はい。金色の髪と尻尾をした僕達とそう年も変わらない『
春姫という名で『
「間違いない……! あの方はどの辺りにいたのですか! 様子は! 元気でしたか!」
「命様、落ち着いて下さい。そんなに詰め寄られてはベル様も答えられません」
「も、申し訳ありません!?」
何時の間にか、ベルの襟元を両手で掴んで詰め寄っていた命はリリルカに諫められ、謝りながら慌てて離れる。
立ち止まった一行を見やり、リリルカも命がヘスティアファミリアに入る契機となった『
「しかし、話を聞く限りでは、その春姫様という方が命様の探し人だということでしょうか」
「はい、恐らく……」
娼婦ということは、イシュタルファミリアと何らかの関わりがあるかもしれない。命やベルに助けに行こうとしないように言い含めようとリリルカが口を開く前にアルスが動いた。
→ところで話は変わるが、あの『サイクロプス』を倒した摩訶不思議現象はなんだったんだ?
ところで話は変わるが、ルゥって男、それとも女?
「本当に話がガラリと変わったね」
「まあ、いいのではないでしょうか。その春姫様の話を続けると命様が心穏やかではいられないようですから」
春姫の話の続きは地上に戻ってからにする方が都合が良いだろうと、リリルカはアルスの話題転換に乗ることにした。
「アルス様が放った『
説明を受けたリリルカ自身も完全に理解しているわけではないと前置きして続ける。
「魔法という前提を無くせば、炎と氷は全く違うものに思えますが熱エネルギーが正と負の両極にあるだけで。『
火は熱く、氷は冷たい。水を熱すれば熱湯になり最終的には蒸発し、冷たくなれば最終的には凍る。これは熱エネルギーが正と負の両極端に変化している為。
「『
「両方とも爆発とか閃光とか、単純にただ熱さを高めたとは違う要素が混ざっているので除外したとのことです」
ベルの疑問に、そこまで詳しく推察するとキリがないとしたリリルカは本題に戻る。
「あの不可思議な現象は、普通なら強い方によってもう片方が掻き消されてしまうだけで終わりますが、その正と負のエネルギーが全く同値で衝突したことで起こったのではないかというのがヘスティア様の推論です」
例えば火に氷を投げ入れたとして、火の熱量以下ならば氷は溶けて水となって最後は蒸発する。逆に氷の方が火に熱量を上回るのなら火が消える。
「同値だったら互いに消えるだけではありませんか?」
火と氷が全くの同量であったのならば、火は消えて氷も消えると命は考えた。
「だから、推測だと言っているではありませんか…………まあ、リリも火と氷が互いに打ち消し合うというのに賛成ですが、ならばあの不可思議な現象をどうやって証明するのかという疑問にぶち当たりました」
既に結果として、『サイクロプス』は死んだ。あの結果は『
「両者はただ打ち消し会うのでは無く、正と負の熱エネルギーがぶつかり、別種のエネルギーを生み出してあの結果を生み出したのでは無いかということです」
そこまでは推論は立てられる。だが、証明するとなると問題があった。
「この推論を実証するには、あの現象が起こった状況を再現すること。つまり、『
「普通に無理じゃないかな」
「ええ、何度試しても上手くいきません」
まず先に放った魔法にもう一つの魔法を当てるというだけでも至難の技なのに、放った魔法は距離によって威力が減衰する。例え狙う場所を固定しようとも、放つリリルカの側が前回とミリ単位で動いてしまうし、軌道も出来るだけ同じようにしようとも僅かにズレる。
常に変動するそれらを計算して放つのは、生きている者に出来ることではないとヘスティアは言っていた。
「ヘスティア様は、一度でも起こっただけでも天文学的な確率であったと。無理に再現するよりかは他の方法を探した方が良いと仰っていました」
光明を見たリリルカは諦め切れていないが完全な行き詰まりだった。
「…………何かが来ます!」
警戒を促す命の言葉よりも早く、ツンとする腐敗臭が暗い通路の奥から漂ってきた。
――――――――――グールが あらわれた!
通路の向こうからのっそりと現れたのは、青い肌の人型モンスター。
逆立った髪の毛、不揃いな歯が覗くあんぐりと開いた口、そこから垂れる体液ともヨダレともつかない何か、大きく見開いた左目と瞳のない半開きな右目。ダンジョンで死んだ冒険者達の死体にモンスターの魂が入って動かしていると噂されるゾンビ系のモンスター種。
7階層に現れる『くさったしたい』や19階層の『どくどくゾンビ』に似ているが、モンスターから放たれる威圧感は上層や中層のモンスターのものではない。
「どうして下層の『グール』が!?」
仮にこの地下通路をダンジョンの1階層と見立てたとしても、地上に近い場所に下層のモンスターがいる理由が分からず、パーティーに一瞬の停滞を生んだ。
――――――――――グールは こちらが みがまえるまえに おそいかかってきた!
――――――――――グールは どくのねんえきを とばしてきた!
腐った体とは思えない素早い動きで走りながら投げつけてきた紫色の粘液。『くさったしたい』や『どくどくゾンビ』が使う『どくのねんえき』を見たアルスが行動に移る。
放たれた『どくのねんえき』は大きい。盾では払えず、武器はそもそもまだ抜いてすらいない。
「メラ」
――――――――――アルスは メラを となえた!
――――――――――アルスは 攻撃を魔法で はじいた!
左手の先に生み出した『
「メラゾーマ」
――――――――――アルスは メラゾーマを となえた!
地下通路ギリギリの大きさに抑えられた『
――――――――――グールに ダメージ!
――――――――――グールを たおした!
――――――――――アルスたちは 219ポイントの経験値を かくとく!
――――――――――グールは 魔石を 落としていった!
灼熱の塊に飲み込まれ、『グール』のいた場所には熱で焦げた石畳の上に残った魔石だけがある。
「流石はアルス殿、下層のモンスターを苦も無く倒すとは」
「でも、どうして下層のモンスターがこんなところに? 『
「そもそも、ダイダロス通りの地下にこのようなダンジョンめいた地下通路があるのか」
恐らく音の発生源である『グール』は倒したが、謎は寧ろ増えている。
時間差があったとはいえ、左右の手で『
「…………どちらにしても依頼は果たしました。この地下通路のことはギルドに報告しましょう。時間も遅いですし、引き返します」
後はギルドの仕事です、と告げたリリルカが足早に戻っていくので、どうしてそこまで急ぐのかと疑問を覚えながらもアルス達も後を追う。
ベルも続こうとして、背後を振り返った。
明かりのない通路はまるでベルの気持ちを現わしているようだった。
ちょっとした伏線を仕込みつつの、デメテルの畑での能力の無駄遣いというか、ある意味で最も正しい使い方というか。
アストロンの使い方については間違いなく無駄な方。
グールのどくのねんきを、左手のメラで防ぎながら右手でメラゾーマを放つという、メドローア習得への手順をリリルカに見せる流れ。