「うっ……」
僅かな呻きを漏らして少しずつ意識が戻ってきたベル・クラネルは、自身が四肢を開いた状態で立った姿勢でいることに気づいた。
完全に意識が戻る前に既に尋常な状況ではないと認識していたベルは瞼を開かずに思考する。
(そうだ。ダンジョンからの帰り道で誰かに襲われて……)
16階層で『
おそらくその集団にどこかに連れていかれ、拘束されたと現在の状況へと至る推測を立てることが出来たベルは目を開き、右手に力を込めて引っ張る。
(外す、ことは出来そうにない。アルスはまだ意識が戻ってないけど、僕同様に傷は治されている。一体、何が目的なんだ?)
鎖と手錠はピンと張りはするが千切れそうな感じはしない。金色であることと、Lv.5間近のベルの『ちから』でビクともしないことから、『きんかい』で出来ているのかもしれない。見えないが首にも何かが装着されている。
横目で見れば隣には同じように四肢を拘束されているアルス・クラネルがいて、着ている『やすらぎのローブ』に血が滲んではいるが所々破れて見えている素肌に傷が無い。負ったはずの傷が無いのはベルも同様で、痛みも感じないことから治癒を受けたのは間違いない。
襲っておきながら治療をした襲撃者達の目的が分からないが、アルスが鼻提灯を作って気持ちよさそうに寝ていることに呆れた方が良いのか図太さに感心した方が良いのか。
ベルが自分だけでも『
「――――ようやく目覚めたのかい」
分厚い扉を開いて部屋に入ってきたアマゾネスの美女は、自分を見つめるベルを確認して呟いた。
→アイシャ・ベルカ。イシュタルファミリア所属だったっけ?
カーリー・ファミリアのアルガナ・カリフだったっけ?
「やっぱりバレてたか」
扉が開く音で起きたのか、扉を開ける音で起きたらしいアルスが名前を思い出しながら告げるとアイシャ・ベルカは襲撃者であることを認めて肩を竦める。
彼女が歓楽街でアルスと夜の闇に連れたって行ったアマゾネスであると思いだしたベル。
「どういうつもりですか? 僕達を襲ってこんな所に閉じ込めて」
「それは――」
「デイン」
――――――――――アルスは デインを となえた!
――――――――――ミス! 呪文を ふうじられている!
現状に至った理由を問い詰めようとしたベルの横で、確実に不意を突いたタイミングでアルスが『
「抜け目のない子だねぇ。でも、これで分かっただろ。アンタらの首には魔法を封じる『
19階層や39階層に現れるどくろ大臣系統が希に落とすレアドロップアイテム『まふうじの杖』を素材として、『
ガチャガチャとアルスが手足に力を込めるも『きんかい』の鎖はビクともしない様子。
「リレミト」
――――――――――ベルは リレミトを となえた!
――――――――――ミス! 呪文を ふうじられている!
アルスが魔法を使えなかった時点で予想は出来ていたが、ベルの『
ベルは内心で舌打ちを零す。
「…………魔法が使えず、鎖も破れない。鍵が無ければ僕達は何も出来ないと、そういうわけですか」
「理解が早くて助かるよ」
早々に諦めたアルスがブラーンとしているのを横目に見たアイシャがベルを見据える。
「さっき、どうして自分達を襲って閉じ込めたのかと聞いたね。端的に言うなら、気紛れな女神の目に止まってしまったからとしてか言い様がない。恨むなら、運の無い自分達を恨むんだね」
「気紛れな女神?」
誰のことだと聞くよりも早く、再びアイシャが通ってきた扉が開かれた。
まず目に入ったのは、扉を開けた上半身裸の美青年。
続いて現れたのは、上半身は首に紐のような細い布をかけ、そこから伸びた部分で辛うじて乳首だけが隠れているのみという衝撃的な姿の女神。発せられる神威は女神の後に続くガマガエルのような見た目の巨漢のフリュネ・ジャミールや、比較対象で余計に華奢に見える着物のサンジョウノ・春姫の存在感を塗り潰すほど。
「ほう、目覚めていたか」
濃すぎる人物の中にあって、最も目立つ女神が蕩けるような声を発する。
「こうして会うのは初めてになるな、ヘスティアの眷属達よ」
「あ、あなたは?」
顔を見ると露出度が激しい上半身が視界に入ってしまい、ドレスのような腰巻でしっかり隠れている下半身を見るのは何か違うだろうと視線が定まらないベル。
「私を知らぬか? ならば、教えてやろう。私こそが唯一至高の美神、女神イシュタルだ」
「は、はぁ……」
「見るからに凡庸で小便臭い小僧共にしか見えんが…………ふむ、タンムズよ。本当にここまでする価値はあったのか?」
反対に眼福とばかりに不躾とも思える目で見てくるアルスという正反対の反応を示す二人に、イシュタルは腹心に問う。
「はい、イシュタル様」
イシュタルの斜め三歩後ろに跪いたタンムズ・ベリリが答える。
「奇襲を仕掛け、魔法を封じた状態にも関わらず、これだけの状況と圧倒的な数的不利ながらも襲撃に参加した半数が何らかの手傷を負っています」
「不細工共が情けないだけさ」
「フリュネの言い様はともかく、この二人ともが低く見つめってもLv.5下位の実力があります。噂の成長促進スキルが真実であるとして、他の団員も近い実力があると仮定しますとパーティーが揃った状態で襲撃した場合、敗れるのはこちらとなった恐れもあります」
「ほう、そこまでとはな」
フレイヤの見る目は正しいということか、とイシュタルの機嫌が少し悪くなった。
「…………僕達をどうするつもりですか?」
「察しはついているだろう? そういう顔をしている」
ベルはイシュタルの問いかけに対して眉を顰める。
「僕達が持つ成長促進スキルが欲しいと? 僕達二人は神様に、ヘスティア様に恩恵を与えてもらってから一年も経っていませんから『
アポロンファミリアとの『
イシュタルファミリアもその類であろうと、ベルは断固たる決意を宿してイシュタルを睨む。
「解放して下さい。今なら問題にしませんから」
「くっくっくっ、強情だな。そして物を知らんと見える。今の状況は俎板の鯉でしかないというのに」
「うっ……!?」
近づいてきたイシュタルが拘束されて身動きが出来ないベルの顎を掴む。
「だが、許そう。私ほど慈悲深い女神はそういないぞ?」
そのままベルの顎から頬を一撫でした手を自身の腰巻きへと伸ばす。
「確かに『
「ほあぁ!? ななななな何で服をっ!?」
パサリと落ちる腰布を見たベルが目を剥いて唯一自由な顔を逸らしている間に、イシュタルは胸を隠してしていた細い布を投げ放つ。
「必要なのは私への絶対の忠誠だ。お前達を『魅了』して私のモノとする。精神をドロッドロに溶かせば、私に逆らおうと言う気も失せよう!」
――――――――――イシュタルは みりょうを つかった!
――――――――――アルスは イシュタルに みりょうされた!
――――――――――アルスは うっとりとしている……。
→我が忠誠はイシュタル様の物でございます!
我が忠誠はアイシャ様の物でございます!
「何を言ってるのさ、アルス!? い、イシュタル様、服を着て下さい!」
――――――――――しかし ベルは 余裕しゃくしゃくだ!
「こ、コイツ、何故『魅了』されない!?」
アルスの方は問題なく『魅了』されているならば『魅了』自体は問題なく効果を発揮している。例え『耐異常』のアビリティを有していようが、美神の『魅了』は防げるものではない。となれば、ベルには『魅了』を防ぐ特殊なスキルと考えるしかない。
「タンムズ、そいつのステイタスを見せろ!」
「は、はい!」
『魅了』が効かないことに心底から驚いているタンムズに命令し、四肢を拘束して宙づりになっているベルの『プリンスコート』を捲らせる。
「ちっ、やはり『
神の眷属の背中に刻まれる『
「さっさと出しな、春姫」
春姫に持たせていた『
『神秘』の発展アビリティを習得した数少ない者だけが神々の『
「ちょっ、やめ! あ――」
【ベル・クラネル Lv.4(レベル39) 称号:『
HP:333 MP:103 ちから:120 みのまもり:49 すばやさ:146 きようさ:140 こうげき魔力:127 かいふく魔力:0 みりょく:133
《魔法》
【ジバリア】【ジバリカ】【ジバリーナ】【ザメハ】【インパス】【リレミト】
《技能》
【グランドクルス】【スリープダガー】【ヴァイパーファング】【バンパイアエッジ】【アサシンアタック】【かえん斬り】【ミラクルソード】【デュアルカッター】【シャインスコール】【ぬすむ】【シャドーステップ】
《スキル》
【憧憬一途】【二刀の心得】【スライムブロウ】【メタルウィング】【パワフルスロー】【ヒュプノスハント】【タナトスハント】【メタル斬り】【ドラゴン斬り】【
《次のレベルまで:18083》 】
「なっ、なんだこのステイタスは!?」
意味不明なステイタスの羅列に困惑するが、イシュタルにとっては最も重要な対魅了の効果のある『
(魅了に対する完全耐性だと!? 懸想し一途でいる間は如何なるものにも染まらない純白な、美神の『魅了』を無効化するほどのド一途な憧憬―― )
多くの男と交わることを不浄だという下界の子供達の訴えがさっぱりと分からないと断言できるイシュタルからすれば、たった一人を想うベルの『憧憬一途』は存在自体を認められない。断じて認めることは出来ない。
「…………フリュネよ、初物に興味はあるか?」
「ゲゲゲ、青臭いガキだがアタイ好みの初物なら是非とも喰いたいもんだねぇ」
イシュタルの問いの意味を正確に理解して、ニヤニヤと受け入れたフリュネ。
怒りと屈辱に打ち震えている主神の見たことのない余裕のない形相に、唯一目撃したタンムズが恐れ戦いているのを見ていたアイシャは顎を僅かに上げる。
「いいのかい、イシュタル様? この状態のフリュネは私じゃあ抑えられないよ」
「構わん。フリュネに喰われれば、こいつの懸想も砕けよう。この私をイラつかせた報いだ」
「喰い潰されて使い物にならなくなったら本末転倒な気もするけどね」
「使い物にならなくなるのは困る。その前に春姫を使っても構わんから止めろ。最悪、私を呼んでもいい」
フリュネが加減など出来るはずが無いとアイシャが言い切ると、イシュタルも少し頭が冷えたのか方針を僅かに変えた。
「責任は持てないよ」
「構わん」
例え春姫を使おうともアイシャでは純然なLv.と強さで実力行使でフリュネを止めきることは出来ない。最初から分かり切っていることで、後から責任を取れと言われても困るとアイシャが言うと、流石にイシュタルもそのことは分かっているので了承して、今にも涎を垂らしそうな顔をしているフリュネを見る。
「くれぐれも言っておくが、フリュネよ」
「使い物にならないようにするなって話だろ。分かってるさ。アタイを信用しなって、ゲゲゲ!」
笑って言い切るフリュネにイシュタルの心境は晴れない。
(流石に早まったか?)
美の女神の存在自体を脅かすベルへの怒りで即決したものの、人選を誤ったのではないかと思いもしたが、こうなってしまったフリュネから代えたところでシコリが残るだけと諦めることにした。
「儀式まで二日しかないのだ。他にも準備があるのだからあまり時間をかけるなよ」
『スキル』になるほどの懸想が砕かれる瞬間が見たくはあるがイシュタルには他にもやることがある。
脱ぎ捨てた衣服を再度身に纏い、タンムズを従えて部屋から出て行った。
主神と副団長が確実に戻ってこないのを確認したフリュネがアイシャを見る。
「アイシャ、アンタも準備をしているサミラ達の所に行きな。あの脳筋共だけじゃ儀式が始まるまでに終わるか分かったもんじゃない」
「はっ、体よく私を追い出して楽しもうって魂胆だろ。その手には乗らないよ」
簡単なフリュネの思惑を見通したアイシャが吐き捨てる。
分かっていないなとフリュネはポーズを取った。
「初めての瞬間を余所の女に見られるのは嫌だろうっていう、男の為を思ったアタイの優しささ」
「良くもまあ言えたもんだね」
「アタイだってイシュタル様に釘を刺されてるんだ。やり過ぎはしないとも」
このガマガエルに建前を口にするだけの知性があることにも驚きだが、イシュタルファミリアにとって主神の意向は絶対である。その言い分だけは間違いではないが、本人の今までの所業で信用も信頼も出来ないのでアイシャに引く気はなかった。
「春姫がいるんだ。監視役は一人で十分だろ。それとも何かい。アタイが信用出来ないってのかい?」
「どの口が……!」
「このアタイがここまで優しく言ってやってるんだ。またその顔がグチャグチャにされる前にさっさと消えな」
「っ!?」
頑なに去ろうとしないことにいら立ちを滲ませて蛙を思わせる巨大な顔を寄せて血走った眼球で凄まれれば、過去のことを引き合いに出されたアイシャは苦汁を滲ませる。
「…………分かった」
力を盾にされればアイシャには留まるという選択肢を選ぶことは出来なかった。
アイシャを部屋から半ば追い出したフリュネは清々したとばかりに笑い、ニチャリと長い舌で自身の唇を舐める。
「これで邪魔者はいなくなった。ゆぅっくり楽しもうじゃないかぁ」
→ベル、可哀想に……
ベルの貞操は俺が守る!
「こういう時、弟は兄を守るもんじゃないのかな!?」
兄を憐れむアルスとベルの醜い兄弟喧嘩を楽し気に見つめ、フリュネは顎に手を当てる。
「イシュタル様は
え、とアルスは呆けた声を上げた。
自分は安全だろうと高を括っていたアルスへと一歩ずつ近づいていく。
「ああ、美味そうだなぁ。剣姫と一緒に虚仮にしてくれた恨みと一緒にたっぷりと可愛がってあげるよぉ!」
→メラメラミメラゾーマギラベギラマベギラゴンイオイオララリホーラリホーマデインライデイントヘロスニフラムルーラアストロン!!
くっ、殺せ!
――――――――――ミス! 呪文を ふうじられている!
「ヒヒヒ、抵抗しても無駄だよ。そのおっ起てた――――あ”ぁ?」
ガタガタと震え、薄らと涙を浮かべ、血が滲むほど『きんかい』の手錠が食い込んだ手足。右手で顎を掴んで左手でアルスの股を掴んだフリュネが怪訝な目を向ける。
「チッ、これだから初物のガキは面倒くさい。おい、春姫! アタイの部屋から精力剤を…………って、言っても場所を知らないか」
「は、はい……」
次は我が身のベルが怯える中、怯えた狐の如き様相の春姫に命令しかけたところで、フリュネも自室の中に他者を入れたことはないので精力剤の場所が分かるはずが無いと思い至った。
「しょうがないね。精力剤を取ってくるから、それまでここの見張りをしときな。直ぐに戻るから」
春姫に見張りの命令をしてフリュネは急ぎ足で部屋から出て行こうとして、扉の前で振り返る。
「待ってろ。直ぐに盛った兎みたいにしてやる」
→は、覇王――
び、ビックーー
絶望的なことを言い捨てて部屋から去って行ったフリュネに犯されるぐらいならば、自身諸共に力を解放しようとしたアルスの前に鍵束を持った春姫が歩み寄る。
「お二人とも、手錠の鍵を外しますから直ぐにお逃げ下さい」
鍵を使ってまずベルの拘束を外し、次いでアルスへと取りかかる。
「あ、外れました。きゃっ!?」
→女神様仏様春姫様! このご恩は必ずお返しいたします!!
女神様仏様春姫様! このご恩は必ずお返しいたします!!
絶望の闇から救いの光を得て自由を取り戻したアルスは叫びながら目の前の少女に飛びつき、支えきれずに尻餅をついた春姫に縋り付いた。
今まで何度も命の危機があったが、別種であっても最も恐ろしかった出来事から救ってくれた救い主にアルスは泣きついた。
「元は私の責任でもあります。気にしないで下さい。さあ、魔法封じの『
膝で泣くアルスの頭を撫でながら首の後ろ側にあった『
「――――ありがとうございます、春姫さん」
「ご無事に助け出せて良かったのですが、私も助けて頂けると……」
礼を口にしたベルに春姫はフリュネがよほど恐ろしかったのか、抱きついたまま離れないアルスをどうしたものかと困っていた。
「ほら、アルス。もう大丈夫だから春姫さんに迷惑だよ。早く離れないと」
まだグズグズながらも落ち着いてきたらしいアルスが言われて名残惜しそうに離れる。
「お二人の装備は隣の部屋に置いてあります。取ってきますので少しお待ち下さい」
立ち上がった春姫がドアを開けて出て行き、アルス達の装備を持って戻ってきた。
「置いてあった物を持ってきましたが、これで全部でしょうか?」
「はい、ありがとうございます」
――――――――――アルスたちは 装備を 受け取った!
「さあ、フリュネさんが戻ってくる前に脱出しましょう」
再装備が終えたところで、他の方に見つからない通路に案内しますと春姫が行ったところでベルが待ったをかける。
「待って下さい、春姫さん。このままだと僕達を逃がしたら春姫さんの責任になるんじゃ」
「構いません。これが私の最後の我が儘ですから」
「え、最後?」
最後とはどういうことかとベルが問い返そうとしたところで、閉じられていた扉が開かれる。
フリュネが戻ってきたのかと、アルスがトラウマになっている荒い息で『インフェルノソード+3』を構えたが現れた人物は違った。
「そこまでだよ」
「アイシャさん……」
アイシャは拘束を解かれて外したはずの装備をアルス達が身につけているのを見て、春姫がやったおおよそのことを把握した。
「こっちに来な、春姫」
春姫がアイシャの近くに移動する、
戦闘をする意思はないと感じ取ったアルスが『インフェルノソード+3』を鞘に戻して口を開く。
→最後ってのはどういうことだ、アイシャ
最後ってのはどういうことだ、春姫
「ここを出て行くアンタらには関係の無い話さ」
答える気はないとアイシャは暗に告げていた。
「私一人じゃあアルスにも及ばないのにアンタら二人を相手にしたら勝てるはずもない。見逃してやるからさっさと出て行きな。ほら、ちんたらしてるとフリュネが戻ってくるよ」
フリュネが戻ってくると聞かされたアルスがベルの手を掴んで部屋の外へと走り出す。
二人の横を通って部屋の入り口にまで来たところで、無理矢理に足を止めたベルが振り返る。
「僕達、春姫さんを『身請け』しようと思ってるんです! 少し時間がかかるかもしれませんが待ってて下さい! 今度は僕達が春姫さんを助けてみせますから!」
「…………ありがとうございます。私は幸せ者です」
どんどん引きずられて部屋の外に出たベルに、顔を伏せた春姫が淡く微笑む。
「命ちゃんに伝えて下さい。本当は会いに来てくれて嬉しかったと」
「はい、必ず伝えますけど春姫さんの口からも命さんに言ってあげて下さい! きっと喜びますよ!」
――――――――――ベルは リレミトを となえた!
扉の死角で二人の姿が見えなくなると、気配が忽然と消えた。
「――――良かったのかい?」
「はい、最初から一緒には行けないと分かっていましたから」
春姫が触れるのは先程までアルス達がしていた物とは別の首輪。彼女がどこにいても居場所を知らせ、歓楽街から出れば首を焼き、身動きを封じる魔道具。
「それでも、やりようはあったはずさ」
諦めてしまっている春姫。そうさせてしまったのが一度は時間という猶予を与えてしまった自分の所為であると自覚しているアイシャは尚も言い募る。
自分には何も出来ないと分かっているのに。
「イシュタル様が許してくれるとは思えません」
全てが女神イシュタルの意向のままに。逆らうことは春姫にも、そしてアイシャにも、もう出来ない。
「春姫は、最後にとても良い夢を見れました。それで、良いのです」
「そうかい」
石造りの部屋に寒々しい空気が流れる。
「なら、あの二人を逃がしちまった上手い言い訳でも考えることだね。獲物に逃げられたフリュネとイシュタル様はおっかないよ」
「あう”!? い、一緒に謝っては――」
「嫌だよ。勝手に解放したのはアンタなんだから、自分でどうにかしな。私は戻る」
「アイシャ様――ッ!?」
せめて彼女の最後がより良いモノでありますように願うことだけしか、血が出るほどに唇を噛み締めた顔を見られないように顔を背けたアイシャには出来なかった。