リオが清濁併せ呑むことを覚えた結果、ある程度ごたつくだけでパヴァーヌが片付きそうになっている。
エデン条約編が原作よりも早くスタートしており、先生が激務に追われている。
草木も眠る静かな夜。ゲヘナ学園自治区郊外にある一軒家のキッチンで、極力音を出さないようにしながら動く影があった。
「……えーと、これをこうして……あとは焼くだけだ」
キッチンだけ明かりを灯して、調理を進めるのは便利屋68の社員兼足係のヒドリ。バスソルト作りとスイーツ作りにハマっている認識の鳥である。
夜な夜な作っているのはクッキーシュークリーム。正気の沙汰ではない*1。体重などが気になりそうかもしれないが、そこは便利屋68……仕事がなくても走り回っているため、カロリー消費はバッチリである。
「……またやってるの?」
「あ、カヨコ先輩。起こしちゃいました?」
リビングにやってきたカヨコは、週一~二回行われる夜中のスイーツ作りに乗じて、ヒドリがこっそり購入して保管しているコーヒーやココアを飲むことが夜の楽しみになっていた。アル、ムツキ、ハルカが知らない間にそれを飲む……その背徳感が堪らないようだ。
「今日くらいかなって思ってたんだ」
「お見事です。……どれ飲みますか?」
「コーヒー。お願いできる?」
カヨコの指示に応じたヒドリがミルで挽く。香りが立ちやすい豆なのか、挽いただけで部屋にコーヒーの香りが少しだけ漂ってくる。
「うーん……僕秘蔵の豆がどんどん無くなっていく……」
「私達しかコーヒー飲まないけどね。皆もたまに飲むけど」
「まぁ、そうなんですけどね」
苦さを抑えるために低温で淹れる中、ヒドリは昔コーヒーを淹れた時のことを思い出していた。
「昔……」
「ん?」
「昔、喫茶店のお爺さんが教えてくれたな、と」
それは、かつて便利屋68が受けた仕事の一つ。今は無き小さな喫茶店……その店主からの依頼で、コーヒーの淹れ方を学んだことがあった。一番覚えが良かったのはヒドリで、今ではその店の味をほぼ完璧に淹れることができる。
その店はもう無くなり、店主も存命ではない。ヒドリしか────いや、便利屋68にしか、その店のコーヒーを作れない。美食研究会すら知らないコーヒーの味だ。
「思えば、あの人……僕のこと気付いてましたよね」
「……そうだね」
もういない喫茶店の店主のことを思い出しながら、ヒドリはコーヒーを淹れる。苦味が少なく、コーヒーのコクとまろやかさを引き出した一杯である。カフェインレスコーヒーでありながらも、この味を出せるのは店主の淹れ方が素晴らしいからなのだろう。
「……うん、美味しい」
「コーヒー、これ以外で飲めなくなっちゃいましたねぇ……」
温度を変えて淹れる場合の淹れ方も学んでおり、やろうと思えば喫茶店をもう一度開くことも可能だろう。しかし、ヒドリはそれをしない。便利屋68の所属であることもあるが、あの喫茶店はあの店主だけのものだと考えているのだ。
お金がない時期、賄いでオムライスとスープを出してくれた喫茶店の店主、彼直伝のコーヒーを味わいながら、ヒドリは焼き上がるのを待つ。家事全般を趣味としたヒドリこと認識の鳥を見て、カヨコは小さく笑う。
「そういえば、そろそろ定期試験の発表があるね」
「始まりますね」
「どうだった?」
「70点は固いです」
ヒドリは覚えたことをあまり忘れない。忘れかけた頃に便利屋68全メンバー揃って復習と応用を行うためなのか、余程難しい問題が来ない限り問題ない程度には学力がある。
特に特化しているのが社会……歴史に関するもの。古語も問題なく読み取れるため、時折四人がヒドリに聞くこともあるくらいだ。食文化に結び付けているのか、ヒドリは歴史が得意である。
「意外と勤勉だよね、ヒドリって」
「テスト中も皆さんからたくさんの感情を食べられますから。好きですよ、テスト」
「ああ、そういうこともあるんだ」
テスト中の人間から放出されるのは苦楽の味。「あ、ここ勉強したところだ」、「これは何なの!? 知らない問題が出てきたんだけど!?」、「裏まであるじゃん!?」などなど、大量の感情が放出されるため、ヒドリの食事にもなるのだ。
「今回のテストなんて、凄かったですよ」
「トリニティと同じ問題だったんだけっけ?」
「本気になれば、学力がほぼ変わらないことが実証されそうですね」
欲望に忠実で混沌としているゲヘナ学園と、陰湿さが天元突破しているトリニティ総合学園。その学力はほぼ互角と言っていい。テストに合格しなければ欲望は満たせず風紀委員or万魔殿の監視の下で補習、テストに合格しなければ陰湿さの餌食になる────五十歩百歩、どんぐりの背比べ。欲望と陰湿の殴り合い。意地と意地がぶつかって、スーパーノヴァが巻き起こる。マウント合戦の始まりだ。
「エデン条約も近いですし、皆ピリピリしてますね」
「確かに……ヒドリ、何か変わったこととかはあった?」
「変わったこと……トリニティの自治区に行く時、ヒフミ先輩と歩くと視線を感じるくらいですかね」
「ヒフミと?」
「皆さんがヒフミ先輩の強さに気付いたのかもしれません」
ヒドリの交流は次の通りに多い。
便利屋68>>給食部=ヒフミ>ツルギ=アビドス>>ゲヘナ学園風紀委員会=万魔殿────である。ヒフミの優先順位はまずまず高いのだ。
「カヨコ先輩は知ってると思いますが、ヒフミ先輩は強いんですよ」
「だろうね」
その気になれば不良にも対抗できるくらいには強い。ペロロ様のデコイの頑丈さは見事なもので、ペロロ様のことになると止まらなくなる。その行動力の凄まじさは、便利屋68を驚かせたこともあった。
「最近はペロロ様の造型にも力が入ってるみたいで、あのデコイ、踊るようになったんですよ」
「あの子はどこを目指してるの?」
「ああいう方がクリエイターになるんだと思います」
キレッキレのダンスを踊るペロロ様という光景を想像すると吹き出しそうになるが、ヒフミのペロロ様に懸ける情熱はそれほどまでに凄まじいのである。
さて、そうこうしている間に生地が焼けたことをオーブンが伝えてくる。オーブンの扉を開けた瞬間、甘くて香ばしい匂いがリビングに広がった。
「……しっかり焼けてるみたいですね」
「本当に上手くなったね、料理」
「ありがとうございます。えーと……少し冷ましてからクリームを入れるのか……」
上手く膨らんだ生地が少し冷めたのを確認して、クリームを注入する。今回のクリームはカスタードと生クリームを半々で混ぜ合わせたものだ。
クリームの注入を終えて、ヒドリはそれらを冷蔵庫に投入。つまみ食いはしない。それが終わったらすぐに料理をした痕跡を抹消────洗い物、消臭剤の使用などを駆使して痕跡を消して、歯を磨いたらあとはバレないようにベッドに戻るだけである。
「カヨコ先輩、コーヒー飲み終わりましたか?」
「うん。ごちそうさま」
マグカップを受け取り、洗い終えてから歯磨きを行う。ヒドリとカヨコは共犯者のため、素早い動きである。
歯を磨き終えたら、リビングの隣の部屋である寝室へと向かう。便利屋68の事務所は屋上を合わせて三階建て。一階が事務所になっており、二階が居住区だ。頑丈な設計なのか、二階に風呂があるという不思議な構造をしている。
毛布を被ってぐっすり寝ているアル、ムツキ、ハルカは起きる気配がない。ヒドリとカヨコは三人を刺激しないようにベッドに横たわる。その時、毛布から翼に変えることも忘れずに。
「おやすみ、ヒドリ」
「はい、おやすみなさい」
こうしてヒドリの一日は終わりを告げる。本来なら眠ることすら必要ないのだが、便利屋68に引っ張られて眠るようになった。うつ伏せのまま目を閉じて、微睡みの中に落ちていく。ヒドリの意識は赤い原野に溶けていった。
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「「「補習授業」」」
「「ですか?」」
「“うん。私は少しミレニアムのごたつきを解決しないとだから、ちょっと時間が欲しくて”」
夜のお菓子作りから一週間。便利屋68は事務所にやってきた先生に依頼を持ちかけられていた。依頼内容は、トリニティ総合学園のとある生徒達────────補習授業部と呼ばれる部活に所属する生徒の勉強を手伝ってほしいというものである。
「先生、それはトリニティの人達は知っているのかしら?」
「“うん。ティーパーティーの一人からも許可は取ってるよ。補習授業部の皆からもね”」
便利屋68は先生の依頼を優先的に行うことを約束しているため、依頼を受ける前提で話を進めている。その内容をアルと先生が中心となって詰めている中、ヒドリは隣に座っていたハルカに声をかけた。
「……ハルカさん、ティーパーティーの一人って誰だと思います?」
「えっ? えーと…………桐藤ナギサさんとか……でしょうか?」
「その心は」
「えと……聖園ミカさんはゲヘナ嫌いですし、百合園セイアさんはあまり人への関心がないと聞きますから……」
「なるほど」
ヒドリから見てティーパーティーという生徒会長のような役職三人は、ナギサ=余裕がなくて何も考えてなさそう、ミカ=余裕がなくてメンタルが弱そう、セイア=余裕がなくてコミュニケーションが下手そう、であった。三人全員が余裕がなくて、どこか視野が狭い。それがヒドリの第一印象である。
ゆえに第三者の視点を────ハルカからの視点を欲したのだ。近くにハルカしかいなかったからというのもあるが、ハルカは意外と人をよく見ているのだ。
「と、ところでヒドリ君……冷蔵庫のシュークリームは食べていいんですか……? アル様がチラチラ見てましたけど……」
「あ、はい。どうぞ。一人二個です」
「ありがとうございます……!」
二階の冷蔵庫に向かったであろうハルカを見送り、ヒドリは端末に入れてあるテスト範囲の問題集を引っ張り出す。どこが間違いやすいだとか、どの公式と入れ換えると楽だとかが書かれたもので、作るのに便利屋68だけではなく、ヒフミとツルギも関わっている。
「ヒドリ君、補習授業部のメンバーは確認した?」
「え? まだですけど………………えっ」
確認したメンバーに思いがけない人物がおり、ヒドリは珍しく驚く。メンバーのうち知らないのは三人。二年の浦和ハナコ、一年の下江コハル、同じく一年の白洲アズサ。そして知っているメンバーが一人……
「何でヒフミ先輩が……?」
「ペロロ様絡みじゃない?」
「そういえばゲリラ公演に行ってきたと言ってたような……?」
ムツキの言う通り、ヒフミはペロロ様のゲリラ公演を見るためにテストをサボタージュしたのだ。さすがペロキチ。さすがペロキチ極まっている。ペロロ様のためにテストをバックレるとは、中々に仕上がった不良だ。
「あ、あの……シュークリーム持ってきましたよ……」
「ありがと、ハルカちゃん。────んっ、美味しい!」
「サクサクして、でもふわふわしてます……!」
「“それ、シュークリーム?”」
「はい。先生も食べますか?」
アルとカヨコに配った後、余分に作っていた分を先生に渡すと、あまりの忙しさに朝から何も食べていない先生はクッキーシューに大きくかぶりつく。
「“昨日の昼以来の固形物は美味しいなぁ……!”」
「先生、何も食べてないんですか?」
「“ちょっと忙しくてね……ミレニアムとトリニティを行き来するのは大変だよ……”」
「ああ、遠いですもんね」
ヒドリにとっては全く遠くはないが、車や電車を使っても中々遠いミレニアムとトリニティ。そこを行き来するのは、先生にとっても苦行だろう。
「とりあえず一週間。私達は補習授業部の試験勉強を見ることになったわ! 一人一教科でね!」
「“よろしく頼むよ”」
「分かりました。最善は尽くしましょう」
文字通り、ヒドリは────便利屋68は最善を尽くすつもりだ。依頼期間一週間で、補習授業部を解散できるように。依頼を完璧に終わらせられるようにするために。
国語はアル、カヨコは英語、ムツキは数学、ハルカは科学、ヒドリは社会(古語)。便利屋68に舞い込んできた依頼が今、始まろうとしていた。
「ところで、会場はどこなんですか?」
「“ゲヘナ学園の自治区って聞いてるよ”」
「罠ね。カヨコ、どう思う?」
「間違いなく罠だね。ハルカは?」
「罠ですね……ムツキさんはどう思いますか……?」
「罠かなぁ。ヒドリ君は?」
「罠でしょうね。先生はどう思います?」
「“何か隠し事があるな、とは思ってるよ。アルはどう思う?”」
「あら、先生も私達のノリが定着してきたわね!」
大丈夫だろうか、補習授業部。