???「あの、この電車に乗ってたら、何だか真っ赤な場所に来たんですけど……」
その夜、ヒドリは何となくぼんやりと赤き原野で空を眺めていた。赤き原野に行くことは特に難しいことではない。ヒドリの肉体が眠っている間、ヒドリの意識はこちらにあるのだから。
大きな鳥の姿のまま、鎖に縛られているヒドリはふと、この領域に入ってくる存在を感知する。
「黄昏てるね、ヒドリ君」
「……来たんですか、ムツキ先輩」
調整が面倒なのか、緋色の鳥の姿から人間の姿へ変わった後、髪や翼などを調整せず出しっぱなしにするヒドリ。お陰で髪は三メートルを超えた凄まじい長さだ。
「鳥のままで良かったんだよ?」
「それだと一々風が吹いて邪魔でしょう」
鎖でぐるぐる巻きにされた状態で話す姿はまるで罪人。ヒドリの傍には、真っ赤な剣の【朱涅】と真っ黒な槍の【夜叢】がある。この二振りもまた鎖で縛られており、ヒドリくらい危険な代物であることが示されていた。
「こんな殺風景な場所に来るとか、変わってますね、ムツキ先輩」
「そう? 綺麗だと思うけどな?」
「……僕はいつもこの景色を見てるので、飽きたのかもしれません」
どこまでも続く赤い原野と、どこまでも際限無く広がり続ける赤い空。そして周囲に転がる骸や機械の残骸は、ヒドリにとって見慣れた景色である。────いや、最近その景色に一つだけ、何やら見慣れないものが追加されていた。
「遠くで、電車の音が聞こえるんです」
「電車?」
「はい。害がないようですし放置してますが」
よく耳を澄ませると、確かに遠くでガタン、ゴトン、と電車が走る音が聞こえてくる。ヒドリの本体が住まう唯一の居場所に、なぜ電車が走っているのかは疑問だが、その電車はこちらに向かってくることはないらしい……というよりも、ヒドリを中心とした赤き原野に満ちている神秘が濃すぎて近付けないといったところか。
「具合とかは悪くなってないの?」
「何か害があるようなら消しに行ってますよ」
「ふーん……体調が悪くなってないならいっか」
電車に乗っている者はいつ喰われるか分かったものではないため、冷や汗ダラダラであろうが、ヒドリからすれば勝手に自分の領域に入ってきたのが悪い。喰われても文句は言えない立場だろう。
「と・こ・ろ・で……ヒドリ君、アルちゃんに怒られたでしょ?」
「はい、そうですね。怒られました」
ヒドリは作戦会議の後、医療部隊にいたセナやミネがドン引きするレベルのスピード復活を果たしたアルに怒られた。理由はアリウススクワッドとの戦いがあまり良いとは言えなかったからだ。
「くふふ、どんなこと言われたの?」
「やるんだったら綺麗に折るまでにしておけと言われました。あと、なぜ顎を狙わずに殴ったのかと」
「あー、やっぱり?」
「正直自分でも反省した戦いです」
隕石を落とす力を持つ聖園ミカですら、隙を生じぬ三段構えの拳と脚で脳震盪を起こしてダウンさせたヒドリだが、アリウススクワッドとの戦いではそれをしなかった。痛め付けることをしなければ、ベアトリーチェからの不意打ちを喰らわずに済んだというのに。
怒りと慢心があったと反省するヒドリは、笑みを浮かべるムツキを見る。
「ムツキ先輩、今回の作戦なんですが……」
「短期決戦だから、拘束を外したい……でしょ?」
「はい」
「私の一存じゃどうもできないけど……アルちゃん達には伝えてあるの?」
「一応は」
ヒドリを拘束する枷の量は凄まじい。今まで出会ってきた、関わりを持ってきた者から受け取ったものが全て枷となっているのだから。お陰で祝詞を読み上げねば人を喰うこともできない程、認識の鳥は弱体化していた。
だが、ヒドリはこの状態では勝てないことを認識している。ベアトリーチェが────狡猾な大人が切り札を残していないとは言えないからだ。
彼はユスティナのミメシスの心臓を喰らった際、複製品の原典を知り、記憶を取り込んだのだが、その記憶の中に凄まじい強さを誇る聖女がいた。ユスティナ聖徒会史上、最も強かったとされる聖女バルバラである。それに併せてベアトリーチェまで戦闘に加われば、さしものヒドリも不覚を取りかねない。
「ドローン対策はどうするの?」
「チヒロ先輩にジャックしてもらいます」
「なるほどね」
ムツキはしばらく考える素振りを見せた後、いつものように小さく笑みを浮かべた。
「いいんじゃない? ヒドリ君がその方がいいって思ったんでしょ?」
「安牌を取りたいので。……でも、ちょっと疑問があるんですよね」
「疑問?」
「一部解除でどうなるのかが分からないんです」
完全解除であればヒドリの本来の姿が顕現するだろうが、一部拘束を解除した限定解除ではどうなるのか。ヒドリには未知数の領域である。
「あれじゃない? 脚とかが鳥になるとか」
「うーん……どうなんでしょうか……」
分からない。どれだけ考えても全くどうなるのかが分からない。恐らくアルの世話をしているカヨコとハルカが話し合いに参加したとしても、その結果は分からないだろう。
分からないことを結論として、ヒドリとムツキは議論を終わらせる。そして、ふとムツキが思い出したように問いかけた。
「ヒドリ君って、今まで食べた人のこと覚えてるんだよね?」
「? はい。食べた人は骸になって転がってますよ。向こうで死んでない人も含めて」
ヒドリの近くに転がっている大量の骸は、今まで食べた人間の数。どう足掻いてもヒドリは何人もの人間を喰い殺してきた化け物であることには変わりないのである。
「じゃあ、この機械の残骸も?」
「さぁ……僕はこんな機械と会ったことないはずですけど」
前々からムツキはこの残骸について気になっていたのだ。便利屋68が戦ったことがある機械にこんなものはいなかった。しかし、ヒドリの領域にあるということは、破壊したことがあるはずのもの。……だが、当の本人は知らないという。
蜘蛛、海月、蠍、熊、蜥蜴など、生物の形を象ったであろう機械の残骸を一瞥しながら、ヒドリは口を開いた。
「もしかしたら、記憶が無くなる前に戦ったのかもしれませんよ」
「ああ、それなら納得かも?」
そんな話をしていると、荒野に吹く風のように乾いた風が吹いた。ヒドリは何もしていない。だが、風が吹いたということは、現実世界に朝が近付いているということだ。その証拠に、赤き原野を照らす光が沈み始めている。朝だろうが夜だろうが赤き原野には関係ないが。
「さて、朝になりますね。そろそろ先生も起きてますかね?」
「どうだろうね~?」
呑気に会話をしながら、ムツキは赤き原野からいなくなる。向こうで意識が覚醒したのだろう。自分も起きなくてはならない。そう思った矢先────
「あ、あのー……?」
聞き慣れない声がヒドリの耳に届く。
「? 誰ですかあなた」
振り向くとそこには、青とピンクの髪を長く伸ばした少女が立っていた。
「えー……一応会ってるんだけどな、君と」
「? ……………………すみません、記憶にありません」
「酷い!?」
事実、目の前の少女について、ヒドリは全く記憶にない。彼の反応に対して、少女は凄まじいショックを受けた表情を見せる。
「カヤちゃんやリンちゃんと一緒にコーヒー飲みに行ったのに……お祭りにも参加したのに……」
「コーヒー?」
その言葉でやっと思い出す。目の前の少女が喫茶店で働いていた時、何度か来ていた少女であることを。
「………………ああ、店長のお店に来ていた自称超人の……」
「じ、実際仕事はできてたよ!?」
「引き継ぎしないで消えたくせに仕事できる発言はいかがなものかと」
「ぐふぅっ!!」
吐血するかのように膝を折った少女────連邦生徒会長に家畜を見るような目を向けるヒドリ。食べる価値を見出だせないでいると、連邦生徒会長は何とか復活した。
「……ふぅ。赤時ヒドリ君、あなたに聞きたいことが────」
「今更取り繕っても無駄かと」
「それは言わないで!?」
泣きそうな連邦生徒会長と、どうでも良さそうなヒドリ。透き通るような青と、光さえ飲み込むような赤。その二つは重なり合うことはない。
「で、聞きたいこととは?」
「ああ、そうでした。……おほん。赤時ヒドリ君、あなたはどうしてここにいるの?」
「はい?」
言っている意味が分からず、ヒドリは首をかしげる。それに合わせて鎖もジャリッ、と音を立てた。
「君は強い。その気になればキヴォトスを片手間に滅ぼせる。なのにそれをしない。本能に振り回されることなく、その拘束を甘んじて受け入れている」
「はぁ……特に何もありませんよ。ただ、僕は便利屋68に拾われました。色んな人から受けた恩を返しているだけです」
そこに他人の意見は存在しない。ヒドリが初めてそうしたいと感じたからやっていることである。しかし、それだけでは連邦生徒会長の表情は晴れない。ヒドリはどうしたものかと少しだけ考えて、また口を開く。
「僕は便利屋68の皆さんが好きです」
「ふぇ?」
「アル社長の真っ直ぐなところが好きです」
「あ、え?」
「ムツキ先輩の自由なところが好きです」
「え、ちょっと?」
「カヨコ先輩の冷静なところが好きです」
「何でそんな話に……?」
「ハルカさんの義理堅いところが好きです」
あれも、これも。どれもこれも。便利屋68の四人の容姿も、仕草も、匂いも、心も、血の味も────何もかも、その全てが大好きだ。
そう言い切ったヒドリの言葉に、連邦生徒会長は度肝を抜かれたような、気恥ずかしそうな表情を見せる。少女がまるで人の告白を見ているような気分でいると、ヒドリが続ける。
「僕は、どうあっても化け物です。人を喰らい、際限無く成長する怪物です」
そう。そこはどうあって変えられない。どれだけ取り繕っても、ヒドリは化け物なのだ。
「だけど、そんな僕のことを、それでもいいと言ってくれた。好きだと言ってくれた。便利屋68はこんなどうしようもない程に化け物な僕を背負ってくれた」
直後、連邦生徒会長の肌を突き刺すような、ビリビリとした気迫がヒドリから放たれる。鎖で縛られ、ろくに身動きができないはずなのに、それでもなお彼女が気圧されそうになるような気迫が。
「……あの人達は多くを背負ってくれた。……僕が背負わせた!! 」
アルに、ムツキに、カヨコに、ハルカに、自分という指向性のある世界崩壊兵器を背負わせてしまった。それでも、だというのに、彼女達はヒドリを兵器として見ない。化け物として見ない。仲間として、同僚として、家族として見てくれる。
そんな彼女達がヒドリは大好きだ。そして、彼女達が大好きだと言ってくれる自分が好きだ。皆と何かを食べている自分も、足係の自分も。全て引っ括めて、自分は赤時ヒドリなのだ。
(なんて気迫……! これが、あの司祭達が恐れた最強の────────!!)
「あの人達に何かあった時が、僕の死だ。社長を傷付けてしまったあの時、僕は一度死んだも同然。あの人達を守るのが、僕がここにいる理由だ……!!!!」
感情の昂りに呼応するかのように、朱涅と夜叢がそれぞれに宿った神秘を解放する。消えぬ炎と砕けぬ氷────否。まるで彼に寄り添うかのように一瞬だけ、二人の騎士の姿が見えた。ヒドリには見えなかったが、連邦生徒会長には見えていたそれは、彼女が瞬きをしてすぐに消えてしまう。
ヒドリの神秘と気迫を正面から浴びながらも、連邦生徒会長は直立不動で笑みを浮かべた。
「それが、君がここにいる理由なんだね」
「ええ。それを邪魔するやつは誰であろうと倒します」
「ふふ、そっか。……うん。そうだね。君はそういう子だった」
『ヒドリ、起きなさい』
アルの声が聞こえた。
『アルちゃん、ヒドリ君もたまには遅く起きたいんだよ』
続いて、アルに絡むムツキの声が聞こえた。
『よく寝てる。……夢を見ないって言ってたけど、本当は何か見てるのかな』
『ヒ、ヒドリ君、起きてください……朝ですよ……?』
カヨコの、ハルカの声が聞こえる。そろそろ起きなくてはならないだろう。
「じゃあ、僕は起きますのでこの辺りで」
「うん。……あ、私はこの電車に乗ってるから、たまに話に来てもいいかな?」
「お好きにどうぞ。僕はここから動けないので」
そう言って、ヒドリの意識が現実世界へと戻っていく。それと同時に連邦生徒会長も電車に乗り込む。終わりのない線路を進んでいく電車の中で、少女は呟く。
「……緋色の鳥、認識の鳥。かつていた、翼ある一族の信仰した神なる鳥。忘れられた神」
古い、昔話だ。
「信仰は神秘を、神格を宿し、形を成し、遂には人の体を得て、女騎士に宿った」
連邦生徒会────シャーレの地下に眠っているはずの、秘匿された、赤黒い────血に染まった碑文に遺された、歴史の断片。
「生まれた子供は翼ある一族からは
誰も知らない、消された歴史。
「騎士の間に生まれた子供は、騎士となり、最強となった」
「しかし、忌み子をよく思わない者達は、子供を殺そうとした。司祭達は煽動し、翼ある一族を、騎士を、継ぐかもしれない子供を根絶やしにしようと」
「けれど……一族は強かった。女子供までもが、神子を守った。焼かれ、凍らされてもなお、抵抗した」
地獄のような、記録。さしもの連邦生徒会長も解読した時、何度も吐いた。食べたものも、胃液も、胆汁も、空になるかと思うくらい吐き出した。
「そして────繋がった。神子は逃げ延びた」
記録はそこで終わっている。だが、神子は────認識の鳥は生き延びて、便利屋68に拾われた。
「赤時ヒドリ君────どうか君が……」
幸せでありますように。
電車の音はまだ、止まらない。
鎖で雁字搦めになってるヒドリ君とか、便利屋68業務日誌の表紙絵みたいなの描ければいいんだけど、いかんせん画力が足りない。