全5話、13000文字ぐらいで完結。
風にうねる秋黄金の草原は、一枚の布のよう。
去年の今ごろ嫁いで行った、姉さまの婚礼衣装を思い出す。
「カヤ、そっちはどう?」
「小さい実しかない。毎年この木は大丈夫だったのに」
川のほとりの灌木の間で、背の小さいカヤはむくれた顔を突き出した。
姉や年上の従姉たちと木の実集めに来ているのだが、中々成果が上がらない。
「あっちの中洲へ行ってみる。ウスゴの葉の赤色が見える気がするから」
「あまり遠くへ行っては駄目よ」
小さな娘は、群れを離れて川の中洲への飛び石を辿り始めた。
普段より水が少ないので、足を濡らさずに渡れる道が出来ている。
いつも行けない場所なら、新しい木を見付けられる。無い場所でうろうろするよりは、知らない所へ進んで行く方が良いに決まっている。
しかし中洲にウスゴは繁っていたものの、実を付けない雄の木だった。
(残念……でもこれだけ雄の木があるのなら、近くに雌の木もあるかも)
せっかく皆から離れて来たのにボウズは嫌だ。
中洲の低い混成林の奥へ奥へと踏み入っていたら、反対側へ抜けてしまった。
ここから先は、水の流れる川が通せんぼしている。腰カゴの実は全然増えていない。
(ああ、悔しい……)
今年は雨季が短くて、草が育たず羊が仔を産まなかった。
野の実りも少なく、山へ行った男達は肩を落として帰って来る。穀物が底を付き、山羊も乳を出さない。
このままだと、幼いの妹の片方か両方、冬になる前に他所へやる事になるだろう。
家長たちが集まって、皆が寝静まった隣の天幕で、細い明かりを灯してそんな話をしていた。
他所へやるってどういう事?
七つ上の姉に聞いたら、お金持ちのお家に貰ってもらうのよと言ったが、四つ上の従姉は、人買いに売られるんだわ、とささやいた。
手伝いも出来ないでご飯を食べるだけの妹たちなら、欲しがってくれるお金持ちの所へやった方がいいのかもしれない。でも人買いというのは怖い。
カヤは姉たちに混じって一所懸命働いた。労働力になる子の頭数に入っておきたかった。
背や力が足りないけれど、だったら朝一番から最後まで、長い時間働いた。
この家族に必要にされていたかった。いらないって思われたくなかった。
今日も、川沿いの灌木帯なら何か採れるかもしれないとの女性たちの遠征に、姉や従姉に交じって付いて来た。
数少なくなった馬は男たちが使うので、女たちの移動は徒歩。カヤは足手まといにならぬよう、足りない歩幅で懸命に歩いた。
「ウスゴ採りは得意だ。背が低いから皆が見えていない葉の裏も見える。今日はいっぱい採って皆を驚かせてやる」
そう思って張り切っていたのに、肝心の木がほとんど実を付けていなかった。
いつもは黒い大きい瑞々しい、噛むと甘酸っぱさがほとばしる実りをくれるのに。
――口にする実りには、何にでも感謝するのですよ、神さまからの頂き物なのだから――
ふっと、姉さまの言葉を思い出した。
去年遠くの町へ嫁いだ九つ上の姉さま。三人いる姉のうち、カヤは特別にこの姉を慕っていた。
聡明で、色んな説話を面白く噛み砕いて教えてくれた、天女みたいに綺麗な、優しい姉さま。
いつも自分の分の食べ物を分けてくれた。神さまって会った事ないけれど、姉さまみたいな人なんだろうと思った。
去年の秋に行われた婚礼のお祝いは、今から思い返すと幻みたいだった。
近隣からの祝い人が大勢訪れ、賑やかで華やかで、カヤたち姉妹も普段食べられない肉や揚げ菓子をお腹いっぱい食べられた。
そんな中、金糸の衣装をまとった花嫁は、本当に空から舞い降りた天上人かと見まごうた。
カヤもいつかあんな風に金の衣装を着けて、皆に囲まれてお祝いされる時があるのだろうか。
……何だかそうは思えなかった。
姉さまがいなくなってから笑顔になる事が無くなって、働いても働いても虚しさしか感じない毎日になっていた。
「こっち、何もないでしょ。またサボリ?」
振り向くと、四つ上の従姉が付いて来ていた。
この子は嫌い。
いつもカヤの後ろに付きまとって、やりかけの仕事の仕上がりだけを横取りして行く。
今みたいに空振りだったら、こうやって言いがかりを付けて来る。自分からはけして前に立って歩き出そうとしないくせに。
「サボってない。マネっ子ばっかりのあんたとは違う」
最近のカヤは、これくらいは言えるようになった。
ちゃんと見ていて平等に扱ってくれる姉さまがいなくなったから、自分で自分を守らなくちゃならない。
「なにその生意気なクチ、父さまに言い付けてやる」
案の定、顔の真ん中にシワをいっぱい入れて、威嚇して来た。
父親が一族の長兄だからって、いつもそんなの。恥ずかしい子。
カヤは無視して、目の前の川に足を踏み入れた。
あちらの岸に見える林は、未知の土地だ。こんもりと豊かそうで、この中州と段違いに植物の密度が濃い。きっと何かを収穫出来る。
姉たちに遠くへ行くなと言われてはいたが、手前の林ぐらいはいいだろう。嫌な従姉から遠ざかりたい気持ちもあった。
思った通り、渇水の今なら川底が見渡せる。流れも緩いし、気を付けて踏む所を選べば大丈夫そうだ。
従姉がヒステリーに何か言う声が聞こえたが、カヤは一切気にせずザブザブと進んだ。振り返って重心がズレる方が危ない。
中頃の一ヶ所に膝上の深さがあっただけで、その後は浅瀬で、存外楽に渡りきった。
岸辺の低い箇所を登りながら、林の奥を覗き込む。
前方の下生えの奥に、赤い縁取りのウスゴの葉。雌の木だ、黒いツヤツヤした実が見える。
「やった!」
カヤは大喜びでそこへ突進した。
***
ウスゴは群落で、沢山の実を付けていたが、それだけじゃなく、奥が蔦のドームになっていて、サルナシやマタタビがたわわに実を下げていた。
見た事もない大きさの実もある。
凄い! 夢みたい!
カヤは胸が踊った。
川を挟んであちら側だったというだけで、まるで別世界。
他の部族も、誰もここを見付けられなかったのだろうか。カヤが最初なのだろうか。だとしたら嬉しい。
背の低いカヤでも木に登って採る事は出来るが、この素晴らしい光景を姉たちにも味わわせてあげたい。
とりあえずウスゴの実だけ採って、皆を呼びに戻ろうと、顔を上げると……
スン、と、香りが鼻をかすめた。
ドームから更に奥、白い灌木のかたまりが見える。何か実ってる?
下生えを掻き分けて近寄ると、香りが更に強くなった。
(ああ、花か)
カヤの背より少し高い、薄い葉色の灌木に、白い雪のような小花が満開。
清涼で、そんなに濃密ではない香り、でも微かな甘やかさが気持ちを浮き立たせてくれる。
ここも教えてあげたら姉たちは喜ぶだろうか。
カヤは花の房に鼻を近付けて、思いきり吸い込んでみた。
――パキリ
枝を踏む音。
びっくりして顔を上げると、前方の枝が大きく揺れている。
動物? 獣? 一瞬の事に硬直した。
しかし、枝の間から顔を出したのは、カヤと同じ位の背の子供だった。
(ええっ? 白いっ!)
同行して来た親族ではない。まったく知らない他所の子だ。
しかも
びっくりするほど白い。
姉さまがこの世には色んな肌色の人間がいるのよと言っていたが、こんなに白い人もいるんだ。
波打つ髪も淡い色で、周囲の葉っぱと同じ色の服に白い花びらをまぶして藪から抜けて来た様は、花の精かと思わせた。
「こんにちは」
普通の人間の声で挨拶されて、カヤは我に返った。
「こ、こんにちは、私は川向こうのサゥ族、マハタル家の者です」
姉に教えられている名乗りを上げた。
向こうは首を傾げて不思議そうにしている。
まだそういうのを教わっていないのか、名乗る習慣のない部族なのか。
「この近くに住んでいる人ですか?」
子供はゆっくり頷いた。綺麗な子だけれど、女の子か男の子かよく分からない。
「ここは貴方がたの部族の縄張りですか? もしそうなら、知らずに入ってしまいました。わざとじゃありません」
子供はまた首を傾げて、カヤの腰カゴを見てから、薄い唇を開いた。
「縄張りとは違う。その実を採りに来たのなら、足りるだけ採って行けばいい」
「あの、サルナシや他の実は? 貴方の部族の大人は怒らない?」
「好きに採って行けばいい」
「姉たちを案内して大勢で来るけれど……」
「蔓を引き下ろしたり枝を折ったりしなければ、採り尽くして行ったって構わない」
「本当に?」
カヤはちょっと不安になった。この子の言うことを卯呑みにしてしまっていいのだろうか。
カヤの家と違って、子供は子供のまま無責任にボォッとしていても安心な家なのかもしれない。
「じゃあ、姉たちを連れて来る。お願いだけれど、さっきと同じ説明を、姉たちにもしてくれますか?」
「いいよ、待ってる」
白い子供は三度(みたび)首を傾げた。
「そのあと、遊んでくれる?」
カヤは少し考えてから、「うん、いいよ」と返事をした。実が大量に採れたら、ちょっと遊ぶ時間くらい貰えるだろう。
子供は桃色の唇を三日月みたいに開いて、嬉しそうに笑った。