昼間出逢った姿のままに、薄い葉色の衣服と波打つ髪に花を散らせた子供は、ドウドウと音を立てる夜の川に立っている。
スネの中頃まで水に浸っているが、揺らぐ素振りもない。昼間よりかなり冷たい筈だが、白い顔は微笑んでいる。
男の子か女の子かも分からない、本当に綺麗な、浮世離れした綺麗な、子供。
明かりも無いのにずいぶんハッキリ見えるなと思ったら、手に持った枝の白い花が、蛍みたいに光っている。
その灯りで、川面が生き物のようにうねっているのも見えた。
カヤはもう、その程度の不思議には驚かなかった。
「……水、冷たくないの? 危ないよ」
しかし子供はそこに突っ立ったまま、すうっと手を伸ばして来た。
「早く一緒に遊ぼうよ」
「…………」
カヤは暗い川を見据える。深い場所はどこだったか、いや、今はどこもかしこも危なく見える。
「明るくなってからじゃ駄目?」
「駄目、今、来て」
「分かった」
自分でも驚くほどためらいなく、裸足のまま中洲を降りて水の中へ踏み入った。ギシリ、と、痺れるような冷たさが、背中まで這い登る。
子供は微笑みを浮かべながら、じっとこちらを見ている。
(同じ笑っているのでも、従姉のニヤニヤ笑いとは全然違う。腹が立たない、何でかな。ああ、一緒に冷たい水の中に居てくれるからか)
カヤは懐に手を入れた。
「ね、お土産持って来たの」
差し出された物に、子供は薄色の目を見開く。
革紐の質素な首飾り。親指大のメノウ石を真ん中に、ウスゴの若実みたいな緑の珠が両脇に連なっている。
「待たせたお詫び」
「……それ、大事なモノなんでしょ?」
「うん、『宝物』、カヤの唯一の。お嫁に行った姉さまから貰った大切な。だからあげる」
カヤは二歩目を踏み出した。さすがに真っ暗な中では、浮き石に足を置いてよろける。
それでも冷たさに歯を喰いしばって三歩目、四歩目を踏み出す。流れの圧が今にも足を掬い上げそう。
「絶対に受け取ってね、貴方にあげるんだよ。宝物の行き先も、カヤの行き先も、あの人たちの好きにさせない、自分で決める」
五歩目の足が空振る。川底が無い。
ああやっぱり。
昼間、姉たちと渡った林がまったく別物だった時点で、
身体の感覚が消えて水音が止んだ。
「馬鹿だね」
耳元でハッキリと響く。
この子の声だけは離れていてもけざやかに聞こえていたと、今気付いた。
腕を掴まれた気がしたが、意識はそこまでだった。
***
金色衣装の姉さまを迎えに来たのは、大きな顔に優しそうな眉毛の下がった花婿さんだった。街で小さな木工房を開いているという。
長兄一家が借りた道具を壊してしまったのを、何故か姉さまが謝りに行かされて、その時出逢って見初め合ったらしい。
一族の婚姻もすべて自分で支配していたい長兄は、「職人風情が」と悪態をついていたが、彼の実家が街一番の商家だと知ると、コロリと態度を変えた。
別れる時に姉さまはカヤを抱き締めて、「この子がきちんと自分を守れますよう、どうか手折られませんよう」と祈り、隠すように首飾りを渡してくれた。
ああ、姉さまには分かっていたんだ。
自分がいなくなったら、次に的にされるのはカヤだと。
賢く上手に働く便利な者は、愚かな支配者にとっては押さえ付けておかねばならぬ存在になる。
どうあがいてもそうなってしまうのだ。
ごめんなさい、祈ってくれたのに。
――眩しい
カラカラという音、身体全体に響く振動。
――頭が痛い、イタイイタイイタイ、腰痛いっ
カヤは張り付いたまぶたを頑張って開く。
細い視界に、亜麻色の帽子と、見覚えのある三つ編みの背中が見えた。
「……姉さま……」
「あら、起きた?」
「……お、お腹すいた……」
一年ぶりの九つ歳上の姉は、フフっと吹き出す。
「相変わらずね」
――夢……?
カヤは一度横向きになってから慎重に身を起こした。肩も背中もギシギシと痛い。夢と違う……
寝かされていたのは馬車の荷台。カポカポと調子よく歩く大きな馬。
衣服は濡れておらず、靴が脇に揃えて置かれている。頭の下には姉のストール。
姉の嫁入り道具を運んだ、まだ新しい二輪の荷馬車。
花婿さんが作った物だと言っていたが、今手綱を取っているのは姉一人だ。
「お腹が空いたのなら、それをつまんでいなさいな」
姉はのんびりと、カヤの横を指さす。
靴の反対隣に、大きく膨らんだ薄い葉色の布包みが、ポンと置かれていた。
開くと、ツヤツヤしたウスゴの実の他に、サルナシ、マタタビ、スグリ、アケビ、ずっしりと実を付けたヤマブドウ。
「大収穫ね、さすがカヤは木の実採りが上手」
「これ……カヤが採った……の?」
「中州で寝ていた貴女の横にあったんだからそうでしょう? 違うの?」
「…………」
カヤは恐る恐るサルナシを摘まみ、産毛を払ってかじってみた。
甘い。普通にサルナシの味。
「私にも一つ頂戴。口に入れて」
膝で立って這って行き、顔を突き出す姉の口に、一番大きなサルナシを押し込めた。
「ありがと、おいしい」
――ああ……
こんなに簡単な幸せが、何と遠かった事か。
ぼぉっと周囲を見る。
景色は川から家に帰る道だ。お日様は昇りきっている。
――いや、そう、違う、そうじゃなくて、
カヤはだんだん頭がハッキリして来た。
「どうして姉さまがここにいるのっ?」
「………… もっとお食べ、カヤ、ゆっくりお話しするから」