寒い。草木の揺する音が風を伴う。
表皮から熱を攫っては、芯からじりじり熱を取り戻す。
その繰り返しだ。
夏場のはずだった。もう暗くて見えないが、ここに来たときはうんと深緑の木々が広がっていたのをしっかりと覚えている。
数時間前の私は油断していたのだ。標高千メートル程度の山の中がこんなにも涼しいところだとは思っていなかった。
国道沿いの道からどこかに入った山の中だ。ここにどこまでも暗くて、私しかいない。
この世界では私だけが小さな焚き火台で揺れる光を独占していた。
上着を忘れたのは残念だったがちょうど良かったかもしれない。
風が吹いて、心臓が締め付けられる。
染み込んでくるような寂寥感が心地いい。
都会の熱気から逃れるついでに、アウトドアの趣味を満たしに来たのだ。蚊が苦手なものであまり夏場のキャンプはしないのだが、今回はそういう気分だった。
いつからかキャンプ場には行っていない。その方がこの孤独を味わえる。
小ぶりの椅子に腰をかけてほっと空を見上げる。生い茂る葉々に阻まれて明るいはずの月はその半分も差してこなかった。
葉と風の擦れ合う音しか聞こえないかと思えば、パチッと薪が跳ねる。あまり乾燥していなかったのかもしれない。
自分が喋ることもない。ああそういえば呼吸も聞こえなくはない。もちろん私の吐息だ。
それ以外はなにも聞こえないはずだった。
どうも、足音が聞こえるような気がするのだ。
それも一回二回じゃない、断続的にずっとだ。
座っている私が足音を出すわけがないので、なんだろう。熊なら困るな。そうなれば下山も視野に入れなければならない。
そんなときに、白っぽい影が見えた。
暗い中でようやく視界に入ったそれはおそらく足音の正体で、人間のようだった。
こんな時間にこんな場所で人間、恐ろしいことこの上なかったが向こうがこちらに気づくのも時間の問題なので声をかけてみることにした。
「こんばんは、こんな夜更けに散歩ですか?」
白いパーカーをまとった女の子だった。
ロングスカートで、ここでは少し動きずらそうだ。
「……あ」
彼女は私を見て驚いたように動きを止めた。
「こんばんは」
そして嬉しそうに近寄ってくる。
動物でないだけマシか、そうでないか。なんともいえない感情に支配されながら、それでも少しの警戒心は残っているので私はそっと立ち上がった。
「こんな夜更けに、どうされたんですか?」
「……お月様が綺麗だから」
彼女はさらに近寄ってきて、私の顔をじっと見つめてきた。
「でも真っ暗なのにライトもなしにこんな場所、危ないですよ」
「危ない? えへ、うんそうだね。大丈夫」
小ぶりの火に照らされて、ようやくわかったことなのだが、彼女は何一つ持っていないようだった。
この私よりいくらか背の低い女は、身一つと衣服だけでこの場所に立っていた。
繰り返すがここは標高千メートル付近だ。しかも最後に集落から離れて二時間は歩いた場所である。
それの何が大丈夫だというのだろうか。
怪しいし危ない人間にも思えるが、それ以上にとある疑念が募ってきた。
この子は、自殺志願者なのではないかと。
「……」
「……」
「その……」
うっすら笑顔を浮かべている彼女を見ていると、どうすべきかがわからなくなってきた。
私が語りかけない限り、彼女は返してこないのだ。
しかしこのまま放っておくのもなにかいやな気がして、私の座っていた椅子に座らせることにした。
私はその横にしゃがみこむ。少し姿勢は辛いが、こちらの方が焚き火台が近くて暖かいような気がした。その代わり、火に当たっていない背の温暖差がより際立つ。
「……食べますか?」
「食べる」
たけのこの形状をしたお菓子をそっと差し出してみると、彼女は目をぱちぱちさせたあと嬉しそうに頷いた。
甘いものが好きなのかもしれない。
そのあともいくつか会話……というより一方的な質問を重ねた。その間も風は吹いて木は弾けた。
「ふぁ……」
「眠い?」
揺れる火につられてか思わず欠伸をこぼすと、初めて彼女から話しかけられた。
「まあ、夜ですからね」
「……うん、夜だと眠い。私も眠い」
そうはいうが、目はぱっちりと開いていて眠そうには見えなかった。
「どこで寝る?」
「……私ですか? それはこのテントで」
「家じゃないんだ」
心から驚いたとばかりに彼女はテントを見つめて、中を覗き込んだ。私はますます、この子のことがわからなくなった。
しかしそれよりそうだ。この子をそのままに寝るのはこの夜闇の森に放り出すのとなにもかわらない。
どうしよう。
「……」
そんなことを考えているが、不思議そうにテントを覗き込むこの子を見てもう答えは決まっていた。
些か私も無警戒のような気もするが、彼女は無害だと心のどこかが告げているのだ。
この子さえ良ければ。
私は同じテントに止めてやることにした。
◆
相変わらず空気は冷たいが、日光は暑い。そんな朝だった。いくら標高が高くとも、夏の日差しはかわらない。寝る前に空気の出入口を全て閉めてしまったものだから、テントの中は蒸し地獄だったことも追記しておく。
名前を聞くのも忘れていた女は、私が起きたときには目覚めていて体育座りでじっとこちらを見下ろしていた。
緑色の木々が日光を遮ってくれることに感謝しながら、嬉しそうな彼女と朝ごはんをとった。何をしてもよく笑う子だ。
「なにをする」
「天気もいいし、お散歩をしようかなと」
「私も」
そんな短いやり取りのあと静かな散策が始まった。
とはいえ一泊の予定だったので、初めにテントを畳んで背負ってからだ。
重い。これを背負って電車で揺られることになる。免許を取れば楽になるというのに、面倒だからと引き伸ばして今になってしまった。そろそろ取るべきかな。
「涼しいですね」
「私も涼しい」
細く人一人通れるくらいの道を歩きながら、大自然の空気をめいっぱいに吸い込んで吐き出す。
競い合うように立ち並んだ木々の隙間から、聞き覚えがあるようでない野鳥の声がする。耳をすませばすますだけ、新鮮な音が広がってよりここが好きになる。
行きも堪能したが、やはり落ち着く空間だ。忙しない都会とはかけ離れていて、素敵な非日常だ。
枝ひとつ、落ち葉の一欠片すら愛おしい。
「あれなんだろ」
遠くに見える黒い影、また新しい知らないものかな。
立ち止まって、じぃと目を凝らす。
太い枝から、紐のようなもので垂れ下がっている。大きさは……そう、ちょうど人間くらい。
形状も、人っぽい。
「……」
そこまでの道が危なくはなさそうと確かめてから、一歩踏み込んで。
酷く冷たいものに、両頬を挟まれた。
「ひぁ」
「どこいくの」
女の子の方に顔を向けられてから、ようやくそれが彼女の手のひらだったのだと理解した。しっとりと濡れていて、気味が悪いほどに冷たかった。
「だめ」
顔を寄せられて、瞳を覗き込まれる。
ゆうべは暗くて気づかなかったが、彼女の首を一周するように痣があった。あと少し長い……首が。
……。
…………。
………………。
いつ意識を失ったのかはわからなかった。
あのあと少し、彼女と会話したような気もするし、そのまま落ちたような気もする。
でも気づいたときには車道の脇に寝ていて、彼女はいなかった。
私の身に何が起きたのか皆目見当もつかないが、しかしあの女の子と過ごした時間は覚えている。
作り変えれば、怪談にでもできそうだなと思うと少し面白いと思えた。
注意。
全部曖昧なままなんだろうこれで終わらせて読み手に解釈任せたかったけど我慢できないから登場人物紹介するぜ!
それが嫌な人は読み飛ばしてくれ!!
「私」
誰か。山で野宿をするのが趣味。寂寥感にぞくぞくする変態さん。一人称の所為で女の人と思われるかもしれないが、特に定めてないのである。
たけのこ派。
「女の子」
すごく人間が好きな子。人間らぶ。今回は近くで首にひもを巻いて垂れさがっていた人間の姿を真似てみた。
「垂れ下がってた人」
きのこ派。