「第二回しぶきころしあむ」参加作品です。
厚い雲の広がる宵闇の中、一人の少女がぼんやりと灯台の麓に立っていた。大きなバックパックを背負い、薄汚れた立ち姿と、やつれて生気の感じられない容貌は幽鬼か何かのようだった。
「……雨が……来るなぁ」
いつもならまだわずかに明るい時間だが、光を遮る雲と、そこから漂う湿った匂いから少女はそう呟いた。雨をやり過ごせる場所が必要だ。目の前の灯台の入口は扉が外されており、代わりに黄色と黒の紐が張り巡らされ封印されていた。しかし少女は構わずそれを剥ぎ取り、中へ足を踏み入れた。
思った通り、中は埃まみれで汚らしい。しかし少女はそれに構うことなく階段の傍に座り込み、バックパックを置いて溜息をついた。
今日はここで一晩を明かし、明日の朝出発しよう。少女は溜息をつき、目を閉じた。
「!」
少しして、不意に目を覚ます。いつの間にか眠っていたようだ。外を見やると、朝焼けの空が視界に映った。朝が近づいているようだ。そろそろ出発するべきかもしれない──
が、不意に気づく。階段の上から音がする。断続的に響くこれは、足音。
上から誰かが降りてくる。少女は身構え、できるだけ階段の陰に身を潜めた。
「……!」
やがて、その姿が現れる。
まず視界に入ったのは白い脚。形こそ人間のそれに似ているが、白い装甲の隙間からは銀色のフレームが覗く。金属がこすれる音と、駆動音をたてながら現れたそれは、一機のアンドロイドだった。
少女は目を見開く。そのアンドロイドが軍用のものであることを知っていたからだ。かつて、故郷から命からがら逃げ出した時に、その姿は記憶に刻み込まれていた。人間のそれとは違う無骨な頭のカメラから赤い光を発し、破壊されゆく街を歩いていた。それと同じものが、今目の前に現れた。思わず少女は身震いした。
まずいところに足を踏み入れてしまった。どういうわけかこの灯台はこのアンドロイドの棲みかになってしまっていたのか。だから立ち入り禁止にされていた──。少女はそれを理解し、アンドロイドに見つからないように身を縮こめるが──
「そこで何をしている」
「ひ……」
見つかってしまった。
「この灯台は立ち入り禁止になっているはずだ。何故入ってきた」
「……行く宛が、なかったから」
「そうか」
アンドロイドはそう言うと、少女によってはぎとられた紐を拾い上げ、外に目を向けた。
「二階に当直室がある。そこで休むよりはまだましだ」
「え」
それだけ言うと、アンドロイドは外へ出ていった。素っ気ないが、敵意をまるで感じない無機質な対応に少女は拍子抜けし、その場に呆気に取られて座り込んでいた。
外に出たアンドロイドは、どこかへ向かうようだった。少しして少女ははっとしたように立ち上がった。
──あのアンドロイドは、どこへ行くのだろう?
何故かそれが気になり、その後を追って外へ出た。
「……」
アンドロイドは灯台の裏手、切り立った崖にいた。何かを拾い上げ、埃をはらっている。
「それ……旗?」
「そうだ」
アンドロイドが拾い上げたそれは旗だった。風に吹かれて倒れたのか、埃にまみれてしまっている。
「当機が所属している、帝国海上軍第七艦隊所属のある艦の船員達と作ったものだ」
「海軍……第七艦隊?」
「当機は今、この灯台でこの旗を守る任務についている」
「……あの」
「常にこの旗が、ここに翻っているようにしなければならない」
「ねぇ」
「戦友達が帰還する際に、この灯台と旗を目印にして帰ってこれるように」
「ねぇ! ……その……」
少女が口ごもる。
「なんだ」
「その旗なんだけど、もう……いいと思うよ」
「そんなことはない」
「だって、誰もまだ帰ってきてないんでしょ?」
「そうだ。故にこの旗を守らなければならない」
「じゃあもういいんだよ! だって……」
少女が顔を上げた。
「戦争は……終わったの! 二年前に!」
そう。戦争は終わった。二年前、帝国の敗北で終わった。戦場へ出ていた者達は戦いのない生活へと戻っている。にも関わらず、かつてここで別れたという彼の仲間たちは一人も帰ってきていない。ということは、そういうことなのだろう。
何故彼らが帰ってこないのかはわからない。だがきっと、このアンドロイドが報われることは、無い。
「知っている」
──。
「え?」
なんでもないかのように、アンドロイドはそう答えた。
「知ってるって……」
「当機は第三世代機動兵器。戦況の変化くらいネットワークを通じて理解している。半年前にその機能は死んだが、終戦の報は受けている」
「じゃあなんで」
「……三年前のことだ」
アンドロイドが振り返る。人間の顔とは違い、表情のない顔に取り付けられたカメラが、真っすぐに少女を見据えていた。
「三年前、当機は一隻の軍艦に載っていた。戦闘員としてではなく、兵士の身のまわりの
世話をする備品として」
風が吹く。
「小さな艦だった。それらの作業を当機のみで賄える程度の人員しか乗せていなかった。その艦は、ある任務を受領するとこの灯台に当機を降ろした。そしてこの旗を当機に与え、こう言った」
──この任務を終えたら、ここに帰ってくる。それまで、この旗をここで守っていて欲しい。それを目印に帰ってくる。
「……」
「あの日、彼らは確かに当機と約束した。必ず帰ってくると、そう言った。戦争は終わった。それは理解している。だが、まだ彼らが帰ってきていない。彼らと当機との約束に、戦争の勝敗は関係ない」
「……どうして」
少女は辛うじてそれだけ絞り出した。
どうして、そこまで待っていられる。
どうして、彼らをそこまで信じていられる。
どうして、その約束に全てを差し出すことができる。
「どうして、か」
アンドロイドが黙る。思考するように、少し天を仰いだ。
「嬉しかったのだろう。人間が、当機と“約束”をしてくれたのが」
「……嬉し、かった?」
「約束とは、人間が人間と交わす契約行為。機械と交わすものではない。あの時、彼らは当機を仲間として、対等な存在として扱ったのだ」
アンドロイドが少し俯く。
「当機にとって、これ以上の喜びはなかった」
そう言うと、アンドロイドは旗を突き立てた。潮風に吹かれはためいたそれは、金色の紋様が描かれた、見事な真紅の旗だった。
「そっ……か」
それを前に、少女は小さく呟いた。
「……ねぇ」
「なんだ」
「もし、さ。あんたみたいに……会えなくなった人を、きっと生きてるはずだって、どこかにいるはずだって、信じて、探し続けてる人間がいるとして……あんたは、どう思う」
「そうだな」
アンドロイドが思考する。
「当機はその仮定に対する最適解を持たない。だが……」
少女と、アンドロイドの視線がぶつかる。
「当機の仲間達なら、きっとこうするだろう」
アンドロイドが旗を振る。風になびき、空を切り、堂々と音を立てた。
背後の海から、朝日が昇る。アンドロイドと少女を優しく照らした。
その姿は、素朴で、同時に神秘的で、少女の瞳に鮮明に焼きついた。この光景を、彼女は生涯忘れることはないだろう。
少女の目的地は変わった。この先の旅路に、少女の望む未来が待っているとは限らない。
だが、少女の心には、確かに勇気が宿った。