幻想世界の火を追う十三人   作:白木蓮人

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今更ですが、解釈違いなどが発生する可能性があります。私の主観で見たもの・見たいものが書かれてるから。
原神だと、『蛍』はこんなに話さない。キャラの性格や行動もシナリオに引っ張られてブレるだろうし、出てくる魔物もオリジナルが多い。
崩壊3rdでも、『ケビン』は農夫じゃないし敬語で話さないし。『フェリス』が抱える闇も……。二人が同居してたりしないし、そもそも絡み自体そんなにないという。
でもやる。『自分が見たもの・見たいもの』を表現してこそ二次創作だと思うから──

……やっぱりちょっと怖いから予防線を……いや、でも、うーん……うん、これで物語始めちゃったんだから、これで行くしかないか!



猫との絆はお金で買える?・2

 ──目の前の苦痛からは逃げだして、どこまでも気楽に生きていければいいな。

 そんな言葉で表される、パルドフェリスという少女の心。しかし実際に彼女を支配しているのは、拭いきれない不信感。

 この世に彼女を脅かせるほどの苦痛はそう多くないが、当の本人からは、いつしか周囲の全てが敵に見えるようになっていた。

 

 かつては、モンドのなんの変哲もない村で暮らしていた。

 変な耳と尻尾が生えている余所者を、村の人達は……簡単にとはいかなかったけど、なんだかんだ受け入れてくれた。

 彼ら彼女らに、何かお返しがしたいと、幼心に感じた。

 だから……完全なる善意で、家探しをはじめた。箪笥と壁の裏の隙間、屋根にある鳥の巣の中、その他、誰も見ないような場所を探し尽くし……たくさんの失くし物や落とし物を収集した。

 

 その時、このまま返そうとも思ったが……もっといい方法を思いついた。

 

 もし、これらの宝物が既に必要なくなっていたら、返されても邪魔になるだけ。

 必要とする人に、必要なだけ物が行き届くように……これらの『宝物』を商品にお店を開こう! 

 

 布を敷き、看板を立て声をあげ、たくさんの『宝物』の並んだ露店は開かれた。

『宝物』との思いがけない再会を喜ぶ人はいたし、物珍しさに浮つく人もいた。とにかく、露店は笑顔に囲まれる場所になってくれた。

 

 風向きを変えたのは、当時、数少ない友人だった子の一人。

 彼女は商品のうち一つのペンダントを手に取ると、信じられないものを見る目になった。

 

「これ……お母さんの形見だ」

 

 そんな彼女の表情にも気付かず、すっかり機嫌をよくしていたから、こんな言葉をかけた。

 

「おや、そうなの? じゃあこれは友達価格で無料……」

「どうしてあんたが持ってるんだ!」

 

 その叫び声が、全ての笑顔を凍りつかせた。

 

「これ……大事なもので、肌身離さず持ってたのに、なんで……」

「あ、えっと、それは廃材の底に埋まってたんだよ。まさに掘り出し物ってやつ……みたいな」

「……本当に?」

 

 恐ろしく歪んだ表情が向けられた。

 

「違うんでしょ。だって私が失くすわけない……あんたが盗んだんだ!」

 

 憤怒に染まった人間がそこにはいた。

 静まりかえった露店で、口をぱくぱくさせて、なんとか正しいことを伝えようとする。

 忘れ去られたものを見つけることで、みんなの役に立ちたかったんだと……

 

「ち、違うよ……私はみんなが目を輝かせる宝物を、いっぱい贈りたかっただけ……」

「じゃあどうしてお金とってるの!」

「それは……だって……」

 

 頑張ったね。素晴らしい仕事だね……そんな言葉を、お金という形で残して欲しかっただけ、と。心の中では叫んでいた。

 そうだ、お金が光り輝いて見えるのは、そういう『感謝』が含まれていると思ったから。だから、利益なんて二の次でしかない。誓って欲望に目が眩んだわけではないと、今でも確信できている。

 けれど喉は、熱く重いもので詰まったまま動かせなかった。何も胸を張って言うことはできなかった。

 多くの人々は、金と宝には目を眩ませずにいられないから。相手も同じだと思い込む。

 その思い込みの前に……向けられる残酷な視線の数々に、たった一人の余所者の主張は力を失った。

 

 ボトリ、と彼女の露店に、『宝物』が投げ返された。

 にわか雨のように、ボロボロと降ってくる。

 身体が冷たくなって、目の前が暗くなっていく……

 

 逃げ出した。

 後ろめたいことなど何一つないまま、罪人として村を追われた。

 

 以降、物乞いと盗みで食いつなぐ日々が続いた。当然、そんな余所者はどこの誰も受け入れず、いくつもの村々を追い出されてきた。

 あの日、身を貫いた冷たさは癒えることなく。懐はずっと寒いままだ。

 パルドフェリスという少女の心を支配するのは、拭いきれない不信感。

 ……べつに、人間に絶望したわけじゃない。

 ただ、こう考えながら生きるほうが『しあわせ』ってだけ。

 他人という苦痛からは逃げ出して、どこまでも孤独のまま気楽に生きていければいいな──

 

 ──霧の中から、抜け出した。

 フェリスはふと、さっきまで夢うつつに気を失っていたような感覚がした。思考にもやがかかり、昔のことを思い出していたような……

 ブンブンと頭を振って、逃げることに集中しなおす。

 

 彼女の後ろでは、まだ金髪の旅人が食らいついてきていた。白い浮遊体は、とっくに枝に引っかかって置いていかれた。

 旅人のほうも、長くはもたないだろう。いまも根に足をとられて倒れ、腹をしたたかに打って、地面に肘をつきながら痛みに重く息を吐く。それでも歯を食いしばって立ち上がり、また走り出す。

 蛍がこれほど苦戦する道を、フェリスは軽々と疾走していた。猫と共に暮らし、彼らから学んだ身のこなしがあれば、壁だって走れるし、少し集中すれば、周囲の地形の事細かな部分まで全て頭に入れて、立体的に思い浮かべることまでできる。この才能を応用して、容易に見つからない抜け道を見つけ次第、そこを通って方向転換して撒くことも狙った。

 しかし、いまだに突き放せない。

 

 ……流石におかしい。目印みたいなものをつけられたのかな……? 

 二階から耳を澄ましていたけど、あの旅人は『栄誉騎士』というやつであるらしい。そんな人に捕まったら牢屋行きになるに決まってる。そう思い至った時点で、家を飛び出したのに、なぜかすぐに隠れ場所まで近づかれてしまったあたり、やっぱり印をつけられているんだ。

 ……でも、なんでだろう。あの人は、傷つけてきたりしないって思えるのは。

 それはきっと……これまでは、弓矢や元素力で容赦なく攻撃してくる人もいた。憎悪に満ちた声で『出てこい』と叫ぶ人もいた。

 でも彼女はどれもやらずに、ただ諦めずに追いかけてくるだけ。そこに、自分に対する害意とは違う、なにか切実さを感じるから……

 なんだか、よく分からないな。

 

「もー、なんでそんな必死に追いかけてくるの?」

「あなたに手を貸してほしいから!」

 

 ……わざわざ、私に? 

 現実味のない話に、フェリスはけらけらと笑う。

 

「またまた~。私みたいな凡人なんかより、よっぽど頼れそうな人たちに囲まれてたでしょ~?」

「ううん、あなたじゃないと駄目なの」

 

 サク、と。その言葉は胸に刺さった感じがした。

 一瞬だけ止まった足を、フェリスはすぐに動かす。何事もなかったように。遅れを取り戻すように。

 ……でも、手伝ったらお金が貰えるかもしれない。夜空の星みたいな小さな輝きを、この手に。

 それに、あんなに泥だらけになってまで、私に求めるものがあるのだとしたら……

 期待のこもった好奇心で頭が埋まっていく度に、フェリスの足の動きは遅くなっていく。

 ぽつりと呟いた。

 

「……お金に釣られちゃったなら、足が止まっても仕方ないよね……うん」

 

 やがて、完全に止まった。

 

「もういいよ、私の根負けで」

 

 フェリスがため息混じりに笑って振り返ると、蛍も足を止めた。

 息も荒く、頬を上気させ、髪も乱れて……けれど黄金の瞳は強い光を宿したまま。

 今まで向けられたことのない表情が、そこにある。

 逃げ出したいような、逆に駆け寄りたいような、矛盾した思いを……フェリスは表に出さないよう、不敵な笑みを浮かべて話しかける。

 

「ここまできたなら聞いてあげるよ……私に何をしてほしいのかな、旅人の姉ちゃん」

 

 蛍は呼吸を整えると、まっすぐに顔を上げる。

 髪と衣だけを風にはためかせ、揺るぎなく佇む姿は、フェリスがこれまで見たどんな騎士よりも、心奪われる風格があった。

 澄んだ声が告げる。

 

「あなたから、買いたいものがある」

 

 

 

 二人は逃走劇を繰り広げる内に、高い針葉樹と、それよりも高い崖に囲まれた場所に来ていたようだった。

 一帯を囲う雲の壁を越えてきた弱々しい日光が、さらに崖によって遮られて、周囲は不気味なほどに薄暗い。

 

「旅人の姉ちゃん。悪いけど、今は売れるようなものは持ってないんだ」

 

 フェリスは大げさな態度で首を振り、驚いた仕草をしてみせる。

 

「あっ、まさか珍獣として飼いたいとか? それなら三食おやつ付きお小遣い付きでなら……」

「茶化さないで。私は真剣に話したいの」

 

 きっ、と凄まれて、フェリスは口を噤む。

 蛍はそれ以上は言わず、彼女の次の言葉を待った。沈黙の中でじっと見つめられて、フェリスは耐えきれずにぽつぽつと話し出す。

 

「でも、本当に何も持ってないんだ。宝物を溜めこんでもないし、芸術的なものを作れたりもしない。だから……私は価値なんて持ってないんだよ……」

 

 話している途中で、フェリスはしゃがみこむ。地面を指でなぞって、意味のない線を描きこんだ。

 蛍は近づいていった。

 フェリスの頭上に影が差し……さっと晴れた。

 

「私の知らないことを、あなたは知っている。私に出来ないことが、あなたには出来る──そういった、あなた自身が持つ価値を、私は買いたい」

 

 正面に、膝をついて目線を合わせた蛍の顔があった。

 眩しいものを見たように、フェリスは急いで顔を逸らした。

 

「それだって、もっと得意な人がたくさんいるよ。例えば……」

「今、その人たちが世界のどこにいようとも、私の目の前にいるのは、あなただけ」

 

 苦しげな口ぶりを遮り、蛍は断言する。

 

「今この時、この場所にいる。お互いに出会い、縁を結べたという幸運にこそ、唯一無二の価値がある」

 

 握りしめていた手を前に出し、それを開いてみせる。

 

「だから、駄目かな?」

 

 差し伸べられた手のひらには、モラが光っていた。

 都合のいい夢みたいだなと、フェリスはぼんやりと眺めていた。

 目の前の光景が、徐々に現実味を増していく。鼓動が少し早く胸を叩くのを、確かに感じている。

 

(私、今度こそ『ありがとう』って言って貰えるのかな)

 

 そんなこと……本当にあり得るのだろうか? 

 フェリスは顔を伏せて、前髪の影の中に表情を隠す。

 

「どうだろうね……私はただの凡人だから、期待には沿えないと思うけど……」

 

 そして、暗闇にキラリと猫の目は光る。

 

「──そんなに高く買われちゃ仕方ない。『ぼったくられた』って後悔しても知らないからね!」

 

 ……騙されていたところで、傷が一つ増えるだけだもんね。

 半ば勢いまかせに、フェリスは手を伸ばす。

 

 その時だ。

 ぶぅん、という異音が耳を穿(ほじく)った。

 

「……何?」

 

 蛍は周囲を見渡す。

 虫の羽音だろうか……しかし、木々の間に鳴り響くほど、その音は大きい。

 ──普段の彼女であれば、これほど不穏な気配を感じたら、即座に剣を抜き、臨戦態勢になっているはずだった。

 しかし今は、フェリスのために膝をつき、手を差しのべている。

 

 ……そう、私のために、あの旅人は逃げるのが遅れてしまう。

 立ち上がりかけていたフェリスの脳裏によぎったのは、自分自身の逃走経路ではなく、そんなどうしようもない事実だった。

 彼女は足をあげずに、代わりに手を伸ばした。

 

「この羽音は駄目……危ない!」

 

 フェリスは蛍にとびかかり、覆い被さった。

 突然のことに蛍は目をつぶる。次の瞬間には、体が横殴りの衝撃を受けて、転がった。止まったあたりで、口に入った落ち葉を吐き出しながら細目を開ける。

 ……なにか違和感がある。覆いかぶさられたはずなのに、彼女の重みも温もりも感じられない。

 完全に目を開ける。

 視界には何の変哲もない枝葉の屋根があり、遠くに去っていく羽音が聞こえた。

 

「……どこにいったの?」

 

 おろおろと、立ち上がりながらフェリスの姿を探す。けれど跡形もなくなっていた。

 ……いや、聞こえた。あの甲高い悲鳴が、空の彼方から。

 結局、その場に残されていたのは、地面の上に落ちたモラだけ。彼女に渡すはずだった、黄金だけだ。

 蛍はそれを拾いあげる。土を払って、静かに見つめる。

 ──悔恨を込めて、強く握りしめた。

 

 

 

「離せ! この……!」

 

 フェリスは(アブ)の羽音を鳴らす魔物に誘拐され、空中で捕まえられていた。

 魔物は一見、大男のようだった。ずんぐりと太い胴体に手長足長、黒光りする肌を持つ。

 しかし体表には毛の一本もなく、ぬめった粘液で覆われている。輪郭はぶよぶよしているのに、感触はごつごつとしていて、まるで適当にこねた後で焼き固めた粘土のようだ。

 無論、羽音の源となっている羽が背中にあり、ブーン、と残像しか見えないほど高速で振動している。

 この虻人間の顔には、鼻や耳はおろか、眼すらなかった。ただひたすら、赤々とし、鋭い牙がびっしり伸びた、猟奇的な裂け目だけが大きく開いていた。

 

 熱く湿った吐息が、フェリスのうなじに悪寒をもたらす。

 

 フェリスは身をよじり、逃げようと足掻く。魔物の硬い腕を爪で引っ掻き、歯から血が滲むほど強く噛みつく。

 けれど暴れるほど、虻人間は強く抱きしめてくる。太い指が肋骨の隙間をこじ開け、脇腹を潰していく。

 

(……痛い、苦しい……!)

 

 死の恐怖にフェリスは体に力が入らなくなる。頭もぼんやりしてきた。

 どれだけ叩いても緩む気配のない拘束に、とうとう抵抗を止める。

 力が尽きたのではない。

 希望が尽きたのだ。

 

(……誰かを簡単に信用して、出来もしないことに挑戦して……やっぱり、らしくないことなんて、するべきじゃなかったんだよ)

 

 下を見れば高空。落ちれば下手すれば即死、運が良くても骨を折る。つまるところ、何かの間違いで虻人間の手が緩んでも、逃げられはしない。

 フェリスは自分の、空っぽの手を眺め、弱々しく笑った。

 あの取りこぼしたコインの感触が、指先に残っている気がして笑った。

 

(他でもない『私』に、支払われた『お金』……)

 

 その指を、胸の上において抱きしめる。

 

(人生の最後だけは悪夢じゃないみたいで、よかった)

 

 目を閉じた。人生という夢から覚めるために。

 色褪せていく世界の中──

 

「──刻足、閃く雷のように!」

 

 しかしフェリスは、鼓膜を圧するほどの轟音に叩き起こされた。

 彼女の骨の髄を震わせたのは、紫電を束ねた遠雷の鳴り。

 怒りに満ちた響きが、天を揺るがすのを感じる……

 

 これには虻人間も振り返る。フェリスも目を見開いて、背後に身を乗り出す。

 凄まじい勢いで樹々の間を跳ねまわりながら、迫り来る紫の光があった。

 その光は突進で葉を破り捨て、手刀で枝を焼きとばし、地にある土石には触れることなく、踏み込みの跡を幹の洞に変えた。

 圧倒的な速度で、空いた距離を潰していく。

 

「……もしかして、あれが旅人の姉ちゃんの本気……? うぐっ!」

 

 虻人間が急加速したことで、フェリスはうめき声をもらした。迫りくる雷光は、魔物であっても危機感を覚えるに十分だったらしい。

 計略か本能か、さらに針葉樹林の密度が増す方向へと逃れる。

 

「旅人……!」

 

 フェリスはただ、蛍を一心に見つめた──

 

 空は深緑一色に染まっている。雷元素の力を使ってもなお、硬い枝と葉が擦り傷をつけてくる。地上を疾駆する蛍には、ここにきて森のことが、自分に覆いかぶさってくる投網に思えた。

 あるいは、幾重にも絡まった有刺鉄線か。

 その向こう側を、悠々と魔物は飛んでいく。おそらく巣にフェリスを持ち帰って、喰らうのだろう。

 ……浅く吐息をもらし、奥歯を噛みしめた。

 

 もういい。私に躊躇を捨てさせたこと、後悔させてやる。

 

 蛍は身に殺意を漲らせる。

 すみやかに覚悟を決め、木を岩石で浸食して足場を作り、地上を離れ、枝葉を突破する。

 あっという間に、空へと踊り出た。

 この、滞空していられる僅かな時間で、蛍は抜刀し、思い切り投擲の構えをとる。

 大岩が震えるような重い音と共に、剣が岩元素の力を纏い、落ちる星ほどの光を放った。

 

「連れていかせるわけないでしょ」

 

 狙いを定め、腕を引き絞る……だが蛍は、苦虫を潰したような顔になった。

 魔物が、フェリスを盾にするように体勢を変えて飛び始めたのだ。

 跳躍した体はもう落ち始めている。悩むだけの猶予はなかった。

 

「……そう、ならそれと交換だね……」

 

 蛍は止めることなく、会心の力がこもった剣を投げつけた。

 ……柄が手から離れた時、自分に突き刺さるのか、と怯えるフェリスと目が合った。蛍は目を鋭くして、その結果を見逃すまいとした。

 そして──流星は虫へと墜落する。

 

「ギイィ、ギャアアァァ──!!」

 

 フェリスの左半身が血に濡れた。それは……悲鳴をあげる魔物の血で。

 命中した剣は虻人間の左肩を(えぐ)り取って、千切れかけるまでにした。

 

「切り飛ばせなかった、けれど……!」

 

 片腕が使い物にならなくなった上に、凄まじい痛みに襲われ恐慌状態に陥った虻人間は、抱えていたフェリスを取り落とした。

 蛍は風の翼を展開し、さらに風元素で背中を押し、落下するフェリスのもとへと急降下する。

 

 ──フェリスは知らなかった。たとえ壁や天井を走れても、手足をつけられる場所が無ければ、真の意味で身動きがとれなくなることを。

 大気の底へ沈んでいく。地面から強風に吹かれているかのようで、視界の端では亜麻色の三つ編みが震えていた。

 背中側にある死の壁は、いつ自分を潰すのか分からない。

 フェリスは必死に手を伸ばした。

 

「旅人の姉ちゃん……!」

 

 蛍もなりふり構わず飛びつく。

 

「手を……!」

 

 二人の指先が触れる。お互いの瞳に、お互いの姿が映る。

 ぱし、と。確かに二人の手が繋がれた。

 

(……いや、このままだと無事には済まない)

 

 しかし既に、着地のために減速できるほど高さの余裕は残っていなかった。

 それを察した蛍は、フェリスの身体を抱きとめ、自分を地面側に回した──

 

 

 

 凄まじい経験をしている時、体感時間は引き伸ばされる。

 その時間の中、蛍は自分の体が樹冠を突き破る音を聞いていた。その次には、しばしの静寂があり、最後は地面に追突する音で終わった。

 

 ……今回は違和感も無い。彼女の重みも温もりも、腕の中にある。

 

 蛍は薄目をあけて語りかけた。

 

「怪我はない?」

 

 腕をほどくと、覆いかぶさりながらフェリスが、どこか泣きそうな顔で見おろしてきた。

 

「……旅人の姉ちゃんのほうが痛そうなのに、なに言ってるの」

「色々やって身を守ったから、見た目ほど痛くはないよ」

 

 安心させるように笑いながら、蛍は身を起こす。

 

「ち、ちょっと、立ち上がって大丈夫なの?」

「さて、どうかな……うーん、たぶん問題ない」

 

 服をはたくついでに、体の調子を診る……痛みはあるが、どれも浅い打撲のようで、骨に傷は入ってなさそうだ。少し時間を置いて鈍痛が治まれば、元のように動けるだろう。

 それが分かると、次は剣を探そうとする。魔物の肩を壊した後で落ちたため、近場にあるはずだ。

 ……かなり乱暴な扱いをしてしまった。曲がったり欠けたり、してないといいな……

 キョロキョロしていると、フェリスが横から覗きこんできた。

 

「剣を探してるの? なら取ってきてあげるけど」

「えっ……うん」

 

 当惑しつつ頷くと、フェリスはある一点を見てから、木を登り始めた。

 それは「登る」と言うには鮮やかすぎた。幹にしがみついたり、枝を慎重に渡るといった緩慢な動作は一切なしに、するすると樹々の包囲網を駆け上がっていく。あたかも、彼女だけに見える透明の道があるかのようだった。

 ひと走りして戻ってきた……と思えるほど軽々と登り降りしてきたフェリスは、どこの枝に引っかかっていたのか、蛍の剣を持っていた。

 蛍は剣を渡されながら、嘆声をもらす。

 

「よく探し当てられるね。身のこなしも凄い」

「へへ……こういうのは得意なんだ。というか、探し物が上手ってのを聞いて、私を追いかけてきたんじゃないの?」

「うん、そうケビンから教えてもらって。実は探してほしいものがあるんだ」

「やっぱりそうだよね。いいよ、手を貸してあげる」

 

 フェリスは深呼吸して、意を決した様子で口を開いた。

 

「それで、報酬を払ってもらいたいんだけど……」

 

 蛍がモラを取り出そうとすると、それを制止した。彼女は笑顔でいたが、蛍には少しこわばって見えた。

 

「その、私と……友達になってくれない? そしたら教えてあげるからさ」

 

 動かない蛍の口元を、フェリスは固唾を呑んで見つめる。

 蛍は首を振り、お金を差し出した。

 

「あ、あはは……やっぱ駄目だよね……うん、お金でも大丈夫、さっきのは言ってみただけだからね!」

 

 フェリスは、まるで先程の発言が軽いものだったかのように振舞う。

 その様子を見守って、蛍は目を細めた。

 

「そうやってわざと飄々とするの、なんだかいじらしいね」

「へ? 旅人の姉ちゃん……?」

 

 ずい、と距離を詰める。思わず一歩下がったフェリスの手を、両手で包み込んだ。

 

「友達になることは対価にならない」

 

 間近で瞳を覗き込む。蛍の琥珀色の目、フェリスの浅葱色と露草色のオッドアイ、両者の瞳が鏡合わせになる。

 その状態で、まっすぐに言い切る。

 

「取引なんてしなくても、私たちは仲良くなれるよ」

 

 最後に、にこっと微笑んだ。

 フェリスは声もなく、蛍の瞳に目を奪われていた。が、ふと我にかえって、もじもじと目を逸らした。

 

「……旅人の姉ちゃん、誰かれ構わずそんな風に口説いちゃ駄目だからね、本当に」

 

 包み込まれていた手を開くと、そこには取りこぼしたはずのものが確かにあった。フェリスはそれを愛おしそう眺めた後、顔を上げた。

 

「じゃあ……これからよろしく、旅人の姉ちゃん! とっくに知ってるとは思うけど、私の名前はパルドフェリス。パルドでもフェリスでも、好きな方で呼んでね!」

「うん。よろしくね、フェリス」

 

 フェリスは蛍に屈託のない笑顔を向けていた。

 その隣に、黄金のコインを輝かせながら。

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