幻想世界の火を追う十三人   作:白木蓮人

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夕凪みたいなひと時に

 夕暮れ時になったかと思えば、落ちるように周囲は暗くなり、いつの間にか夜の時間になっていた。

 

 探索から帰ってきたディルックが、普段からベンチとして使われているであろう倒木に腰掛けていると、後ろから足音が聞こえてきた。

 歩いてきたのは、白髪の青年。

 

「隣、構いませんか?」

「ええ、ケビンさん。夜風に当たりに?」

「女性陣がちょっと身支度をしていて気まずかったもので。あと、ケビンでいいですよ」

「そうか、ケビン。急に押しかけてしまって悪いね」

 

 ケビンはふっと表情を緩めると、隣にきちんと座ってからまた喋りはじめる。

 

「そんなことありませんよ。ここは寂しい村ですから、素敵な来客は楽しい出来事です」

 

 彼は自宅の窓からもれる光を眺めて、息をつきながらこう言った。

 

「それに、フェリスも少しは更生できていそうで、なによりです」

「……ああ、それなら幸いだ」

 

 ……蛍、パイモン、エリシア、そしてパルドフェリスは、少し前に帰ってきて、今はケビン宅にいる。

 帰ってきた時の彼女らは、かなり打ち解けた様子だった。あれだけ露骨に人を避けていた猫女ことフェリスも、蛍に身を寄せて楽しげに笑って。

 

 あの旅人には、誰とでも友好な関係になれる才能がある。人の懐に入り込む手腕を持っているのではない。不思議と腹を明かしたくなる空気を纏っているのだ。

 あるいは、安心感と言ってもいい。少し語り合えば、彼女ならどんなことにも誠実に対応してくれると思えるようになる。そして、心の内にあるものでも明け渡せてしまう。

 もっとも、わざわざ内に抱えてるものとなれば、大抵が厄介事だ。彼女は自身のことを「よく面倒事に巻き込まれる体質」と評するが、おそらくはこの()()が原因ではないだろうか……

 ともかく、今回もまた蛍によって、心のわだかまりの晴れた人がいたのだと、ディルックは思い返した。

 

「昼間は君たちの良心を疑うような真似をして悪かった」

 

 そう俯いて目を閉じた。

 ケビンはついとディルックの方に目をやったが、ほどなく正面に向き直って会話を続けた。

 

「あれは本気ではなかったですよね。ああした理由を聞いても?」

「言い訳がましくなるが……僕たちは旅の仲間同士、パーティなんだ。お互いの欠落を補い合う必要がある。だから、他の誰も疑心を持たない分、自分が疑心を持つべきと僕は考えたんだ」

 

 ケビンは僅かに肩を上下させた。その口元は緩んでいる。

 

「分かります。僕にもかつて三人の親友がいて……みんな性格が違ってたからこそ、役割が違う部品のように噛み合って、強力しあえたんだと思ってます」

 

 ディルックは「かつて」という言い回しに引っかかりを覚えたが、あえて深くは聞かずに話題を変えることにした。

 ……もう少し信用を得てからでないと、話させるには酷かもしれないから。

 

「……ところで、君は村にあまり近づかないらしいな。村の人々は君の顔を見たがっていたよ。『ケビンは浚雲村の英雄だ』と言ってね」

「え……村に降りたんですか?」

 

 ケビンは目を丸くした。

 

「ああ、ここに来る途中、妙な魔物が襲われてね。それについて聞こうと思ってたんだが、あれよあれよと別の話が始まったよ」

 

 ディルックは、今にも宵闇に沈みそうな村を眺める。

 小高い丘の上にあるこの家からは、村が一望できた。土色の地面も、緑色の草も、立ち並ぶ木々までも、すべて夜に落ちて、暖かな営みの光が点在している。なぜ村長宅がここに建てられたかよく分かる光景だった。

 そこから、ディルックは村人に教えてもらった過去を語りはじめる。

 

 ──いわく、浚雲村に無数の魔物が襲ってきたことがあった。誰もが恐怖に震える中、神の目さえ持たない少年が、棍棒だけを手に魔物の大群に立ち向かった。

 勝ち目のない戦いの最中にあっても、屈することのなかった少年の強い意志は、とうとう神の視線を惹きつけ、ついに神の目を授かり、氷雪と共に魔物を薙ぎ払った──

 

「そうそう、氷を纏った浚雲村の英雄、『雪雲の英雄』ってみんな囃し立ててましたしぃ……ケビンさんが来れば、今にもお祭り騒ぎが起きそうな感じでしたよぉ?」

 

 ひょっこり顔を出したポーカスが茶化すも、ケビンは苦笑しか返さなかった。

 

「僕はただ、恵まれていただけです。戦いの才を持って産まれて、暖かい人々に育てられて、どうしようもない窮地には神の目すらも与えられた。そうして授かった『自由』に対して、返すべきものを返しているだけ……」

「……そうか」

 

 ディルックは、どう返したものか迷う。

 ……村をたった一人で守り抜く。これだけ偉大なことをしておきながら、そのことを誇らしげにしないとは。謙虚なだけと考えるには口調も重たい…… 

 そんな悩みもどこ吹く風で、ポーカスは意気揚々とディルックの肩をポンポンと叩く。

 

「くくく、まったくその通り。こんな片田舎の英雄なんて、ディルックさんには遠く及びませんよぉ。なにせこの御方は、影でモンドを守り続けている『闇夜の英雄』なんですから!」

 

 それを聞くと、ケビンは興味深そうに目を見開いた。

 

「へえ? それはまた……」

「おい、君が威張ることじゃないし、そもそも正体が僕というのはどこから聞いたんだ……いや言わなくていい、パイモンからだな」

 

 不機嫌になったディルックに、慌ててポーカスはごますりを開始する。

 その間も、ケビンは羨ましそうに例のあだ名を噛みしめていた。

 

「いいな……『闇夜の英雄』。いい……」

「……僕としては、もう少しまともな呼び名にしてほしかったんだが。大衆からすれば格好いいものなのか……?」

 

 

 

 もうそろそろ、就寝の準備を始める頃合いだ。

 ケビン宅が広いとはいえ、全員が寝泊まりできる場所は……無理すれば確保できないこともないのだが。そこまで家主に迷惑をかけるのもどうかということで、一部の人だけが家に泊まり、他は庭先で野営させてもらうことにした。

 そしてその内訳は必然的に、女性陣が家、男性陣が外ということになったのであった。

 キャンプの設営はファートンとポーカスに任せられ、エリシアもそれを自発的に手伝っているようだ。蛍パイモン、それとディルックは、ちょうど引率役が集まったということで、情報共有をはじめた。

 

「さて、一番大事なことを確認しよう。もっとも、君たちの顔を見れば聞くまでもないことだが」

 

 ディルックがそう切り出すと、場に少しの緊張感が走り、二人の顔がこわばる。

 

「蛇紋蔦の花のことだよね……」

「それは……なんと、手に入ったぜ!」

 

 高々と、パイモンは真紅の蔦花を掲げてみせる。

 二人は溢れそうな歓喜を押し止めようと、少し表情が固くなっていたのだった。

 また、ディルックの反応も待ち遠しかった。彼もこんな時くらいは、驚きの表情を浮かべるかもしれない……

 しかしディルックは二人に向けて、予想通りというふうに頷いた。

 

「やはり、万事上手くいっていたか」

「む……まるで手に入れて当然みたいな言い草だな」

 

 そうパイモンが不満げにすると、彼は喉をならして笑った。

 

「誤解しないでくれ。先程も言ったように、君たちの晴れやかな顔を見れば成否は明らかだったというだけだ。これほど迅速に解決したことについては、ひたすら感心しているよ」

「う……表情が緩むのは仕方ないだろ? これでジン団長が助かるんだから」

「ああ、違いない」

 

 それから、蛇紋蔦の花を手に入れるまでの経緯を話していった。

 コインの音でフェリスはあっさり誘き寄せられたこと。森の中で逃走劇が繰り広げられたこと。妙な魔物にまた襲われたこと。

 そして、彼女の信頼を勝ち取った後でのこと──

 

 

 

 ──フェリスに連れられて、奥まった峡谷まで来たとき、蛍は急に漂ってきた異臭に顔を歪ませた。

 見計らったように、フェリスは振り返った。

 

「旅人の姉ちゃんはここで待っててよ。蛇紋蔦はもう、すぐ近くにあるからさ」

「この臭いは……」

「それは……あれだよ。蛇紋蔦が持つ特有の臭い……みたいな?」

 

 フェリスは明らかに何かを誤魔化そうとしていた。

 蛍はじとっとした目を向ける。

 

「……この、死臭みたいなものが花の臭い?」

「あー……そういうの分かっちゃうんだねー……」

 

 フェリスはあっさりと観念し、見せるのは忍びなかった、一人でも大丈夫だからと弁明したが……結局、蛍はその場所までついていくことにした。

 鼻が曲がりそうなほど臭いが強くなったあたりで、それは現れた。

 

 潰れた死体だ。

 

 ……積極的に視界に入れようとは思わない。けれど押し花のように綺麗に広がる放射状の血痕から、一目で分かってしまう。生きようと這いずる時間すら無い、完全な即死であったことが。

 さらに、死後そこそこの日数が経っているようで、年齢も性別も判別できないほど、ひどい状態だった。

 蛍は空を仰いだ。

 

「こんな不自然な死に方……さっきの魔物の仕業なのかな」

「旅人の姉ちゃんに助けてもらえなかったら、私もこうなってたんだよね……」

「……それで、この場所に来た理由は?」

 

 ちょんちょん、とフェリスが指をさしていく。死体の下、周囲の地面、木の幹……

 それを追っていくと、次第に蛍の顔には「まさか」という感情が広がっていった。

 

「これは……」

 

 木に巻き付いたツタから、真紅の花が大きく咲いていた。

 瞠目(どうもく)すべきはその花びらの質感。『瑞々しい』という言葉は似合わない。それは『生々しい』とまで言えるほどの艶めきを湛えていた。てらてらと光るその様は、今にも赤い雫を滴らせそうだ。

 いや、あるいは……

 

「……これはまさか、死体から咲く花なの?」

「そう、これが『蛇紋蔦の花』……お気に召した、かな?」

 

 フェリスは覗きこむようにして聞いてくる。その表情には、わずかに怯えが混じっていて、近寄ってくる野良猫にも似ていた。

 ……おそらく、不気味なものを見せてしまったせいで、人の気分を害していないか、不安なのだろう。

 そう察して、蛍は優しく微笑んだ。

 

「うん、満足だよ。これから摘むのを手伝ってくれたら、もっと満足するかもね」

「……そっか! じゃあ特別サービスってことで、追加料金はとらないであげよう!」

 

 二人は質の良いものを探し当てては、蔦を切り取っていくことにした。

 これで任務目標の採取は完了だ。

 

 その後は、戦闘音を聞いて追ってきたパイモン、それとエリシアと合流した。

 

「おお! 目的のものを手に入れたんだな……にしては、顔が明るくないな、旅人」

「……これは、死体に咲く花だったみたい。そこから摘ませてもらったんだ……」

「え、それは……」

 

 パイモンと蛍の間に、人の死を悼む沈黙が流れる。

 蛍は赤い花束を手元に抱えて、ほの暗く目を落としながら、事情を話した。そんな彼女を、パイモンは心配そうに近寄る。

 

「旅人、その、死んでた人については残念だったよな……」

「うん」

「でも、そいつの死は薬になって、これから人の命を救うんだ。そうだろ? だからといって、そいつが生き返るわけじゃないけど……ちょっとは浮かばれると思うんだ」

 

 それからも、パイモンはどんどん言葉を紡いでいく。蛍は、周囲を飛びまわる白くて小さな生物へと何度も頷いていく内に、次第に安らいだ顔つきになっていった。

 

「……だから、お前に悪いところなんてない。悲しいことがあっただけなんだから、元気な顔になっても責められたりはしない!」

「うん、私もそう信じてみる」

 

 旅の仲間に励まされたことで、ついには慈しむように花束を見つめるようになった蛍。

 その光景を瞳に映していた少女は、一瞬だけ表情を物憂げに曇らせた。

 

「そう、もう見つけちゃったのね」

 

 エリシアが口を動かした気配を感じて、蛍は顔をあげる。

 

「どうしたの、エリシア?」

「……いいえ、なんでないわ。それよりも、先輩の後ろに隠れている女の子は誰なのかしら?」

 

 と、そこで蛍は、自分の背後からくっついて離れない人がいたことに気が付いた。

 

「ああ……ごめんね、落ち込んでいて、言うのが遅れたけど……」

 

 蛍はまだ少し警戒心を見せるフェリスをぐいっと前に出して、二人に紹介した。

 そして……

 

「ねえ、子猫ちゃん。このエリシアを飾るのにふさわしい花も見つけてほしいわ」

 

 フェリスと話すためにエリシアが最初に選んだセリフは、こんなものだった。

 

「えっと……具体的には?」

「どれがいいかは、あなたが選んでちょうだい」

「ええ!? いやいや、私にそんなセンスないよ」

「心配しなくても、あたしをよーく観察すれば大丈夫。ほら……あたしってば、どんな花も似合いそうよ!」

 

 キラキラとした様子で顔を見せびらかしてくるエリシアに、フェリスは少し引き、蛍にひそひそと話しかけてきた。

 

「……あの、旅人の姉ちゃん。この綺麗だけどやたら圧の強いピンク色の人、なんなの?」

「彼女自身も言ってたけど、エリシアっていう花のように美しい少女だよ」

「あ、あれ? おかしいな、まともな答えが返ってこないんだけど……」

 

 蛍のあらぬ方向性の答えに目が泳いだフェリスは、あえなくピンク色の人と目が合ってしまう。

 

「あっ……」

「どうかしら? 報酬も用意してあるんだけど」

 

 それでもやはりお金がちらつくと弱いのか、フェリスは釈然としないながらも頷いた。

 

「う……分かった、いいのを探してあげる」

「色よい返事を貰えてよかったわ。期待してるわね子猫ちゃん」

「あと子猫ちゃんはやめて! パルドかフェリスで呼んで!」

「はーい、それじゃあよろしくね、フェリス」

 

 四人で帰り道を歩き出しながら、蛍はひらめいた。

 ……もしや彼女、これであっさりと自分の名前を覚えてもらい、相手の名前を教えてもらうことに成功したのでは? 

 だとすれば、ああ見えて裏では多くのことを考えている人なのかもしれない。

 

「うふふ……これはもう、美少女が摘んだ花だけのリースを作れる日も、そう遠くなさそうね……!」

 

 ……そうでもないかもしれない。

 

 日が沈みかけるこの時間だけは、モンドの風も大人しくなる。

 いつもは木枯らしに騒いでいる山の群衆も、今は聴衆となって静かに耳をかたむけている。

 ……私たちの歩いていく音が、一つのそよ風となって森を抜けていく。

 

「あら見てパイモン。あそこの花とかよさそうじゃない? 空を飛べるあなたなら、簡単にとってこられるわよね」

「なんでオイラが取ってこないとダメなんだよ!」

「もちろんタダとは言わないから。パイモンもフェリスも、二人ともにご褒美をあげる」

 

 その発言以降、パイモンもフェリスと同じく、小鳥のように落ち着きなく寄り道するようになった。そして綺麗な花を持って、エリシアのもとへと戻ってくる。

 

「持ってきたわね。じゃあ交換しましょう、このあたしが選びぬいた、あなたに一番よく似合う花と!」

 

 何時の何処で準備したのか、エリシアは二種の花を差し出してこう言った。

 

「っておい、モラじゃないのかよ!」

「花と花で交換するんだから、これ以上ないくらい対等な取引でしょ?」

「そうだよお前。物々交換は商売の基礎だって知らないの?」

「あら~、ごめんなさいパイモン、フェリスはあたしに懐いちゃったみたい。これで二対一だから、あなたの負けね」

「なんでだよ!?」

 

 パイモンの抗議も、「別に懐いたわけじゃないんだけど」というフェリスの反対も、自信満々な彼女の前では形無しだった。

 

「くそう、そっちがそうくるなら……旅人、オイラに加勢してくれ!」

「パイモンの負け」

「お前もかよ! もういい! パルド、こいつらがモラを払いたくなるようなもの探してきてやろうぜ!」

「お、それはいいね。よし、じゃあパイモンちゃんはあっちね!」

 

 パイモンとフェリスは、森の向こうへと飛び去って行った。彼女らに笑いかけながら見送った後で、蛍はエリシアの隣に寄った。

 

「ところでエリシア。私とは何もないの?」

「ちょっと先輩、そんな言い方されると……あなたから独占欲を向けられてるって、誤解しちゃうわよ?」

「してもいいよ?」

 

 熱っぽい言い方に対して、蛍は逆にからかい返した。いたずらな笑みになりながら。

 エリシアは、自分の頬が少し赤くなったのを、固まりかけた思考の中で感じた。照れて口元を手で隠したり、目を逸らしたりと落ち着きがなくなる。

 

「……先輩ってそういう不意打ちができる人なのね。もう、本当に油断できないわ……でもダメ、あなたと花を交換するのは、今じゃないって思ったの」

 

 しかしすぐエリシアは平静を取り戻して、また人を乗せるような口調に戻った。

 

「先輩はこれからも旅を続けるのよね? あたしも冒険者として旅をして、たくさんのものと出会いたいの」

 

 エリシアは髪をさらりとかきあげ、表情をよく見せる。大人びた妖艶な顔立ちには、子供っぽい純粋なときめきが瞬いていた。

 

「世界中を巡るあたしたちが、一番よく似合う花をこの森の中だけに求めてしまうのはもったいないって、そうは思わない?」

 

 エリシアは風を全身で感じるように駆け出して、帰り道の向こうでくるりと振り返った。揺れる長髪は、ピンクのチューリップであっても恥じらうほど綺麗な色をしていた。

 木立に囲まれた道の先には、夕焼け空が広がっている。

 夕焼け空の彼方からは、星の匂いを風が運んでくる。

 まばゆい逆光、その明瞭な影の中に微笑みを映した彼女は、昔の思い出のように心に響いて、けれども手を伸ばせば触れられる存在だった。

 

 (いざな)うように、エリシアは手を差し伸べる。

 

「いつの日か、お互いが世界で一番美しいと思った花を贈りあいましょう。どうかしら?」

「……ふふふ、素敵な約束だね」

 

 世界を巡る旅を終えて、全てが円満な終わりを迎えた日に、最も綺麗な花を贈る……

 そんなロマンチックな光景を想像して、蛍も思わず微笑んでしまう。

 エリシアの手の上に、蛍は手を降ろした。

 そのままぎゅっと握られて、彼女は前に進み始める。

 

「でも今だって、先輩に我慢させたりなんてしないから安心して? ほら、ここに……」

 

 ……ほら、ここに。蛍はもう、その先の言葉が想像できた。

 

「先輩という花の隣に、エリシアという花がいるんだから──」

 

 

 

「──それで、帰ってきた時の君たちは、頭に花を咲かせていたわけか」

「うん、楽しかった」

「それはよかった」

 

 蛍の思い出話に、ディルックは呆れ半分、微笑ましさ半分な面持ちになっていた。が、ほどなく表情を引き締めた。

 

「さて、次はこちらの報告だが……正直、悪い知らせばかりだ」

 

 そう言うと、彼は側の地面に目を向けたので、蛍とパイモンも視線を追う。

 そこでは切り株の上に広げられた地図が、カンテラの下ではためいている。無数の書き込みもある手作り感満載のもので、蛍からすれば持ってきた覚えもなかったが……唯一、筆跡にだけは見覚えがあった。

 

「これ、もしかしてファートンが書いたの?」

「意外だろう? 僕も少々見くびっていたんだが、これがよく纏められているんだ。()()の良いところを見つけたのは、君だけではないんだよ」

 

 旅人たちはしゃがんでファートン謹製の地図を観察しながら、ディルックの説明を聞いていく。

 

「簡易的な調査ではあるが、黒点は魔物の痕跡、赤点はファデュイの痕跡だ。その他、いくつか注釈も書き込んである」

「ファデュイがいるんだ……」

 

 ファデュイ……彼らは北国から他国へと入ってきては乱暴する、始末におえない連中だ。蛍にとっては何度も衝突してきた因縁浅からぬ組織でもある。

 パイモンも、わたわたと地図上を飛び回る。

 

「ファデュイって……赤い点はここと、ここにもあるし……なんか多くないか!?」

「あくまで痕跡ではあるが。それを差し引いても、この地域は不穏分子だらけと考えていい。巡回の騎士の仕事ぶりを疑わずにはいられないほどに」

 

 ディルックは険しい顔で腕組みする。パイモンもそれにならって腕を組む。

 

「こんなにたくさん……騎士が定期的に巡回するって話じゃなかったか?」

「定期的に、だからだろうな。ファデュイはあらかじめ騎士の訪問を察知し、隠蔽を行っていたんだろう。また、未知の魔物に関しては、ごく最近発生しはじめたと村人から証言がとれている」

 

 これを聞いて、パイモンは自分なりに話を纏める。

 

「ふーむ……つまり、ファデュイの奴らはオイラたちが来るなんて予想外だったから馬脚を現した。で、未知の魔物は単純にオイラたちが騎士より先に知った……ってわけか」

「ああ、現状だとそう考えられる」

 

 結論を受け、旅人たちはしばらく黙々と地図を眺めていたが……やがて蛍はためらいがちに口を開いた。

 

「なんとかできると思う?」

「……できないことはないが、短期間には無理だろう」

「そっか、難しいね……」

 

 先にモンド城に帰って依頼を達成するか、それとも魔物を倒してから帰るか。それはジン一人の命を優先するか、この村の数多くの命を優先するかという、簡単ではない選択を意味していた。

 両方とも、すぐ悪化すると決まったわけではなく、さりとて猶予がどのくらい残っているかも分からないのが、余計に悩ましい。

 ……自分では、ジンの方を助けたい気持ちが大きい。でも、村の危機を捨て置いてきたことを知られたら、責任感の強い彼女は落ち込むに違いない。

 答えの出ない問いの中、蛍はついに黙りこくってしまった。

 そんな彼女に、二人は声をかける。

 

「旅人、今日のところはもう休もうぜ。疲れた頭じゃ、いい答えは出ないだろ?」

「僕もそう思うよ。選択肢は二つに一つとは限らない。明日、皆でゆっくり考えてみてもいいはずだ」

「……そうかもね。そうする」

 

 助言に頷いて、蛍は考えを切り上げ顔をあげた。

 眼前には、心配の色をにじませたパイモンの顔がある。ディルックの方も、労わるように言ってくれた感じがした。

 ……そうだ、一人じゃないなら、きっと大丈夫。

 蛍は胸に満ちてきた温かな想いを、言葉にせずにはいられなかった。

 

「……ありがとう。パイモン、ディルック」

 

 だからこそ──()()()はより苛立たしく響いた。

 ブーン、という虻の羽音が。

 

 異音を耳にするや否や、蛍は一切の躊躇いもなく抜刀した。それをうけて、ディルックもすぐ大剣を取り出す。

 黒ずんだ空から重たい何かが落ちてきた。その影は大男のようで、虫の羽を背に広げている。

 ただし、片腕はだらりと力なく垂れ下がり、固まった血で出来た赤黒い模様が浮いていた。

 

「また乱入か。それも手負いの魔物とは、いよいよもって物騒になってきたな」

「あいつは……フェリスを攫ったやつだ」

 

 冷徹な声色に、ディルックの眉がピクリと動く。

 一瞬だけ蛍に目をやってから、淡々と喋りかける。

 

「何か気をつけるべき点は?」

「ちょっと硬いから、強めに潰すほうがいい」

「ではそうしようか」

 

 とびかかってきた虻人間に、ディルックは容赦なく炎の大剣を叩きつける。敵は避けることすらせず、まともに喰らいのけぞった。

 どうやら、まともに戦う気力も残っていないらしい。

 

「確かに硬いが……すでに死に体か」

 

 虻人間は強烈な炎元素に侵されながらも、最後の命を燃やし尽くすように力強く飛び上がる。夜空を火の玉が走り、ディルックへと急降下してくる。

 上からの攻撃に対応するために、振り上げるのも突き上げるのも、重い大剣には向いていない。魔物にとって、一縷(いちる)の望みはそこにあった。

 

「真上を取りにくるか。(さか)しいな」

「でも、それだけ……いいかげん退屈だから、すぐに終わらせよう」

 

 その見え透いたの狙いに、蛍が割って入るのは簡単なことだった。

 

「風刃!」

 

 圧縮した風で、虻人間を横から吹きとばす。縦の勢いそのままに、横にズラされてしまった魔物は、無残にも地面に激突する。

 しかしまだ立ち上がる。ギイィ、と断末魔のように聞こえたのは、凄まじい速度で震える羽音の唸り。火のついた虫は、火より激しく暴れまわりはじめる。

 

「チッ、羽虫のようにうろちょろと……変なところに()()()されるのも面倒だが……」

 

 高速かつ不規則に移動する、炎を纏った大質量。自滅が近いとはいえ、どこに被害が及ぶか分かったものではない。

 二人が攻めあぐねていると、家のある方向から誰かの足音が近づいてきた。

 

「対処、ありがとうございます。あとは僕が受け持ちましょう」

 

 声に振り返ると、そこにいたのはケビンだった。氷の剣を悠然とたずさえながら、鋭い眼光で魔物を射抜いている。

 彼の姿を見てとると、蛍は火の玉に意識を集中しながらも叫ぶ。

 

「ケビン、ここは危ない……!」

 

 その時、火の玉が大回りして、蛍の背後にいるケビンにぶつかる経路をとった。

 ……守れない。蛍が歯噛みするその先で、彼はいまだに慌てる様子も見せなかった。

 ケビンは迫りくる魔物の方を向くと、重々しい動きで剣を振り下ろす。それに反して、虻人間は抵抗もなくすり抜けていった。

 炎上する虻人間に対するは、冷気を纏う剣士。

 考えるかぎり、それは最悪の元素相性だった。

 

 ──炎が冷たさによって消火されるなら、炎元素に侵された肉体も、氷元素によってかき消されるものだろうから。

 

 ボトリ、とケビンの足元に落ちたのは、魔物の腕。先程のすれ違いざまに、ケビンが切断したものだ。

 断面は割れた黒曜石のようで、すっぱりと切れていた。

 再び空に舞い上がった虻人間は、ここにきて見境なく暴れるのを止める。そして、ケビンの元へと飛んで戻るが……どちらかというと、自分の腕を拾い上げようという保身の意図が見てとれた。

 だが、今更そんな行動が許されるはずもない。

 彼は魔物の軌道を見切って、あざやかな技でそれを斬る。はらり、とガラス板じみた羽がかたわらに落ちた。

 

 虻人間は飛行手段を失い、地に墜落し這いつくばることになる。

 その上、ディルックに燃やされた身体は、ケビンの氷でひどく傷つけやすいものと化していた。

 もはや、俎上の魚でしかない。処理者はゆっくりと歩み寄り、氷の剣を掲げた。

 

 零度の斬撃が、絶え間なく落とされる。

 地面で悶え苦しむ火柱は、次々に熱を失った破片へと散っていく。

 ケビンは屠殺するように淡々と手を動かしていった。その目に揺らめくものは無い。ただ瞳に映った炎が踊るのみ……

 

 ……夜空の下、敵を燃やす暁の灯が消えると、場に静かな闇が取り戻される。

 そこに残されていたのは、虫の残骸から立ちのぼる焦げ臭い煙だけだった。

 

 蛍は面食らっていた。

 ……普段の彼からは想像しがたい冷酷な戦いぶりだった。しかし、あの初対面の時の対応を思い出すと……いや、それでも納得はできない。そもそも、あんな強烈に冷たい目が、やすやすと身に付くはずがない。

 

(対処も(こな)れていた……あの魔物を何度も倒したことがあるみたいに。もしかして、彼はずっとこの村で戦い続けてきたのかな?)

 

 声をかけようと手を伸ばしてみるが、彼はずっと思いつめた表情で虚空を見つめていて……やがて踵を返した。

 

「……村の様子を見に行ってきます」

「えっ、ケビン……?」

 

 一言だけを告げて、走り去っていってしまう。

 暗闇の中に消えていく背中を追いかけようか迷っていると、

 

「あ、旅人の姉ちゃん! ずっと戻ってこないから心配したよ、主に私の身の安全を!」

 

 フェリスが家の方から駆けよってきた。

 続いて、切り株の後ろに隠れていたパイモンも出てくる。

 

「パルド! お前、ケビンがどこに行ったか見てないか?」

「え? それはまあ案内できるくらいには分かるけど……でもそれどころじゃないってば。どこもかしこも魔物が凶暴になってるんだから!」

 

 魔物が凶暴化している。

 その事実は、一同にとって突然のことながらも腑に落ちた。

 ……いかに魔物とはいえ、片腕を失った状態でわざわざ襲いにくるなんて、不自然なことだった。だがそれも、奴が凶暴化し、まともな精神状態ではなかったというのなら納得だ。

 

「魔物が凶暴化って……拠点は大丈夫か!?」

「いやー、裏手からやってきてて不味かったけど、エリの姉ちゃんが全部なんとかしてくれたよ。水晶の矢を連射してさ、ピンクなだけじゃないんだねあの人」

 

 フェリスはそう言いながら歩いてきて、蛍の腕をガシッと確保する。

 

「でもまた来ないとは限らないから、今夜はずっと家にいたほうがいいよね? さ、旅人の姉ちゃん、早く帰ろう」

 

 そのまま連れて帰ろうとした。が、蛍はびくともせず、考え込んでしまう。

 

「うん、夜だし家に戻るけど……」

「だよね、えっと、なんで動かないのかな。理由もそうだし物理的にも。けっこう強めに引っ張ってるんだけどな~」

「……どうしてそんな当然の事を、わざわざ強調したの?」

 

 フェリスの引っぱる手が、ギクリと止まる。

 それも意に介さず蛍は思考を重ねて……一つの結論に至った。

 

「もしかして……私が向かうべき場所が他にもあると思ったから、そう言ったの?」

 

 フェリスの目を見ると、そーっと横に逸らされた。胸中でうまい言い方を模索してそうな顔だ。

 しかし悪い事を考えているわけではないと、蛍は感じた。だから急かすことなく、彼女の言葉を待ち続ける。

 やがて、おずおずと口を開いた。

 

「ねえ……自分の命を第一に考えるべきだよね?」

 

 フェリスは口元こそ笑っていたが、瞳は不安一色に染まっていた

 

「わざわざ危ないことに首を突っ込む必要なんてないよ。目を閉じて夜を越えてしまえば、全てが元通りになってるはずだからさ」

 

 フェリスの言わんとするところを、蛍は理解する。

 ……彼女が隠しているのは、危険な目に遭っている人の存在。隠したい理由は、それを助けようとして私に危険を冒してほしくないから。

 

 その言い分はもっともだと思う。

 それでも……

 

「心配してくれてありがとう。でもごめん、切実に困ってる人がいるなら、見捨てられない」

 

 真剣にそう言い切った蛍に、しばらくフェリスはなんとか声を絞り出そうとしたていが、やがて諦めがついた顔になった。

 

「うん、分かってたよ……私なんかを命がけで助けた時から、そんなことは」

 

 それから、フェリスは真摯な面持ちになって答えた。

 

「もう察してるかもしれないけど、村の方も襲われてるんだ。ケビンの旦那はそっちに行ったんだよ」

 

 蛍とパイモン、ディルックは目配せする。

 

「やばいぞ、村にそんな戦えるやつはいるのか?」

「『雪雲の英雄』の逸話からして、魔物の群れを相手できるのはケビン以外いないと考えるのが妥当だろうな……それで、新人たちは待機させるか?」

「戦えない人も守れる位置にいたほうがいいから、呼んできて。これから、全員で村に降りるよ!」

 

 蛍の号令で、三人はすぐさま駆け出した。

 

「わ、私もついていくよ。戦えないけど、一人で置いていかれるなんて、おっかないし……」

 

 その後ろをフェリスが追いかけ始めた時。

 村の方角から、怒号と悲鳴が聞こえた……

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