楓が遅い。
月明かりを頼りに繁みを歩きながら、アルは紅い鎧姿を探し続けていた。
彼女に限って危険な状態に陥るとは思わないが、やはり心配は心配である。街の外にはモンスターが闊歩しているのだ。いつ遭遇戦になってもおかしくはない。
因みに竜車の方は、寝ているアイルーを叩き起こしてきたので問題はない。
『磯部餅にして食っちまうぞ』と脅したらすぐ起きた。白い毛並みで『おもち』という名前は、伊達ではないらしい。
「と、こっちはまだ見てねえか」
呟いて足を止める。
目の前にはアルの背丈より、やや背が高い草むら。
ここを探して見つからなかったら、一旦戻ろう。行き違いになった可能性もある。
そう決めて、アルは繁みの中に踏み込んだ。
思った以上に険しい繁みをかきわけて進む。視界不良の中、いつまでも続くかに思えた繁みはしかし、不意に途切れて広い場所に出た。
今宵は満月。
充分な光源を得たアルの目の前には、絶景が広がっていた。
雲一つない夜空は無数の星が瞬いて。
その下には、星明かりを受けて煌めく水面。
周囲を緑で囲われたそこは、まるで外界から切り離されたような錯覚すら抱かせる。
「あ」
呆けたような声は自然と漏れた。
しかし、別にそれらに感動した訳ではない。
だって、そんなもんどうだってよくなる程のものが泉の傍らにたたずんでいたのだから。
まず眼に入ったのは、月光に照らされて美しく輝くアッシュブロンドの髪だった。
そこから僅かに視線を下げた先にあるのは、女の艶やかな肌。白にやや黄色を混ぜたような色のそれは、今やその大部分を月光の下にさらけ出している。
おそらく下着を身に着けていないのだろう。その豊満な胸元を被うように左腕が回されている。
インナーだけの下半身が、水に濡れたように水滴を浮かび上がらせている様は、実に扇情的だった。
いや、よく見ると、濡れているのは下半身だけではない。
髪も肌もしっとりと濡らした姿は、その元々の美しさも相まって妙に艶かしい。
それでもただ一点。この場に不釣り合いな程巨大な蒼いガンランスが、その右手に握られている。たったそれだけの事で、艶かしい印象だけだった女は、絵画に描かれた女神のように見えた。
そう。何人たりともこれを冒せない神聖ささえ孕んでいる。
「アルか」
そんな風に目の前を観察し続けていたせいか、かけられた声に、アルは咄嗟には反応できなかった。
「年頃の男ならば仕方ないとは思うが、やはり覗きは良くないぞ?」
「え」
そこでようやく状況に頭が追い付いた。
目の前にいるのは、絵画でも何でもない『ほぼ全裸の楓』で、アルはそれを正面から凝視し続けて────、
「え、あ……、こ、これは!」
無論、状況を把握したからといって、それが好転するハズもない。
「だがまあ、私の裸なぞ見ても詰まらんだろう?」
「そ、そんなことねえよ!」
ろくな対応が出来ないアルは、かけられた言葉に半ば反射的に返してしまってから、後悔した。
裸見た上に、この物言いでは覗き確定。
というか、『私は貴女の裸に興奮してまーす』と言ってるようなもんである。
「あ、そのあのっ……か、楓が遅かったからっ、えと」
しどろもどろに吐き出された言葉は真実だったが、この状況では見苦しい言い訳にしか聞こえない。
アルにもその事はわかっているが、いかんせん必死だったのだ。
だが、返ってきた言葉は、アルの予想に反して温かい。
「そうか、心配してくれたのだな。一言、お前に声をかけるべきだった」
「あのそのえと」
「だが、そろそろ向こうを向いてくれるか? さすがに見られながらでは、着替えが出来ん」
「う、うわぁっ!? ごめんなさいぃぃぃ!?」
ずーっと楓の裸体を見続けていることにようやく気付いて、アルは高速で後ろを向いた。
その際に『グギリ』という音が鳴ったが、些細なことだ。
因みにアルの脳内では……、
>>キタ――――(・∀・)――――!!
>>楓タン……(;´д`)ハアハア
>>OPPAI!!OPPAI!!
>>ふとももくんかくんかしたひ
>>ぐ、腕が、腕が邪魔だorz
>>見るんじゃない感じるんだ!(`・ω・)キリッ
>>その幻想をぶちk(ry
>>下父ヤバス
>>見るんじゃない感じry
>>らーいどおーん
>>このスレはこれ以上書き込みできません
というやり取りが繰り広げられてたとかいないとか。
それはともかく。不思議な程の静寂の中、衣擦れの音に続いて金属の噛み合う音が響く。
ともすれば振り返ってしまいたくなる衝動を抑え、待ち続ける時間は妙に長く感じた。
やがて音がやむと、代わりに背後から優しい声。
「アル」
「……っ!?」
それに思い切り肩を震わせて、アルは直立不動の体勢を整えた。
もう、何て言うかぶっ飛ばされてもおかしくない状況である。
下手したら先日のドスランポスみたいになっても、文句は言えない。
なのに楓はアルの肩に片手を乗せると、
「今回の件は事故だ。しっかりとお前に伝えなかった私にも非はある」
なんて、優しい声色のままで言うのだ。
「で、でも!」
思わず振り返って声をあげるアルを、彼女は首を振って黙らせる。
「気にするな、というよりもすまんな。私の不注意のせいで、お前には見たくもないものを見せてしまった」
「そ、そんなこと……」
「さあ戻ろう。竜車の方をほったらかしにしておくのは、よくあるまい」
そんな風に笑って言う彼女は、こんなことなぞ、まるで気にしていないように見えたのだった。
────と、そのようなことがあったのが昨夜のこと。
それ以来アルは、楓の顔をまともに見れていない。
当然だ。どうやったって、
(さっさと街についてくれー)
心の底からそう思う。
このまま狭い竜車の中に二人きりだと、アルの理性が持ちそうにない。
んなこと知らんわ。とばかりに、街道を行く竜車の速度は変わらなかったが。
「アル」
「ひぃっ!?」
突如かけられた声に、思い切り上擦った声が出た。
「……………」
なんだろう。楓の視線がツラい。
いつも通り涼しい顔をしている彼女が、何故かジト眼で見つめているように感じられる。
「まあいい。それよりも何か聞こえないか?」
「え?」
真剣実を帯びた楓の声色に、パニックになりかけていた意識を無理矢理聴覚に持っていった。
……。
……………。
……………………聞こえた。
「これは……悲鳴、か?」
「鳴き声のような物も聞こえる。察するに、誰かが襲われているのかもしれん」
「っ、おいおもち!」
「ニャッ!?」
楓の推察を聞いた瞬間、アルは弾かれるようにして、竜車を操るアイルーに詰め寄った。
「もっと飛ばせ!!」
「ニャッ、なんでニャ?」
「誰かが襲われてるかも知れねえ、助けるんだ」
「襲われてるニャ? じゃー危険ニャ、行きたくないニャッ!!」
「うっせ! あんこまぶして食っちまうぞ!!」
「ニャ~、乱暴はよくないニャ!」
これがこんな状況でなければ、戯れているようにしか見えなかっただろう。
しかし今は一刻を争う(かもしれない)のだ。
アルは舌打ちすると、おもむろにポーチをまさぐった。
取り出したのは、森丘でキノコのついでに採集したもの。
「マタタビだ、三つある。仕事次第じゃ全部やってもおぉぉぉぉ!?」
語尾が意味不明になりながら、アルは竜車の中に転がった。
理由は簡単。竜車の速度が急激に上がって、バランスを保てなかったのだ。
「ニャッニャッニャッーー!!」
竜車を牽くアプトノスを駆るおもち。
何か異様なオーラすら感じる。
そこまで欲しいかマタタビ……。
人間二人が呆れる中、竜車はぐんぐん速度を上げる。
というか、アプトノスの脚はそんなに速くないハズなのだが、一体どうなっているのか。
そんな風に思った瞬間、アルの隣に立つ楓が叫んだ。
「見えたぞ!」
言われて、アルも竜車の前方を睨んだ。
遠目に見える景色には、横倒しになった馬車とそれに群がるピンクの猿。
「コンガか!」
「ニャッ!? どうするニャッ!?」
「「突っ込め!!」」
竜車を操りながら訴えるおもちに異口同音で返して、二人は武器を構える。
「む、無茶苦茶だニャー……」
「マタタビ」
「あああああアアアアアァァァァァァァaaaaaaaaaAAAAAAッ!!」
マタタビコールと共に、既に限界速だと思われていた竜車の速度が跳ね上がる。激しく揺れる竜車は、おもちの絶叫も合わさってある種の騒音災害だ。
というか、その絶叫の仕方はどうなっているのか。語尾に近づくに従って、お前ちょっと野生に帰ってない?
無論、その騒音に気付かないコンガ達ではない。
馬車との合間を埋めるようにして突っ込んできた竜車を、コンガ達は散々になってよけた。
瞬間、
「ライダーキック!!」
凄まじい勢いで走る竜車の荷台から、跳び蹴りとともにアルが舞った。
キックは仮面のヒーローよろしく、近くにいたコンガにクリーンヒット。
だが、効果は今一つのようだ。
「ちっ、今のでくたばっとけ……よお!!」
直地とともに一閃。
跳び蹴りを受けて上体の傾いだコンガの頭部を、アルのアサシンカリンガが切り裂く。
『ブモォブモォ!!』
直後、馬車に群がっていたコンガ達が一斉に鳴き始める。
アルを外敵────或いは新たな獲物と見ての行動。威嚇か、それとももっと別の何かか。
だが、その声に怖じ気づくことは、ない。
「上等だ、やってやんぜ!!」
アルもまた威嚇するように吼えて、コンガの群れに突っ込んでいった。