彼は猛っていた。
目の前の標的に対して、激しい怒りを感じていた。
あくまでハンターとして標的を見続けていた彼にとっては、珍しいことである。倒すべき相手だとか、狩猟対象だといった感情からは離れた、純粋な怒り。
眼前の個体に向けられた怒りは、私怨と言っても間違いではない。
「いくぜ、猪野郎」
彼の────アルの目の前にいるのは『大猪ドスファンゴ』。
大猪の名に違わない姿と巨体を有した、牙獣種に分類されるモンスターである。
言葉の意味はわからずとも、アルの敵意は感じ取ったのだろう。ドスファンゴは、すぐに臨戦態勢に入った。
対してアルも、その得物は抜かないままに身構える。
グリーブの裏から返ってくる感触は、固い地面のそれとは違い、沈んでいきそうなほど柔らかかった。
二本足と四本足の差はあれど、彼らが踏み込みの為に足に力を溜めている点は同じである。
だがしかし、『沼地』という狩り場では、確実に二本足の方が不利だと感じられた。何せ、ぬかるみに足をとられて、思うように動けない。
対して、四本足なら多少のぬかるみは、その馬力で強引に突破してしまえるだろう。
だが、そんなことは関係ないとばかりに、アルはわずかに身を屈めて、更に力を溜める。
その姿は、さながら獲物を狙う肉食獣のよう。
普段の彼からは想像もつかない程の殺気。
もう一度言おう。彼は猛っていた。本当に猛っていたのだ。何故なら。
この猪が、アルの食おうとしていた最後のこんがり肉を台無しにしてくれたのだから。
だから怒っていた。自分と相手の戦力差も、地形の不利も関係なく、眼前の猪を粉砕しようと猛っていたのだ。
「ブモゥ」
ドスファンゴが小さく息を吐いた。
アルが腰に下げた片手剣に手を伸ばす。
こいつが台無しにしたのは、ただのこんがり肉ではない。
うまい、と言って喜んだアルの為に、楓が焼いてくれた肉なのだ。
多目に焼いてくれていた、その最後の一つを台無しにされた。
「さあ、お前の罪を数えろ!!」
瞬間、ドスファンゴが疾駆する。
水分を大層含んだ泥を撒き散らしながら、アルを蹂躙しようと、その巨体を走らせる。
だが、動いたのはアルも同じであった。
限界まで高めた脚力を、爆発させるように駆ける。
足場の不利を感じさせない疾走は、直前まで力を溜めていた姿と相まって、引き絞った弓から放たれた矢を連想させた。
「おおおおおおおおおっ!!」
「ブモオオオオオォォっ!!」
互いが互いのトップスピード。
さほどの距離も空けずに対峙していた彼らの間隔は、見る間に縮まる。
故に交錯は一秒以内だ。
大猪の牙が、巨体が、アルに迫る。
ドスファンゴからすれば、完全な射程距離。
そして狩人にとってもまた、この間合いは必殺のものだ。
引き抜いた片手剣が、風を斬り、大猪に迫る。
まさに一瞬の攻防。
どちらにとっても必殺で、どちらにとっても致命的な間合いでの交錯。
交錯の後、立っていられたのは、勝利した一方だけであった。
「ぷはっ」
直前まで口を付けていたジョッキを豪快にテーブルに叩きつけながら、アルは唸った。
飲んでいたのはただのジュースなのだが、まるでビールを飲み干したかのような唸り声である。
テーブルの傍らにはギアノスヘルムと、愛剣『ドスバイトダガー』が立て掛けてあった。
モンスターと立ち回るような物騒な物を持ち込まれては、店側としてはたまったものじゃないだろう。
もしそれが『普通』の店だったならば、だが。
「ご注文のジャリライス炒めです」
「おう、待ってました!」
運ばれてきた品を受け取って、喉をならす。
空腹だったので、もう辛抱たまらんといった感じなのだ。
「あ! 悪りぃんだけど、後で──、」
「クエストリストですね。わかりました」
料理を運び終えて踵を返しかけたシエルを呼び止めると、彼女はこちらの意図を察して笑ってくれた。
────クエストリスト。
そんなものがあるということは、ここは『普通』の飲食店ではない、ということだ。
ここは天下のハンターズギルド。そこに併設されたハンター御用達の酒場である。当然、武器の持ち込みが問題になるハズがない。
この地方に来てから鍛えられた愛剣は、最前の狩りでも、その切れ味を遺憾なく発揮してくれた。
『鳥竜剣・ドスバイトダガー』
ランポスの素材で造られたこの片手剣は、最近ようやく強化できたものだ。
強化に必要だったランポスの素材と資金。それらを手に入れる決め手になった狩りを思い出す。
紅い鎧と蒼い銃槍を身に纏った、美しき女ハンターとの出逢い。
楓との別れから一月程が過ぎた。
怖い思いもしたが、あの狩りは自分の為になったのだと思う。
なにより、遥か高みにいるハンターと知り合うことが出来た。
口に出すのははばかられるのだが、彼女はアルの中で一つの目標となっていたのだ。
すなわち、彼女のようなハンターになりたい、と。
そう言えば、あれから楓とは顔を合わせていないが、彼女は元気にしているだろうか?
アルが無事でいるのに、楓が怪我をするなんてことは考えられなかったが、狩りに絶対はない。
(ま、俺が心配してもしゃーねーか)
そう思って嘆息する。
仮に彼女がピンチになったとしても、アルにはどうしようもないのだから。
ドスファンゴ相手に手一杯という実力的にも、アルが楓の近くにいないという現実的にも。
そんな風に楓のことを考えていたからだろうか。
目の前に誰かが立っていることに、反応するのが遅れた。
「よお、兄ちゃん。相席、いいかい?」
その声に、顔を上げる。
目の前にいたのは20代前半くらいの、どこか線の細い印象を与える青年だった。
美しい金髪と空のような碧眼。加えて整った顔は『美青年』と言って間違いはない。その身に纏うのはレウスシリーズに似た防具で、肩から下げていたのはライトボウガンであるらしかった。
曖昧な表現なのは、アルがガンナーの装備にそれほど精通してなかったせいでもある。
それ以前に、本来『赤い』ハズのレウスシリーズが何故か『青かった』ことに疑問符を浮かべたこともあるのだが。
「あぁ、どうぞ」
促しておいてから、アルは青年の隣に立っていたもう一人に目を向けた。
こちらの方は、兜を外していた青年とは対照的に完全装備だ。
上から下までディアブロ装備。背中には鉄刀と思わしき太刀を背負った、大柄な男だった。
青年に倣って席に着いた彼は、そこでようやく兜を外した。
現れたのは、厳しい印象を与える壮年の男の顔。
堅固な意思と鋭さを秘めた眼光は、身に纏った装備の物々しさも手伝って、より一層の貫禄を男に与えている。
「ジェイだ。よろしく」
近くにいた給仕の一人に飲み物とつまみを頼んでから、金髪の青年がそう切り出した。
「そんでこっちの厳つい旦那が────、」
「────レオルドだ」
ジェイの言葉を引き継ぐようにレオルドが口を開く。その声は、見た目の印象に違わず重々しい。
「えっと、俺は」
「アルバートだろ? 知ってる」
「……へ?」
ただ同じテーブルに座っただけで、ご丁寧に。とかなんとか思いながら自己紹介を返そうとして、ジェイの口から出た名前に呆然とする。
何故に初対面の男がアルの名前を知っているのだろうか。
自分ではわからなかったが、よっぽど変な顔をしていたらしい。怪訝そうな顔で「あん? まさか人違いか?」と言ってきたジェイに首を振る。
「そう、そうだよ。俺がアルバートだ、けど……?」
「なんだ脅かすなよ。受付がホラ吹いたのかと、不安になったじゃねえか」
「……?」
何を言ってるのか、ようわからん。と、さらに首を傾げると、レオルドが「ジェイ」と一言。
それでジェイの方も何かに気付いたらしく、「ああ、わかってる」と何やら頷き返した。
「単刀直入に言うぜ。次の狩り、俺達を手伝ってくれ」
「…………はい?」
単刀直入っていうか、唐突である。
出会って数秒。お互いのことも何も知らないのに、一緒に狩りに行こうとは。
「ま、依頼自体はこんな感じなんだけどよ」
「あ? あー……、うん」
よくわからないまま、差し出された書状を受け取る。
とにかく依頼内容を確認しなければ話が始まらない。
状況を理解出来てない以上、いつまでたっても話が始まらないというツッコミは無しの方向でお願いしたい。
「んあ?」
そうして目を通した書状に書かれていた内容は、至極簡単なものだった。
肉食竜の卵の納品。
特別、数が必要だという訳でもなく、特異なモンスターがいるという情報も書かれていない。言うなれば、『普通』の運搬クエストである。
確かに特記欄には『イャンクックの目撃情報』が添えられてはいたが、彼らの纏っている防具から推察する限り、この二人の敵ではないだろう。
つまりアルとしては、
「なんで俺? っていうか、助っ人なんて必要ないだろこれ」
と、返すしかない訳である。
「まあ、こっちにも事情ってヤツがあってよ。最悪、卵の運搬やってる余裕がなくなりそうなんでな」
「は? 卵運びに行くのに、運搬の余裕がないって……」
「俺らの目標はこっち。てめえは余裕がなくなった時の保険ってやつだ」
言って、彼が指差したのは書状の端。例の特記欄。『目撃モンスター情報』である。
つまりイャンクックの狩猟をメインに据えるということだろうか。
しかし、それはそれで不可解な話ではある。
「クックが狙いなら、クックの討伐依頼を受けろよ。わざわざ狩りの難度を上げなくてもいいだろ」
「事情がある、つったろ。ま、そんな複雑な話じゃねえけどよ」
「事情って────」
「頼む。力を貸してくれないだろうか?」
「……っ」
さらに追及しようとしたアルは、横合いから割って入った声に口をつぐんだ。
それまで会話の成り行きを見守っていたレオルドが、僅かに──アルの勘違いかもしれない程僅かに、眼を伏せて声を発したのだ。
「説明はまた今度する。ただまあ、誓ってお前を『カモ』にする為に誘ってんじゃねえよ」
「それはまあ……」
なんとなくわかる。ハンターズギルド内でのやり取りだったし、書状もギルドを通した正式なクエストだ。
だからこそ、自分のような未熟者が彼らに同行する意味がわからなくなっているのだが。
「良いハンターを紹介しろ。そう言ったら、受付嬢がてめえの名前を出しやがったんだよ」
「……俺の?」
どこかで聞いたような話である。
というか、ついこの間、こんな感じで誰かに同行した気がする。
またシエルか。と、受付のカウンターに目をやると、そこに彼女の姿はなかった。
受付嬢と言っても、いつも受付にいる訳ではない。給仕やら裏方やら事務仕事やらで席を外している場合だってある。なので、そこにシエルがいなかったのは当然といえば当然のことだった。
その代わりと言うべきか、シエルではない別の受付嬢が、カウンターからこちらに視線をくれていた。
赤い髪の、彼女の名前はなんといったか。とにかくシエルの先輩だったと記憶している。そんな彼女は、こちらがカウンターに目を向けた辺りから、意味ありげに微笑んでいるのだが。
「ああ、あいつだ。お前のことはあいつに聞いた」
「へ?」
前回よろしくシエルが気を利かせてくれたと思っていたのだが、今回はそういう訳ではないらしい。
でもどうして俺なんだ? と、再び微妙な気持ちになりながら、アルはジェイの言葉の続きを待った。
「で、返事は? 相手が信用出来ない分を差し引きゃ、それほどの危険がある仕事でもねえと思うけど?」
そう言われて、しばらく思案する。
だが、答えなんて一つしか思い浮かばなかった。
「俺でよければ、喜んで」
そう言って右手を差し出す。
こうしてアルは、この街に来てから二度目になる『複数人で行う狩り』に参加することになった。