霞龍が闊歩するような危険な森。
アーシアは強い。それこそ一人で古龍と渡り合えるくらいには。
だが、それを知っているからといって、そんな場所を1人で歩かせる程、ルトガー・レッドフォードは薄情な人間ではなかった。
だからこそアーシアは、カエデと自分との間にある認識の差に違和感を覚えたのかも知れない。
いや、もしかしたらもっと前から。山道と密林の
「アーシア。出来るだけ私から離れるな」
「わかった」
そう返して、アーシアは草木を掻き分けるカエデに続いた。
『この森では神隠しも起こるんだ』
『トンネル越えたらワンダーランド?』
『森を抜けたら、だな。いや、森を抜ける途中で消えるのか』
『曰くが多いね』
『まあ、神隠しも含めて霞龍のせいになってしまっているのさ』
『アイツ、人を拐うの?』
『生態がわからん以上、なんとも言えまい』
等と、森の深くへ侵入する直前にした会話を思い出す。
「カエデさん」
「どうした?」
「消えた人がいるなら、
「……」
質問に、前を歩くカエデが足を止める。
振り返り、アーシアを見るその表情は、アーシアの言葉を肯定するでも否定するでもない、曖昧なものだった。
「アーシア。お前は、やはり……」
ややあってカエデが口を開く。
『やはり』と言うことは、彼女も薄々感付いていたのかも知れない。
状況の違和。
知らない地名。知られていない街。
見たこともない地図。
神隠しと、その
それらの情報から、アーシアが推察し、出した結論。
「うん。多分、私は────」
言い掛けた、その瞬間。
炎が舞い踊った。
「「!?」」
アーシアとカエデの驚愕が重なる。
ちょうど彼女たちの進行方向。霞の森で、宵闇を晴らすかのような篝火が燃えていた。
「山火事!!」
「火の起こる要因なぞ、この森にはないハズだが」
言葉を交わしながらも二人は森を駆ける。行き先は無論、火災現場だ。
「燃え広がったら大変なことになる!」
「ああ。それに、アーシアが元居た場所がわからなくなる」
火災現場までは遠くない。何せ、炎が踊る音が聞こえたのだから。加えて二人の脚力は、並のハンターを凌駕する。
さほどの時間もかけずに火災の中心部にたどり着いた二人は息を呑んだ。
「これは……!?」
「ちぃっ」
息を呑み、眉根を寄せる。
闇夜に踊る炎は、まるでそれ自体が意志を持つかのように、周囲一帯の木々を浸食してゆく。
不幸中の幸いか。炎の侵攻速度自体はそれほど速くはない。
常に靄がかかるほどの湿度の高さと、新緑の季節だったことが良い方向に働いたのだろう。この分なら、次に燃え移るまでに木々をなぎ倒すか何かして、被害の拡大を防ぐこともできそうだ。
だが、二人は気を緩めはしない。
それどころか、さらに気を引き締めた。
「リオレイア!!」
炎に喰われた木々の奥、赤く照らされた大地の女王の姿が映ったから。
厄介な、とカエデの呟きが聞こえた。
女王はこちらに背を向けている。おそらく、まだ二人の存在には気付いていないだろう。
だが進行方向だ。
回り道をすればいいだけの話だが、火種を放置する訳にもいかない。
「火災は奴が原因か。刺激すれば、さらに火を吐く可能性もある」
「でもどうして火を吐いたんだろ? 外敵なんて見えないけど……」
「確かに無闇に火を吐くハズもないが……」
そのタイミングで、リオレイアが振り返った。
その双眸が二人を写す瞬間、およそ狙いなど着けていないだろう速度で炎が放たれる。
「わっ!?」
「問答無用かっ!!」
驚きながらも、二人は左右に別れて回避する。
アーシアは左。カエデは右だ。
「ゴアァァァァァァァ!!」
回避した先。アーシアの動きを予見したかのように、リオレイアが疾走してくる。
(読み越されたっ!?)
先のブレスにしろ、この突進にしろ、偶然にしては出来すぎだ。縄張りに侵入したものへの突発的な対応というよりも、とっくに戦闘態勢に入っていたかのような対応。
リオレイアの足元に滑り込むようにして突進を回避したアーシアは、驚愕しつつも剣を抜いた。
同時、アーシアを跨いで行ったリオレイアが振り返る。巨大なアギトからは既に炎が漏れていた。
カエデの方には見向きもしなかったリオレイアは、どうやらアーシアに狙いを絞ったらしい。
「フッ、モテる女は辛いぜ」
軽口を叩きながらも、アーシアは駆け出した。
踏み込みの為の助走ではない。正真正銘、ただの全力疾走だ。
「ゴアァァァアアア!!」
剣を抜いたままの疾走。
絶叫する女王と交錯する瞬間に、アーシアは刃で女王を『撫で』つけた。
パキリ、と数枚、鱗が弾ける音。
それを背に置き去りにして、アーシアはさらに駆け抜けた。
女王がアーシアに振り返る。出血はない。
当然だ。アーシアの一撃は、速度こそあったものの威力は皆無であった。
それこそ、ただ対象に添える程度の。『撫でる』という表現が、ぴったりと符号する程の。
それでも、そのたった数枚の鱗でも、女王のプライドを傷付けるには十分に過ぎた。
アーシアに“注意を傾けかけていた”女王は、今や完全にアーシアだけに“明確な敵意を向けていた”。
「ゴアァァァアアア!!」
鋭く、重厚な殺意がアーシアにのし掛かる。
だが、そんな程度でアーシアは止まらない。
女王と擦れ違った状態────リオレイアに背を向けての全力疾走のまま、女王が焼け野原にした地帯から、緑の残る密林に飛び込む。
女王もまた、アーシアを追う形で密林に飛び込んだ。
もっとも、その巨体ではアーシアのように木々を避けるような飛び込み方はできず、木々を吹き飛ばすような強引な突撃になる。
「ふっ……!」
太い樹木を吹き飛ばす程の突進は、それだけで恐るべき攻撃だ。
だが、アーシアが気をつけなければならないのは、リオレイアだけではない。
風に舞う木の葉のように、乱雑に弾け跳んだ樹木。
一本でも当たれば、それだけで致命傷になりかねない。
女王が森に突っ込んだ瞬間に反転していたアーシアは、木々の一本一本を紙一重でかわしながら、女王へと切迫していく。
そして女王は、自らが吹き飛ばした樹木に視界の大半を奪われ、簡単にアーシアの接近を許してしまう。
結果、今度こそ速度と、力を込めた一撃が女王へと襲いかかった。
「ギャオオオォォォ!?」
女王にすれば奇襲めいた攻撃だったのだろう。
頭部へ渾身の一撃を受けた女王は、驚愕のあまりその場でたたらを踏んだ。
「くぅっ!?」
しかし、驚愕の念はアーシアとて同様だった。
(かっ……………、たい!?)
樹木を隠れ蓑にしながらの奇襲。
十分な助走と、踏み込みの強さから得た剣速。
突進してくるリオレイア自身の運動エネルギーによる交差法。
加えて、『弱点部位』であるハズの頭部への攻撃。
……にも関わらず、アーシアの剣は、弾かれかけた。
愛剣・オデッセイは決して悪い武器ではない。
水の属性と、高い切れ味を有するこの武器は、むしろリオレイアに対して最適な武器とさえ言える。
「ガアァァァァァァ!!」
「っ!?」
グン、と、仰け反った体勢から、女王がその尾を振り回す。
通常では考えられぬ手応えに驚愕していたアーシアの反応が僅かに遅れる。
薙ぎ払うように────、否。事実、窮屈な木々を薙ぎ払う一撃を、辛うじてアーシアはかわした。
尾が唸りをあげてアーシアの頭上スレスレを通り過ぎる。
だがそれだけだ。
尾が通り過ぎてからの、僅かな隙。
一瞬とはいえ反応が遅れたアーシアは、そこに踏み込めない。
その場にとどまったアーシアと、尾を旋回させたリオレイア。
尾が通り過ぎたのなら、次の半回転で現れるのは、そのアギトだ。
振り返った瞬間を強襲すべく、アーシアは剣を強く握り絞めて────、
「────っ!!」
直後、
「ガアァァァァァァッ!!」
勝ち誇ったように咆哮する女王を、しかしアーシアは見ているだけの余裕がない。
頭部を移動させながら放つブレスは、炎龍のそれに酷似している。
迫る壁のような火炎を、アーシアは盾で受けるしかなかったのだ。
彼女の軽い身体は、熱と衝撃によって盾ごと後退する。
苦痛に顔を歪めたと同時、炎の壁を突き破ってリオレイアが突撃してくる。
「しまっ……!?」
ブレスとは段違いの衝撃がアーシアを襲った。
盾を通して伝わったその威力に、アーシアの身体が僅かに浮かぶ。
「ゴオォォォオオオオ!!」
「ガッ……」
突撃の終了と同時、リオレイアは大きく翼を拡げ、大地を蹴った。
サマーソルト。
身体を縦に旋回させ、その強靭な尾を叩き上げるリオレイア最大の攻撃。
突進を受け止め浮き足立っていたアーシアは、その攻撃すらも盾で受け止めるが、衝撃までは完全に殺すことができない。結果、アーシアの身体は冗談のような軌道を描いて森の深くに吹っ飛んでいった。
「いっ……、つ」
数本の樹木にぶつかりながら密林を跳ね回ったアーシアは、数有る木々の中でも一際大きな樹木にぶつかり、そこでようやく止まった。
「ああ、もう。綺麗な顔が台無しだね」
顔に付いた汚れを拭いながら立ち上がる。
無論、飛竜の攻撃を受けてその程度で済むハズはない。
現に、サマーソルトを含めてリオレイアの攻撃を受け続けたアーシアの左腕は、僅かに痺れてしまっていた。盾での防御はもう出来ないかもしれない。
「あ、れ?」
と、その時アーシアは密林に不自然な色を見つけた。
「カエデさん?」
アーシアがぶつかった大木。そのすぐ側に跪くようにいたのは、女王の初撃をかわして以降、別れたままのカエデであった。
「アーシア、か」
立ち上がりこちらへと顔を向けたカエデは、何故か泥と血に汚れていた。
いや、それよりもむしろ、その瞳はどこか虚ろではないか?
「カエデ、さん?」
アーシアが何かを言おうとした時、轟音を撒き散らしながら女王が突っ込んでくる。
「ゴオォォォオオオオ!!」
「っ!?」
盾を構えようとするが、痺れた腕は咄嗟には上がらない。
直撃を悟ったアーシアの瞳に、紅い影が映り込む。
「退がれ」
短い一言。そして轟音。
ミシリ、と何かが軋むような音を発てて、女王の巨体が止まった。
「カエデさん!」
女王からアーシアを護るように立ち塞がったカエデは、盾で女王の巨体を支えながら、アーシアの後方を指差す。
「川が見えるな?」
「え?」
思わず呆けた声が出た。
飛竜との戦闘の真っ只中で、いったい何を言ってるんだ、この人は。
アーシアの理解が追い付く前に、再びカエデが口を開いた。
「それを上流へ。それでお前が倒れていた場所につく」
そこまでで一旦区切って、カエデはアーシアの顔を見た。
「独りで、行けるな?」
「カエデさんは!?」
反射的に返した言葉に、カエデは一瞬微笑んで、もう一度顔を引き締める。
「闘う理由が出来た。だが、お前まで付き合うことはあるまい」
後顧の憂いを絶つ。
そう言ってリオレイアを押し返したカエデに、アーシアは一瞬だけ思考して────、
「嫌だ、私も闘うよ」
「アーシア」
たしなめるようなカエデの口調に、アーシアは首を振る。
「1人より2人。それに闘う理由なら私にも出来た」
その黒髪に少しだけ触れて、口を開いた。
「前髪、少し焦げた!」