まるで現実味がなかった。
「カエデ、さん?」
足が止まる。
同時に、火竜に吹き飛ばされて転がったカエデの身体も止まった。
うつ伏せに倒れた彼女の表情はわからない。
だが、その身体からは刻々と血が流れ出しているのが見えた。
何か、穴の空いた風船から、空気が漏れていくような。
命が、流れて消えていってしまうような────、
「う、ああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
絶叫する。
尋常ならざる声に、両の火竜はアーシアへと振り返った。
左手。盾を投げ捨て、もう一振りの愛剣・インドラを引き抜き駆け抜ける。
すれ違いざまに、七撃。
水圧と電圧、切れ味鋭い刃が火竜達を蹂躙した。
(私がっ……)
思わぬ連撃に驚いた火竜の顔を蹴り飛ばし、アーシアは跳躍。
逆手に持ち換えた愛剣をその背に、まるで牙のように突き立てた。
(私がっ……!!)
直後、火竜の身体を傷付けるか否かの、絶妙なラインで雌火竜の尾が振るわれた。
大木すら薙ぎ倒す一撃だ。受ける訳にはいかない。
アーシアは火竜の甲殻を蹴って跳躍。尾は何もない空中を薙いだ。
(私がっ、
着地したアーシアに、火竜のアギトが襲いかかる。
「ッ!!」
僅かに身を退き回避。火竜の牙は空を食む。
安堵する間も無く、雌火竜が火竜を飛び越えてアーシアに踊りかかった。
凶悪な風切り音を纏った剛爪。
致命の一撃を前に、差し出すのは命ではなく自身の愛剣だ。
首の皮一枚でインドラとオデッセイによる迎撃────、否。防衛を間に合わせる。
二振りの業物は、その属性によるスパークを撒き散らしながら、雌火竜の爪と拮抗した。
「我は炎」
武器が重圧に耐えきれずに悲鳴をあげる。
「我は翼」
いや、武器以前に、アーシアの両腕が軋みをあげている。
いかなハンターであろうとも、人の身で竜を押し留めるなぞ、土台無理な話なのだ。
「我が意志は大地の怒り」
すぐ近くに雌火竜の頭が、牙がある。
アーシアの身体が徐々に押し込まれはじめる。
「我が故郷は希望の空」
雌火竜の影。その背に回り込むように火竜が上昇した。
そのアギトからは既に灼熱が揺れている。
────眼帯に覆われた右目が僅かに疼いた。
ギリ、とアーシアは歯噛みした。
こうして雌火竜とせめぎあうだけでも、今こうして呼吸しているだけでも、刻々と気を奪われているのがわかる。
それはまるで、毒のように。紛れこんだ異物を排除しようとするかのように。
アーシアはきっと『この世界』と相性が悪い。
それに気付いたのは闘い始めた時で、だから『温存しなくては』と思ったのだ。全力で闘えばきっと、気を使い果たして消えてしまうだろうから。
そんな確信めいた予感が、アーシアにはあった。
「舞い降りよ天の意志」
だが、その保身がカエデをあんな目に遭わせた。
消えたいだなんて思えない。本気で、自分を犠牲にしてまで、出会ったばかりの他人を助けようと思える程のバカでもない。
それは凡そ、人として持ち得る当然の感情。
────それでも、嫌だった。
優しくしてくれた誰かがいなくなるのは。
その誰かを傷付けた何者かに、怒ることだって出来た。
だからアーシアは、彼女の抱いた感情のすべてを以て、全力で仇敵を討つと決めたのだ。
「その力を────」
アーシアを押し潰すべく、女王は羽ばたきながら、その剛爪にさらなる力を込めた。
空の王者は、アーシアを焼き尽くすべく、その身に宿る灼熱を解き放った。
業火と暴風がアーシアへと向かう。
形容し難き熱風圧は、直接触れずとも辺りの物を吹き飛ばしていった。
周囲の樹木。枝葉も、その幹も、そしてアーシアの『眼帯』も。
眼帯の下の右目が曝される。
途端、臨界寸前の灼熱じみた闘気が噴き出す。
火竜達が僅かに怯んだ。
噴き出した闘気だけで熱風がかき消されていく。
それはさながら、薄い色が濃い色に塗り潰されてしまうかのように。
熱風は、新たに生まれた圧倒的な力の奔流に抗えずに消えてゆく。
「────我が身に宿せ」
瞬間、アーシアにのし掛かっていた雌火竜が数メートル以上も吹き飛んだ。
「ゴオォォォオオオオ!!」
アーシアにのし掛かっていた雌火竜がいなくなったことで開けたスペースに、滞空していた火竜が殺到する。
アーシアはそれをチラリとだけ見て────、
「墜ちろ」
一閃。
空の王者は絶叫と共に、地に墜ちた。
「煉獄に墜ちるかどうかは君たちが決めろ。……そう言いたいところだけど」
火竜達が立ち上がる。
リオレウス、リオレイア、そしてアーシアの視線が重なる。そこに込められた絶殺の意志さえも。
「今日ばかりはそうはいかない。君たちは今、ここで潰える」
アーシアの、その豊かな黒髪が炎のように揺らめく。吐息は灼熱を纏ったように熱い。
そして、その華奢な体躯からは想像できないほどの、溢れ出す赤き
激情を宿したその心のまま、唄うように宣言する。
「誓うよ。今宵はどちらも逃がさない」
怒りと灼熱を宿した天使が今、この世界に降臨した。