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眼帯で覆われたアーシアの右目には、強力な竜のエネルギーが封じられている。
降竜儀とは、その右目の力を解放し、身体能力を大幅に向上させる奥義。人の身では再現不可能なほどの、圧倒的な力の解放。まさに竜をその身に降ろす儀式。
故に降竜儀。
今のアーシアは先ほどまでとは別物。彼女の振るえる力の限度は、もはや人間の枠には収まり切らない。
「ギャオオオォォォォォォォォッ!?」
アーシアの背後で、悲痛な声を上げたリオレウスがのたうち回る。
力業で火竜を投げ捨てたアーシアに、正面からリオレイアの突進が迫る。
女王の突進は、密林の樹木を容易くへし折り、吹き飛ばすほどの威力だ。
まともに受ければ致命傷。常人はもちろん、ハンターであったとしても回避を選択する場面。
だが、アーシアは避けるどころか女王の懐深くへと飛び込んだ。
「ライジング……」
迫り来る女王のアギトが、アーシアを噛み千切るために開かれる。
ギラリ、と光る剣山の群れを目前に急停止。そのまま上体を反らし、アーシアはこれを回避。
雌火竜の牙を避け、重力に引かれた身体は、地面へと吸い寄せられる。
その勢いに逆らわず、アーシアは左手を地に着け、代わりに爪先を蹴り上げた。
「……テンペストッ!!」
降竜儀によって溢れ出した闘気を制御し、右足に集中。裂帛の気合いとともに跳ね上げた右足が、膨大な闘気噴射によって加速する。
赤い残像めいた蹴撃は、アーシアの眼前でアギトを開いた女王の下顎をしたたかに打ち抜いた。
「!?!?!?!?」
ガチリ、と無理矢理閉じられたアギトから、くぐもった声が漏れる。
「テンペスト・ツゥッ!!」
衝撃に揺れるリオレイアに、容赦なくもう一撃。
二度目の衝撃でリオレイアの巨体が浮き上がり、そのまま上体を仰け反らせるようにして、陸の女王は仰向けに地面へ倒れ込んだ。
「君は少し喧しいよ。私を見習って、お淑やかになるべきだね」
悲鳴を上げるリオレイアに、煩わしげに声をかける。
果たして、これは人の戦闘か。
生態系のピラミッド、その頂点に君臨する飛竜種。
たしかにハンターとは、その飛竜種を狩るために生まれた職業だ。ハンターの中には、単独で飛竜を相手取り勝利する者も数多くいるだろう。
だが、そのハンターにしてみても飛竜相手に無双できるわけではない。鍛え上げた身体で、積み重ねた経験で、吸収した知識で、武器で、防具で、ありとあらゆる要素を使って、絶対的な力量差を埋めるのだ。
だが、今。今ここで戦うアーシアは、双竜を前にしてあまりに圧倒的で、絶対的な姿であった。
「あんまり時間も無いんだ。このまま一気にカタを着けさせて貰うよ」
冷酷なまでの勝利宣言。
地を蹴ったアーシアが、僅か一足で彼女の持ち得る最高速に達する。
神速。
ふらふらと立ち上がったリオレウスに肉薄し、そのまま刃を振りかざした。
「──────っ!?」
火竜の翼から、頭部から、脚部から血が噴き出す。
今や赤き旋風と化したアーシアは、火竜を一撃しては飛び退きを繰り返した。
瞬く間に血に染まる王者は、果たして自らに何が起きているのか理解していただろうか。
数瞬の後、赤い甲殻を『赤黒く』染め上げた王者が、か細い声とともに地に沈んだ。
「次」
アーシアが言うのと同時、転倒状態にあったリオレイアが起き上がる。
その眼に写るのは怒りか恐怖か。
いずれにせよ、女王がそれ以上暴れることはなかった。
「ォォォ………」
原因は頭部に突き刺さった剣。
音速に達する程の速度で投擲されたそれに反応することすらできず、立ち上がったリオレイアは再び地に倒れ伏した。
それで、終わり。
終わってみれば、アーシアの圧勝であった。
────こんな程度か。……こんな程度だったのか。
それだけを思う。そこに勝利の余韻などなく、あるのはただ虚しさにも似た後悔だけだった。
そのまま
剥ぎ取りも、返り血を拭うのも、剣の回収も、勝利の余韻も、全て後回しだ。今、アーシアがやるべきことはたった一つ。
(カエデさん……!)
アーシアの頭にあるのはそれだけだ。
出会ったばかりの他人。
でも優しかった人。
アーシアを庇って、血の海に沈んだ彼女。
どうして彼女はアーシアを庇ったのだろうか?
どうしてアーシアは最初から全力で戦わなかったのだろうか?
どうして強襲するリオレウスに気付けなかったのだろうか?
どうして。
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして?
その疑問だけが脳内で残響する。
アーシアは後悔していたのだ。もはや混乱していたと言ってもいい。
もし仮に、アーシアを庇ったのがロイドだったのなら、アーシアはここまで心乱されはしなかっただろう。
つまるところ、『出会ったばかりの他人』に命をかけて助けられた、この状況に混乱していたのかも知れない。
もっとも、もし逆の立場だったなら、アーシアもカエデと同じ行動に出ていただろうが、それは今は棚上げしておく。
とにもかくにも、アーシアは混乱のままカエデの下に走った。
戦いに巻き込まないように距離を離したとは言え、今のアーシアなら一息で戻れる距離である。
数分とかからずカエデの倒れた場所に辿り着ける。辿り着いて、治療できる。
────そのハズであった。
「っ!?」
唐突に感じた背後からの殺気に、アーシアは足を止めた。
振り返って対象を視認する。────その直前にアーシアの身体は炎に包まれていた。
反射的に腕で顔を被う。
炎が、熱が、アーシアの肌を、髪を焼いていく。
「あつ……」
灼熱にまみれた身体を地べたに転がせて、消火を試みる。
火竜とフルフレアの素材を使った装備は熱に強い。
加えて降竜儀を解くことを忘れる程、混乱していた思考が、結果的にアーシアを救った。
溢れ出る程の闘気は炎によるダメージを軽減し、限界以上に向上した自然治癒力は、焼けただれた皮膚を壊死したそばから治していく。
程無くして立ち上がったアーシアは、加害者を見つめて絶句した。
「!」
倒したハズの火竜達が立ち上がり、憎悪の宿る瞳でアーシアを見つめていたのだ。
(浅かった……!?)
そう思考しかけて
火竜の腱は確実に断った。雌火竜に至っては頭部を撃ち抜いた。
火竜はともかく、雌火竜は致命傷である。
「これは……、まずい、かな?」
アーシアの頬を脂汗が伝った。
火傷は既に癒え、アーシアの身体は傷一つない状態に戻ってはいたものの、それは表面上のものである。
降竜儀はその膨大な戦闘力に比例するように、消費体力も多い。
加えて、降竜儀を発動させてから、世界との摩擦とも言えるこの違和感は強くなっている。
アーシアのスタミナは既に限界寸前だったのだ。
さらに、アーシアが今見ているその目の前で、火竜達の身体は再生を始めた。
まるで何かの冗談のように、血が止まり、傷が癒える。
「超回復とか、笑えないよ……」
それでも────否、それなら今度は首を落とす。
そう決めて、オデッセイを握る右手に力を込める。
有り得ざる回復力を持っていようが、こちらの限界が近かろうが、殺らなきゃ殺られる状況に違いはない。そも、この竜達は絶殺すると誓った。
なのに────、
「ウソ、でしょ……」
────そう、なのに。今度こそアーシアの心は折れるかと思った。
愕然としたアーシアを余所に、火竜達の変化は続いていく。
傷の再生だけならまだいい。
だが────、だが! 恐るべきは『体色の変化』が起きていること!
立て続けに起きる、本来なら有り得ない状況を、アーシアは既に
だからこそ、その絶望は通常の比ではなかった。
『ガァァァァァァァァァァァァアッ!!』
火竜達の咆哮に大地が震える。そしてアーシアの心も。
────かつて、アーシアは『シルバーソル』と呼ばれる火竜と戦ったことがある。
あまりに圧倒的な力を持っていた銀の火竜は、アーシア達との死闘の末、ロイドの手によって地に沈んだ。
アーシアが知りうる限り、アレに匹敵する飛竜を彼女は一頭しか知らない。
そして、そのシルバーソルは最初からシルバーソルだった訳ではない。
蒼から銀へ。リオソウルからシルバーソルへ、アーシア達の目の前で変容し、変質したのだ。
ちょうど、今、この時と同じように。
「兄弟でもいたのかな……?」
アーシアの軽口にも覇気がない。
何せロイドやルトガーがいたあの時と違って、今回は『二対一』だ。
それも────、
「けど、どっちの兄弟だろう?」
そう、火竜も雌火竜も、銀色や金色にはならなかった。だからと言って、蒼色でも桜色でもない。
彼らの変化は、凡そ火竜の体色としては有り得ない色。
それは絶望を落とした黒色。
混沌の写し身、『リオカオス』。
圧倒的だったシルバーソルに匹敵する力を持った、黒火竜。
その両方の力を、アーシアは身をもって知っていた。
だからこその絶望が、アーシアを襲う。
「笑えないよ、ホントに……、笑えない」
それでもアーシアは立ち向かう。
勝ち目の有る無しではなく、ただ生き延びる為に、絶望に挑みかかった。
※このお話を書き終わった直後、フロンティアの方で本当に黒いリオレイアが出たと聞いて、『銀色の月』で黒火竜を登場させてたカナブンさんは予知能力かなにか持っているのか、と思った記憶があります。