「それにしても……」
「あん?」
「よく話ながら運べるものだな」
アルのやや前を歩く楓は、わざわざ振り返るとアルの持っている物を指さした。
両手で抱えるようにしなければ持てない程のサイズ。
絶えず独特の匂いが漂ってくる楕円形の物体。
飛竜の卵である。
ぶっちゃけると、アル達は二つ目の卵を首尾良く手に入れた。
現在はベースキャンプに向けて絶賛移動中である。
「いやいや、普通だろ。ちょっと喋ったくらいで落としゃしねえよ」
「…………、心なしか一度目よりも移動速度が上がっていないか?」
あ、誤魔化した。ってことは楓はちょっとでも集中を乱されると、卵割るのかー。
なんてどうでもいい事実に気付いて、しかしアルは楓の質問にちゃんと答える。
「そりゃ一度往復した道だし、道順くらい覚えてるって。それに、さっき肉獲りに出た時に歩き回ったお陰で、歩き易い所はちゃんと確認出来たしな」
言いながら、アルは足下の木の根を軽く避けた。
卵を抱えたままでは足下なんて見えないが、そこはそれ。一度歩いた道なら、どこに転びそうな物があるか、なんて覚えていて当然だし、ちょっと視野を広めに持てば、障害物の有無だって事前に察知できる。
障害物がある、と認識さえできていれば、それが足下にきたと思ったタイミングで避けることくらいは簡単だ。
「とんでもない奴だな……」
「何が?」
思わず、と言った感じの呟きに首を傾げる。
とんでもない奴ってのは楓の為にこそあるような言葉だ。と思ったから聞き返したのだが、なんだか絶妙な顔をされて誤魔化されてしまった。
とか何とかやってる内に、アル達は歩いていたエリアの端まで辿り着いた。
狭い林道を抜けた先は、ブルファンゴの棲みかになっていたハズだ。
「私が先行しよう。少し待っていてくれ」
「りょーかい。気ぃつけてな」
「ああ」
障害になりそうな連中は、一つ目の卵を運んだ時に粗方片付けたのだが、念には念を。ということだろう。
いないならいないで良し。いたのなら、楓が一掃してから進むべきだ。
(でも、待ってるだけって何か嫌なんだよなぁ)
退屈だし。
卵は重いし。
何より自分の知らない所で彼女に怪我でもされたら──、
「……ないな」
ダメだ。
彼女がブルファンゴに後れを取るなんて想像もつかない。
という結論を出して、アルの思考は『暇だー』に戻った。
(いっそ、何か面白いこと起きねえかな)
そう思って見上げた空は蒼く澄みきって、雲一つない空というのはこういうものだな、と感心する。
そう、雲一つなかったのだ。
なのに突然、アルの頭上に影が落ちたのは、不自然な風が吹いたせいで木々が揺れたせいだろう。
実際、風が吹き抜けると同時に影は消えた。
そうして、その代わりとばかりに、ズシンという地面が揺れる音。
その音に凍りつく。
──何故?
決して振り返ってはいけない。
──何故?
だが振り返らずにはいられない。
──何故?
わかる。
背中越しでも感じる圧倒的な威圧感。
すぐそこに『それ』の息遣いを感じる圧倒的な存在感。
振り返ったが最後、きっと理性を保てないだろう、そんな存在が後ろにいる。
だがそれでも、『それ』の存在を確認しなければ、死ぬしかないだろうこともわかる。
アルは、ろくに言うことを利かない体を反転させて『それ』を見た。
(……っ、冗談じゃねえぞ)
金の双眸。
赤い甲殻。
巨大な体躯。それに似合った長大な翼。
挑むことすら許されない、圧倒的な存在感。
人間なぞ一息で飲み込めそうな口元からは、一瞬で人間を消し炭に出来る炎が燃えて。
「ゴアアァァァァァァァアアア!!!!」
そうして解放された、圧倒的な殺意。
認識する。
アレには勝てない、と。
そして、アレに知覚された以上、死ぬしかないだろうことも。
「あ」
それでも、凍ってしまったように動かなかった足は自然と後退りを始めていて──、
「うわぁぁぁぁあああっ!?」
直後、アルは絶叫しながら逃げ出した。
絶叫し疾走する。
視界は涙で滲み、逸る気持ちは足下を確かめる余裕を無くす。
極端に狭くなった視界で、しかし全力疾走をやめることは出来なかった。
(死にたくない)
背後からは、圧倒的な存在感。
その巨体には辛いであろう狭い林道にあって、彼の者の疾走もまた止まらない。
否。
視界にかかる木立を吹き飛ばし、圧倒的な威力で大地を蹂躙するそれは、もはや『疾走』ではなく『爆走』であった。
(死にたくない!)
アルと飛竜とでは歩幅が絶対的に違う。
まともに逃げても簡単に追い付かれるだけだろう。
(死にたくないっ!!)
だが、恐慌するアルに思考する余裕はない。
そもそもこの林道は一直線。
追われて逃げるには、バカ正直に走るしかないのだ。
息が上がる。
脚がもつれる。
早鐘をうつ心臓は、疾走と恐怖とで破裂寸前だ。
林道の出口はまだなのか。
楓と分かれた地点は、既にこのエリアの端だったハズだ。
にも拘わらず、林道の出口までがあまりにも遠い。
滲む視界。その中での目視が間違っていなければ、出口まで凡そ十メートル程。
そしてその十メートルの距離を走りきる前に、アルは蹂躙されるだろう。
飛竜の息遣いをすぐ側に感じた気がした。
死ぬ。
せめてこの脚がもう少し速ければ、林道を抜け出せただろうに。アルは、自身の脆弱な足腰を呪った。
「ガアアァァァァァァァァ!!」
飛竜の咆哮が迫る。
それは死の気配に等しい。
そうして思った。
“だが、果たして林道を抜け出したところで何だというのか”
林道を抜けても飛竜の爆走は止まらないだろう。
そしていつか追い付かれ蹂躙される。
(はっ…………なんだよそりゃあ)
結局、遅いか早いかの違い。
自分ではここが限界だったのだと、唐突に悟った。
だが恐怖は消えない。
諦めにも似た感情の中、アルの心は恐怖に揺さぶられ続けて──、
──不意に、滲む視界に鮮烈な紅を捉えた。
「そのまま、真っ直ぐ────」
紅いモノがこちらへ近付きながら、何事かを叫んでいる。
耳を傾けている余裕などない。
だがしかし、意識せずともその声は、不思議とアルの中に響いた。
「────振り返らずに走り続けろ!!」
是非もない。
走り続けなければ、死は一瞬の後だ。
互いが互いの側に走りより、交錯する。
すれ違い様に、それは何かを投擲した。
直後、アルの影が一気に伸びる。
何が起きたのかを確認する余裕はない。
「ギャオオォォォォッ!?」
飛竜の呻き声とともに、殺意の塊だったそれが離れていくのを感じた。
「行け」
離れた殺意の代わりにかけられる声。
暖かなそれに背を押されるように、アルは林道を抜け出した。