「おはよう、櫛田さん」
可愛らしい寝癖をつけてベットから顔を上げた櫛田は朝ごはんを作る俺をじっと見た。
それから少し間が空いて、機嫌が悪そうにおはようと答えてくれる。
それは、裏の顔を彼氏に見られてしまったからか、それとも一夜を共にしたからか。どちらにせよ、なんにせよ、気まずさを覚えているのには違いないだろう。
「朝ごはんは和食派?洋食派?ちなみ今日は洋食だよ。スープがあるから、お腹があまり空いていないならスープだけでも食べてよ」
櫛田はまだ俺をじっと見ていた。その様子はどこか上の空で、俺の話は聞いていなさそうだ。
「切り替えるから待って」
櫛田は突然こんなことをいう。
今更取り繕おうとも、それが無意味だと彼女が一番わかっているはず。
ふぅーと息を吐いて切り替えようとしている櫛田に向かって俺はこう言った。
「俺はどんな櫛田さんでも好きだから、無理に演じなくていいよ。楽にして」
俺はそれからテーブルの上に朝ごはんを置いた。カーペットの上に腰を下ろせば、合わせて櫛田も腰を下ろす。2人分並べられた料理に反応してくれたのだろう。
「和食派」
「へえ?それは正直意外だな」
「でも基本朝ごはんは食べないかな。別にお腹空かないから」
「本当?じゃあ無理して食べなくていいからね」
「今日が休みでよかったあ。獅峯くん謝ってよ」
「ごめんね。今日はゆっくり過ごしたほうがいいかも」
櫛田の態度は淡白で一見冷たい。けれどこれは信頼なのだろう。だってもう取り繕おうとしていない。それを思えば、今の彼女の態度はツンデレのツンだ。可愛いな。
「俺のこと、獅峯じゃなくて、名前で呼んでくれないの?」
「アンタだって櫛田さんじゃん」
ちぎったトーストをコーンスープにつけてパクリ。これ美味しい、なんて言って少し頰を緩めた櫛田は少しずついつもの調子を取り戻す。桔梗ちゃんと呼べば、小悪魔のように笑って、なあに帝くんと返事をくれた。
「これからはストレス溜めないで、俺に全部吐き出してもらっていいからね。俺に対するストレスでも。桔梗ちゃん強かでしょ?遠慮とかなく本人にも言えるタイプ」
「確かにそうかも。でも、言われすぎて落ち込まない?誰からも好かれてる人気者の帝くんは、不満を言われるの慣れてなくて病んじゃうよ」
落ち込まないよと俺が笑ってそう言えば、じゃあまずはー、と考える素振りをして笑顔を溢した。
彼氏に対する彼女のありきたりな不満から始まって、そこから怒りを思い出したのか愚痴が始まって。そして最終的に行き着くのは彼女の不満のダムを崩壊させた清隆の話。
「ねえ、綾小路と仲良くしないで」
「因みに、どうして?」
「私が嫌いだから」
「桔梗ちゃんってあんまり欲張りじゃないよね。俺なら嫌いな人を退学させてっていうのになあ」
「……できるの?っていうか、望んだら叶えてくれるの?」
パンを食べていた櫛田の手が止まった。驚いたように目を見開いてこっちを見ている。
「言ったでしょ。君の願いは全て叶えるって」
櫛田には悪魔の囁きに聞こえただろうか。それとも天からの救いに感じただろうか。
「なら、綾小路と堀北を退学させてって言ったら叶えてくれる?」
「それが桔梗ちゃんの願いなら、もちろん」
「本当に?」
「うん、本当」
俺がその願いを実現できるだけの実力があると、確信しているのだろう。ありがとう、と言った声は心からの声で、隠しきれない喜びが、櫛田の表情に出ていた。小悪魔だなあ、本当に。
堀北とは堀北鈴音だろう。彼女の退学について願うのは予想外だったがまあいい。俺のプランには支障が出ない程度の誤差だ。
それから櫛田も喜びが少し落ち着いて、ある疑問が浮かんだのだろう。今度は疑わしいものを見るような目をして俺を見ている。見つめ返せば問いが飛んできた。
「帝くんって綾小路と仲良いんじゃないの?」
「まあ、友達ではあるよ。仲も綾小路からしたら上から数えた方が早いくらいにはいいんじゃないかな」
「どういう精神してんの?彼女が友達の退学を望んだからってそれを叶えようって普通はならないと思うけど。普通は精々、友情を捨てて関わりをなくすとか、彼女を必死に宥めるとかじゃない?」
普通ならそうだろう。俺と清隆の間にある友情が、ありきたりで、ごくありふれた普通の友情であるならきっとそうだ。
けれどそうじゃない。俺と清隆はそんな関係ではない。俺たちの間には当たり前に殺意が飛び交っている。それが俺たちの当たり前なのだが、決して普通ではないのだろう。
俺が答えずにいると、もう一度櫛田が問いかけた。
「帝くんにとってアイツって何?」
友達、とか。そういう答えを待っているわけじゃない気がした。そうだなあ、と口から溢して何が適切かを考える。
「俺にとっての『勇者』かな。アイツは」
意味深な俺の言葉を櫛田はスルーした。考えても分からないと思ったのだろうか。
うん、気にしなくていい。特に深い意味なんてないんだから。
「そうだ。2人の退学に尽力するけど、桔梗ちゃんの力も借りていいかな。『クラス同士の争いに関わるような情報は言わない』っていう約束だったけど、それを反故してほしい。もちろん表向きには今まで通りだけどね」
これは、付き合ってすぐに決めた約束だ。クラス同士が競い合うこの学校に置いて、弊害なく付き合う為には必要なルールだっただろう。
しかしそんなのは結局、表の良い顔の時に作ったものだ。
櫛田がこの提案にノーを出すわけがない。
「全然いいけど、あからさまにDクラスが負けるような状況になったら流石に疑われるかもよ?私や帝くんに対して信頼が厚かったとしても、余裕のない状況になったら、そんな信頼すぐに疑いに変わるんだから」
「大丈夫だよ。俺の目的は桔梗ちゃんの願いを叶えること。つまり2人の退学。Dクラスを負けさせることじゃないからね」
「ふーん、まあなんでもいいけど」
退学させる、と簡単に言ったが容易に叶えられることではないだろう。それに、自ら行動を起こすならもう少しだけこの学校に詳しくなっておきたい。時間はかかるかもしれないよ、と一応伝えておいた。
「朝ごはん食べたらこの後どうする?解散かな」
俺の質問に答える前に、櫛田は最後のパンを口に放り込んだ。短い咀嚼を終えてから、櫛田はよしっと高い声色で言った。
「今日はデートしよっ!」
天真爛漫で底抜けに明るい笑顔もまた、ちゃんと彼女の一部なんだと知った。この笑顔の方が見慣れている。
窓の外を見ればジリジリと夏を感じる天気が見えた。
そういえば、もうすぐ夏休みだ。
◆◆◆
肌が焼かれている感覚がする。恨めしく思い空を睨めばまさに快晴。雲ひとつない夏空が広がっていた。
時間とは本当にあっという間に過ぎていくもので、夏休みが始まった。今日までの俺の夏休みは特にこれと言って変わった事はない。友人や彼女と遊んだり、勉学に励んだり。時には図書館に赴いて読書をしたり、運動もしたり。
しかし、特別変わった出来事のない夏休みはここまでだ。そろそろ約束の時間になる。
「待たせたな」
そう言って現れたのは、生徒会長堀北学と生徒会書記の橘茜。
「まだ約束の時間になってませんし、俺が早くきただけですから」
待ち合わせの定型文を言いながら俺は二人を見た。
しかし、まさか橘がいるとは思わなかったな。書記がいると事前に聞いていないんだが。まあ居ることに問題があるというわけではないけど。
「ところで、制服で来いって指定した理由は?橘先輩もいるってことは生徒会関係なんでしょうけど。俺は生徒会に入らないって言いましたよ」
そう、夏休みに入ってすぐのこと。堀北学は『付き合え』の一文と共に今日の日付と約束の時間と場所を送りつけてきたのだ。
本当に迷惑極まりない。相手が会長という立場から無碍にはできないし、それをわかって送ってきているだろうことがまた腹立つ。
「そうです会長。私も彼がいるなんて聞いてませんよ?たしか、獅峯帝くんでしたっけ?」
「道中説明しよう」
不満そうに可愛くプンプンした橘に俺は自己紹介をすることにした。獅峯帝ですといえば彼女も橘ですと返してくれる。いい人だ。
堀北学が集合場所に指定した場所は校門前のバス停だった。利用する生徒はほとんどいないだろう。あるとすれば、部活動関連で外へ行く場合くらいだ。
「まさかですけど、何処か行くんですか」
これで外に出れてしまうなら、ルールの穴どころの話じゃない。俺の言葉は当たり前のように無視されて、それを気にした橘が教えてくれた。
「生徒会の仕事の中に、各部活動の部費配布に伴って部活動を見学するっていうのがあるんです。今日はそれでバスケ部とサッカー部の試合を見に行きます。会長自らが大会に赴くことは珍しいんですけどね」
「へぇ。でも俺は生徒会に所属してないですよ。これはやばいんじゃ」
「申請が通れば誰でも出れますよ。まあ、よっぽどなことがない限りは申請は通らないし、申請することもできないですけど」
おいおい、俺の申請はどうやって通ったんだ。怖いなこの生徒会長。
「生徒会活動の見学で申請を通した。頭に入れておけ」
「まじですか」
それで許可出した学校も学校だな。ほんとやばい権力持ってるよ生徒会長。
こうして、俺はバスケの大会が行われるという体育館へ向かうバスに乗った。
堀北学は約束通り、バスに乗ってから今回の件の説明をはじめる。
「獅峯を呼んだ理由は特にない。ただ、生徒会の立場を体験してもらおうと思ってな。今期の生徒会は、ある意味では教師と同等かそれ以上の地位がある」
「まあ、それはもうなんとなくわかりますよ」
じゃなきゃこんな横暴なことは出来ないだろう。問題はだからなんだという話だ。
本当に特にないのか?暇なのか、生徒会長。
そうして会場につき、応援席へ向かう。会場にはチアダンス部や吹奏楽部も来ていた。それなりに大きい大会らしい。
それからすぐ試合が始まる。見知った人が居ないかと探してみれば、高育のベンチには須藤が座っていた。一年生で唯一ユニフォームを着ているところを見れば、彼が本当にバスケが上手いことがわかる。
「お前はスポーツも得意らしいな。どうだ、この試合は」
飽きてきたのか、堀北学はそう俺に言った。
別に特別得意というわけじゃない。そもそも俺は苦手なことが少ないし。けどまあ、チームスポーツは好きかな。多分それはホワイトルームで学べなかった反動だ。
「俺の方が上手ですね」
「わあ、すごい自信ですね。彼ら結構上手ですよ?」
橘が俺の発言にドン引きするが、事実なので仕方がない。過剰な自信は身を滅ぼすが、適度な自信を持つことは大切だ。俺の発言は事実だしいいんじゃないかな。
まあ、この中に飛び入り参加して大活躍できるかと言われれば難しいかもしれないけど。結局バスケはチームでやるスポーツだからな。
堀北学は俺の発言にそうか、と一言呟いて終わった。それだけかよ。
そしてバスケ部の試合が終わった。
「俺、知り合いに挨拶してきていいですか?」
「俺たちは門で待ってるぞ」
「はーい」
俺は観客席から下に降りて、バスケ部の集まっているところに向かう。途中小宮や近藤とすれ違ったが手を振るだけでスルーした。俺は須藤に喋りかけたい。
「や、須藤くん。久しぶりだね」
「……あ?てめえはAクラスの……」
「獅峯帝だよ。いい試合だったね」
もちろん本音だ。今回の試合は高育の惜敗に終わったが、勝敗を分けたのは運だった。勝敗が全てとは言え、高育のほうがいいチームだと思った。当然贔屓目なしで。
須藤は後半に少しだけ試合に出ていた。彼はかなり活躍していて、彼をもっと早く出場させていたら勝敗は違ったかもしれない。
「はっ。馬鹿にしに来たのか?疲れてんだ、どっか行け」
「いいや、謝りに来たんだよ。君のことを何もできない無能だと俺は思っていたんだけどね。須藤くんはバスケがすごく上手だった。多少自分の力を過信しすぎなところはあるけれど、特に相手へのプレッシャーの速さと速攻までの判断力はピカイチだね」
俺がそれを伝えると須藤は驚いたように目を見開いて、そのあと少しだけ笑った。
「意外と分かってんじゃねえか。ま、俺なんてまだまだだけどな」
「試合を見てバスケがしたくなったよ。どこかで遊びに行かない?バスケ付き合ってくれよ」
「いいぜ、付き合ってやる。お前バスケできんのか?」
笑いながらそう問う須藤に俺は普通だよ、と答えながらスマホを取り出した。連絡先を交換したいという意図に気づいた須藤はちょっと待ってろとスマホを取りに行く。
ここで須藤健と仲良くなっておくことは悪いことじゃない。むしろ、メリットばかりだろう。いい機会だった。
それから須藤と連絡先を交換して俺は堀北学たちの待つ門へ向かう。
長かったな、という小言をもらって次はサッカー部の試合を見に行った。
サッカー部の試合も特に何かあるわけでもなく終わった。強いて言えばベンチには一年生の平田洋介と柴田颯がいたことか。
バスケでは須藤、サッカーではその二人だけがベンチ入りしていたところを見れば、スポーツの世界は中々厳しいことが分かる。
今回は平田や柴田と接触することはやめ、こうして今日は解散となった。
バスから降りて俺は校門の前に立つ。二人は一度生徒会室に戻るらしい。俺は堀北学に問いかけた。
「結局貴方は何が言いたかったんですか」
一応、もう一度聞いてみた。教えてくれるとは思えないし、きっと教えることもないんだろう。
「今回得た知識はお前が好きに使うといい」
「……優しいなあ、会長は」
二人にばいばいと手を振って、俺は帰路についた。
堀北学の利用価値は高い。俺の想像通り、いや、想像以上の手の回しようだ。当然、利用させてもらおう。
まあ、利用できるように俺が堀北学を誘導したとも言える。それを堀北学も承知の上で動いた。
全ては予定通りというわけだ。
『獅峯帝の予定』
①櫛田桔梗に綾小路清隆の退学を望ませる。
②堀北学を利用する土台作り
②堀北学視点。堀北学は南雲雅を警戒していて、同時に警戒している獅峯帝が南雲雅に借りがある状況を知る。現在の状況は危険なので、自分も獅峯帝に借りを作りたい。
そこで生徒会の利用価値、もとい生徒会長の利用価値を証明した。
②獅峯帝視点。堀北学の利用価値に気づいていた。利用したいから、南雲雅を危険視する堀北学に南雲に借りがあることを伝える。そして、堀北学が自分を利用させて借りを作りたいと思わせた。
『余談』
獅峯帝は夏の制服の暑さに耐えれず、夏服を買うことを決意したらしい。