特別試験6日目。雲が分厚く覆った空を見れば、この試験を簡単には終わらせないぞという意志を感じる。
早くに目覚めたオレは、焚き火跡の前に腰を下ろして時間を潰すことにした。腕時計を確認してみれば6時半。そろそろ、みんなが起き出してくる時間だ。
それから少し時間が経って、堀北がテントから顔を出した。堀北の顔は昨日に比べて顔色が悪く、体調の悪化以上の何かを思わせるほどだった。
辺りを見回した堀北と目があって、オレの元まで寄ってくる。
「おはよう綾小路くん」
「おはよう堀北。大丈夫か?顔色が悪いぞ」
「そうね、大丈夫じゃないかも知れない。少し顔を貸してもらえる?」
只事じゃないのを察して、返事をすることなく堀北の後に続いた。堀北はベースキャンプから少しだけ離れた木々の陰で止まる。
「どうした堀北。らしくない」
「……これは私のミス。馬鹿にしてくれても構わないし、叱責も甘んじて受け入れる。ただ、話せる人があなたしか思いつかなかったの」
木の背と俯いた姿勢から顔に影を落とした堀北が、こちらの様子を伺う様に視線を向けた。
「何があったんだ。力にはなれるかは分からないが、話を聞くことくらいはできる」
「……無くしたの」
「無くした?」
「無くなった。消えたようにしか思えないけれど、間違いなく私のミスだわ」
訴えるような視線で、ゆっくりと続きを語った。
「……キーカードを無くしたのよ」
「キーカードを無くした?……にわかには信じられないな。よりにもよって堀北がか?冗談ならやめてくれ」
「私も冗談でありたかったわ。事実なのよ、朝起きたらポケットに入れていたはずのキーカードがなくなっていた。寝てる間に何処かへいってしまったのかと思ってテントの中を探してみたけど見つからなかったわ」
堀北はキーカードを紛失したという事実に相当参っているようだった。表情は体調不良を抜きにしても相当悪いのだろう。
「間違いなく最後にあったのはいつだ?」
「間違いないのは夜に川の占有権を更新した時。でも、確かじゃないけれど寝る前にあることを確認したわ。目で見て確かめたわけじゃないけど、寝る前にもあった」
「そうか。確かに堀北が無くしたかもしれない。だがオレは、誰かがキーカードを盗んだという可能性を考えてもいいと思う。そうなったら一番怪しいのは同じテントの生徒だな」
キーカードがテントに落ちていない。加えて、拾って堀北に手渡すような生徒も今の所いない。
「そんなの……メリットがないわ」
「なら嫌がらせかもしれないな。特別試験のルールを考慮した上で唯一メリットがあるのは伊吹くらいだが」
「確かに伊吹さんとは同じテントよ。でも私と伊吹さんは一番遠い位置で寝ている。私が一番奥で伊吹さんは一番手前、盗むのは簡単じゃないわ」
伊吹を怪しむオレの意見を疑うようにまた言葉が続いた。
「そもそも彼女は龍園くんにクラスを追い出されている。クラスに貢献することがメリットとは思えないわ」
「前提が間違ってる可能性を考えたか?一つの視点で物事を見ると死角が多いぞ」
「どういう意味?」
オレの発言の意味を問いかけるが、オレが答えるより早く新たな来客が訪れた。
特別試験は間も無く終了する。ここからは手順を間違えることはできないな。背後からの人の気配を感じながらオレはそう思った。
「あっ、堀北さんいた!————お邪魔しちゃったかな?」
「櫛田さん……」
オレ達が歩いてきた道からひょっこりと櫛田が顔を出す。いつも通りの櫛田だ。
堀北を探していたようだが、森に入ったオレと堀北を探すのは至難の業だろう。最初から堀北の姿を目で追っていたのかもしれない。
「何か用かしら」
表情を取り繕った堀北がそう言うが、櫛田にはあまり意味はなさそうだった。
堀北の様子をそこまで気にした素振りを見せなかった櫛田は、オレを見て申し訳なさそうに眉を寄せる。オレは邪魔というわけか。
「少し二人で話せないかな?」
「申し訳ないけれど、ここで話してもらえる?」
櫛田を警戒するように堀北はそう言った。
キーカードが盗まれていた場合怪しいのは当然同じテントの生徒。櫛田もそうなのだろう。あからさまな様子を見るに、もしかしたら堀北の隣で寝ていたのは櫛田かもしれない。
提案を断られた櫛田はまたオレを一目してから話し始めた。
「実はね、伊吹さんからこれをもらったの」
そう言って櫛田がポケットから取り出したのは堀北の名前が彫られたキーカード。伊吹が落ちていたキーカードを拾った?いや、問題はそこじゃない。
「伊吹さんが拾ったの?」
「そうみたい。でもね、伊吹さんが言ってたのは『カードに誰の名前があったかは見てない。信用できないかもしれないけど、リーダーを見たとしても誰かに話したりするつもりもない。念の為に言っておく』だって」
櫛田のその言葉を聞いて堀北は眉を寄せた。信用できるか、できないか。伊吹がCクラスということを考えれば信用しない方がいいのは間違いない。
「伊吹さんは龍園くんにクラスを追い出されている。伊吹さんの言ったことは事実かもしれない」
「そうだよね」
「けれど信用はできないわ。……キーカードを落としたのは私の責任。私が試験終了まで伊吹さんを監視する」
それが堀北の出した結論のようだ。それを聞いた櫛田は笑顔で頷いた。
「うん!私も手伝うよ。もちろん、伊吹さんには気づかれないようにね。何か伊吹さんが怪しそうな行動をとってたら堀北さんに伝える」
「オレも手を貸す。目の届く範囲で伊吹を行動を気にするようにしよう」
「ごめんなさい、ありがとう。助かるわ」
疑問は多く残るが目先の問題は解決したと思っていいだろう。伊吹の行動も気にかけるつもりだが、櫛田の動きにも注目するようにしよう。
きっと、帝との再会はもうすぐだ。
◆◆◆
人間が手を加えられない事象の中で、俺が最も利用することの多いものは天気だ。
今でこそ科学的根拠に基づいて推測なんてされてるが、結局コントロールすることは未だできていない。
天気は神が操るものだという逸話を辿れば紀元前まで遡る。それ程までに天気とは遥か昔から人智を超えた存在だった。
ま、そんなことはどうでもいい。
俺と葛城は洞窟から顔を出して空を見上げた。
「わあ、見事なまでの曇り空だね」
「そうだな。思ったより早く雨が降るのかもしれない」
特別試験6日目の朝はどんよりとした最悪な天気だ。でも案外、雨を降らすぞーなんて感じで事前予告してくれるあたり、曇り空はそれなりに優しいのかもしれない。
俺は葛城の方を向いて今日の方針を話すことにした。
「栄養食の数も足りてる。試験は7日間だけど、最終日は正午までだしね。殆ど今日が最終日みたいなものだよ。今日はみんな自由行動でいいんじゃないかな」
勿論それは、俺と共にスポットを巡らないといけない特殊部隊を除いて、の話になるけれど。でも彼らに自由時間がないわけじゃない。むしろ大半の時間は自由に当てられるだろう。俺たちAクラスが占有するスポットは多いとはいえ、全て回るのに2時間もかからない。
「そうだな。異論はない」
なら俺は何をして時間を潰そうかな。やりたい事は特にない。んー、そうだ。
俺は葛城をおいて、洞窟の中へ戻る。そして、退屈そうに神室とお喋りをしている坂柳の近くへ寄った。
「思い出作りはできた?坂柳さん」
「自分なりに有意義に過ごせたと思いますよ。どうかしましたか?」
そう問いかける坂柳に、んー、と笑いながら誘い文句を考える。彼女が惹かれる言葉はどんなのだろうか。
やっぱりストレートに伝えればいいか。
「……海で遊ばない?」
「獅峯くんが遊んでいる様子を見るだけなら、ここで神室さんとお喋りをしている方が有意義ですよ」
「ちがうちがう。俺が支えるからさ、ちょっとだけ海に足入れてみようよ。いい思い出になりそうじゃねえ?」
「……ちょっとだけ惹かれてしまうのが、悔しいですね」
つまり、遊びたいってことだ。
俺はガッツポーズを作って笑う。
「よっしゃ、決定ね。スポット巡りが終わったら、海いこーね」
「ええ、待ってますね」
これで今日の遊び相手は確保完了だ。
とりあえず、やるべき事を済ませてしまおう。
◆◆◆
特別試験3日目。
砂浜にしゃがみ込んで、大阪城を作る手を止めないまま帝くんは頼み事の全貌を語る。器用だなあと思う反面、それが人に頼み事をする態度かな?って思ったり。まあでも、作業に取り組む帝くんの表情があまりにも活き活きとしてるから、今回だけは特別に許そう。
「理由は深くは聞かないけど、伊吹さんに誰がリーダーか伝えればいいんだよね。どうやればいい?その方法を教えてよ」
私が問いかけるが、帝くんは、んー、と曖昧に返事をしただけ。それからこちらを向いてニコリと笑った。
「それは桔梗ちゃんに任せるよ。君は変に指示をされるより自分で臨機応変に動く方が得意そうだし」
「ふーん?じゃあそうするけど、文句言わないでね?」
「当たり前だよ」
意図はさっぱり分からないけど、試験が終わったら教えてくれると約束してくれた。なら今は指示に従うだけだ。
「伊吹さんにDクラスのリーダーを伝えたら、今度は堀北さんにリーダーだとバレている事を伝えるんだ。『ねえ堀北さんっ、伊吹さんに堀北さんがリーダーだってバレちゃってるみたい!』ってね」
「裏声上手だね。ほんと多彩だなあ」
「はははっ、ありがとう。念の為聞くけど、上手くやれそうかな」
舐められている、というよりは純粋な心配を感じた。けど問題ないだろう。私なら上手くやれる、そんな自信があった。
つまり、伊吹に堀北がリーダーだと伝える。堀北に伊吹がリーダーが堀北だと気づいたことを伝える。それだけだ。
結果論の違和感は、演技力とありえる状況を作り出せば無くなる。
「次にやって欲しいのは、伊吹さんがDクラスのベースキャンプから逃げ出す隙を作ること。雨が降り出しそうなタイミングでその隙を作って欲しい」
「ふーん?今の話を聞く感じ、結構流れは決まってるんだね」
「……そうだね。でも、ある程度のアクシデントなら無問題だよ。ポイントは今の3つね。伊吹さんに伝える。堀北さんに伝える。伊吹さんが逃げれるようにする」
「ちなみに、どうやって隙を作ればいい?このくらいアドバイスくれてもいいと思うな」
「んー、そうだね。じゃあ——————」
私の目標のためには、私が手伝うことなんて当たり前。けれど流石に扱いが雑じゃないかな?そんなことを思った私は少しいじわるをすることを決めた。
「わかったよ。……上手くやれなかったら怒る?」
帝くんに冗談で可愛く言ってみたら、彼は私の頭を軽く叩いた。痛くはないけど非常に不愉快。けれど、へにゃりと笑いながらそんなことされれば、不快感はすぅーといなくなる。不思議なものだ。
「怒るよ」
「えー?……まあいいよっ!私なら上手くやれるからね」
「やった。じゃあ、お願いします」
「はーい」
こうして私と帝くんの作戦会議(というより帝くんの指示を聞く場?)は終わった。
彼がまた海へ駆け出したので、仕方なしに私も追いかける。
けれどそこそこ楽しいのが悔しいところだな、なんて思いながら全力で楽しんだ。
◆◆◆
「おい!テントの裏で何かが燃えてるぞ!」
そんな池の声が聞こえてきたのは、堀北が森の散策からベースキャンプに戻ってきてからだ。
伊吹澪の監視という己の役目を果たすため、伊吹澪らと共に行った散策での収穫は残念ながらゼロ。そんな中聞こえてきたのが先ほどの叫び声だ。
上がる煙に群がる生徒の中に、綾小路を見つけた堀北は彼による。
「何が燃えてるの?」
「どうやらマニュアルが燃やされたらしい」
誰かが故意にやったと確信づいているかのような綾小路の発言に、なんとも言えない違和感を覚えながら、まず辺りを見回した。
犯人がいるとする。なら怪しいのは伊吹澪だ。
もちろん大半の女子生徒が、下着泥棒の可能性の高い男子生徒がその事実を誤魔化すために放火した可能性を疑っているけど。しかし。
「……伊吹さんがいないわ」
「おい、さっきまでオレたちと森で散策してた筈だろ」
既にこの場に伊吹がいないとなれば話は別だろう。
堀北の思考では、既に下着泥棒と放火の犯人の目処がたった。
「ねえ堀北さんっ!伊吹さんがいないよ!」
「ええ、私も今気が付いたわ。櫛田さんが最後に彼女を見たのはいつ」
「さっきあっちの方に伊吹さんが荷物を持って歩いてたのっ。それから火が上がって気を取られちゃって」
伊吹が向かったとする方向を指差しながら、櫛田は必死に伝えた。対して堀北は、果てしないプレッシャーと焦りを感じながらもどこか冷静だった。
「ありがとう櫛田さん。私は伊吹さんを追いかけるわ」
「オレも行こうか?」
「いいえ、綾小路くん。あなたはもし私がなんらかのアクシデントに見舞われた時、上手く平田くんに説明をしてほしい。場を繋いでくれないかしら」
「堀北がオレにそれを求めるなら、そうしよう」
雨が降り出してきた。火を消すことに必死なDクラスの生徒にとっては不幸中の幸いか。けれど、落ち着いてきた男女の亀裂に再び大きな打撃を与えた放火と、各人に与えるストレスを考えれば、幸いなどと言ってられないのかもしれない。
おぼつかない足取りで伊吹を追う堀北を見送った綾小路は、堀北以上に危うげな平田に指示を仰いで衣類や荷物の片付けに取り掛かった。
櫛田の様子を確認しつつ、誰に気づかれることもなく彼がDクラスのベースキャンプを去ったのは、全て獅峯帝の予定通りだったと言えるだろう。