無人島試験が終了して一日が経った。
既に殆どの生徒は切り替えを終わらせて、豪華客船での生活を満喫しているだろう。
もちろん俺もとっくに切り替えは済んでいる。しかし、熱が下がらないのだ、熱が。
なので仕方なく、自室で睡眠をとって回復に努めているというわけで。
ふと、冷たい手を額に感じて俺はその手を優しく掴む。
「桔梗ちゃん?」
彼女かと思いそう声をかけて目を開けたが、その手は予想外の人物のものだった。
「あら、彼女と勘違いですか?獅峯くん」
「……なんで坂柳さんが?夜這いかな」
俺のジョークは華麗に無視され、坂柳は俺の眠っていたベットからゆっくりと降りてソファへ腰を下ろした。
彼女がここへ訪れた理由についてはさっぱりわからない。
「……あー、心当たりといえば、綾小路の怪我の件だけど……?」
「私は、あまりいじめないで下さいと伝えましたよね」
「あれは、……いじめじゃないよ。傷の分配で怒ってるのか?弱い方が悪いだろ」
俺が受けたのは一撃。清隆は何発も。確かにいじめと言われても仕方がないが、俺はそうは思わない。
何事にも、弱い方が悪い。リベンジマッチは清隆の了承の上だ。
「まあ、今日はその件でお邪魔したわけじゃないですよ」
「なんだ、ヒヤヒヤしたな」
「熱のあなたにはちょうど良かったのでは?」
「良くはないね」
ならさっさと本題に入ってもらおう。わざわざ葛城らルームメイトに出払ってもらってるようだし。
「用件を聞こうか」
「すぐ終わる話ですよ。雑談でも楽しみましょう」
「……まあいいか」
俺はベットに腰掛ける形に変えて坂柳に向き合う。坂柳は嬉しそうに微笑んだ。よほど退屈だったようだ。嬉しそうなのは話し相手ができたからだろう。
「私は今回の無人島で、挑戦とは素敵なことだと心から思いました。私を海に誘ってくださってありがとうございます」
「坂柳さん、めっちゃいい顔してたもんなあ。悪くない経験だったならそれは良かったよ」
「悪くない、どころじゃないですよ。素晴らしい経験でした」
「俺の中の君は、新しい経験が大好きな人というイメージだけどね。新たな気づきではないだろう」
いつかの時、ファストフード店へ俺を誘ったのも坂柳だ。
彼女は好奇心と共に生きているような人だと俺は思っていたのだけど、案外そうではなかったのか。挑戦するという壁を越えるのに、それなりに精神力を消費するらしい。
「次の私の挑戦はあなたですよ、獅峯くん」
「俺に勝とうって?いいじゃん、大歓迎だよ」
俺がそう言って微笑めば、同じく坂柳も微笑んで杖を持って立ち上がった。そして俺との距離を縮める。
挑戦状でも叩きつけられるんだろうか。もちろん嘘偽りなく大歓迎。
坂柳に肩を優しく掴まれ、顔の距離が縮まった。坂柳の綺麗な菫色の瞳が俺をまっすぐ見つめる。不意に揺れた彼女の髪を、不覚にも綺麗だと思った。
あろうことか坂柳は、己の命とも言える杖を離し、俺の胸に倒れ込む形で飛び込んだ。
「あなたの体温が心地良いことも新たな気づきです」
「天才の坂柳は、今の自分の気持ちをどう解釈するのか。興味深いな」
俺の質問に坂柳はふふふと笑った。
坂柳の負担がなくなるようにと俺は坂柳を腕で支えるが、体勢が安定したことにより坂柳は俺の胸に顔をうずめたり自由に動くようになってしまった。
小さい坂柳を優しく抱き止める。
数分したところで俺が坂柳をゆっくりとベットに座らせた。俺が起き上がって床に転がった杖を彼女に持たせる。
ありがとうございますと言って、坂柳は今度は扉へゆっくりと向かった。一度立ち止まったが、俺の方は向いてはいない。
「今のあなたは櫛田さんのものですので、ひとまずはこれで我慢します」
「おいおい、俺は略奪モノを好まないんだけど?」
「あなたの気持ちが櫛田さんに無ければ、略奪にはならないと判断しました」
「……はははっ、困ったな」
全てを見抜いた上での行動か。それでも彼女らしくない。
そもそも、今日の用件をまだ聞いていなかった。もしかしてこれか?いやいや、まさか、本当にらしくない。
けど、その自由気ままな、全て我が通ると思ったその女王たる行動は、むしろ坂柳らしいのかもしれない。
「もう出るんだろ?そろそろ用件を聞いてもいいかな」
「あら、私としたことが伝えるのを忘れてましたね」
本題はちゃんとあったようで安心した。今度は俺の方を向いて答えてくれる。
「どこかの試験、私にリーダーを譲ってください」
「クラスの指揮を取りたいって?」
「はい、私がこの試験はどうかとあなたに聞きます。もちろん、無理だと思ったら断ってもらっても構いませんよ」
意図はわからない。けど断る必要はないと判断した。
「いいよ。その時、声をかけてくれ」
ありがとうございます、と坂柳は言って部屋を出た。帰り際の彼女には頰の照りを感じなかったけど。
「読めないなぁ、坂柳は」
ベットに手をついて脱力する。熱が上がったような気がするけど、理由があるとすれば間違いなく疲労のせいだろう。
◆◆◆
「帝くんひどいよ!」
部屋の扉前で出くわした人物を見て、俺はしまったと思った。
「やぁ、桔梗ちゃん。久しぶりだね」
「久しぶり!!それより!」
俺は手を引かれ部屋に連れ戻される。偶然ルームメイトはみんな昼食に出掛けていたので誰もいなかった。
懐かしい櫛田の体温を感じながら、きっと怒られるであろうこの後にビクビクする。
無人島試験が終了して2日目。1日目は坂柳の来訪があったが、それ以外は休息をとっていた俺は、櫛田からのメールも全て無視していた。
幸い、2日目の今日には熱は完全に下がったので、ジムにでも行って寝込んでいた分の運動能力を取り戻そうと思っていたところ、櫛田に会ったというわけだ。
俺はソファに座らさせられる。櫛田は立って俺を見下ろした。
「それより……?」
俺が話を促す。扉の外で会った櫛田は
しかし今目の前にいる彼女は違った。俺の胸ぐらを掴む。その表情に笑顔はなかった。ガチギレである。悪魔である。
「なんかいうことあるよね?」
「……正直なところ、心当たりが多すぎてわからないや」
俺がそう答えると櫛田ば、ふぅとため息をついて手を離した。今度は俺に背を向けて立った。
「試験についての説明。連絡がなかったことについての説明。連絡を無視したことについての説明。帝くんの頰の怪我、綾小路の怪我についての説明」
悪魔である。非常に怖い。
次の言葉の前に、櫛田が振り返った。
「説明してくれるでしょ?」
天使である。
櫛田は笑顔だった。裏も感じないけど、それが演技であることなど分かり切ったこと。彼女の演技力は馬鹿にできない。
まず俺がするべきことは、彼女のご機嫌取りのようだな。もちろん、俺のせいなのだけど。
「まずごめんね。説明はしたいけど、それを桔梗ちゃんが言い訳だと思うのなら、弁明はしないよ。罰になるか分からないけど、桔梗ちゃんのお願いなんでも聞く」
「それはいつもでしょ?」
「はい」
笑顔は天使だが、雰囲気はまるで違う。これが堕天使ってやつなのかもな。
素直に説明という名の言い訳をするとしよう。
「じゃあまず試験についての説明でいいかな」
「はーいっ」
彼女の明るい返事をしながら俺の横に座る。
それから俺は説明を始めた。
「まず、俺は試験の内容を聞いた時、堀北さんと綾小路を退学にさせるのは無理な試験だと判断した。しかし、退学したくなるような学校生活を送らせられる。そうとも考えた」
「退学したくなるような学校生活?」
「そう、例えばクラスメイト全員から後ろ指を指されるような生活」
「なるほどね」
「もちろん、それでだけで退学に追い込めるとは思ってないけどね。でも精神的苦痛を与えることはできる。それに、もしかしたら今後クラスメイトを切り捨てるような試験が行われるかもしれない。その時に真っ先に切り捨てられるような人物に仕立て上げればいい」
まあ、そんなことをしても清隆を退学に持ち込めないだろう。口が達者なあいつは上手く非難の声を躱してこの学校に居座り続けるはずだ。
そんなことは想定内。元よりこの説明は、櫛田を納得させるためだけの嘘。俺も退学させる気はない。
「まず質問なんだけど、試験っていうのは内容次第では退学させられるようなものが来るっていうのが帝くんの予想なの?」
「ルール内で明確に『〇〇になった場合退学』と明記されるかは確証がないけど、俺はどの試験にも退学のリスクは付いてると思ってる。今回の試験で俺が見出した退学に近しいものが、精神的苦痛だっただけだよ」
今後、クラス同士の競争が激しくなればあり得ない話じゃない。というより、俺はこれについて確信している。
いつか必ず、ルール内に退学の文字が刻まれるだろう。
俺の確信めいた言葉に櫛田は小首を傾げた。
「ふーん?ちょっと怖いね」
「自分も誰かの退学を望んでながらそう言うんだもんなあ」
あははと笑って俺はそう言った。さすが櫛田らしい。
俺は説明の続きを話す。
「それで、俺がそれぞれに対して考えた方法についてだけど。俺が桔梗ちゃんから堀北さんがリーダーだと聞いた時に、堀北さんに対してはリーダーとしての責任の重しを乗せて、その重圧で潰させる事にした。自らのミスでクラスを崖っぷちから落とさせる。そんな処刑人に仕立てる」
「それが、私に頼んだ伊吹さんに堀北さんがリーダーだって伝えることの意味だったんだね」
櫛田がどのような方法で伊吹に伝えたのかはわからない。
けれど結果から考えれば上手くいったのだろう。流石というべきか、彼女に頼んで正解だった。
「綾小路に対してだけど、これは俺と綾小路の怪我についての説明にも繋がる。今回の試験で一番重いペナルティって何か分かる?」
「んー?確か即失格があったよね。それが一番重いと思う」
「正解。まず俺は、綾小路に暴力行為を行わせてDクラスを失格にさせようとした」
そう言った俺に櫛田は目を見開いて疑いの視線を向けた。そんなことできるの?という視線。そして、清隆と俺の怪我の説明にどうやって繋がるのかという疑問。
「俺たちの小学校は少し変わったところでね。個人の能力を測定する機会が度々あったんだ。当時の綾小路は俺に競争心を抱いていてくれていたから、その感覚を無理やり呼び起こした。それが綾小路に暴力行為に至らせるための俺の作戦」
「曖昧な説明だからピンとこないけど、帝くんの怪我を見るに上手くいったんだよね?でも綾小路くんは帝くん以上に怪我をしてた……。もしかして、ムカついて返り討ちにしちゃった?」
優しく俺の腫れている頰を触りながら櫛田は言う。
返り討ちに、か。どうだろうな。本当に俺が清隆を退学にさせるつもりで、この作戦を実行した時。自分の想像より清隆の一撃が重たかったら、俺はカッとなって返り討ちにしてしまうのか。
いや、しないな。俺は目的を達成するためになら一時のプライドなんて捨てられる。
それはともかく、櫛田にはどうやって説明しようか。
「桔梗ちゃんの二面性のこと、綾小路も知ってるんだね。俺が一撃をもらったあと、酷いことを口走ってた。それにムカついちゃってさ。もしかしたら、綾小路は桔梗ちゃんのことが好きだったんじゃないかな。二面性に騙されたと感じて、さらには俺と付き合っている。そんな腹いせができる絶好のタイミングだったみたいだよ」
櫛田の中での綾小路という存在がどんどん崩れていくような説明だな。納得してくれればいいんだけど、少し厳しいか?
「なるほど?綾小路くんってほんとに顔に出ないんだね」
「そうなんだよ、昔からね」
よしっ、案外信じてくれるもんだな。
「だからこれは俺のミス。綾小路を精神的に追い詰めるチャンスを俺が私情を挟んで棒に振った。申し訳ないよ」
「んー、正直それは怒ってないかな。それに、綾小路くんや堀北さんを精神的に追い詰められたとしても、それってつまりDクラスは失格になるってことだよね?私はクラスポイント欲しいもん」
「たしかに、そうだね。ポイントはあるに越したことはない。そこまで考えてなかったよ。ごめんね」
「もー、謝りすぎ!一番謝って欲しいところ、そこじゃないよ?」
「2日も連絡できなくてごめん。寝込んでたのはほんと。寝込んでた分を早く取り返さないとって焦って連絡を見てなかった。君にいち早く連絡するべきだった」
許して欲しいと縋り付くように櫛田を抱きしめた。櫛田は優しく腕を俺の身体に回してくれる。
「私もごめんね。怒っちゃって。実は今もちょっとムカついてるけど、もう許した」
「えっ」
まだムカついてるんだ?と俺は思わず櫛田の顔を見る。いい笑顔だけど、天使じゃない。小悪魔かな。
「そりゃあムカつくでしょ。2日も音沙汰なしで、でも帝くんの目撃情報なんか聞いちゃって。だけど今は許してやってもいいかなって気持ちになってる」
ね?と言って櫛田は俺を上目遣いでみた。かわいい。
目撃情報は、あれか。清隆と龍園と会った時のだな。やっぱり櫛田にはメールをしとくんだった。こんな事になるとは。
「でも、もう許してくれたんだ。よかった」
櫛田は存外、俺に首ったけのようだ。俺がほっとしてよかったと呟いたあと、櫛田は俺に倒れ込む。その勢いのまま俺もソファに倒れ込んだ。
櫛田が俺の胸の中で目を瞑った。
「お昼寝かな、桔梗ちゃん」
「だめ?」
「いいよ」
だめと問いかけて来た櫛田の声色は、どちらかといえば低かった。怒っているわけじゃない。多分、素の自分で答えてくれたのだろう。
短い会話の後、櫛田は本当に眠り始めた。かわいい呼吸音を聞いていると俺まで眠たくなってくる。
ルームメイトが戻ってきたら起きればいいかと考えて、俺も惰眠を貪ることにした。
たまにはこういうのも悪くないだろう。
『補足説明』
獅峯は、櫛田が綾小路に裏の顔がバレていることは知りません。今回の話で言っていたのは適当についた嘘です。しかし、バレないと確信してついた嘘ですし、実際的を得た嘘だったのでバレません。