この学校には温水プールがあるらしい。その為、4月という早い段階で水泳の授業が行われる。
水泳の授業、即ち水着。即ち女子の露出。簡単なイコール関係だ。
「なあ獅峯は誰狙い?あの子なんて胸大きくて良くない?」
「俺は別に誰狙いとかないよ」
朝からそんな話を振ってくるのは橋本正義。金髪にピアスとAクラスの中でも特にチャラい部類に相当する。
明るくて嫌いじゃない。むしろ、下手に出るべきやつの見極め方が上手いタイプなので好きなまである。
「まじ?獅峯モテんのに、女の子興味ない系?てかもう何人かから告られてるでしょ」
「え、興味なさそうに見える?女の子は全然興味ある。俺は黒髪ロングの巨乳が好みなんだよね。あと、何人もってほど告られてないよ」
「冗談はよせよ。黒髪ロングの巨乳ねー、いい子いたら紹介しようか」
「ほんと?お願いしようかな」
まあ、こいつの欠点があるとすればほんの少しだけ面倒なこと。別に嫌いじゃないが、妙に疲れるというか。
「水泳ねえ」
昔、嫌というほど水泳とは向き合ってきた。淡々と自己記録を更新する日々。タイムを伸ばすたびに向けられた大人たちの引いた顔。それは俺のちょっと嫌な思い出だ。
なんとなく鬱な気持ちになってしまったが水泳の授業の時間は訪れ、着替えることになる。
俺はいつも葛城といることが多いが、今日は橋本と一緒だった。橋本が制服を脱ぎ始めたので俺も着替えを始める。
ちゃちゃっと着替えて橋本を置いて更衣室を出た。
「うわ、大きいな」
一番乗りで来たプールは中学校のとは比べものにならず、都市にある大型プールと遜色のない大きさだった。ちなみに水泳部専用のプールはもっと大きいらしい。
「はえーよ、獅峯。気づいたらいねーんだもん」
「橋本くん、ごめんごめん」
「にしてもムッキムキだなあ、獅峯。スポーツ何やってんだ?」
「んー、どれか一つにこだわったことはないなあ。でも運動は好きだよ」
「そりゃ筋肉見りゃ分かるって。運動嫌いのマッチョなんてそうそういないだろ」
橋本のツッコミを笑って無視する。ところで、と橋本は話を切り出した。今日、妙に絡んでくると思ったがやはり理由があったらしい。
「獅峯さ、昨日の葛城の話聞いてどう思った?驚いたよなー、来月は10万貰えないかもしれない話」
「俺も驚いた。まあ、元々俺らの授業態度は悪くないから、そんなに減ることはないと思ってるけどね」
驚いた?橋本はどちらかと言えば坂柳よりの生徒だった。その中でも特に優秀な部類に入る橋本が事前に知らなかったわけがない。
「まあなー。てか、本当に驚いてた?あんまそうは見えなかったけど」
「驚きすぎて反応できなかったんだよ」
なるほど、そういうことか。
おそらく橋本は事前にポイントの減少について知っていた生徒、要するに坂柳派の生徒を把握している。それに属さなかった俺がどうして葛城の話に無反応だったのか気になっていたんだろう。
だから今日は妙に俺に付き纏っていたんだな。
でもおかしい。俺と葛城が仲良くしているのは周知の事実だ。
事実、俺は前日に葛城にその話を聞いていた。二度目の話に驚かないのはおかしな事じゃない。
俺が事前に話を聞いていた可能性を橋本は考えなかったのか?
「気にしすぎだよ。じゃ、俺葛城くんのところ行ってくるね!」
「あ、おいっ、獅峯!……ちっ、逃げられちゃったか」
気になるがひとまず忘れよう。
授業が始まって、教師からは男女別50M自由形の競争を行うことが告げられた。一位の生徒にはボーナスとして5000ポイントを支給してくれるらしい。逆に最下位の生徒には補習を行うと。
「さっきの教師の発言、気にならなかったか?」
「断言しすぎだってこと?」
俺の隣にいた葛城がそう言った。彼の言った気になった事とはおそらく、泳げるようになることは必ず役に立つ、という教師の言葉のことだろう。必ず、と後押しするように言った教師の発言を熱血と片付けることもできるが、葛城は裏があると読んでいる。
「あぁ。だが、俺の深読みかもしれん。軽く気に留めるくらいでいいだろう」
「そうだねー。俺もそうするよ」
そんなことよりも、と俺は葛城の体つきをじっと見た。葛城、やけにいい体をしてる。肉の分厚さが他のやつとはレベルが違う。俺の方がちょっとだけ背が高いけど、ガタイの良さでは勝てないな。
「葛城くん筋トレ趣味だったりする?」
「この体か?これは親から恵まれただけだ」
「へぇ、それはすごいね!」
俺も親の才能に恵まれた人間だが、葛城のその肉体全部が恵まれたものだとすれば、俺以上だな。羨ましいと言えば羨ましいが、俺は今に満足しているからいいや。
「水泳は得意なの?」
「いや、運動全般得意なものはない。全て人並みだ」
「まじ?じゃあほんとに筋肉に恵まれただけってこと?はははっ、おもろー」
「ふっ、俺としても残念なんだ。それなりに努力も重ねたが、どうにもセンスがないらしい」
小さく笑いを溢しながら葛城は言う。見たところAクラスの面々は運動が特別得意という生徒はいないように思える。まあ橋本とか里中辺りはなんでもそつなくこなしそうだけど。
いや、嘘だ。いたな一人。明らかにフィジカル全振りな男がいた。
その長い黒髪を結ぶことなく垂れ流している彼に俺は声を掛けにいくことにした。
「や、鬼頭くん。筋肉すごいね!」
Aクラスで最もおっかねえ生徒、鬼頭隼。その特徴的な顔立ちは一周回ってかっこいいが、パッと見怖い。人を二、三人殺してそう。
声をかけると、俺を一瞬睨んだ後に応えてくれた。
「俺には分かる。獅峯、お前の肉体は完成されているな。俺とは比べ物にならないだろう」
「見た目だけの筋肉だよ。俺は鬼頭くんの方がすごいと思うね」
鬼頭の言った完成された肉体。まだまだ成長段階の俺に使う言葉として適切ではないことは確かだが、その評価が紛れもなく正当な評価に近しいことも間違いない。
「いいや違う。質、量、形、どれをとっても完璧だ」
「……そんな見てえっちだよ、鬼頭くん。へんたーい」
腕で胸を隠しながら逃げる。そんなに褒められては流石の俺も照れてしまう。
やはり俺には葛城しかいない。結局彼の元に戻ることにした。
俺が50M自由形の競争で優勝することは、息を吸うことと同レベルに造作もない。水泳は昔に嫌というほど繰り返してきたんだ。しかし、ここで世界記録を叩き出すわけにもいかない。
適度にそれなりに優秀、と言う評価で終えられるタイムを出す必要がある。
「ん、じゃあ葛城くん。俺優勝してくるね」
「そうか、期待している」
葛城の応援を背に俺は自分のレースを一位で終える。当然、その後の優勝決定戦でも俺が一位を取った事は言うまでもない。
◆◆◆
4月の終わりが近づいてきた今日。授業の為、真嶋が教室に入る。教卓に手をついて全体を見渡した。生徒がいつもと違う先生の態度に疑問を浮かべるが、それを気にした様子もない。
「今日は小テストを行う。今後の参考用に行う為、成績に入る事はない。それでは配るぞ」
早速配布されるテスト用紙。全員に渡ればすぐに開始の合図が出た。
問題の数はそこまで多くない。内容もほとんど中学生までの復習で構成されており、難易度は中の下。仮にも進学校の生徒ならこのくらいは解けて当たり前、という問題が続いた。
しかし、最後の3問だけは難易度が段違いだった。おそらく、高校ニ、三年で習う範囲だろう。これではまるで、元から解かせる気のない問題だ。
空欄で終えてもいいが、別に俺なら苦もなく解けるレベル。
俺は実力をある程度セーブしているとはいえ、満点という上限の設定されたものに関しては全力で解いてもいいと思っている。上限がある時点でそれは人間の域だからだ。
少し話は逸れるが、対して身体能力は上限がないので難しい。全てを全力で取り組むにしても世界記録ばかり更新していては、それは異常者の域となる。なので体育の授業は、他よりは優秀、というレベルに抑えているのだ。
と、上限がある限りは、全力で取り組むべきというのが俺の考え。難問3問をミスなく解くことにした。別に、高校一年生でも解こうと思えば解けるだろうしな。
問題の構成からして、クラス平均70点は堅いだろう。
問題を早々に解き終えてカンニングにならない程度に周りを見渡す。みんな一様にペンを走らせていた。その手は止まることはない。さすが進学校というべきか、平均80近くあってもおかしくないかもしれない。
そしてテストが終了し、休憩に入る。葛城が俺の席まで来た。軽く手を上げて応える。
「妙なテストだと思わなかったか」
「そうだね、難易度が一貫してない。成績に入らないと言ってたのも気になるし、そもそもこのテストを行った意味がわからないままだ」
気にしすぎだろうが、疑問を持ってしまったのなら仕方がない。
真嶋は今後の参考用に行うと言ったがその説明は曖昧すぎる。学校側の参考用だろうか。例えば学生がどのくらいのレベルの問題を解けるか、いや、それはないな。だったら難易度に振り幅をつけないといけない。現段階では何も分からない、か。
「獅峯は最後の3問を解けたか?あの難易度を解くことのできる生徒は殆どいないだろう。実際俺も解いたというだけで自信はない」
「俺、勉強得意なんだよねー。解説しようか?その問題の答え」
「……何でもできるんだな、獅峯は。頼む」
葛城の言葉を誤魔化すように笑ってノートを開く。最後の3問の解答を書きまとめた。それに加えて軽く説明もする。1問は合っていたのか、また逆にそれを悔しそうにしながら俺の解説を熱心に聞いた。
葛城に教える片手間にクラスの会話に耳を傾けてみた。大半の人が最後の3問で躓いている。逆に言えば、それ以外はそれなりの自信があるようだ。どうやら、Aクラスはそこそこ勉強ができるらしい。
◆◆◆
俺のように、ほとんどの予習を終えていてどんな勉強をすればいいか分からない場合の最も手っ取り早い学習方法は読書だ。俺の考える読書とは娯楽の一面と共に、教科書の意味を持つ。本は作者によって作られた辞書であり、様々な人間の思考回路を学ぶことのできる教科書。俺は読書がそれなりに好きだった。
この学校の図書館には入学してすぐに足を運んだ。ここの図書館は約10万冊の大量の本を貯蔵しており、俺の読んだことのない本も沢山ある。木造建築の落ち着いた雰囲気に、図書館にのみ流れるゆっくりとした時間。俺は時間を作っては図書館に足を運んでいた。
「あ、椎名さん。久しぶりだね」
「久しぶりです、獅峯くん。3日ぶり、くらいでしょうか?」
俺は図書館に居た少女に声をかける。彼女の名前は椎名ひより。1年Cクラスに属する文学少女。時間があれば図書館に顔を出しているようで、俺が図書館を訪れれば大体いる。
「今日もおすすめ聞いていいー?」
「はい、獅峯くんにおすすめしたい本が何冊か見つかったんです。獅峯くんはたくさんの本を読んでいるようですから、探すのが楽しかったです」
「はははっ、まじ?期待しよーっと」
彼女が本を取りに館内を歩く後ろをついて行く。高いところにあれば俺が取り最終的に3冊見繕ってもらった。なるほど、今日はフョードル・ドストエフスキーで固めたか。ドストエフスキーの作品は何冊か読んだことあるが、紹介された本は全て未読だった。
「読んでいきますか?」
「うん、せっかく図書館に来たんだしね。読んでくよ」
「では私も」
そのまま流れで横に座ってお互い読書を始める。
人間の記憶力は大して優秀なものじゃない。エビングハウスの忘却曲線によれば、人間は記憶した内容を一時間後には既に50%も忘れてしまうらしい。
しかし、復習をすれば記憶とは定着するもの。俺の場合は特に特殊だろう。忘却線の枠にはまらなかった俺は、一度記憶し、もう一度復習するだけで記憶に定着する。凡人の域を越える記憶力だと堂々と誇れる、俺を天才たらしめる一つの要因。
俺は本を二周する。誰だろうと本を読めば記憶しようと読んでいなくてもある程度は内容を記憶してしまう。これは俺の場合もそう。
そこで、ある程度覚えてしまった本の内容を無駄にすることなく二周して記憶に定着させるのが俺の読書の意味。当然、娯楽の意味もあるが。
顔を上げた椎名が何か気になったのか俺の本を見る。その視線にたった今気づいたようなフリをして椎名と目を合わせた。
「その本、前も読んでいましたね」
「よく覚えてたね」
確かに、この本は初めて図書館に訪れた時に読んでいた。それを、まだ殆ど面識のない頃のことにも関わらず覚えているとは。
椎名に俺の読書の二週目の意味を語る。
「俺は記憶力がいいんだ、二周すれば本の内容を一生覚えていられると思う。せっかくなら一生覚えていたいと思ってね」
「そうなんですか。でも、少し勿体無くないですか?」
椎名の予想外の言葉に首を傾げる。
勿体無いというより、むしろ一度の読破を無駄にしない為の二週目。勿体無いとは逆の意味を持つ行動のつもりだった。
「どうして?」
「あ、いえ。これは私の考えなので無視してもらっても構わないんですけど。面白かった本を久しぶりに読んだ時に感じる、あぁ確かこんな話だった、という懐かしい感覚が私は好きなので、記憶してしまうのは勿体無いような気がしたんです」
「確かにね。そういう考え方もあるか」
椎名の言うことに納得する。娯楽としての面が強ければ二週する意味は少ない。俺にとって、読書とはどういうものか。娯楽の面と、学習の面。今の俺にとってどちらの色がより強いか。
俺は今読んでいた本をパタリと本を閉じた。
「そうだね、今日は椎名さんにおすすめしてもらった本を読もうかな。この本はまた来年にでも読むよ」
「はいっ。是非そうしてください!」
ニコニコと可愛い笑顔を見せた椎名を横目に俺は読書を再開する。
やはり俺は、図書館に流れるゆっくりとした時間が好きだと思った。
『原作では登場遅いのに、二次創作では早いキャラランキング(諸説あり)』
1位 椎名ひより