精霊の御子 カレは美人で魔法使い   作:へびひこ

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序章 大祭の巫女

 関東に根を下ろし『精霊術』を伝える藤宮一族。

 この国を歴史の裏で守り続けてきた魔術師の名家。関東でももっとも歴史の深い魔術師の家系の一つである。

 

 今夜は一族の秘術が行われる日。

 藤宮の『大祭』の日であった。

 

 

 

 空気さえ動きを止めているような静寂の中でかすかな衣擦れの音が耳に響く。

 ゆっくりと歩く巫女装束の子供。

 

 周囲を照らすかがり火が夜の闇を焼き、炎に照らされた祭場に一人の巫女が足を踏み入れる。

 

 まだ小さな子供だ。

 巫女装束に身をまとい。頭に銀の冠を乗せ、右手に太刀、左手に鈴を持つ子供。

 

 祭場の周囲を和装の大人たちが囲み、張り詰めた緊張感のなか巫女を見つめる。

 

 緊張、不安、疑心、心配。

 様々な感情が込められた視線が巫女に向けられていた。

 

 まぁ、当たり前かな。

 そんないっそ気楽な態度で大人たちの視線をその巫女は無視した。

 

 少年の名は藤宮司、藤宮一族当主の息子である。

 

 自分の評価は父親から聞いた。今まで気にもとめていなかったし母親はむしろ喜んでいたからそれが『悪い事』だと認識していなかったのだ。

 

 けれどそれではいけないのだと父に諭された。

「おまえはこの藤宮の子。私の跡継ぎなのだから」と。

 

 だからこの役目も文句など言わずに引き受けた。

 今日まで一ヶ月、ずっと練習もした。

 

 正直あまり楽しくはなかった。母と一緒に剣の稽古をしている方が楽しいが『自分が楽しいと思うことだけしていることはいけないこと』だと教えられた。

 

「藤宮の家に生まれた義務と責任を果たしなさい。おまえはそれをしていない」

 父は厳しい顔でそう叱った。

 

『義務と責任』を果たさないのは悪い事だ。

 特に『藤宮』の『義務と責任』を果たさないことはとても悪い事だ。

 

 みんな『藤宮』のために働いている。努力している。がんばっている。

 だから『藤宮』に生まれた自分もがんばらなくてはいけないのだ。

 

 僕は『藤宮の子』なのだから。

 

 巫女は確かな決意を胸にして穏やかに微笑んだ。

 今日この日はその決意を皆に認めてもらう場所なのだと理解していた。

 

 

 

 

 普段は封印された聖地。

 この地を管理する藤宮一族の許可なく人が入ることは許されておらず。むしろ入ることなど出来はしないというほど強固に守られた藤宮の神域。

 

 小高い木々に囲まれ、周囲から閉ざされた広場にある巨石。

 

 この巨石には藤宮の初代と契約した神とも称される『世界最古の精霊』が宿っている。

 見る者が見れば内部に存在する莫大な力に畏怖すら感じるだろう。

 

 すくみあがりそうな静けさのなかで巫女が巨石に一礼する。

 その流れるような動きに周囲の大人たちは一瞬目を見張る。その動作の美しさに驚いたのだ。とてもただの子供ができる所作ではない。

 

 白と朱の衣装を身につけた巫女。

 そのふっくらした顔には白粉が塗られ、小さな唇には紅が引かれている。

 

 まだ幼い十歳の男の子。

 

 まず女性的な柔らかい印象の顔立ちが目を引く。

 神事の巫女をつとめるために化粧を施し、女性の装いをしたその姿は少女にしか見えない。

 

 すべてを受け入れるような穏やかな瞳。気性の優しさを示すような細く緩やかな曲線を描く眉、すっと通った鼻筋、ふっくらとした頬、柔らかそうな唇にうっすらと浮かんだ笑み。

 

 もし少年が女性に生まれていたら将来は絶世の美女になるだろうと賞賛を受けただろう。

 

 その穏やかな表情に周囲の大人たちが目を疑う。

 

 あれが魔術の修行を放り出していた跡取りかと。

 魔術の修行よりも母の使う剣術の修行を好んでいた少年に大人たちは不安を感じていた。

 

 しかし目の前の少年は、思わず『これは』と感嘆するようなたたずまいだった。

 

 緊張など感じてもいないように少年が舞い始める。

 

 神を祀る巫女の舞い。儀式魔術を構成する魔術師の舞い。

 一族が代々守り続けてきた祭場で少年は巫女となり奉納の舞いを舞う。魔術師として儀式魔術を舞いという形で行う。

 

 藤宮に伝わる儀式魔術『大祭』がはじまったのだ。

 

 

 

 

 篝火に照らされた祭場。

 黄金拵えの太刀を右手で振るえば音も無く空気が斬り裂かれ、左手の鈴がしゃらりと美しい音色を響かせる。

 

 少年の足取りはいささかの迷いもふらつきもない。

 しっかりと祭場を踏みしめて流れるように舞い続ける。その動きは幼い少年のものとはとても思えない。修行を重ねた巫女にも見劣りしないだろう。

 

 周囲の大人たちの目から見ても、立派な『大祭の巫女』の姿であった。

 

 少年は思う。

 これくらい出来ないと母さんが馬鹿にされる。父さんが悪く言われる。

 

 最強の剣士と信じる母に肉体を鍛えられ、同じく最強の魔術師と信じる父に魔術の手ほどきを受け、この一ヶ月はこの『大祭』のための訓練に明け暮れた。

 

 母との剣の修行は無駄などではない。

 父との修行を無駄になどしていない。

 

 僕は今日、父と母がけして間違っていなかったことを証明する。

 僕は出来損ないじゃない。僕は落ちこぼれでも怠け者でもない。

 

 父と母に育てられた僕が『そんなもの』のはずがない。

 

 少年の想いは決意となりその強い意志が身体を動かす。

 純粋に父と母を想い。ただその想いに応えようと舞う姿は息を止めるほどに美しかった。

 

 純粋な想いは美しい。

 純粋な想いを抱くその魂は人を惹きつける。人を魅了する。場合によってはその輝きは神々さえも虜にする。

 

 父と母の愛を信じ、父と母への愛をもって舞う少年は胸を衝くほどに美しかった。

 

 

 

 目を見張る一族の大人たち。そんな大人たちをちらりと視界におさめて司はかすかに笑みを浮かべる。

 

 これが母が鍛えた僕だ。他家の剣術であってもそれのおかげで僕は強くなった。

 そう思いっきり自慢してやりたい思いで胸が一杯になる。『大祭』が終わったら自慢してやろうと決めて今は儀式魔術に集中する。

 

 実際に母の苛烈な修行のおかげで司は同年代の子供とはあきらかにレベルの違う運動能力と体力を持っている。

 普通の子供ならふらふらになりながら務めるだろう『大祭の舞い』も司にとっては軽いものだ。

 

 太刀を持つ手にも不安を感じさせない。自然にそして軽やかに振るう。

 

 その太刀筋に剣術の心得のない者たちも感嘆の声をもらす。

 心得のある者はむしろ度肝を抜かれる思いだ。なにしろ司の太刀筋は子供のものとはとても思えないほど美しく自然だった。もし実戦で刀を取ればどれほどのものになるだろうとつい想像してしまう。

 

 少なくとも同年代の子供では相手にならないだろうと結論を下し、改めて司の舞いを見つめる。どこまでの実力を身につけているのか、どこまでの才があるのかと胸を高鳴らせながら。

 

 そして魔術の修行も怠けていたわけではない。

 司は才能があった。大人たちが思うよりもさらに恵まれた才能があったのだ。

 

 司は自分の才に驕ってはいなかった。だから自分に合う修行方法を父から聞き出して独自に修行した。

 

 だから他の人と一緒に修行する気になれなかった。一人でやった方がはるかに上達できたから。

 

 父さんと母さんはなにも間違っていない。

 だって僕はこんなに強くなった。こんなに上手く魔力を扱える。

 

 司は父と母の正しさの証明のために舞い続ける。

 儀式魔術により集まってくる魔力を司の舞いは見事に制御して安定させ、さらに増やしていく。

 

 これなら問題ない。

 

 司はこの時点で成功を確信した。

 このくらいのことならば自分ならば問題なく出来る。

 

 一層笑みを深めて左手の鈴を鳴らす。

 これでみんな父と母が正しいと認めてくれるだろうと確信して。父と母の愛と信頼に応えられることを喜びながら。

 

 左手の鈴がその清らかな音色を響かせ大人たちは巫女に魅入られていたことに気がついて我に返る。

 

 司の動きに合わせて周囲の魔力が練り込まれていく。そして祭られた巨石と共鳴してさらに魔力を高めていく。

 その様子を一族に連なる大人たちがじっと見つめている。

 

「見事……」

 

 誰かが呟いた。

 そしてそれに肯く者が幾人もいた。

 

 中には涙を浮かべて司の姿を見つめる者もいた。

 

 あの子もやはり藤宮の血を引く子なのだ。

 一族を統べる家に生まれた子供なのだと。

 

 確かに嫡男の教育方針に問題があるのではと司の父親に苦言を言った者はいた。甘やかしすぎているのではと愚痴を言った者もいた。

 

 藤宮の魔術よりも実家の剣術を熱心に仕込む司の母の態度に憤った者もいた。ここは藤宮だ。神鳴流を伝える青山ではないと。司は藤宮の嫡男であって青山の子ではないのだと。

 

 母の教える剣術に熱中して藤宮の魔術に興味を示さないように見える司に落胆した者もいた。

 

 それでも彼らは藤宮の一族だった。そして司を一族の子として認め愛していた。

 

 当主である司の父の力量と人格を認めていた。彼が選んだ妻である司の母が優れた剣士であり愛情の深い母であることも認めていた。

 

 その子が才を磨かず。才を芽吹かせる事無く潰えることこそ一族の者はもっとも危惧していた。

 

 だから予想外の成長と溢れる才を披露した司の姿にまるで我が子の晴れ舞台を見たように皆喜んだ。

 

 

 

 

 司は舞う。

 無邪気な笑みすら浮かべて。

 まるで別の世界にあるかのように。別の世界を見るように。別の世界に踏み入れるように。

 

 莫大な魔力を顔色一つ変えずにまとめあげていく。一族の期待を一身に浴びて『大祭の巫女』を務める。

 

 祭場の魔力はいよいよ高まり、ほぼ成功間違いなしと大人たちが安堵したとき一発の銃声が響いた。

 

 司の表情が変わった。

 まるで夢から覚めたような呆気にとられた表情で自分の肩を見る。

 

「……なんで?」

 

 司は理解出来なかった。

 なぜ自分は銃などに身体を撃ち抜かれたのだろう? この大事なときに。

 

 いまだ未熟な子供でありながら自分の状況を一瞬で理解出来たのは実戦さながらの母の修行のおかげだろう。

 

 それでもわからない。

 なぜこの大事なときに、自分はたかが銃に撃たれているなんて間抜けなことをしているのだ?

 

 理解出来ない。わからない。わかりたくない。自分は知らない。こんな事はありえない。

 司が混乱すると同時に制御されていた魔力の手綱が緩み暴れはじめる。

 

 銃弾は司の右肩を貫通していた。

 傷口から血が流れだして白い衣装を赤く染めていく。右手の握力が失われ太刀を取り落とす。膝から力が抜け、巫女は初めて姿勢を崩した。

 

 周囲は騒然とした。

 警備担当の術者が素早く動き出して不埒な妨害者を排除に向かい『大祭』を補佐する術者たちが巫女を失った儀式魔術が暴走するのを押さえるために補助に入る。

 

 そのとき誰にとっても予想外なことが起きた。

 

 わずか十歳の少年が一瞬ぎゅっと目を閉じ、再び目を開いたときにはその瞳には烈火の気迫が宿っていた。あまりの気迫に周囲の大人たちが一瞬目を疑ったほどだ。

 

 ゆるせない。認めない。こんな事はあってはいけない。

 

 司を、その幼い身体を動かしたのは圧倒的な怒りとそれに匹敵する誇りだ。

 

 怒りは理不尽と戦う闘志となり身体に力をみなぎらせる。その瞳は大人しい少年のそれではなく戦場で勝利を求める戦士の眼光に近いものだった。その苛烈な瞳が祭場をそして一族の守り神たる『大神』の巨石を睨みつける。

 

 怒り。

 目の前にあった。すぐそこにあった。手を延ばすまでもなく自分の元へ来たはずの幸せを壊した。

 

 もう少しですべてが上手くいくはずだった。

 自分が『悪い子』だったために周囲から批判された両親。

 今回のことが何事もなく成功すればきっと両親も一族から認められて褒められただろう。

 そして自分は『いい子』になれたはずだったのだ。

 

 それを失敗した。その機会を失った。許せるわけがない。認められるはずもない。

 

 許せないのも認められないのもこの銃を撃った襲撃者ではない。

 たかが銃も避けられなかった自分自身(・・・・・・・・・・・・・・・・・)だ。

 

 司は母からこう教わっている。

 

「神鳴流に銃など通用しない」

 

 それは優れた動体視力と並外れた運動能力。そして歴史のなかで磨かれた剣技の前にたかがまっすぐ飛んでくるだけの鉛玉が当たるわけがないという。神鳴流を伝える青山家の常識であり、誇りだ。

 

 もちろんそれは修行を重ねた一人前の神鳴流剣士の話だ。

 

 母から修行を受けているとはいえまだ十歳の司に当てはめるのは少々酷な話ではある。

 ましてや真正面から撃たれたわけではない。儀式魔術に集中しているところを背後から撃たれたのだ。

 

 他のことに極限まで集中している状態からの死角からの不意打ち。神鳴流剣士でも一流と言われる達人たちならなんとかするかもしれないが、あるいは不覚を取る事もありえるかもしれない条件だ。

 

 それでも司は怒った。

 これでは司の母は嘘をついたことになる。司自身が母の言葉を嘘にしてしまった。

 神鳴流剣士の教えを受けた自分がただの銃弾を、それももっとも大事な場面で身に受けた。

 

 それは許せることではない。

 このまま無様に倒れて、大事な『大祭』を失敗させたら自分は『悪い子』のままだ。父と母は『悪い子』の両親のままだ。司はひたむきにそう思い込んだ。

 

 認められるはずがない。

 

 許せるはずがない。

 

 これは自分の油断だ。儀式魔術の成功を確信し驕った自分への罰だ。

 断じて母の教えが間違っていたわけではない。

 

 それを証明する。

 

 自分が未熟だった。油断した。驕った。なにより自分は『悪い子』だった。

 

 けれどそれでも証明してみせる。

 

 母の修行は間違っていない。それを認めた父も間違ってなどいない。

 

 崩れかけた足を祭場に叩きつけるようにして姿勢を正す。

 太刀を地に落とし、動かない右手にも銃撃を受けた肩にもかまうことなく司は再び祭場を踏みしめ舞い始める。

 

 ぽたりぽたりと紅い雫が祭場を汚す。白い巫女の正装が血を吸って紅く染まる。

 

 それでもしゃらりしゃらりと鈴の音が響く。鳴り響く。

 

 先ほどまでの優雅でどこか女性すら感じさせた舞が一変していた。

 その足取りは力強く、振るう鈴の音はまるであらゆる敵を討ち払うかのように激しく鳴り響く。

 

 噛みしめるように引き締められた唇。そしてその瞳には不屈を体現したかのような強烈な意志。

 

 けして負けてはならない。

 

 けして失敗してはならない。

 

 この場面において、例え命を燃やし尽くしてでも成功させなければならない。

 

 母は正しいのだ。

 母の修行のおかげで自分はまだ立っている。

 

 父は正しいのだ。

 父の教えてくれた修行を続けた自分はこの状況でもしっかりと儀式魔術を制御している。

 

 僕はその証明のために。

 例え死んでも成さなければならない。

 

 僕が『悪い子』であったとしてもそれは僕がいけないからだ。

 母のせいではない。父のせいではない。

 

 一族のみんなもきっと認めてくれる。

『大祭』は一族の重大な儀式魔術だ。それを成功させればきっと認めてもらえる。

 

 ただ純粋に、そして一途に司はそう思い込み。激情を力に変えて舞い続けた。

 

 

 

 

 司は不思議な感覚に包まれていた。

 頭がとても澄んでいて自分のことも周囲のこともなにもかも見通せる気がした。

 

 おそらく血管を撃ち抜かれている。出血もひどい。時間をかければ命を落とすかもしれない。いやそれ以前に出血が多くなれば動けなくなってしまう。巫女が倒れれば儀式魔術が失敗する。

 

 右腕に力が入らない。動かせないと判断して足下に落とした太刀のことは意識から閉め出した。拾っている余裕もなければ拾うための腕が動かない。

 

 身体が重い。肩が耐えがたいほど熱い。動くたびに激痛が走る。

 

 いくら母に鍛えられたとは言っても司はまだ十歳の子供だ。身体のできあがった大人に比べればやはり劣る。この負傷は司が耐えうる限界を超えていた。そのまま力なく倒れ込み身動き一つとれなくても仕方がないほどに。

 

 それでも司は舞っていた。

 烈火の気迫を周囲に振りまきながら儀式魔術を持ち直させた。

 

 体力はすでに限界。意志の力だけで動いているように周囲には見えた。

 

 それはもう大人たちに教えられた舞の型ではなかった。

 それでも巫女は流れる血など無視し身体を苛む激痛にもひるむことなく舞い続ける。

 

 それはまさしく戦士の舞いであると大人たちはその気迫を受けて感じていた。あの大人しい子がと司の豹変をいまだに信じられない思いで見つめる者もいた。

 

 不安定になりかけた祭場の魔力が急速に安定していく。

 周囲の視線が現当主である藤宮宗鉄に向いた。中止か続行かと。

 

 巫女の身体をいたわるならば中止すべきだ。あきらかに子供の耐えられる負傷ではない。だがその巫女は普段の彼を知るものからすれば信じられない気迫をもって舞い続けている。もしかしたら儀式終了までもたせられるかもしれない。

 

「続けよ」

 

 宗鉄は一言、無表情にそう宣言した。

 内心では止めたい。しかし息子のあの気迫を見れば止めたところで言うことを聞くか自信が無い。

 

 追い詰めてしまったかと悔やむ。

 普通なら中止して当然の負傷を受けてなお『大祭』を成功させなければならないと幼い息子が思い詰めるほど自分は息子を追い詰めてしまったのか。

 

 この儀式は司の命を捨ててまで成功させる意味がない。なにしろやり直しがきくのだ。司の傷が癒えてから再度行ってもいいのだ。

 

 しかし当の本人が中断されることを拒むように舞い続けている。

 痛いだろうに苦しいだろうに。涙一つこぼさず泣き言など口にも出さずにただ自らの役目を、藤宮の『義務と責任』を果たそうと儀式魔術を続けている。

 

 警備担当者はすでに狙撃手を捕らえると周辺の警備を強化する。

 補助の術士は少しでも巫女の負担を軽くすべく祭場の魔力を整える。

 

 反論はなかった。

 銃弾を受けてなお巫女の役目を果たすと立つ幼子の気迫に圧倒され、反論の声さえ出せずにいた。その姿に感動さえした。

 

 まさに藤宮の直系。藤宮の跡取り。

 

 一族の者はなんとしても愛しい一族の子の願いを叶えようと可能な限りの助力をはじめる。

 

 口惜しいのは儀式魔術の最中である司に治癒の魔術を使えないことだった。そんなことをすれば複数の魔術が競合を起こし儀式魔術が崩壊しかねない。

 治癒を得意とする術者がいつでも司を治療出来るようにそばに控えることしかできない。

 

 鈴の音が鳴り響く。

 

 しゃらん。

 しゃらん。

 しゃらん。

 

 司はいまだに舞い続けていた。すでに体力は限界に近く、出血も危険なほどであるはずなのに。

 

 足さばきと左手一本で舞い続ける少年の鈴の音。

 その強烈な意志は『大祭』の失敗を許さず。集められた魔力を制御するとまとめあげていく。

 

 父が難しい顔をしてこちらを見ていることに司は少しだけ困った。

 父は無愛想でわかりにくいが実は感情豊かだ。今も自分を心配していつでも助けられるようにと焦れている。

 

 ふと視界に入った祭場の隅に見知った顔が数人待機している。彼らは治癒術に優れた術者のはずだ。おそらく父の指示かあるいは命じられるまでもなく動いたのだろう。

 自分が倒れるか、儀式が終了したら即座に治療出来るようにと。

 

 ああ、こんなに心配をかけてやっぱり僕は『悪い子』なんだ。

 僕は結局『いい子』になれない。司は胸に冷たい空気が差し込んだような空虚さを感じて泣きだしたい気分になった。

 

 母の言葉を嘘にした。

 父に心配をかけた。

 一族の人たちも心配そうにこちらを見つめている。『大祭』が成功するかどうかではなく、自分を心配しているのだと何故か理解出来た。

 

 この場にいる自分以外の大人は『大祭』を失敗させてもいいとまで考えてくれていることもなぜか理解出来た。

 一族の子を失うくらいなら『大祭』を失敗させてでも救い出そうと決意しているのだと。

 

 何故か今までわからなかったことも理解出来る。不思議な万能感にも似たなにかが司を満たしていた。

 

 大丈夫とみんなに笑いかける。

 

『大祭』は成功させてみせる。

 それだけはけして譲れない。これで失敗するなんて認められない。許せない。ありえない。

 

 そう今なら『大祭』なんて簡単に成功するはずだ。理由なく司はそう理解していた。

 

 なにかの声が聞こえる気がするが司は無視した。

 いまは『大祭』を成功させることが重要なのだ。それ以外などたいした問題ではない。

 

 祭場の魔力が収束していく。まるで世界中の魔力を集めたと錯覚しそうな程の強力な魔力がその場に満ちる。

 そしてそれは藤宮が祭る巨石へと吸い込まれていった。

 

 魔力を集め、収束し、『大神』を祭る巨石に捧げる。

 簡単にいえばこれが藤宮一族の『大祭』である。

 

 言葉にすれば簡単だが、莫大な魔力を集めてそれを制御しきるのはかなりの難事だ。だからこその儀式魔術であり補佐をする大人たちがいる。

 

 仮に失敗しても司の将来に傷がつくことはなかっただろう。負傷した身で行えるほど巫女の役目は容易くないのだ。

 それが負傷してなお司は『大祭』を成功させた。周囲の一族の者たちが司を見る目が一変したと言っていい。

 

 子供のわがままと思っていた剣術は確実に司の血肉になっていた。あれほどの精神力と気迫。いったい司に剣を教えた宗鉄の妻はどれほど厳しい修行を息子につけたのか。

 

 魔力の制御も見事の一言だ。とても魔術の修行をさぼっていた者とは思えない。おそらく人目につかないところでしっかりと基礎の修行はしていたのだろうと皆考えた。

 

 司は将来よい術者に、そして立派な当主になり得る。

 一族の者はそれを喜び、自然気も緩んだ。

 

 

 

 

『大祭』の成功を確認した司はこれで終われると安堵した。

 周囲を見てもみんな喜んでくれている。これなら僕はきっと良いことをしたのだと。

 

 ふいに意識が薄れていく。身体から力が抜け落ちていく。

 そして司は藤宮の『義務と責任』をやりとげた満足感を抱いて意識を失った。

 

 

 

 そのとき再び思いもかけないことが起こった。

 

『大祭』は無事終わったと思い周囲の人間が安堵した瞬間。

 巨石から巨大な魔力が放たれ、巫女たる少年を包み込んだのだ。

 

 大人たちは驚きつつも動き出した。

 大人たちは『大祭』の魔力が術者たる巫女に逆流したと考えた。

 

 珍しい現象ではある。滅多にない話だ。だが十分にありえると一族の者は知っていることだ。

 

 失敗した『大祭』の儀式魔術により『大神』の魔力の一部が暴走して術者を襲う。可能性としてはある。だが滅多に起こらない。よほどひどい失敗をしない限りは起こりえない事態だ。

 

 そしてその場合。莫大な魔力にあてられた術者は命の危機さえあるだろう。

 

 一族の幼子を。藤宮の後継者を救うために全員がかりで『大神』を鎮めるべく決死の覚悟で術を使う。

 

 しかし手応えがない。

 

 儀式魔術が暴走したにしてはまるで手応えがない。

 巨大な落石を受け止める気でいたら小石すら降ってこないような肩すかしを食らって大人たちは困惑した。

 

 そうしている間にも巫女は巨大な魔力に包まれて意識を失っていた。

 しかしこれは暴走しているというよりも……。

 

 

 

 

 司の意識に語りかけてくる声があった。

 それは穏やかで優しそうでどこか悪戯っぽい稚気を感じさせる女性の声だった。

 

『本当におもしろい子だね君は。まさかその幼さで『気と魔力の合一』を実現させるとは思わなかったよ。死にかけで生存本能がリミッターを外していたけれどそれでも普通無理だと思うんだけどな。気で身体を強化しながら魔術を行使する『気と魔力の多目的同時利用』なんてさ。そんなこと出来る人間なんて現在ではたぶんいないよ』

 

 興味深そうにこちらを覗き込むような空気を感じて司の意識は不思議に感じた。この人は誰だろうと。

 

『君は本当におもしろい。君ならばこのつまらない世界も変えてしまえるかもしれない。『偽りの英雄』など飛び越えて『道化』などものともせずに救いを望みながら救われずに暴走した哀れな『亡霊』をも救えるかもしれない』

 

 偽りの英雄。道化。救われなかった亡霊。

 

 よく理解出来ないなりにいくつかの単語が印象に残り司は戸惑う。たぶん女の人だと思うけど彼女はなにを言っているのだろう。

 

『うん決めた! 君こそが真の英雄。この世界のヒーローだ! この雫さんが力を貸してやろうじゃないか! 赤毛の馬鹿親子なんてぶっ飛ばして君が世界を救うのだ! そうそれがいいよ! だってあいつら馬鹿だもん。悪役ぶっ飛ばして世界救ったと自己満足しながら実際なにも出来なかったし、それの後始末を息子に押しつけて息子の方も馬鹿だから一度は拒否した案で革命起こして世界に紛争と混乱をばらまいたあげく戦争を引き起こすし、なにが『世界を救った英雄』だか、ホント笑わせるよね! おまけにわたしのおうちまで破壊してくれたからこうして過去っぽいところに逃げ出すはめになるしさ! あいつらは結局自分のやりたいように気にくわない奴をぶっ飛ばして世界を弄くり回しただけだよ! とんだ疫病神さ! いっそ『亡霊』に魔法世界を綺麗さっぱり救ってもらった方がよほど平和だったろうにさ!』

 

 やけにテンションが高く、子供のようにはしゃいだかと思えばよほど鬱憤でもたまっているのかぐちぐちと文句を連ねる。

 司には何が何だかわからない。

 

 当然だ。彼女は司のまだ知らない異世界と未来について語っているのだから。彼女の言葉を借りれば『未来っぽいところ』から彼女は来ている。その彼女の語る英雄は地球では無名の人物であり、その息子は現在はまだ幼児だ。司が知るわけがない。

 

『君なら素質もばっちりだし魂もあの馬鹿親子なんか目じゃない。そのうえ雫さんが力を貸せば世界の一つや二つ救えるさ! 君は君の思うままに生きればきっと勝手に世界が救われているよ(・・・・・・・・・・・・・・・・)! だって君は……』

 

 ――藤宮の大神たるわたしが選んだ御子なのだからね!――。

 

 

 

 

「……もしや『大神』がこの子を守っているのか?」

 

 宗鉄はそうつぶやくと改めて正体不明の魔力を観察する。

 

 強力な魔力に包まれている息子の姿は少なくとも害を加えられているようには見えない。むしろ守られているようにしか思えない。

 魔力も敵意や害意を感じずむしろ暖かな慈しみすら感じる。

 

『大神』の魔力が暴走する気配がない。

 ならば『大祭』は無事成功したのだろう。

 

 では、あれはなにか?

 

 脳裏にひらめくものがあった。

『大神に愛された者』

 そう呼ばれた過去の達人たち。

 

『大神』の加護を受けたといわれる歴代の達人たち。

 

 宗鉄は周囲の制止を振り切って『大祭』をやりきった息子のもとへ向かう。

 巨大な魔力に包まれて宙に浮かぶ息子の前に立つと息子の様子を見る。

 

 まるで安らかに眠っているようだった。『大祭』の疲労も負傷の痛みも、ましてや巨大な魔力に襲われ食われている様子もない。

 

 まさかと思って息子の右肩を見ると怪我が傷跡もなく癒されていた。

 そして息子を包む魔力も暴走しているというよりも息子を大事に守っているように感じられた。

 

「『大神』の加護でも受けたか……」

 

 手を差しのべて小さな息子の身体を受け止め抱きしめる。

 すると魔力はそれを見届けたかのように消え去った。

 

「当主! ご無事ですか!?」

「なんという無茶をなさるのです!?」

「うろたえるな」

 

 騒ぎ出す周囲を煩わしそうに静める。

 

「あれは『大祭』の……儀式魔術の暴走ではない」

「では、いったいあれは?」

「どうやら息子は『大神』に気に入られたらしい」

 

 当主の言葉に周囲はなにをいっているのかという顔をしたがやがて気がついた。

 

「まさか……加護を受けられたのですか?」

「そうとしか思えまい。ほれ、銃撃された傷もふさがっておる」

 

 血を流しながら舞ったにしては血色の良い少年の顔色を。右肩の傷が綺麗にふさがっているのを。最後に巫女をつとめた少年の魔力を感じて周囲は感嘆の声をあげた。

 

「これは、若様の魔力が以前に比べて格段に大きくなっておりますな」

「ああ、過去に前例もある。『大祭』の巫女が『大神』の加護を受け、その後偉大な術者になったという。まさか我が子がそうなるとは思わなかった」

 

 普段は人前ではいかめしい表情を崩さない宗鉄が表情を綻ばせる。周囲の一族の者たちもおそらくはそうだろうと納得しながらも慎重論をのべた。

 

「いやいや、まだ決めつけるのは早いですぞ。ことは藤宮一族の重大事。もう少し様子を見てからの方がよろしいでしょう」

 

 それほど『大神』の加護を受けたという事実は一族の者にとっては重い。軽々しく事実と認めるのは危険である。

 

 もし誤りであったら司に『大神』の加護を受けたと詐称させたことになってしまう。

 この子の将来を考えれば少なくとも周囲の者が納得できるだけのなにかがはっきりするまでは秘するべきだった。

 

 周囲の忠告に宗鉄も冷静さをとりもどした。

 純粋に一族の当主として、そして親として『大神』の加護を得た息子の将来を期待して喜んでしまったがただ無責任に喜べることでもない。

 いつものいかめしいしかめっ面に戻った宗鉄はとりつくろうように言い訳を口にした。

 

「そうだな……あるいは怪我をしてなお舞う巫女を哀れんで怪我を癒してくれただけかもしれん。魔力に関しても逆境で儀式魔術をおこなったことで増大した可能性もある」

「我らが大神は伝承では人情味のある方らしいですからな、多いにありえましょう」

 

 周囲の者は『そういうことにしてとりつくろえ』という事だと察して話に乗った。

 

 この子が『大神の加護を得た者』として誰にも非難されないほどの実力や実績を持つまでは『大神』の慈悲を受けたとしておいた方がよい。その方が周囲に与える印象ははるかに軽くなる。

 

 事実はこの子がそれにふさわしい実力を得たときに『実はあの子は』と公表すればよいのだ。場合によっては一生秘したままでもいい。

 

 神の加護を得た人間という称号など他の魔術組織から狙われる可能性をあげるだけなのだから。

 

 危険ばかり増え、その肩書きを利用しようとする輩ばかり寄りつくのが簡単に予想できる。苦労ばかりさせるようなものだ。

 

 それに実際に一族の歴史書をひもとけば『大神』が哀れな境遇の人間を哀れんで施しを与えたり、その力を貸し与えたりという逸話は多い。

 

 この地に移り住んだ賊の退治に力と知恵を貸したり、日照り続きで作物が育たなかったときは雨を呼び、病に苦しんでいたときは病に効く温泉を掘り当ててそれを民衆に与えたり、伝承ではこの地の人々を愛し慈しむ慈悲深い神だと伝えられている。

 

「どちらにせよ。今日は我が子の成長が見られた。それだけでも喜ばしいことだ」

「確かに、今日の若様は見事なお振る舞いでしたな」

 

 負傷をしながらも『大祭』を最後までやりとげた胆力と魔力制御の技術。

 ここにいる大人たちのなかで司の資質を疑う者はもういないだろう。

 

「できれば今後は魔術の修行にも熱心になられると申し分ないですな」

 

 一族の年寄りが『あれだけの才能を磨かないのは惜しい』と首を振る。

 本当に見事な才能なのだ。剣術に注ぐ情熱の半分も魔術に向ければきっと大成するだろう。

 

「それは私から言い聞かせよう。あれほどの才があるのだ。鍛えれば必ずものになるだろう」

 

 抱きしめた息子の身体の小ささ、腕にかかる軽さに少しだけ顔がほころぶ。

 この息子はこの小さい身体であの『大祭』をやりきったのだ。

 周囲の反対を押し切ってまで強行した甲斐があった。これを機会に息子が藤宮の跡取りという立場を理解して精神的に成長してくれればと願う。

 

 結果は期待以上だったのだ。

 補佐があれば『大祭』を乗り切れる才能はあると考えていたがほとんど独力でなしとげかけ、妨害により負傷してもなお諦める事なくやりとげて見せた。さすがに負傷後は周囲の大人たちが手を貸したが、さすがにそれは仕方がないだろう。

 

 修行を嫌がっていたが今日の『大祭』を見る限り魔力制御の技術はすでに一流に手が届きかねないほどだろう。おそらくは剣術の修行で精神力が鍛えられたことと後はおそらくこっそり修行していたのかもしれない。

 

 銃撃を受けてもひるまないなど胆力も申し分ない。

 あるいはそれも剣術の修行で磨かれた胆力かもしれない。

 

 なにしろ息子の剣術の師である妻はあの神鳴流を伝える青山家の出身だ。

 最強の一角に数えられた女傑の修行なのだ。生半可な修行ではない。

 その妻をして年齢を考えれば優秀だと褒めるほどだ。青山の家にも同年代で司以上の才のある者は少ないだろうと。

 

「本当によくやった。司」

 

 腕の中で眠るまだ小さな息子に微笑みかけた。

 

 この小さな身体が自分よりも大きく育つ頃にはいったいどれほどの人物に育っているのだろうか。

 

 息子の将来に期待し、その将来性を信じて幸福に浸る父親の姿がそこにあった。

 

 だが宗鉄はすぐに現実に気がついて全身に冷や水を浴びる羽目になる。

 

 それは息子の司が、関西呪術協会の姫である近衛木乃香とならぶ『極東最大の魔力保持者』と世界中に認定されたと知ったときであった。

 

 

 

 

 藤宮司は十歳の幼さで一族の一大行事たる『大祭』の巫女をやり遂げた。

 その件で元から大きかった魔力保有量がさらに増加して、関東最大の魔力保有者と呼ばれ、関西の近衛木乃香に並ぶ者と呼ばれた。

 

 父と母、一族に温かく見守られながらも厳しく鍛えられた司は『極東最大の魔力保持者』の名声に恥じない実力を身につけ、まだ幼く未熟であってもけして魔力だけの張りぼてではない実力者に育った。

 

 そして地元の小学校を卒業し、司は麻帆良学園に招かれる。

 麻帆良学園中等部の新入生として。

 


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