「朝だ……」
司は憂鬱そうな顔で呟いた。
朝食の席に行けば、間違いなくあの三人と顔を合わせることになる。
風呂場に乱入という暴挙を行った三人とだ。
あの場は雰囲気と勢いで流されてしまったが、部屋に戻って冷静になると死ぬほど恥ずかしかった。
同年齢の少女と一緒のお風呂に入ったのだ。
お互い全裸で。
女性の裸を見たことがないわけではない。
女性に風呂場に連れ込まれるなども結構あった。
同年齢から年下年上、そろいもそろってなぜか司はそういうことに縁があった。
けれどやはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
そういった女性たちは司の身体を見て『綺麗』だの『可愛い』だの言うが、司にとってはコンプレックスを感じる身体なのだ。
男性らしさのまったくない。少女のような身体。
開き直って「僕って綺麗でしょ」とでも言えれば幸せに生きられるのかもしれないが、まだそこまで到達していない。自分では男のつもりなのだ。
「とりあえず……このことは誰にも話さないように口止めしよう」
麻帆良で混浴したことをばらされたら人生が終わりかねない。
女子と親しい事への嫉妬など楽に飛び越えて、男どもたちから私刑制裁を喰らう。
『モテ男死ね』
『イケメンに呪いを』
呪詛を口に出しながら世界を呪いそうな男どもの怨念は、司から見ても怖い。
朝食の席は意外なほど普通だった。
夕映ものどかもごく普通の態度で接してきて昨日あのような行動を取ったとはとても思えない平常運転っぷりだった。
まさか夢か? 夢だったのか?
そう疑いたくなるが耳元でささやいたエヴァンジェリンの言葉が逃避を許さない。
「昨日はよく眠れたか? ……さぞいい夢が見られただろう? もし我慢出来なくなったらいつでも言え、大人の世界を教えてやる」
背筋がふるえるような甘い声音だった。
大人の世界ってナンですか? ……ええ、わかっています。アレですね。いえ、まだ結構です。ボクはまだコドモで結構ですから。
中学一年生でそういうことはいくらなんでも早すぎな気がする。
司如き幼い少年では少女たちの内面をすべて見通すことなど出来るはずもなく。
内心では恥ずかしさと若干の後悔で死にかけていた二人の少女の羞恥など気がつくはずもない。
もちろんエヴァンジェリンが誘惑してくる理由もわからない。
わからないなりに司は。
「とりあえず昨日のことは気にしないことにしよう」
きっと旅行で羽目を外しただけだろう。
あるいは男とも思われていなかったか、本当は女なのではないかと疑って確認のために乗り込んできたのかもしれない。
「そういえば刀子さんもそうだった」
一緒にシャワーをあびましょうと引っ張っていって、こちらの股間を見て目を丸くしていた「ホントに男の子だったんだ」というつぶやきはきちんと聞こえていた。
付け加えるなら同様のことをやった女性は刀子だけではない。
「まったく……人のことをなんだと」
思いだしたら腹が立ってきた。
「それはともかくそろそろ彼女たちにも説明した方がいいかな?」
気を取り直して目前の問題に意識を向ける。
夕映ものどかも精霊術を学んでいる。
あの習得速度なら直に上級精霊術も身につけるだろう。
そのときに『上級精霊術を使えば司のように精霊の侵食を受ける』などと誤解して欲しくない。
『普通の精霊術』で司ほど侵食を受けることなどまずありえないのだから。
「これは特殊だから」
司はほんの少し自嘲する。自分の運命を呪いはしない。しかしそれでも普通に生きている人が羨ましく感じるときはある。
『大神の加護』
それにより司は極東最大の魔力を得た。そして同時にその魂を精霊に近づけることになった。
エヴァンジェリンのように気配に鋭敏なものなら一目で違和感を感じるほどに人間から外れている。
司が加護を受けたと考えた一族が調べ上げた結果わかったこと。
『大神』とは太古の精霊である。
それは意志を持つ人外であり、人と何ら変わらない姿で千年を生きる神にも等しい存在である。
その姿は常に美しい少女の姿であり、藤宮の初代に精霊術を伝えた。
それ以来藤宮の家と共にあり、時に姿を現しては藤宮の人間を助け、今は眠りについている。
その『加護』とは。
『大神』と祀られたその精霊に等しい存在になること。
神と讃えられたその力、その存在に近づくこと。
それ故に人ではなくなる。
もっとも歴代の『加護』を受けた先人たちも、完全に『大神』と同等にまでなる事は出来ず。せいぜい人より優れた力を持ち、多少長く生きた程度だったらしい。
司もおそらくそうだろうと一族は考えている。
『大神』の外見を受け継ぎ、魔術の才を得て、多少の長寿を得る。
そのあたりが人の身で『神に似せる』ことの限界であろうと。
もっとも外見に関して言えば、生まれつきの可能性もないわけでもないが。
幼児期ならともかく思春期になっても男性的特徴が現れないのは、『加護』を得たせいではないかと考えた方が自然だろう。
「つまり、私たちがそうなることはありえないということですか?」
一室で事情を説明された夕映とのどかは目を丸くしていた。
なにしろ自分は神様の加護を受けていると宣言したのだ。魔法を知る前の二人なら冗談かと笑い飛ばしたかもしれない。
藤宮の家の成り立ち、その使命。
『大神』の存在なども聞かされて、二人は目を輝かせていた。
「なんというか……まるで選ばれた勇者というか、特別な血筋の主人公というか」
「すごいね……本当にこんな事ってあるんだね」
どこか興奮した様子で語り合う。
確かに藤宮の家や司の存在はそう言えなくもない。
もっともそこで生まれ育った司にしてみればありがたがるようなものではないと思うのだが。ましてや司はその『大神』と面識がある。一族でも限られた者しか知らない秘事であり、まだ彼女たちに明かせる話ではないがアレは断じてそんなありがたがるような大層なものではないと思える。
昔、そう父に言ったら『馬鹿者』と頭に拳骨を落とされ『他ではけして言うな。おまえは分別のない人間ではないだろう』と口止めされた。その後興味深げに『おまえがそれほど言うとはいったいどのような人物なのだ?』とこっそり聞いてきた。
あの藤宮の守護神は司以外の人間に会わない。今は気が乗らないのだそうだ。なので藤宮当主である宗鉄すら会った事がない。
司から自分たちの守護する『大神』の人となりを聞いた宗鉄は、少し頭痛をこらえるように額に手をやり『他言無用』と念を押してきた。
さすがの藤宮当主も多少ショックだったらしい。なにせ伝承では慈悲深く美しい女神なのだ。きっと歴代の藤宮一族が少しでも『大神』の威厳を出すために改竄したのだろうと司は思っている。
「ふん、つまりおまえは神の加護を受けた勇者な訳だな。しかも選ばれた一族出身の? これでなにやら悲劇でも背負っていたらまさに王道だな。ありふれすぎていて笑える」
なぜかその場で話を聞いていたエヴァンジェリンがせんべいをかみ砕きながらつまらなそうに口を挟む。
「それで? おまえは世界でも救うのか? それとも悪の大魔王を倒すのか?」
「からかわないでください。多少人と違う力があっても僕は普通の人間のつもりです。そんな物語じみたことにはなりませんよ」
冗談ではない。
司としては無事一族を継いで、次代に血と技を残せれば十分なのだ。
ゲームのような大冒険などする気がない。
だいたいそういう主人公って大抵不幸な目に遭うじゃないかと思う。
たとえば、恋人が死んだり、信じていた親友に裏切られたり、死にそうな目に遭ったり。
普通ではない家の生まれで、普通ではない身の上だが、これ以上人生を波瀾万丈にしたいとは思わない。
「普通? おまえが? ありえんな」
エヴァンジェリンは唇をひん曲げて嘲笑した。
「おまえもわかっているだろうに……『自分はちがう』とな」
口では嘲笑いながらもその視線はどこか哀れむような視線だった。
少女のような外見。
話の通りなら、おそらく大人になっても中年になっても司は女性のような外見のままだろう。
魔術の才。
極東最高の魔力保持者の一人。それに加えて魔術の才も際立っている。順調に成長すればおそらく極東最強の称号も得るだろう。
日本に根を下ろす歴史ある一族の嫡男。
例え跡を継がずとも、その血筋であるというだけで平凡な人生など送れまい。
確かに普通ではない。だが自分とは違う。
エヴァンジェリンは少しばかりの悲しさと共にそう思うが、それでもと考える。
人に忌み嫌われ、排斥されるような人生ではないだろう。
だがそれでも凡人の暮らしは送れず。平凡など夢見ることしか出来ない人生であろうと。
その外見は良くも悪くも人の目を引くだろう。
藤宮の治める地元に育ち、いろいろな意味で常識外れを許容出来る麻帆良にいるうちはいいだろう。
しかし他の土地で普通に受け入れられるか?
難しい。
麻帆良でさえ注目を受けるのだ。
よその土地などではとても人の目がうるさくて生きづらかろう。
そして極東最高の魔力に歴史ある一族の血筋。
利用しようと考え、すりよる者など掃いて捨てるほどいるに違いない。
いまは一族に守られているのだろう。
だがその庇護を失ったら?
自分の人生を生きるどころか日々の自由さえ失いかねない。
そして最強の魔法使いと自認する自分でさえ目を剥く魔術の才。
まさしく藤宮司は天才だ。
今は経験不足から『最強』とは言えない。
しかし素質は十分なのだ。その器はあると見ている。
十年後、いや数年真面目に修行するだけでこのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルとも並べるだろう。
そんな男が、平凡に平穏に日々を暮らせるか?
出来るわけがない。
最強の魔法使いが平穏を謳歌するなどありえない。
自分はその力ゆえに疎まれ恐れられた。
ナギもまたその力と存在を利用され、それを嫌ったかのように風来坊のように放浪していた。
近右衛門も極東最強と目され、麻帆良の長に据えられ魔法世界と現実世界をつなぐ橋渡し役として存在している。ほぼ麻帆良の置物扱いだ。彼に自由などあるのか?
噂に聞く限り大戦で活躍したナギの仲間たちも平凡とはほど遠い生き方をしている。
ある者は行方不明。ある者は隠遁生活。所在のはっきりしている者は近衛詠春のみだが、彼としても剣士として名を馳せていながら日本の魔術師を束ねる関西呪術協会の長という立場は不本意ではないのか。
力あるものは恐れられ、排斥されるか。畏れられ、利用されるか。
目の前の少年もいずれはそうなるだろう。
エヴァンジェリンの問いかけにわずかに不快そうな顔をしている少年。
「今はわからなくてもしかたがないが、いずれわかる。力にはしがらみがついてまわるものだとな」
哀れではある。
才こそ際立っているが、司の精神はその才能に比べれば穏やかすぎる。
野心がなく、平穏を愛し、小さな幸福を手に満足してしまいそうなところがある。
いっそ彼が野心家であれば、いやせめて一生を激しく生きることの出来る目的でもあればその人生は華麗で鮮やかな生き様になっただろう。
周囲もその生き様に瞠目し、自身も満たされたことだろう。
だがこの美しい少年にはその激しさがない。
才能にふさわしい人格をもたないことは不幸だろう。
才のない野心家はその一生を不本意に生きるだろう。
野心なき天才は平穏に生きることを周囲に認められないに違いない。
そういう意味では司は自分に似ている。
そう同情と哀れみを込めて思う。
自分の意志とは関わりのないところで、すでにその人生の舵は決められている。
排斥されるか、利用されるかの違いでしかない。
司がどんな夢を見ようと、それを叶えられることはないだろう。
ただ周囲の望むままに生き。
ただ周囲に許されるだけの自由を胸に抱える。
その虚ろな生き方にこの幼く優しい少年は耐えられるだろうか?
あるいは誇り高い面もある少年だ。ナギのようにあらゆるしがらみを捨てて世界をさまようかもしれない。
心優しい天才がどう生きるのか。
それを見届けるのも一興かもしれない。
口元が緩む。
それは見ていた夕映やのどかたちが驚くほどに綺麗で、優しい微笑だった。
司回のはずが、なぜか後半エヴァンジェリンが語りまくっています。
うちのエヴァは、恩人である司に好意を持っています。
ナギに似ているところがある。
自分に似ているところがある。
なんて喜んでいます。
すでに原作エヴァとは別人です。