帰省旅行を終えて麻帆良に帰り、そして二学期がはじまった。
「……なぜこうなる?」
司は憮然と呟いた。
視線の先にあるのは校内掲示板の新聞。
麻帆良の新聞部が発行している新聞だ。
小学校から大学まで、ほぼ麻帆良全域にばらまかれる結構規模の大きい発行物である。
そこにはどこぞのお嬢様のような品の良い笑顔を浮かべる『自分』の写真が写っていた。
「麻帆良のプリンセス……」
麻帆良男子中等部に在籍している一男子生徒を特集した記事だ。
『麻帆良のプリンセス』
それがこの写真の人物……司に贈られた称号だった。
男子中学生でありながらそこらの女子がかすむほどの美貌と気品をもつ人物として盛大に持ちあげられている。
ファンクラブの会員が千名を超える。
その写真販売をしていた生徒たちはかなりの高額の利益を出した。
なかでも掲載されている写真は数が少ないため『幻の微笑み』と呼ばれて希少価値が高く高額で取引されているらしい。
年齢性別を超えて人気があり、中学どころか小学校や高校やら大学にもファンがいるらしい。
『妹に欲しい』『恋人にしたい』『むしろ俺の嫁』『ひざまづいて忠誠を誓いたい』『姉妹の契りを交わしたい』『憧れのお姉さま』『声をかけられただけで昇天する自信がある』
「どこのアイドルだ……?」
なにやら知らぬうちにけっこうな人気らしい。
元から隠れた人気はあったらしいし、噂にもなっていたのは知っている。
けれどこうも大々的に取り上げられるほどとは知らなかった。
周囲の視線がひどく気に障る。
馬鹿にするような視線ではない。むしろどこか親しみすらある。
「俺たちの姫が全校に認められた!」
そう喜んでいるのだ。この学校の馬鹿どもは。
『プリンセス』の異名も彼らが影で司のことを『姫』と呼んでいたせいらしい。
「なぜこうなった……」
頭痛すら感じて司は額をおさえた。
「本当に好きよね、木乃香は」
神楽坂明日菜はどこか呆れたような口調で熱心に写真に見とれる親友に声をかけた。
近衛木乃香の手にある写真は隠し撮りと思わしき、一人の男子生徒の日常の光景だ。隠し撮りなのだろうが画質はいい、生き生きとした表情の彼の姿が良く撮れている。
彼のファンクラブが販売しているもので予約注文していた数枚がようやく彼女の手元に届き、いまはご満悦状態だ。
明日菜としては悪い人物とは思わないし、むしろその人柄には好感を感じてはいるがその写真を買い取って、休み時間の教室で眺めて悦に浸るほど好きかと言われればそうでもない。
むしろ外見的には嫌いかもしれない。
男らしくないと感じるし、男のくせに自分より美人というのはどういう事かと問い詰めたくなる。
明日菜の好みは渋い中年男性だ。写真の人物のような性別不明の生き物は正直あまり好かない。これでなよなよしたオカマ野郎だったら口も聞かないだろう。
「ええやん。こんなに美人なんやで……ええわぁ、こんど着物着てもらえへんかな?」
「着物? まぁ似合うと思うけど……」
艶やかな黒髪をしたおしとやかな美人だ。和服姿も似合うだろう。
ただと明日菜は少し頭痛を感じる。
「どう考えても男物の着物姿が想像出来ないわね」
むしろ女物の着物をきっちり着こなしてしずしず歩く姿なら簡単に想像出来る。すごい美人だ。きっと実物も似合っているに違いない。
「あぁ~着てくれへんやろか……」
木乃香が小さくため息をつく。同性の目から見ても今の木乃香はどこか色っぽい。さながら恋する乙女か。男性に女装させて楽しみたいというのは少し違う気がするが。
明日菜としてはあんたのほうが普通に似合うんじゃない? と思う。
この親友は実に理想的な日本人女性というような雰囲気と容姿の持ち主だ。和服だって似合うだろう。
もっとも彼女の気持ちも理解出来る。これほどの美人なのだ。自由に着せ替えできるとなれば楽しいだろうと思う。
だが。
「無理じゃない? あいつ女扱いされるのが嫌いみたいだし」
写真の人物。藤宮司とは面識がある。
女性のような外見をしているが、真面目で人当たりの良い男子だった。間違っても女装して喜ぶ変態ではない。
彼に女装を提案したら、きっと盛大に顔をしかめて断るだろう。
精神的には本当にまともな男子なのだ。
だから明日菜も友人付き合いをしているし、木乃香が一目惚れに近い入れ込みようをしていてもそれを止めようとは思わない。
「あー、それプリンセスの写真? ねぇねぇどんなの!?」
明るい声によく似合う快活な笑顔を浮かべた級友が木乃香に声をかけた。
木乃香の手元の写真を覗き込んで表情を輝かせる。
「あー、いいなぁ私服姿のがあるんだぁ……私は制服姿しか買えなかったのに」
佐々木まき絵が悔しそうに唇を尖らせた。
司の写真は制服が最も多く値段が安い。次に私服があるが数は少なく値段も割高、水着姿はあっという間に売り切れて入手不能。さらには学園新聞にも載ったレア写真まである。
「まき絵も買っとるんか?」
「うん、何枚か。いいよねぇ、こんな可愛い男の子がいるなんてびっくりだよね」
「そうやなぁ、人体の神秘やな」
「ドレス姿とか似合いそうだよね? なにかのイベントとかで着てくれないかなぁ」
「ドレスか、ええなぁ。やっぱお姫様にはドレスやな」
二人で意気投合している。
「……絶対に嫌がると思うけど」
明日菜がぼそりと呟くが二人には聞こえない。
「え、えーと明日菜、もしかしてプリンセスと知り合いなの?」
横から声をかけられて振り向くと驚いた顔をしている和泉亜子がいた。
「うん、友達だけど」
「えぇえええええええええええええ!!!!」
「ちょ、驚きすぎ!」
「ご、ごめん、でも……そっか、ええなぁ」
「あんたもファンなの?」
お前もかという目で見る。正直友人たちがここまで目の色を変えるのが理解出来ない。
「……明日菜、私たち友達だよね?」
「……なにがいいたいのよ? 言っておくけど私より木乃香の方が親しいわよ? 二人っきりで遊びに行くくらいだし」
直後二人の少女が席に座って写真を見つめていた木乃香の両隣に立った。
ぽんとその肩に手を置く。両肩に異様な重みを感じた木乃香は表情をこわばらせた。
「木乃香……私たち友達だよね」
「木乃香は友達思いの良い子や、うちは信じとる」
怖くて振り返れない。背筋が冷たくなりいやな汗が止まらない。というか二人ともこんな声が出せたのか? まるで平坦な感情を感じさせない冷たく暗い声。
あかん。
ここで選択肢を間違えたらうちは死ねる!
木乃香は愛想笑いを浮かべながらなんとか口を開いた。
「こ、今度一緒に遊びにいかへん……? 紹介するで?」
「うん、楽しみにしているね……本当に楽しみだなぁ」
「うちは木乃香を信じとる……楽しみやなぁ」
言外に約束を破ったらどうなるかわかっているなと突きつけられた気がする。
そんな様子に呆れている明日菜に異変に気がついた雪広あやかがやってきた。
「ちょっと、明日菜さん。あれは大丈夫なんですの?」
うつろな目で木乃香の肩に手を置く二人に視線をやって尋ねる。クラス委員長としては少々見とがめる光景だ。なんというか二人に威圧されている木乃香が気の毒で仕方がない。
「いいんちょ、私に聞かないでよ……たぶん大丈夫じゃない。たぶんだけど」
いいんちょとは雪広あやかのあだ名みたいなものだ。
クラス委員長だから『いいんちょ』
真面目な優等生で、クラス委員長としてクラスをまとめる彼女にささげられた名称だ。
「それにしても、プリンセスとやらはたいした人気ですわね。確かにあれほどの美しい男性がいるというのは驚きましたが」
「いいんちょは……聞くまでもないか」
「なんですの? わたくしの好みに口を出す気ですの? 明日菜さんが?」
「別に、なにもいってないじゃない」
あやかは小さくて可愛らしい男の子が大好きだ。
そのストライクゾーンからするとその美貌はともかく、同年齢であるプリンセスはストライクゾーンからやや外れる。
明日菜とはショタコン、オジコンと罵りあう仲だ。それでも小学校以来の親友でもあるのだが。
「それはともかく、あの写真は隠し撮りでしょう? 勝手に写真を撮られて売り買いされるなんて、きっと困っているのでしょうね。これはなんとか対策を取った方がいいのではないかしら」
委員長という立場もあるがもともと正義感の強いあやかはそう言って司に同情する。その眼差しを受けて木乃香は目をそらした。
「あかん……いいんちょ、わかっとらんわ」
亜子がその瞳に力を取り戻してあやかを一睨みした。
思わずあやかがびくりとふるえるほどの威圧感だ。
「い、和泉さん?」
日頃おとなしい彼女に似つかわしくない強烈な視線に多少うろたえる。
「うちらみたいな運もなく度胸も行動力もない一般人はプリンセスに話しかけることも出来ん。近寄ることすら出来へんのや。そんな行き場のない想いを彼の写真を見つめることで慰めるんや……これはうちらみたいな凡人への救済や。恵まれぬうちらへの救いの手や。それを隠し撮り写真がどうとかゆうて取り上げようなんて……なんて残酷なことをいうんか、いいんちょは!」
「そうだよ! これは恵まれない私たちの最後の希望なんだよ!」
まき絵もそう息巻く。
二人のあまりの剣幕にあやかは後ずさる。
「はっ! 殺気!?」
慌てて周囲を伺うとこちらに非好意的な視線がクラスの中から数点。
たぶんプリンセスのファンだろう。隠し撮り写真の購入者に違いない。
「べ、べつにわたくしはそんなつもりでは……ただその方が困っているのではと、あなた方だって自分の隠し撮り写真がばらまかれたら困るでしょう?」
「いいんちょ」
ぽんと肩が叩かれる。振り返るととてもいい笑顔をした朝倉和美がいた。
「確かに隠し撮り写真をばらまくなんてプライバシーの侵害だね」
自称ジャーナリストらしい倫理観を聞いてあやかの表情に力が戻る。『パパラッチがなにを言うか』という周囲の声は無視だ。
「そ、そうですわ。わたくしは当然の指摘をしただけで」
そんなあやかにいい笑顔を浮かべて和美が言葉を続ける。
「でもね。世の中きれい事だけでは回らないんだよ? プリンセスの写真が欲しいっていう人間はいくらでもいる。販売を禁止したらみんなきっと自分の手でプリンセスの写真を手に入れようと行動すると思うよ。そうしたらもっと彼に迷惑がかかるんじゃないかな?」
言葉が出ない。
必要悪だと主張する和美に、あやかは口ごもった。
「まぁ、本音を言えばこれって儲かるらしいからきっと規制しようが弾圧しようがきっと無理だって」
あははと笑う。
その笑顔にあやかは激昂した。
「結局お金儲けなんですの!?」
「買う人がいるからしょうがないでしょ。有名税ってヤツ?」
「なっとくできません!」
ぎゃあぎゃあと盗撮写真容認派と『いいんちょ』こと雪広あやかの論戦がおこなわれる。
あやかの弁舌は豊かだが、容認派は数で攻める。中立派は高みの見物どころか両者を煽っていた。
今日も騒がしい1-Aだった。
騒がしいクラスメイトから離れた場所で夕映はどこか悪役っぽい笑みを浮かべてみせた。
「ふふ、非公認ファンクラブの盗撮写真で満足するなんてしょせんもぐりなのです」
「夕映……そんなこと言ったら悪いよ」
のどかが小さな声でたしなめるが夕映は止まらない。
「我々には茶々丸さんがいます。あんなものに頼る必要はないのです」
「はい、司さんの日常の記録でしたらいくらでも」
どこか勝ち誇ったように茶々丸が応じる。あんな盗撮写真など比較にならないお宝が彼女の元にはあるのだ。
科学の粋を結集したアンドロイドの茶々丸ならば、目視した司の姿を写真だろうと動画だろうと保存できる。
それを夕映、のどか、エヴァンジェリンらと共に鑑賞して楽しむのだ。
茶々丸自身も司のデータはエヴァンジェリンのデータに匹敵するお気に入りである。
トップスリーは『一緒に料理をする司』『戦闘訓練をする司』『司の寝顔』である。どれも非公認ファンクラブなどがどれほど欲しても得られないお宝だ。
悪いといいながらものどか自身、盗撮写真でしか彼を知らないクラスメイトより、彼の弟子であり、エヴァンジェリンの別荘で寝食を共にしている自分たちの方が司に近いという優越感はある。もちろん他の二人にもそれがあり、大騒ぎするクラスメイトをどこか対岸の火事を眺める野次馬の様子で眺めていた。
彼女たちにとっては非公認ファンクラブの盗撮写真がどうなろうと関係がない。
他にもプリンセスにそれほど興味がないクラスメイトも多い。
話題のタネくらいにはしても写真を買い込むまでは興味がない。それが基本的に大多数だろう。実際クラスの輪の中であやか相手に積極的に口論しているのは数人程度だ。
「けど司さんも有名人になったね」
「まぁ、目立つ人ですから仕方ありません。本人はいやな顔をすると思いますが」
有名人になった自分の姿を憮然とした顔で睨みつけている姿が容易に想像出来る。
「司さんが人気者になろうと私たちのすることは変わりません」
茶々丸の言葉に夕映とのどかが肯く。
「さっそく今夜でもどうでしょうか? 司さんが帰った後にでも」
「楽しみです。今日はどんな司さんが見られるのでしょう」
「鑑賞会、楽しみだね」
司を話のタネに仲の良い三人であった。
「あはは、いやぁ今日はひどい目にあったわ」
放課後、明日菜と二人で帰路を歩きながら陽気に笑う木乃香だったが、あの時は本当に怖かった。まさかあれほど怒るとは……。
明日菜もあの時の二人を思い出す。
……確かに怖かった。
普段は明るいまき絵と普段おとなしい亜子が別人のような威圧感を放っていた。
「いいんちょのおかげでごまかせたけど、どうするの?」
矛先があやかにうつったおかげでうやむやになったが、そんなごまかしでは二人は納得しないだろう。
「ん~、司くんに会わせればなんとかなるやろ」
そう木乃香が笑う。
明日菜もたぶんそれで大丈夫だろうと思った。
根にもってイヤなことをしてくるような友人たちではない。
憧れのプリンセスに会えたら、むしろ引き合わせてくれた木乃香に感謝するのではないだろうか?
「失礼お嬢さん」
電車を降りて女子寮に向かう途中声をかけられて二人は足を止めた。
正面に立った男性に視線を向ける。声をかけてきたのは間違いなく彼だ。
黒髪を短くした二十代くらいの男性。長身で顔立ちが整っているのでモデルのようだ。スーツ姿がよく似合う。
「なにかご用ですか?」
身なりもしっかりしていて、いかにも人の良さそうな笑みを浮かべている男性に特に危機感もなく木乃香は問いかけた。
「近衛木乃香嬢はあなたで間違いないですよね?」
「そうやけど、あんさんは誰や?」
見知らぬ男性の顔をよく見て、やはり心当たりはないと再確認する。
もしかしたらお爺ちゃんの知り合いやろか?
祖父である近右衛門はなにかと顔が広い。自分の知らない知り合いがいてもおかしくない。
「いえね、少しご一緒してもらいたいのですよ」
「すまんなぁ、うちは見知らぬ人についていったらあかんってお父様にいいつかっとるんよ」
やんわりと拒絶する。
さすがにそのくらいの警戒心は持っている。
目の前の男性が外見が良いだけの誘拐犯や変質者である可能性はないとはいえない。
いきなり現れてついてこいといわれてついていくほど木乃香は馬鹿でもなければ幼くもない。
話は終わりだろう。
この男性が不審者ではなく本当の客なら祖父に連絡を取って、祖父から話が来るだろう。
この場は避けてしまって問題ない。
例え客でも自分の名前も名乗らない人物のいいなりになる気はない。
「そうですか、しかたないですね」
男性は小さく肩をすくめて、そして消えた。
「え?」
気がつくと木乃香は男性に後ろから抱きしめられていた。
「な、なにする……んや……」
強い拒絶の言葉も勢いを失って消えていく。
身体から力が抜け、意識がかすみがかったように薄れていく。
「木乃香!?」
親友の悲鳴が聞こえる。すぐになにかの気配と重い打撃音が聞こえて誰かが倒れる音がした。
あかんなぁ、うち死んだかもしれん。
これが誘拐に属するものであると瞬時に判断した木乃香はそんなことを思い。絶望を胸に抱きながら意識が薄れていく。
死にたくないなぁ。
ひどいこととかされたくないなぁ。
明日菜は大丈夫やろか?
そんなまとまりのない思考の中で、優しい笑みを浮かべる少年の顔が浮かんで消えた。
もし助けに来てくれたら……お嫁さんになってあげてもええわ。司くん……。
そんな夢想で絶望感をごまかし、木乃香の意識は暗闇へと落ちていった。
「すみませんね。こちらには時間がないのですよ……そっちの少女は放っておきなさい。知られたところでいまさらなにも出来はしない」
「はい、衛史郎様」
意識を失った木乃香を抱えて男性はその場から消える。
その一時間後、麻帆良を守る結界が消滅した。
日が地平線に沈み。夜の世界へ移ろう頃のことだった。
正直、このあたりから物語を書き始めても良かったのでは? と思います。
設定的に司や木乃香の日常は唐突に破られてこそだと思いましたが、唐突すぎたかもしれません。