「この麻帆良が戦場になるとはな……」
エヴァンジェリンは忌々しそうに呟いた。
長い間呪いによって閉じ込められた場所であっても、その年月自分に平穏を与えた平和な町が戦場になる。自分の呪いが解かれたとたんに災厄が訪れたと考えるとなんともいえない不快感がある。
「準備できました」
エヴァンジェリンの家から藤宮司、綾瀬夕映、宮崎のどか、絡繰茶々丸が武装して歩み出す。
司は両手に二本の槍を持ち、身体を包む空色のマントを羽織っている。
夕映も漆黒の槍を大事そうに握り、司のマントに似た装飾の黒いマントを羽織っている。
のどかも同じ格好だ。
それぞれ司の所持する魔術道具で武装している。槍もマントも藤宮一族が保有する一級品のマジックアイテムらしい。他にも可能な限りの防御魔術が込められた護符なども身につけている。まさに完全装備だ。
さらに魔術の込められた呪符も各種持っている。
様々な魔術を操る司にはそんなもの必要がなさそうだが、戦場ではなにがあるかわからない。保険としてそれらの品も重要だ。夕映やのどかにとって自身では使えない高度な魔術を発動できる呪符はいざというときの切り札になり得る。
茶々丸も制作者である超鈴音や葉加瀬聡美が面白半分で制作した重火器を装備している。腕に抱える巨大なガトリングガンの砲身はなかなか迫力があった。
さらに背中に試作型の飛行ユニットを装備して単体でも飛行できる茶々丸の空中機動力をさらに向上させている。体内の武装オプションもすべて実戦用のものに交換していた。
「ふん、格好だけは一人前だな」
エヴァンジェリンは特に二人の少女を見て呟いた。
茶々丸はいい。自分の従者だ。彼女はアンドロイドでありもともと戦闘も想定されている。戦闘に対しての忌避感や恐怖などない。
司のことも認めている。模擬戦とはいえ自分を相手に一歩も引かずに戦える少年だ。これまでその人となりを見てきたが、師の教育が良かったのだろう。戦闘に対しても過度な怯えや慢心がない。生半可の相手に遅れはとらないだろう。
だがこの二人の少女はつい最近まで平穏な生活を送るただの一般人だった。
司と二人で性根から叩き直したが、まだ物足りない仕上がりだ。実戦で人間を相手に戦えるのか疑問だし、おそらくまだ人を殺すことは出来ないだろう。
近右衛門からの救援要請を受けてエヴァンジェリンと司は承諾した。二人とも自分自身だけの参加のつもりだったが、弟子である少女たちは自分たちも力になると訴えた。
結局説得する時間が惜しいことと、勝手に暴走されては迷惑ということで司によって十分な武装を渡された上で参加することになった。
「もう一度だけ聞いてやる。『戦争』をする覚悟があるか?」
「あるです!」
「だいじょうぶです」
元気のいい返事もエヴァンジェリンから見れば現実を知らない子供の言葉にしか聞こえない。
司も心配そうに見ているがそんな彼にエヴァンジェリンは鋭い視線を叩きつけた。
「貴様もだ小僧」
底冷えのする声音に司は少し驚いた顔をする。無性に腹立たしくエヴァンジェリンは舌打ちした。
「おまえたちに人を殺す覚悟があるか? 手足をもぎ、そののど笛を食いちぎる覚悟は出来ているのか?」
夕映とのどかは声も出せずに顔色を失った。
そこまでする必要があるのか? そう考えていることが手に取るようにわかる。あれほど裏の現実を叩き込んでやったのにいまだに表の常識を引きずっている少女たちに失望し、苛立った。
貴様もかと視線を向けると司は何事か考え込んでいた。
司の脳裏によぎったのは藤宮の大人たちの姿。その言葉だった。
『一族はその繁栄と平穏のために戦ってきた。それは他者を殺し、他者から奪い、他者を踏みにじってきた歴史だ。そうして我々の先祖は代々一族を守ってきたのだ』
それが藤宮に生まれた者の『義務と責任』
ここは藤宮の地ではない。司が戦わなければならない理由は少ない。
それでも友人たちを、弟子たちを、自分が数年過ごすことになる土地を守ることは間違っていないだろうと決断する。
そして視線をあげ、エヴァンジェリンと目を合わせたときその瞳に強烈な意志が宿っていた。
「僕は一族を守るために鍛えられてきました。一族を守るための
「……そうか」
そうだろうとエヴァンジェリンは心が躍るのを感じる。
この少年ならそうでなければならない。自分が認めた男が目の前の戦いに参加も出来ない腰抜けであっていいはずがない。
迷いのない瞳には、確かな『誇り』がうかがえる。藤宮の一族であるという誇り。一族に鍛えられたという誇り、そして戦いにのぞみ自己を貫き通す誇り。
「私もいくです」
「……私も少しでも力になれるなら」
司に引きずられるように夕映とのどかも参加を主張する。その目にはもう迷いはない。ただ自らの信じる人の後に続こうというひたむきさがあった。
まだ正直不足だ。だが本当に『覚悟』を得るためには実際に戦う必要があるだろう。その身体が血を流し、自らの手を血で汚して初めて『覚悟』というものを実感出来るのだ。その下地は十分叩き込んだ自信がある。
にぃと犬歯をみせてエヴァンジェリンは笑う。
「ならば行こうか、血と惨劇の宴に」
「いや、なかなかの見物だったよ」
唐突なその声にエヴァンジェリンは億劫そうに視線をやった。
気づいてはいた。
だから驚きはしない。闇に紛れようとこれほど至近距離にいてエヴァンジェリンが見逃すことなどそうはない。しかもこれほどの魔法使いをだ。
現れたのは白髪の少年だった。十歳程度だろうか、感情の見えない表情はまるで人形のようだ。どこかの学生服のような服装でエヴァンジェリンの視線を受けても悠然とたたずんでいる。
その身体に秘められた膨大な魔力。隠しているつもりだろうがエヴァンジェリン相手にこれほどの力を完全に隠せるはずがない。魔力だけなら最高位の魔法使いだろう。
「おまえは何者だ?」
「ただの通りすがりさ」
「もう一度だけ聞いてやろうか?」
「怖いな、そうすごまないでくれ。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル」
怖いといいながらその表情はぴくりとも動かない。
「噂とはずいぶん違うので驚いたよ。本物の『闇の福音』はずいぶん優しい人物らしい」
少年の言葉にエヴァンジェリンは不快感をあらわにした。
「ガキどもに心得を叩き込んだだけだ」
「覚悟のないものを戦いに巻き込まないようにかい?」
ちっと音を立てて舌打ちする。険のある視線が白髪の少年を射貫いた。
「殺しあいが望みか、小僧」
「ふふ、そう怒らないでくれ。怒らせる気はなかった。純粋に感心したんだよ。戦う覚悟のない素人が戦場をうろつくなんて僕も不快だからね」
そういって居並ぶ『少女たち』に視線をやる。
「使いものになりそうなのはそこの二槍の少女だけのようだね。そっちのロボットはマシそうだけど」
戦力外だと指摘された夕映とのどかが表情を険しくする。
別の理由で司も憮然としていた。いい加減にして欲しいというのが本音だ。
エヴァンジェリンの口元に場違いな笑みが浮かぶ。
こんな状況だが、腹を抱えて笑ってやりたい気分だ。
「そこのガキは男だぞ?」
「え?」
不意に無表情が崩れた。ぽかんとした顔で白髪の少年が司を見る。
「はじめまして、藤宮司です。一応男です」
「ああ……ああ、そうか君が藤宮の嫡男か、あの『極東最高の魔力保持者』『極東最強の弟子』か、これは失礼したね。君の名は聞き知っていたが姿までは知らなかった。たいそう美しい少年だと聞いていたが、いやこれほどとはね」
なるほど、そういえばすごい魔力だねと感心している。
「すまない。無礼をしたね。『不死の魔法使い』ばかりに目がいっていて君の実力を見誤った。確かに君の魔力は極東最高といっていい。いやはやとんだ失態だな。よく見ていればすぐにわかっただろうに」
「それで貴様はなにをしに来たのだ? 司に喧嘩を売りに来たのか?」
「まさか、僕が来たのは情報提供をしようと思ったからさ。この状況であいつらの計画をつぶせる人物に必要な情報を渡そうと思ってね」
その言葉にエヴァンジェリンの目が細まる。
「なるほど……それはありがたいな。この馬鹿騒ぎをおこした愚か者のことをわざわざ教えてくれるのか?」
礼を言うエヴァンジェリンの口調は皮肉げだ。信じていないという意志がその場にいる誰にも露骨に感じられた。
しかし白髪の少年は顔色一つ変えない。平然としたものだった。
「ああ、彼らの計画は僕にとっても有害だからね。出来ればつぶして欲しいんだ。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、君なら戦力として申し分ない」
「そんな情報ならなぜじじいに教えてやらない? きっと大喜びするだろうに」
「じじいというのは近衛近右衛門のことかい? 彼は確かに優秀だがその部下はそうでもない。しかも高畑・T・タカミチが不在だ。力不足だね」
あっさり麻帆良の魔法使いは役に立たないと断言する。
「……そうは思わないかい? 自慢の大結界が機能していないとはいえここまで簡単に部外者の侵入を許すのだからね。近衛近右衛門」
「確かに不甲斐ないの。気がついたのはわしだけ。しかも動かせる手札もないと来てわし自身が出向かねばならぬのだから」
その声に見上げると空にまるで散歩にでも来たような近衛近右衛門の姿があった。
「先生……」
司がその姿に驚く。
夕映やのどかも初めて見た『魔法使い』としての近右衛門の姿に声すら出ない。
外見は特に変わっていない。いつものような和服姿だ。しかしその存在感は普段見たことのある飄々とした老人『学園長』とはまるで別人だ。すさまじい魔力が秘められているのが一目でわかる。夕映やのどかでは100人でかかっても手も足も出ないだろう。
「ふむ、名を聞いても良いかの?」
「フェイトと名乗っているよ」
近右衛門の問いかけに白髪の少年は簡単に名乗った。
「僕の名前よりも今はもたらす情報の方が重要だと思うけどね」
「聞こう」
音も無く地面に降り立つ近右衛門の言葉にフェイトと名乗った少年は無表情に肯いた。
「敵の目的は魔法世界の破壊だよ。そのために麻帆良を無力化し、近衛木乃香をさらい、今まさにそのための儀式の真っ最中さ」
その言葉に近右衛門は目を見開き、エヴァンジェリンは小さく笑みを浮かべた。
「近衛木乃香か、アレの魔力は膨大だが、魔法世界……『異世界』を破壊出来るのか?」
出来るはずがないとエヴァンジェリンは笑い飛ばす。魔法世界は異空間に存在する異世界だ。それを破壊しようとすれば最低でも地球を粉々に砕くほどの力が必要だろう。近衛木乃香の魔力がどれほど膨大でもしょせん人間一人の持つ力だ。星を砕くほどではない。エヴァンジェリンでも不可能だろう。
フェイトは気を悪くした風もなく言葉を続けた。
「そのために麻帆良を無力化し、世界樹を手に入れた」
「なに!?」
近右衛門が鋭い声を上げた。
「今麻帆良に攻め寄せている中に一人でも『人間』がいたかい? あれは陽動に過ぎない。本命は結界を落とされ、戦力を引きずり出されて無警戒になった世界樹に陣取っているよ」
「世界樹か、目の付け所はいい。しかしそれでも足りん」
再びエヴァンジェリンが否定する。世界樹の魔力は確かに莫大だ。だがそれでも足りないだろう。
「そうかい? 世界樹は大発光に備えて魔力をためている。しかも別に魔法世界すべてを吹き飛ばす必要はないんだ。僕の調べた限りでは針の一差しで魔法世界を崩壊させる。そんな計画だよ。しかも使える魔力は世界樹だけではない。世界中の霊地の魔力すら使えると言ったら?」
ついにエヴァンジェリンも沈黙した。
世界樹――神木『蟠桃』は莫大な魔力を持つ、しかも二十二年に一度の周期で魔力保有量限界に達し大発光という現象を引き起こす。次の大発光は数年後だがすでにかなりの魔力がたまっている。
それに世界中の霊地の魔力を集中させたら?
その魔力は莫大の一言では表現できないほどになる。それこそ世界規模の魔法さえ使えるだろう。その魔力で魔法世界という異世界を崩壊させるための魔法儀式をおこなえば?
可能だろう。
儀式魔法に長けた一流の魔法使いと、トリガーを引くための膨大な魔力があれば良い。
そのための近衛木乃香。極東最大。世界でも有数の魔力を持ちながらなんの力も持たない無力な少女。自衛する力を自身では持たない彼女をさらうなど簡単だっただろう。一応護衛として桜咲刹那という神鳴流剣士がついているが、彼女は護衛対象から離れがちだ。隙をつくなど簡単だろう。麻帆良が機能していない状況でなら麻帆良の魔法使い、近右衛門の手も届くまい。
「よく考えたものだ……」
誰かは知らないがこれを仕組んだ奴はかなり頭が回り、そしてなにより運が良い。
麻帆良は万年人材不足でありその防衛を結界に頼っている。これを落とすだけでも麻帆良は混乱するだろう。麻帆良が混乱すれば極東の西洋魔法使いは組織だって動けない。麻帆良は極東においての西洋魔法使いの要なのだから。
そして麻帆良には世界樹があり、近衛木乃香がいた。
麻帆良が混乱していれば世界樹防衛の力は削がれる。近衛木乃香への目も逸れるだろう。
結界一つ落とすだけで彼らの望むものはほとんど無防備に目の前にさらされるのだ。これを幸運と呼ばずしてなんという。
彼らにとって不運があるとすれば。
にぃっとエヴァンジェリンは嘲笑った。
麻帆良は彼女のテリトリーであり、庭先だ。そこで暴れることがどういう事か理解していたのだろうか? それとも呪いで無力化されていると無視したのか。
しかし呪いは司によって解かれている。結界はエヴァンジェリンによって攻略済みだ。いや呪いは麻帆良にくくるものであり麻帆良内なら意味はない。そして力を封じる結界は彼らが落とす。どのみち彼らにとって自分は最大の障害になり得たのだ。
そしてここにはもう一人の極東最大魔力保持者がいる。その実力は麻帆良の魔法使いなどものともしない。高畑でさえ、初見であれば司に勝てるかどうか怪しい。
「おもしろい。魔法世界になど興味はないが私を愚弄した愚か者どもに身の程を教えてやろう」
「あなたならそういうと思ったよ『闇の福音』」
フェイトが無表情に口を開く。自分は力を貸せない。自分は出来れば目立つわけにはいかない立場だと。近右衛門は不審には思ったが追求しなかった。エヴァンジェリンはそもそも見知らぬ他人の力などあてにはしていない。
「急いだ方がいい。儀式魔法はおそらくすでにはじまっている」
エヴァンジェリンがその場にいる『魔法使い』を見渡した。
『関東最強の魔法使い』近衛近右衛門。
『もう一人の極東最大魔力保持者』藤宮司。
『藤宮司の弟子』綾瀬夕映、宮崎のどか。
そして従者の絡繰茶々丸。
「オイオイ、殺シアイダロ? オレモマゼロ」
エヴァンジェリンの家から人形が歩いてくる。
子供のような小さな姿。両手に持つナイフ。茶々丸に似通った顔。
「チャチャゼロか、外に出てくるとは珍しいな」
エヴァンジェリンのもう一人の従者。古くから彼女に付き従う殺戮人形。
科学と魔法のハイブリッドである茶々丸と違いエヴァンジェリンの魔法技術の結晶である存在。普段は外の世界は退屈だと『別荘』で自堕落に酒を飲んで暮らしている。ときおり司たちと模擬戦をして憂さを晴らしていた。司はともかく夕映たちは涙目になって逃げ回っていたが。
チャチャゼロはぴょんと跳び上がると茶々丸の頭に乗った。
「ふふ、じじいもかまわんな?」
「こっちから頭を下げて頼む所じゃて、本国消滅の危機じゃ……いっそ消えてくれた方がすっきりしそうじゃがな」
ふぉっふぉっふぉとそんな冗談を飛ばす。
麻帆良の上位組織は魔法世界に存在する。近右衛門は立場上魔法世界の危機を見過ごすわけにはいかない。
だがなにかとうるさい本国が消えてくれた方がすっきりすると思うのは実は本心だったりする。それでも魔法世界に住むすべての者の危機とあれば見て見ぬ振りなど出来るわけがないが。
「司、夕映、のどか、茶々丸」
名前を呼びその表情を確かめ、大丈夫だと安心した。
少なくともなにもわからずに戦場に乗り込もうという愚か者はこの中にはいない。
「行くぞ」
エヴァンジェリンの歩みに近右衛門と少年少女たちが続く。
それを見ていたフェイトが小さく呟いた。
「……旧世界に新たなる英雄現る、そうなるとおもしろいかもしれないね」
そのまま転移魔法で姿を消す。
エヴァンジェリンはそんな彼にもう注意を払わなかった。正体不明の情報提供者よりも、目の前の敵だ。万が一情報が虚偽だった場合は自分がいかに愚かなことをしたのか世界の果てまで追い詰めて思い知らせるだけだ。
「この情報はおそらく……」
虚偽ではあるまい。
すべてを明かしたわけではないだろう。もしくはなにかしら嘘が混じっているかもしれない。しかし世界樹になにかあるのは確かだろう。それが今明らかになった。
エヴァンジェリンの視線の先で夜の闇を払うほどの光が見える。
「……世界樹じゃ」
近右衛門がうめく。
「儀式魔法とやらがおこなわれているのですか?」
夕映の問いに司は肯いた。
「たぶんね。とんでもない魔力が世界樹に集まりはじめている」
先ほどまでまるで変わらなかった姿が嘘のようだ。おそらくなんらかの魔法で擬態していたのだろうとエヴァンジェリンが断言した。そうでなければ自分が気がつかないわけがないと。
「さて、愚か者を狩りに行くぞ」
不敵に笑うエヴァンジェリンに司たちはそれぞれの表情で肯いた。
フェイト登場。
実は彼はけっこう好きです。
エヴァさんによる気合い入れ。
やはりエヴァは好きです。書いていると楽しい。
うっかり司が空気化しないか心配です。