「はぁ~、大きいねぇ」
麻帆良学園の名物『世界樹』を見上げて、藤宮司は感嘆の声をあげる。
男性にしては長く伸ばされた黒髪を肩の辺りでくくっている。女性が見れば羨むような癖のない美しい髪質は昔から女子の羨望と嫉妬の的だった。
同年代の男子と比べると若干小柄で華奢な印象を受ける。
おまけに美人と評判の母親によく似た優しげで穏やかな顔立ちとどことなく気品あるたたずまいは男と主張しても疑われるレベルに達していた。
男子校の制服を着ていても無理をして男装する少女にしか見えない少年は世界樹広場と呼ばれる公園のような場所で呆れるような大きさの巨木を見上げていた。
その口調には呆れという微粒子が多分に混じっていることに気がつく者もいるだろうか。
表情はいかにも絶景を楽しむ観光者のような楽しげな笑顔。その裏で司は麻帆良の魔法使いの神経の図太さに呆れていた。
よく晴れた青空に向かって雄々しくそびえ立つ大樹はその姿の雄大さもさることながら内包する強大な魔力に目を見張る。それを感じるのに熟練の魔術師である必要がないほどに。これなら年の若い見習いでさえ気がつくだろう。
この大樹『世界樹』の内包する魔力は藤宮一族の護る『大神』の巨石にも劣らない。
「あれかな。ここまで大きいと隠すのも無理だからいっそ堂々と見せてしまえという開き直りかな」
呆れつつ推察する。たぶん正解だという確信じみた直感があった。
というかそれぐらいしか理由が思いつかない。普通に魔法で隠そうとしてたぶん隠せなかったのだろう。巨大すぎるし強力すぎる。おまけに人がすぐ近くに多くいる。
昔はこの大樹を守る一族もいたらしいがすでに絶えてしまったらしい。
その一族が廃れたから西洋魔法使いが来たのか、それとも西洋魔法使いがその一族からこの地を奪い取ったのか。それはわからないが。
わかっているのは現在のあの大樹の管理者は関東魔法協会。つまりこの麻帆良の裏の支配者である西洋魔法使い達だということだ。
関東魔法協会に反目する関東の魔術組織は彼らが歴史ある守護者たちを滅ぼして土地を奪った侵略者だと非難している。
事実かどうか確認しようにもその一族は姿を消しており西洋魔法使いたちは自分たちこそがこの土地を治める正当な権利を持っていると主張している。
事実確認しようにも西洋魔法使いがやってきたのは戦後の混乱期だ。どの組織も自分たちの土地を治めるのに精一杯で気がついたらここは西洋魔法使いの拠点になっていた。
抗議しようにも正当なこの土地の守護者はどこにも居らず。他の魔術組織にこの土地の支配権があったわけでもない。西洋魔法使いが正当な手段で譲り受けたと主張している以上それ以上追求できるものでもない。
そのような事情もあり関東の魔術組織の大半は彼らに対して非協力的だった。それらを交渉によって傘下に収め、敵対すれば攻め滅ぼし、やがては関東魔法協会は関東を支配する組織になったのだ。
司の一族は敵対はしないが協会に参加もしないという中立的立場で独立している。
それを押し通せるだけの力が藤宮にはあったから実力で中立を勝ち取ったのだ。もし力がなければ無理矢理傘下に入れられるか滅ぼされていただろうと一族の者から教わっている。
そんな一歩間違えば敵対していてもおかしくない土地に藤宮の後継者候補の自分がいるというのが司にとっては実感がわかない。というよりもそんな実感欲しくないと切実に願う。
一応友好を結んだ関係なので今は敵ではない。とも教わってはいる。
ただし『今は』だ。
「それって過去敵対していたって事なんだよね……」
実力で独立を勝ち取ったと誇らしげに語る一族の老人を思い浮かべる。
実にいい笑顔だった。
心底ざまあみやがれと思っているのがはっきり伝わってくるような笑顔だった。
心もち重苦しく感じるお腹を撫でる。
藤宮一族は一戦して西洋魔法使いを追い払ったのだ。
その後敵対するには厄介だと協会は藤宮一族の独立性を尊重した。
同じように独立性を守った魔術組織が現在にも関東の有名どころだけで十数件ある。いずれも歴史と力のある一族だ。
西洋魔法使いたちも無下にはできずにそれなりに礼節をもって接している。
それでも彼らにしてみれば関東は自分たちの支配圏だという意識が強い。関東魔法協会を名乗っているのだから当然だろう。
藤宮一族や他の魔術組織に独立性を認めつつも自分たちに協力するのが筋だと主張している。
そして魔術組織たちは一致団結して中立という名の不干渉を貫いている。敵対はしない。ただしこちらに干渉するな。というわけだ。
その一族の後継者候補が何故かここにいる。しかも三年間彼らの支配下にある中学に通うのだ。
自分が微妙な立場にあることを察して胃が痛い。
例えるならばかつて戦争をしたことがある国に和睦したとはいえ小国の王子が留学するようなものだろう。しかも相手は大国ときている。
控えめに見ても人質にしか思えない。友好の使者という意味もあるのだろうが。
「先生もなにを考えているんだか……」
愚痴る。
そもそも自分を呼んだのは自分に西洋魔法の基礎を教えた先生だ。
正直なところ藤宮の魔術を使う司に西洋魔法は必要ない。それをいろいろと理屈をつけてわざわざ藤宮の地に出向いて西洋魔法の基礎を仕込んでいった。
将来的に西洋魔法使いと日本の魔術師との架け橋になる事を期待されたらしい。
そのためにはお互いを知るべきであるという交流の一環として司は西洋魔法を習うことになったのだが両者の友好と言われてもあまり興味がもてない。
現在の状況が続いても藤宮一族はあまり困らない。おかげで西洋魔法の術式を藤宮の魔術に取り込めたのは収穫だったが。
そんな司に今度は彼らの本拠地への留学話だ。どう見ても自陣営側に司を取り込もうという動きにしか見えない。
だいぶもめたらしいが期限付で麻帆良の学校に通うだけならと最終的に一族が妥協した。引き替えにかなりの条件を関東魔法協会から引き出したらしい。
外交取引で売り飛ばされた気がしなくもないのが悲しいところだ。
けれど期限付の貸し出しであり返却は必ず行われる約束なのが救いだろう。これが無期限の譲渡だったら温厚な司でも暴れたと思う。
だけど自分を麻帆良の学校に通わすだけにそんなたいそうな対価を払うわけがない。
なにか理由があるのだ。そこまで譲歩して期間限定であっても自分の身柄を手元に置きたい理由が。
『極東最大の魔力保持者の一人』
『藤宮の後継者候補』
自分の持つ価値は日本の裏の世界ではかなり上位にある。
特に『極東最大の魔力保持者』の看板はかなり有名らしい。そんな自分を手元に置きたがる。なにか企んでいると考える方が自然だ。
なにか思惑があるのは察しているがそれがわからないから余計精神的にお腹が痛くなる。
「三年間か……大丈夫かな」
中学を卒業するまではまず離れられない。よほどのトラブルが、それも藤宮側が約束を反古に出来るレベルの失態を協会側がやらかさない限りは帰れない。
そう思いつつ司としてはすでに気が重い。出来ればこのまま帰りたいほどに。
入学初日からすでに実家が恋しくてたまらない。今なら自分を着せ替え人形と勘違いしている地元の女子たちに会っても心から笑顔になれる自信があった。
入学式とその後のクラスでの自己紹介を無難にこなし、今現在の藤宮司は麻帆良見物の途中である。
世界樹を眺めて自分が場違いなところに来たと痛感していたが、悩んでいても仕方がない。諦めて麻帆良見物を楽しんでいた。
見るものすべてが目新しい麻帆良の中でもやはり世界樹は一際目を惹いた。
あまりの堂々とした非常識っぷりから自分の現状の理不尽を思い起こして精神的な腹痛を発生させたりもしたし、軽いホームシックを患ったりしたが。
学校帰りで制服姿のままの司はおのぼりさんのように麻帆良をぶらぶらしていた。
麻帆良は司にとってなかなか興味深い場所だった。
学園都市などと聞いていたから学校ばかり建ち並ぶ堅苦しい場所を想像していたが、これはもう立派な都市だ。
しかもかなりの都会。
区画整理された街並みが整然と並ぶ様はある意味美しかった。道路にはさまざまな車が絶えることなく走り、色とりどりの目を引く看板が街並みを飾っている。歩道にはたくさんの人たちが好き好きに歩いていた。
放課後のため学校帰りの学生が多い。友人と連れだって歩く姿をよく見かけるが司のように一人街並みを見て歩いている者もいる。きっと司と同じように学生と言うよりは観光客と化してしまっている同類だろう。
関東地方でもかなり辺鄙な田舎出身の司にしてみればこの都会の空気だけでも新鮮だった。たまに一族の『仕事』で遠出をしたことはあるがあまり都会に行く機会はなかった。
なにしろ首都を含める関東地方のど真ん中が関東魔法協会の縄張りなのだ。藤宮の一族である司が『仕事』で足を踏み入れる機会などまずない。学業と修行に忙しかった司が用もなく都会に遊びに行く暇などもちろんなかった。
そのようなわけで自分が都会をろくに知らない田舎者である自覚はあったので素直に麻帆良の最先端都会風景に感動していたりする。なんというか外国にでも来たように感じられる。それくらい異質で綺麗な街並みに思えた。
都会の景色を楽しみながらも風が吹き抜け草木の奏でる旋律がないことを寂しく思う。それは自分が自然を身近に感じるタイプの魔術師だからだろうか、それともただ単に田舎の自然環境に慣れ親しんだせいだろうか。などとどうでもいいことを考えるのも楽しい。
人混みに不慣れな司にすれば人の気配に当てられて酔ってしまいそうだった。
そしてときおり周囲の視線が自分に向く。だがすぐに気にしないことにした。
男のくせに髪が長い。
男のくせに女みたいな顔をしている。
女みたいな顔と髪をしているくせに男子生徒の制服を着ている。
おまけに美人だ。
母親によく似たため司は幼い頃から女の子と間違われてきた。
そして女子のおもちゃにされる日常を過ごした。
綺麗な髪でうらやましいといろいろな髪型にされる。
演劇部に連行されて女物の衣装を着せられる。
女子の集団特有のパワーに圧倒されて司は完全に女子たちのおもちゃ扱いだった。
実際司は女子も羨むほどの美人に成長した。
人目を惹く黒髪は艶やかでさらりと背中まで流されているのを首のところで軽くくくっている。その髪質は小学校時代に女子の羨望と嫉妬の的だった。いったいどんな秘訣があるのかと何度聞かれたかわからない。
細く優しそうな印象を受ける眉。穏やかで理知的な雰囲気の瞳。柔らかそうな頬。唇も小さく健康的な紅さが目を惹く。特に手入れもしていないのに血色のいい薄紅色はまるでうっすらと口紅を引いているようにも見える。
肩幅はあまりなく撫で肩ぎみでますます華奢に見える。
そして幼い頃から厳しく躾けられたため姿勢が綺麗で、まるで良家のお嬢様のような雰囲気をただ歩くだけで醸し出していた。
肌も白く、見ただけで滑らかなさわり心地を想像できそうなくらいだ。
中性的な服を着ればごく自然に女性に見えるだろう。
性格も穏やかでどちらかといえば内気な性分で日常の言動を目にしても彼から男性的イメージを得るのは困難だった。
幼い頃から修行した武術や剣術の腕を披露してさえ『強くて格好いい女の子』という評価しかもらえなくてこっそり泣いたこともある。
目立つ容姿をしていることは司自身承知しているため視線は気にならなかったがやはり女性と思われているのかと思うと内心忸怩たるものがある。これは何年経っても克服できそうにない。
今は男子校の制服を着ているため外見と服装のギャップで余計悪目立ちしていた。
司は見る者すべて目新しい都会な麻帆良散策を楽しみつつもやはり心は重かった。
正直なところ観光だけして帰ったらだめかなと思えてならない。
お店はいっぱいあるし、人はいっぱいいるし、都会に来たと思えば楽しいけれど。
どうも裏の魔法関係に関わるのは気が重い。まさか本当に麻帆良の学校に通うだけでは済まないだろう。
「本当に先生もなにを考えているのだか……」
西洋魔法を習った師のとらえどころのない態度を思い出して再び憂鬱になる。
優秀な魔法使いで、優秀な師だった。
だがどうにも正体不明でなにを考えているのかわからない人だった。そもそも藤宮の最有力の後継者候補に西洋魔法を教えようとわざわざねじ込んでくるのだから行動がぶっ飛んでいる。
「わしは山に住む仙人じゃ」
そう自己紹介されたらきっと全力で納得できたかもしれない。
そのくらい得体の知れない人だった。外見も内面も行動も。
果たして司が麻帆良でまともな扱いを受けるのかさえ不安だ。向こうから見れば大事な客という解釈も出来るのだからそう無茶はしないと思いたい。
「まぁ、会ってみないとその辺はわからないか……決めつけはよくない、うん」
外見だけ見てオカマと決めつけられれば自分だって気分が悪くなる。
僕は女装趣味もなければオカマでもなく。ましてや同性愛好家でも実は男装した女子というオチもない。そう司は胸の内で呪詛に近いレベルの念を渦巻かせる。どれも過去に影ながら噂されたことである。
せめて髪を切れば印象が違うのではないかと思ったこともあったが普通に髪を短くした女の子扱いされた。
おまけに。
「なんだか髪が長かったときの方がまだ男の子に見えた」
そう女子に言われたときには周囲の級友が言うには目が死んでいたらしい。そのまま屋上から飛び降りるか手首を切るかとずいぶん心配された。
女子たちが言うには髪が長かったときは『女の子のような綺麗な男の子』という認識だったらしい。それが髪を短くしたら本気で『ちょっと男の子っぽくしている女の子』にしか見えないと断言された。
「髪を短くすると余計に女子にしか見えなくなるっていったいどういう理不尽なの?」
そう尋ねる司から級友たちは一斉に目をそらせて返答を避けたものだ。
もちろん良い思い出になどなるはずがない。全員呪ってやろうかとどす黒い感情を抑えるのに苦労した。いやいっそやってしまうべきだったのか? 案外すっきりしたかもしれない。
「……友情なんてないんだ」
そう絶望したりもした。良い思い出どころかトラウマ体験に近い。よく人間不信に陥らなかったものだ。
そして結局また髪を伸ばして周囲に「あー、こっちの方がまだ納得できる」と言われなにを納得できるのかと尋ねると。
「そもそも顔が可愛いけど。髪も綺麗だし長くしているから女の子に見えるんだなって思える。髪が短いと本気でなんでこいつ男なのとしか思えない」
その瞬間周囲から一斉に『死ぬな! おまえは生きろ!』と絶対遵守の命令でもかけるかのように司が正気に戻るまで気合いの入ったその言葉がエンドレスで繰り返された。どうやら本気で死にそうな顔をしていたらしい。
発言者の女子はいくらなんでもデリカシーに欠けると責められたらしく謝ってきた。
けれど謝りはしたけれど発言を撤回はしなかった。むしろ『大丈夫! 可愛いは正義だよ!』と意味不明の励ましをもらった。
「ふふふ、どうせ僕は……大神様、僕に恨みでもあるんですか? それとも実は加護に見せかけた呪いですか?」
なんとなくあの慈悲深いと言い伝えられている藤宮の守護神が今の司を眺めて指さして笑っている光景が目に浮かぶ。
実は祟り神じゃないだろうな?
一族の守護神に
事実をぶちまけたところで信じてもらえないだろう。そのくらい一族では大神を神格化して信仰さえしているのだ。
虚ろな眼差しで空を見上げながらそう黄昏れている司を周囲の人間が自然に避けて通る。まるで見えない結界でもあるかのような避けっぷりだった。
都会の人間の回避力すごいとちょっと感心した。田舎だと間違いなく声をかけられる。心配されるか邪魔だからどけと言われるか。確率は半々か。
となにやら鋭い声が聞こえてきた。
「うるっさいわね! いい加減しつこいのよ!」
なんだろう?
野次馬根性で近づいていくと黒髪の綺麗な女の子を背後にかばいながら髪を頭の両脇で結んでいる元気のいい女の子が吠えていた。
高校生ぐらいの三人の男たちに向かって歯を剥いている。
黒髪の少女が後ろでその女の子を服を引っ張って止めようとしているが意に介さず男たちを睨みつけていた。
「あたしたちはあんたたちに用なんてないのよ! わかったら失せなさい!」
度胸のある女の子だなぁと感心した。同年齢ぐらいだろうか。真新しい制服を見ると新入生に見えるがあいにく制服を見ただけでどこの学校かわかるほど司は麻帆良に詳しくない。同年齢ぐらいで新入生ならたぶん中学生だろうと思うが。
体格で劣り人数で劣っているのに一歩も引かずに男たちを威嚇している。よほど気が強いのか、それとも実は腕に自信があるのか。少し判断がつかない。
司の目から見て妙な二人組だった。正直一般人には見えない。
けれどあれはどう見ても逆効果だろう。
はじめはニヤニヤ余裕の笑みを浮かべていた男たちも年下の女の子にいいように怒鳴りつけられて次第に苛立ってきたのか目の色が変わってくる。
どうもこの男たちがしつこく彼女たちにつきまとい。ついに女の子が怒ったという状況らしいと会話とも呼べない言葉のぶつけ合いから判断する。
止めないとまずいかな?
誰か止めてくれないかな?
司は周囲を見てみたがどうも誰も止めそうもない。
このまま見物しているには司は少々お人好しでお節介な性分だった。
押しが弱く普段はぽけっとしていているくせに見て見ぬ振りは出来ない少年なのだ。そんなお人好しだから故郷で女子のおもちゃにされたのだが。
しかたがないかと司は覚悟を決めた。
先手必勝の法則に従って司は勢いよく助走すると綺麗なフォームで跳び蹴りをぶちかます。断じて自分のストレス解消の八つ当たりではないと自分に言い聞かせたが、ちょっとすっきりしたのは事実だった。
「ぐおっ!」
司の跳び蹴りが少女に掴みかかろうとした男の側頭部に突き刺さる。
見かけより破壊力のある蹴りを頭部に受けて先制攻撃を受けた男が目を回して倒れた。
「ええと、とりあえず女性に乱暴はいけませんよ?」
無言で倒れ伏した仲間を見て呆然とする男たちに話しかける。
「おまえ……なに? なんなの?」
本気でいぶかしんでいる様子だった。それはいきなり見知らぬ他人に仲間が跳び蹴りを食らえば不審にも感じるだろう。
尋ねられて司も困った。
はたして自分はこの場合どういう立場になるのだろう?
念のため女の子に話しかけてみる。
「ええと、お邪魔でしたか?」
「うーん……まぁ、助かったのかしら?」
「ならついでに他のも追っ払いますか?」
「まぁ、出来たらお願いしたいけど。無理はしなくていいよ。私でもなんとかなると思うし、私たちのせいであなたが怪我しても困るし」
元気のよい少女が困惑したように答える。
とりあえず問題ないと判断する。今度は男の方へにっこりと微笑んだ。音を立てて男たちが後ろに下がる。とても怯えられているらしい。少し傷つく。
「えっと。とりあえずそっちの人を連れて帰ってもらえませんか? あと今度から女性に話しかけるときはもっと紳士的にした方がいいと思いますよ」
司的には精一杯の好意的助言のつもりだ。司から見ると彼らの態度はガラが悪すぎる。そんな態度で話しかけられても女の子が怯えるか怒るだけだろう。仲良くなりたいのならもう少し紳士的に振る舞うべきだと思う。
「なめてんのかコラ!」
やはりいきなり蹴り飛ばして穏便にお引き取り願うのは無理だったらしい。男たちが激昂して殴りかかってくる。
「短気だなぁ……」
あまりの沸点の低さとそこから暴力へとつながる短絡さに呆れるが、本来司が言えることではない。先制攻撃を盛大にぶちかましたのは司の方である。彼らにしてみれば売られたケンカを買ったというつもりだろう。
やはり先制攻撃はまずかったのだろうか? 判断を間違えたかもしれない。いろいろため込んでいたせいでつい即時殲滅の精神で攻撃してしまったがまずは話し合うべきだった。
司は一瞬だけ反省した。だがすぐに母の教えたる『女性に優しく』の精神を拠り所にあきらかに女性を脅しつけていた彼らにも非があると精神的に立ち直る。
殴りかかってきた男の拳を一歩踏み込むことで避け、側頭部に掌底による一撃を加える。
たいした力も入っていないように見える一撃でくるりと男の目が白目をむいてひっくり返る。実は見かけよりかなり凶悪な一撃だったりする。
「ホントになんなんだよテメェは!」
仲間二人がのされて最後の一人になった男が拳を握りしめて殴りかかってくる。その男の腕を取ると突進の勢いを利用して投げ飛ばした。
背中からアスファルトに叩きつけられた男が口からよだれを垂れ流して悶絶する。
「あ、やりすぎたかな……だいじょうぶ?」
ついいつもの感覚で投げてしまったが下は舗装されたアスファルト。しかも相手は受け身すら取らなかったということは完全な素人。
あきらかにやりすぎたと思って声をかけたが。
返事がない。意識すら失ったようだ。
「うん……」
素人同然の相手とはいえ衆人環視の中で三対一、しかも護衛対象ありなら仕方なかったと思うことにしようと自分を納得させる。
なにしろ護衛任務では護衛対象に怪我をさせたら失敗なのだ。敵は発見次第可能なら即時殲滅が司的に基本である。護衛対象から離れられないため逃げてくれるなら追いはしなかったのだが。
司は基本的に格上に挑むことになれすぎていて格下相手の手加減というものは苦手なのだ。なにしろ剣術最強の母と藤宮屈指の槍使い相手に挑み続ける毎日だったのだから手加減よりも格上相手にいかに戦うかの方が上手くなるのは当然だ。
「すこしやりすぎじゃない? 助けてもらってなんだけどさ」
髪を頭の両サイドでまとめている少女がどこか責めるような目でこちらを見る。
両目の色が違う事に少し驚いたが顔には出さなかった。女の子は自分の容姿に関する話題に非常に敏感だ。それが修正不可能なものならなおさら。小学校のとき目元にほくろがあるのを気にしている女子もいた。彼女が滅多に見かけないオッドアイという特徴を気にしていないという確証はないのだから触れない方がいいだろう。
黒髪の少女も地面で伸びている男たちに同情的な目を向けていた。彼女もやりすぎだと感じているのだろう。
それでも精一杯、自己主張はするべきだ。例え内心「ヤバイやりすぎた」と後悔していてもここで沈黙するのは有罪の確定につながりかねない。
「基本的に手加減って苦手なんだけど、これでも手加減した方なんだよ?」
言い訳にもなっていないが精一杯努力したとアピールする。二人の少女は微妙な顔をした。
少女たちの目にはあきらかにやりすぎに見えたが助けてもらった手前非難しにくいし、なにより三対一だったのだ。半端に手加減していたら目の前の綺麗な少年が逆に殴り倒されていた可能性を考えるとますます非難できない。
「あんた武術とかやっているの?」
ツインテールの少女が話題を変える。正直目の前の少年があまりにも強くて素人とは思えなかったのだ。
「実家が古流武術を伝える家柄なんだ」
司はそう答える。
嘘ではない。藤宮一族の表の看板の一つは『藤宮流古武術道場』だ。
なので藤宮一族には魔術師は接近戦に弱いという常識が通用しない。特に西洋魔法使いは接近戦闘を軽視しているから非常に接近戦に弱い。なにしろ従者に守られなければろくに戦闘も出来ないようなのが大半だと聞いている。
藤宮一族ではむしろ接近戦の方が強い連中がごろごろいる。ある意味西洋魔法使いからしたら相性の悪い敵だ。下手に戦争を続けるよりも中立でもいいから敵対しないでくれればいいやとも思うだろう。
きっと過去の戦争もいざ尋常に魔法合戦と意気込んでいた西洋魔法使いを剣で斬り槍で突き拳で砕きと好き放題に暴れたに違いないのだ。
加えて司は母から神鳴流剣術も教え込まれたので接近戦だけなら一族でも上位だろう。それでも一族最強の名は遠いのだ。あの人達は本当に人間なのだろうかと少しだけ疑問を感じる。人外認定したくなるほど藤宮の最強連中は本当に化け物揃いなのだ。
「だからそんなに強いのね」
「うん、それなりにだけどね」
少し納得したようにツインテールの少女が感心する。その後ろで「そんなに強いんならもっと手加減できたんと違うか……?」と黒髪の少女が首をかしげているが聞こえないフリをした。
基本的に一撃必殺。敵は即時殲滅が司の基本スタイルなのだ。
手加減というものを習うような環境ではなかった。なにしろ強くならなければならない身だったのでとにかく稽古相手は格上だけだったのだから。
しかも藤宮最強に名を連ねる化け物連中にしごかれながら生き残るのに手加減というものを学習する余地などない。
そもそも彼らにだって手加減というものはあったのか? 死なないように気をつけてはいたらしいが生かさず殺さずのラインを見極めて徹底的に叩きのめすのを手加減とは言わない。きっとそれは別の言葉で表現されるなにかだ。
「明日菜、そんなことよりきちんとお礼いわへんと」
後ろにいたストレートの黒髪をした少女がにこにこと話しかけてきた。とりあえず問答無用で男三人衆を叩きのめしたことは水に流して忘れることにしたらしい。
自分たちに害はないし、というかむしろ助かったので非難する理由もないと言うことらしい。
「ほんまにありがとな。おかげでたすかったわ」
「うん、役に立ったならよかった」
可愛い女の子にお礼をいわれて司はうれしくなった。まさか自分のストレス発散も兼ねていたなどという事実はなかったことにする……そんな記憶は抹消指定だ。
正義の味方はストレス発散のために悪党を殴り飛ばしたりしないだろう。ここは正義の味方らしくあるべき場面だ。空気は読むべきだ。
正直司は自分が正義の味方が似合うとはあまり思わない。基本的に『世界平和』よりも『自分と身内の幸福』な人だ。
にっこり微笑むと少女たちも緊張が薄れたのか笑顔を浮かべた。心なしか黒髪ストレートの少女の頬が赤い。そしてツインテールの少女の口元が引きつっている。両者の内心は逆方向に向いていた。「ホントに綺麗な男の子やなぁ」と「こいつホントに男? ありえなくない?」である。司に対する初対面の反応としては極めてスタンダートなものだ。
「うちは近衛木乃香、こっちは明日菜や」
近衛木乃香と名乗った少女が自己紹介する。
ニコニコと微笑みながら司を見つめている。そしてなにやら納得したのか満面の笑みを浮かべた。女の子の格好させたら似合いそうだなんて本音を綺麗に隠して友好的に振る舞っている。
もう一人の方は司の身体にちらちら視線を向けていた。本当は女の子じゃないかと疑っているらしい。
「僕は藤宮司」
「その制服、男子中等部やな? 新入生?」
「そうだよ」
「そんならうちらもや、ぴかぴかの一年生。女子中等部1-Aや」
「僕も1-Aだね」
「奇遇やなぁ」
「奇遇だねぇ」
「これで共学やったら運命感じてまうわぁ」
「残念なことに別の学校だねぇ」
本当に残念な気がする。
おっとりしていて優しそうでとても魅力的な少女だ。同じクラスだったらぜひお友達になりたい。きっと気も合う気がする。
そう司が考えている少女が内心で司にはどんな衣装が似合うか妄想していることを知らない。知らない方がきっと幸せだろう。
「怪我はないかい? 明日菜君、木乃香ちゃん」
「高畑先生!」
明日菜と呼ばれた少女が笑顔で手を振る。
「先生?」
まずい現場に来られたかなと思うがいまさら逃げ出すわけにもいかない。
ケンカの現場ととられてもこの子たちが証言してくれればそう悪い事態にはならないだろう。
……ならないといいなぁ。
振り返ると髪を短く刈り込み、眼鏡をかけて無精髭を生やした教師らしき人物が歩いてきた。
無駄に動作がダンディズムにあふれている。ただ歩いているだけなのに。
片手をポケットに突っ込んで右手を友好的にこちらに振っている。
全身から『僕は渋いおじさんだよ。格好いいだろ? 男ってのはこうでなくちゃ』という声なき声が司の耳には聞こえるようだ。
自分ならあと二十年経ってもあの領域にたどり着けないだろう。自分はきっと別方向に進化すると諦めている。それもこれも大神の加護のせいだ……本当に呪いではないのだろうか?
なので若干の憧れと盛大な嫉妬をもって『ダンディ先生』と呼んでやろうかと内心唸る。
「やぁ、入学早々やらかしたね」
「あ、あの! 彼は私たちを助けてくれたんです!」
「ほんまやで、しつこいナンパで往生しとったんや。もう少しで拉致されるところやったわ」
二人がそれぞれ一生懸命に司に非はないと証言してくれる。
それを見てやってきた教師は少しだけ苦笑を浮かべた。
「うん、まぁ途中から見ていたからわかっているよ」
「見ていたのなら助けましょうよ。先生でしょう?」
見ていたのかダンディ先生。思わず声が尖る。
さっさと出てきて事態を収拾してくれていれば自分が暴れる必要はなかったのだ。そうすれば入学式当日に教師に目をつけられることもなかっただろう。
「はっはっは、いやぁ若い子がどんな反応をするかと気になってね。女の子を助けに割って入ったのが君一人というのは少しばかり悲しいね」
「誰だってケンカはしたくないでしょうから」
痛いのも怖いのも嫌だというのは普通の感性だと思う。
司もできれば面倒ごとは起こしたくはなかった。立場的に後々面倒そうなのはわかりきっている。
「僕は高畑・T・タカミチ。女子中等部で1-Aの担任と広域指導員をしている」
さっそく指導員に目をつけられるのかと内心気落ちしながら自己紹介する。
「男子中等部1-A、藤宮司です」
「いやぁ、可愛い顔してすごいね。こいつらは毎回面倒をおこしてくれる懲りない連中なんだけどケンカは割と強い方なのに……一発でのしちゃうなんてね」
「ホント、女の子みたいなのに強いわよね」
「男子校の制服着てなかったら、絶対わからへんよな」
それは男に見えないという意味ですか?
……まぁいまさらだけど。
でも中学生になれば男っぽくなるかなと儚い期待はしたのだ。
男子校の制服を着ていれば少しは男っぽく見えるのではないかとちらりと夢想していた司は人知れず落ち込んだ。
かくして問題児三人組はダンディ先生こと高畑先生によって連行されて、司は頼りになる女子二人組の証言のおかげで無罪放免となった。
先に手を出したのは司なのだが。そのあたりは女の子を守るためという大義名分の前でうやむやにされた。
そのあと「お礼にデートしたる」と黒髪の少女に連れ回されて麻帆良をあちこち回ることになった。
初日で女の子と知り合ってデートもどきなんて結構運がいいのだろうか。なんだかその後ですごい運勢の揺り戻しが起こりそうで若干怖い。
しかし司は素直に現状を楽しむことした。この機会を逃せばたぶん次はない。
司は自分の容姿が別の意味で女性受けしないことを理解していた。男扱いされないのだから当然だ。
指導員に目をつけられたかもしれない事実も後で考えることにする。
さようならダンディ先生。出来れば二度と会いたくありません。僕はあなたのような男性に憧れますがやっぱり大嫌いなんです。どうせ僕はあなたのようになれませんから……くたばれイケメンダンディ。
自嘲しつつ密かに嫉妬の呪詛を吐く。もちろん本気で呪いはしない……とりあえず今は。
一緒に売店のクレープを食べ、ゲームセンターで遊び、麻帆良の街を散策する……なかなか楽しい。
女の子たちと出歩くのは初めてというわけではないけどいつもはおもちゃ扱いだったのできちんと男性として扱われて女子と一緒に遊ぶというのは新鮮な感動すら感じた。
なんとか涙はこらえた。これで泣いたら挙動不審者だろう。
そろそろ日も暮れるという時間になって携帯のナンバーを交換しあって別れる。
「また今度一緒に遊ぼーな」
そういって別れた木乃香の笑顔が非常に癒される感じで好印象だった。
うんうん、いい子たちだった。
特にやっぱり近衛木乃香さんはいい。
神楽坂明日菜さんは、僕の苦手な元気系の女子だったけど。
木乃香さんはなんというかそばにいて落ち着く何ともいえない雰囲気がいい。
司としてはなかなか有意義な初日だった。
一人でぶらつくよりかは女の子と遊んだ方がやっぱり楽しい。
残念なことに小学校の時は司
だから元気系はあまり好きじゃなかった。軽くトラウマになっているのかもしれない。集団女子のパワー怖い……。
「あ……僕は馬鹿だ……」
奇妙な女子二人組については深く考えないことにしていたが、別れた後になって冷静になるといろいろなことを思いだした。
自分のうかつさが本気で悔やまれる。ここまで自分は間抜けだったのだろうか? すぐに気がつくべきだったろうに。あの魔力に気がついていたのに。自分と同じだけの魔力保持者なんて日本にあと一人しかいないのに。
しかも『近衛』を名乗ったのだ。その時点で気づかなかったのは明らかに舞い上がっていたとしか思えない。
関西呪術協会の長の家名であり司の西洋魔法の師の家名。しかもよく思いだしてみるまでもなく自分と同じ『極東最大の魔力保持者』の名前も『近衛木乃香』しかも同年齢らしい。
おまけにあの魔力とくればもう確定だろう。同姓同名の別人の可能性は極めて低い。
日本の西半分を支配する関西呪術協会、その長の一人娘。
彼女は関西のお姫さまだ。明日菜という少女はお姫さまの護衛だろうか、それにしては素人っぽかったが。
彼女たちのナンバーとアドレスの登録された携帯電話に視線を落とす。なんてことをしたのだろう。これで麻帆良に来て初日で日本の裏の最重要人物の一人と接触したあげく連絡先まで交換したことになる。
不幸な予感しか感じない。かといっていまさら他人の振りも出来ない。何というかひたすら底なし沼を進軍していく気分だ。どんどん沈んでいく気がしてならない。
「帰ろう。そして寝よう……きっとなんとかなると信じよう」
司は考えることをやめて敗北者の哀愁を漂わせながら男子寮に戻る。途中ふと今夜の予定を思い出した。
そういえば夜に魔法関係者の集まりがあるのだ。
「サボるわけには……いかないか」
ため息が自然にこぼれる。どう考えても楽しい時間になるとは思えない。
行きたくない……これならずっと可愛い女の子二人と遊び歩いていたかった。彼女の素性になど気がつかなければよかった。いろいろと思い出さなければ幸せな気分でいられただろうに。
「僕は……本当に呪われてないか?」
いくらなんでも運命が仕事しすぎだろう。
初日に関西のお姫さまを悪漢から助けて仲良くなるってあきらかに巻き込まれるフラグだろうに。
ああ、あのネジの緩んだ爆笑が聞こえてきそうだ。
司は憂鬱な気分でため息をつき、とにかくなんとかなると信じて歩き始める。その背中はなんとなく無条件に『とりあえずがんばれ』と応援したくなるほどだった。