精霊の御子 カレは美人で魔法使い   作:へびひこ

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第二十三話 藤宮の少年

「さようなら、また会いましょう。司君」

 

 そう微笑んで青年は姿を消した。

 今まさに自身を焼き尽くす大魔術が迫っていても彼は平然たるものだった。

 

 その姿を直接見たわけではない。自分が放った巨大な炎にさえぎられ見えるはずもない。

 

 しかしその声は確かに耳に届いた。

 まるでその光景をこの目で見ているかのようだった。なんの危機も問題もないと言いたげな青年の笑顔が脳裏にこびりつく。

 

 法条衛史郎。

 

 司の必殺を狙った大魔術。

 彼は転移魔術で逃げ去って見せた。鮮やかな手並みだった。事前に逃げる用意もしていたのだろう。

 

 あるいは最大威力など求めずに手数で押し切れば殺せていたかもしれない。徹底的に素早い手数で攻めきれば逃げ出す隙もなかっただろう。

 

 彼はなにを知っていたのか。そして彼はいったいどういう人間だったのか。

 

「よくわからない人だった」

 

 そう首を振る。

 目的は果たしたのだと自分を納得させた。それでも考えてしまう。それほど印象深い人だった。

 

 ただ楽しむことだけを求めているかのように振る舞い。

 しかし真面目で穏やかな笑顔を見せた青年の顔が消えてくれない。

 

 不思議な人だった。人間性の事だけではない。

 

 今思うと彼は全力で戦っていたのだろうか。

 

 全力で殺しに来れば自分では勝てなかったのではないかという凄みがあった気がする。

 当初圧倒されたのも思えば本当に全力だったのか、自分より一段上程度の実力であしらわれた。思い返すとそんな考えばかりが浮かんでくる。

 

「彼は、なにをしたかったのだろう……」

 

 あるいはこの騒動などどうでもよかったのだろうか。だとしたら自分はなんのために戦ったのだろうか。

 

 徒労感だけが背を重くする。

 

「……今は木乃香さんのことだ」

 

 そう割り切ろう。

 悩むことは後で出来る。今はきっと怖がっているだろう彼女を助け出そう。

 

 世界樹に向かって歩く。

 自分の足がこんなに重いことに少し驚き、困惑し、気が沈んだ。

 

 たった一戦しただけでここまで疲労している。

 魔力も多少減ったがこの体力の消耗は自分の未熟さそのものだ。

 

 実戦をろくに知らない子供。

 

 命のかかった実戦を一戦しただけで、まだ魔術師としては余力があるはずなのにこんなに消耗している未熟者。

 

 魔力ではなく。精神的な部分で体力が削られていると自己分析する。

 両親や一族に鍛えられた自分。その不甲斐なさに涙が流れそうな程悔しい。

 

 もっとがんばらないと。

 

 そう決意して顔を上げる。落ち込む事も反省する事も後で出来る。

 

「あと少しなんだ……がんばらないと。夕映さんやのどかさんもきっとがんばっている。大丈夫かな? ……大丈夫なはずだ。きっと」

 

 世界樹の側に立ち、その魔術儀式を解析する。

 その膨大な魔力に頭痛すら感じた。魔力を感じすぎて感覚が狂いそうになる。

 

 予想以上の魔力だった。それほど世界樹は途方もないほどの魔力を集めている。

 

「なんとかなるかな? なんとかするしかない……これはちょっとまずい」

 

 下手に暴発すれば麻帆良が地図から消えかねない。

 さすが異世界にあるという魔法世界を滅ぼすと豪語する魔術儀式だ。法条一門は確かに関東の名門たる実力を持っていたと感心した。

 

 失敗は出来ない。自分の失敗は自身だけでなくこの地に尋常でない災厄をもたらす。

 ならば最初から奥の手を使うべきだ。出し惜しみをして失敗しては話にもならない。

 

 衛史郎との戦いだって出し惜しみした結果、敵から忠告される無様を晒したから余計にそう思う。

 

 覚悟を決めて集中する。

 思い描くのは故郷。かつて幼い日に舞ったあの神域。あの日に体験した感覚。

 そして知り合った一族の守り神の女性。その無邪気で悪戯っぽい笑顔。

 

「藤宮を守護する太古の精霊よ。我らが大神よ」

 

 司の詠唱が響き渡る。

 女性に近い高めの澄んだ声で紡がれる神にささげる言の葉。

 

「大神の子が一人。我らが母に願う」

 

 藤宮一族は等しく大神の子供達。

 彼女が愛おしむ人の子ら。

 

 彼女が知恵を与え、力を与え、見守り続けた子供達の血族。

 

「我が前に災いあり、非力な子は母に救いを求める」

 

 ちっぽけな力を磨き続けて小さな繁栄を守ってきた子供達。

 そんな自分たちを愛する女神に縋る。

 

「どうかその手を。子の願いを叶えるために、母の慈悲を」

 

 ふざけた性格をしているが、長い歴史の中で一族を見守り続けてきた一族の母に。

 

 どうか助けてください。と。

 

『仕方のない子だね』

 

 言葉とは裏腹にどこか嬉しそうな。楽しげな声が頭に響く。

 そしてこの身にありえない程の存在感が宿った。

 

 

 

 一族の秘術。

 最後の一手。

 神に縋り、その慈悲を願う。藤宮の精霊術の究極にして原点。

 

 精霊術を『神降ろし』と看破した法条衛史郎は間違っていない。

 それこそが藤宮一族のはじまりだったのだから。

 

 そして自由自在に神を降ろす事は叶わないが、一族の守護神である『大神』をその身に降ろして奇跡を起こす術は確かに受け継がれている。

 

 精霊を操る術などその派生に過ぎない。司はそう聞いていた。

 藤宮の『精霊術』は太古の精霊『大神』をその身に宿して奇跡を起こす秘技であると。

 

 

 

 目の前には途方もない魔力を秘める世界樹。

 正直正面から手をつけたら命がいくつあっても足りない。

 

「それでもやると決めたのだから、ね」

 

 男の子ならきちんとやりとげないと。

 

 司はそう穏やかな笑みを浮かべて世界樹の魔力に干渉する。

 まだこの状態で戦闘を行うほどの能力はない。けれどこの程度はこなしてみせる。

 

 自分という強力な力を使い世界樹の魔力を世界に還す。

 世界からかき集めた魔力を、さらに別の道筋を作って世界へ還す。

 

 法条だってこの世界樹の占領からごく短時間でこの魔術儀式を完成させた。なら自分だってと奮起する。

 

 一族の守り神の力を借りてようやく可能な大魔術。

 司は世界樹に祈る巫女のように、力強く輝く世界樹に手を差しのべた。

 

 

 

 麻帆良で戦う魔法使いたちはそれに気がついた。

 

「……学園長か?」

 

 ガンドルフィーニは肩で息をしながらも世界樹の方を振り向いた。

 

 世界樹から感じられる魔力が減っていくのだ。先ほどまで力が増すばかりだったが今は徐々に力を弱めている。

 

 それにどのような意味があったのかは知らないが間違いなく敵の手によるものだろう。あるいはこの鬼の軍勢の魔力源として利用されていた可能性もあるとガンドルフィーニは考えていた。

 

 それを誰かがなんとかしたのだと考えると真っ先に思い浮かぶのは近衛近右衛門だった。

 

「結局私はなにも出来なかったな……」

 

 疲労と無力感に膝をつきたくなる。

 この戦いほど彼の心を苛んだものはなかった。

 

 学園最強の戦力は不在。最強の守りと信じた結界は攻略される。

 そして自分たちは敵を倒しきる事も出来ずに子供達を戦いに巻き込み、犠牲すら出している。

 

「……自分の弱さがここまで憎いのは初めてだよ」

 

 自分がもっと強ければ。いざとなれば高畑や学園長がいるなどと安心せずにもっと鍛えていれば。

 

「僕も、戦いが苦手だからと言っていた自分を殴りたい気分ですよ」

 

 すぐ近くで戦っていた瀬流彦が普段は温和な表情に苦い色を浮かべていた。

 

「我々は勝ったのか……?」

 

 周囲を見れば鬼の軍勢もすでに壊滅状態。これならば直に掃討出来るだろう。

 別の場所で戦っていたはずの瀬流彦が側にいるのも鬼達の残党を追っているうちに合流してしまったからだ。それだけ敵は数を減らしている。

 

「たぶんそうでしょう。エヴァンジェリンのおかげでこちらもなんとかなりましたし、あっちもたぶん学園長が手を打ったんでしょうし」

「闇の福音か……」

「そう難しく考える必要はないんじゃないでしょうか? 彼女も麻帆良の生活できっと変わったんですよ」

 

 今ひとつエヴァンジェリンを信じ切れていなかったガンドルフィーニは彼女が自分達を助けてくれるなど想像もしていなかった。

 だからこそ少々思うところがあった。

 

「我々も変わらなければならない。そういう事なのかもしれない」

「そうかもしれませんね」

 

 瀬流彦は困ったように苦笑していた。

 彼は自分が闇の福音を受け入れがたく思っていると想像したのだろう。そう思われても仕方のない自分の言動を思えば文句も言えない。

 

 しかしガンドルフィーニとて馬鹿でもなければ恩知らずでもない。

 助ける義理などないだろうにこちらを救ってくれた。そんな彼女に一方的に反発するほど頑迷ではないつもりだ。

 

 それに闇の福音の事を知らない多くの魔法生徒から見れば彼女は紛れもなく命の恩人であり、英雄だ。

 事情を知るものでさえ恩に感じているかもしれないほど彼女の助力は大きかった。

 

「……麻帆良も大きく変わるのかもしれない」

 

 そんな予感をガンドルフィーニは感じていた。

 

 そして自分も変わらなければ、もっと強くならなければと決意する。こんな事は二度と起こしてはならない。そのために努力するのは大人として当然の事だ。

 

 彼の魔法使いとしての感覚は世界樹の魔力がほぼ通常の状態に戻っていくのを感じていた。

 

 

 

 まどろみから目覚めたとき、その目に入ってきたのは想像していた優しい顔だった。

 

「やっぱり司君やったか……」

 

 そうぼんやりと呟く。

 眠りに落ちながらも誰かの気配を感じていた。

 

 それはよく知っている人で、温かく優しい人の気配だった。

 

「ありがとなぁ……たすけてくれて……ほんまに、ありがと……」

 

 彼の胸元に頭を寄せて、彼の温もりに抱かれて木乃香はぼんやりと考えた。

 

 ああ、これお姫さま抱っこやん。

 司君も案外隅に置けんわ。

 

「大丈夫ですか?」

「うちはだいじょうぶ。司君の方こそだいじょうぶなん? なんだかわからんけど、疲れ取るように見えるで」

 

 女の子のような顔に手を当てる。柔らかい頬の感触を楽しみつつも彼の雰囲気がいつもと多少違う事を感じていた。

 

「少し休めば大丈夫です……本当に無事でよかった」

「囚われのお姫さまは王子様にきちんと助けられるもんなんやで?」

 

 その言葉に司は微かに笑った。

 笑顔にいつもの暖かさとほんの少しの男らしさを感じて木乃香は胸が高鳴った。

 

 ああ、こういう場面やったら感激して抱きついたり、感謝のキスくらいするべきやろか?

 

「……あかん、恥ずかしすぎてダメや」

「どうしたんです?」

「なんでもあらへんよ、なんでもあらへん……」

 

 不思議そうな顔をする司に恥ずかしくなってつい顔を背ける。

 

 自分でもわかるほど顔が熱い。きっとトマトみたいに真っ赤だろう。

 

 うちがこんなに恥ずかしい思いをしとるのに、この男はなに平然としとるんや?

 仮にも女の子を抱いていて顔色一つ変えんて……ちょっとイラッとくるんやけど。

 

 だからほんの少しの意趣返し、ちょっとした悪戯のつもりだった。

 

「ありがとな。王子様」

 

 彼の首に腕を回して顔を近づける。一瞬だけ唇に柔らかな肌の感触が伝わってくる。目を開けてみるともうちょっとで唇と唇が重なっていたかもという微妙な位置だった。

 

 死ぬほど恥ずかしかったが、澄まし顔で相手の表情をうかがう。

 理解出来ないという顔をしていた彼が、次の瞬間火がついたように真っ赤になった。

 

「え? ……え?」

 

 なにやら真っ赤になって狼狽えはじめた様子に木乃香はしてやったりと微笑んだ。

 そして真っ赤になってあうあう言っている女の子のような可愛い男の子の姿になにやら胸が高鳴った。

 

「……なんやのこの可愛い生き物。こうキュンキュンくるなぁ」

 

 抱き上げた木乃香を放り出す事も出来ず。お姫さま抱っこの姿勢のまま狼狽え続ける司。どうしたらいいのかわからないのだろう。もうほとんど涙目だ。

 

 そんな普段見られない純情少年な狼狽っぷりを木乃香はおおいに楽しんで、満足していた。

 

 ちゃんと男の子やったんやなぁ……それにしても可愛いなぁ、お持ち帰り出来へんかな。

 


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