精霊の御子 カレは美人で魔法使い   作:へびひこ

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第五話 夜の世界

「あ~、さすがに少し疲れたです……」

 

 あれから数日、綾瀬夕映は放課後の図書館島で調べ物をしていた。

 読書スペースの一番奥の目立たない席に陣取ってひたすらあの謎の現象を解明しようと本を集め読みふけった。インターネットも調べたが事実かどうかもわからないオカルトサイトしか見つからずにさっさと断念した。

 

 インターネットは情報量こそ多いが情報の信頼性では書籍に劣る。そしてこの図書館島はインターネットに負けないだけの莫大な蔵書による情報量を誇るのだ。利用しない手はない。

 結果数日彼女の専用席となっているスペースでは多数の書籍が山と積まれていたりするが希にあることなので注意もされない。

 

 目元を揉む。少し疲労を感じた。軽く伸びをして肩のこりをほぐす。

 さすがに根を詰めすぎたかとも思うがなんとしても解明したいという欲求が疲労を上回っていた。

 

 やる気のないことは徹底的に手を抜いて気が向いたことには全力投球する。それが綾瀬夕映という少女だった。おかげで読書家であり頭の回転が悪いわけでもないのに学業の方は超低空飛行状態だ。

 

 探検に誘ってくる友人の誘いも断って調べ物に没頭していた。だが未だに『正解』と確信できる回答を得られなかった。

 

 近衛木乃香から藤宮司の実家が武術の道場で彼もそれを習っているという情報を聞き出した夕映はそこから調べだした。

 

 そしてそれらしきものは見つけた。

 

 古い武術には特殊な歩法で高速に動くという技がある。

 それこそ流派ごとに名前も中身も違う技を調べ上げ、その技をだいたい理解した。

 

 現実的な解釈をすればその技は特殊な技術を用い対戦相手の目をくらませて間合いを変えるものであると推測できる。

 まだ遠くにいると思った相手がなにかしらのトリックを使ってまるで一瞬で間合いを詰めてきたように感じる。これがその技の正体だろうと夕映は仮定している。

 

 だがそれでは『正解』に至らない。

 

 トリックでは現実に離れた場所に瞬時に移動してのどかを助けるような真似はできないのだから。

 

 つまり彼が行った事とは違うのだ。

 どちらかといえばこちらの……と一冊の本を手に取りぱらぱらめくる。

 

 そこには人体に『気』というエネルギーがありそれを活用することで肉体の能力を上げたり高速で移動するようなことが出来ると書いてある。

 それは誰にでもあるエネルギーであり、元となるのは生命の力であると。

 

 いわゆる超能力などのたぐい。オカルトだ。

 

「結局、この路線しかあの現象を説明できるモノがないです……いささか荒唐無稽ではあるのですが」

 

 調べてみると意外に図書館島にはこの手の本が多かった。

 ただし詳しく書かれた資料はかなり見つけにくい場所。しかもまるで隠されるようにあったので手間がかかったが。

 

「気、そして魔力」

 

 そして偶然見つけた一冊の古い本。

 それにはもう一つの可能性が書かれていた。

 

『魔法』

 

 その本によると魔力というものも個人の素質の差こそあれ誰しもが潜在的にもつ力であり、訓練することによって様々な現象を起こせるとある。

 

 魔法の矢という攻撃の魔法。

 魔法障壁という防御の魔法。

 身体強化という魔力で運動能力を底上げする魔法。

 

 特に三つ目の項目の中に注目すべき一文があった。

 

「魔力制御の熟練者ならば魔力を集中させることで高速の移動を可能にする……ですか」

 

『瞬動術』というらしい。

 

 魔力を引き出す訓練法なども書かれていたがそちらの方は適当に流し読んだ。

 まさかこの本に書かれたとおりに訓練すれば魔法が使えるなんて素直には信じられない。とうてい真面目に読む気にはなれなかった。

 

「魔法……魔法使いですか。本当にそんな人がいるのなら会ってみたいものです」

 

 この本を読む限り、魔法とはおとぎ話のようになんでも出来る万能の力ではなさそうだ。

 きちんとした法則があり、それはまるで学問のように整理された知識であり、それを学び適切な訓練をして初めて先人の残した魔法という神秘の技を使えるのだ。

 

 間違っても万能の力などではない。

 呪文一つで財宝の山を築き、望めば世界で不可能なことはないなどということはありえないのだ。

 

 夕映はもし魔法というものがこの本の通りだとしても失望したりしないだろう。

 むしろランプの精霊のようになんでも叶えられる万能の力だといわれた方が落胆する。

 

 夕映にとってはこの本にあるような学問然とした『魔法』のほうがはるかに好みに合った。

 

「彼がホウキに乗って空を飛ぶ姿は……まぁ、なんだか似合っていますね。マンガな感じの魔法少女的に」

 

 外見はまるっきり美少女だ。背もそれほど高くないしモノによっては魔法少女の衣装が似合うかもしれない。

 魔法少女のコスプレをして空を飛ぶ司を想像して夕映は発作を起こしたようにぷるぷるふるえながら笑いをこらえた。

 

 ……似合いすぎる。

 

 想像の中の司が天真爛漫な笑顔で魔法の杖を振るう……お腹が痙攣を起こしそうだ。

 

 ここが図書館じゃなかったら笑い転げていたかもしれない。

 なんとか大声で笑うのをこらえて目に浮かんだ涙をぬぐう。

 

 ふとある噂を思い出した。

 そういえば麻帆良には『困ったことがあると魔法使いが助けてくれる』という都市伝説があった。

 

 見かけたことがある。話を聞いたことがある。助けてもらったことがある。

 可愛い魔法少女だった。いやあれは魔法オヤジだったなど麻帆良では有名な噂だ。

 

 それだけ噂が定着するならなにかしら根拠となる何かがあったのではないか?

 

「まさか……本当に魔法があって、魔法使いがいるとしたら」

 

 彼は魔法使いということになるのか?

 

 馬鹿馬鹿しいと首を振る。

 けれどここ数日調べてもオカルト的なものでしかあの現象は説明できなかった。

 

 ふと真剣な目で黒一色の『魔法』の本を見る。

 手になじむ革張りの古そうな本。所々すり切れているのに不思議と色あせた感じのない奇妙な本だ。

 

 タイトルも著者も書かれていない一目見ただけではなんの本かもわからない本。

 

 なのに妙に目を奪われ、心惹かれる力のようなものを感じる。

 

 まるで隠されるように図書館の奥。オカルトコーナーの見つけにくい場所にあった。図書館探検部の活動による経験では大抵罠や罠の解除スイッチのある場所だ。もし図書館探検部に所属して探検を経験していなければ見つからなかっただろう。

 

 これが本当に『魔法』の世界へと導く教本だとしたら。

 この世界に隠された秘密があり、それを知る手がかりだとしたら。

 

 日常では誰も信じない。そんな不思議な力。

 長い歴史の中で育まれ隠され続けてきた神秘の力が存在するとしたら。それはとても素晴らしいことだろう。少なくとも綾瀬夕映という少女はそう思う。

 

 退屈な日常が、友人たちと出会ってからそれほど意識することはなくなった無色の世界がまるで物語の世界のように色とりどりの色彩を放っているように様変わりする。その光景を幻視してしまう。

 

 意識せずにゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 ゆっくり本を開く。

 先ほど読み飛ばすようにページをめくった箇所をゆっくり頭に刻み込むように読み始めた。

 

 魔力知覚の訓練。魔力制御の訓練。魔力発動の訓練。

 魔法の基礎の知識と、魔力と魔法の関係。

 

 黙って読み続け、訓練方法を読み終わったあと反芻するように目を閉じ頭の中で訓練法を読み上げる。

 

 そして頭を空っぽにして最初の訓練と記されていた魔力知覚の訓練をおこなう。

 

 たいしたことは必要ない。

 魔方陣を描いて呪文を唱える必要も生け贄の鶏を捧げることもない。

 

 ただ自分という存在を五感すべてで知覚する。

 そこにある自分をはっきりと感覚に叩き込む。

 そして自分の中で燃えさかるエネルギーを想像し、把握する。

 それは染み渡るように身体を流れて体外へ放出されていく。そして体外のエネルギーを吸収し身体を巡り、再び身体の外へと染み出していく。

 

 想像し、ひたすら自分の頭と心にそれがあることを叩き込み、そんなものはないと主張する常識論を力ずくでねじ伏せ非常識を優先させる。

 

 ごく当たり前にその存在を、未知のエネルギーを受け入れる。

 それがあることは当たり前のことである。

 それこそが世界の『本当の常識』なのだから。

 

 そう自然に心に思い浮かんでくるまでそれを続けた。

 

 ゆっくり目を開けるとうっすらと身体を覆う光のようなモノが見えた気がした。

 驚いて思わず『魔法』の本を見る。

 黒い本がうっすら光を放っていた。他の本はなにも変わっていないのに。

 

 さまざまな感情が溢れてくる。歓喜であり恐怖。満足感もあれば拍子抜けしたような気もする。

 手の光を見つめると軽く力を込めてみる。すると光が少しだけ強くなった気がした。

 

 うっすらと夕映の口元に笑みが浮かぶ。確信した。これは本物だと。少なくとも自分が知らなかったなにかであると。

 

「夕映~、もう暗いから帰ろうよ~」

 

 友人の穏やかな声が耳に届く。はっと我に返ると身体を覆う光などまるで見えなくなってしまった。

 

 幻覚だったのか、気のせいだったのか。

 先ほどうっすらと光に包まれていたように見えた自分の手をまじまじと見つめる。

 もうそんな謎の光は見えない。

 

「夕映~……どうしたの?」

 

 近くに寄ってきたのどかが顔を覗き込んでくる。

 目元を隠すように伸ばされた前髪から心配そうに見つめる瞳が見えた。

 夕映は軽く頭を振って先ほどの感触を振り払い、頭をしゃんとさせた。

 呆けている場合ではない。友人に心配をかけてしまう。

 

「いえ、少し疲れただけです。そうですね。そろそろ帰りましょう」

 

 黒い本をさりげなくバックの中に入れ席を立つ。

 この本のことはもっと詳しく調べたかった。

 今の現象はなにか? もう一度再現出来るのか? この本に記された他の『魔法』も使用できるのか? きっちりと調べたい。

 そのためには持ち帰る必要がある。ここに置いて帰り明日来たときには無くなっていたら後悔してもしきれない。

 

 ちょっと借りるだけなら問題ない……問題ないと思う。思いたい。

 無断借用になるが馬鹿正直にこの本を借りられるかどうか聞く気にはなれない。

 直感のようなものがそれをしたら二度とこの本を手にすることはなくなると告げていた。

 

 

 

 

 外はもう闇色に染まっていた。丸い月が夜の空に輝いている。

 美しい満月だ。雲すらかかっていない。しかし風景を楽しむような余裕はあまりなかった。夕映ものどかも女子寮に住んでいる。門限などうるさくはないがあまり遅くなるとさすがに注意されるかもしれない。

 

 麻帆良は治安がいいとはいえ女子中学生が出歩くには遅い時間だ。もう少し早く帰るべきだったかと反省した。

 

 自分はともかく一緒に付き合ってくれた友人が補導されたら申し訳ない。いや、もし変質者に襲われたりしたら一生後悔するだろう。

 図書館島を出て女子寮へと向かいながらのどかと軽く会話をする。夜の闇を少し怖がっている友人の気晴らしになればと思った。

 

 にぎやかな学校でのこと、居心地のよい部活の話、そして話題は先日会った少年の話になった。

 

「やっぱり、ちゃんとお礼を言おうと思うんだ……あの罠は結構危険だったし、下手したら怪我していたかもしれないんだもの」

「そのときは一緒に行ってあげます。一人で男性に会うのはのどかには大変でしょう」

「ありがとう……でも司さんって男の人って感じがしないんだよね。ってこんな事言ったら怒られちゃうかな……」

「きっと言われ慣れていますよ。私の目から見ても女性にしか見えませんでしたし」

「うん、けど言われ慣れてても嫌な事ってあると思うから、そういう風には言わないようにする……」

 

 夕映は微笑を浮かべた。

 

「のどかは優しいですね」

「そ、そんなことないよ」

 

 本当に心の優しい友人だ。

 自分などにはもったいない。

 

「あれ? 夕映どこ行くの?」

 

 不意にかけられた声に夕映は驚いた。

 

「どこって女子寮ですよ。いつもの道じゃないですか? こっちを突っ切った方が早いです」

「え? でもそっちは『行ってはいけないんだよ』」

 

 夕映は形の良い眉を微妙な角度に動かした。

 行ってはいけない? 別に進入禁止の看板もない。なにか工事しているような様子もない。それにいつも通っている道ではないか?

 

「どうしたのです、のどか。いつも通っている道ではないですか?」

「うん、あれ? なんでだろう……そうだよね。でもなんか変な感じがして」

 

 頭に手を当てて少しぼんやりする友人の姿に疲れたのだろうと考える。

 思えば遅くまで付き合わせてしまった。この大人しそうな友人も見かけより体力があるといえ数日も遅くまで図書館詰めを続ければ疲れもするだろう。申し訳なく思いながら夕映はのどかの手を引いた。

 

「きっと疲れているです。早く帰ってお風呂にでも入ってゆっくりしましょう」

「うん……そうだね」

 

 そして夕映は越えてしまう。大切な友人の手を引いたまま。

 

 昼の世界から夜の世界への境界を。

 日常から非日常の世界へと。

 

 まだ自覚してもいないかすかな魔力を身につけたことにより魔法使いの張った結界を越えて。

 

 そこを進めばちょっとした広場があり、そこを突っ切れば中等部の女子寮だ。

 その広場に二人の人影を見とがめて夕映は足を止めた。

 

 こんな夜中に何をと不審に思う。

 

 金髪の小柄な少女はクラスメイトのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 少し距離を置いて対峙するのは長い黒髪を肩のところで軽く結った少年。図書館島で出会った藤宮司だった。

 

 

 

 

「あなたがこの手紙を?」

 

 司は手に持った便せんをすっと金髪の少女に放った。

 

 内容はシンプルだった。

 あなたに会いたい。会って話があると時間と場所を指定してきただけの簡潔な手紙。差出人はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 便せんに込められた微弱な魔力にこれを受け取った司は顔をしかめたものだ。

 

 あきらかに魔法使いからの手紙。

 無視しようかと思った。しかしこれが麻帆良の魔法使いからだとしたら知らぬ顔をしたら角が立つかもしれない。

 

 そう考えて仕方なく司は夜も遅くに満月を見上げながら約束の場所まで来たのだ。

 司の手を離れた便せんはまるで紙飛行機のように風に乗る。

 手元にまで飛んできたそれを指で挟んで受け取ると少女は唇を吊り上げるように笑った。

 

 背が低く幼く見えるがその表情は子供のものと考えるには違和感がある。

 黒いゴシックドレスに身を包んだ金髪の少女は興味深そうな目で司を観察しているようだった。

 

「まずは招待に応じてくれたことに礼を言おう。藤宮司、ごくろうだった」

 

 少女は尊大な口調で足を運んできた少年を労う。

 少年は表情の読みにくい微笑を浮かべて問いかけた。司とて歴史ある魔術組織の一族の子である。他の魔術師、あるいは魔法使いと接する態度ぐらい作れる。

 

「なにかお話があるそうですが、僕にいったい何の用事でしょう?」

「なに、たいしたことのない用件だ。関東最大の魔力を持つ小僧とやらを直に見てみたくてな」

 

 あきらかに年下に見える少女に小僧呼ばわりされても司は腹を立てなかった。

 目の前の少女は『違う』と司は感じていた。

 見た目通りの存在ではないと。さすがに『大神』クラスとはいわないが普通の人間の気配ではない。油断は出来ない。

 

「感想を聞いても?」

「なかなかおもしろそうな男だと感じているよ」

 

 くっくと喉を鳴らして笑う。

 

「見た目はあきらかに女だな。声も女のそれだ。匂いさえ男のものではない。おまえは本当に男なのか?」

「ええ、男ですよ。あいにくこの場で証明するのは勘弁してもらいますが」

 

 その言葉に少女は大声をあげて笑った。快活な笑いであり不快には感じない。嘲るような空気がないせいだろう。

 単純におもしろいから笑った。そのような印象だ。

 

 白いシャツと紺色のズボン姿の少年を見ても女の子が男物の服を着ているようにしか見えない。

 本気で証明させようとしたら脱がすか触るしかないだろう。

 

 それは勘弁して欲しいと怒るでもへりくだるでもなく堂々と言い放った少年の物言いが実際少女にはおもしろかった。彼女を相手にそんな口をきける人物はそうはいない。

 それが例え無知から来るものだとしても少女にしてみれば新鮮ではある。

 

「それも一興といいたいが、今わたしが知りたいのはおまえはいったい何者なのかということだ。性別などそれに比べたら些細なことだな」

「どういう意味です?」

 

 司は微笑を浮かべて尋ね返す。その笑顔からは内心を伺うことが出来ない。小僧にしてはなかなか場慣れしていると少女は評した。

 

「言葉通りの意味だ。貴様、ただの人間ではないだろう? わたしはこれでも他者の気配に敏感でな。貴様のそれは人間の気配とは若干違っている。それとも藤宮一族とは皆そうなのか?」

 

 司は腹の中を見せない微笑を崩さない。

 

「藤宮一族についてはどのくらい御存知です?」

「精霊術とやらを伝える関東に歴史のある一族だということぐらいか」

 

 それを知っているのならば十分だと司は肯いた。自分が藤宮一族であり、その一族が精霊術を伝える歴史ある一族と認識しているならば言いたいこともわかるだろうと。

 

「これは一族の秘奥に類することです。軽々しくお話は出来かねます」

 

 礼儀正しい拒絶の言葉だ。

 

 これは秘奥と言うには知るものは知っていることだ。だがだからと言ってぺらぺらとしゃべっていいことではない。

 

 そしてこう言えば大抵の魔術に関わるものは追求を諦める。

 一族の秘奥を明かせなどという要求をすれば下手をすればその一族と戦争になりかねないからだ。そのくらい魔術組織や魔術を伝える一族が伝え守る秘奥や秘伝のたぐいは重要視されるし尊重もされる。

 

 少なくとも秘奥を明かせというならば自身の伝えるそれに類するものを明け渡さなければならないだろう。そしてそんなことをする魔術一族などそうはない。

 秘奥のたぐいは独占しているからこそ価値がある。その一族の存在価値となり名声となり力となるのだ。

 

 いくら青山の血を引いているからとはいえ本来は部外者である司に青山の伝える神鳴流の奥義や皆伝を許すことの方が異例なのだ。当時大人同士の話し合いが当然あっただろう事は司も察している。

 

 そして事は藤宮一族の祀る『大神』と藤宮の魔術『精霊術』に関することだ。初対面の得体の知れない相手に教えることではないだろう。

 

 少女は不満そうにふんと鼻を鳴らした。

 

「秘奥……秘奥か。じじいは知っているのか?」

「じじい?」

 

 疑問の声に煩わしそうに「学園長のじじいだ」と答えが返ってくる。

 

「いえ、先生も知らないはずです」

 

 あるいはなにか耳にしているかもしれない。関東魔法協会の長である老人だ。なにも知らないと考えるのは楽観的だろう。

 

 けれど司の師とはいえ部外者の彼がその本当の意味を知るはずもない。

 ましてや近右衛門は一族の者からはずいぶん警戒されていた。司自身も近右衛門に一族の情報をほとんど与えなかった。

 

「そうか……じじいにすら隠す秘密か、興味深いな。ぜひ教えてもらおう」

 

 その言葉に司は実はひどく驚いたし狼狽した。どうやらこの少女は魔術師の常識が通用しない相手らしい。

 けれど表情を崩すことなく応対する。

 

「お断りします」

「そうつれなくするな。すぐに自分からしゃべりたくなるさ」

 

 少女の指がかすかに動いた。

 その瞬間、司は背中の産毛が総毛立つような感覚を感じた。まるで全方位から敵に包囲されているような……そしてすぐに理解した。

 

「小僧ではわたしの相手にもならんよ」

 

 自信たっぷりに少女が嗤う。先ほどはなかった嘲るような笑みがそこにあった。

 

 仕掛けにまったく気がつかない格下と侮られたと悔しく思う。だがそれも仕方ないと諦めた。周囲を完全包囲されるまで気がつかなかったのだ。馬鹿にもされるだろう。

 

 司を包囲した少女の兵隊。それは糸だった。

 

 いつの間に張り巡らせたのか魔力が通った糸が十重二十重に司を囲み、今にも束縛しようとしている。勝利を確信したように金髪の少女が笑う。その桜色の唇から白い牙が覗いた。

 

 その瞬間司は真紅の炎に包まれた。音もなくただ熱と光をまき散らして炎は司を包み込む。

 

「なに!?」

 

 突然の業火に金髪の少女が顔色を変える。

 指を動かすが手応えがない。糸はあの炎で焼き切られた。

 

「僕をその程度で止められると思わないことです」

 

 炎が一瞬で鎮火するとそこから火傷一つない司が現れた。身につけていた衣服も焦げ目すらない。本当に炎に包まれたのかと疑いたくなるほどだ。

 

「自分ごと燃やすとはイカれた奴だと思ったが、自分は燃やさずにそれ以外を燃やしたのか……」

 

 馬鹿げていると内心吐き捨てる。少女の魔法の常識からすればありえない。

 

「こういう加減は得意なんです。魔力制御は父も先生も褒めてくれました」

 

 飄々と微笑む少年に少女は好戦的に笑った。

 

「謝罪しよう。貴様を甘く見た。ここからはこのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが今出せる全力でおまえの相手をしよう」

 

 金髪の少女。『闇の福音』と麻帆良で、そして世界で恐れられる大魔法使いは慢心を捨てて少年と対峙する。

 

 封印され弱体化している今の自分の前に立つ資格がこの妙な少年にはあると認めた。全力状態ならまた違うのだがと惜しく思う。

 

 六百年生きた真祖の吸血鬼。

 その知識をもってしても今の魔法はいささか好奇心を刺激される未知の魔法だ。

 

 呪文の詠唱もなく自分を包み込むような炎を発生させ、魔力の込められた糸を瞬時に焼き払った。

 ただの無詠唱呪文や発火の呪文であるわけがない。それなら彼自身火だるまになっているはずだ。

 

 じじいの言っていた『精霊術』か? そうエヴァンジェリンは推測した。

 六百年生きてきてまだ見たことのない極東の魔術。

 退屈していたエヴァンジェリンの好奇心を刺激するには十分だった。

 

 近右衛門との約束などすでに頭から追い払っている。要は殺さなければいいのだ。殺さず重傷を負わせずに終わらせればいい。そうすればただの手合わせで始末がつく。いや、つけさせる。

 その自信がエヴァンジェリンにはある。勝負に勝つ方も近右衛門にこの件の後始末をさせる方もだ。

 

 エヴァンジェリンは実力者であったが自信家でもあった。

 弱体化しているとはいえ自分の張った人払いの結界に自信があった。だから関心も警戒も目の前の美しい少年だけに集中していた。だから気がつかない。

 

 藤宮司は慎重な人物だった。

 だからこそ未知の魔法使いを最大限警戒し、それに対処するために全神経を集中していた。一般人を遠ざける結界が張られていることに安心もしていた。彼も気がつかない。

 

 その場に本来魔法の世界と関係ない人物が紛れ込んでいることに二人とも気がつかなかった。

 

 偶然から魔力が込められた入門用の魔法書を手に入れて中途半端とはいえ魔力に目覚めてしまった少女。

 一般人を追い払う人払いの結界は未熟とはいえ一度は魔力をその身にまとった少女を一般人と認識しなかった。

 

 その彼女に手を引かれて、なにも知らない少女が震えながらその光景を見守っていたことにも気がつかなかった。

 

 

 

 

 綾瀬夕映は物陰に身を隠し、のどかを抱きしめるように庇いながらその光景を見ていた。

 会話の内容はよく理解出来なかった。

 しかし少年が突然炎に包まれてまったく傷つくことなく無事な姿を現したこと。一瞬で爆発的に燃え上がり消えるときも一瞬であった不自然な炎をはっきりと目撃した。

 

「魔法使い……」

 

 その光景に目を奪われる。胸の鼓動がうるさいくらいだ。緊張で喉が渇き手に汗をかいている。

 

 まさに。

 

 まさに自分は『魔法』を見たのではないか?

 目の前にいる人物こそ『魔法使い』ではないか?

 だとしたら自分は……世界の神秘を『知った』のだ!

 

 歓喜と感動。そして興奮が夕映の心を震えさせた。もうあの美しい少年から目が離せない。

 

 おそらく、いや最低でもあの少年かマクダウェルのどちらかは『魔法使い』だ。

 

 会話を思いだしてそれを必死に分析する。

 そして思い直す。いやほぼ確実に二人とも少なくとも『魔法』を知る人物だろう。あれは無知な者を相手にする会話ではなかった。

 

 夕映はただ息を潜めて二人を見続けた。

 きっと二人は自分にこの世界のもう一つの姿を、歴史に隠された神秘を見せてくれる。

 

 人形のような美貌に不釣り合いな好戦的な笑みを浮かべる級友。

 内心を伺わせない微笑を浮かべながらも鋭く目の前の少女を見据えている少年。

 

 もはやそれ以外目に入らないかのように目が離せない。

 まるで魂が魅了されたようだと少女の冷静な部分が指摘する。

 

 ああ、そうでしょう。

 見せられた。魅せられた。惹きつけられ魂をその手に鷲づかみにされた。

 

 もはやなにがあろうと目が離せない。けして手放してはならない。これこそが自分の胸に燻り続けていた欲望。けして叶うことないと諦めていた夢。

 それが目の前にあるのだ。もはや他のことなど忘れて見入っていた。

 

 そんな夕映の腕の中でのどかは心細い視線でこちらに目も向けない友人を見やり、そして自分を助けてくれた少年を見つめた。

 

「司さん……あなたはいったいなんなのですか?」

 

 その声に恐怖はなかった。

 ただ微笑を浮かべて立つ少年の姿を痛々しい気持ちで見つめていた。

 

 今の少年の姿を見ると胸が痛い。

 

 図書館島で楽しそうに夕映と話していた彼。

 自分をまるでおとぎ話の騎士か魔法使いのように罠から助けてくれた彼。

 

 優しそうで穏やかな雰囲気の人だった。

 暖かい世界の中で微笑んでいるような人だと感じたのに。

 

 それが今の彼は顔は穏やかに笑って見せてもとても無理をして、苦しんでいるように見えた。

 なぜ二人が険悪な雰囲気になっているのか、先ほどの炎はなんなのか。まったく理解出来ないがそれでも彼のことが心配だった。

 

 なにが起こるのかわからない。けれどのどかは司の無事を祈っていた。

 




 ゆえ吉、独力で魔法関係に手を染める!
 ……無理がありますかね?
 でも図書館島ならこっそり魔法関係の本が隠されてあっても不思議じゃない気がします。
 麻帆良だし。
 秘匿意識が高いのか低いのかわからない世界ですから。
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