「こんな夜遅く、女に外で立ち話をさせる気か?」
司が説得をするつもりだと察するとエヴァンジェリンはそう言って話し合いの場に自分の家を提供した。
人気の少ない地に建てられた木製のログハウス。
なかなかの広さであり手入れも行き届いているため見かけよりもよほど快適な家だ。
エヴァンジェリンが従者の絡繰茶々丸に茶の用意をさせ、温かいお茶を飲みながらロビーで話し合いをはじめる。
司は相手に余計な恐怖心や警戒心を与えないように注意しながら自分たちのことを説明していった。
話を聞いていくうちに夕映とのどかはその内容に驚き、かつ目を輝かせた。
世界に隠された魔法。
隠れ住む魔法使い。
麻帆良は魔法使いの都市であり、藤宮司やエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルも魔法使いである。
まるで物語のようだと二人とも興奮し、感動さえした。
けれど身をすくませるような話もあった。
魔法は秘密にされるものであり、魔法使いはそう教育を受ける。
そしてその秘密がばれた場合。
記憶を操作して魔法のことを忘れさせることもあるのだという。
その理由は社会を混乱させないため一般には魔法は秘匿されるべきという理念であり、一般人を危険な裏の世界に巻き込まないための対処法であると。
危険。
そう危険なのだ。
どこが危険なのかと首をかしげる二人に司は言った。
「僕たちの戦いを見たのでしょう。あの魔法が自分たちに向かって撃たれていたらどうなったと思いますか?」
優しい口調だった。
けれどその言葉の意味するところを想像して二人は身体がこわばった。
二人は魔法使いだからお互いの魔法から身を守ることが出来た。
自分たちはどうか、あの爆発や炎が襲いかかってきたらなにが出来る?
なにもできない。
抵抗などできずにただ命を落とすしかない。
「魔法使いはその気になれば簡単に人を殺せるんです。そして場合によってそれは魔法使いの社会で許容される。いえ賞賛される場合さえある」
「人を殺すのが認められるなんて、そんなことあるはずがありません……」
司の真剣な口調に萎縮したのか、夕映の反論もどこか弱い。
人殺しが認められるという発言は二人にとって衝撃が強かった。
現代日本で生まれた普通の中学生にとって人殺しは禁忌に近い。犯罪以前に人間としてするべきでないと骨の髄まで染み込んでいる。
司は困ったように首を振った。
「魔法使いの世界は夢のような優しい世界ではないです。もっと俗でそして野蛮な世界です。敵だから殺す。邪魔だから殺す。秘密を知ったから殺す。そういったことが当然のようにあります。もちろんすべての魔法使いがそうであるわけではないですが」
所属する組織によっても違うし、魔法使い自身の意識によっても違うという。
そして表の世界に善人や悪人がいるように、ニュースで見飽きるほど凶悪犯罪が起きるように。魔法の世界でも当然のようにそれらはあるのだと。
「今回のケースも普通なら拘束して記憶を封印。何食わぬ顔で日常に戻すのが一般的な対処法ですが、人によっては目撃者は消してしまえばいいと考える人もいるでしょう」
司の言葉に二人はエヴァンジェリンに怖々と視線を向ける。
優しく説明してくれる司には一定の安心感を感じるが、事態を面白がるような顔で沈黙を守る彼女は不気味に思えたようだ。
視線に気がついたエヴァンジェリンが物騒な笑みを浮かべた。
「そういう奴もいる。わたしもそれが一番後腐れない気もするな……行方不明者が二人ぐらい出たところで少しの間騒がしくなるだけだ。一年後には誰も気にしなくなるさ」
「エヴァンジェリンさん……」
あきらかにおもしろがっているエヴァンジェリンに司が呆れたような声を出す。
エヴァンジェリンが大袈裟に肩をすくめて沈黙すると気を取り直したように再び話し始めた。
「僕としてはできる限り穏便に済ませたいのです。秘密を守ってくれると約束するのならば僕らは君らに危害を加えない。約束を守る自信がないというのなら記憶を封印するけど心配しなくてもだいじょうぶです。あの場に君たちは行かなかった。だから魔法など見なかったという風に記憶が操作されるだけで、それ以上の事はしないですから」
のどかは思い切って口を開いた。
「わ、私はしゃべったりしません」
優しい目でのどかに肯き返し司の視線が夕映を向く。
「私も秘密をばらしたりしないです」
その言葉に司は安心したようだった。
これで説得は上手くいった。そう思ったのだろう。
しばらく考え込み、躊躇し、それでもと思いきって夕映はバックから黒い本を出した。その本に魔力を感じ取ってエヴァンジェリンがかすかに眉を動かす。
「私はこれを図書館島で見つけたです」
司に本を差し出す。
「この本は本物なのではありませんか? 私はその通りに訓練を試して不思議な光を目撃しました」
本を受け取って軽く読むと司は若干疲れた顔をした。
それは本物の魔法教本だった。
誰が書いたのかわからないがご丁寧に魔力を自覚しやすくなる暗示が本にかけられてある。他にも魔法がかけられているがおそらく無関係な人物がこの本に興味を向けないようにするための魔法だろう。正常に作動しているとは思えなかったが。
エヴァンジェリンが興味深そうに口を開いた。
「ほう、本を読んだだけで魔法に目覚めたとでも言うつもりか? 本当ならたいした才能だ」
司は無言でエヴァンジェリンに本を渡した。見ればわかるという態度だ。
その本を観察したエヴァンジェリンは軽く中身を確かめると納得したように肯いた。そして少し落胆した。確かにこの魔法教本なら素人でも魔力の知覚くらいは出来るようになるだろう。そういう魔法がかかっているのだから。
「綾瀬夕映、おまえが試したのは魔力知覚の訓練か?」
「はいです。最初の訓練だと書かれていたのでまず試しました」
「おまえが見たのはおそらく魔力だろう。魔力を光という形で視認したのだろうな」
夕映の頬が興奮したように紅潮し、のどかが「すごい」と素直に感心した。
「別にすごくはない。この本は魔力の自覚を促す魔法が込められている。実に初心者に優しい入門書だな。大抵の者はこれを読んで実践すれば魔力を自覚する程度は出来るだろう。才能はあまり関係ないな……なんならおまえも試すか?」
たいしたことではないと言われて夕映はかすかに肩を落とし、本を手渡されたのどかは好奇心に負けて中身を読んだ。
「えーと、訓練法……魔力知覚の訓練、これなのかな?」
「やってみろ」
悪戯っぽくエヴァンジェリンが促す。
ゆっくりと本を読み、読み終わるとのどかは胸の前で祈るように手を組んで目をつぶった。
その様子を幾分緊張したように夕映が見守る。
司は小声でエヴァンジェリンに抗議した。
「なにを考えているんですか? 一般人に魔力を自覚させてどうするんです?」
「まぁ見ていろ。案外おもしろくなるかもしれん」
エヴァンジェリンはまったく取り合わない。手軽な実験でも眺めるような気楽さで宮崎のどかを観察していた。
数分が過ぎゆっくりと目を開けたのどかは小さく悲鳴をあげた。
のどかの目にはここにいる全員がうっすらとした光をまとっているのが見えていた。
自分と夕映がもっとも弱くぼんやりしている。
手に持った本の方がいくらかはっきりとした光だった。
エヴァンジェリンと司はさらにくっきりと光が見える。まるで後光が差しているようだ。二人の美しい容姿もあって天使かなにかに見える。
そして司だ。
目に見える光こそエヴァンジェリンと同じようだがのどかは胸の奥が騒がしくなるほどの強力な存在感を司から感じていた。
けれど不思議と怖くはない。
まるで本物の天使に出会った気分で、なにかすごい存在感を感じる司に目を奪われた。
「まるで一目惚れした乙女のようだな? 宮崎のどか」
その様子を見ていたエヴァンジェリンにからかわれてのどかは真っ赤になってうつむいた。
「のどかも……見えたのですか?」
「うん、はっきり見える……すごい綺麗……」
夕映に答えながらもちらちらと司を見ては顔を赤くしている。
喉を鳴らしてエヴァンジェリンが笑った。
「どうだ。どうせ魔法を知ったのだ。ついでに魔法を習ってみたらどうだ?」
「よいのですか!?」
「ああ、ツカサに習うといい。若いがなかなかの腕前だ。わたしも稽古ぐらいならつけてやろう」
「エヴァンジェリンさん! なにを言い出すんですか!?」
エヴァンジェリンの提案に夕映は喜び、のどかも興味深そうな顔をした。
そして司は多いにうろたえた。
一般人を、それも麻帆良の生徒に自分が魔法を教える?
そんなことが許されるのか? 問題になりはしないか?
そもそもなぜ彼女はそんなことを提案するのだ?
司の悲鳴のような声にエヴァンジェリンはこらえきれないとばかりに噴き出した。
「いいじゃないか。じじいにはわたしからも伝えておく。どうせ綾瀬夕映はわたしたちのことを目撃する以前から魔法のことに気がついて、魔力の知覚まで出来るようになったのだ。遅かれ早かれ魔法の世界に足を踏み入れていただろう。独学で学ぶぐらいならおまえが教えた方が安全だろう」
もっともらしく口にしながらもその目はうろたえる司を見て楽しんでいた。
やはりすまし顔よりもこっちの方がよほど見ていておもしろい。
エヴァンジェリンは司という人物に不思議な好感を抱いていた。
まだそれほど深く人柄を知ったわけではないが、どこか気安い雰囲気があるのだ。
彼の側にいることが不快ではなく、むしろ滅多にないほど穏やかな気持ちになる。
彼を見ているのが楽しく、興味深い。
知り合ったばかりなのに不思議だが、そういう人物なのだろうと納得していた。
まれにいるのだ。
自然と人を引き寄せ、その心をとろかすような人間が。
ふと自分に呪いをかけ、麻帆良に封印した男を思い出す。
あれもタイプは違うがそういう男だった。
あれがどこまでも力強い太陽のような男なら、この少年はその美しさに自然に心を癒され惹かれる月のような人物なのかもしれない。
この少年はいったいどんな月に育つだろう。
あるいは自分が手を加えて、より美しい月を完成させるのもおもしろい。
エヴァンジェリンの視線の先にいるのは、期待のこもった視線で自分を見つめる少女たちになにを言っていいのかわからないとうろたえている少年。
とても自分をあしらった魔術師とは思えない。年齢相応の少年に思える。
宮崎のどかは魔法教本の暗示の助けがあるとはいえわずか数分で魔力を知覚するに至った。おそらく綾瀬夕映もそれほど苦労はしなかっただろう。
二人にはそれなりの才能があるとエヴァンジェリンは認めた。
この魔法教本には魔力の自覚をうながす魔法がかかっているがそもそも適性がなければ意味を成さない。最低限の才能はあると期待できる。
同年齢の男女が師弟として同じ時間を過ごし、魔法という共通の秘密を抱えて暮らしていく。これでなにもない方がおかしい。思春期の子供にとっては十分に相手を『特別』と認識できる要素だろう。
見れば宮崎のどかはあきらかに司を意識している。最初から司を信頼しているように見えたがそれがこの短時間でさらに進んでいるようだ。
綾瀬夕映も司に好意的だろう。二人の司への好意と信頼は自分への恐怖と不信感の裏返しがきっかけだったのだろうとエヴァンジェリンは推察する。
二人並んだ魔法使いの一方が怖くなにを考えているかわからない人物、そしてもう一人は優しく穏やかな人物なら当然そちらに好感を抱き、信頼し、頼るだろう。
狙ってやったわけではないが結果的におもしろい事になったとほくそ笑んだ。
エヴァンジェリンは興味深く三人を眺める。いっそ三角関係にでもなれば良いと思いながら。
いいおもちゃを見つけた。
これで当分退屈しないだろう。
うろたえる司と、ついに魔法を教えてくれと頼みはじめた二人の少女を見やってエヴァンジェリンは愉快そうに笑った。
「エヴァンジェリンさん! 笑い事じゃないですよ!?」
眉を吊り上げて怒ってみせる司の仕草がまたおかしい。
怒りの表情がここまで迫力のない男も珍しいだろう。まるで威圧感がない。
まだ戦っているときの真剣な顔の方が迫力があった。
女でももう少し威圧感を感じさせるだろうと思うとエヴァンジェリンはついに腹を抱えて笑いはじめた。
「笑い事じゃない! 二人も話を聞いていたの? 危険なんだよ?」
「新しい挑戦に危険はつきものです」
「司さんが一緒ならだいじょうぶ……なんじゃないかな~」
楽観的な二人の言葉に司はついに目眩をおこした。
なにも理解していない。いったいなにを聞いていたのかと司が嘆く。
そんな司を見てエヴァンジェリンはさらにおかしそうに笑う。
エヴァンジェリンに言わせれば司の説明などしょせん言葉だけのものだ。実際に魔法で怪我を負ったわけでもなければ、人が殺される場面を見たわけでもない。
こういう子供は理屈を並べてもその本質を理解することは出来ない。
壁にぶち当たり、その痛みに涙してようやく気がつく。
要するに痛い目を見るまでは本質的に理解することは不可能なのだとエヴァンジェリンは思う。わかった気になるのがせいぜいだ。
そしてこの世界の怖さを理解したとき、そのときになったら『悪い魔法使い』の口車に乗ったことを後悔するかもしれない。だがそれは自己責任というものだ。自分はなにも強要はしていない。
しばらく楽しくなりそうだ。
エヴァンジェリンは手に入れたおもちゃたちを眺めて、満足そうに薄紅色の唇を吊り上げた。
うちのエヴァンジェリンは暇を持てあましているので彼女的におもしろそうなことが大好きです。
活きのよいおもちゃが三つも手に入ってご機嫌でしょう。
自称『悪い魔法使い』なので、一般人が魔法の世界に足を踏み入れて日常を失おうと知ったことではないです。