激戦の夜(失笑)が明けた翌朝、俺はMAGの飽和が原因の鈍痛を頭部に抱えながらベットから身を起こした。途切れ途切れになる思考を何とかつなぎ合わせてカレンダーを確認すれば今日は四月二十六日の土曜日。GWを来週に控えた四月最後の連休である。
「げっ、昨日仏滅じゃねーか。どうりで敵が強かった訳だよ……」
仏滅や満月の日には悪魔の力が増すというのに、しっかり確認していなかった事に半ば呆然としながら床に降りる。
ひんやりとしたフローリングの感触を心地よく感じながらベッドの横においてあるデジタル時計に目を向けると時刻は午前八時十五分、休日にしては早い目覚めだ。猫のように体を曲げて伸びをすると、体のあちこちからパキパキと音が鳴る。前世ではちょうどこの位の年で身長の伸びが止まったのだが、今世ではその兆しすら見えない。
クローゼットに据えついているの鏡に映る自分の姿に違和を感じなくなるのはいつになるだろうか?成長期の体に過剰にMAGが注がれた結果、俺の身長は既に前世を大きく上回り百八十センチ台の後半を超えようとしていた。
寝室を出てリビングへ行くとカソが四本の足でテレビのリモコンを器用に操り録画してあったアニメを見始めた所だった。いつもより早い目覚めの原因はこれかと嘆息する。モムノフに比べ、レベルが低いカソはその分燃費が良く、召喚した時のMAGを溜めておいて偶にこうして外に出てくる事があった。いくら一人暮らしとはいえ、悪魔を野放しにするなんて他のサマナーが聞いたら卒倒するだろうなと思いつつソファーの横を抜ける。
「いけっ、ペソチュウッ!十万ダインなのだっ」
(いや、お前は炎タイプだろ……)
カリカリと餌の低級魔石を齧ってテレビを見つめるカソの貪欲なキャラ立て精神に戦慄しながら冷蔵庫のドアを開ける。
「げっ、牛乳切れているし」
ついてない、後で仕事の報告に行くついでに買い足すとするか。代わりに麦茶の容器を取り出してコップに注ぐ。ちらりと横目でテレビを見ると黒焦げになった敵役がお約束のセリフを叫んでいる所だった。
「ふぅーっ、やっぱりペソチュウは最高なのだ。特に敵に容赦ない所が素敵なのだ」
同胞(と思っているらしい)の活躍に満足したらしいカソが愛くるしい表情を浮かべて新しい餌をねだってきたが適当にあしらって、反対にテレビのリモコンを奪取する。何の番組をやっているだろうかと適当にチャンネルを変え、ニュース番組が出た所で止める。
どうやら新鋭アイドルグループ『アークエンジェル』がまたオリコン一位を獲得したらしい。確かメンバーの一人がうちの学園に通っていたはずだ、どんな顔だったっけなと考えながら朝食の準備を始める。
「先日、フィリピンで発生した台風十号は、北東に針路を変えつつ明け方には……」
熱したフライパンの上で卵を割り、焦がさないように注意しながら聞こえてくるニュースに耳をすませると、気象予報の時間になったのか聞き覚えのあるニュースキャスターが台風の規模と今後の進路予想を語っていた。どうやら今回の台風もまた日本の手前でコースを変え、大陸の方に向かうらしい。ただ、だんだんとその軌道が日本に近づいているようだった。
「ハッキリ言って今年の台風の頻度と規模は異常です、やはり地球温暖化が原因でですね……」
しっかりと焼けた目玉焼きを皿に移し、リビングに戻ってくると専門家がしたり顔で異常気象と言う便利な言葉を並べ立てていた。確かに最近台風多いよなと思いながら朝食を食べ始める。ついでにしつこく足元に纏わりついてくるカソを蹴飛ばすのも忘れない。
「ふぎゃっ。明日はもっと素敵な一日になるよね、マスター……」
蹴られた衝撃で現界するためのMAGを使い果たしたカソが恍惚の表情を浮かべながら札に吸い込まれるのを確認してため息をつく。俺の持っている『前鬼札』『後鬼札』では日本古来の悪魔しか使役出来ないとはいえ、もっとましな選択はなかったのかと今更ながらに後悔する。
「あれで、戦闘では頼りになるんだがなぁ」
もう少し悪魔融合の儀式の精度が高ければすぐにでも合体材料にしてやるのだがあれで大成功の部類なのだから泣けてくる。ソシャゲでいったらSR辺りの確立だ、それに邪教の館は複雑な手順を踏む儀式を扱う関係上、様々な条件を満たさねば利用できない。月に一度から二度、不定期に通うのがせいぜいだろうか?できれば呪殺耐性を持った仲魔が欲しい所なのだが狙って当てるのは厳しいだろうから交渉しかないだろう。
俺が今所有している使役札は八枚、その内五枚が『前鬼札』で残りが『後鬼札』だ。交渉のため一枚ずつ枠を空けてあり、同時に召喚できるのは最高で『前鬼札』と『後鬼札』を一枚づつの組み合わせの二枚だ。また、召喚時には使役している悪魔のレベルの合計が四十を超えると暴走するという制約もある。これは俺自身の成長によって改善できるのだが、今のペースで依頼をこなしている位では中々難しいだろう。これに関してはGWを利用して異界に潜って修行してみようと思っていたのだが、どうも昨日の失敗で及び腰になってしまった。
「あー、止め止め」
心に忍びこんでくる弱気の虫を追い出して立ち上がる。こういった時は家に閉じこもっていてはダメだという事を俺は前世の記憶から学んでいた。それに昨日の仕事の報告もしなければならないと思っていた所だった。
◆◆◆
俺の通う箱船学園のある箱舟区は戦後の復興の際に海を埋め立てて造られた、東京に二十四区ある居住区の一つだ。当時の日本は高度経済成長期のさなかであり、建造ラッシュが続いていたとはいえ今歩いている地面の下に昔は海が広がっていたなんて事はにわかには信じがたい。それに俺の知るもう一つの東京には二十三区しかなかったはずだ。
一体これだけの土地を埋め立てるお金がどこから出てきたのか疑問である。案外前世の世界ではついに発見される事のなかった徳川埋蔵金でも出土したのかもしれないな、なんて事を考えながら桜並木を歩く。
通学時間には人でごった返す学園に続く大通りは、休日にはまた違った賑わいを見せる。大通りから少し外れた公園に向かうカップルらしき私服姿の学生、一際大きな桜の木の前に集まっているのは仲良くなったばかりの友人と遊びに行く新入生らしき集団だろうか。桜の木の下にあるバス停にバスが到着するのと同時に、遅れてきた少年が両手を合わせながら走ってくる。どうやら彼らは珍しく外に遊びに行くらしい。箱舟学園の周辺には多数の遊び場が存在し、ここに住む内に自然と外に出る機会は減っていく物なのだがこちらにきたばかりの彼らはまだそういった遊び場をしらないのだろう。
少年が飛びこむのと同時にバスのドアが閉まる、バスが去った後には既に散ってしまった桜の木だけが残された。
さて、そうこうしている内に目的地に辿り着く。箱舟学園の生徒に桜並木通りのカードショップと言えば大抵の人間に通じるだろう。個人経営の哀しさかショーケースに入ったカードの種類や質も大手のショップには及ばないが、他にもゲーム類も仕入れてあるため大通りに面している事や、学園からの距離も近い事もあいまって倒産の危機とは無縁そうだった。とはいえ俺はここにカードやゲームを買いに来たわけではない。この店こそがこの箱舟区唯一のデビルサマナーに仕事を仲介する仲介屋なのだ。
「大迫力3Dアクションバトル『デモニック カーニバル』六月十五日発売予定!ただいま予約受付中」
店内に入ると入り口のテレビから最新ゲームのPVが流れており奥のカウンターの椅子に七十台程の穏やかな老人が一人座っていた。
「こんにちわ、玄さん」
「おお、竜坊。昨日は戻って来なかったから心配しとったぞ」
「これ、ください」とクソゲーで名高いタイトルを手にとって声をかけると、俺に気がついた玄さんがやさしげな笑みを浮かべる。ちなみに一般人に見えないこれを持ってくる事が『仲介屋』に対する合図だったりする。
「すみません、報告が遅くなりまして。昨日は少し疲れていて……」
声をひそめて言うと、玄さんはそれを遮るようにして答えた。
「ええんじゃ、竜坊が戻ってきただけで……おーい凛子!暫く店番まかせたぞい」
玄さんが普段生活している家に繋がる奥のドアを開けて大きな声で呼ぶと、すぐにバタバタと音がした。
「はーい、おじいちゃんまた将棋?って竜胆君じゃん」
「はは、こんにちわ勅使河原。ごめんなおじいちゃんを少し借りるな」
出てきたのは玄さんの孫娘の勅使河原 凛子さんだ。俺と同じ箱舟学園に通っている同級生で一応数年来の付き合いなのだが二年生になった今でも同じクラスになっておらず、玄さんを間に挟んだ微妙な関係である。長い黒髪のポニーテールが特徴の我が校の誇る美少女の一人である。
「もう、またおじいちゃんが付き合わせてるんでしょ?竜胆君も断ってくれてもいいのよ」
「いや、俺もこっちじゃ中々将棋仲間が見つからなくてこっちが助かってるくらいだ」
そんなやり取りをしつつ玄さんの後に続き奥の部屋に向かう。正直に言って温かな家庭を持ち、本人の性格も穏やかな玄さんが何故こんなアンダーグラウンドな世界と関わりを持っているのか非常に不思議なのだがそれを尋ねた事はない。凄腕の『仲介屋』として知られる『クロ』と目の前の老人を俺はどうしてもつなげてみる事が出来なかった。
「さて、それじゃあ報告を聞くとしようかの」
玄さんの奥様である菊ノさんが入れてくれたお茶をすすりつつ俺は昨日の学習塾の一件を話した。正直仏滅にムド持ちの悪魔に無策で突っ込んだ話などしたくはなかったが、仕事における報告の大切さは身に染みて分かっている。玄さんは報告が終わるまで穏やかに聞いていたが一言「次からは気をつけなさい」と哀しげに告げられたのは万の言葉で罵られるよりも堪えた。
確かに今回の依頼は期限が短い物だったし、ターゲット以外の悪魔の存在も確認されてなかったが最低限すべき事をできてなかった事も事実だ。玄さんの言葉に俺は素直に頭を下げる事しかできなかった。
「そう言えば、竜坊はGWに何か予定でもはいっとるかの?」
報告も終わり折角だからと玄さんと将棋をしているとふと玄さんがそんな事を言い出した。
「いえ、本当は異界で修行でもしようかと思ってたのですが、今回の件で一度ゆっくり休もうかと思いまして。あ、王手です」
「そうかそうか、ならちょうどよい物があるぞい。あ、それはそうとちょっとタンマ」
そう言うと玄さんは部屋の角にあるタンスの二段目を開き二枚のチケットを取りだした。渡されたチケットに書かれている名前には見覚えがある。確か先月近所にオープンした博物館のものだったはずだ。
「美術館……ですか、玄さんそっちに興味があったんですか?あと、絶対に待ちません」
「うむ、普段はそうでもないんだが中々面白そうな内容でな。勝負に勝ったご褒美じゃ、二枚あるから好きなおなごでも誘っていくといい」
「あ、ありがとうございます」
好きな女子と聞いて真っ先に浮かんだのは鶴見だが、彼女は県大会の練習で忙しいだろう。それにこう言っては失礼だがそういった文化的な代物に興味を引かれる性格ではないと思う。というかそれ以前に普通に修学旅行の自由行動に誘うより恥ずかしいんだが……玄さんには悪いが一人で行かせてもらうとしよう。どうやら寂しいGWになりそうだ……
――このチケットがきっかけで後にあれやこれやがうんたらかんたらするとはこの時の俺には知る由もなかった!と言っておけばなんでも伏線にできるから便利だよね!……後から思うとそんな事を考えていた罰が当たったのかもしれない。
◆◆◆
玄さんと別れ、ついでに勅使河原に挨拶して店を出た俺はついでに生活に必要な物を買って帰宅した。部屋に戻ると机に置きっぱなしにしていた携帯電話が置いていった事を咎めるように点滅していた。
「不在着信、三十八件。狂気を感じるわ……」
そんな事をする相手に一人心当たりがあった俺は若干顔をしかめつつ携帯を手に取った、確認してみると案の定妹からの物だった。電話に出るまで、電話を掛けるのを、止めないっ!とばかりの猛攻を受けた携帯は、そのHPケージ(充電)を真っ赤にして炎天下に放置した後のように熱くなっている。そして、俺が帰って来たのを見計らったかのように再びの着信。俺はパンドラの箱を開けるかのような気持ちで通話ボタンを押した。
「もしもし、麻里どうした?」
「お兄ちゃんやっと出た。何処行ってたのよ?まさかずっと寝てたんじゃないでしょうね!」
受話器越しの声から察するに妹の機嫌はすこぶる悪い。
「ちょっと買い物に行っててな。すまん携帯持っていくの忘れてたわ」
「もう、気を付けてね。それと今度のGWにそっちに行くからきちんと掃除しといてね」
「えっ?」
「だってしょうがないでしょっ、お兄ちゃん高校になってから盆も正月も帰ってこないしお母さん達心配してたんだよ?全然連絡来ないから何か事件に巻き込まれたんじゃないかって。だから私が様子を見に行ってあげようと思って……いいでしょ?」
先ほどとは打って変わって心配げな声色、もしかしたら泣いているかもしれない。そう思った時、俺は頭の中に浮かべたいくつもの言い訳を口にするのを止めた。心配してくれる家族を避けるための口実を無意識に探している自分が酷く情けなく思えたからだ。だからここで口にすべき言葉はもっと別の物だ。
「ありがとな、心配してくれて……GW楽しみにしてる。俺もお前にずっと会いたいと思ってたからな」
「う、うん……じゃ、じゃあまたね」
急にしおらしくなった麻里に首を傾げながら電話を切ってベッドに倒れ込む。窓を開けてなかったためか、外出していた間に籠った熱気でじんわりと汗がにじんでくるが動く気になれない。正直俺は家族との距離感が分からない。
『前』の時はそうでもなかったと思うが『今』は家族の輪の中に入っている自分を外から冷めた目で眺めている自分がいる。別に『前』の家族を唯一無二の家族と思っている訳ではない、それどころか『今』の家族の方が俺の事を愛してくれていると思う。ただそれを受け入れようとすると『前』の自分が足枷となる。
『前』の自分の延長でもなく、かといってゼロからのスタートでもない。それは自分の立脚点を自分で見つけなければならない事を意味する。普通の子供がイヤイヤ期で獲得するそれを俺は今だ持っておらず、前世の残骸に引きずられてここまで来た。こういう時はこう対応すればいい、そんな経験がなまじあったばかりに俺はこれまで物事を深く考えた事がなかった。他の子供が悩んだり失敗したりして得るはずの答えを最初から知っている事は真の理解とはかけ離れたものだ。ある時にそれに気がつき俺の心は潰れそうな程締め付けられたのをよく覚えている。
そんな葛藤から逃れるために俺は一人暮らしを始めた。中学の頃に目覚めた異能の力は自分を正当化するには大変都合がよかった。『家族を巻き込む訳にはいかない』そんなダークヒーロー気取りな建前を正当化するために異界に潜り続けた事もあった。しかしこのままでいいはずがないという事もよくわかっていた。
そろそろ決めなくてはいけない、自分がどう生きるのかを。これまで俺に神の啓示のように道を指し示し続けた前世の記憶は高校に入ってから加速度的に複雑さを増す人間関係の前にその有用性が薄れつつある(特に恋愛関係)
さらに言えば悪魔との戦闘には一切役に立たない。このまま前世の記憶だよりに生きていては遠からず破綻する事は目に見えていた。
決めなくてはならない
決めなくてならない
決めなくては……
……
沈む意識の中で俺は巨大な船に乗り悪魔の軍勢と戦う夢と、廃墟と化した学園を天使の軍勢から守るために戦う夢を見た。もっとも、あまりに荒唐無稽すぎてすぐに忘れてしまったのだが。
伏線を立てまくる事によって先の展開を悟らせないというスタイルっ!(回収するとはいっていない)