東方紅邪譚   作:東へ旅立つ

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第二話 : 襲撃

「・・・・・・」

「ヴゥ~・・・!!」

 

 

部屋に案内され、藍がお茶を用意する為に部屋を離れたそのわずかの時間のあいだに、紅は襖から顔を覗かせる猫耳の生えた少女に睨みつけられていた。

 

唸り声を上げながら警戒心を剥き出しにし、その並々ならぬ様子からなかなか声をかけられずにいた。

 

 

「あ、あの・・・初めまして・・・」

「ッ?!」

 

 

数分経った頃か、勇気をふりしぼりようやく声をかけることに成功するも、余計に事態は悪化しているようにも見えた。

 

 

「どうしたんだい、橙。そんな所で突っ立って。」

 

 

紅の見えない所で藍の声が聞こえる。

 

 

「藍様っ!! 侵入者がいます!!」

 

 

少女は部屋で正座する紅の方をビシッと指をさす。すると藍の笑い声が廊下に響き、お盆に湯呑みを三つ乗せながら部屋に入ってくる。

 

何を笑われたのか理解していない猫耳の少女はポカンと口を少し開けて藍の方を見る。

 

 

「あははっ・・・あぁすまないね。彼が紫様の言っていた紅だよ。」

 

 

そう言うと「えぇっ?!」と声を上げて少女が驚く。そしてそう言われてもなお信じていないのだとわかる程に目を細めて紅を見つめる。

 

紅はそのあまりに真っ直ぐで鋭い視線に耐え切れず、目線を逸らす。しかしその視界の端に映る少女の眼光がやけに頬を突き刺して重苦しく感じていた。

 

 

「クレナイって聞いてたから、てっきり私にも式をくれるのかと思ってました・・・」

「橙はそう感じてたのか。確かに名前からしたらそう思うかもしれないね。さぁ自己紹介を。」

 

 

そう催促されると渋々だが、礼儀正しくお辞儀をして自己紹介を始めた。

 

 

「八雲藍様の式の、橙です。よろしくお願いします。」

「きちんと挨拶出来たね。さぁせっかくだ、座って話そうじゃないか。」

 

 

紅の前にお盆を置いて茶を振る舞う。橙も少し慌ただしく正座し、湯呑みを手に取る。

 

 

「で、あんたは何者なの?」

「僕は、紅・・・っていうらしいです。紫さんがそう言ってて・・・でも、本当にそうなのかすら自分には分かりません・・・今わかるのは、それだけです。」

 

そう言うと橙はどこか興味を示したように少し前のめりになり、目を輝かせる。

 

 

「記憶がないってこと? なんか面白い人間だね。」

「そう、かな・・・?」

「それに、私とか藍様を見ても驚かないよね。」

 

 

その言葉にハッとする。確かに藍や橙には尻尾がはえていたり、ただの人間とはかけ離れた見た目をしてはいるが、紅はそれに対して何の疑問も抱かなかった。

 

それこそ、もし本当に外の人間ならば今まで見た事の無いものに対して驚いたり恐怖したりするだろう。しかし実際には驚きも怖がりもせず、自覚すらないままにそういうものだと受け入れていた。

 

 

だとするならば、紅の深層心理では妖怪など人ならざるものを記憶している可能性だってある。

 

 

「ますます君の正体が分からなくなってきたな。もしかしたら君は外界から来たのではなく、幻想郷の住人だったのかもしれないな。」

 

 

だがそう言われてもまだピンとは来ていなかった。幻想郷も外界も、話を聞いても何も思い出せなかった。

 

 

「俺は本当に・・・なんなんだ・・・」

 

 

◇◇◇◆◆◆◇◇◇

 

 

その頃霊夢は、幻想郷のはるか上空、外界と幻想郷を隔てる大結界に来ていた。

 

 

(この高度まで来ると気分も悪くなってくるわね・・・)

 

 

「霊夢さん!」

 

 

こんな遙か上空で声をかけられるとは思っておらず、少し驚きつつも下を向くと、銀髪の少女が向かってくる。

 

 

「妖夢・・・あんた、なんでここに?」

「空に光が見えたんです。そしたらそれを幽々子様が嫌な光だったと言うので、調査に来たんです。」

 

 

霊夢にはあの光を『嫌な光』だったとは言い切れなかったが、違和感があったのは間違いない。

 

実際問題、上空を隔てる結界は冥界のすぐ近くであるので、後から色々と言われない為にも不本意ながらも妖夢と一時的に行動を共にする事にした。

 

 

「あれは雷とかではなかったです。でも妖怪とかそういうのでもなさそうでしたし・・・霊夢さんはなんだと思いました?」

「さぁね・・・何一つ情報が無いから今こうしてここに来てるんだけど。さぁこの辺ね・・・」

 

 

霊夢が袖の中から一枚の札を出す。それを頭上に放り投げると霧のように消えていって、宙に文字や模様がうっすらと浮かび上がる。

 

 

「これが博麗大結界ですか・・・本物を間近で見るのは初めてです。」

「結界そのものを直接どうこう出来るのは、博麗の巫女と妖怪の賢者達くらいなもんだしね。」

 

 

 

しかし結界は綺麗なもので、素人目線の妖夢でさえ異常があるようにはとても見えなかった。

 

 

「・・・霊夢さん、別に何ともないようにしか見えないんですけど。」

「そんな気がするわ。でも今見て分かった事がある。」

 

 

それは、『間違いなく誰かが結界を通った』ということだった。

 

 

「えっ・・・それってつまり・・・」

「壊したとかでもない、本当に正規の方法で通り抜けたって事。まぁそもそも無理やり壊して通り抜けるなんて並大抵の奴に出来るものでもないけれど・・・通り抜けられるのなんて、それこそ妖怪の賢者達くらいよ。」

 

 

妖怪の賢者といえば、思い浮かぶのは・・・

 

 

「八雲紫と摩多羅隠岐奈の二人ね。」

「・・・あまりいい感じはしないですね。私は幽々子様に聞いてみます。紫様のことなら居場所とか知ってるかも知れませんし。」

「じゃあ私は隠岐奈か・・・まだ紫の方がマシな気がしてくるけど、仕方ないわね・・・」

 

 

二人は結局大した情報を得られる事もなく引き返すことになった。しかし鍵を握るのは間違いなく妖怪の賢者達である、という確信を得られたのは不幸中の幸い、二人は紫と隠岐奈を探しに向かうのであった。

 

 

◇◇◇◆◆◆◇◇◇

 

 

マヨヒガに連れられた紅は橙と藍の二人に幻想郷について教えてもらっていた。

 

 

「端的に言えば、ここは外の世界で生きられない妖怪達が行き着く最後の楽園だ。」

 

 

妖怪と人間が絶妙な均衡を保って成り立つ安寧の地。人間が妖怪を畏怖し、畏怖される事で妖怪を妖怪たらしめる・・・共依存の関係である。

 

 

「基本的に妖怪が人間を無闇に襲う事は禁じられている。だが、『無闇』でなければ襲う事自体は問題ない。そして・・・」

 

 

藍の目が真っ直ぐと紅の目を見つめる。その鋭さに紅は寒気を感じた。

 

 

「外の世界から来た者は、例外として自由に襲う事が可能なんだよ。」

「・・・えっ?」

 

 

人間の数は常に妖怪の賢者達によって管理されていて、それによって幻想郷のバランスは保たれる。しかし外の世界から来た人間とはイレギュラーな存在であり、それはむしろ消えたとしても不利益は無いのである。

 

そして、妖怪にしてみれば・・・久しく味わう事のなかった人間の味を気兼ねなく楽しめる数少ない機会なのだ。

 

 

「人間は『美味い』。なぜなら効率よく恐怖して貰えるからね。『畏怖』、それ即ち妖怪にとっての力の源なんだ。」

 

 

その瞬間紅は悪寒がした。肌を突き刺す殺気、背中に汗が伝い、指一つ動かせば死ぬということを予感させられる。

 

 

「つまり君は、妖怪にとっては限りなく都合のいい存在。誰もが君を狙うだろうね。私とて例外じゃない。」

 

 

藍は確かに言っていた。『私は九尾の狐だ』と。妖怪の中でも上位の存在であると。

 

つまり、ここにいる限り、彼女が紅の生殺与奪の権を握っている。今紅が生きているのは彼女の気まぐれに過ぎないと思い知らされた。

 

 

「・・・ご主人様からあなたを丁重に扱えと言われている。だから私が襲う事はないが、覚えておくといい、妖怪は恐ろしいものだと。」

「・・・・・・ッッ・・・!! ・・・っ、はぁっ! フゥーッ・・・フゥーッ・・・! ゲホッゲホッ・・・」

 

 

途端に緊張の糸が切れる。胸を抑えながら乱れる呼吸を必死に整える。そこでようやくさっきまで息を止めてしまっていた事を思い出す。ほとんど無自覚にしていたので脳は酸欠状態だったといえる。

 

クラクラして意識を手放そうとする頭を必死に呼び止めるように爪を手のひらに必死に食い込ませながら痛みで意識を保つ。

 

 

「はぁ・・・はぁ・・・」

「まぁとりあえず、君はまだ幻想郷を知らない人間だ。まずは人間の里に行ってみるといいだろうね。橙!」

「はい!」

 

 

死を予感して呼吸の乱れる人間をよそに、藍は橙に声をかける。そして橙はその声に反応してピシッと姿勢を正して藍の方を向く。

 

 

「紅と人間の里に行ってお使いをしてきてくれ。買う物はここに書いてあるから。」

「えー! 人間と一緒にですか?!」

「念の為だけど、他の妖怪から守ってあげるんだ、いいね?」

 

 

橙はかなり嫌そうな表情をするが、渋々紙を受け取る。ようやく平常心を取り戻しつつあった紅は、再び藍の方を見る。

 

その時の表情は優しさを感じさせる微笑みを浮かべており、さっきまでの気迫が嘘のようだった。

 

 

「という訳だから、橙と一緒に人間の里に向かってくれ。せっかくの機会だし、色んな人に声掛けたり話を聞いてみるといい。」

「紅! 行くよ!」

 

 

橙は命令は命令として受け止めて気持ちを切り替え、すっかり下僕が出来たような気持ちで立ち上がる。そんな彼女の勢いに気圧されながらも渋々立ち上がる。

 

 

二人は歩いて玄関に向かう。橙が三回戸を叩いてから開けると、さっき通ってきた所とはまるで違う所に繋がっていた。

 

あちこちから聞こえる喧騒、突然聞こえ始めたそれは紅が幻想郷に来てから初めてのものであった。

 

 

「な、なんで・・・?! さ、っき通って・・・いや、えっ?!」

「そんな驚く事じゃないよ。じゃ、まずは野菜かなぁ。」

 

 

摩訶不思議な体験をして理解が追いついていないままに連れて行かれた場所は八百屋だった。

 

そこには気さくな中年の男性がおり、どうやら橙の事も知っているようだった。

 

 

「おや、狐さんのところの子だな。今日はお使いかい?」

「そうだよ。おじさん、ここに書いてある物どこにあるか教えて!」

 

 

そう言われると男性は紙を受け取って確認しながら薄汚れた麻袋に野菜を詰めていく。

 

 

「で、隣の小僧は新しい妖怪のお仲間さんなのかい?」

「違うよ! この人、外の世界から来たんだってさ!」

 

 

そう言われた途端男性の手が止まる。そして道行く人達も足を止めて紅の方を見た。

 

その好奇の視線に晒されて、嫌な気配に思わず紅は周りを見渡す。そして八百屋の男性も目を丸くして紅を見つめる。

 

 

「はぁ~・・・あんた、外から来たのか。そりゃ珍しいもんだ。無事に人里に着くのはかなり珍しいんだぞ。」

 

 

外界から来た人間は誰かに助けられる前に妖怪に襲われることも少なくない。そして無惨な死体だけが見つかり、人里の住人は更に恐怖する。

 

やはり藍の言う通り、幻想郷において外の世界から来た人間というのは妖怪にとってある意味喉から手が出る程に貴重な存在なのだ。

 

 

「せっかく頂いた命だ。無駄にするんじゃないぞ。」

 

 

そう言われながら野菜を手渡され、何も言えずに受け取る。

 

橙はそんなのお構い無しに、藍から渡された小さな袋からお金を出して店主に手渡した。

 

 

「じゃあ次は油揚げだね! 藍様の大好物なんだよ。」

 

 

今日は荷物持ちがいるからか、気分よくお使いをしている橙をよそに、紅は先程の会話を聞かれてから周りの視線が気になって仕方なくなる。

 

もちろん全員が目線を向けている訳でもないのだが、気になり始めると皆が自分について話しているように感じられて、暗い気持ちになる。

 

 

ようやくたどり着いた油揚げを扱う豆腐専門店で、どうやら店主の老婆と橙は顔見知りのようだ。

 

 

「今日は狐さんじゃなくて、お使いなのかい?」

「うん、この人間が外の世界から来たから、案内しながらね。」

 

やはり老婆も目を丸くして紅の方を見る。

 

 

「・・・そうかい。それはさぞかし辛かったろうね。生まれた時からこの里にいるけどね、数年に一度来るんだよ、外の世界の人間が。」

 

 

そう語り始めた老婆はどこか寂しそうな目をしていた。

 

 

「でも彼らとの別れはあっという間に感じられたよ。博麗の巫女さんの力で外の世界に帰ったり、妖怪に殺されたり・・・どんな形であれ、ずっとここで平和に生きていくのは難しいんだよ・・・」

 

 

そう言った老婆は優しい眼差しを紅に向ける。

 

 

「どうかあんたは無事に帰っておくれ。どうせ別れが来るのなら、生きてお別れしたいのさ・・・」

 

 

そう言われた紅は目を伏せて、静かに「ありがとうございます」とだけ言った。

橙もその様子を見て、不思議なものを見るような眼差しを向けた。

 

 

「・・・人間にとって、『死ぬ』ってやっぱり怖いもんなんだね。」

「・・・どうなんだろ。でも、こんなに記憶はないのに、死ぬかもって思ったら・・・確かに怖かったよ。」

 

 

少し暗い雰囲気になったのを気遣ってか、老婆が皿に乗った油揚げを橙と紅に手渡そうとする。

 

 

「さぁせっかくだから食べてきぃ。こっち荷物置いてそこ座りな。今お茶入れてくるでぇな。」

 

 

代わりに橙が二つの油揚げを受け取ってくれる。紅は言われた通りに荷物を置いて、橙から一つ皿を受け取る。

 

すると奥から老婆がお茶を持ってやって来た。

 

 

「さぁそこ座りんしゃい。」

 

 

店内にある木製の長椅子の上にお茶の乗ったお盆を乗せて、紅達に座るように促す。

 

 

「うちの油揚げはね、味付け無しでそのまま美味しぃんよ。幻想郷一の油揚げなのさ。」

 

 

箸を受け取って一口食べる。甘みが口いっぱいに広がって、紅は驚きを隠せない。

 

橙は食べなれているのか、笑顔で黙々と箸を進める。

 

 

「美味しいです・・・」

「そりゃあよかった。もう何十年も豆腐一筋でやってるんだ、そう言って貰えるのが何より嬉しぃんよ・・・」

 

 

老婆は優しい笑顔を向けてくれる。その優しさが、目の奥を少し熱くした。

 

それを誤魔化すように、油揚げに食らいつく。

 

 

「藍様が好きになるのも分かるでしょ!」

「うん・・・そうだね。凄く美味しい。」

 

 

しばらく他愛もない話が続き、老婆が少し席を外した。この機会に、紅は橙に気になる事を質問してみる事にした。

 

 

「そういえばだけど、藍さんは狐なのに橙さんはどうして猫なの?」

「・・・え、どうしてって・・・どういう事?」

「え、いやだって、親子なんでしょ?」

 

 

そう言うと橙はぽかんと口を開けたまま呆然とする。理解が出来ずに固まって、しばらくしてようやく分かったようだ。

 

 

「いや、私達親子じゃないよ。」

「えっ、でもあの家で一緒に住んでるんじゃ・・・」

「あれ私の家だけど、藍様と一緒ではないよ。」

 

 

二人の意外な関係性に少し驚く。そして初めて式神というものについて知ることになった。

 

 

「元々私は猫又って妖怪なんだけど、そこに藍様が鬼神を憑けるの。すると妖怪としても強くなるし、この姿になれるのよ。」

「・・・守護霊的な感じなのかな。」

「うーん・・・ちょっと違うと思うけど。とにかく今の私は最強なの!」

 

 

そんな話をしていると、店の外に外套で身を隠して編笠を深く被った女性が立っていた。

 

 

「突然ごめんねぇ。あんた・・・じゃなくてあなた、外の世界から来た人間って本当かい?」

「・・・だ、誰ですかあなた。」

「私も外の世界に興味があってねぇ、ちょっと見て欲しいもんがあるんだ。」

 

 

声から察するに十代の女性といったところか、と紅は予想する。僅かに見える口元は嬉しそうに見えた。

 

 

「他人に見られる訳にもいかない代物でねぇ・・・少し二人きりになれないか?」

「私に見られちゃいけないものって何?」

 

 

橙は訝しげな表情で女性を問い詰める。しかし女性は飄々と答え、葉のついた何かの植物の茎を手渡した。

 

 

「ごめんなぁ子猫ちゃん。あん・・・あなたにはこのマタタビをあげよう。」

「っ!! ぅ・・・にゃぁ~・・・マタタビぃ~♪」

 

 

橙は本当に根っからの猫ではあるということを改めて思い知らされた紅は、少し迷ったあと周りを見る。老婆は奥に行っているので、一言声をかけることも出来なさそうだと考えた。

 

紅は仕方なく女性の話を聞く事にした。外の世界について知っているのであれば、どんな些細な事であれ話を聞く価値があると思ったからだ。

 

 

「いい判断だねぇ! じゃあ人目の付かない所までついてきてくれよ。」

 

 

段々と怪しいような気もしてきていた紅だが、他に頼れる相手もまだいないこの状況、分かることがあるならと藁にもすがる思いだった。

 

そしてしばらく歩いて路地裏に連れていかれる。

 

 

「・・・で、外の世界から来たっていうのは本当かい?」

「その可能性は高い、みたいです・・・少なくともあの人里に俺の事を知ってる人は・・・」

「なるほどなぁ! それは運がいいなぁ!」

 

 

何に対して運が良いのかは分からないが、早く本題に入って貰うために話を振る事にした。

 

 

「あ、あの・・・外の世界について何か知ってるんですか?」

「あぁ知ってるとも。これを見てくれ。」

 

 

彼女が見せてきたのは一つの小さな折りたたみ式の日傘だった。そしてその日傘を見た途端、世界が反転したような感覚に襲われる。

 

 

空に堕ちる。

 

 

そう感じた紅は咄嗟に地面にしがみつくようにしゃがんでいた。

 

 

(な、んだよこれ・・・?! 有り得ないのに・・・地面に掴まらないと、空に落ちる・・・!!)

 

 

もちろん地面から手を離しても落ちることは無いだろう。空からの引力はないからだ。なのに、考えれば考える程に錯覚を起こし、立ち上がる事が出来なくなる。

 

 

「あっははははッ!! あー地面に這いつくばって、滑稽だなぁ!! やっぱりたまには人里に降りてみるもんだ。」

「な、何なんだよお前は・・・!」

 

 

編笠を外すと、見下しながら鋭い歯を覗かせて憎たらしく笑う。

 

鬼の角のようなものが生えた外はねのショートヘアが特徴的な少女で、そして軽くジャンプすると重力を無視して空中に逆さまに立つ。

 

 

「私は鬼人正邪、幻想郷最強の天邪鬼さ。」

 

 

逆さまのまま紅の元に近づき、髪を掴んで引き上げる。しかし紅からしてみれば地面から手を離せば落ちる気がしてならないので、必死に抵抗する。

 

 

「あんたが人里の人間じゃないなら都合がいいんだよ。あんたをダシにして私は更に恐怖の象徴として名を轟かせる。」

 

 

そして正邪は日傘を広げて肩に乗せる。

 

 

「人里の外で殺してやるよ。ここじゃあお楽しみの途中で見つかる可能性もあるしな。外でじっくりと身元不明の無惨な死体にしてやる。」

 

 

正邪は日傘を紅に向けて振りかざした。地面から手を離すことも出来ずに打撃を受け入れるつもりだった。

 

しかし再び目を開けた時、そこは草原、後ろを見れば先程までいたであろう人里が見えた。

 

 

(一瞬で・・・移動させられたのか・・・?)

 

 

理解出来ないままに、視線を正邪に戻す。紅は橙と引き離されてしまった事が何よりも危険だと思い知り、後悔した。

 

そして思い返せば、正邪は初めから紅と橙を引き離すつもりだったのだと気づいた。

 

 

「今更何を思っても遅いんだよ。」

 

 

逆さまになっていた正邪はまた空中で体を捻って地面に着地する。そして紅の方に歩み寄った。

 

どの道死ぬ可能性が高いということははっきりしてしまった。だったら、せめて少しでも、例え0.001%でも生き残れる可能性がある道を選ぶ事にした。

 

そしてその覚悟は、正邪が、そして紅自身が思ったよりも早く決まった。

 

 

ドスッ

 

 

鈍い音が響く。紅の感覚がまだ反転していると思い、完全に油断しきっていた正邪の鳩尾に紅の肘が入る。気持ち的にはただのタックルだったが、思いがけず急所に当たってしまった。

 

 

「ぁ、ぐっ・・・!! て、めぇッ・・・!!」

 

 

しかし足の感覚は未だにおぼつかなく、また両手で地面にしがみついてしまう。そして案の定正邪を怒らせた紅は髪を掴まれる。

 

 

「人間風情が・・・! 楽には死なせねぇ・・・!」

 

 

髪を掴んだ手を乱暴に振るって地面に紅を投げ捨てて叩きつける。そして空いた手には黄色の小槌が握られていた。打出の小槌の模造品である。

 

贋作とはいえ妖力を帯びて、妖怪であろうとかなりの痛手を与える事の出来る代物を、容赦なく紅の腕を目掛けて振るおうとした・・・その時だった。

 

 

「翔符『飛翔韋駄天』!!」

 

 

視界の端から物凄い速さで正邪に蹴りを放とうとする人影が見えた。正邪もそれを察知して咄嗟に身を引き、結果的に紅は小槌で殴られる事はなかった。

 

 

「チッ・・・邪魔しやがって。」

「間に合った・・・!! 紅、大丈夫?!」

「うぐ・・・ちぇ、橙さん・・・?」

 

 

橙の手には札が握られており、光り輝いていた。そして再び足に力を入れて、正邪に向かって飛びかかった。

 

 

「弾幕ごっこで勝負だよッ!!」

「ふん、面白い!!」

 

 

すると橙の背後から発光した無数の弾が四方八方に飛び散る。正邪はその弾の動きを見極めて間を縫って躱す。そしてそのまま上空へと飛び上がった。

 

 

「大した事ねぇなぁ!! 逆符『イビルインザミラー』!!」

 

 

空間に広がった異質な気配を紅も感じ取った。その異質さに橙の動きが止まる。紅は思わず橙に声をかけようとする。そしてその時無意識に手を橙の方へ伸ばした時、その違和感の正体に気がついた。

 

 

(お、俺・・・今右手動かそうとしたのに、なんで左手が動いてるんだ・・・?)

 

 

脳での感覚と、実際に動いている手が真逆になっている。初めての経験に平衡感覚を狂わされる。そして脳内では右に倒れそうになる感覚に襲われたが、実際には左に倒れ込んでいた。

 

 

(これ・・・ま、まさか左右が入れ替わってるんじゃ・・・?!)

 

 

橙も同じ感覚に襲われており、混乱してその場で動けずにいた。

 

しかしそんな橙に向かって正邪は容赦なく火の玉のような淡い光を放つ弾幕を展開した。

 

 

「普通はいきなり反応するなんて無理なんだよな。あの人間どもがおかしかっただけだ・・・忌々しい。」

 

 

何かに対して恨み節をぶつけているようだが、それでも正邪から放たれる弾の勢いは衰えない。

 

しかし橙も覚悟を決めたように再び動き始める。その動きは少しぎこちないものの、弾の一つ一つの動きを見て大きく回り込むように躱していた。

 

 

「動きのすばしっこさなら負けないわ!」

「じゃあその目の前の弾はどう避ける?」

 

 

橙が正邪の方に視線を向けてしまっている間に

向かっていた方向の左から接近していた弾が当たりそうになり、橙は咄嗟に・・・

 

身を左にかわした。そう、弾のある左の方に。右に避けたつもりが、自ら弾に突撃してしまったのだ。

 

 

「あっ・・・!」

 

 

ボンッと少し爆発音のようなものが聞こえる。咄嗟に両手で防御はするものの、その両腕には火傷のように赤くなり、無数の傷が紅の位置からでも分かるほどに出来ていた。

 

 

「う、ぎぃ・・・いったぁ・・・」

「はははっ!! やっぱり咄嗟の判断は無理だよな?!」

「まだまだ・・・!!」

 

 

欺符「逆針撃」

 

 

突然左右の感覚が元に戻る。そして正邪は誰もいない彼女の真後ろに向けて弾幕を展開した。

 

紅も橙もその動きを理解できなかった。そしてその弾幕はある一定の所まで行くと消えてしまった。

 

 

「・・・っ!! 橙さん!! 後ろ!!」

 

 

紅の声に後ろを振り向くと、さっき消えた弾と同じような配置の弾幕が、背後から現れていた。

 

 

「余計な事言いやがって・・・まぁでも関係ないがな。」

 

 

(アイツから目を離しちゃダメだけど・・・後ろの弾を見ないとかわせない・・・ど、どうしたら・・・)

 

 

とはいえ攻撃が後ろから来ている以上、橙はひとまず後ろからの弾に集中して回避する事にした。しかし・・・

 

 

「喰らえ挟み撃ちだ!!」

 

 

正邪が声を上げる。反射的に正邪の方に視線を移してしまう。そして、放たれたであろう弾を探すが見当たらない。

 

 

「バーカ。」

 

 

腕を組みながら舌を出して、馬鹿にした表情で橙を嘲笑う。それにハッとして後ろを振り返った時にはもう遅かった。

 

 

「あぁっ・・・!!」

 

 

モロに被弾した橙は空中での姿勢を保てず、地面に向けて落下し始める。

 

紅は咄嗟に走り出して橙を受け止めつつ、下に潜り込むようにスライディングをする。

 

 

「がぁッ・・・?! ぐ・・・ぁ・・・だ、いじょうぶです、か・・・!」

「・・・・・・ぅ、ぁ・・・」

 

 

満身創痍で、意識を失っているようにしか見えない橙を両腕に抱きかかえて、ゆっくり立ち上がる。

 

 

「もういいだろっ・・・!! この子は関係ない!! 俺が欲しいんだろ!!」

「あぁ? そりゃそうだけど、私の邪魔した報いは受けて貰わないとなぁ。」

「クソっ・・・!!」

 

 

橙を抱きかかえて、紅は走り出した。人里の方向に行けば、誰かが助けてくれるかもしれない。この異常事態に気づいてくれるかもしれない・・・そんな僅かな希望のために、受け止めた時の胸や腕の痛みを無視して全速力で走り始める。

 

 

「余計な手間かけさせるじゃないか。」

 

 

口の中が血の味がする。走りながらも全身が鉛のように重く、橙を支える両手が震えて今にもずり落ちそうになる。

それでも走り続けた。もう橙が痛いかもだとかそんな事まで気が回らない程に一心不乱に人里を目指す。

 

だがそんな紅を簡単に逃がすはずがなかった。

 

 

「逃がすかよ、逆符『天下天覆』。」

 

 

その途端に紅は転んだ。

 

 

(まただ・・・!!)

 

 

空に落ちて、地面に飛ぶ・・・上下がアベコベになるあの感覚だった。

 

だが今回は少し違った。

 

 

(空に落ちたって関係ない・・・!! 橙さんを・・・助けないとっ・・・!!)

 

 

ふらつく足を必死に立たせて、上にある地面に足をつく。空に浮かぶ地面を踏み締めて、全力で前へ進む。

 

正邪はそこへ容赦なく滝のように昇る弾幕を放つ。

 

 

決して橙には当てさせない、その思いで彼女を死ぬ気で抱きしめ、当たることを恐れず前に前にと進む。

 

しかしそう長くは当たらずにはいられない。とうとう背中に火の玉が当たる。

 

 

「がッ・・・?!」

 

 

負傷して地面に倒れ込みそうになるが、橙を下敷きにしまいと歯を食いしばってなんとか片膝立ちの体勢で留まる。

 

しかし気配を感じて少し振り返ったその瞬間、目の前にはあの火の玉があった。

 

 

そして、目の前が真っ白になった。

 




第二話読んで頂きありがとうございます。
個人的にはめちゃくちゃ輝針城が好きで、東方を知ってハマり出して、紅魔郷→妖々夢→永夜抄までやり、東方に沼った辺りで輝針城が発売されたので、初心者ながら何回もやり込んだ記憶があります。そんな訳で今でも輝針城勢は大好きです。

上手く正邪の能力やスペルカードを戦闘シーンに落とし込めているでしょうか。正邪と面と向かって戦ったらどんな風になるかなと想像して書いてみました。
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