クローゼットからミカ出てきた【完結】   作:おとしあな

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天使はクローゼットからやってくる。

 何の気なしにクローゼットを開けたら、中から女の子が出てきた。訳が分からない。

 

 大学に入って一人暮らしを始めたわたしの部屋にはウォークインクローゼットがあって、確か何かを取ろうと扉を開けたところだった。何を取ろうと思っていたかなんてもう覚えていない。

 

 女の子はぱちくりと目を瞬かせ、足の力が抜けて思わず座り込むわたしと部屋とを見まわした後、きょとんとした顔で声を発した。

 

「ん、あれっ? ここどこ? ──あなたは誰?」

「ひぇっ、喋った!」

「……んー、狭いからとりあえずここから出ていいかな?」

「……えっ、あっ、は、はい」

 

 クローゼットの中で暗くてよく分からなかった女の子の顔が、部屋の明かりに照らされあらわになった。

 とんでもなく美しい少女だった。髪がピンクだとか、頭上になんか浮いているだとか、コスプレみたいな格好してるだとか、そういうのも全部吹っ飛んでしまうくらいには。

 まるで芸術品を前にしているようで、わたしは何も言えなくなってしまった。そんなわたしを見かねてか、女の子はしばらく考えるそぶりをした後しゃがみ込んでわたしに声をかけた。

 

「えーっと、あなたが私をここに連れてきた……ってわけじゃなさそうだね。ここがどこか聞いてもいい?」

「え、日本の……〇〇県〇〇市の〇〇区、〇〇です」

「だめみたい、全然あなたの言ってることが分からない。キヴォトスじゃないのかな」

「なんて言いました?」

「学園都市キヴォトス。聞き覚え、ない?」

「全く……」

「キヴォトスを知らないとなると、キヴォトスの外どころか別世界の可能性もあるかぁ。とんでもないことになっちゃった」

 

 知らないワードがいっぱい出てくる。別世界? 急にスケールの大きな話をされても困ってしまう。

 というかさっきから気になっているのだが、腰元に生えていて時折わさわさ揺れている翼は本物なのだろうか。頭上に天使の輪っかみたいなものも付いているし、もしかしてこの子天使だったりする?

 

「……あの、その翼って本物なんですか?」

「ん? 本物って……。もしかして翼がある人見たことない?」

「あるわけないじゃないですか!」

「あはは、そっかー。私の住んでるところにはありふれてるんだけどね。ここじゃ普通じゃないみたいだね?」

「そう、ですね」

 

 とんでもないことになったかもしれない。

 この子の言ってることが本当なら、この子は外国どころか翼が生えているのが普通である世界から来たということになるのだが。

 

「そうだ、自己紹介が遅れちゃった。何を言っているかさっぱりかもしれないけど一応言うね。私は学園都市キヴォトスのトリニティ総合学園の三年生、聖園ミカだよ」

 

 んー、さっぱりわからん。とにかくこの子が学生であるらしいことだけ分かった。わたしも名乗り返しておこう。

 

「あ、えっと。真田乙花です。〇〇大学の二年です」

「大学? そっか、年上かぁ。てっきり私と変わらないくらいかと思ってた。……それで、ここって乙花のお家?」

「あー、はい。一人暮らしです」

「別に年下相手なんだしタメ口でもいいんだよ? 私まだ17歳なんだし」

「本当に年下なんだ」

「そうだよ。信じてなかった?」

 

 ミカはにこっと笑った。しっかりしていそうだし、背もわたしよりあるし、異世界なんかに来たのにこの落ち着きっぷりだ。最近の女子高生はすごいなあ。この世界の女子高生じゃないけど。

 

「そういうわけじゃ。……その、ミカはどうしてここに?」

「寮の自室の、古いクローゼットを開けて中に入ったら扉が閉まっちゃって。気づいたらここに来てた」

「もう一回うちのクローゼットに入ったら帰れる、とか?」

「あー、ありそう。試してみてもいい?」

「どうぞ」

 

 ミカがクローゼットに入った。内側から扉が閉められ、しばらく沈黙が辺りを満たした。ミカの声ももう聞こえない。

 

 ……多分今のは夢だったんだろう。もう夜も遅いし、布団を敷いて寝よう。

 

 部屋の隅の布団を敷こうとした瞬間、クローゼットをがたがた言わせてミカが顔を出した。

 

「帰れた!」

「よかったね。……なんで戻ってきたの?」

「せっかく別世界に来ちゃったわけだし、帰り方も分かってるし、このまま帰って二度と来ないなんてつまんないでしょ。これから乙花にはいっぱいお世話になると思うし、……これから、よろしくね?」

 

 こうして、冴えない大学生のわたしと、異世界の少女ミカとの奇妙な交流が始まったのである。

 

 

 

 

 

 

 異世界人であるミカとわたしの間の常識の齟齬はたくさんあった。

 

「え、ま、待ってミカ。それってまさか本物?」

「うん? Quis ut Deusのこと?」

「その銃のこと!」

「これがどうかしたの?」

「日本じゃ銃を持ち歩くのは禁止なんだよ!」

「まずい感じ?」

「まずい感じ! 元の世界に戻してきて!」

「自衛用なんだけど……って、そうか。銃を持ち歩くのが禁止で、それをみんな守っているなら自衛の必要はないもんね」

 

 どうやらキヴォトスとやらは相当治安が悪いらしい。銃火器の携帯が普通のことらしかった。生きてるうちに実銃を見る経験なんてあると思ってなかった。

 

「……あ、乙花って撃たれたら……」

「死ぬよ。だからそれを向けないでね」

「うん。気をつける」

 

 ミカは神妙な顔で頷いた。ミカが言うには、キヴォトス人は撃たれても平気らしい。……肉体の強度も全然違うのか。道理で銃を撃つことへの躊躇いがなくなるわけだよ。

 

 ちなみにわたしもクローゼットに入ってみたのだが、世界の行き来ができるのはミカだけのようだった。

 ミカが「乙花がキヴォトスに来たらすぐ死んじゃうからやめなよ」と真面目な顔で言うものだから、わたしも頷くしかなかった。

 

 ミカは毎夜毎夜この部屋に来ては、好き勝手言って帰っていく。最初はクローゼットからミカが顔を覗かせる度にビクビクしていたが、一週間もするとすっかり慣れてしまった。

 ミカはこの世界を侵略しようだとかそういうことは全く考えておらず、ごく普通の好奇心旺盛な女子高生という感じだった。何より異世界の話はすごく興味深いので、ミカの話にわたしも夢中になっていた。ミカもわたしのなんてことない日常についてやたら聞きたがるので、わたしたちは毎晩毎晩ずっとお喋りをしている。

 

「乙花の家狭くない? このドアからもう外なんだよね」

「一人暮らしの物件なんてこんなもんだよ」

「出ちゃダメ?」

「ダメ! 異世界人なんて他にいないから見つかったらどうなるか全く分からないし。それにその頭上の輪っかも翼もこの世界の人にはないんだよ」

「これヘイローって言うんだよ。両方隠せばいいの?」

「できたら髪と目もなんとかしたい。ピンク髪も金の目もいなくはないけど珍しいから。日本人は基本みんな黒髪黒目なんだよね」

「へー。じゃあ乙花も私と同じ色に染めよ? 染めるのもダメな感じ?」

「ダメ、じゃ、ないけど……」

「んー、やっぱナシで。乙花は黒髪の方が似合うよ」

 

 なんなんだ一体。というかなんでこんなにミカはわたしへの好感度が高いんだろう。初対面からわたしのことを疑うってことがなかったし。

 

 わたし、ミカに気に入られるようなこと何かしたかなあ。

 

 それとなく聞いてみると、「私のこと私のままで受け入れてくれるし、お喋りしてて楽しいし」という答えが返ってきた。ちょっとよくわからない。

 

 そんな思いを抱えたまま数日、いつもはこっちでお喋りして0時前には帰るミカが0時を回ってもここにいた。どうかしたのかと聞こうとした矢先、ミカが言い出しづらそうにわたしに尋ねた。

 

「……あのさ、今日こっちに泊まってもいいかな」

「いいけど……、どうかしたの?」

「んー、ちょっと嫌なことがあって」

「そっか」

 

 来客用の布団を引っ張り出して敷く。ついでに牛乳を電子レンジで温め砂糖をぶち込みミカに出す。

 

「後で歯磨きなよ」

「はーい。……ありがと」

 

 マグカップを両手に包むようにしてちびちび飲む姿は、普段の元気な姿からはあまり想像できなかった。心なしか翼もしょんぼりしている。

 

「……聞かないの、何があったか」

「聞いてほしいの?」

 

 そのまま予備の歯ブラシを貸して、二つ並べた布団に横になる。電気も消してお互いの息遣いしか聞こえない。窓の外からの街灯の灯りが、カーテンの隙間から部屋をほんの少しだけ照らしていた。

 

「……あのね、私、色々あって私物がほとんどないの。それで新しく買った物があるわけなんだけど、それが……」

「うん」

「他の子に壊されちゃって。もう慣れたと思ってたんだけど、でも、やっぱり……」

「自分の物を壊されるって絶対辛いよ。慣れることなんてきっと一生ない。ミカは泣いていいんだよ、怒っていいんだよ。……わたしに話してくれて、ありがとう」

「う、だって、私たくさん迷惑かけて、だから、だからぁ……」

 

 ミカの布団に潜り込み、声を殺して泣き始めたミカを抱きしめた。やわらかい体の温もりが伝わってくる。ミカはわたしの胸元に顔をうずめた。涙でパジャマが濡れるが大して気にならない。

 

「わたしはミカのこと迷惑だなんて思ってない。そりゃクローゼットから出てきた時はびっくりしたけど、ミカと話すのは楽しいし、わたしはミカのこと好きだよ」

 

 返事はない。震えるミカの背中をぽんぽんと撫でる。

 

「わたしはミカの味方だよ。だから、ミカの代わりに怒るね。……例え迷惑をかけられたとしても、それでその人の私物を壊して良いわけないでしょ。ミカの私物を壊すなんて最低。そいつが目の前にいたら顔面にパンチを食らわすところだよ」

「顔面にパンチ」

「あ、冗談冗談。ミカは真似しないでね。暴力で解決するのはよくないから。ミカみたいな可愛い子ならなおさら」

「……乙花のふにゃふにゃパンチじゃ虫も殺せないよ」

「なにをいうか」

「……ふふ」

 

 ようやく笑った。ミカには笑顔が似合うから、泣き止んでくれてよかった。いっぱい泣いたあとはいっぱい笑ってほしい。

 

 にしてもミカ、もしかしなくてもいじめられてる? 初めてやられたって口ぶりじゃなかった。こういう時ってどうしたらいいんだろう。

 

「ミカ、明日は暇?」

「明日?」

「明日っていうか、もう今日か」

「……暇っちゃ暇。ボランティアはやらなきゃだけど、別に明日じゃなくても平気だし」

「用事があるならそっち優先でいいよ。どうせ夕方からしかわたしも暇じゃないから、夕方から空いてない?」

「空いてる」

「じゃあ楽しみにしててほしい。……ミカはいつでもここに来ていいんだからね。わたしが留守だとしても気にしなくていいし、この部屋の物ならなんでも使っていいから」

「分かった。……乙花、ありがとう。大好き」

「わたしも」

 

 ミカが離してくれないので、そのままミカの腕の中で寝ることにする。明日は色々買ってこなきゃ。

 

 ……にしてもミカ、力強いな。腕の中から出られる気がしないんだけど。

 わたし朝絞め殺されてないよね?

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