クローゼットからミカ出てきた【完結】   作:おとしあな

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さよならはいつか訪れる。

 最初に異変に気づいたのはどっちだっただろうか。とにかく、発端はミカのスマホの時計とわたしの部屋の時計の時刻がズレていることに気づいたことだった。

 

「わたしのスマホは部屋の時計と一緒、テレビともズレてないとなると……ミカのスマホの時計がズレてるのかな」

「うーん……ちょっと向こうの時間見てくる」

 

 しばらくして戻ってくるなりミカは「ズレてなかった」と言った。いつになくしょげた顔で、わたしもようやく事態の深刻さに気づき始めた。

 

「ミカ、向こうに行って、手元の時計できっかり一分数えたらこっちに戻って来れる?」

「……分かった」

 

 一分十秒。それがミカが戻ってくるまでにかかった時間だった。

 

「やっぱりキヴォトスの時間とこっちの時間の流れ方がズレてるみたい」

「つまり?」

「こっちの時間がキヴォトスより早い。つまりミカにとっては逆浦島太郎だね」

「逆浦島……?」

「十秒早いのが積み重なって積み重なって、とうとう見えるところまで来ちゃったのかな。……いや、最初から差が十秒だったなら時計はもっとズレててもおかしくない。ってことは……」

 

 最近時間がズレ始めた、あるいは最初はごく小さなズレだったのがどんどん深刻化しているか。

 

「いずれこっちで一時間過ごしても、キヴォトスでは一分みたいなことになるかもしれない」

「それじゃ、まさか……」

 

 ミカから表情が抜け落ちる。震える声でつぶやいた。

 

「キヴォトスで一日過ごしたら、こっちは一週間経ってるみたいなことが起こるかもってこと……? いや、さっきの乙花の例えだと、キヴォトスで一日過ごしたらこっちは六十日経ってることになる……」

「今の時点で時間のズレの比が七十秒対六十秒。単純に七対六なら、わたしが一週間過ごす間にキヴォトスでは六日しか経たないことになるかな。そしてその差は広がる可能性がある」

 

 ミカが「どうしよう」と座り込んだ。どうしたらいいかなんてわたしが聞きたいくらいだ。まさかこんな唐突に。

 

「でもこっちで過ごすなら向こうは大して時間が経ってないってことだよね?」

「今のところは多少の差だけどね」

「じゃあ私がずっとこっちにいれば!」

「……本気で言ってる?」

 

 ミカにだってキヴォトスでの暮らしがある。わたしのためにそれを投げ出すべきではない。……そんなこと、ミカだって分かってるはずだ。

 

「だって、そうじゃなきゃ! そうしなきゃ……。次に会いにきた時、もし乙花がもういなかったら? 私、そんなの耐えられないよ……」

「……わたしもやだよ。クローゼットから帰ったミカが、もう二度と来なかったら」

「……それなら」

「ダメだよ、ミカ。あなたの友達はわたしだけじゃない。あなたの居場所はここじゃない」

「なんでそんなこと言うの?」

 

 ミカはついに泣き出した。わたしだって泣きたい。こんなこと気づかなければよかった。

 なんでこんな言いたくもないことを言ってるかなんて、ミカが大切だからだ。

 ミカが、ミカの世界で幸せになってほしいからに決まってる。

 

「頭、冷やしてくる」

「……あ」

 

 口を挟む暇もなく、クローゼットの向こうに帰っていってしまった。次に来る時、わたしがここにいればいいんだけど。

 

 ……本当はずっと分かっていた。こんな日がいつか来ることを。

 

 だってわたしはいつまでも子どもじゃいられない。

 

 この部屋にずっと住んでいるとは限らない。クローゼットはこの部屋に備え付けのものだから、どこかに持っていくこともできない。

 働き始めてこの部屋を離れる日が来たら、絶対にこうなる運命だった。

 

「どうしたらいいんだろう……」

 

 返事はなくて、いつかのミカみたいに膝を抱えてもどうしようもなかった。

 

 そして次にミカが現れたのは、四日後のことだった。

 

「この前はごめんね、乙花」

「ううん、わたしも酷いこと言ったから。こっちこそごめん」

「あのね、私だって考えたの。でもどうしていいのか分からなかった。……その、キヴォトスに二日いたんだけどこっちは何日経った?」

「四日。……二対一になってるね。最悪だ、時間のズレが広がってる」

「……やっぱり、かぁ。そもそも違う世界だもんね、これまで一緒に過ごせていたのが奇跡なだけで」

 

 言いたくない。

 これを言ったら終わってしまう。

 

 だって好きなのだ。ミカのことが大好きなのだ。お別れしたくなんてない。

 

 今までだってたくさんの友達はいて、彼らは思い出にできたのに。ああ、あんな友達いたなと、名前すら忘れて笑っていられるくらいなのに。

 

 きっと傷になる。わたしにとっても、ミカにとっても。

 だってミカは特別だった。自惚れるなら、ミカにとってのわたしも。

 

 それならわたしが言わないと。

 だって私は大人だ。ミカの友人だけど、まだ子どものミカとは違うから。

 きっと私が、責任を持って終わらせるべきだ。

 

 口の中に苦いものが込み上げる。泣くなと自分に言い聞かせて、わたしの言葉を待つミカにちゃんと向き合った。

 

「ミカ、あのさ。……さよなら、しよっか。今じゃなくて、ちゃんと盛大に」

 

 

 

 

 

 

 背後からミカの足音がする。振り返って自然と笑顔になった。

 

「やっほーミカ。久しぶりだね」

「久しぶり……そっか。そうなんだね」

 

 うん、大体二ヶ月ぶりくらいだ。口に出さずに答える。ミカもいつぶりとは言わなかった。

 

「ほら外見て、絶好の天気だよ」

「絶好……?」

 

 外は土砂降りの雨だった。

 一般的には酷い天気だろうしミカの困惑もよく分かる。わたしだって好き好んでこんな天気の日に外に出たくはない。

 

「よし、遊びに行くぞー!」

「……外に? この天気で?」

「ほら合羽着て、傘持って! 行くよ」

「おでかけセット……そういうことかぁ! 分かった、傘と合羽は前と同じ所に置いてある?」

「もちろん」

 

 手を引いて外に出る。こんな天気じゃ誰ともすれ違わない。

 喋って笑って走って、繁華街に辿り着いた。今は繁華街を名乗るのも烏滸がましいくらいの人しかいない。

 

「はーっ、ひっどい雨!」

「なんてー? 雨の音で何も聞こえなーい!」

「雨、酷いね!」

「あはは、乙花ずぶ濡れ」

「ミカもじゃん」

「やだメイク落ちちゃうっ」

「今更ー!」

 

 二人で顔を見合わせてけらけら笑った。

 ゲームセンターの店内には客が誰もいない。ずぶ濡れのわたしたちを見た店員さんがギョッとした顔をした。ちょっと申し訳ない。

 翼は合羽と上着の下だし、ヘイローは誰かに何か言われたらもう見間違いで押し通すことにした。

 

「プリ撮るー? てかプリクラって知ってる?」

「キヴォトスなめないでよ、女子高生はどこでもプリ撮る生き物でしょ?」

「それはそう。……わたしもう女子高生じゃないけどな!」

 

 髪とメイクを直してから二人でプリ機に入る。最近のゲーセンは鏡とメイクスペースどころかアイロンまで置いてあるの、本当にありがたい。

 何年ぶりかに変顔やらぶりっ子ポーズやらをしつつ写真を撮っていく。

 

「目でっか! ミカの目盛るとやばいね」

「乙花の変顔もやばいよ……?」

「そんな褒めないでよ」

「褒めてない……いや、褒めてるのかな?」

 

 ハサミで切り分けたプリクラを財布に入れる。ミカはスマホケースにしまったようだ。

 クレーンゲームを冷やかし、ゾンビを撃つゲームでギャーギャー言いながらミカが無双し、太鼓を叩いて変なポーズの猫のガチャガチャを回した。

 いざゲーセンを離れようというところでミカがわたしを引き留めた。

 

「乙花、やっぱりあれ欲しい」

「どれー?」

「あの白い……猫? 白熊?」

「あー、ちいさくてかわいいヤツね」

「そんなに小さくはないと思うよ?」

「そういうシリーズなんだよ」

「なるほどモモフレンズ的な……」

「クレーン、ミカがやる?」

「乙花のお金だし乙花がやったら?」

「じゃあ一回ずつ交代で!」

 

 袋を二重にして無事に取れたぬいぐるみをしまう。ゲーセンの袋を片手に今度は近場のカフェへ。

 

「わたしロールケーキにしようかな。ミカは?」

「ロールケーキ以外ならなんでもいいかな。……紅茶とチーズケーキにする」

「あれ、ロールケーキ嫌いだっけ」

「話してなかったっけ? 投獄されてたときに三食ロールケーキで、ちょっと食べ飽きちゃって」

「ん? 投獄?」

「あっ! 墓まで持っていこうと思ってたのに」

「ダメ。詳しく聞かせて」

 

 ふむふむ。他の学校と内通した挙句バレて投獄、壁をぶち破って脱獄のち暴走、生徒会的な役職から干されて今ココってわけか。

 

「……ミカってさ」

「……うん」

「脳筋? 猪突猛進? 猪なの?」

「あーもうだから言いたくなかったのに!」

「うんうん、その片鱗はあった。なんとなく察してはいたけどそういうことかぁ」

「わーーーー! 忘れてよもう!」

「忘れないよ。ミカのことだもん」

「キメ顔で言うのやめてってば!」

 

 カフェを離れて駅ビルへ。コスメを眺めアクセサリーを吟味し。

 

「ピアス開けてみたいけど怖いんだよね」

「私やったげようか? 乙花に消えない傷を付けてあげる」

「……やっぱりいいよ。もう十分傷付いてるから」

「……うん」

 

 ひとしきりはしゃいで回って、昼ごはんも食べた。帰ろうかとどちらともなく言い出して、行きとは打って変わって無言で歩く。

 

 雨は止んだらしく強い風だけ吹いていた。帰り道にある歩道橋の上まで来た。

 真下の道路はこの辺りの主要な道路だけあって車通りが多く、車の振動が歩道橋にまで伝わってくる。

 

「すごい音」

「ちょっとここで話す? 他の誰も聞こえないでしょ」

「うん」

 

 歩道橋の欄干を背にしてもたれかかる。じわりと背中が濡れた。

 ミカが傘を閉じたのを見計らって声をかける。

 

「わたし、ミカに出会えてよかったよ。……正直さ、こんな思いするくらいならミカに出会わなきゃよかったってちょっと考えた。だけどやっぱり、ミカに出会えてよかった」

「私も、クローゼットの先にいるのが乙花でよかった。他の誰でもなくて乙花のおかげで、私は私をちょっとだけ好きになれた」

 

 強く風が吹いてミカの合羽のフードが脱げる。直そうと手を伸ばして、その手が頬に触れた。

 瞬間ミカに抱き締められる。ずぶ濡れの肩に手を回した。

 

「さよならしたくない。乙花のためならずっとこの世界にいたっていい。だって私、乙花が好きなんだよ。好きになっちゃったんだよ」

「……わたしも、ミカが好きだよ」

「私と同じ好きじゃないでしょ。それくらい分かってる。……だから、そんなこと言わないで。……期待、させないで」

 

 目を伏せるミカの肩から頬に手を移し、ぐっと顔を寄せた。

 

「できるよ、ミカとなら。最初から好きって言ってるでしょ」

 

 唇と唇が触れ合うだけの拙いキスだった。

 

「あ、はは……これで、友達だなんてもう言えないね」

「友達だよ。……友達で、好きな人だよ」

「……そっか」

 

 きっと一目惚れだった。

 クローゼットから舞い降りたわたしの天使は、今わたしの手の中にいる。またどこかに飛び立つとしても、今だけは。

 

 気づくと雲の切れ間から太陽が覗いていた。晴れた空、いつか見たいと言っていた青い空だ。

 

「ほら、青空」

「これが乙花の知ってる青空なんだ。……いいなぁ。写真に撮っておこうかな」

「ずっと見せたかった。……ねえ、叫んでいい?」

「唐突だね?」

 

 雨上がりの湿った空気を思いっきり吸い込んだ。

 

「わたし、ミカのことが大好き! だから、」

 

 もう一度大きく息を吸った。

 

「いつか絶対会いに行く! 何とかして、方法を見つけて! キヴォトスに、絶対会いに行くから! ミカのために行くから!」

 

 心からの言葉だ。

 

 どんな道を歩もうと、わたしがわたしでなくなったとしても。

 この想いだけは絶対に揺らがない。ミカのためなら、わたしは何だってできるのだ。

 

「……会いに来て。絶対絶対会いに来て! 私のためにキヴォトスに! 私待ってるから! ずっと待ってるから! 来ても大丈夫、死なないように私が守る!」

 

 ミカも叫んだ。涙でぐちゃぐちゃの顔で、二人で手を繋いだ。駆け出して、家まで戻って、クローゼットの前に立った。

 ミカは合羽を着たまま傘を片手に、たくさんのものが入ったゲーセンの袋をもう片手に持っていた。なんか締まらないねと笑ってみせて、それでもまだ涙が溢れてきた。

 

「さよならは笑顔でしたかったんだけどね」

「わたしこそ、ミカを笑顔にしたかったんだけど。ずっとそれしか考えてなかったのに」

「乙花も泣いてるじゃん」

「否定はしない」

「……じゃあ、さよなら」

「さよなら」

「大好きだよ」

「わたしも大好きだよ」

「……また、どこかで」

「うん。また、いつかどこかで」

 

 振り返らずに帰ってしまう。

 今話したいことは全部話した。後悔はもうない。あとは、やりたいこととやるべきことをして生きていくだけ。

 

 

 結論から言ってしまえば、クローゼットから天使が出てくることはもう二度となかった。

 

 ……ああ、すごく楽しかった。本当に楽しかった。

 

 クローゼットからミカが出てきて、わたしは幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

「先生? 寝てるんですか? 起きてください」

「わっ、ごめんごめん。寝てたか……」

「はい。それはもうスヤスヤと。良い夢でも見ていたんですか?」

「……うん、すごく良い夢だったよ」




これにて完結。
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