平安に坐せ大嶽の大鬼 作:無名の軽量AC乗り
朱色の大盃に口をつけ、なみなみと注がれていた酒を飲み干した。
ごくり、ごくり、と大きく太い喉を鳴らし、嚥下した酒の火気を堪能して呼気とする。
そして、見下ろした。
今に息絶えようとする、荒くも浅い、小さな呼吸を乱す矮小な生き物を。
「莫迦が」
短く吐き捨てた声が聞こえたのか、鎧兜で身を固めた武者が曖昧な視界の中で睨みを利かせる。
だが虫の息となった武士の視線などに怯むことはない。嘲るでもなく、憐れむでもなく、ただただ彼我の力の差を解さず挑んできた愚か者達を看取らんとしている。
「化け、物、めぇ……!」
今際の際の呪詛に眉一つ動かさず、罵られた化け物は短く問う。
「介錯は要るか、人間」
「い、いつか……貴様を、討つ者が現れる……それまで精々、首を洗って待って、いろ……!
――
地べたに横たわる武者の戯言を、辞世の句と受け取ったのか、大嶽丸と呼ばれた巨雄は肩に担いでいた大刀を無造作に振り下ろした。
ひゅ、と。数瞬遅れて風切り音が大刀を追って、痛みもなく武者の首を刎ね飛ばした大刀は刃渡りの分だけ地面を切り裂く。
横幅一メートル、縦幅十メートルにも及ぶ刀身に血糊は付かぬ。ごきりと太い首を鳴らした巨雄は、伸び放題の赤髪を鬣のように揺らめかせて呟いた。
「大嶽丸、ねぇ……勝手にそう呼び、勝手に恐れ、襲い、敗れ、死んだだけの輩が何をほざく」
辺り一帯に散らばる肉片と、元の形を残しているだけの無残な骸を見渡す。自身に挑んだ無謀な武士団が野ざらしになっているのを無感動に確かめて踵を返し、赤毛の巨雄は根城に帰った。
――日の本の国を丸ごと覆い尽くしてなお余る妖気を強靭な五体に凝縮し。この身が有し得るあらゆる妖術、あらゆる異能の
鬼。天然自然の生態を超える、人とは異なる神秘の生命体。
人呼んで大嶽丸なる者は、鬼であった。鬼が神と崇め、人が魔王と恐れる鬼神魔王。日の本に君臨する鬼軍総大将。彼に匹敵する妖は、酒呑童子と白面金毛の玉藻前のみであるとされる。
しかし今はまだ、平安の世を乱す単なる賊。噂は徐々に広まりつつあるものの、大嶽丸の強大さを知る者は少なかった。
「御大将! おかえりなさい!」
根城にしている山に戻ると、緑の肌の鬼と、赤い肌の鬼が、金棒も持たずに駆け寄ってきた。
「御大将、得物をお持ちします!」
「おう」
「あっ、ずっりぃ! オイラが御大将の
でっぷりと腹の飛び出た赤鬼が、恭しく両手を差し出してきたのに対し、無愛想に大刀を放り投げると緑鬼が不平を漏らす。大嶽丸はそんな二体の鬼のやり取りを無視して、ズンズンと大股に宮殿の奥まで歩いて行くと、鬼達は慌てて大嶽丸の後を追った。
「お! 御大将がおかえりだぞ、皆!」
「おぉ、御大将!」
「何処に行ってたんで?」
「土産は?」
「ってか何しに出掛けてたんでしたっけ?」
途上、すれ違った鬼達が大嶽丸に注目し、礼を示し、あるいは無思慮にねだり、訊ねてくるのを大嶽丸はやはり全て無視した。
山の上に築かれた宮殿には、見渡す限りの鬼、鬼、鬼の群れである。並の個体ですら平安武士五十人に匹敵する凶悪な妖怪の大群だ。通常なら群れない鬼が、同じ鬼を御大将と呼んで慕っている様は異様だろう。だが『高貴な鬼』である酒呑みの鬼と同様、大嶽丸は鬼を従える例外中の例外だった。
しかし、大嶽丸には彼らを従えているつもりはない。同類が勝手に集まり、勝手に手下になり、勝手に群れになり、勝手に大嶽丸の寝床に宮殿を建てただけのこと。
大嶽丸は自由だ。我意の赴くまま、気ままに振る舞っている。
彼は他を気にせず、慮らず、平然と殺し、奪う、我欲に生きる生粋の鬼だ。支配を知らず、支配を受けず、思うがまま漫然と生きる彼には知識など不要であり。自ら何かを知ろうとしないのは、知りたいという欲が出てこないからであって。いつの間にか出来ていた群れを、彼は知りたいと思っていないのだ。
だから大嶽丸が関心を示すのは、自らの認識上へ浮上するだけの『格』を持つ者で。大嶽丸が大股で寝床に向かっているのは、彼が認識する数少ない存在の気配と『匂い』を感じていたからだ。
「おい、付いてくるな」
「え、えぇ? そりゃないっすよ御大将ぉ」
「二度は言わんぞ」
「ちぇー……
緑鬼と赤鬼が付いてくるのを咎めると、二体の鬼は残念そうに足を止めた。
がめつく、しかもちゃっかりしている子分達の思惑をシャットアウトしたのは、単に自分の寝床に他者が入り込むのを嫌ってのことだった。
大嶽丸は、寝るのが好きだ。長すぎる生涯の過半を寝て過ごすほどではないものの、
一日という時間にメリハリがつくから、寝るのも存外悪くないのである。
そして彼は自身の一日のルーティーンが乱されるのを嫌っていた。そろそろ寝る時間なのだから、招かれざる客が勝手に寝所に入り込んでいると機嫌が悪くなる。そして、今は機嫌が悪い。
「何をしている」
「んぅ〜、あぁ、帰りなはったんやねぇ、大嶽の旦那はん」
大嶽丸の辿り着いた居室にて、豪奢で大きな寝台に腰掛ける、小柄で華奢な肢体の鬼がいた。
少女のように可憐で、娼婦のように淫靡で、王のように毒々しい乙女。その名を彼は口にする。
「俺は何をしていると訊いたぞ、
「まぁ、まぁ、そう
「………」
大嶽丸は自分の寝床に広がる強い酒気を嗅ぎ、そして酒呑童子の差し出した瓢箪を見て鼻を鳴らした。
片手に持っていたお気に入りの大盃を突き出すと、小柄な鬼はニマニマと妖しく笑いながら酒を注ぐ。
酒は、好きだ。気分が良くなる。この世の数少ない娯楽の一つだ、どうして嫌いになれようか。
本当ならその細首を捻じ切ってやるところだが、酒呑童子の持参してくる酒は毎度の如く美酒だ。この酒に免じて勝手に来訪したことは許そう。
「で?」
酒呑童子がいるのにも構わず、寝台にのっそりと腰を落とす。彼我の体格差で、まるで大人と赤子のようにも見えた。
大嶽丸が短く問うのに、隣に座った彼の脚に手を置いた酒呑童子は淫靡に笑む。何しに来た、用件を言えと暗に伝えられたのに、彼女はうっとりとしながら答える。
「もう、いけずやねぇ。うちがこないに足繁く通ってるんよ? ええ加減うちの気持ちを汲んでくれてもええんやない?」
「は……」
笑って、酒を干す。
大嶽丸はゴキリと首を鳴らすと、自らの体躯を変化させる。
姿形はそのままに、体を小さくしたのだ。身の丈185cmほどまで。
身体変化が出来る鬼は少ないが、大嶽丸は能う。その気になればもっと小さくもなれるし、逆に30メートルほどまで巨大化も出来た。数千もの分身を作ることも出来る。
見た目こそ粗野で、乱暴者だが、その実彼はかなり頭のキレが良い。妖術の類いもその気になれば最上位のものを操れる。それだけの格と才と力が具わっているのだ。普段それらを用いず、己が身体能力のみに全能力を費やしているのは、ひとえにそれが性に合うからでしかない。深い理由なんてなかった。
大嶽丸は酒呑童子の肩に腕を回し、ぐいっ、と引き寄せる。
「あん」
蕩けるような声を上げた、色気に満ちた矮躯の鬼の耳元で大嶽丸は囁いた。
「どういう風の吹き回しだ? お前は確か、俺を嫌っていたはずだが」
「んもぅ、いつの話やの、それ? 昔は昔、今は今や。もともと面はよかったんやし、中身がうち好みになっとるんやったら過去のことなんか水に流すわ」
唇を歪め、鋭い牙を覗かせながら、名前も知らぬ山の主の食客となっていた酒呑童子は言う。
自身の胸元をまさぐる大きな手に、自身の小さな手を添えて、気持ちの良い箇所へ導きながら。
「昔は風流も解さん雅さの欠片もない粗忽者やったけど、いつぐらいからか、旦那はんは変わった。誰よりも何よりも鬼らしゅうて、天上天下の万物万象を見下してたんが、反転したみたいに生まれ変わったんよね。今じゃ無骨で自由で、目ぇ放したらいつの間にかいなくなってそうな……風みたいな漢になりおおせて。信じられんぐらい、色気がある。良い男になりよったやないの」
鬼らしい妖気に満ちた双眸が、下から自分を見上げている。
大嶽丸は彼女の目が、なんで己が変わったのかと探っているのを悟った。
さて、なんでだろうな。どうでもいいが、大嶽丸は自身の変質の由縁を思い出す。
そうだ、あれは確か、10年ほど前のことだったか?
大嶽丸は以前、風変わりの人間を喰ったことがある。
転生だの異世界だの、特典はないのかだのと根城の近くで喚いていた一人の男。奇妙な衣服を着込んでいたソイツは、腹を空かせていてとりあえず喰おうとした己へ、身の程知らずにも歯向かい戦おうとした。だかなんの力もない、そこらの百姓よりも弱かったソイツは、泣きながら大嶽丸に踊り食いされたのだ。良いものをたらふく喰っていたのか、かなり美味だった憶えがある。
それからだ。
まるでソイツは大嶽丸の悪性を中和する毒の如く、彼の気性を大幅に変じさせた。そしてぼんやりとした知識のようなものが流れ込んできた気もする。
以来、大嶽丸は変わっていった。最強最悪の鬼が、ただ最強なだけの鬼へ。
鬼である以上、気が向けば人を食いはする。故に人の価値観では悪のままだろう。だが、無闇矢鱈と殺したりはしないし、必要もないのに奪いもしない、鬼としてはかなり温厚で大人しい鬼へと成り下がってしまったのだ。フィジカル最強こそ至高だなんて性格も、あの人間を喰ってからのものだった。
王のように君臨して他を虐げたる、気位の高い最悪の鬼の矜持は、本来なら自身の変質を毛嫌いしていただろう。だが自身を毒し、変質させた存在と、変質した己への怒りは不思議と湧かなかった。
理由なんて無い。ただ、無気力になったのだ。怒る気になれないのである。
大嶽丸は自身の変化の切っ掛けを思い出しはしたが、すぐに忘れた。どうでもよかったのだ。ただ、大嶽丸は嗤う。
「酒呑、俺は俺だ。昔も今も、根っこは変わってねぇよ」
「そうなん?」
「そうだ。俺は俺のやりたいことを、やりたいようにやる。それだけだ」
言って、酒呑の頭を掴んで引き寄せると、その小さな口を己の口で塞ぐ。
「んっふふ……」
淫靡に嗤い、鬼が応える。しゅるりと衣服を脱いで、鬼たちが交わった。
三日三晩、女鬼の嬌声が止むことはなかった。