平安に坐せ大嶽の大鬼 作:無名の軽量AC乗り
達谷厳なる山を寝床に定めているが、よそに出掛けないわけではない。大嶽丸は鬼の首領ということになっているものの、本人にその気はないのでフットワークは極めて軽いのだ。
なんのけなしに遠出をして、なんのけなしに野宿をして、気が済んだら山に戻る。そんなことを繰り返しているものだから、大嶽丸は歩く災害が如くトラブルメーカーだった。
「鬼だァ! 鬼がいたぞォ――!」
「なんたる妖気……さぞかし位の高い鬼なのだろう。
犬も歩けば棒に当たるが、大嶽丸が歩けば雑多な妖怪にも人間にも当たる。その辺にいた妖怪・土蜘蛛の脚を齧りながら歩いていると、鎧兜で武装した人間たちが大嶽丸に気づいて刀を抜いた。
自身の傍に駆け寄り手足や胴体、首などに槍や刀で斬りつけられるも、大嶽丸は何事もなかったように歩を進める。彼らの刀剣はいとも容易く大嶽丸の外皮に弾かれ、全く効いていないのだ。
「なんとッ!?」
人間――源氏武者達は精強だ。単騎でも妖怪に匹敵する戦闘力を有し、妖怪の類いへの基礎知識もまた有する。民の命を第一とし、己の命を第二とする高潔さもまた併せ持っていた。故にこそ自身らの攻撃が全く効かないどころか、
大嶽丸は『格』の足りぬ有象無象は相手にしない。なんせ力のない者は自身を害せはしないし、進む先を阻めもしないからだ。突きつけられる刀槍で産毛の一本も断てず、足を止めさせられもしない蟻のような存在を、いちいち踏み潰しながら歩く趣味は今の大嶽丸にはなかった。
無論、相手にしないだけで認識していないわけではない。気迫を込めて振るわれる刀や槍、源氏武者の気合いの籠もった声などには気づいている。煩わしくはあるので、大嶽丸は言った。
「おい、無駄に突っかかるな。煩くて敵わん」
なんだと、何を言うか鬼風情が、我らは民草のため貴様を野放しに――などと喚く源氏武者に、大嶽丸は呆れて嘆息する。お前らでは
手に持っていた土蜘蛛の脚を齧るべく口を開けると、狙い澄ましたように槍の穂先が口に突きこまれるが、構わず槍の穂先と一緒に土蜘蛛を齧った。バリぼりと鋼ごと食う様に、源氏武者が唖然とする。大嶽丸は鋼の欠片を噛み砕きながら、異物が混入されたことに気づきもしないまま脚を前に進めた。
背中を、脚を、腕を、首を、体を斬りつけられ続け、その一切を無視して歩き。そして、土蜘蛛を食い終えた大嶽丸は、ふと呟く。
「
脚を、止めた。
振り返ると、そこには執拗に己に挑む武者達がいる。肉が、いる。
逃げていればわざわざ追いはしなかっただろう。しかし勇猛果敢に挑み、手を変え品を変え、敵わぬと悟りながらも刀を振るう武者達は逃げなかった。
大嶽丸は自身に迫った武者の腕を、なんてことのないように掴む。高速で振るわれた刃など、彼の目には止まって見えていた。だから、なんてことのない仕草で腕を引き抜いた。
「がぁああぁああ!!」
骨ごと抜いた腕を具足ごと食う。味に強い拘りはないが、旨くはない。腹の足しにしただけだ。
生きたまま腕を抜き取られる、そんなものに耐えられる者はいまい。ショック死しなかっただけで、その武者の心と体の強さは証明された。
だがそれがなんだというのか。大嶽丸は人の腕をぺろりと食い尽くすと、まだ足りぬと喰う。人間達の血潮が全身をベッタリと汚して、そして気がつくと源氏武者達は全滅していた。
「あ? 数が一つ足らん気がするが……」
食い殺した人間の数が足りないように感じるも、まあいいかと踵を返す。
自身に付着した汚れ。頭上に腕を伸ばし妖気を溢れさせるや、またたく間に暗雲が天を覆う。瞬間的に豪雨を降らして血糊を洗い流すと、嵐の如き風で水気を飛ばし、大嶽丸は何事もなかったように根城に帰還していく。
大嶽丸は温厚だ。寛大だ。逃げた者をわざわざ追わないし、攻撃を加えられても傷を負わぬから気にもしない。鬼としては信じられないほど害が小さく、また信じられぬほど穏やかだった。
だが、鬼だ。鬼なのである。
弱い人間を所詮は放し飼いにしている肉としか見ておらず、腹が減っていれば平気で食い殺す。
罪悪感などあるわけがない。人が豚や牛を食うのと同じで、鬼は牛や豚の他に人も食うだけのこと。
大嶽丸は、鬼である。
「――では武士が十人もいて、その鬼を討つことも能わなかったと?」
赤毛の鬼を手強しと見た長の下知を受け、撤退させられていた若き武士。彼からの報告を受け、確認するために問うと周囲の貴族達から声が上がる。
たかが鬼一体になんと情けない、源氏武者としての誇りはないのか。そんな心無い糾弾に、若い武士は跪き顔を伏せたまま体を震わせる。
まだ成人したての若者を、このようになじることこそ情けない。平安の世を守らんがために体を張る者に掛ける言葉ではなかろう。そうは思うものの、それよりも先に対処を考えねば。
源氏武者が十人もいて、返り討ちに合うとは、余程に強大な鬼であることに違いはない。聞けば刀や槍はおろか、護符を収めた矢も効かぬとか。
曰く付きの名刀妖刀の類いを使ってみなければ分からぬが、尋常の手では犠牲が出るだけだろう。
頭を悩ませる。
当代には手練はいれども英雄と呼べるだけの武人も、また陰陽師もいない。父祖からは谷間の世代とも揶揄されるほどに、今時の若者は力が足りぬ。
斯くなる上は神仏に祈り、なんとか助力を請う他にないだろうが、人事を尽くさずして縋っても色よい返事はいただけぬだろう。まだ見ぬ英雄が現れてくれれば話も変わろうが……。
嘆息する。
そんな都合よく、この閉塞感に満ちた平安の世を打破する英傑が現れるはずもない。こんなことではまだまだ隠居はできなさそうだ。
翁は諦念混じりに内心そう呟いたが――
英雄は、いる。
それも、今、ここに。
仲間を、長を喪い、声なき慟哭に肩を震わせる若き武士。
今でこそ若く、未熟であるが、後の世に武神とも、軍神とも祀られ得るだけの器を備えた武者。
彼こそが後の坂上田村麻呂。数百年後の平安の世にて登場する、名高き神秘殺し源頼光とその四天王、全員を束ねたに等しい武威を持つ者である。
強大な鬼との戦いとも言えぬ戦いにより、若き英雄の卵は仇を取らんと心を燃やして。
神仏は、彼にこそ肩入れするだろう。
ただし。彼に、運命は微笑まなかった。
――大嶽丸は、鬼である――
だが弱きものを知ろうとしない無学の鬼は、強者へ敬意を払いはせずとも認識はする。
鬼は鬼だ。しかし鬼らしくはない。
故に、だ。通り過ぎる女神の前髪を、彼は知らずの内に掴むことになった。
「大嶽の旦那はん。帰ったんやね? 客が来とるよ、あんさんに」
「あぁ? 俺に客だと?」
気まぐれな食道楽の散歩をするのが趣味で、頻繁に単独行動をする大嶽丸の帰還に合わせ、酒呑童子は客の来訪を報せる。どこか大嶽丸の選択を楽しみにしていそうな顔で。
いつの間にか食客としての立場を確立し、他の鬼に慕われるようになっていた酒呑童子。彼女の言葉に眉をひそめ、いったいどこぞの某が来たのかと機嫌を害する。
これから寝ようって時に何しに来やがった。大嶽丸は大股に宮殿に入り、そして彼は、第四天魔王の娘を自称する者が使者を遣わしたのを知る。
胡乱な顔で渡された手紙に目を通す。要約すると、大嶽丸の存在を知った鈴鹿御前なる天女が、日の本を共に侵略し魔の国に変えようと誘ってきている手紙であった。
ただし手紙の内容はかなり上から目線で、大嶽丸は使者を帰らせるも返事はしなかった。要するに普通に無視を決め込んだのだ。
それから何度か手紙が来るも、悉くに無視という対応をしたのだが、ついに痺れを切らした鈴鹿御前からの手紙に大嶽丸は笑ってしまう。
よくも何度も無視してくれたな、殺してやるから面を貸せ、と手紙に書かれていたのである。
「あらまぁ、こりゃまた随分血腥い天女もいたもんやねぇ」
おかしそうに笑う酒呑童子に、大嶽丸も笑った。
「面白ぇ。何が面白いって、こうまで上から目線なのが面白ぇよ。こういう奴をねじ伏せたら、どんな面を見せてくれんのかね?」
大嶽丸がそう言って頬を緩めるのに、酒呑童子は笑みを深めた。
「旦那はんは鬼らしゅうないのに、鬼らしゅう笑うとこは素敵やね」