平安に坐せ大嶽の大鬼 作:無名の軽量AC乗り
平安時代に五大絵巻あり。
源氏物語絵巻、伴大納言絵巻、信貴山縁起、鳥獣人物戯画――そして、鬼神奉納絵巻。
鬼神奉納絵巻は、日ノ本の支配を目論む第四天魔王が、娘に侵略を命じる場面から描かれている。
天の魔焔たる金毛金眼の鬼。立烏帽子を被る巫女服の天女。
第四天より襲来した天女は、下界に住まう一体の鬼と出会う。
鬼神魔王。下界で最たる力を持つ、神仏に匹敵する威容を誇る鬼だ。
鬼神魔王と盟約を結び日ノ本侵略の計略を練った天女は、
一方、下界にて鬼の軍勢を率いた鬼神が、腹心とも客分とも語られる酒呑童子と共に平安京を襲撃。一夜にして京は火の海に呑まれ、一人の武官が率いる隊が帝を守護しながら鬼の軍勢の中を突破し落ち延びていく。この武者こそが坂上田村麻呂である。
都を襲い、奪った鬼神は、鬼と共に人々を苛烈に支配し、虐げ、気まぐれに殺戮する。人々は心無い鬼の悪逆に怯え、この世の地獄に塗炭の苦しみを味わうことに相成った。
鬼神は平安京にて怪しげな儀式を行い、いにしえの邪神、まつろわぬ民を復活させようと目論んで、無辜の民草を邪悪な生贄に仕立て上げる。これを目にした神仏は心を痛め、あの鬼神を倒せる英雄を探し求めた。
斯くして神仏たちの目にとまったのは、帝を守って京を落ち延び、京の奪還と鬼神の討伐を誓い、日々過酷な鍛錬に勤しむ若者であった。
神仏は若者に特別な刀と弓、神通力の籠もった鏑矢を与え、また神仏自らの加護を直接与えた。
若者は神仏の加護、特別な武具を得ても慢心せず、自らの武が長じ、鬼神にも通ずると確信が持てたことで帝に鬼神討伐の勅を求める。帝はこれを快く容れて、若者――坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じて彼を送り出した。
大軍勢を率いた田村麻呂が京の奪還に動くと、鬼神は京から鬼の軍勢を迎撃にさしむけ、一度大いなる戦いが起こった。鬼の軍勢を率いるは酒呑童子。強大な鬼との戦いで田村麻呂は苦戦を強いられるものの、辛くも酒呑童子を討ち果たして鬼の軍勢を打ち破った。酒呑童子の敗北を知った鬼神は京の防備を固め、田村麻呂の襲来を待ち構える構えを見せる。
そして最後の決戦が描かれる。田村麻呂の軍勢と鬼神の軍勢が激突する上では、鬼神に味方する邪な神仏たちと、田村麻呂に味方する偉大な神仏たちが激戦を繰り広げる様が展開された。
特に田村麻呂と鬼神の戦いは、絵巻の半数を占めるほどに長く、激しく続いて、田村麻呂の両脇を固める毘沙門天、千手観音という神仏と共に、鬼神を追い詰めることに成功する。
最後には跪き、命乞いをする鬼神の首を刎ね、田村麻呂は鬼神の首を持って帝のもとへ帰還。鬼神の首を叡覧なさった帝は満足し、田村麻呂を激賞すると望むがままの栄誉を与えた。
鬼神の首は霊験あらたかな社に納め、人々は平安京を取り戻したのだった。
「なんだ、そりゃあ」
鈴鹿御前が滔々と語る顛末に、人の英雄に討たれた云々と聞かされた大鬼が呆れ返る。
所は京。平安の御世を飾る繁栄の都市。
日ノ本の中心に坐し、日ノ本全土の霊脈から得た力と、自身と鈴鹿御前の神通力、そして鬼神に賛同した
戦場となった京。帝の坐した朝廷。
今喰っている人間は、人間にしては強かった。これが英雄という奴なのだろう。そしてその英雄に加護を与え、武具を与えたらしい神仏――毘沙門天だか千手観音だかの分霊も手強かったが、どちらも鬼神の腹に収まって消えた。
当然の帰結である。
一切の弱体化がなく、なんの制限もない鬼神魔王を相手に人間が敵う道理はない。いかな神仏とて地上ではその権能は制限されるし、ましてや分霊ともなれば、本尊にも並ぶ鬼神魔王に勝る道理はない。これで大嶽丸が天女あたりに弱体化させられていたなら話は変わるが……そんな都合のいい話はなかった。
「どうやったら俺がコイツらに負けたことになる。俺は生きてるし、コイツらは死んでるぞ。お前のくだらん妄想、いや願望か? そんなもんをいちいち俺に聞かせんな」
「あ、あんたね……」
鈴鹿御前の頭に脳が詰まっているか確かめるように、コンコンと拳骨で軽く叩きながら言う鬼へ、天女のような鬼はこめかみを痙攣させた。
無礼千万な鬼の手を払いのけて、殺気を含めて天女は言う。
「説明してあげるからよく聞きなさい。今のは表向き、公にそういうことにしておくのが私達に協力した神々からの条件だったの。そしてそれはお父様からすれば当たり前の話だったみたい」
「あぁ?」
「元々お父様の企図していた日ノ本への侵略は、終わりゆく神代の保全が目的だったのよ。けれど単に人を排して、妖魔だけの国にしようものなら、この惑星を覆いつつある人理に世界そのものが切り捨てられかねない。だから人を残しながらも、妖魔を表向き淘汰する必要があるわけ」
「……人理ぃ? 聞くだにけったくそ悪い響きだ。が、どうしようもねぇんだな?」
「ええ。お父様達はこれからの時代に向け、新しい形の神代を遺そうとした。そのために私やあんたを利用したの。神格を持った神仏は、下手に下界へ干渉できないから。最後に勝つのは人間でなければならない――たとえその人間がこれまでとは異なる人種でも。人理に抵触しない人と妖魔の集合体を神代の証とした新人類が、幻想の種である鬼を駆逐したことにするの」
「あー……まぁ、話は分かった」
本当かしらと疑いを持つも、そういえば元々この計画を立案したのは大嶽丸であったことを思い出す。
彼が理解したと言うなら本当に理解したのだろう。問題は大嶽丸がこちらの用意した筋書きに反発しないかどうかだが……反発してしまえ、と鈴鹿御前は念じた。自身の奪った勝利を、なんの価値もない茶番にされては流石に怒り狂うだろう。そうなれば、
大嶽丸が反発すれば自分は殺されるに違いない。ふざけるな、勝手に決めるなと大嶽丸が激高したが最後、この場で彼に殺される。だが自分の命と引き換えに、日ノ本の神仏が動いてコイツが死ぬならギリギリ許容できなくもない。本来なら鈴鹿御前一人の命でどうこうできる存在ではないのだから。
しかし。
「そういうことなら仕方ねぇ。神様が言うんだろ、俺は黙って退場してやる。俺を殺したってことにする人間も、俺がここで殺した人間も、全部適当にでっち上げんだろう? いいさ、なんでもかんでも好きにすりゃあいい。俺も勝手にする。俺のやる『勝手』に口出しすんのは許容してやんねぇがな」
(……
彼は自分より上位の存在がいることを平然と認める、上の存在同士が自分の頭の上で遣り取りし、今後の筋書きを描くことを受け流せる。
これまで観察して分かった。この鬼は自分より上位だとか下位だとかは眼中になく。強いとか弱いとかも論じるつもりがない。できるならやる、やりたいならやる。やりたくないならやらないし、できないならできるように工夫もする、なんなら他者に協力を求めるのも恥とはしない。しかし自分の意思を無視するもの、邪魔するものは、たとえ自分より強いものが相手でも牙を剥く。
自由なのだ。そして、自分の自由を侵害するものは、善悪の区別なく容赦しない。そして頭がキレる故に、このまま自分が勝ったという事実を押し通そうものなら、余計な諍いが起こり掣肘を加えられることを理解していた。そっちの方が面倒だと判断すれば、妥協もするし諦めもする柔軟性がある。
まるで、人間だ。
人間的な損得勘定と人間的な俗物感がある。そのくせ我欲を貫く様は徹底して鬼のままで――鈴鹿御前は嘆息した。コイツを殺そう、殺したい、そういう殺意が解れて消える。毒気が抜かれた。
「……で、ことが終わったら私を喰うんじゃなかったのかしら」
鈴鹿御前がそう言うと、大嶽丸は困惑した。
「は? そんなこと言ったか?」
「………」
「あー……言ったか? 言ってたか。忘れろ、俺は忘れた。殺したいほど憎い奴が使命を成せば、面白いツラが見れると思ったが……あんまり面白いツラぁしてねぇしな、お前」
これだ。飽きたか、興味が薄れたかは知らないが、初志貫徹もしない気紛れな様。鈴鹿御前はこの鬼の自分勝手さに言葉もない。
「消えろ、もう会うこともねぇだろう。つまらん女のことなんざ、一々覚えてるのもメンドクセェ」
――だから、癪に触る。徹頭徹尾、鈴鹿御前を馬鹿にして。ほんとうに、頭にきた。
「ねぇ、あんたはこれからどうするつもりなのよ」
苛つく。最高に、ムカつく。
腹の底にある衝動に突き動かされ、鈴鹿御前は大嶽丸にそう問いかけて。
鬼神は胡乱な貌を向けてきて、気のない貌で言った。
「あん? どうするもこうするもこれまで通りだ。好きに生き、好きに眠り、好きにする。何百年でも何千年でも、死ぬまで勝手気ままにやるまでよ。文句があるなら言やぁいい。殺すがな」
「あっそ。……じゃあね、大嶽丸。私の生涯で、たぶん最高に気に喰わないクソ野郎」
たまに手紙書くから、今度は無視するんじゃないわよ――そう言い残して立ち去った鈴鹿御前に大嶽丸は訝しんだ。手紙ぃ? お前が、俺にか?
「変な女だ」
「旦那はんほどやあらへんけどね」
隠れて見ていたらしい酒呑童子が、愉快そうに笑いながら言った。
鬼以外の既存の妖魔が消え去って。代わりに呪いと禍を帯びた人間が地に満ちる。
新しい日ノ本という入れ物には、新しく珍しいものが生まれるだろう。珍しいものを蒐集するのを好む酒呑童子としては、それが一等楽しみではある。
しかし、この鬼の行く末を特等席で眺めるのもまた、楽しそうだ。
妖しく笑う酒呑童子の様子に、やはり関心を示さぬまま大嶽丸は踵を返した。
支配した平安京になんて興味もない。
時代は変わる。
人間は変わる。
ただ、変わらぬ鬼がある。
新しい神代。人理に適合した神秘の形。
歴史は騙られ、偽りが記され、平安の世は続く。
呪い渦巻く時代の黎明、創世直後故の不安定。
鬼に代わり、妖魔に代わり、人から生まれる呪いあり。
――飛騨国にて、一体の異形が生まれ落ちた。
腕が四本、目が四つ、口が二つの仮想鬼神。呪い満つる黎明期に零れ落ちた――鬼神の落胤である。