吾郎の妹ポジになった転生者 作:とくめいです
「まあ、なんだ。そのサバイバルってなそんなに重大なモンなのかい?」
監督が聞くと、医者は口を動かしながら答える。
「
「ていうと?」
「例えばですが。誰か別の方と動いていて、エレベーターで上の階に行くとしましょう。あいにくエレベーターはほぼ満員。監督が乗るだけでブザーが鳴りました。この時乗れない別の方を見て、監督はどう感じますか?」
少し考えて、彼は『悪い、先行くわ』と答えた。
「そんな感じでしょうね。では場面を変えて、難破した船から逃げる時にやはりその別の方は定員オーバーで乗れませんでした。どう感じます?」
「そりゃあ……気まずいけど、命にゃ変えられんし。誰か他の奴を叩き落とすなんて出来ねえしな」
監督はそう答える。にこりと笑う医者は言葉を続けた。
「前者と後者の根幹は同じ感情です。その気まずさが、サバイバーズ・ギルトが抱く罪悪感の正体ですよ。ちなみに、監督は普通の人間のようですね」
「ふつう、か」
「笑いながら指を指すような人だったらどうしようかと思いました」
「さすがに、そこまでひどくねえよ」
監督はハイボールを口にする。実際、ちらりと頭の片隅に出たのは言えない。
『その方が面白そうな絵になる。』
職業柄かもしれない。けど、その選択は人として間違っている選択でもある。
「気まずさを覚えるのはその人がより良い人であるからです。自分の事を優先する人に、そんな感性は無いですから」
「……それはつまり」
社長が呟く。医者は食べる手を止めて言葉を続けた。
「人は周囲から疑われたり、嫌われたりするのを嫌がります。人からどう見られるのか。この気まずさはそういった類の劣等感が誘発しているのです」
それは当たり前の話である。
悪を望む人間はそこに利があるからだ。人を騙す、脅して言う事を聞かせる、奪うなどの犯罪に手を染める人間の大半は、やはりその事自体を内心で責めて悔いているのだ。
人は人に悪だと断じられたくない。そう見られるのも怖い。それこそが、この気まずさなのである。
「無論、反社会的な性質の人間もいるので一概には言えませんが。少なくとも普通の感性の人間なら、誰でも陥るものなんです」
彼は割子に手を伸ばす。三段重ねの割子蕎麦はそれぞれ違う薬味で食べるのが醍醐味だ。唐辛子とネギをかけて、そこに蕎麦つゆを注ぐ。
社長が呟くように問いかけてきた。それは独白とも言えた。
「俺がハルナを引き取ったのも、その罪悪感からなのか?」
「そうでしょうね。いくら可愛くても、アイさんを抱えている貴方がそこまでする理由は無いでしょう。一度施設に預けて、暫くしたら保護しに行くことも出来た筈です」
「……ああ」
「でも、その場で手続きまでして連れてきた。ハルナさんに対して覚えた気まずさを、アイさんがそうしてと言ったからとすり替えた。社長が善性の人なのは分かりましたが、同時に逃げ道も用意していた。狡猾ですね」
蕎麦をすする医者は悪びれない。それが当然だと言わんばかりだ。監督がそこに口を挟む。
「そりゃあ言いすぎだろ。良かれと思った事をそんな言い方……」
「別に悪いとは思いませんよ?」
やはり悪びれない言い方である。
「そういう理由があれば罪悪感からは逃れられる。それならそうすべきだ。私は社長のした事を非難などしません。むしろよく決断出来たと賞賛すべきだと思います」
手のひらを返す医者。一段目を空にして残ったつゆをそのまま下の段に移す。
「俺は、責められなくて、いいのか」
「何故です? 貴方は身寄りのない少女を慮った。アイさんの希望にも沿った。負担しか増えてないのにさらに責められたいのですか? ひょっとして、
感情を感じさせない医者の言葉。監督が声を荒げる。
「いや、だから言い方っ!」
監督は襟でも掴まんくらいに詰め寄る。さすがに言葉が過ぎると思ったらしいが、医者の方に焦りはない。つい、と顔を俯かせて蕎麦をすする。そして、三段目を空の容器に乗せた。
「これくらいで丁度いいと思いますよ?」
そして呟く。
「ああ?」
監督の恫喝に、何の理解もしないように。
「社長は悪くない。そう思うことが大事なんです。彼だって雨宮医師の事件の渦中にいた人です。サバイバーズ・ギルトに苛まれないとは限らない。先ほども言ったように、これは誰でも罹患しうる病です。女子供だけとは限らないんですよ」
しん……。
遠くで店員の注文を取る声が聞こえた。
「おまえ……」
社長はまじまじと医者を見た。
医者は顔を上げて社長に礼を言う。
「本来この言葉は雨宮医師が言うべきですが、彼は言えませんから。『ありがとうございます。ハルナさんを引き取ってくれて。寂しい想いをせずにすんで良かった』と」
雨宮医師とは生前に交流もあったらしい。当然、彼の人となりも理解しているだろう。
「……ありがとよ」
「私も同様に感じてます。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる医者。
「友人の娘さんを保護して頂いてくれたことに感謝を。彼の心残りはハルナさんだけです。他に身寄りはない者同士でしたから」
……社長のサングラスの下から滴るそれは、見ないことにする。
監督はハイボールを呷った。
苦いなにかを呑み下すように。
医者は瞑目する。
まるで祈るように。
「それはそれとして。実際、どうしたもんかな? 撮影とかに影響出ても困るしな」
監督がぽんやりとしながらそう聞いてくる。けっこう回ってるのかもしれない。
医者は先程注文した三杯目のビールを飲み干した。黒ビールのジョッキは瞬く間に消えて、次の地ビールのグラスに手を伸ばす。監督は少々呆れ気味だった。
「先ほど私の言った方策は、あくまでアイさんへの対処のみに限ったやり方です。実際、ハルナさんや子どもたちの心理面に多大な影響を与えかねません。なので最終的な対処法として考えて下さい」
確かにその通りだ。いま、彼女たちを引き離すとどうなるか。
アイはさらに自分を責めるだろうし、ハルナは自身のせいでアイが苦しむという事に責め苛まれるだろう。
子どもたちには言わずもがなだ。今までほとんど第二のママとしていたハルナが居なくなればどうなるか。いかにあの双子が物わかりの良い天才だとしても影響はあるだろう。
「社長に行ったようなカウンセリングみたいな手段で氷解する可能性もあります。ただこれは基本時間のかかるものですし、あいにくと専門家ではないので責任は持てません。社長も気になるならそちらへの受診を考えてみて下さい」
「ああ。まあ平気だよ。こう見えても面の皮が厚いからな」
社長がそう答えたことに医者もにこやかに答える。
「アイさんにそれを期待してもいいかもしれませんね」
「……というと?」
医者はラーメンに手を伸ばす。いや、蕎麦食ったあとにそれはどうかな、と監督は考えたが口を挟むのは止めた。今更だった。
「アイさんは強く、賢い。おそらく皆さんが思っているよりもずっと」
少し伸びたラーメンをかき混ぜる。監督が小皿を渡すとちょちょいと小分けにして渡した。
社長は顎を擦りながら考えていたので手振りで要らないと断る。
「彼女は過去の事を強い心で押し潰してます。本当の自分を、強い自分で覆い隠して。それは最強とも呼べる鎧です」
一口すすり、スープを飲む。うま塩というだけあってコクがある豚骨ベースの塩ラーメンは、多少のびてても十分に美味かった。
「『嘘は愛』。いい得て妙な響きですね。まさに今の彼女は『愛をまとったアイドル』です。その本質は……誰にも分かりません」
そこで彼は監督の方に視線を向ける。
監督は、口を開けていた。
「貴方はそれが気になっているのでしょう。だから『15年の嘘』というドキュメンタリー映画を引き受けた」
アイの本質。
それを知って、撮り収めたい。
アイに魅せられた憐れな監督の、それは人生をかけても為したい事になっていた。
「僕は医者なので、その欲求は分かりません。ただ、知識的な探究心は分かります。それはとても抗い難いモノです」
くすりと、笑う医者。
それは悪魔の笑みにも似ていた。
「アイさんが包みこんだ本質。それはおそらく……」
「おそらく?」
監督が鸚鵡返しに問いかける。
「……これはご自分で判断すべきことだと思います」
「なんだよ、ここまで引っ張って、だんまりかよ?」
苛立つ監督に医者は笑いかけた。
「貴方は監督ですから」
「はぁ?」
「弁ではなく映画で論じて下さい。貴方がどう思い、どう感じたか。それは私の言葉なんかより遥かに価値のあるモノになるはずです」
思わぬ医者からの激励。監督は鼻白んだ。
「アイさんは撮影もやり切るでしょう。おそらくその先も大丈夫です」
「信じて、いいのか?」
「もちろん。ですが予測不能なことはいつでも起きます。その辺りのケアは出来るように手配します。知り合いに専門医もいますし」
そうは言うが、医者はアイに関しては信じていた。それは二人きりでのカウンセリングにおいて得ていた確信。
アイの嘘は固く、壊れない。
おそらくは命を落とすその時まで。
もはや本質が、ほぼ見えなくなる程に。
『程度の差はあれ、誰しもしていること。可愛く、強い自分を創り出す。自己暗示によって出来た
医者は心のなかで独りごちた。
「じゃあ、企画は進めても構わないんだな」
社長が問いかけてくるので、医者は答える。
「まるで、私が総責任者みたいですね。私はあくまで専門外の医者ですよ?」
「いや、でもな……」
「アイさんなら平気です。今の彼女は『アイの偶像』そのものですから。むしろ……」
医者はグラスを見て呟く。
今までの偽悪的な微笑みが抜け落ち、無表情に近かった。
「周りの子達の方が心配です。『アイという偶像』が母や姉だと知った子たちはどう思うか」
「……」
「……」
押し黙る三人。またしても遠くの店員の注文が聴こえる。
「アクア君やルビーちゃんはまだ幼く、ハルナさんに至っては関係者です。脚本によってはハルナさんにスポットが当たるかもしれませんよね?」
医者は監督にそう尋ねる。歯切れの悪い言葉で監督は答えた。
「まあ、アイの人生に影響は出てるからな。外すわけにもいかない」
「ですよね……」
ここで社長が声を上げた。
「なら、やめるか」
「え?」
社長は少し汗をかいていた。
「よく考えたら、まだ二十歳にも満たない子供のドキュメンタリーだぜ? あいつの企画を消すのも出来なくない。俺が握り潰せばいいんだ」
彼にしてみれば苦渋の決断かもしれない。娘のような子の企画が、その子どもたちと新たな娘に悪影響を及ぼしかねない。自分が悪者になれば守れるのではないか、と。
だが、監督はそれに待ったをかけた。
「いや、やろうぜ。社長さん」
「だが……!」
「アイがなんでこのタイミングで企画を立てたのかが重要なんじゃねえのか? 未成年のうちに、自分の半生を見つめ直す。そのためじゃねえのか?」
「それと、自分の子供たちを天秤にかけてか? ハルナだって妹みたいに可愛がってるじゃねえか。なんでそいつをブチ壊すような……」
社長の声は慟哭のようだった。
社長の肩に手を置く医者。そして静かに話しかけた。
「アイさんは信じたんですよ」
「……はあ?」
医者は言葉を続ける。説き伏せるように。
「
社長は俯いた。先ほどの語勢はどこえやら。黙って聞くだけである。
「それを伝えたいのだと、思います。苦しいこと、かなしいこと、辛いことも含めて全て。アイさんも言葉で伝えられないと考えたから、こうした形を取ったのだと思います」
『それが本心からなのか、はともかく』
医者は言葉を飲み込んだ。彼女の本質を理解し切れない以上、そう但し書きをしないと始まらない。
──医者は、やはり『偶像』に焼かれたただのファンであった。問題を理解しつつも推しの魅せる輝きを見たいと心を焦がす、熱心な信者でしかなかった。
そして頷く社長は。
彼も『偶像』に焼かれた一人だ。
そうでないなら、この企画を動かす事はしなかっただろう。
他の子どもたちのことを考えれば止めるべき立場であったが、その思考を放棄した。
監督は言わずもがなであった。
撮るべき対象が出した企画を、何故突っぱねるのか。欲求に正直な普通の人は、他の家族のことなんて考えない。それはその家で解決すべき問題だと理解しているから。
とどのつまり、彼らは同じ穴のムジナであった。
この作品がアイや子どもたち、そしてハルナにどんな影響を及ぼすのか。
それを知るのは、神のみぞである。
社長
アイに焼かれた最初のひと。さらにそれを進化させた張本人でもある。基本的には善性に寄るので葛藤に悩むことも多いけど、利益と欲求が重なるとそれも塗り潰す。それが大人なんでしょうね(クスッ)
監督
アイに焼かれたひとその2。映画で撮っていて対象にのめり込むその姿は、欲求に素直な普通の人。リスクが少なければ助けもするけど、それが勝てば容易に手を離せる。それでも情が深いので関係の深さによっては助けるかも。それも大人らしさだよね(クスッ)
医者
アイに焼かれた人その3。理屈を捏ね回す偽善者で、自身のリスクと欲求を天秤にかけて冷静に判断できる普通の人。知的だけど、本質的には信用ならない大人のいい例だよ(クスクス)