吾郎の妹ポジになった転生者 作:とくめいです
『嫌いっ、大っ嫌いっっ!! アンタなんて死んじゃえばいいんだっ!』
アイさんの控室に向かったのですが、中では何やら不穏な発言が聞こえました。今日はライブ・ツアー初日の公演で、私もゲスト枠として呼ばれましたが、本来の主役は彼女達B小町です。
彼女たちの中に怪しい気配があったのは確かですが、ここまで深刻な発言をしている場面に
結果として部屋を退出する人物と
「何よ、盗み聞き? この泥棒猫」
私の前に居たのは、ニノさんでした。
普段はにこにことして小動物的な可愛さに溢れる彼女の目には涙が溢れていて……正直、言葉を失いました。
そんな私を押しのけるように部屋を出る彼女。
憧れたアイドルとして大きく見えていた彼女が、実はほぼ変わらない体躯だと気づきます。というか、私も成長していた、ということなのでしょうか。
「変なとこ、見せちゃったね」
アハハと力なく笑うアイさん。
手にしたアイスのスプーンは何時ぞやの頃から愛用している食べやすくなる物です。
わたしは用件を伝えます。
「あの、ゲネプロ始めるそうですが……」
ゲネプロは全体の確認のために大事な工程ですが、明らかにモチベーションの低い状態だと悪影響を残す可能性もあります。見た目は変わらなくても、その雰囲気からよくないのは分かります。
ですが、アイさんは気にもしてない様子で私に返事をしました。
「うん、ちょっと待ってて」
そう言うと、人差し指でこめかみの辺りを押さえて瞑目するアイさん。
時折やる仕草だけど、これは一種の自己暗示に入るルーチンだと最近気が付きました。
暫くして目を開くと、そこにはいつもの自信に満ちた輝きが宿っています。完璧なアイドルを演じるということは、彼女にとってはもう当たり前なことなのです。
「よし、っ! オッケー、イケるよ♪」
そうして、いつものアイさんは力強く笑います。そこにいたのは自信に満ちて、揺るがない、無敵のアイドル。不安気な様子は翳りもなく、飄々とした様子でもあります。
でも、なぜでしょう。
その背中がとても小さく見えてしまい。
「え……」
わたしは。
アイさんに抱きついていました。
「ハ、ハルちゃん?」
「……」
気の利いた言葉も出せず、私は黙りこくってしまいました。普段勉強ができると言われても、こういうときには役に立たないものです。
アイさんはそんな私の頭を、ぽんぽんと叩いてくれます。
まるで。
あの人が、そうしてくれたように。
「わたしは無敵、わたしは最強、わたしは完璧……なんでしょ?」
それは、キャッチコピーとして言われているだけ。本当の
わたしが来た時。
抱きしめて泣いてくれたのは嘘じゃなかったのですから。
ゲネプロは恙無く進行していきます。さすがはアイさん、あんな言葉を叩きつけられた後でもいつもと変わりません。逆にニノさんの方こそ調子を崩してます。この辺りにこそ、二人の超えられない壁があるような気もします。
ゲストとしての自分の出番も終わり、最後のフィナーレに向けてのラッシュに入ります。私もバックダンサーの一員として踊ります。プロの方たちの足を引っ張らないためにも、何度も練習をしてきました。
『ハル、少しアクション落とせ』
どうも飛ばし過ぎていたようです。舞台監督からの指示に従います。大きな音が響く現場では肉声は届きませんしマイクを使うなどもっての外です。インカムだけが頼りです。
『曲が終わる。メインM3、バックG3定位置へ。照明切り替え十秒』
舞台の上には、幾つもマークが描かれてます。B小町にはM(マゼンダ)、バックダンサーはG(グリーン)と違う色が割り当ててますが、そこが演目による開始位置です。照明が切り替わっている間に素早く位置を変え、そこから次の曲へと移ります。
『次の曲間約三分半、バックダンサーはけろ』
舞台監督の指示に従い、私達は舞台から降ります。ここはたかみーさん、ニノさん、渡辺さんの三人のトーク部分です。アイさんと他三人も一緒に掃けて衣装の着替えになります。
この衣装替えというのは、いつもながら戦場のような有り様です。
素早くステージ衣装を脱ぎ去り、手早く汗を拭いてます。メイクさん達は着替えている間に動く彼女たちのメイクを整えていきます。まさに神業です。アイさんもあられもない姿ですが、これもいつも通りのこと。ライブの裏側は、いつもこんな騒ぎなのです。
『あと三十秒。イケるか?』
「はい、いくよ」
「「「はいっ」」」
アイさんの声に三人が力強く答えます。みーりゃんさんがこちらに向かって手を振りましたのでお返しをしておきます。がんばって。
ここからしばらくはバックダンサーに出番はありません。ですが自分は着替えに入ります。
「ハルさん、お久しぶり」
「よろしくお願いします」
STARRY the Moonでの仕事でお世話になったメイクさんに挨拶を交わします。衣装も着替えつつですが、さすがプロですね。淀みがありません。
「若いってイイわね。肌艶ぴちぴちじゃない」
「そんな事ありませんよ?」
実のところ、この仕事を始めてからは肌荒れも多くなりました。それまでは化粧水要らずでしたのに。
「それが若さなのよ〜。すっぴんがホントは一番なんだから」
そう答える彼女はまだ二十代の筈です。でも、そうですね、と答えます。
「綺麗よ。本番もその調子でね」
「はい」
背中を叩かれて、送り出されます。私の出番はもう少しあと。それまでは近くで待機することになっています。
「ハルねー」
「!」
すると。
そこに社長とアクア君が来ていました。
「アーくん」
「復帰初ライブだからね。無理言って来ちゃった」
「ルビー達は席の方だ。ミヤコに任せてるから安心しろよ」
アクア君はにっこりと、社長は元気付けるように微笑んでます。私はアクア君に近付いて、しゃがみ込みます。
「あの……わたし、綺麗ですか?」
いつもなら、聞けない事柄ですが。この場なら聞いても良いかと思ってしまいました。
「うん。綺麗だよ、ハルナ」
アクア君は、さも普通に答えてくれます。じわりと優しさが染み込んできて……思わず、抱きしめてしまいます。
「ハルねー……」
「少しだけ。お願いします」
アイさんとニノさんの諍いは、結構ダメージがあったようです。癒やしの存在があれば縋ってしまうのは、いわば必然でした。
ぽんぽん
背中を叩く、小さな手。
「気負わなくていいんだよ。いつも通りなハルねーで」
顔立ちは全く違うのに、その面影はまさしく彼でした。私は、顔を寄せ……
「え」
「ありがとうございます、アーくん。いつも通りにやってきますっ!」
素早く立ち上がり、そう答えます。欧米では家族へのキスは親愛の証ですし……これくらいなら、問題ありませんよね?
・・・・
「おい、アクア行くぞ」
「あ……うん」
ま、間違いない、よな。
おれ……ハルナに、キ、キス……されたの、か?
右の頬に残る微かな温もり。
初日公演のために応援に来たんだけど、とんでもない贈り物を貰ってしまった。