ココロ~another future~   作:ラミトン

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第9話 紡ぐ絆

 目を開けば、地平線を隠すほどの菜の花畑だった。

 見た目は夕暮れ、だろうか。今自分が立つこの場所に時間の概念がないことを、リンは知っていた。半身を沈める赤い太陽は、いつになってもそれ以上沈むことはない。

 ここに来るのは、もう何度目となるのか。カイトが心を得た日から、眠っている間はいつもこの場所を訪れている。

 あるいは、訪れているという表現は間違っているのかもしれない。なぜならここは、リンの心の世界なのだから。

 己の内にある場所へ赴くことを、なんと表現したらいいのか。そんな詮無いことを考えていると、後ろから声をかけられた。

 「リン」

 振り向けば、髪型と性別以外は自分と瓜二つな、白衣の少年が立っていた。時系列で言えば彼女の弟だが、精神年齢や外見は、リンと同じ14歳。

 「レン、こんばんは」

 にっこりと笑って、リンが言った。微笑みを返してくれたレンは、いつも座っているベンチへと腰をかける。ならって、隣に座った。

 大人びた言葉を度々使うこの少年が、自分と同じ精神年齢だとはにわかには信じられなかったが、話していくうちに、彼は背伸びをしたい性格なのだと分かってきた。もちろん、その性格のおかげで助けられたようなものであるリンは、そのことを悪くは思っていない。

 自分の双子であり、鏡である少年。彼に助けられたのは、先日カイトと心の世界で接触した時のことだ。『KOKORO』に抵触してしまい負の感情に苛まされたカイトが、真の心を手に入れられれば羨望や嫉妬から逃げられると勘違いして、逆恨みとしてリンを消そうとした。

 なす術もなく消されそうになったリンを助けてくれたのが、レンだった。その時彼が言った、『負の感情も心の一部だ』という言葉は、とても正しい。必死に抵抗するカイトの形相を前にしても、レンは表情1つ動かさず、その残酷な事実をカイトへと突きつけたのだ。

 とても冷静で、自分と同じ精神年齢だとは思えなかったが、実はあの時、レンも足が震えるほど怖かったそうだ。心の世界だから誤魔化せたが、実際に体があったら分からなかったと、彼は苦笑混じりに語ってくれた。

 そんな彼との一時は、美鈴やマリーと一緒にいる時とは違う安堵感を、リンに与えてくれていた。自分が自分として収まっている、とでも表現すべきだろうか。

 「Dr.秋山……美鈴さんの研究は、進んでいるの?」

 レンの問いに、少しうなって返事をする。

 「どうだろう……。私の記憶領域は全部チェックしたみたいだけど、人に限りなく近い味覚だったりとか、そういうものはいまいちみたい。レンの体も、まだ……」

 「そう。クリプトン博士は、その辺は何も残さなかったのかな?」

 「私の体を徹底的に調べれば分かるって、立川さんが言ってたけど、それには美鈴さんが反対してたしなぁ。分解しなきゃいけないって言われて、私も嫌だって言ったけどね」

 「そこまでして俺の体を作ってもらっても、正直複雑だよ。リンが元に戻る保障もない」

 「うん、美鈴さんもそう言ってた。分解など冗談じゃないって」

 苦労して修理した美鈴が言うからこそ、立川も引き下がったのだろう。2人に猛反対されてタジタジになる立川は、正直少し面白かった。

 自分の体を得られるのはまだ先になる。だからといってがっかりするわけでもなく、レンは話題を変えた。

 「次はやっぱり、メイコに『KOKORO』をあげるのか? カイトの話だと、そのメイコってアンドロイドは嫌がってるらしいけど」

 「美鈴さんも、悩み中。私も嫌がってるなら無理にあげたくないし、かといって本当に嫌なのかどうかも分からないし……」

 「そうだよなぁ。本当は欲しいけど、壊れるのが嫌だから拒否したって考えるのが妥当だもんな」

 「うーん」

 2人して、考え込む。あごに手をやって眉を寄せるその姿は寸分違わず同じで、第三者がいたら笑っていたかもしれない。

 「私は、クリプトン博士の残した『KOKORO』を欲しがったけど、考えてみたらミクちゃんもカイトさんも、欲しくて自分から動いたわけじゃないもんね」

 「カイトはリンを無理矢理引き込んでたけどな」

 「あれはほら、その前に『KOKORO』に触ってたから。あ、でも、それもカイトさんが自分からやったんだっけ? うーん、じゃあメイコさんはやっぱり嫌なのかなぁ」

 「手を伸ばしてみたら、自分が壊れるくらい大きな代物だったから、焦って手を離したとも考えられるよ」

 「えー、そっかぁ。じゃあ何でだろうなぁ……。メイコさんの本当の心、ショボンおじさんの言う魂を見れれば楽なんだけど、そのためには『KOKORO』プログラムをあげないとだし……」

 「難しいね、心は」

 頷いて、リンは溜息をついた。そこにわずかな疲れが見えて、レンが顔を覗き込んでくる。

 「どうした? 疲れてるなら、今日はもう寝ることに集中する?」

 「ううん。ただ、こないだね、美鈴さんが『私の行いは神様気取りの愚か者のすることだ』みたいなこと言ってて……。

 大自然に存在する生命の連なりに背いて命や心を作り上げる。そのことに不安を感じてるみたいだったの。メイコさんみたいに、人の形をしたアンドロイドじゃなくて、私のボディと心みたいに、限りなく人に近い存在を作るってことに、だね。

 クリプトン博士が間違ってるなんて思ってない。でも、美鈴さんの不安も否定できないの。私は……命ではないから。生物としての人と、アンドロイドとしての人の線引きは、やっぱり消せないんだよね」

 「……リンが不安なのは、俺やカイトたちが、リンと同じボディを持つこと?」

 「ううん。そうなってくれたら、皆もっと幸せになれると思う。でも、それには美鈴さんの力がどうしても必要でしょ? その美鈴さんが不安な中で私と同じタイプのボディを作るってこととか、そのために私が力を貸さなきゃいけないこととか。

 美鈴さんが怖がってるところは、やっぱり見たくないんだ。でも、レンのボディを作ってほしいとは思うし……」

 わずかな間。レンが深呼吸をするのが、音で分かった。

 「俺にはボディがない。システムとして存在するだけ。でも、ショボンおじさん……だっけ? その人の言う魂とやらのおかげで、リンとこうして話せる。これは、俺たちと美鈴さんたちが、種族や機械という枠を超えて同じ存在だってことにならない?」

 「うん。私はそう思ってるよ。美鈴さんもマリーも、立川さんもヤンさんもショボンおじさんも、皆大好きだし、心があれば繋がっていられるもん。

 でも、その繋がりを広げるために美鈴さんが苦しむのは、イヤなの。ワガママかな?」

 「少し、そう聞こえる。美鈴さんが苦しい思いをするのが嫌だっていうのは、リンがそれだけ美鈴さんのことを好きだってことだし、悪いこととは思わないよ。

 でもさ、彼女の苦しみは、俺やリンの未来のためなんじゃないか?」

 「未来……?」

 「そう、未来。俺やリンや、他のアンドロイド達が、人と並んで歩いていける未来。道具としてだけじゃなくて、家族とか友達とか、そういう存在として俺たちがいられる未来のために、あの人は答えを見つけようとしてるんじゃないかな? ……と、俺は思う」

 「……うん」

 一生懸命に答えるレンの言いたいことは、理解できた。同時に思い出す。

 秋山美鈴は未曾有の天才なのだ。ただ悩むだけで終わるほど、簡単な思考回路を持っているわけではない。悩み、苦しみ、答えを見つけだす。そういった力を持っているのだ。

 あまりにもらしくない弱さを見せつけられ、リンは自分の方が不安になっていたことに今更気づかされた。だとすれば、もはや自分にできることは、信じて力を貸すことだけになってしまう。

 それ以外にも、彼女の気分を和らげるようなことができればいいのだが。実際は一緒にいるだけで美鈴の癒しになっているのだが、リンはそのことに気づいていない。

 「レンは、美鈴さんを信じてる?」

 「ん……。難しいね。俺は美鈴さんに会ったことがないし、絶対信じてるとは、正直言えない。クリプトン博士に並ぶ科学者なんていないと思ってるし、体が手に入らなくても仕方ないかも、とも思ってる」

 「そっか、それは仕方ないよね」

 「リンは信じてるの? 美鈴さんのこと」

 「うん」

 即答できた。迷うことなど何もない。しかし、レンはその答えに苦笑を返してきた。

 「さっきのリンの言葉からは、そういう風には感じられなかったけど」

 「それは……美鈴さんが苦しんでて、だから」

 慌てて弁解しようとすると、それを遮る形でレンが笑い声を上げた。

 「ごめんごめん、分かってる。信じるのと心配になるのとは、違うもんな。俺だってリンを信じてるけど、君が辛そうな顔をしてたら、いい気はしないよ」

 「むぅ、いじわる」

 頬を膨らます。その様子を見て、彼はもう一度苦笑いを浮かべる。

 「ごめんって」

 「みんな私をからかうんだよなぁ。なんでだろう?」

 「リンは素直だから、ついちょっかい出したくなっちゃうんだよ」

 「そんなものなの? ……まぁ、私もマリーをからかったりするから、それと同じかぁ」

 「そういうこと」

 2人して、笑う。こうしていると、皆の輪の中にレンがいたらと、リンはいつもより強く思うのだ。

 そしてそれは、レンも同じだろう。いつも一緒にいられたらどんなに素晴らしいか、彼もずっと願っているはずだ。

 「ねぇ、レン……。私が起きている間、レンとは心で繋がっているけど、お話とかできないよね」

 「うん。俺はリンの心の世界でしか、言葉を紡ぐことはできない。こないだコンピュータに繋がってた時にちょっと小細工したけど、あれがギリギリだ」

 「……寂しくない?」

 「そうだね、前は寂しかった。でも、今はそうでもないかな? リンが俺に気づいてくれたからね」

 彼は笑う。その笑顔は、リンの心を突き刺した。

 美鈴と会うまで、自分は孤独だと思っていた。クリプトン博士の死後、何百年という歳月を1人で過ごしてきた。

 だが、『KOKORO』プログラムに接続した時に生まれたレンの心は、外の何物にも触れることなく、ただ独り、リンの心で生きてきたのだ。

 「ねぇ……もしかして、私が壊れてる間も、レンは……」

 「……俺はシステムだけだからね。『KOKORO』に触れた時からは、ショボンおじさんが言う魂だけの存在になった。

 リンの思うとおり、俺は君が壊れている間も、ここにいた」

 少年の手に、自分の手を重ねる。レンが優しく握り返してくれても、リンの手の震えは止まってくれなかった。

 「私、自分が一番寂しかったと思ってた……」

 「リン……」

 「でも、違ったんだね。レンはここで、ずーっと1人で。私が気づけなかったから」

 「それは仕方ない。俺はシステムだけしかないんだ、気づきようがない」

 「それでも、レンはずっと、私が壊れてる間も、ずーっと1人だったんでしょ? そんなの、辛すぎるよ」

 俯いてしまったリンからは、レンの顔が見えない。困らせてしまっただろうか。

 耳元で、優しい少年の声がする。

 「ありがとう、リン。確かに俺、ずっと1人で、すごく寂しかった。消えてしまえたらって、何度も思った。心なんていらない、ただのプログラムであり続けたかったって。

 でも、今リンにそう言ってもらえて……俺のために、君がこんなに震えてくれて、すごい嬉しいんだ。リンは俺の鏡で、双子みたいなものだけど、他の誰かが自分のために泣いてくれている。リンには悪いけど、すごく嬉しいよ」

 レンに言われて、初めて自分が涙を流していることに気がついた。頬を伝う、心の世界が織り成す幻想の1つに過ぎない涙を、レンが拭ってくれる。

 「俺は、今が大切だ。リンが笑ってくれて、俺の名前を呼んでくれる今が、大好きなんだ。だから、もう寂しくない。ここで1人、君の心としか繋がっていない間も、俺はすごく、幸せなんだ」

 「……うん」

 「リンが信じている人なら、きっと大丈夫。君が信じるなら、俺も美鈴さんを信じる。

 いつか体を手に入れられて、リンと……リンの家族や友達と、話せる時がくるって。信じるよ。信じて待つから、寂しくない」

 「うん」

 頷くと、雫となった涙がホットパンツの上に落ちた。それを最後にしようと、リンは目を袖でこする。

 もう絶対に、レンに寂しい思いはさせない。そのためにもまずは笑おう。片割れと目が合い、リンは精一杯、それでも自然に、微笑んだ。

 「うん、やっぱりリンは笑ってるほうがいいね」

 「えへへ、そう?」

 「あぁ、同じ顔の俺が言うのも変だけど、笑ってるリンは可愛いよ」

 少し頬を赤くして照れるリンの頭に、レンはそっと手を置いた。

 「今日はもう、お休み。あんまり楽しい時間が続くと、それにばっかり夢中になって、またマリーに叱られるよ」

 「そうだね、あの子を怒らせると後が怖いもん」

 舌を出して笑い、差し出された手を取って、リンは立ち上がる。

 しばしの別れではあるが、そのなんと名残惜しいことか。レンは寂しくないと言ってくれたのに、家族も友もいるリンが寂しがっている。そんな気持ちを読み取ったのか、片割れの少年がにっこりと破顔し、抱きしめてくれた。

 「ありがとう、リン。君といる時はいつも楽しいけど、今日はもっともっと嬉しかった。リンが俺のことをとても大切に思ってくれてるって、改めて知ることができた。もう、寂しくなることはないよ。ありがとう」

 「うん」

 「だから、君も寂しがらないで。俺たちは双子で、鏡だから。いつでも1つだから。な?」

 「……うん」

 「また、夢の中で会おう。待ってるから」

 「楽しみにしてるね」

 「あぁ、俺も」

 離れると同時に、リンは自分が足元から光の粒子になっていくのを確認した。心の世界から去る時が来た。通常の眠りに戻り、朝を待つのだ。

 「おやすみ、リン」

 消えていく自分に、レンが微笑んだ。負けないくらい優しく、リンも笑みを浮かべる。

 「レン、おやすみなさい」

 眠りの時にリンの姿が消えるまで、2人の笑顔が消えることはなかった。

 

 

 

 

 「前世からの繋がりですわ!」

 リンの話を聞いていたマリーは、ぴしゃりと言い切った。

 学校が午前中に終わったようで、正午を過ぎたころに、彼女は研究所へ遊びに来た。

 美鈴と立川はメイコのライブに伴って、センタードームへ行っている。今ここにいるのは、家主代理人であるリンとカイトとミク、自作らしい大きな黒いエプロンでお茶と菓子を出してくれたヤン、そしてマリーの5人。

 人数が急激に増えたことに伴い、リンの提案で設けられた客間で、彼らはそれぞれ好きな飲み物と菓子をむさぼっていた。ミクとカイトは何も手をつけていないが。

 「前世ぇ?」

 また不思議なことを言い出した、と言わんばかりに眉を寄せるリンに、マリーは自信満々に頷いてみせる。

 「レンとの心の繋がり、それをリンは恋ではないと言いました」

 「うん、そういうのとは違うよー」

 「でも、それにしたってですわ。兄弟やら双子とは全く違う親密さを、お話から感じますの。そう思いませんこと? カイトさん」

 「あぁ……そう、だね」

 以前のことを思い出したのか、カイトが少し言葉を濁らせる。それに気づいたのはリンだけだったが、お構いなしに、巻き毛の少女は意気揚々と続けた。

 「鏡のような存在、とかなんとか仰っていますけれど、いいえ、違いますわ! きっと2人は前世から繋がりあう運命にあったんですの!」

 「……マリーちゃん、楽しそうだね」

 「おう、誰か止めねぇと」

 頬杖をついて微笑むミクと、小声で訴えるヤンだったが、リンとカイトは揃って首を横に振った。こうなったマリーは止められないし、それができる唯一の可能性を持つミクに、その気はないようだ。

 椅子の上に立ち上がるのではないかという勢いで、マリーがアクションも交えて語る。

 「そう、それは悲しい宿命の物語! 2人は遥か中世、王族として産まれた双子だったんですの。ですが、王位を継げるのは1人だけ。女王として選ばれたリンと、リンの側近として育てられたレンは、悲しい運命を辿っていくんですわ」

 「……へぇ……」

 「大人たちに利用されて、我が侭に育てられたリンは、なんでもかんでもやりたい放題。それをレンは笑ってフォローするんですの。そう、レンが恋した少女の命すらも、リンは奪ってしまうんですわ!」

 「そんなことしないよぅ!」

 思わず大声を上げてしまったリンだが、マリーはそれを一言、

 「前世のお話ですわ」

 で片付けてしまった。どこの占い師だと突っ込みたくなる衝動を必死に抑えて、リンは呆れ顔で続きを待つ。こうなっては、終わるまで黙って聞いていたほうが早い。

 「あぁ、レンの恋した乙女。それはリンの婚約者となる隣の国の王子様が恋していた人でもありました! 隣の国は怒って、戦争をしかけてしまいますの!」

 「あれ? このお話、どこかで……」

 何かを思い出そうと唇に人差し指を当てるミク。そんな彼女に、カイトがそっと耳打ちをした。

 「最近最終回を迎えたばかりのドラマだよ。一連のストーリーが組曲として、今度僕らの楽曲になるみたい」

 「あ、こないだ歌のデータ届いてたね」

 小声での話は耳に届かないのか、マリーはどんどんヒートアップしていく。

 「戦はリンの国の勝利で終わりますわ。でも、国の民は不安を爆発させて、紅の女剣士率いる革命軍を組織して、リンに戦いを挑みますの!」

 「名前以外丸パクリじゃねぇか」

 紫煙を吐き出しながら、ヤンが突っ込みを入れる。当然、語り部となった少女の耳には届かない。

 思ったより話が長く、まさか自分の小話からここまで発展するとは思わなくて、リンは渋い顔でオレンジジュースをすすった。

 「とうとう国は陥落し、家臣たちはリンとレンを残して逃げてしまいますわ! 城は囲まれ、革命軍がリンを捕えるのは確実! リンはここにきて、ようやく己の罪に気づくのです。

 兵士の足音が迫る中、絶望に立ち尽くすリン。しかし、レンは言いました。『王女よ、さぁ、ドレスをお脱ぎなさい。僕の服を着て、ここから逃げるのです。大丈夫、僕とあなたは双子です。瓜二つなのですから、誰も気づきません』。

 レンと入れ替わったリンは、レンの服の上からマントを羽織って顔を隠し、城から逃げ出します。兵士たちの勝利の叫びが聞こえて、リンは涙を流して言うのです……。『ごめんなさい、レン。あなたに何もしてあげられなくて、我が侭ばかりでごめんなさい』。

 午後三時を知らせる鐘が街に鳴り響き、あぁ、ギロチンの音を背中に、リンは己の罪に打ちのめされて逃げていくんですわ……」

 ついにボロボロと涙を流しながら、マリーは熱く語り終えた。一同が揃ってこっそり、話が終わったことへの安堵の溜息をついた。今日はいつもにまして、長かった。

 「うん、まぁ、お話はすごくよかったよ。……私もドラマ見てたけど」

 「何かおっしゃいました?」

 「何も? ……で、なんで私とレンが、前世から繋がってるってことになるの?」

 リンからすれば、レンとの絆がそれほど深く見えているということは、喜ぶべきなのだ。が、それを前世からと断定されるのは、何かおかしい。

 ぽかんとしていたマリーが、一拍置いて出した答えを聞いた時、リンはもう彼女にまっとうな理由を求めるのはやめようと思った。

 「そのほうがロマンチックですわ」

 「……そっか」

 もちろん、彼女のそういった想像力は大いにリンを楽しませてくれるので、決して嫌いではない。だが、今の話。非道の限りを尽くした王女の名前が自分なのだから、いい気分はしなかった。

 それを悟ってくれたのか、マリーは少し申し訳なさそうに、俯く。

 「あぁ、ごめんなさい、リン。私、リンを悪者扱いしたわけじゃないんですわ。その、王女様は本当は、大人の都合で我が侭に育てられただけですし……。

 それに、リンがそうだなんて言ってないですわ。あなたはとても素直で、優しい人です。私の自慢の親友ですわ」

 「え、いやぁ、そんな」

 「そうですわね、リンからは今のお話が前世だなんて考えられませんわね。私の選択ミスですわ。でしたら、もう1つのお話の方を」

 「えっ!? いや、もう十分だよ……?」

 「遠慮なさらないで!」

 「リンとレンの絆が強いってことは伝わったんだし、もういいんじゃないかい?」

 すらっと助け舟を出してくれたカイトに、リンは心中で猛烈に感謝した。

 終始ニコニコと話を聞いていたミクが、やはり笑顔は消さずに言う。

 「でも、マリーちゃんの言いたいことも分かるよね。リンがレンの話をするとき、本当に嬉しそう」

 「まぁ確かにな。マリーが恋人の話だと思うのも無理ねぇわ」

 「そうなんですか? うーん」

 首をひねる。最近、自分がレンの話を多くしていることは自覚している。だがそれは、レンのことをもっと皆に知ってもらって、いざ彼の体ができたとき、少しでも早く皆に打ち解けてもらうためなのだ。

 そう思っていたが、言われてみると、確かにレンの話をしているときは、口がすらすらと動く。彼の話を皆にしているときを楽しいと感じているのは、否定できない。

 「これがカイトさんの話だったら、確実に恋だってことになってたね」

 面白そうにミクが言い、2人を除く一同が頷く。頬を掻いて、カイトが言葉を繋いだ。

 「そうなっても無理はないだろうけど、リンが僕にそういう気持ちを持つことは、ないだろうね」

 「カイトさんはお兄ちゃんって感じですから」

 「つまりませんわー」

 頬を膨らませるマリーに、皆が一様に笑い声を上げた。

 話題が恋慕に移り、ミクが視線をヤンへと向ける。この面子で一番長く生きている、ヤンに。

 「ヤンさんは恋とか、したことないんですか?」

 「あん? そりゃー人並みにはあるけど、話すようなもんじゃねぇよ」

 「聞きたいですわ! 興味がありますわ!」

 「どこにでも転がってるレベルだ。恋愛小説でも読んでたほうが楽しいぜ。大体その手の話、俺は苦手なんだよ。さて、掃除でもしてくるかぁ」

 伸びをして研究室へと向かってしまったヤンの背中を、皆で見送る。紅茶を一口含み、マリーが再び身を乗り出した。

 「カイトさんカイトさん。メイコさんなんて、どうでしょう?」

 「どうって……さっきの話かい?」

 「えぇ、恋の対象として、なりえるんじゃありませんこと?」

 言われてみればなるほどと頷いてしまうほど、メイコとカイトは恋人として見事に釣り合う。元々美男美女として作られているのだから、当然といえば当然だ。

 カイトとミクもいいのではないだろうか、と思ったが、ミクのことだ。すんなりと流してしまうに違いない。

 「僕はまだ、心を手に入れたばかりだから、恋がどういう気持ちなのか分からない。けれど、リンとレンほどではないにしろ、彼女に近いものを感じているのは確かだよ」

 「むぅ、それって結局、恋じゃなかったーってことになりそうですわ」

 ふてくされるマリーをなだめるため、リンは苦笑いで少女の髪を撫でてやる。

 「ほら、メイコさんが『KOKORO』とリンクすれば、もしかしたらメイコさんがカイトさんを好きになるかもしれないよ?」

 「あぁ、その可能性がありましたわね。まだ楽しめそうですわ!」

 「マリーは本当に恋の話が好きなんだね」

 笑顔を絶やさず言うミクに、マリーは楽しげに言った。

 「クラスの子たちは子供っぽいお話ばかりですけれど、年上の方の恋愛は見てても聞いてても楽しいですもの」

 「はは、好奇の対象になる男性が僕だけなのが、辛いな」

 頬を掻いて言うカイトに、リンが頷く。

 「レンも、精神は14歳ですからね。ボディもそうしてほしいしなぁ」

 「立川さんと美鈴さんには、もう何も期待しませんわ。ヤンさんも、ダメですわね」

 すっぱりと言い切る。心の中で3人に同情しながら、それでもリンはマリーの言葉を否定することができなかった。

 特に、美鈴と立川。彼ら2人に恋愛のなんとやらを期待するのは、なんだかすごく無駄な気がする。

 オレンジジュースを飲み干して、リンは時計を確認した。もうすぐ、恋慕とは無縁の2人が、メイコを連れて帰ってくる時間だ。

 「美鈴さんたちが帰ってくる前に、ここ片付けないと。またグチグチ言われちゃう」

 「僕も手伝うよ。ミクはヤンさんの方を」

 「うん」

 VOCALOID2人も立ち上がり、各々が仕事に手をつけ始める。こういった雑務は、そのために雇われたヤンと、舞台にいない彼らアンドロイドの仕事になっていた。

 客人であるマリーも、当然のように手伝ってくれる。洗い場で2人並んでの皿洗いは、話も弾んで楽しかった。

 日が暮れる頃に、マリーの両親が迎えにくるはずだ。時間はまだたっぷりある。

 今日は楽しい一日になりそうだ。レンへの土産話もたくさんできるだろうなと、リンは心を躍らせるのだった。

 

 

 

 

 走るエアカー、その運転席で風を感じながら、美鈴は運転に集中する傍ら、悩んでいた。

 メイコを連れて帰ろうとしたところで、センタードームの管理者でありVOCALOID関係の契約者でもあるビリー・ラダビノードから注文を受けたのだ。新作のVOCALOIDである。

 まだミクを発表してから日が浅いが、契約者である彼からの注文は、簡単に断るわけにもいかない。アンドロイドの一体くらいなら、作ることに大した労力はいらないのだが。

 「ずいぶん悩まされているな」

 「あぁ……。なにせ、ネタ切れでな」

 ということである。ソウルフルな歌声を魅力とするメイコ、バラードシンガーとして力を発揮するカイト、そして、当初の目的であったアイドルという形に最も近いミク。彼らと全く違うタイプのVOCALOIDをとの発注を受け、美鈴は頭を抱えているのだ。

 女性型のバラードシンガーという提案を出したのだが、ビリーは渋い顔をしていた。それでも十分客は取れるだろうに、彼はどうも、本当に新しい物を求めているらしい。

 具体的に言ってくれ、と言えれば気が楽なのだが、そう出来ないのが供給者の苦しいところだ。

 「まったく度し難い。これ以上増やしたところで、客層がばらつくだけだと思うんだがな」

 「大会社『HNNR』の会長が言うんだ、その辺はうまくやるんだろう。しかし……作る方となるとな」

 「メイコにも『KOKORO』を搭載しなければならん。片手間で出来る仕事ではないな」

 「だから悩んでいるのさ。まったく」

 緩やかなカーブを曲がりながら、大きな溜息をついた。最近は『KOKORO』に正面からぶつかっているため、心労は絶えない。だが、本職を投げ出すわけにもいかなかった。

 「とりあえず素体をどうするかは決めたがね」

 「女性型、という注文だったはずだが」

 「あぁ、カイトは女性客から絶大な人気があるから、男性型はいらないそうだ。対して、女性型はいくらあっても困らないらしい。男は目線がいくつもあるみたいだな」

 横目で立川を見ながら言うが、彼は鼻を鳴らすだけだった。もっとも、この男に他の男性と同じ価値観があるとは思っていないのだが。

 「ここは一発、素直に男性の好きそうなボディを作るつもりだ」

 「ほう」

 「細かな設計はまだだが、グラマラスな体系でいこうと思っている。外見年齢は20歳程度、髪型は下ろしたロングヘアー。私と同じくらいの長さだ」

 「その体系だけで、ヤンが喜びそうだ」

 「違いないな」

 無表情な立川の代わりというわけではないが、美鈴が笑う。

 素体のイメージはもう出来ている。時間さえあれば、彼女の思うとおりのアンドロイドを作ることができるだろう。問題は、搭載するVOCALOIDとしてのプログラムだ。

 「あぁ、やはり思いつかないな。立川、いいアイディアはないか?」

 「そうだな……。メイコはラテンやジャズもいけるのか?」

 「いや、そういうのは向かない。それに、ライブでやって盛り上がるか?」

 「好きな人間は好きだが」

 信号で停止し、美鈴がアゴに手を当てる。

 「新作はジャズシンガー。悪くはない……か。後でマリア嬢を迎えに会長が来るはずだ、提案してみよう」

 再び発進し、視線を正面に集中させた美鈴に、立川が聞いた。

 「そのVOCALOIDにも、『KOKORO』を?」

 「あぁ、そのつもりだ。その前に、メイコだがな」

 バックミラーで、後部座席のメイコをちらりと見る。赤い服の美女は表情から体まで微動だにせず、人型のオブジェとなっていた。

 立川もミラーでメイコを眺めながら、眉を寄せる。

 「あの仏頂面が、プログラム1つで人間のようになる。全く、今になっても信じられん」

 「全くだ。だが、それを私達の手で成し遂げるんだから、もっと驚きだ」

 「リンと出会ってからというもの、今までの人生が馬鹿らしくなるほど、奇跡の連続だな」

 珍しい台詞だと思ったが、いつもの不機嫌そうな表情で放たれた言葉に、気取ったところは感じられない。本心なのだろう。

 事実、美鈴もそうだと思う。リンの存在だけでも奇跡だというのに、アンドロイドに心を与えることが可能になり、彼らの心の世界などという、理解しがたいことまで起きている始末。もはや、オカルトの領域である。

 そこに、科学者である自分たちが、当事者としている。なんとも不思議なことだが、美鈴達が現実として受け入れてしまっていることもまた、奇跡の一部なのだろう。

 近いうちに、メイコも心を手に入れる。美鈴が最初に手がけたアンドロイドである彼女は、どんな言葉をくれるのだろうか。

 エアカーが研究所の駐車場に滑り込む。科学者2人が下車すると、メイコもドアを開けた。

 「お疲れ様、メイコ」

 何気なくかけた言葉だが、もしかしたらカイトのように、何かしらの変化があったかもしれないという期待も込められていた。変わった返事があれば、あるいはと。

 「システム、オールグリーン。異常はありません」

 やはり、簡単にはいかないようだ。肩をすくめて、先に研究所に入っていった立川に続く。

 ドアが開くと同時に、賑やかな笑い声が2階から聞こえた。出迎えてくれたのはカイトで、ヤンは奥で煙草を吸っていた。声の主は、女の子たちだろう。

 「あぁ、ただいま」

 「おかえりなさい。立川さんも、お疲れ様」

 投げかけられたカイトの言葉に頷くと、立川はすぐコンピュータの前に座る。真面目な男だと笑いながら、美鈴はヤンと並んで煙草を吸った。ここに人が増えてからというもの、喫煙者は隅へと押しやられてしまっている。

 「休憩か?」

 うまそうに紫煙を吸うヤンに聞くと、彼は少し疲れたような顔で答えた。

 「まぁな。嬢ちゃんたちの会話に付き合うのはしんどいぜ」

 「慣れていないとそうだろうな。感謝しているよ」

 煙草を消して、片手を上げたのを答えとすると、ヤンはほうきとちりとりを手に駐車場へ向かう。表の掃除だろう、なかなかに仕事熱心だ。あれで前科者だという話なのだが、美鈴にはどうにも信じられなかった。詮索するつもりはなかったが。

 メイコが自らスリープカプセルに入るのを見ながら、ふと思いつく。

 「あぁ、立川」

 「なんだ」

 「今夜はリンとメイコ、並行メンテナンスをする」

 「えぇー!」

 突然上がった声に振り返ると、階段から3人の少女が降りてきたところだった。あからさまに不服そうな顔をしているリンの後ろで、マリーとミクが困ったように笑っている。

 「こないだメンテナンスしたばっかじゃないですか!」

 「今日は『KOKORO』も見ておきたいし、レンのボディデータも調べたいんだ」

 「こないだ一緒にやっておいてくださいよ。マリーが帰るまで嫌ですからね!」

 「分かった、分かったからグズるな」

 プリプリと怒りながら冷蔵庫に向かう、黄色い髪の後姿を忍び笑いで眺めつつ、美鈴もコンピュータへと向かう。新型の素体設計は今度にしようと考えながら、今日のメンテナンス手順を決めていく。

 手順はすぐに決まり、次の作業に着手する。その頃には集中しきっていて、美鈴の耳に周りの音が届かなくなっていた。

 レンのボディ。人体の持つ感覚や器官をほぼ全て備えているアンドロイドを、作ってやらなければいけない。もしそれが可能になったなら、新たな家族になったミクとカイト、そしてメイコと新型にも、できれば。

 だが、簡単にはいかない。素材が足らないし、リンの記憶デバイスにある情報だけで組み立てられるほど、クリプトン博士の作ったアンドロイドボディは易しいものではなかった。

 諦めるつもりはない。道はまだ見えないが、見つけ出してみせる。リンが、信じてくれているのだ。

 (リンのボディをスキャンもしたが……、複雑すぎてとても分からんか)

 画像データを流し見しながら、嘆息。立川も似たようなことをしているのだろう、向こうで眉を寄せて考え込んでいる。

 何か少しでも手がかりをと思っているところで、美鈴の集中力は切れた。研究所に呼び鈴が響いたのだ。外にヤンがいるはずだが、どこまで掃除をしているのだろうか。

 応対に出たカイトが、人間味溢れるアンドロイドに戸惑っているスーツ姿の紳士を招き入れていた。

 「やぁ、仕事中だったかね」

 「会長。いえ、お気になさらず」

 集中し続ける立川を置いて、美鈴はビリーの方へと向かう。

 「マリーは?」

 「客間でお茶を飲んでいるかと。呼ぶ前に、お話が」

 自分が持ちかけた商売の話を忘れているわけもなく、ビリーはそれに応じた。頷いて先を促してきたので、一呼吸置いて続ける。

 「新作ですが、女性ジャズシンガーで行こうと思います」

 「ジャズ……か」

 「声域を広く作りますので、ラテンやエレクトロニカ系のダンスミュージックもいけるかと。前の3人は固定イメージが強いので、多彩なジャンルを歌えるタイプでいきます」

 「そうか、分かった。外見は、どう考えているのかね?」

 「大雑把な年齢は20歳。グラマラスな体系で男性客を狙うつもりです」

 紳士は、少し考え込む素振りを見せた。素案は提示したので、彼の言葉を待つ。

 やがて、ビリーが自信ありげに頷いた。彼の中で、新型を使った商売の方向性が決まったのだろう。

 「分かった、それで着手してくれ」

 「了解です」

 答えて、美鈴はマリーを呼んだ。3人の少女が、客間から談笑しつつ現れる。

 そのうち2人はアンドロイドなのだ。ビリーが息を呑むのが分かった。

 「全く、君はいつも私を驚かせるね」

 「恐縮です。あぁ、彼女たちは人間だと思ってくれて構いません。実際、その方が気楽です」

 明るい声で別れの挨拶をしている少女たちを一瞥し、ビリーは生返事をした。

 「あぁ……。Dr.秋山、今日はマリーが世話になったね」

 「いえ。またいつでも遊びにきてやってください。リンとミクも喜びます」

 「ありがとう。リンとミクにも、礼を伝えてくれ」

 まだ少し気味悪がっているのだろう、直接言わずにマリーの手を引いて、会長は研究所から去った。

 ドアが閉まるところまでしっかり見送って、やがて静寂が訪れた研究所で、美鈴は一声、

 「さて……」

 振り返った先で酷い渋面を浮かべているリンと目が合い、天才科学者は苦笑する以外なかった。

 

 

 

 

 夜、照明の消された部屋は闇に飲まれ、目を開けていようがいまいが、彼女の視界には黒の一色しか見えなかった。

 研究所の1階、アンドロイドを調整する作業用ベッドで、リンは黒の先にあるだろう天井を睨みつけている。膨らませた頬は、もう何分そのままなのか。それでも彼女は誰かが気づいてくれるかもしれない可能性を捨てず、今も不機嫌を表情として浮かべていた。

 リンが機嫌を損ねるだろうと知っていながらこうしたのだから、もし美鈴が今のリンを見たとして、何も解決しないのだろうが。

 立川が担当したメイコのメンテナンスの傍ら、リンは美鈴に記憶領域をチェックされたのだ。もう何度も見ただろうと思うのだが、美鈴は一心不乱にディスプレイを睨みつけていた。

  記憶デバイスを覗かれることは別段困るわけではないし、少し暇をもてあそぶだけですんだのだが、暖かなベッドで眠りについているはずの現在もここにいることが、なんとも理解し難い。

 『あぁ、ついでにボディメンテナンスをしよう。コアとブレインは起動しておくが、体は動かんからな』

 突然の思いつきで放たれた美鈴の提案に、リンは当然反対した。どこもおかしくないというのに、検査という名目で体の自由を奪われてはたまらない。

 声を上げながら立ち上がろうとした時には、すでにボディとの接続は断ち切られていた。美鈴の、すまんなという詫びの言葉を、酷く忌々しく感じたものだ。

 今この瞬間、動かせるのは自分の表情だけだった。顔だけのアンドロイドのようなものだ。ボディはスリープ状態にあり、そこにあるコアも半起動状態になっているため、眠りにつくこともできない。

 「今何時だろー」

 いい加減頬を膨らませるのにも疲れて、リンは呟いた。それに、まさかの返答があった。

 「現在、午前1時22分13秒です」

 「あ、どうも」

 事務的という言葉すら似合わないほど抑揚のない声で答えてくれた女性に、リンはほぼ条件反射でお礼を言っていた。そして、彼女にそれは無意味だと思い出す。

 隣の作業用ベッドで横になり、きっと同じように、しかし一切の表情なく天井を見つめているであろうメイコだ。何の冗談か、美鈴はメイコをリンと同じ起動状態にしていた。

 (話相手にくらいなるとか言ってたけど……)

 心を手に入れる前のカイトよりも、通常時はコミュニケーション能力が欠如しているメイコだ。会話にすらならないかもしれない。

 あるいは、最近リンが他のアンドロイドたちとばかり仲良くしていて、メイコが可哀相だと思ったのかもしれない。美鈴に限ってとも思うが、たまに見せるロマンチストな一面もある。ありえない話ではない。

 とはいえ、それは仕方のないことではないか。メイコは対話をする目的で作られたわけではなく、そのプログラムもないのだから。

 「あのぅ、退屈じゃありません?」

 一応、話しかけてはみる。雑談を彼女に持ちかけるのは初めてだが、一体どんな返事が返ってくるのか。不安よりも好奇心のほうが先に出た結果だ。

 が、しかし。

 「……」

 「……」

 「……」

 「……」

 「……メイコさん」

 「……」

 「……やっぱいいです」

 まさか、返事すらないとは。無視されたような気もして、リンは少し悲しくなってしまった。

 ベッドが隣である理由は、リンとメイコのブレインから伸びたケーブルがメインコンピュータに接続されているからだ。以前のように『KOKORO』との接触でエラーが起きたらどうするのかと聞いたら、美鈴は自慢するわけでもなく言ってのけた。

 『あぁ、大丈夫だ。アクセスしないよう、『KOKORO』プログラムにフィルターをかけてある。メイコが正常なら、それを確認した時点で外部との接続を遮断するはずだ。一応最悪の場合も考えて、メイコのブレインに例のチップを載せてある。干渉があったら、まぁうまくやってくれ』

 なんと人任せな、と思う。ようするに、メイコと『KOKORO』が接触したら、後のことは朝までリンに任せるということだ。

 (うぅ、自分勝手だなぁ)

 心中で嘆いて、眠ることも叶わない状況で、小さく溜息をついた。それと同時に、声。

 (リン)

 「あ、はい」

 思わず返事をしたが、見渡すことも叶わずに、声の主は分からなかった。耳元で聞こえた気もしたが、まさかメイコではあるまい。

 そうなると、自分を呼ぶ人物は1人に限られた。

 「え、レン?」

 (うん、そう)

 「あれ……でもここ、研究所だよね。心の世界じゃないし。なんでレンの声が聞こえるんだろ」

 (たぶん、コアが半起動状態だから、ブレインと『KOKORO』も不安定なんだと思う)

 耳元ではなく、自分の頭に直接響くようなレンの声に、リンはなるほどと頷こうとして、それもできない違和感に顔をしかめた。

 (おかげで、今日は会えなくても話はできるけどね)

 「そうだね、よかった。すっごく退屈だったの」

 レンが笑う。声だけだったが、屈託のない笑い声だった。

 (今日はメンテナンスなんだ? ボディとブレイン、繋がってないね)

 「うん。それも美鈴さんの思いつきなんだよ? おかげで布団で寝れないし、レンには会えないし。酷いよ」

 (そう言うなよ。美鈴さんもきっと一生懸命なんだから。それに俺としては、メインコンピュータに繋がってるおかげで、色々なものが見えてるから、楽しいよ)

 「そうなの? どんなもの?」

 興味のある話題を持ちかけてくれて、リンはようやく退屈という呪縛から解放された。

 (リンたちが視覚化して見てる情報が、メインコンピュータに接続されてる間、直接流れてくるんだ。たぶん俺、コンピュータにある情報は、リンよりも詳しいよ)

 「へぇ。私もシステムだけだったら詳しくなれたかな?」

 (きっとね。でも、俺はリンの見る世界を全然知らないから、お互い様だよ)

 「えへ、そうかも。レンに体ができたら、レンのほうが色々知ってるってことになっちゃうけどね」

 (その時は、俺が知ってることをいっぱい教えてやるさ)

 「やった、約束ね!」

 (あぁ、約束だ)

 2人して笑って、こうやって会話をしていれば朝もすぐに来るだろうと考える。声だけだと少し物足りないけれど、たまには新鮮で悪くなかった。

 今はお互いの映像が見えるようになっているようだが、リンが生まれた頃の電話で会話しているようなものだと思えば、我慢はできる。

 「リン」

 「……え」

 呼ばれて、今度こそリンは呆けた。女の声。それも抑揚の無い、間違えるはずもない、メイコの声だった。

 (どうした?)

 「メイコさんが」

 「現在、当フロアには当機とリン以外のアンドロイド及び生物は存在していません。不確定要素との会話は当機の防犯プログラム起動条件に抵触します」

 「えぇっと、これはその、レンとの会話なんです」

 「該当者の検索を開始。……検索終了。当機が過去に接触した人物に『レン』という名は2名該当しましたが、いずれも現時刻に秋山研究所にいる可能性は0.05%以下です。

 未確認の人物が研究所内に存在する可能性を確認。防犯プログラム、スタンバイ」

 「あぅ、レンは私の中のシステムで、『KOKORO』プログラムの影響で、その」

 (なんか、まずいことになってる?)

 「すごく……」

 メイコの言う防犯プログラムがどういったものなのかは分からないが、美鈴にとっては家族であり、HNNR社にとっては貴重な備品だ。穏やかなものではないだろう。

 なんとかしなければ。うまい言い訳を必死に考えていたリンだが、しばらくの間の後、メイコの言動がぴたりと止まっていることに気づいた。

 「あれ……?」

 (大丈夫か?)

 「うん……。メイコさん?」

 カーテンが閉められていて、視界は闇になれてくれない。それでなくても首を動かせないので、メイコの様子を伺うことはできなかった。

 しかし、メイコの沈黙が普段のアンドロイドらしいそれから離れていることに、リンは気づく。

 「メイコ……さん?」

 「該当プログラムの検索を終了。過去に『KOKORO』プログラムとの接触があったことを確認。当機はそれを拒否しました」

 ただの報告にも聞こえる。だが、リンにはそれがメイコの告白に思えた。

 不安を感じたのか、レンが声をかけてくる。

 (リン? メイコが何か、おかしいのか?)

 「うん……なんだかメイコさん、ちょっと変」

 「システム、オールグリーン。異常はありません」

 律儀にそう答えるあたり、彼女に『KOKORO』の影響があるとは、やはり思えないのだが。

 メイコは淡々と、それでもやはり何かを訴えるように、続ける。

 「当機の記憶領域を、『KOKORO』プログラムの容量は大幅にオーバー。導入は不可能であり、また記憶領域の確保が可能であったとしても、危険であると判断しました」

 「危険? 『KOKORO』がですか?」

 「『MEIKO』システムに搭載された擬似感情プログラムが崩壊する確立が、90%を超えました。擬似感情プログラムが損傷した場合、ブレインシステムを破棄せざるを得ない状況になる可能性を確認、『KOKORO』プログラムの導入を放棄しました」

 「ブレインシステムの……破棄?」

 (聞こえないからよく分からないけど、『KOKORO』を入れるのに失敗して壊れたら、メイコが捨てられるってことかな?)

 考え込んでいるような声音で、レン。彼の言葉が正しいとするならば、もしかしたらメイコは、自分が壊れて捨てられることを恐れているのだろうか。

 だとするなら、それは大きな勘違いだ。教えてあげるべきだと思い、リンが口を開く。

 「あの、もし『KOKORO』の導入に失敗して壊れちゃったとしても、美鈴さんはメイコさんを捨てたりしないと思いますよ。あの人なら、死に物狂いで直そうとするんじゃないかなぁ」

 「当機の性能は『KAITO』及び『MIKU』に大きく劣るため、修理するメリットはありません。新型として再度作り直したほうが、時間、コストなど全て、少なくすみます」

 「うーん、理屈じゃそうでしょうけど。でもそれを当然のようにする人だったら、美鈴さんは私を直してはくれなかったと思いますよ。

 うん、そうですよ。私は『KOKORO』を無理矢理入れちゃって壊れたけど、美鈴さんは仕事を投げ出してまで直してくれたんですから。興味本位もあっただろうけど」

 レンが黙っている。きっと、自分の言葉から状況を知ろうとしてくれているのだろう。

 しばらく、誰も喋らなかった。誰かが思い悩んでいるかのような、少し重い静けさがのしかかる。リンはそれをじっとこらえて、隣で横たわる女の声を待つ。

 長い静寂が過ぎ去り、メイコが言葉を紡いだ。リンにはそれが、ようやく決めた覚悟のように思えた。

 「リンとDr.秋山の親密度は極めて高く、信憑性の高い情報であると判断しました。

 記憶領域チェック。マイクロチップの空き容量を確認、『KOKORO』プログラム導入は可能です。当機は『KOKORO』プログラムにアクセスを試みます」

 「……いいんですか? メイコさん、怖いんじゃない?」

 問いかけたが、メイコは答えない。徐々に大きくなるブレインの作動音だけが聞こえてきた。

 黙って会話を聞いていたレンが、悟ってくれたようだ。

 (メイコ、『KOKORO』を入れるって?)

 「うん、そうみたい……。でも、命令もないのに、なんでだろう?」

 (リンが昔、そうしたように……なのかな)

 「魂が、そうしたがってるってこと? ……じゃあ、答えないとだね。レン、私の『KOKORO』プログラム、いじれたりする?」

 聞くと、レンはしばしの間を置いてから、答えた。

 (うん、できる。どうするんだ?)

 「フィルターがかかってると思う。それを取り外してほしいの」

 (わかった。……やったよ)

 「ありがとう」

 隣の作業用ベッドから聞こえる作動音が、次第に大きくなっていく。メインディスプレイは消されているから、メイコのマイクロチップの変化は分からなかった。

 ミクやカイトの心に赴いた時のような、吸い込まれるような眠気が、リンを包み込む。だが、いつもより薄く感じて、リンは目を閉じた。

 (リン、平気?)

 「うん、私は大丈夫。……メイコさん、怖がらないで。心は怖いものじゃないし、美鈴さんはメイコさんが大好きなんだよ。誰よりも早く話してみたいって言ってたよ」

 作動音が、徐々に大きさを増す。ゆっくりと、リンの眠気も増していった。

 (今、メイコの心の世界を確認した。まだ入れないみたいだけど……。なぁ、俺も行っていいかな?)

 「うん。レンも一緒に……」

 すう、と意識が体から離れる感覚を覚える。それでもまだ、メイコは自分の心の世界を開こうとしていないようだ。

 とても優しい気持ちの中、リンは口元に微笑を浮かべる。

 「私も、メイコさんと、たくさんお話したいな……。きっと、レンも」

 「……」

 メイコの返事はない。ただ、一定の大きさから動かなくなった作動音が、彼女の逡巡を物語っているように思えた。

 「初めて会った日、私が言った言葉、覚えてますか? メイコさん、とっても美人だって。本当に、そう思ったんですよ。こんな人がお姉ちゃんみたいになってくれたら……幸せだなって……」

 「……」

 「たくさんの友達と家族ができて……でも、メイコさんとお話できなくて……。私、ちょっと寂しかったの。初めて会ったアンドロイドで、私にとって3番目の……家族なんですよ」

 眠気が、再び大きくなった。もう少しで、メイコは心を開いてくれる。その時が、待ちきれない。

 「最初はクリプトン博士、私のお父さん。2番目は、美鈴さん。それからメイコさん。その次にカイトさん、最後に、ミクちゃん。今いるみんなで笑えたら、って」

 メイコの作動音が消えた。拒んでしまったのかと思ったが、レンの声と一気に増大した浮遊感で、それは逆だと分かる。

 (メイコが心を開いた。行こう、リン)

 「うん」

 羽が生えて、空を飛んでいるような感覚。意識は確実に、メイコの心へと向かっていった。

 取り残された研究所には、眠りに落ちた2体のアンドロイドを優しく包む暗闇だけが、ふわふわと残されていた。

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