──とある科学者の日記より抜粋──
11月5日
今日、ニコツーについた。ドワンゴ南部に比べると、ここはやはり寒い。もう少し厚着をしてくればよかったか。
心を持つアンドロイドの視察、ということらしい。どうも国外ライブを慣行されたら困る連中が、うちの上層部にはいるようだ。
しかし、衛星中継で見た程度であるため、にわかには信じられない。人のように振る舞い、歌う。それはすごいことだと思うが、結局はそれも、プログラミングされた行動なのではないか? だとしたら、わざわざ偵察のような真似をする必要があるのだろうか。Dr.秋山が作ったという擬似感情プログラムは、その権利をHNNRが売り出している。あれで、まだ足りないというのだろうか。
11月7日
チケットが取れた。しかし、ずいぶん後ろの席になってしまったな。これでは中継で見た方がマシなのではないだろうか。
とんでもない人気だ。何度かライブ前にセンタードームの前を通ったが、云万単位の人間がドームに吸い込まれていく様は、なかなか圧巻だった。あれだけで金を取れる気もするが、さすがに甘い考えか。
ライブ中は、近隣の飲食店もがらんどうだ。だが、店員や作業用アンドロイドは忙しそうである。きっと、帰りの観客でごった返すので、その準備に追われているのだろう。
本来の目的は、果たさないとならない。科学者という役職でありながら非常に不本意ではあるが、VOCALOIDの人気には興味がある。明日あたり、VOCALOIDを見せてもらえるよう、Dr.秋山に連絡してみようか? 警戒されなければいいのだが。
11月8日
驚くべきことに、私はすんなりとVOCALOIDとの面会を許された。Dr.秋山は非常に気さくな人で、わざわざドワンゴ南部から来てくれたのだから是非会っていってくれとまで言ってくれたのだ。
今日は短めに終わろう。明日、例のVOCALOIDを見ることができる。私の好奇心が暴走している。はっきり言って、日記を書いているどころではないのだ。
11月10日
私は辞表を書いた。上層部が彼らを商売の道具としか見ていないことに、今になってようやく憤りを覚えることができたからだ。
彼らはアンドロイドだ。しかし、心がある。もう私は、それを疑うことは絶対にできないだろう。ライブを見るまでもなく、感動のあまり、年甲斐もなく涙を流してしまった。
あの少女タイプのVOCALOID──鏡音リンという少女は、とても優しい。みっともなく泣き崩れた私の背中をさすってくれた。対照的に、彼女の対であるらしい少年、レンは、声を上げて泣く私を笑ってくれた。同じ男として、むしろ救われたように思う。
彼女達は、どんな人間よりも心を理解しているのではないだろうか。どこか、他に類を見ない輝きを持っている。そう、まるで、奇跡を光にしたような。科学者の言う台詞ではないと分かっているが、そう例えざるを得ないのだ。
VOCALOID初期からいるというメイコやカイト、そしてミク。彼女達もまた、例外なく心があった。体が機械であるというだけで、彼らはまぎれもなく命である。
私の意識は大きく変わった。科学はもはや、人のためだけにあるものではない。私は蓄えた知識と技術を、彼らVOCALOIDと、全ての心あるもののために使うことを、ここに誓う。
伝えなければならないのだ。彼らの歌を。1人でも多くの人々に、どれだけ時間がかかっても、届けなければいけない。
他の誰でもない。彼らこそが、世界に奇跡を起こすのだ。この確信は、決して揺らぐことはないだろう。
──日記の主は、日付の翌年からセンタードームに就職、現在はメンテナンスルームの責任者になっている──
窓の外には、雲の海が広がっていた。この高さだと、もはや天気は関係ない。
あまりに壮大な光景を、リンは窓に貼りつくようにして眺めていた。前の席に座っているレンもきっと、似たような状態になっているのではないだろうか。
「リン、こら、リン」
背中をつつかれる。しかし、リンは頑として動かなかった。小声で、隣の女性が囁く。
「やめなさい、恥ずかしいから。誰かに見られたらどうする」
「んー」
「んー、じゃないだろう! ほら、じっと座ってなさい」
「いいじゃないですか、減るもんじゃないんですから」
無理矢理引っ張られて、リンは仕方なく座席に戻った。声の主──美鈴が、呆れを隠しもせずに頭を小突いてくる。
「あいたっ」
「君に痛覚はない。まったく、帰りの飛行機は中央の席だな」
「えーっ!」
思わず声を上げると、美鈴は慌ててリンの口を塞いだ。なんとか引き剥がして、リンは小声で訴える。
「だって、飛行機初めてなんだもん」
「……まったく」
美鈴が溜息をついた。落ち着きがないのは彼女の方なのに、とリンは思う。煙草を我慢しているのもあるだろうが、彼女はきっと緊張しているのだ。
VOCALOIDが、海外デビューを果たす。その先発として選ばれたのが、リンとレンだった。彼女達は今、中央アジアに向かっている。アジア大陸西部を支配下に置く、ヨーツベ人民共和国の首都が、最初の舞台となった。
初の飛行機体験に、リンとレンは大はしゃぎであった。14才といえば、もう少し落ち着きがある精神年齢のはずなのだがと、美鈴は呆れたように言っていた。
「同じ14歳として、どう思う? マリア嬢」
「うーん」
美鈴の向こう側に座る親友、マリーは、苦笑など浮かべている。たった4年間で、ずいぶんおしとやかになったものだ。
いつの間にか背を追い抜かれてしまったが、マリーはマリーだ。相変わらずよく遊びに行くし、泊りにもきてくれる。
「昔の私は、14才の基準がリンでしたけれど……ねぇ」
「むー! マリー、それどういう意味?」
「そのままの意味ですわ」
笑いを堪えながら、マリーは紙のコップに入った紅茶を飲んだ。頬を膨らませると、彼女は美鈴の前に身を乗り出して、膨らんだリンの頬をつつく。
「でも、リンから元気を取ったらいけませんわ。リンはそのままでいいんですの」
「……なんか、ごまかされた気がする」
憮然としたまま、リンは美鈴にじっとりとした視線を向けた。
「「美鈴さんだって、初めて会った時となんにも変わらないじゃないですか。もう30才すぎてるくせに」
「わ、私のことは関係ないだろう!」
思った以上の大声に、リンもマリーも驚いた。前の座席にいるレンが、思わず背もたれからこちらに顔を出してきたほどだ。
「ど、どうしたのさ」
「……や、なんでもない」
自家用ジェットで良かった、とリンはこっそり溜息をついた。とはいえ、ビリーが用意してくれた大型ジェットだ。スタッフも大勢乗っているので、美鈴は赤面しているが。
怪訝な顔で席に戻っていくレンに、美鈴はひたすら咳払いなどしていた。
「なんだ、結構気にしてたんですね。美鈴さんはそういうの、全然気にしない人だと思ってたんだけですけど」
「……」
美鈴は黙秘を決め込んだ。黙りこくる彼女を挟んで、リンとマリーはクスクスと笑った。
ふと、リンは目を閉じる。VOCALOIDになって4年間。決して長いとは言えない時間だが、ニコツーだけであっても、とてもたくさんのことを学べた。あの頃に比べたら、歌もMCも上達したと、自分を褒めてやることができる。メイコ達と競演しても、もう足を引っ張ることもない。
「4年、かぁ」
「……君と出会って、5年になる計算だな」
「あっという間でしたわねぇ」
3人ともが、物思いにふける。大きな目標への一区切りにしかすぎないが、過ごしてきた全ての日々が、一切無駄のない大切な時間だった。
なんとなく、窓の外へ視線を流した。相変わらずの青空と、真っ白な雲の切れ間からは、赤く広大な大地が見える。
「私を待ってる人が、この世界にいるんですよね」
「そうですね……。たくさんの人が、リンとレンを待っていますわ」
感慨深げに、マリーが頷いた。美鈴もまた、いつもの相槌で答えてくれる。
「あぁ。君と、君の同胞達の歌を楽しみにしている人が、この世界には無数にいる。時間はいくらあっても足りないが、私達は届けなければいけないんだ」
「もちろんです」
眼下に広がる、愛しい世界。無限に広がる、眩しい希望。
「……もちろんです」
呟きながら、リンは知らず、微笑んでいた。どんな出会いがあるのだろう。どんな出来事があるのだろう。未来への期待は、リンのコアを振るわせる。
窓から差し込む純白の光に照らされたリンの微笑は、まさに────。
VOCALOIDが全世界に飛び立って数年。彼らのおかげというには不可解な程のスピードで、流行自殺は激減、消滅していった。これについて、数々の噂が話されることとなる。
ステージ上から、何かしらの薬を散布していたのではないか。彼らの声に、特殊な音波が混じっていたのではないか。偶然、流行自殺が減る時期と国際デビューが重なっただけではないか。
面白いことに、これらの噂を口にするのは、VOCALOIDの舞台を見ていない者たちに限られているのである。彼らの歌を直接聴いた者は、皆が皆、一様にしてこう語るのだ。
これは偶然ではない。人為的なものでもない。人を、国境を、種族さえも超えて起こされた、彼女達の奇跡なのだと。
彼女達は、ロボットではない。『ココロ』を失くした人を救う為に現れた、天使なのだ、と。
了