ココロ~another future~   作:ラミトン

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第4話 月の姫が求めたものは

「自業自得です」

 彼女にしては珍しく、冷たい口調だった。寝転がったまま天井を見つめて、美鈴は懐かしいなとも思った。

 初めて彼女と会ったとき、同じような口調で話された。最近は影を潜めていたが、彼女にはそういった一面もあるのかもしれない。

 起き上がろうとしたのに、無理やり押さえつけられる。近づいた顔は厳しいまま、リンはもう一度、突きつけるように言った。

 「自業自得ですよ、美鈴さん」

 「……」

 額に冷たい感覚が戻る。ひんやりとしていて気持ちがいいが、今はじっとしているわけにはいかない。まだやるべきことがあるから、ここで倒れているわけにはいかないのだ。

 そう思っても、目の前のリンは、睨みつけるような視線を送るばかりで、立ち上がることを許してくれそうに無い。

 と、自分の脇から、機械音が鳴る。取り出して、ため息をついた。すぐに奪い取ったそれを見て、リンも同じく、ため息。呆れていることが目に見えてわかる。

 「38.4℃。ほら、自業自得です」

 反論の余地もないな、と、美鈴は諦めて布団に潜り込んだ。

 彼女が倒れたのは、昨晩のこと。カイトとメイコのブレインをいじり倒していた美鈴は、突然の眩暈に襲われ、そのままキーボードに突っ伏してしまったのだ。

 たまたま起きてきたリンが驚き、慌てふためいていたが、起動していたメイコのおかげで、なんとか寝室まで運ぶことができた。心がないとはいえ、倒れている人間を助けるようにプログラムされているのか、メイコの働きは的確だった。

 体温を測り、風邪をこじらせたと断定。ベッドに寝かせた後、風邪薬の場所を美鈴に聞いて、リンの作った簡単なおじやを食べさせた後に薬を飲ませる。

 水分を十分に取らせることと、楽になるので額に冷たいものを乗せることをリンに告げると、彼女は自分のカプセルに戻り、ブレインを休止させた。あっけないほど簡単に終わってしまい、リンは呆然としていた。

 そして、今に至る。我に返ったリンは、倒れるほど無理をしないと言ったはずの美鈴の失態を、四方八方から攻めている。病人であっても容赦は無いようだ。

 「ちゃんと水も飲んでくださいね。わざわざ冷やしてあげてるんですから」

 「あぁ、分かってるよ……」

 ストローのついたコップを持ち、上半身を起こす。一口飲むと、喉を冷たい水が下るのが分かった。熱があるせいか、心地よく感じる。

 リンが怒っている本当の理由を知っているからこそ、今日は彼女に頭が上がらない。

 今日は、マリーが始めてこの研究所に遊びに来るはずだったのだ。だが、美鈴が熱を出したため、急遽中止になってしまった。とても楽しみにしていたリンを見ていたので、申し訳ない限りだった。

 謝って許しは得たものの、美鈴が体調を崩したということも大きな原因のため、リンの不機嫌は直らない。

 「あぁ、リン。よかったら、マリア嬢の家に行ってもいいんだぞ? 私は大丈夫だ」

 「え?」

 一瞬、迷ったような表情を浮かべる。しかし、すぐに眉を吊り上げた。

 「だめです! 今の美鈴さんは誰がどう見ても絶対に大丈夫じゃありません! それに、私がいなくなったら、また研究の続きするつもりでしょ!」

 見抜かれていた。最近、リンはだんだんと鋭くなっている。ごまかしは効かないと分かると、美鈴は頭の後ろで手を組んで、再び寝転がった。

 それにしても退屈だ。隣のリンは飽きもせずにタオルを取り替えたりしているが、寝ているだけの自分は涙が出るほどやることがない。

 「さすがに暇なんだがな、リン。何か本でも取ってくれ」

 「頭を使いすぎて倒れたんでしょ? だから本もダメです。寝ててください」

 「眠くないんだが……」

 「横になってるだけでも違います」

 心配してくれているのだと思うが、リンの顔は相変わらず無表情に近いもので、しかし、メイコと違って負の感情を惜しみなくかもしだしている。下手に怒っているよりたちが悪い。

 着替える必要がないからと、リンが未だに寝巻きでいるのも、当てつけとしか思えない。実際そうなのだろうが。自分の掻いている汗は、風邪のせいなのか、それとも冷や汗なのか。

 「リン、あぁ、悪かったよ。だから機嫌を直してくれ」

 「別に、機嫌悪くないですよ」

 謝っても、これだ。思わず額に手をやった。子供の相手は不慣れであることは百も承知だったが、ここまで面倒なことになるとは思わなかった。いつかの好きなものを買ってやる、という作戦も、今回は玉砕している。

 隣にいられる以上、せめて会話の相手にでもなってくれればいいのだが、今回の彼女は徹底している。極力話しかけてこないのだ。珍しいことだが、恐らく日ごろの研究しているときの腹いせも含めているのだろう、と美鈴は予想した。間違っていないであろうことも、確信している。

 証拠に、リンは今も何かを言いたげな顔をしている。無理をして喋らないようにしているのだが、限界も近いと、目が物語っていた。思わず笑いそうになり、美鈴はぐっと堪えた。根競べをしようと思い立ったのだ。

 喋らない生活など、美鈴は慣れている。リンが来る前まで1人だったのだから、当然といえば当然だ。だが、リンはどうだろう。眠りにつく前はクリプトン博士に溺愛されていた彼女のことだ、きっと長くは持つまい。

 分かっていて、美鈴はだんまりを決め込むことにした。仕掛けてきたのはリンなのだから、文句を言わせるつもりはない。顔を背け、無表情を装う。寝たふりをすると移動してしまいそうなので、目は開けたままである。

 異変に気づき、こちらの考えを悟ったらしいリンが、ばつの悪そうな顔をした。だが、ただでは引かないつもりらしい。なぜか険しい顔で、美鈴を睨んでいる。

 沈黙の戦い。そんな言葉が脳裏を過ぎり、自分で考えておいて笑いそうになる。どちらかといえば、子供のけんかに似た行為である。それも、幼い子供をからかっているという形が近い。

 思ったより粘るリンに驚きながら、彼女が自分に負けない意地っ張りであることを確認した。

 20分が経過したころ、俯いて眉を寄せていたリンが音を上げた。勝利は美鈴が手にしたようだ。

 「もー、美鈴さんのバカ!」

 「おいおい、先に話さなくなったのは君だろう?」

 上半身を起こして笑い、思わずむせてしまった。頬を膨らませながらも、リンが背中をさすってくれる。なんだかんだで、彼女はやはり、優しい少女だった。

 「意地悪なことするから、そんなことになるんですよ? 美鈴さんは酷いです」

 「暇なんだから、仕方ないだろう。それに、話し相手になってくれないなら、他の方法で相手になってもらわないとな」

 喉が楽になり、再び横になる。リンがタオルを変えてくれたおかげで、また少し楽になった気がした。

 熱があるからか、頭がボーっとしている。話しかけてやりたいが、なかなか話題が思い浮かばない。話下手なのもあるだろう、美鈴は自分の不器用さを呪った。

 目が合い、リンが首をかしげた。申し訳なさそうに、美鈴が言う。

 「すまんが、私はあんまり話題を振るのがうまくなくてな……」

 「うん、知ってます」

 彼女がストレートにものを言うことは、すでに知っていた。だが、少し再教育が必要だと感じる。事実、今この瞬間、美鈴は若干傷ついた。

 自覚がないからだろう、きょとんとした顔をしているリンに向かって、

 「いや、だからな。話題を振ってくれと言ったんだ」

 ようやく理解してくれたらしい。ハッと目を丸くして、彼女は視線を宙に漂わせた。目まぐるしく変わる表情は見てて飽きないのだが、いつも質問に答えている側としては、たまにはリンの話も聞きたいと思った。

 しばらく考え込んでいたが、ようやく閃いたのか、少女は両手のひらをポンと合わせて、笑った。

 「じゃあ、昔話してあげます!」

 「昔話? 古典文学か……。確かに、詳しくはないがな……」

 「古典なんちゃらなんて、難しいことは考えなくていいんです。登場する人物になったつもりで、共感するのが昔話なんです」

 心がまだない頃、クリプトン博士に言われたのだろう。当時は理解できなかっただろうに、まるで初めから分かっていたように言うリンだが、美鈴はあえてそれを口には出さなかった。話を振ってくれと頼んだ以上、文句を言える立場ではない。

 無言で促すと、リンは腕の袖に付けられたコンピューターにアクセスした。直接記憶しているわけではないらしい。ブレインの記憶回路を辿っているのだろう。

 目当てのものは見つけたらしいが、まだ迷っている。恐らく、どの話にするかを考えているのだろう。歌やら物語やらを記憶し、他人の言った言葉もしっかり覚えるあたり、やはりリンの持つブレインはかなり高性能らしい。既存のアンドロイドでも出来ないことはないが、記憶容量の桁が違う。

 目の前の少女を見ていると、とても優秀なアンドロイドだとは思えないのだがな、と考えてしまった。聞かれたら、本当に口を聞いてもらえなくなるかもしれない。

 と、選び終えたのか、リンがこちらの顔を覗いてきた。

 「かぐや姫、なんてどうですか?」

 「竹取物語か? ……一言一句違わず言える自信があるが」

 「それ、どうせタケトリノオキナトイウモノアリケリーってやつでしょ? もっと子供向けの、分かりやすい話し方にした方ですよ。感情移入しやすくて、きっと楽しいと思います」

 確かに、美鈴が覚えている物語は古典文学のそれだが、内容も理解している上に、子供向けにアレンジされたものも知っている。どうしたものかと考えたが、リンの声で聞いてみるのも悪くないとも思い、頷くことにする。

 喜々とした顔で、リンは物語の冒頭を語り始めた。

 懐かしい内容だなと、紡がれるストーリーを反芻していく。記憶力がよかった美鈴は、幼少の頃には覚えてしまっていた。父も母も忙しい人で、本で読んで覚えていたが、誰かの声を通して聞くというのも悪くなかった。

 幼い頃から変わらぬ性格で、誰からも冷たい人間だと思われてきた。本来は違うということは、自分自身だけが知っていた。だからなのか、物語の主役である『なよ竹のかぐや』が羨ましかった。突然現れた異形だというのに、愛情を持って育てられたお姫様。自分とは遠い存在を、本の中に見つけていた。

 いつか、自分も誰かに甘えられるのだろうか。当時はそんなことを考えていたと思う。結局、誰にも弱みを見せることなく、今に至る。

 いや、それは違う。自分にそう言った。竹取物語を、優しく丁寧に聞かせてくれている少女にだけは、全てを見せているはずだ。リンこそが、美鈴の求めていた存在なのかもしれない。

 自分が目指した、心を持つアンドロイド。作ろうとした理由は、クリプトン博士とまったく同じであることに、今更ながら気がついていた。

 寂しかったのだな、と思うと、少し小恥ずかしくなる。これだけは、リンにも言うまいと決めた。

 物語は終盤に差し掛かる。かぐやが月へ帰ることを知り、御門が屋敷に軍勢を送る場面だ。未練たらしい男だな、などと考えてしまう自分は、やはりもう大人なのだろう。

 少し前の場面、かぐやが結婚を迫る男達に無理難題を押し付け追い払うシーンを思い出すと、彼らを傷つけまいとしたかぐやの優しさだったようにも考えられる。なるほど、かぐや姫というのは、なかなか大人の女性なのかもしれない。

 かぐやが月へ帰る際に御門に残した、いくつかの宝物。これは話や地方によって中身が変わっていたと記憶している。リンが話したのは、不死の薬と水が無限に湧き出る杓子の2つだった。美鈴は天の羽衣を受け取る話も知っていたが、彼女のブレインにはその話がないようだ。

 ともかく、悲しんだ御門は、それを日本で一番高い山で燃やした。不死の薬も一緒に燃やしたため、そこは『不死山』、つまり、今は無き『富士山』となった。その山からは、絶えず煙が立ち昇っていたという。

 かつて富士山があった場所は、今は小高い丘になってしまっている。戦争のせいである。

 「不死の薬を燃やすなんて、御門さんはよっぽど悲しかったんですね」

 語り終えたリンが、自分で話しておきながらナイーブになっている。少し笑って、美鈴はそれに答えた。

 「あぁ、失恋の辛さを物語に例えるとしたら、このくらいはしなきゃんらんのだろうよ。私の友人にも、恋人に振られたという理由で自殺しかけた奴がいる。まして不死になろうものなら、御門はかぐやのいない世界で、永遠に過ごすことになるわけだ。彼にとって、それは地獄以外のなにものでもなかったんだろうな」

 「……大切な人が帰ってこないのを分かってて、一人で待ち続けるのは、辛いですからね」

 思わず舌打ちをしそうになった。忘れていた。リンはアンドロイドで、敬愛していた父をなくし、永遠とも呼べる時間を1人で過ごしてきていたのだ。

 だが、言ってしまったものはどうしようもない。美鈴はすかさずフォローを入れる。

 「この話を聞くと、いつも思うんだが……。かぐやもきっと、御門のことが好きだったんだろう。だからこそ、他の男達と違い、絶縁に近いこともしなかった。和歌の交換もしていた。それでも会わずに結婚もしなかったのは、恐らく……御門が傷つくのが怖かったんだな。最後まで月の住人であることを言わずに、去り際には不死の薬を送った。どういうことか、分かるか?」

 リンが首を横に振る。年頃の精神年齢であるとはいえ、色恋沙汰とは無縁の彼女だ。仕方が無い。

 「つまりだな。かぐやは生きて欲しかったんだ、御門に。永遠という長すぎる時間を生きてもらえば、いつかまた会えるかもしれない。会えずとも、どこかで生きてくれている。そう思えるだけで、かぐやは救われたんだろう。……彼女の命もまた、永遠だからだろうしな」

 「そうなんですか?」

 「考えてもみろ。月の住人である彼女が、竹から生まれたんだぞ? これは、私独自の予想、妄想にも近いものだが……、竹から生まれたわけじゃないと思う。送られたんだ、月から。目的は分からんがね、不死の薬を与えられ、地球に送られてきた。そして出会った竹取の翁と御門。暖かい人間関係のなかで、彼女は自分が永遠に生きる苦しみを忘れていた。

 だが、いよいよ帰る日が近づいた時、彼女はその苦しみを思い出してしまった。愛してしまった御門と別れ、彼女の知らない場所で、御門が息絶えることを。それが辛くて、かぐやは不死の薬を送ったんじゃないかと、私は思うんだ。いつかあるかもしれない再開を、永遠という時間の中で待とうとしたんじゃないか、とね」

 「美鈴さんにしては、ロマンチックですね……」

 「一般論だと思うがね。少し考えれば分かることさ。本当に愛している人間には、永遠に生きていてほしい。古来から共通している、人間の切なる願いというわけだ」

 リンが俯く。言いたいことは分かってくれたようだ。

 孤独な科学者が、何を望んでリンを作ったのか。『KOKORO』を作ったのか。理由は簡単であり、そして、永久に解けぬほど複雑だ。他人がそれを知っても、本当に理解できるかどうかは、別なのだから。

 だが、確かなのは、決して永遠の責め苦を彼女に与えるためではない、ということだ。自分が生きている間だけでいいなら、永続バッテリーなど使うはずがない。

 ずっと、ずっと、生きてほしい。誰よりも大切だから、愛しているから。リンが理解するには難しいかもしれないが、それこそがクリプトンの願いなのだと、美鈴は確信していた。

 「美鈴さん、辛くないですか? 長くお話しちゃって」

 突然気遣われ、自分が風邪を引いていることを思い出す。体調は相変わらずだが、気分は晴れている気がした。

 「大丈夫だ。ありがとう」

 「いえ。私、おじや作ってきます」

 顔を見ずに、降りていってしまった。何か思うところがあったのだろう。昔話のチョイスを間違えたなと、美鈴は内心で苦笑していた。

 永遠。それはアンドロイドに与えられた、まさしく永劫続く苦しみなのかもしれない。リンがその苦しみを知り、語ってくれたおかげで、美鈴は知り得ることができた。

 人間の命は、いつか終わる。だが、永続バッテリーを持つ彼らは、壊れることがないかぎり、生き続ける。道具として作り出された彼らは、生まれたときから、死ぬより辛い苦しみを味わっているのだろうか。

 だとしたら、我々はなんと傲慢であろう。1階に下りていくリンの最後に見せた表情がよみがえり、美鈴は今度こそ、舌打ちした。科学者としてばかり頭を使っていたせいだろうか、心を作ることばかりに夢中になっていて、生きるものが持つ『死』という概念を完全に忘れていた。

 だからといって、永続バッテリーを切っていいものなのだろうか。死を用意してやるべきなのだろうか。少なくとも、リンにそれを与えてやることなど、美鈴にはできはしない。技術的には造作もないが、やろうという気にはなるはずもない。

 まさかの難題だった。リンはどう思っているのだろうか。心を持ったアンドロイドは、死ぬことができない自分を、どう思うのだろうか。決定的に人と違う部分を、彼らはどのように受け止めているのだろうか。

 答えが出ないと分かり、美鈴は思考を止めた。今頃は自分のためにおじやを作ってくれているであろうリンを励ますほうが、優先だろう。

 頭の後ろで手を組み、天上を見上げたまま、竹取物語を思い出す。かぐやを見つけた次の日から、竹取の翁とその妻、嫗(おうな)の暮らしは、豊かになっていったという。毎日のように、竹から金が取れたという記述があった気がした。

 リンの話すかぐや姫には、その節は出てこなかった。富が溢れていた500年前には、金銀財宝云々を話したところで、大して感動はなかったのかもしれない。

 なにより、かぐやを娘とした以上に金で幸せになる描写を、当時の大人が嫌ったのかもしれない。今でも、子供に話して聞かせたいとは思わないだろう。

 なんとも、竹取物語は自分と当てはまるなと、美鈴は感じていた。突然現れた奇跡の存在、かぐやとリン。もたらされた家族という温もり。

 だが、美鈴はそこで考えを断ち切った。かぐやは両親と、御門と別れた。しかし、リンは離さない。例え何人が現れようと、彼女が自分と共にいることを望んでくれる限り、ずっとそばに置くつもりだった。

 正直、自分がなぜそこまでリンに固執しているのか、分からないでいる。もちろん、リンは妹であり、娘であり、家族である。それも理由になるはずなのだが、それだけではない、一目見たときから惹きつける何かがあったのだ。

 言葉には説明できない、一番大きな理由。考えても無駄だと分かっていても、頭の中で色々な方向性を模索してしまう。

 やがて、唐突な頭痛に襲われ、美鈴は額を押さえた。ため息を1つ、独り言をこぼす。

 「やれやれ。私はどうも、考えることが息をするのと同じになってしまっているらしい」

 1階から、いい匂いが漂ってきた。おじやが出来たのだろう。腹はそんなに減っていないが、早く体調を戻したいという気持ちはある。栄養はしっかり取るべきだろう。

 「もう少しだしな……」

 呟いて、顔を上げると、リンと目があった。お盆におじやとスプーンを乗せ、首をかしげている。聞こえてしまったようだが、美鈴は首を横に振った。

 「なんでもない。すまないな」

 「いえ。メイコさんとカイトさんのスリープモード、あと2時間で終わりですよ」

 渡されたおじやを冷ましながら、2人のアンドロイドのメンテナンスについて考える。もっとも、今の状況で自分が動くことを、目の前の少女が許してくれるとは思えないが。

 今日は仕方がない、と、湯気の立つおじやを一口食べる。卵の優しい香りが口の中いっぱいに広がり、どこか家庭的な味だった。リンに味覚が備わっているおかげで、細かい味の調整ができたようだ。

 「メイコとカイトが起きたら、そうだな……。悪いが、研究フロアの片づけをしてくれないか? メイコにはここの片付けのプログラムはされているし、カイトには頼めば頷いてくれるだろう」

 「メイコさんには、前から任せてたんですね」

 図星を指され、思わず目を逸らしてしまった。言った張本人は、悪気がないのだが。その証拠に、リンはすぐに次の話題に移ってしまった。

 「カイトさんに頼むって、どういう?」

 「私が君に頼むような感覚でいい。あぁ、リンはまだカイトの起動時はライブでしか見てないのか。

 カイトの擬似感情プログラムは、メイコよりかなり精度がいい。部屋の片付けを手伝うくらいならできるし、自分の行動プログラムに支障がない範囲の頼みごとには、笑顔で頷くように設定されているからな。

 あぁ、リン。そんな顔をするな。カイトもメイコも、心という面ではこれ以上にないほど不完全だが、君と同じアンドロイドなんだ。毛嫌いしないでやってくれ」

 すると、リンはしかめていた顔を寂しげに戻した。

 「そういうわけじゃないです。ただ、設定されているって言い方が、その、機械じみてていやだなって……。機械ですけど」

 「あぁ、悪かった。確かにそうだな。だが、どう言えばいい? 教育されているというのも、おかしいだろう」

 「むー。そうですねぇ」

 2人して、考え込んでしまう。真面目に考えるほどのことでもない、という結論には、2人とも辿りつかなかったようだが。

 諦めたのか、飽きたのか、リンが顔を上げて立ち上がった。食べ終わった食器をお盆に乗せ、

 「じゃ、1階の掃除、しておきますね。美鈴さんは寝ててください。絶対に起きて無理しちゃだめです。無理したら晩御飯は塩水です」

 思わぬ攻撃に、笑ってしまう。相変わらず、この少女の言うことは突拍子がない。だからこそ話していて飽きが来ないのだなと、美鈴は常々感じていた。

 「水より酷だな。分かった、おとなしく寝ていよう。腹もいっぱいになったからな、寝れそうだよ」

 「よかった。じゃあまた、掃除終わったら様子見にきますね」

 あぁ、と返事をすると、リンは少しだけ微笑んで見せて、部屋から出ていった。扉が閉まり、電気が消される。まだ日は高いが、照明が消えるだけで眠気がくるのだから、不思議なものだな、などと思いながら、目をつむる。

 心地よい眠気はすぐに訪れ、逆らうこともせず、久々の熟睡に体を任せることにした。

 

 

 

 

 見上げなければ顔が見えないほどの長身である2人のアンドロイドに囲まれ、リンは自分の存在はとてもちっぽけなんじゃないかという錯覚に陥っていた。

 スリープカプセルからの起動方法はブレインに叩き込んであったので、難なくこなせた。相変わらず機械としての起動言語を述べるメイコと、貼り付けたような笑顔を浮かべながら、やはり機械としての起動言語を発したカイトに囲まれている形である。

 一言、この研究フロアの清掃をせよと命ずれば、恐らく美鈴の言うとおり、彼らは素直に仕事にかかるのだろう。だが、背丈も顔つきも遥かに大人である彼らに、リンはどう声をかければいいのやらと、困り果てていた。

 これなら1人で掃除をしたほうがマシだったかもしれないと、今更ながらに思う。事実、この部屋の勝手は知っているし、掃除をしたのも一度や二度ではない。ただ、楽が出来るかもしれないという己の甘えの結果だ。

 「えぇっと」

 こうしてごまかすのは何度目か。メイコは無表情で、カイトは微動だにしない笑顔で、こちらをじぃっと見つめているだけなのだから、なにか責められているような気もしてくる。

 なんとか彼らに掃除をする旨を伝えなければ、進展もないだろうなと自分を奮い立たせ、もう一度顔を上げる。メイコと目が合い、顔を伏せた。人々に受け入れてもらいやすいよう、美形に作ってあるメイコの、死人よりも感情のない無表情さは、他の誰よりも怖いと感じてしまう。妙な圧迫感があるな、などと考えていると、

 「Dr.秋山からの命令を預かっているんじゃ?」

 まるで動かない、もともとそういった顔なのかと疑ってしまいたくなる笑顔のカイトが言った。さっきから何も言えずにいるリンに対して向けられた言葉なのは明らかで、なんだか皮肉を言われた気になってしまう。確実に気のせいなのだろうが。

 だが、声をかけられたことである程度安堵したのか、リンはため息混じりに頷くことができた。

 「美鈴さんから、1階の部屋を掃除するように言われました。メイコさんとカイトさんには、手伝ってもらいたいなあー、と思って」

 「研究フロアの清掃、了解。搭載ブレイン、システム、各回路、オールグリーン。正常にプライベートモードへ移行。タイプ、クリーニング、了解。開始します」

 まだ手順など口にもしていないというのに、メイコはそそくさと掃除にかかってしまった。慣れた手つきで、大型ディスプレイ付近の荷物を片付け始めている。

 カイトもカイトで、ある程度人らしく頷いたかと思うと、やはり表情は変えずに、大規模なコンピューターから細かいパーツまで、様々なものが乱雑に置かれている部屋の隅の整頓に着手した。

 指示を出したはずなのに、その様子をぽかんと眺めていたリンは、最近癖になっているのではないかと思うため息を、深く深く吐き出した。突っ立っているだけにもいかないので、仕方なく下げた食器でも洗おうとキッチンへ向かう。

 研究所のキッチンは、リンが始めてみたときに悲鳴を上げたほど悲惨なありさまだった。それも、彼女の努力のかいあってか、今では生活感を感じられる程度に復活している。使うのはリンと、時々メイコくらいなものだが、だからこそ、リンはこの場所に愛着に似たものすら持っている。

 手始めに、先ほどまでおじやが入っていた鍋を洗うことにする。卵がこびりついていて取れにくいが、水につけてふやけるのを待っていたら、恐らくカイトとメイコの掃除も終わる。なんとなくだが、確信に近いものを感じたので、早々にたわしでこすることにした。

 ガシガシという音だけが耳に聞こえる中、美鈴と話した竹取物語のことを思い出す。その中でも特に気になる、不老不死の節である。

 御門に死んでほしくないから、また生きて会いたいから、永遠の命を授けようとしたかぐや。美鈴曰く、彼女も不老不死だったのではないかということだが、リンには腑に落ちない部分があった。

 自分が死なないという確証があるのなら、月の人間にもう少し待ってくれと頼めばよかったのではないか。思い出すと、かぐやは別れの夜が近づくにつれて、日増し泣くことが多くなっていたそうだが、絶対に帰らなければいけなかったのか。

 子供の浅はかな考えなのかな、と少し美鈴の言いそうな言葉を頭に思い描いて見れど、彼女の抱いた違和感は消えなかった。別れが辛いのなら、なおさら御門に気持ちを告げなかった理由が分からない。

 形はまるで違えど、かぐやが御門に抱いていた想いが恋心であり、寂しい、という気持ちならば、自分がクリプトン博士の研究所を離れたときのように、自分の気持ちを吐きだすべきだったのではないか。かぐや姫はもしかして、臆病なのだろうか。そこまで考えて、自分は結構冷徹な人間なのかもしれないと眉を寄せた。

 本当は恋心の「こ」の字も理解できていないだけなのだが、リンがそれに気づくことはないのか、あるいは遥か未来の話なのか。ただ大切な人との別れであるという一点しか考えていないがゆえに、彼女はぐるぐると回る思考に没頭していった。

 ふと気づけば、手の中にある鍋はずいぶんと綺麗になっていた。集中しすぎて、無意識に洗い物をしてしまったらしい。小恥ずかしさを覚え、さっさと鍋をすすいだ。次は食器だな、と考えている時に、後方から掃除機の音が聞こえた。

 振り返ったリンは、もう少しで声を上げて笑いそうになるところを、なんとか堪えることに成功していた。掃除機をかけていたのはカイトだったのだが、美鈴の趣味なのか、えらく古い形の掃除機が使われており、その音と形はリンの生まれた時代となんら変わりはない。その家庭的で主婦に似合いそうな掃除機を、どこから見つけたのかハート模様のエプロンを綺麗に着こなし、見事なまで型にはまった体勢と相変わらずの笑顔で、ぐいんぐいんと床を掃除している姿が、なんとも滑稽だった。

 エプロンの類を身に付けていないメイコが掃除している姿も様になっているのだが、彼女の場合は、どこか働く格好いい女性をイメージさせるものであり、カイトのようなおかしさは感じなかった。

 なにより、彼のつけているエプロンが、サイズは違えどリンがつけているエプロンの色違いである点に、彼女は目に涙を貯めて洗い物へと向き直るのだった。予想外の奇襲にあい、危うく食器を落としそうになる。わざとやっているような気すらしたが、あの貼り付けたような笑顔の裏でそこまで深く考えているとは、リンの経験上とても思えなかった。

 洗い物を終え、大きく一度伸びをした。体が筋肉で出来ているわけではないので、特に気持ちのいいわけではないのだが、一仕事終えた後には伸びをするというのが人間の通例である気がしたからである。現に、クリプトン博士も美鈴もセンタードームのスタッフも、何か仕事をやり遂げた後には、大体目に涙を貯めて伸びをしている記憶があった。

 なんとなく疲れが取れた気がして、上機嫌で次の仕事に取り掛かる。最近美鈴が食い入るように研究しているカプセルに、ここ最近まったく手をつけていないことを思い出した。美鈴が触らせてくれないのだ。

 ひたすら打ち込むように研究をするくせに、なぜか掃除だけはしようとしない美鈴のことだ。きっと汚れてしまっているに違いない。近くによってみると、案の定ガラスが曇っていて、上には埃まで積もっている始末だった。

 半ば呆れつつ、湿らせた雑巾を持った手を、ガラスの上に滑らせた。なんとも気持ちよく、曇りが取れていく。爽快感に満たされていくうちに、リンは知らずほんわかと笑みを浮かべてしまう。これだから掃除は止められないな、などと考えているうちに、ガラスは綺麗な輝きを取り戻していた。

 そのカプセルの中に、何かの影が見えた。アンドロイドの研究をしているのだから、新型なのだろうが、もう素体まで出来ているとは聞いていなかった。覗くのをなんとなくためらわれたが、好奇心に負けたリンは、そのガラスの内に広がる闇へと目をこらす。

 「あっ」

 思わず声が漏れてしまった。そこには、少女がいた。自分よりいくらか年上の外観で、優しそうな顔立ち。アクア色の長い髪を二本にまとめ、それはくるぶしまで届くほど長かった。

 可憐。そんな言葉がよく似合うなというのが、リンの持った第一印象だった。まだ衣服はないが、どんな服でも似合いそうな、まさにアイドルといったイメージだ。

 まだ起動していないことは、ブレインの音がしないから分かる。だが、リンにはすぐにでも彼女が起きだしそうな気がした。自然に、声をかけてしまう。

 「こんにちは……。始めまして。私はリン、よろしくね」

 やはり返事はないが、目の前の眠るアンドロイドが微笑んだような気がした。気のせいだろうとは思うが、自然に口元が綻んでしまう。

 なんとなくだが、もうすぐ彼女と話せるような気持ちになった。美鈴の体調が治ったら、きっとすぐにでも動き出して、笑顔を見せてくれる。そんな予感がした。

 同時に、彼女もまた心を持っているような、確信もなく、そんな気持ちになる。手を取り合う姉妹のようになれるだろうか。ガラスに手をあて、眠る同胞を見つめる。

 「早く……会いたいな」

 「なに、もうすぐさ」

 背後からの声に振り向いて、リンは今までの気分を台無しにされたと思うほど眉を寄せていた。辛そうに額に手をあて、美鈴が立っていたのだ。

 思わず腰に手を当てて、怒るような口調になってしまう。

 「起きちゃダメじゃないですか! 寝ててください!」

 「そうは言うがな……。うちにはトイレは1つしかない。それも1階にだ。言わんとしている事は分かるな?」

 「わ、分かりますけど。だったらすぐに戻ってください。まだ治ってないんだから」

 「君が掃除をサボっている気がしたから、様子を見に来たんだが?」

 反論する言葉を失った。確かに今のリンは、はたから見れば掃除をサボっていたことになるだろう。目の前のガラスは綺麗になっているとはいえ、カプセルを覗き込んでいる姿は、どう見積もっても熱心に掃除をしているようには見えない。

 両手を挙げて降参をアピールすると、美鈴が少し苦しそうに笑った。

 「ま、見つかってしまった以上仕方が無い。こいつはもうすぐ完成だ。君に搭載しているマイクロチップがまた出来れば、後は起動するだけだしな」

 「その前に、体調を治してください」

 今度は、美鈴が両手を挙げた。ふらふらと階段を登っていくところを見ると、やはりまだ辛いようだ。早く元気な美鈴になってほしいなと考えながら、カイトが掃除機を当ててくれた床をモップで磨く。

 さきほどリンの不意をつくことに成功したカイトはといえば、相変わらずエプロンをつけたまま、玄関の掃除をしている。このタイミングで来客がきたら、応対するのは間違いなく彼だろう。きっとびっくりするだろうなと思ったが、残念なことに誰かが訪れることはなかった。

 モップを丁寧にかけながら、メイコの様子も伺ってみた。まるで作業用のロボットのように、テキパキと仕事をこなしている。時々口にする言語が妙に機械じみていて、シルエットだけならば娯楽用アンドロイドとはとても思えないだろう。

 カイトとメイコ。自分より後の世代に生まれたアンドロイドは、同じアンドロイドであるはずなのに、会話が成り立たないことばかりだ。

 リンは寂しかった。同胞達と心を通わせられないことが、同胞がいないことが、心に隙間風を吹かせるような気がしていた。

 ふと、思い出す。かぐや姫。彼女はもしかしたら、大切な人間がいながらも、同胞を求めて月に帰ったのではないか。だとしたら、その苦悩は大変なものだっただろう。

 育ててくれた、最愛の人を取るか。まだ見ぬ同胞を取るか。リンには選べそうもない選択肢であった。

 「フロアの清掃完了。与えられた全ての任務を完遂。ブレインを休止状態にするため、当機はカプセルへ移動します」

 メイコの声をぼんやりと聞きながら、モップをかけてキラキラと光っている床を眺めていた。美鈴やマリーを置いて、自分が旅立つ時が来るのだろうか。来るはずがないと信じながらも、その不安が溢れそうになる。

 どうも最近は、色々考え込むことが多くなったなと感じていた。心がまだ無かった頃は、自分自身のことについて考えることなどなかったので当然なのだが、落ち込むことが増えたということは由々しきことだと、リンは頭を横に振った。

 美鈴に心配をかけるわけにはいかない。それに、自分の想像にすぎない事象を心配したって、何にもなりはしないのだ。

 「よし、掃除終わり!」

 声を出して、リンは気持ちを入れ替えた。綺麗になったホールを見渡すと、なんと気分が晴れやかになることか。満面の笑みで、美鈴のいる2階へと向かう。

 部屋の前に立ち、リンは入るのをやめた。電気が消えているし、美鈴の寝息も、かすかだが聞こえてきた。話し相手がいないのは残念だが、ここはゆっくり休んでもらおうと、再び階段を下りる。

 降りきったところで、カイトと目があった。いつもの笑顔だが、エプロンはもう外していた。彼は笑顔を微動だにさせずに、こちらへと近づいてきた。

 「掃除は終わったよ」

 「あ、ご苦労様でした。えと、スリープ状態で待機してていいですよ」

 「君はスリープ状態にはならないのかい?」

 まさか、質問されるとは思わなかった。貼り付けたような笑顔のまま、カイトは返事を待っている。慌てて、言葉を探した。

 「私は、その、プログラムが改変されたから、人と同じ時間にスリープするようになってますから」

 「あぁ」

 分かったのか分かっていないのか、そんな返事だった。ある程度のコミュニケーション能力と美鈴は言っていたが、アンドロイドにも会話を返すのだろうか。そう考えていたときだった。

 「『KOKORO』プログラム」

 「え?」

 「持っているんだったね」

 美鈴の言葉を聞いていたのだろう。隠す必要もないので、リンは頷いた。同時に、ほんの一瞬、気のせいかもしれないが、カイトが俯いて、表情を曇らせたような……。

 

 「羨ましいな。僕にはない」

 

 「……え?」

 顔を上げたカイトは、やはり笑顔のまま、何事もなかったかのように自分のカプセルに向かってしまった。空耳かとも思ったが、その割にはしっかりと脳裏に残っている。

 カプセルの閉まる音が消え、静まり返った研究フロアに、リンは呆然と立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 翌朝、起きてきた美鈴のリクエストを無視しておかゆを出したリンは、テーブル越しに彼女の正面に座った。体調はいいようで、もう少し休めば完全に治るだろうと、本人は言っている。

 メイコとカイトは、カプセルの中で起動の時を待っている。それをいいことに、リンは昨日聞いたカイトの言葉を、そのまま美鈴に伝えてみた。

 塩味のおかゆを文句も言わずにすすっていた美鈴は、まるでありえないことを聞いたかのような顔をした。スプーンを器にコトリと落とし、リンの顔をしげしげと眺める。

 「リン、正気か?」

 「なんで私なんですか」

 思わず頬を膨らます。疑われているならまだしも、アンドロイドである自分に正気を問うてこようとは思わなかった。怒ってみせても美鈴の顔が変わらないので、さきほどの言葉を繰り返す。

 「確かにカイトさんは、私に羨ましいと言いましたよ。『KOKORO』プログラムを持っている私に、羨ましい、僕にはない、って。しっかりこの耳で聞いたんですから、間違いないです」

 言い切ると、科学者の顔で、美鈴は考え込んでしまった。まだ完治したわけではないので、リンはしまったという顔になる。だが、聞いたのは自分だ。今回は答えも知りたいので、黙って美鈴の言葉を待った。

 しばらくの後、少し冷めてしまったおかゆを一口すすり、彼女は額に人差し指を当てた。

 「カイトに積んでいる擬似感情プログラムは、正直君と比べたら高性能ではない。まして、人のことを羨ましがるなんてことは、ありえないことだ。それは相手にあまりいい印象を与えない。

 だが、あぁ、気を悪くしないで聞いてほしい。これは何も、君の人間らしさを否定することじゃないんだ。いいな? リンがアンドロイドであるという点が、気になってな。人に対してのみ好印象を与えるようにプログラムされたカイトが、人以外、君のように同種のアンドロイドと意思の疎通を図った場合、あるいは擬似感情プログラムの裏にある本心と呼べるものが、が表面化される可能性もあるかと思ったんだ。

 ……いや、飛躍しすぎか、これは。私の作ったプログラムに、そういう性質はないはずだしな。ではなぜ、カイトがあえて『羨ましい』という言葉を使ったのか。リンを人と見ているならば、普通は賛美の言葉が出てくるはずだ。それに、表情が少し暗かったのだろう? そこも引っかかってくる。バグか? いや、それは『KOKORO』プログラムの領域に近い。バグで発生するとは考えがたいな。リン、君はカイトと、他の会話をしたことがあるか?」

 「いえ、ほとんどないです」

 「君とカイトを並行してメンテナンスをしたこともないし、以前のメイコのような、『KOKORO』の介入もない。リンの『KOKORO』プログラムが影響を及ぼしているとも考えたが、そういうわけでもなさそうだな。

 あるいは……科学者として、証明されていない空想を言うのはあれなんだが、リンが以前言っていたように、本来アンドロイドには心があり、それがたまたま表面に出ただけなのか? そんな話、今まで聞いたことがないが」

 「私が『KOKORO』プログラムをインストールする前にも、そういうことはなかったですね。そもそも、自分に心があることすら、知らなかったし。カイトさんは、もしかして『KOKORO』に似たプログラムを持っているんじゃ?」

 美鈴が首を横に振る。他でもない生みの親である彼女が知らないはずもない。だが、それが違うならば、なぜカイトがあのような態度を取ったのか、説明がつかないのも事実だ。

 再び額に指を当てようとした美鈴が、ハッとした顔になる。何かを思い出したようだ。立ち上がるなり、彼女は朝食を食べきることなく、リンの制止も間に合わずに、カイトとメイコのカプセルへと向かった。

 2人のカプセルは隣同士になっており、双方から伸びているブレインをメインコンピューターへと繋ぐ太いケーブルが、途中で一本にまとまっている。スリープ状態のまま、カイトとメイコのブレインを同時に管理できるよう、美鈴が改良したのだ。

 そこで、美鈴は一度立ち止まった。一本に収束されているケーブルを睨んだ後、彼女はメインコンピューターを起動させ、その前に座る。

 「美鈴さん、無理しちゃダメですよ!」

 「すまない、少し黙っていてくれ」

 冷たい声だった。科学者という枠を通り越した、孤独を望む人間の声に聞こえた。その背中に、リンは声をかけられない。

 ディスプレイに、カイトのブレインが表示される。その中にある擬似感情プログラムを開くと、画面が真っ暗になった。おびただしいプログラム言語が、白い文字で綴られている。

 じっと睨んでいた美鈴の顔が、徐々に険しいものになっていく。リンのブレインに記憶されたプログラム言語とは異なる部分が多々あり、リンには解読できなかった。

 突然、大きな音が響いた。美鈴が机を叩いたことはすぐに分かったが、その理由までは知ることが出来なかった。震える拳を解いたあと、美鈴はカイトのコアプログラムを停止させた。つまり、一時的にカイトというアンドロイドを完全停止させたのだ。

 スリープ状態とは違う、外部からの完全なシャットアウト。下手をすれば記憶回路や擬似感情プログラムに異変が起きてしまうので、よほどの理由がない限りは実行しない措置だ。

 「美鈴さん……?」

 「カイトはリンほど優れたアンドロイドではない。あのチップを搭載したらどうなるか……。だが、やるしかない。 これは、博打だ。面白い、また私に一世一代の賭けをしろってことか」

 呼びかけに答えないで、美鈴は厳しい目のまま笑いを浮かべていた。恐ろしいモノを超えなければいけない、その恐怖を紛らわすような顔だ。

 彼女は小型の電話を取り出すと、いくつかボタンを操作した。空中にモニターが表示され、接続中のメッセージが表示される。リンは初めて見たのだが、いつものように興味を持つことができなかった。

 空中のモニターに、眠たげな男が映し出される。実際に眠いわけではないだろうが、酷く不機嫌そうだなとリンは感じた。

 『お前が俺に連絡をよこすとはな。秋山』

 「どうせ暇なんだろう? 立川。最近の仕事はどうだ? 順調か?」

 モニターには目もくれず、大きなディスプレイを注視している美鈴の言葉に、男は浮かべていた不機嫌さをさらに濃くした。声色も、苛立ちを感じていることを隠しもしない。

 『暇なのだと確信したのなら、仕事がないことくらい分かっているだろう。嫌味を言いたかっただけなのか? 切るぞ』

 「あぁ、すまない。手が空いているなら、少し手伝ってほしいことがあってな」

 『仕事内容と報酬次第で決めよう』

 「100万出そう。仕事内容は、マイクロチップの作成助手だ」

 『……お前の作るマイクロチップのことだ。どうせでたらめな搭載量なんだろうな』

 「あぁ、ニコツーのマザーコンピューターよりは大きいな」

 『……これだから天才は嫌いだ。まぁいい、依頼は受けてやろう。娯楽用アンドロイドとは関係が?』

 「あるな。だが、チップの作成だけで構わない。急いで3つ、完成させなければならなくてな」

 男の目が見開かれる。ニコツーのマザーコンピュータより大きな搭載量を誇るマイクロチップを、3つも作らなくてはならない。片手間どころか、美鈴以外の科学者では作ることも叶わない代物のはずだ。

 『3つもだと? 期間は』

 「できるだけ早く」

 簡潔な答えに、立川は視線を泳がせた後、頷いた。

 『いいだろう。これからそちらに向かう。報酬は後で構わん。どうせ到着する頃には、作業を始めているんだろう?』

 「まぁな。では、また後で」

 立川の簡単な返事の直後に、空中のモニターが消える。振り返った美鈴に、立ち尽くしていたリンは声をかけた。

 「あの……美鈴さん」

 「ん? あぁ。私の体調なら大丈夫だ。もう治った。大丈夫だ」

 「そうですか……」

 それも聞きたかったが、それ以上に、美鈴がどこか変わってしまった気がして、リンは気が気ではなかった。いつもの優しい彼女ではない、それは確かなことなのだが、うまく言葉にできずにいる。

 だが、リンの心配をよそに、美鈴はさらに追い討ちをかける言葉を発した。

 「リン、すまないが、少し忙しくなるんだ。2階に行っていてくれ。あとでマリア嬢も呼ぶ。暇はしないと思う」

 「え、あの」

 「食事の支度は、頼むことになるだろうがね。なに、終わればまた、いつも通りの日常になるさ。あるいはもっと賑やかなね」

 美鈴が笑った。その顔はいつもの美鈴のものだったが、傍にいることすら許してもらえず、リンは少し肩を落として、おとなしく2階へ続く階段へと向かう。

 落ち込むのはやめよう、昨日そう思ったばかりなのに。リンはばれないように、こっそりため息をついた。

 「さて。まずは」

 今にも泣きそうなリンに気づくことなく作業を始める美鈴の独り言が、とても冷たい言葉のように聞こえた。

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