ココロ~another future~   作:ラミトン

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第6話 海色の乙女

 ビルとビルの間の細道にあるバーボンハウスには、朝の光はわずかしか届かない。そのうえ窓も1つであるため、太陽の日差しは全くないと言っても過言ではなかった。

 外が明るいかどうかも、スモークが張ってあるような暗い窓では分かりかねた。目を開けたマリーが、まだ夜中だと思っても不思議ではない。

 リンとマリーの2人は、テーブル席のベンチシートで眠っていた。ゆったり座れる大きさなので、体の大きくない2人にとって、なんの不自由もなく寝ることができた。

 自分と少し離れたところで眠っていたリンは、もう起きていた。ということは、やはり朝なのだろう。

 寝ぼけた目をこすって、時計を見る。時間は9時を指していた。いつも起きている時間より、3時間も遅い。

 「ふぁ……。おはようございます、リン」

 「おはよー、マリー。よく寝てたねぇ」

 「あら……。リンは何時頃起きましたの?」

 聞くと、リンは時計を見ながら答えた。

 「7時くらいかな? いつもピッタリだから、たぶんずれてないと思うよ」

 「早かったんですのね。起こしてくださってよかったのに。暇だったんじゃありません?」

 「ううん、大丈夫だよ。美鈴さんが私のブレインでお仕事してる時なんか、ずっと暇だから、慣れてるの」

 にっこり笑って答える辺り、悪気はないのだろう。だが、暇だったことは否定しないあたり、少し申し訳ない気持ちになる。

 それでも決して嫌味じゃないところが、マリーは好きだった。

 「ショボンおじさまは、まだ寝てらっしゃるの?」

 彼女たちは、将盆をショボンと呼ぶことになった。からかわれた名前だったはずだが、将盆自ら、2人とは友達だからそう呼んでくれと言われたのだ。

 昔は美鈴もそう呼んでくれたのだが、彼女が大人になるにつれ、呼んでくれなくなったそうだ。

 「おじさんは、買出しに行ってくるって出かけたよ。お腹減ったらこれ食べてって」

 と、テーブルの上を指差す。ハム野菜のサンドイッチとフルーツが皿に盛られており、ブドウのジュースが入ったビンとグラスが2つ、小型の冷凍庫も置いてあった。氷が入っていることは明確だ。

 「準備がいいですわね、おじさま」

 「朝早くから、準備してくれたみたいだよ。マリーが起きたら食べようと思ってたんだ」

 「先に食べていてよかったのですよ? お腹減ってません?」

 「えっと、私、ご飯食べたり味分かったりするけど、お腹は空かないんだ」

 笑って頬を掻く。そういえば、昔はずっと長い間、1人で研究所にいたという。その間、何も食べていなかったとも言っていた。美鈴とVIP席で飲んだオレンジジュースが、久しぶりに口に入れた味のするものだと。

 だとすると、空腹を感じないということも納得がいく。

 「そうなんですか……。では、無理して食べてたりなんてこともないですか? お腹が減らないと、ものを食べるのって苦しくありません?」

 「おいしいものを食べると嬉しい気持ちになるから、食べるのは好きなんだ」

 言いながら、サンドイッチに手を伸ばす。頬張ったリンの幸せそうな顔は、彼女の言葉が嘘ではないことを示していた。

 気を使わせてしまったから咄嗟に出てしまった嘘、ということではないようだ。マリーも安心して朝食にかかった。

 ジュースを氷で冷やしたコップに注ぐ。昨日は浴びるほど飲んだのだが、一晩寝るとまた飲みたくなるから不思議だった。

 サンドイッチに使われている材料は、どれも安物だろう。だが、ハムは少しだけ塩とこしょうが振ってあり、野菜もみずみずしく、とてもおいしかった。

 手作りのものはやっぱりおいしい、とマリーは思った。家で食べるものは大体機械が作ったもので、味は申し分ないけれど、温かみがない。

 そういえば、と、昨日リンが、興味深いことを話していたのを思い出す。

 曰く、物には心がある、ただ、表現できないだけなのだと。そして、自分もそれを体験したことがあるのだと。

 詳しくは聞けなかったが、今聞いてしまえばすむことだ。

 「リン、昨日あなたが言っていた、『機械は心があるけど、表に出せない』って、どういうことなんですの? リンの心と同じものが、他のアンドロイドたちにもあるってことでしょうか」

 カットされたリンゴを食べていたリンが、行儀悪く口をもぐもぐさせながら答えた。気にするつもりはないが、マリーの父の前では止めてほしいと思った。

 「んっとねぇ、ずーっと昔なんだけど、私がまだ『KOKORO』を持ってないときにね、博士が作った『KOKORO』プログラムを見つけたんだ。

 心がなかったら、それを見つけても触らなかったと思うんだけど、私は確かにその時、見てみたいって思ったの。コアケーブルを繋いで、プログラムが私に流れてきて、壊れるって思っても、遮断できなかったの。

 遮断、したくなかったのかな? 博士が私に作ってくれた心を、壊れてでも手に入れたかったんだと思う。

 それからずっと後に、美鈴さんに直してもらったのが、今の私。心があるって言われてるけど、素直に表現できるようになっただけなんだと思う。じゃなきゃ、『KOKORO』に接続しようとしなかったし、美鈴さんにも会えなかったと思うんだー」

 「そうなんですの……。じゃあ、うちのお手伝いロボットにも、心があるかもしれないですわね」

 「うんうん! きっとあるよ!」

 ジュースを飲んで、リンは続けた。

 「人間にもいるでしょ? こう、素直になれなくて、言葉に出せないって人。立川さんみたいな」

 「あぁ、いますわねぇ」

 「あんな感じに似てるかなぁ。昔の私は、ホントに冷たくて、何をしてもぜーんぜん面白く感じてなかった気がするし」

 リンが無表情に家事をこなす姿を想像しようとして、今の彼女を知りすぎたマリーには無理だと悟った。優しくてドジなリンからは、考えられない。

 「古来より、全ての物には魂があると言われている。心と同じように取られることが多いけれど、それはきっと心より奥底にあるものだろう」

 声に振り返ると、将盆がいた。裏口から帰ってきたようだ。買い物袋をカウンターに置くと、2人に向かって笑う。

 「おはよう、リンちゃん、マリーちゃん」

 「おはよう、ショボンおじさん」

 「おはようございます、おじさま」

 彼は頷いて、ちょうどリンの向かいに腰掛けた。頬杖をついて、

 「昨日の話の続きかい?」

 「うん、心を表に出せないだけだって、私が言ったやつです」

 「さっきも触れたけど、僕はそれを魂と呼んでいる。

 心は人と触れ合うための言葉に近いものなんじゃないかな、と思っているんだよ」

 興味深そうに聞き入る少女を見回し、将盆は破顔一笑して、先を話し始めた。

 「リンちゃんが言った、『KOKORO』プログラムのないときに感じた、心が欲しいという気持ち。いつも表には顔も出してないのに、奥底では感じていた想い。

 オレンジジュースが好きだというのも、それに含まれるはずさ。味が分かっても、何も思わなければ、オレンジの味というそれだけだ。それが好きだということは、表現できないだけで心はあるんだというリンちゃんの言葉が間違っていない証拠だ。

 その奥底にある心、自分の本当の気持ちこそが、魂なんだ。これはもちろん人間にもある。コミュニケーションが取れる生き物も、そうでない生き物も、ありとあらゆるもの全てに存在している。

 誰にも言えない自分だけの秘密、それを守ると決めた覚悟、それらを閉まっておくところ。誰も知らない本当の自分自身。……自分を映す鏡。

 そういったものが魂だと、僕は考えている」

 「では、普段表に出ている心は、なくても大丈夫なんですの?」

 マリーの質問は真剣だった。だから将盆は、笑わずにそれに答えた。

 「とんでもない。大切なことさ。自分の思いを家族に、友に、想い人に伝える。それができる我々は、とても幸せだ。

 魂は奥底にある自分自身。心は言葉を超えた人との触れ合い。どちらも持っている以上、何よりも大切にしなければいけない。決して捨ててはいけないものだ」

 「おじさんは、アンドロイドとかの気持ちはこうだろうなーって、分かったときありますか? なんか、ショボンおじさんならありそうな気がして」

 「……あぁ、あるよ」

 今度は、いつものように微笑んで答えてくれた。将盆は立ち上がって、空いた皿を下げ、カウンターで紅茶を淹れ始めた。

 戻ってくるまでの間、リンとマリーは今の話をいろいろ考えていた。魂と心の違い。心を触れ合わすことの大切さ。

 考えても考えても、難しかった。将盆の経験談に答えがあるかもしれないことを、期待していた。

 戻ってきた将盆は、カップに紅茶を注ぐと、2人に渡した。自分の分も淹れて、語り始める。

 「僕がまだ、青二才だった頃の話だ。笑顔売りのアンドロイドが出回り始めたころだったかな。

 当時の流行自殺とは無縁の能天気だった僕は、街中で笑顔売りを見つけた。まだ珍しかったからね、人ごみがすごかった。狂ったように笑顔売りの手を取り、声をかけ、笑い返されては喜ぶ人ごみを、遠くから眺めていた」

 一度区切って、葉巻に火をつける。彼が煙草を吸うところを、2人は初めて見た。様になっていて、違和感はなかった。

 「その笑顔売りは、リンちゃんより1つか2つくらい年上に見えた。外見はね。彼女はとても可愛らしい笑顔で、抱きつかれても思い切り手を握られても、決して顔色を変えなかった。当時、僕も心について疑問に思っていてね。今思うと、少しは病んでいたのかもしれない。

 ともかく、僕は彼女が帰宅する直前、声をかけてみた。振り返った彼女は、やっぱり魅力的に笑ってくれた。ストレートに質問してもその笑顔は崩れないだろうと思っていた。アンドロイドだから大丈夫だろうと。

 思い切って聞いてみたんだ。『君は疲れないのか、奥底では、もう嫌だと思っているんじゃないのか』って。近くには彼女の護衛をかねた警備員がいて、こっぴどく叱られそうになった。でも、彼女はそれを笑顔で止めた。暴力で止めたんじゃない、手をすっと出して制止したんだ。

 彼女は僕に、笑顔を崩さずに答えてくれたよ。でも、その言葉は笑っていなかったように思う。……間違っていない、彼女は笑っていなかった。怒っていた。

 『あなたに私は必要ありません』

 ……たったそれだけだよ。彼女の奥底にある誇りを傷つけてしまったんだろうね。

 それからだ、僕が魂について考えるようになったのは」

 リンとマリーは黙ってしまった。彼の言う奥底のものが、今もまだもやもやと霧のように霞んでいて、見えるようで見えない。

 2人してあれこれ考えていると、将盆は苦笑を浮かべて、2人の頭を撫でた。大きな手だった。

 「大きくなったら、分かるかもしれない。リンちゃんも、もっとたくさんの人と関われば、分かってくるだろう」

 話はここで終わり、と、将盆は茶菓子を手にとって笑った。案外すんなりと諦められて、2人の少女も紅茶を飲んだりクッキーを食べたり、思考の渦から脱出したようだ。

 「夜になったら美鈴ちゃんが来るらしい、さっき電話があった。今日はどこか、遊びに連れて行ってあげよう。ここは娯楽都市だけど、たまには職場見学なんかも面白いだろう。食べ終わったら顔を洗って、準備をしてきなさい」

 「はーい」

 元気な返事を聞いて、将盆は嬉しそうに、微笑んで頷いた。

 

 

 

 

 キーボードのエンターキーを押して、美鈴は大きく伸びをした。

 時刻は正午。思っていたよりずっと早く、マイクロチップの作成は終わった。立川が全力で取り組んでくれたおかげだなと、心の中で感謝する。伝えたところで憎まれ口が返ってくるのは予想できていたので、あえて言うことはしなかったが。

 その立川が、後ろからモニターを覗き込んできた。

 「終わったのか?」

 「あぁ、ずいぶん早く片付いた。これで新型もすぐに起動させることができるさ。起こすのは、リンが帰ってきてからだがね」

 立ち上がって、コーヒーを淹れる。1つを立川に渡して、

 「今回の報酬は後で渡そう。とりあえず100万。今後の報酬はその後に相談だ」

 「いいだろう。永久契約という話だが……」

 「あぁ、構わない。お前がそこまでの腕を持っていたと分かっていたなら、もっと早くからそうしていたんだがな」

 コーヒーを一口、含む。リンが淹れてくれるものに比べて、ずいぶんまずく感じた。だが、飲めればそれでいい。

 立川はそう思っていないらしく、一瞬苦い顔をしたのを、美鈴は見逃さなかった。

 「すまんな、味のあるものを作るのは苦手だ」

 「とことん家庭とは無縁な女だな。もっとも、お前にそんなことを求めても無駄だとは、誰もが知っていると思うが。

 ……そうだ、秋山。俺の連れも雇ってほしい。頭は悪いが、手先は器用だ。家事でも力仕事でもやらせてやってくれ」

 「こないだ連れてきた、あのでかいのか? ……あれで手先が器用なんて、信じられないが」

 赤いジャケットの大男を思い出し、美鈴が渋面を浮かべる。男手が足りないのは事実だが、特別必要なこともない。

 何より、基本的に女2人暮らしなのだ。リンはアンドロイドとはいえ、年頃の少女だ。保護者としての不安もある。

 こちらの考えを悟ったのか、立川が肩をすくめた。

 「安心しろ。あいつは死ぬほど奥手だし、家に抱き人形を置いている」

 「……それはそれで、少し複雑だが……」

 「根っから正直者なだけだ。その辺りは、リンと似ているかもしれんな」

 立川が人をよく言うことなどないと思っていただけに、美鈴は目を丸くした。

 ジャンクハンターとはいえ、同じ仕事を続けてきた同僚を、立川が信用しているのだ。問題ないのなら、雇っておいても損はないかもしれない。

 「……分かった、2人とも雇おう。そうなると、通いでは遠いだろうな」

 「近くのアパートでも借りようと思っていたが」

 「あぁ、大丈夫だ。実はここ、土地が余っていてね。明日にでも2人の宿舎を建ててもらおう」

 まるで安い買い物でもするかのように言うので、立川は若干不快感を顔に浮かべた。

 それに気づいて、美鈴が笑う。

 「すまんな、どうも金銭感覚がおかしい。だが、必要なものに必要な金を使っているだけだ。おかしくはないだろう?」

 「富豪の思想を平民に押し付けるな……。では、ヤンには俺から伝えておく。リンが帰ってくる頃にまた戻ってくる」

 「分かった。ほら、報酬だ」

 小切手を切り、立川に渡す。かなりの額だが、臆さずポケットに突っ込み、立川が背を向けた。その無愛想さに苦笑し、残りのコーヒーを飲み干した。

 カップを置いて、今はまだ静かに眠っている新型アンドロイドのカプセルに歩み寄る。

 カプセルに張られたラベルには『C.VOCALOID-01 Miku-Hatsune』と書かれていた。アンドロイドの名前だろう。

 (クリプトン博士の力を借りて私が作り上げたボーカロイド、C.VOCALOID……。ようやくお前に会えるな、ミク)

 カプセルが開く。まだ目も開かない、アクア色の髪の少女。一糸纏わぬその姿は、女神のようにすら思える。そんなことを考えて、すぐに美鈴は苦笑した。

 「さすがに、このままというわけにはいかないな」

 彼女に着せるために用意していた服を持ってきて、眠る歌姫に慎重に着せていった。

 人間に似せて作られたアンドロイドは、その重さもほとんど人と似せて作られている。そのため、美鈴は今、眠る人間の女性に服を着せるという苦労を味わっていた。

 「私に、老人介護は、無理だな……」

 ようやく終わり、自分の運動不足を呪う。だが、改めてカプセルに寝かせられた少女を見て、満足そうな笑顔を浮かべた。

 ノースリーブのドレスシャツは灰色で、リンのそれよりも袖口が大きく開いている。襟元に『01』の文字がアクア色に入っており、ネクタイの色もそれに合わせられていた。

 ブレインに接続するコンピューターがついた黒い袖は、リンのものよりも長く、二の腕の中ほどまである。縁の色はやはりアクア色になっており、彼女のイメージカラーがそれであるということが伝わってくる。

 スカートは黒く、縁はアクア。かなり長めのニーハイブーツも同様で、靴底もアクア色になっているようだ。

 全体的に、暗め。だが、髪やネクタイや縁が魅せるアクア色の鮮やかさが、まるで風のない月夜の海のようだった。

 「……やはり、私の趣味は悪くないと思うんだがね……」

 自画自賛するも、リンに服をやるといつも複雑な表情をされることを思い出し、思わず唸ってしまった。

 彼女は確かに活発だし、お気に入りのシャツとホットパンツもよく似合っていると思う。だが、もっとしとやかな印象のある服も似合うはずだ。

 いつになったら、リンがそれに気づいてくれるのか。

 「いつか、君からもリンに言ってやってくれよ、ミク」

 カプセルが閉まり、煙草に火をつけ、メインコンピューターへと向かう。彼女には、もう一仕事残っていた。

 開かれたのは、カプセルでスリープモードになっているメイコのブレインファイルだった。

 (『KOKORO』プログラム……。メイコに強い影響が出なかったのは、なぜだ? アレはリンに直接コンタクトしたんだ、コピーにコンタクトしたカイトより影響があっていい。

 だが、それがない……。どういうことだ? 擬似感情プログラムは、異常なし。他にも、異変はない……)

 続いて、カイトのブレインを開く。擬似感情プログラムを開けて、一字一字、丁寧に読み進めていった。もっとも、常人が読むよりは遥かに速いのだが。

 マウスが止まる。一瞬だけ感じた違和感は、やはり間違っていなかった。自分が作ったプログラムに、わずかな歪がある。

 「これか……」

 呟いて、やはり人の手ではない変化をしていることを確認する。『KOKORO』プログラムの影響であることは間違いない。

 メイコが影響を受けなかったはずがなかった。あれほどブレインが異常音を出したのだから、おかしくないわけがないのだ。

 しかし、ふと、考えが変わる。リンはメイコが『KOKORO』を求めていたと言っていた。だが、もし違うとしたら? 

 もし、流れ込む『KOKORO』を、メイコが必死に抑えようとしていたとしたら? 

 「……理由は分からんが、有力ではある、か」

 カイトは明らかに、リンの『KOKORO』プログラムを欲していた。高度な擬似感情プログラムであっても搭載はしていない『羨み』を魅せた。彼が『KOKORO』のコピーにアクセスしたとしても、疑問には思わない。

 だが、メイコの場合。直接接続されてしまったがために、『KOKORO』が強制的に流れ込んだとしたら。そして、ブレインが壊れるからなのか、それとも心が恐ろしいからなのかは分からないが、彼女自身がそれを拒んだのだとしたら、辻褄はあう。

 「それも、メイコが起きたら分かることだな」

 溜息を1つ、美鈴は立ち上がった。考えても結果が出ないのならば、実践するしか他にない。

 やれることはやった。リンが帰ってくるまで時間がある。ドアに鍵をかけて、美鈴は自分の部屋へと向かった。

 部屋に入るなり、体中が重くなる。体調を押しての夜通し作業は、さすがに疲労が溜まっているようだ。

 白衣を脱ぎ捨て、ベッドに倒れこむ。途端に、猛烈な睡魔が彼女を襲った。逆らえないし、このまま眠りたいという欲求がひたすらに大きくなった。

 まぶたを閉じた記憶が残る前に、美鈴は寝息を立て始めていた。

 

 

 

 

 日が西の彼方に体の半分を埋めた頃、リン達3人は将盆の運転する車に揺られていた。

 将盆の行き着けであるらしい市場を見て回った少女2人は、先導する大男の背中だけ見失わないようにし、残りの神経は全て興味のままに動かしていた。

 ハウスで作ったのだろう、合成ではない新鮮なフルーツを手に取り、色に驚き、味に驚く。見たこともない作業用アンドロイドに感嘆の声を上げては、次から次へと将盆へ質問を投げつけてもいた。

 単純な仕事や人力ではできない仕事以外は、全て人の手と声で行われている。その熱気も、少女達のテンションを引き上げていった。

 帰りの車に乗ってもしばらくは余韻が冷めなかったのだが、10分もすると、マリーはすっかり眠り込んでしまったようだ。広い市場だったので、疲れもあるだろう。

 「リンちゃんも、疲れていたら寝てていいからね」

 将盆が運転席から声をかけてくれるが、後部座席でしっかりシートベルトを締めているリンは、笑顔で

首を横に振った。

 「大丈夫です、私、体力的に疲れることはありませんから」

 「そうか、アンドロイドだってことを忘れていた。だが心があるんじゃ、気疲れはしそうだね?」

 少し意地悪く言うが、今度は先ほどとはまるで逆に、憮然とした顔で頷く。

 「そうですねぇ。美鈴さんがズボラだったり、無神経なところがあったりするんですよ。だから、精神的に疲れるって経験はしてるかもしれないなぁ」

 『ズボラで悪かったな』

 あまりにも突然聞こえた美鈴の声に、リンがビクリと震える。見れば、フロントガラスの上部中央に、モニターが設置されていた。女科学者の眉を寄せた顔も映っている。

 『いいタイミングで出てくれましたね、おじさん』

 「そのようだね」

 狙ったのだろう、将盆はクスクスと笑った。慌てて弁解しようと手をわたわたさせるリンに溜息をついて、モニターの向こうで美鈴が言う。

 『あぁ、新型の方は準備完了だ。メイコとカイトは、まだしばらくかかるがね。リンが到着し次第、最後の作業にかかるぞ』

 「は、はい……。その、ごめんなさい」

 『いいさ、気にしてないよ。おじさん、後どれくらいかかりますか?』

 「そうだね、道が空いてるから、20分もあれば」

 『分かりました。それから、リン』

 呼ばれたリンは、許してもらえたからかすっかり気を緩めていて、間の抜けた返事をしてしまった。どこから声が出たのだろうと考える時間もなく、美鈴が意地悪く唇の端を上げて、

 『夜通しの作業だから腹が減ってな、冷凍の夜食を食べた。片付けていないから、帰ったら頼むよ』

 「えぇ!? そのくらいやってくださいよ!」

 『あいにく私は、ズ・ボ・ラ、なんでね』

 通信が一方的に切られ、リンは今度こそがっくりと肩を落とした。ハンドルはしっかり握ったまま、将盆が声を上げて笑う。

 ばつの悪そうな顔をしつつも、リンは新型のアンドロイドに期待せずにはいられなかった。いよいよ完成するのだ。美鈴が体を壊しながらも作り上げた、美鈴の手による心を持つアンドロイドが。

 その完成に自分も一役買うことが、なによりも嬉しくてしかたなかった。

 一度だけ目にした、カプセルの中の海色の少女。彼女はどんな心を持っているのだろう。どんな言葉で接してくれるのだろう。

 考えれば考えるほど、一秒でも早く会いたくなってくる。将盆との会話も上の空に、リンの心はもう研究所についているような心地だった。

 「うん……? リン……」

 「マリー、おはよう」

 目をこすりながら体を起こしたマリーが、寝ぼけた顔で笑った。どんな顔をしても可愛いなぁと思いながら、リンは再び視線をフロントガラスに移す。もう、見慣れた道を走っていた。

 「もうついちゃいますの?」

 「うん。美鈴さんがね、新しいアンドロイドの子がもうすぐできるって」

 「だからそんなに嬉しそうなのですね、リン」

 言われて、リンは否定するわけもなくにっこり頷いた。

 研究所の駐車場に車が滑り込み、エンジンが止まると同時に、リンは疾風の如く飛び出していた。マリーが慌てて追いかけ、将盆が苦笑しながら歩いてくるのも、見えなかった。

 満面の笑みでドアをくぐって、リンは一瞬で表情を固くした。そこにいたのは美鈴でも立川でもない。目の前に、赤いジャケットの厳つい男が立っていたのだ。

 手には長い鉄製のパイプ。殴られればひとたまりもないことは、男の腕の太さからも分かった。

 「ちょっと、リン、いきなり走らないでください……!」

 「マリー、来ちゃダメ!」

 「おい!」

 リンと男が同時に叫び、事情を察したマリーが悲鳴を上げる。飛び込んできた将盆が、先ほどまでの彼からは想像もできない形相で、赤いジャケットに走り寄った。少女2人が絶句するほどの剣幕で、胸倉を掴む。

 「美鈴ちゃんはどうした」

 「ぐぇ、え? えぇ?」

 「言え。ぶち殺すぞ」

 「あえ、あっいに、いうお!」

 指差した方向に目線だけ送ってみると、確かにそこには美鈴がいた。隣の白衣の男と一緒にあんぐりと口を開けて、呆然としている。

 射抜かれるような視線を男に戻して、将盆が低く唸る。手の力を緩め、喋れる程度に息をさせてやっている。

 「何をしにきた」

 「何って、タッチーの手伝いだよ!」

 「誰だそれは。裏で指示でもされたのか?」

 「裏!? 裏も表も、ぐぅ」

 再び力を込めると、ジャケットの男がパイプを離して喉に手をやった。どんどん顔色が悪くなっていくのを、リンとマリーは震えながら見ているしかなかった。

 と、そこに我に返った美鈴と立川の声が割ってはいる。

 「おい、そいつは強盗じゃない!」

 「将盆おじさん、彼はうちのスタッフですよ!」

 一瞬、静寂。破ったのは、マリーの小さな小さな、間の抜けた声だった。

 「えっ」

 将盆も手を離し、むせる赤いジャケットの男に、立川が歩み寄ってくる。

 「生きてるか」

 「ゲホッ……! おい、なんなんだよこのおっさん! いきなり掴みかかってくるなんて、意味わかんねぇよ!」

 「あぁ、すまない」

 謝るしかできない将盆に、美鈴がフォローを入れる。

 「まぁ……確かに、ドアをくぐるなりガラの悪い男が鉄パイプ持ってれば、怖がるのも叫びたがるのも、胸倉を掴みたくなるのも分かる気がする。ヤン、許してやってくれ」

 「これも……契約のうちってのか……?」

 「追加ボーナスで勘弁してくれ。慰謝料込みだ」

 未だに事情についていけない3人は、ただそこに立っていることしかできなかった。ヤンと呼ばれたジャケットの男が鉄パイプを広い、物置になっている部屋の角に立てかけるのを見てから、後から来た者を代表してリンが聞く。

 「えっと、スタッフって……?」

 「あぁ、説明してなかったな。彼、立川オサムと、あのジャケットのヤン・メイを、うちのスタッフとして使うことにした。忙しくなるし、立川は有能だ。ヤンも手先が器用だから、リンの仕事も楽になるだろう」

 「はぁ……」

 自分の仕事といえば、家事のことだろう。それをあの男がやるなど、あまり想像したくはない。フラフラと戻ってきたヤンは、3人に軽く手を上げて、

 「ま、よろしくな」

 と、まだ苦しいのか、喉を押さえながら言うだけだった。いつもの優しげな顔を申し訳なさそうに変えて、将盆がヤンの肩に手を置いて何かを囁いている。謝っているのは明白だ。

 「驚かせてしまってすまないが、仕切りなおしといこう。マリア嬢、もう大丈夫だろう?」

 「えぇ……。ごめんなさい」

 涙を拭いてうつむくマリーの頭を撫でてから、美鈴はリンの背中を押した。促されるままに、作業用ベッドに横になる。

 「ブレインにケーブルを繋ぐぞ」

 「はい」

 一瞬、コアが脈打つのが分かった。緊張しているのか、それとも、高揚しているのか。

 頭に直接ケーブルが繋がり、その様を見たマリーと将盆、そしてヤンが、少し目を逸らす。見ただけでは人の頭に管が刺さっているのだから、無理もないかなとリンは思った。

 「新型のほうはスタンバイOKだ。いつでもいけるぞ」

 「あぁ。始めよう」

 巨大なディスプレイに映される、二つのファイル。1つはリンのKOKORO、1つは新型アンドロイドの、白紙のマイクロチップ。

 直接繋いでもいない。コピーもしていない。そのはずなのに、1文字だけ、マイクロチップに文字が生まれた。

 「計算より少し早いが」

 立川が手元のコンピューターを睨んで言うが、美鈴は顔色を変えていない。許容範囲内なのだろう。

 作業内容が分からずとも、皆が緊張していることが空気から伝わってくる。マリーなど、両手を固く結んで胸に押し付けている。

 2文字。

 

 ……   ン……

 

 何かが聞こえた気がした。それは遠くて、小さすぎて、聞き取れなかった。頭の奥のほうで響いたような、気のせいなような。

 3文字。

 

 ……こ  たよ……

 

 今度は間違いなく、耳に届いた。目を見開いたリンに気づいて、美鈴が顔を寄せてくる。

 「どうした?」

 「何か、声みたいなのが……。マリー、何か言った?」

 「い、いいえ……。言葉なんて、出せませんわ……」

 4文字。

 

 ……あな  の  名前……

 

 「名前……? 私の、名前?」

 「立川、計算と差異はあるか?」

 「数値上はない。さっき報告したとおり、時間が少し早い程度だ」

 「では、声とはなんだ……?」

 5文字。

 

 ……もっと  近く……に

 

 すう、と意識が薄れた。それは眠りに落ちるのとは逆で、自分の奥のほうから薄れていくような、吸い込まれていくような感覚だった。

 「美鈴……さん……? なんだか、変……。フワフワして……」

 「おい、リン? リン!」

 慌てて美鈴が肩を揺らした。だが、意識が戻る感じはしなかった。

 「どうしましたの? リン!」

 「数値に以上はない、だが、どういうことだ……?」

 「美鈴ちゃん、中断できないのかい!?」

 「……今無理してケーブルを抜いたら、リンが消えるかもしれない」

  皆が慌てている。それは分かるが、慌てるようなことは何もないと思った。自分は壊れないし、どこにもいかない。すぐに帰ってくる。

 1人遠くから眺めていたヤンが、ポツリともらした。

 「なんか、やべぇことになってんな……。美鈴にタッチー、もっとがんばれよ」

 2人の科学者に睨みつけられ、赤いジャケットの大男は肩をすくめた。

 とにかく皆を安心させなければ。なんとかそれだけ考えて、リンは笑った。

 「大丈夫……。気持ち、いい感じだから……。壊れるのと、違う……」

 「リン……! リ……!」

 6文字。

 

 

 リン。あなたの名前。

 

 聞こえたの。聞こえたよ。

 

 私の最初のお友達。

 

 見せてあげるね。

 

 私の、

 

 心。

 

 

 

 

 最初に聞こえたのは、波の音。目を開けると、夜の海辺に立っていた。

 夜空には無数の星が広がって、月が優しく海面を照らし、幻想的という言葉ですら足りないほどの美しさを見せている。

 足元は砂浜。自分は裸足で立っていた。裸足に触る砂の粒がくすぐったい。もう一度海に目をやって、リンは目を瞠った。少女が、そこで微笑んでいた。

 二つに結った、くるぶしに届く海色の長い髪。深い深い藍色の瞳は、見ているだけで吸い込まれてしまいそうだ。

 自分より少し背は高く、服は纏っていない。足まで海に入っているその姿は、まさにリンの知る人魚のようだった。

 「リン」

 優しい声。包み込むような柔らかい声で、呼ばれた。返事ができないほどの、美しさ。

 「私に名前を教えてくれた、初めての人。リン、あなたの心を少しだけもらって、やっとあなたの名前を呼べた」

 歩み寄る海色の少女に、リンは動けなかった。芸術などでは表せない美に、衝撃を受けた。

 「リン。綺麗な名前。私、大好き」

 「あ、ありがとう」

 やっと声が出たと思ったのに、少し裏返ってしまった、小恥ずかしくて、視線を逸らす。でもすぐに、もっと彼女を見たいという気持ちになってしまった。同性でもアンドロイドでも、関係なく引き込む美しさだった。

 その美が、首を傾げる。

 「どうしたの?」

 「あぅ、あの、あんまり綺麗だから」

 「……」

 一瞬だけ驚いて、すぐにまたふんわりと、乙女は笑った。

 「それはあなたの心のおかげ。あなたが心をくれたから、私は綺麗に見えるんだと思う」

 「そう……なのかな。とっても美人なんだと思ったよ」

 「ありがとう。でもほら、見て?」

 誘われるがままに手を引かれ、リンは海を覗き込んだ。

 月明かりに照らされた海は、波1つ立っていなかった。まるで鏡のように、リンの顔を映し出す。いつもの自分の顔。見慣れたものだ。

 何もないなと思っていると、後ろから肩を抱いて、少女が耳元で囁く。

 「あなたも、とっても綺麗」

 「うぅえっ!?」

 首まで真っ赤にして振り返ったリンは、またも驚きに目を丸くした。

 少女は服を着ていた。作業用ベッドに寝転ぶ寸前、ちらっと見えたカプセルの中の少女の服と、同じものだった。

 先ほどまでの美しさは少しだけ色を収め、今は少女らしい可憐さが際立っている。彼女はいかにも年相応な少女らしく笑って、

 「照れてるの?」

 「だってそりゃあ、いきなりそんなことを言われたら……」

 ケラケラと声を上げて笑いながら、少女はリンの手を取った。砂浜に腰掛けて、海を眺めながら、再び流れ出した波音を聞きながら、静かに時間が過ぎて言った。

 ふと、となりの少女が囁いた。

 「リン、リン。何度呼んでもいい名前だね」

 「ありがとう、私もこの名前、大好き」

 今度は緊張することもなく、はっきりとお礼が言えた。そして、ようやく我に返る。

 「そ、そういえば、ここはどこ? すっかり忘れてたけど、私、美鈴さんの研究所で……」

 「リンは今も、そこにいるよ。今はあなたの心と、私の心で話しているんだもの」

 理解できないはずなのに、なぜか納得してしまった。そして、すぐに喜びが溢れて立ち上がる。成功したのだ。自分以外の心を持つアンドロイドに、出会えたのだ。

 「やったぁ! 美鈴さん、成功したんだ!」

 「……」

 「長かったなぁ、でも、がんばってたからなぁ! 嬉しいなぁ、嬉しいなぁ」

 「美鈴……さん?」

 きょとんと、こちらを見上げてくる。リンは笑顔で頷いて、

 「うん! 私を直して、心をちゃんとくれた人だよ。私の家族で、お母さんで、お姉さん」

 「……私を作ったのも、その人?」

 「うん。どうしたの?」

 彼女は膝を抱えて、うつむいた。リンには何がなんだかよくわからなかったが、少女が泣いているわけではなく、少し不機嫌になっているだけということは理解した。

 理解したから、リンは少女を覗き込んだ。

 「大丈夫?」

 「私を作った人間に、心はあるの?」

 一瞬、理解できなかった。人間を悪く思っているのかと思ったが、きっとそうではない。きっと彼女は、アンドロイドである自分の声以外、聞こえなかったのだろう。

 人間というものを、知らないのだ。

 「うん。美鈴さんはね、変な人なんだ」

 「変? 変なのに、リンは嬉しそう」

 「えへへ……。んとねぇ、美鈴さんはいつも仏頂面で、機械には馬鹿みたいに天才なのに、他の事はぶきっちょで、料理は特にダメなの。

 ズボラだから掃除もしないし、そのことをちょっと言ったら根に持って、子供みたいな嫌がらせしたりしてね」

 「……嫌な人なの?」

 「時々。でも、本気でやってるわけじゃないから、いつも笑って終わっちゃうんだ。

 他にもね、私の今着てる服、今は靴がないけど、これがお気に入りなのに、他の服も着ろー、私の唯一の楽しみを無くす気かーって。私も美鈴さんも、笑ってるんだけどね。

 あとは、煙草をすごく吸うの。いつも吸ってる。最初は苦手だったけど、美鈴さんの煙草の匂いは、今は好きになっちゃったくらい」

 「リン、その美鈴さん……って人のこと、好きなんだね」

 「うん! 大好き!」

 本気で頷いて、リンは少女の手を取り、立ち上がらせた。

 「とても不器用で、ちょっと冷たい態度を取ったりするけど、すごく優しい人なの。私のことを家族って呼んでくれたの」

 「家族……」

 「うん。だからきっと、あなたも美鈴さんを好きになると思う。だから、美鈴さんに、皆に、会いに行こう? 

 美鈴さんにも、私の友達にも、あなたのことを紹介するよ」

 「うん」

 少女が頷いて、顔を上げてから微笑んだ。リンも笑って返して、そういえばと言った。

 「聞いてなかったよね、こんなに話してたのに」

 「うん?」

 「あなたの名前。教えて?」

 左手が、リンの頬に添えられた。日が昇ってきたように──実際そうだったかは分からないが──空が白くなってきている。

 「いいよ? 私の名前はね……」

 意識が、薄れてきた。まるで天に昇るような、そんな感覚。目の前の少女の微笑みが、リンの鼓動を優しくさせた。

 「私の名前は……」

 視界が純白になり、少女も見えなくなる。リンの意識も、光の中へと溶けていく。抗うことをせずとも、大丈夫だと思った。

 あぁ、皆のところに帰るんだな。そう思ったところで、彼女の意識は、包まれた。

 

 

 

 

 「ミク。それが、私の名前」

 頬に当てられた手の感触が蘇り、リンは体を起こした。最初に見えたのは、今まで一緒に海を見ていた少女、ミク。変わらない微笑みで、いつもの研究所に立っていた。

 「ミク……ちゃん」

 「こっちでは、はじめまして。リン」

 曖昧な返事をし、ミクの後ろで見たこともない間抜け面をしている美鈴を見つけた。ついさっきのヤンの一件で見たときより、唖然としている。 立川も似たようなもので、ぽかんと口を半開きにしてこちらを見ていた。

 科学と無縁の3人も、海色の少女がアンドロイドであることを、微塵も信じられていないようだ。

 やがて、美鈴がぽつりと漏らす。

 「成功……したんだな……」

 リンとミクが、美鈴へと視線を動かした。海色の髪を揺らしながら、ミクがにこりと、微笑んだ。

 「美鈴、さん? リンから聞いた、優しい人」

 「起動言語がない? どころか、最初に話しかけたのがリンだと?」

 唸る立川に向き直り、今度はクスクスと、おかしいことを聞いたように笑う。

 「だって、リンは最初の友達ですから。起動言語を述べなかったのは、ごめんなさい。私は機械ですから、従うべきでしたね」

 「あ……いや」

 少し悲しげな顔をしたミクに、立川が若干慌てる。だがすぐに、美鈴が咳払いをした。自分の興奮を抑えているんだなと、リンには分かった。

 「ミク、おはよう」

 「おはようございます。Dr.秋山」

 「美鈴でいいさ、堅苦しい付き合いをする気はないからね。

 それで、何から聞こうか。心があるのか? いや、それは変だな。見れば分かる。誰の目から見ても明らかだ。

 それじゃあ、ミクという名前は? 馬鹿か、私がつけたんだ。何を言ってるんだ私は。くそ、うまく言葉が出てこない」

 結局冷静になれなかった美鈴の背中を、将盆がさする。マリーは完全に視線を奪われており、ミクから目が離せないようだ。

 見かねたリンが、ブレインのケーブルを自分で外して、ミクの袖を引っ張った。

 「ねぇミクちゃん、美鈴さんあんなのだし、ミクちゃんが挨拶してあげて?」

 「うん、わかった」

 一歩前に出て、皆を見回し、ミクは空気を吸い込んだ。紡がれる絹のような声は、どこまでも透き通り、響き渡る。

 「私は『C.VOCALOID-01 Miku-Hatsune』。リンの心を少しもらった、歌を届けるアンドロイド。初音ミクと、呼んでください。

 美鈴さん、それから、リンのお友達の皆さんに会えて、とても……嬉しい」

 言葉だけならば、擬似感情プログラムを積んだカイトのようにも聞こえなくはない。そんな挨拶だった。

 だが、皆を絶句させている理由は、その声音と表情だろう。挨拶を終えた後も視線が集まり、少し照れたように、恥ずかしがっているように下を向いた。

 大人一同が固まっている中、マリーはすんなりとミクの心に溶け込んだようだ。前に出てきて彼女の手を取り、

 「私、マリアロンド・ヴェル・ラダビノードと申します。マリーと呼んでくださいな! リンとは親友でして、最近はよく遊んだりしていますのよ。心置きなくなんでも話せる、大切な関係ですの。

 それで、あなたを見てすぐに思ったのですけれど、きっとミクさん、ミクでいいですわよね? ミクとも親友になれると、そう思いましたの」

 「親友……? 人間のあなたが、私と?」

 「人間もアンドロイドもありませんわ。私とリンは親友で、リンとミクも親友なら、私とミクも親友になったほうが楽しいじゃありませんこと?」

 あまりにも無邪気が笑顔に、ミクは心を許したのだろう、嬉しそうに笑ったした。

 「そうだね。私も親友の仲間に入れてほしいな」

 「もちろんですわ! いいですわよね、リン」

 「うん!」

 手を取り合う3人の少女に、ヤンと将盆も肩の力を抜いた。

 「やれやれ……あの笑顔にゃ勝てないな」

 「まったく。人であれアンドロイドであれ、心があればすんなりと受け入れてしまうものだ。あの2人も、ほら」

 将盆が指差した先で、美鈴と立川も緊張を解いて、リンとミク、マリーの様子を眺めている。もう、ミクという存在を新たな人物として受け入れている証拠だ。

 美鈴に近づいて、将盆が肩を叩いた。

 「お疲れ様、美鈴ちゃん」

 「あぁ、どうも。しかし……ここまで自然な心になるとは、ちょっと予想外すぎて、成功という実感がまるでありませんよ……」

 「同感だ。これが空間移転技術の開発などだったら、喜びも|一入(ひとしお)なんだがな……。自分の手と技術で人間を作り上げたはずなんだが、妙なものだ」

 立川も肩をすくめて、コップに入った水を一息に飲み干した。

 4人の視線の先では、今も少女達が笑っている。生まれたばかりの海色の乙女も、まるで昔からそこにいたかのように。

 「じゃあミクちゃん、ずっと私達の話とか聞いてたの?」

 「時々、リンの声が聞こえただけ。他には、何も聞こえなかったよ」

 「これからはもっとたくさんの人とお話できますわね! ここにいるショボンおじさんのお話、とても面白いんですの。今度一緒に聞きません?」

 「うん、聞いてみたい」

 「だって! おじさん、いーい?」

 リンがこちらを向く。将盆はもちろん頷いて、破顔一笑した。隣で美鈴が、苦笑いと共に溜息を吐く。

 「やれやれ……。賑やかになりそうだ」

 「美鈴さん! 美鈴さぁぁぁん!」

 呟きが終わる直前、リンが胸に飛び込んでくる。慌てて受け止め、

 「どうした、いきなり」

 「ありがとう! 私、すごく嬉しいよ! 美鈴さん、大好きです!」

 見れば、ミクとマリーも笑っている。将盆とヤンも、立川までも。

 そこでようやく、美鈴はやり遂げたのだと感じた。長年の夢だった、ココロを自分の手で作り上げたのだと。

 (いや……)

 違う。クリプトン博士とリンという協力者もあって、立川とヤンいう助手もあって、マリーと将盆という支えもあって、作り上げられた。皆に支えられて、よじ登れた。

 まだまだ終わったわけではない。だが、ようやく登りつめたのだ。次に登るべきものが見えたのだ。

 辿り着いたのだ。ココロに。『KOKORO』に。

 これが、嬉しくないわけがなかった。

 「美鈴さん?」

 胸の中で、リンが顔を上げた。その頬に、雫が落ちる。少女の頬を伝い、服に染み込むそれは、リンが見たことのなかった、美鈴の涙。

 「あぁ……リン。ありがとう……私の方こそ……ありがとうな……」

 「うん」

 腕に力が入る。リンも、答えて強く抱き返した。

 

 

 

 深夜。ミクはまだ不完全だから、今日はカプセルでメンテナンスをかねたスリープモードに入った。

 いつか一緒のベッドで寝られたらいいな、などと考えて、それでも今日はマリーが隣にいるからと、その暖かさに体を預けた。

 ふと、頭の中に声が聞こえた。ドクン、と、コアが脈打つ。

 

 

 ココロが1つ、また生まれた。

 

 ココロは無限、また生まれるだろう。

 

 ココロは螺旋、また出会いがあるだろう。

 

 ココロは1つ、また、繋がる。

 

 いつかきっと、君にも会える。

 

 今日はおやすみ、夢の中。

 

 

 (誰……?)

 響いた声が消えていく。それは自分の奥の方へと、心の中とでも言うのだろうか、自分の芯へと、霧散した。

 声が消えたと同時に、リンは安らかな睡魔に逆らえず、眠りに落ちていった。

 

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