カタリロンパ   作:カタリベガタリ

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第二章「オオカミ少年独白」
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 ごめんなさい。たくさんうそをつきました。

 ごめんなさい。たくさんだれかをきずつけました。

 ごめんなさい。たくさんひとを、ころしました。

 ごめんなさい、それなのに。

 

 あなたのとなりにいたいと、ねがってしまった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

第二章

「オオカミ少年独白」

 

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◇◇◇

 

 

 

 

 

 保健室――……。それは、学校という狭い施設の中で唯一、負傷者、及び病床人の手当てに特化した施設である。戸棚には消毒液や包帯など、医薬品の類いが詰め込まれており、事務机にも絆創膏やガーゼなどの消耗品が収納されている。流石希望ヶ峰学園、と言うべきなのか……有子がほとんどの一般的な教育機関で目にする機材より、もっと充実した設備が整っているなと感じた。

 つい、数時間前。有子たちの仲間の一人である、夢占い師の茨木が無惨な姿で見つかり、その犯人探し――"学級裁判"が開廷された。議論の末、見事有子たちは犯人を当て、狂った話し合いを終了することが出来た。……その代わりに仲間を一人、また犠牲にして。何はともあれ、事件は解決に至り一段落したことで、再び非現実的な日常が訪れるのだと思っていた有子たちの目の前で……生き残った仲間の一人が倒れたのだった。有子と章平は、その彼の看病兼お見舞いに来た、というわけである。

 カーテンの向こうにいた星永と猫塚が、しゃっとカーテンを開いてこちら側に戻ってくる。有子は思わず立ち上がった。

 

「せつなちゃん、青錆くん……大丈夫だよね? しんじゃったり、しないよね……?」

「うん。とりあえず、今のところは大丈夫だよ! 呼吸も安定したし、ふるえも治まったからね」

 

 赤ずきんの屈託のない微笑みに、ひとまず有子はほっと胸を撫で下ろす。茨木に、綿貫――……。先程二人も仲間を失ったばかりで、もうこれ以上、誰一人欠けて欲しくないと心からそう思った。

 まだ良く見えないが、二人の向こう側には簡易ベッドで横になる青錆の姿があった。遠目からでも、苦しそうにしている様子は無い。

 有子の後ろから覗き込むように立っていた白うさぎが、ことりと首を傾げる。

 

「青くんはどうしたんだい? 急に倒れてしまうだなんて……」

「低血糖、かなぁ……。れいちゃん、けっこうごはん残しちゃうもんね。今日もまだたべれてなかったし……」

「普段から……十分な食事量を摂取出来ていないご様子でしたし、ここ数日の状況などを鑑みても、その可能性が最も高そうです」

 

 二人の言葉に、有子は最近のことを思い返す。元から食が細かった城主は、確かに直近は更に十分な栄養を摂れていない様子だった。有子たちの抱えるそれぞれの"秘密"が第三者に知れてしまったのだと判明してから、彼はずっと塞ぎ込んでいたのだ。

 

「そう……だよね。最近は特に全然だったし……。もしかして、身体弱いのかな……」

「……あれ。そういえばじゃあ、入学式のって……」

「うん……だと、思うよ……」

 

 何か思い出したのか、白うさぎがはてと首を傾げる。赤ずきんは眉を下げて言いづらそうに頷いた。黙って聞いている執事とは別で、有子はその話が分からずきょとんとするばかりである。

 

「入学式って……希望ヶ峰の?」

「うん? ……あ、そっか。ゆーこちゃんは知らないよねえ。がしゃーんって音がしたと思ったら、救急車がきたの! ぴーぽーって! ぼくはちっちゃいから、あんまりよく見えなかったんだけどねえ」

「まさかあの様な事態が起こるだなんて、まるきり想定していませんでしたから……僕も驚きましたね」

「え……」

「えらい先生のお話の途中で、誰かが倒れちゃったみたいだよ! びっくりしたねぇ!」

「それが……青錆くんだったかもってこと?」

「可能性は高いよね。今だって、実際たおれちゃったわけだし……」

 

 入学式で? 倒れた? 救急車? 有子はますます不安になって、きゅっと手を握りしめた。星永の向こう側に居る彼に目を向ける。変わらず眠る彼は、すると少し動いた気がした。

 

「……う、うぅん……」

「! 青錆くん!」

「……国中氏……?」

 

 呻き声を上げながら、眠っていた青錆が身をよじる。有子がはっとして声をかければ、不思議そうな彼の声が聞こえた。

 有子の背からぴょことうさぎが顔を出して、同じように青錆を見つめた。

 

「青くんは倒れてしまったんだよ。覚えていないかい?」

「え……」

「猫くんが咄嗟に支えてくれて、太郎くんと靴屋くんがここまで運んでくれて、ずきんちゃんが手当てをしてくれたのさ」

()()の後でしたからね、流石に肝を冷やしましたよ」

「目を覚ましてくれてよかったよ……本当に……」

「あ。あの……す、すみません……! ご迷惑をおかけして……!」

「ああ、ダメだよ青くん。まだ横になっていなくては!」

 

 事情を把握した途端に真っ青になって、だらだらと冷や汗をかきながら申し訳なさそうに身を起こす青錆を、章平は無理やり元の体位に戻していく。だぼついたカーディガンで隠れた手に倒されながら、青錆はもう一度すみませんと謝った。

 

「皆さんには、ご迷惑を、おかけしないよう……気を付けていた、つもり……なのですが……」

「色々あって急にバタバタしたんだもの……。青錆くんも、くたびれちゃったんだよ。仕方ないよ」

「国中氏……」

「でも身体のこと先に言っててくれてもよかったんじゃないかなぁ……」

「国中様の仰る通りです」

「ぼくもありすと同じ気持ちさ!」

「ほんとにねー!」

「ほ、本当にすみません……」

 

 有子が何とも言えない感情を吐露すれば、三人ともがそれに同意する。責められた青錆は言い返す言葉もなく、たじたじになって謝るしかなかった。

 

「……生まれつき、内臓が、弱くて。ああ、でもっ! い、今は大分……安定しているので、命に関わるほどではありませんし……。気を付けていれば、今回のように倒れることも、ありませんので……」

「じゃあ、とりあえずせつなちゃんや猫塚くんに頼んで、これからは毎日食事や生活のサポートを徹底すべきだね」

「そ、そんなことは……! そんなことは、して頂かずとも……! だ、だって僕は」

「何言ってるの! いつまた具合が悪くなるか分からないでしょう? 何かあった時に頼れる大人が、今は居ないから尚更だよ。その道のスペシャリストがいるんだから、しっかり頼って予防しなくちゃ」

 

 有子は隣に控える二人を見て、強く頷く。猫塚と星永はにこりと微笑みを作った。

 

「と、言う訳ですので青錆様、これから身の回りのお世話は僕にお任せ下さいね」

「れーちゃん、よろしくねぇ〜♪」

「……世絆さんはともかく、猫塚氏にはお帰り頂きたいです……」

「何故ですか? お世話や給仕に関して僕の他に適任者がいらっしゃいますか? この僕がもっともお世話役として完璧で優秀だというのに?? 何故???」

「……ご自分の胸に手を当てて……よぉく考えて欲しいです……」

「ま、まあまあ! 猫塚くんの才能は本物なんだし、お仕事はしっかりしてくれるからさ……」

「おしごとはね、おしごとはー!」

「そうでなくても僕は優等生でしょう?」

「またなんか言ってるなぁ……」

 

 ぼんやりと呆れたように言う青錆と、相変わらずの態度な猫塚に苦笑して、有子は眼前の問題はとにかく解消されたと安堵した。この頃には波乱の朝から、もう随分と時間が過ぎていた。ひとまず今日はゆっくり休むようにと伝え、有子と章平も休息を取ることにした。

 

 何故だかとても久々に思える自室のベッドに勢いよく沈みこんで、有子はすぐに意識を手放したのだった――……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。有子の目に真っ先に飛び込んだのは、今までと変わらない天井。眠い目を擦って、顔を洗って着替えて。そうして昼時間の始まりを告げるモノヴォルの放送を耳にする――……。そう、()()()()()()()()()()が、また穏やかに流れて行く。有子は当たり前のこの事実に、改めて少し憂鬱な気分になったが……しかし、考えても仕方がない。『責任を負って、生きること』――昨日、姫ヶ原が放った言葉を心に思い返す。どちらにせよ、今日も変わらず生きていくことになる有子に出来ることは、その言葉に従うことだった。

 今までのルーティン通りに、章平を起こすため部屋を出る。……そこで、目の前を横切る人影を見た。

 

「あっ……赤柳くん!」

 

 その白い背中を、有子は慌てて引き止める。スタスタと早足で歩く姿勢の良い背は、その一声ですぐに足を止めた。そしてすぐにくるりと踵を返し、彼は有子に目を向ける。

 

「何だ」

 

 手には黒いケースと黒い包み、黒いファイル。彼は毎朝昼時間に切り替わるまで、何処か別の場所で朝練に励んでいるようだった。そう、世界最高峰を誇る演奏家である彼の、毎日のルーティン。今日も変わらないその日課の帰りだ。この後、道具を個室に置いて、彼も有子と同じく食堂へ向かうことだろう。話ならばその時にでも出来るはずだった。

 けれども、有子には二人きりの……そう、まさにこういう場面で。彼に尋ねたいことがあった。

 

「あ、あの、あの、……き、昨日っ……どうして、ショウくんを」

 

 ――学級裁判。つい昨日、自分たちが行っていた、狂った疑心暗鬼の議論ゲームを有子は思い返す。殺人事件の犯人を暴き出したのは、全員の議論の末だが……真実に近づけて行けたのは、章平と、もうひとり。目の前の赤柳の功績が大きいと、有子は感じていた。特に彼は、重要な議題を提供し、尚且つその答えを……わざわざ章平に問い掛け、あの()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……有子はそんな気がしていたのだ。

 だから有子は彼に尋ねた。『どうして章平の口を借りたのか』と。目の前の真っ白な制服の彼は、呆れたようにため息をつくと、やれやれと肩をすくめる。

 

「それはお前が一番分かっているだろう」

「え?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが物語でも、虚構でも、真実でも真相でも……まして、真っ赤な嘘でも。その場にいる人間は、その"()()"に耳を傾ける。傾けざるを得ないんだ。だから佐渡を選んだ。それだけだ」

「……ショウくんの、"語り"」

「ずっと近くであいつを見てきたんだろう。ならあの力のおぞましさは、お前が一番良く知っているんじゃないか」

「…………」

「僕はそれを犯人に使われる前に使っただけだ」

 

 もういいか? と。必要な会話は終えたと言いたげにため息をついて、赤柳は視線を逸らす。なるほど、合理的な人だ。有子は思った。――けれども、それだけではない。

 

「きみは……ショウくんのこと。すごく信頼してくれているんだね……」

「信頼?」

 

 自然と顔が綻んで出た有子の言葉に、赤柳は顔をしかめた。しまった、と思ったのも束の間。また機嫌悪く否定されるだろうと過ぎった有子の考えとは裏腹に、笛吹き男は目を伏せて――その言葉を噛み締めているようだった。

 

「……そう、だな。佐渡は……良くも悪くも、極端だ。あいつはお前と物語以外に興味を持たない。その他のものは全て小さな事でしかなくて、あいつにとって取るに足らん、観測するに値しない些事でしかない。だからこそ、殺人が起こっても、クラスメイトが疑心暗鬼になっていても、お構い無くいつも通り平常心でいられる。何が起こったとしてそれがお前の危機でもなければ、もっとも頼もしい存在だろうよ。一番冷静に物事を見られる。だから僕は真っ先にあいつを捜査に連れ出した。……おそらくこれからも、もしまたことが起こってしまえば、同じ事をするだろうな」

 

 言い終われば、赤柳は今度こそ会話は終了したと判断して、断りを入れてくるりと踵を返し行ってしまう。そっか、と心の中で呟いて……そうしてそれを口に出すことが出来ないでいた有子は、彼が肯定して頷いたことに項垂れた。

 

 どうして自分は否定して欲しかったのだろう、と。何とも形容し難い感情をまた、胸の内に募らせて。

 

 

 

 

 

 

 赤柳と別れ、すぐさま章平の元に向かい、有子は白うさぎの支度を手伝い……いつも通り、食堂へ入室する。期待通りの香ばしい匂いが漂ってきて、相変わらずの面々が気持ちの良い挨拶をしてくれる。目視でざっと見ても、その光景は昨日までと何ら変わりないものだった。

 伊海田と星永が仲良く体操をしていて、それを見つめる泡淵と白雪。少し離れたところにいる赤柳に、章平がちょっかいをかけに行く。厨房では猫塚が調理を行っているようだ。

 有子も輪の中に入って少し待てば、火燈、中森双子、加連、姫ヶ原がぞろぞろと集合する。

 ――当然のことだが、いくら待っても……茨木と綿貫が現れることはなかった。

 

「皆様、お揃いですか?」

「青錆が居ないわね。夕方には目を覚ましたって聞いたけど……」

「彼はしばらく個室で食事を摂られますので、お気にならさず。今朝も僕がカフェオレをお持ち致しましたので、ご無事は確認しています」

「なら全員居るわね。配膳、手伝うわ」

 

 猫塚の声掛けに白雪が答える。有子はかの城主のことがまた心配になったが、すかさず執事がにこやかに告げた台詞で、ほっと胸を撫で下ろす。まだ休息が必要ということだろうが、それでも無事であることが分かって安心した。

 配膳が終わり、速やかにいつもの食事の挨拶がなされ、本日も朝食会がはじまった。

 

「そういえばさあ! 青錆ちゃんの手袋ってめちゃくちゃイイヤツだよねー! だってたぶんあれ、仔羊革(ラムスキン)でしょ? やばいよね、俺ちゃんほとんど扱ったことないよぉ……」

「らむ……何?」

 

 やや興奮気味の加連が意気揚々と発言する。その聞き慣れない単語を復唱しようとして、白雪が眉をひそめる。有子も靴職人が何の話をし始めたのか理解出来なかった。今日も彼の隣で姿勢よく食事を口に運んでいた猫塚が、静かに微笑んで口を開く。

 

仔羊革(ラムスキン)。革素材の中でも最高級品とされる仔羊の革のことですね。じっくり観察したわけでもないでしょうに、加連様は見る目がありますね」

「ふぅん? よく分からないけど、あんたが気持ち悪いってことだけは分かったわ」

「んぇ……白雪ちゃんヒドくない……?」

「青錆様はシュヴァンの城主様ですから、当然のようにお金持ちなのでは?」

「たしかにぃ。何処のブランドなのか聞いてみよーっと」

 

 食後の楽しみが出来たことで、加連はるんるんと揺れながら料理を頬張った。今日も頬が落ちそうになるほど美味な朝食である。少しも変わらないその味と皆の様子に、有子は完全にリラックスすることが出来た。

 

 

 

 

 相変わらず楽しく進行していく会食。

 会話が途切れたところを見計らって、何やら神妙な顔付きで伊海田は箸を置いた。深刻な話題が飛び出るかと思ったその続きは、予想に反して拍子抜けする提案だった。

 

「なあ、この後皆で泳がねぇかぃ?」

「泳…………なんでだ」

 

 その唐突で不思議な言葉に、赤柳が心底嫌そうな顔をして見せた。そのいつも通りの反応に伊海田は緊張の糸が解れたのか、困ったようにふにゃりと笑って頭を搔く。

 

「いやぁ、親睦を深めようと思ってぃ……」

「たのしそー! ぼくはさんせー! ……でも、こたろ、どこ泳ぐのー? おふろ? おこられちゃうよぉ?」

 

 真っ先に嬉しそうな声を上げたのはもちろん星永。赤ずきんの疑問には有子も同感だった。"泳ぐ"ことが出来そうな場所は……彼女の言う通り、有子も大浴場くらいしか心当たりが無い。何故漁師がわざわざそのようなピンポイントの提案をしたのか不思議に思っていれば、提案者ははっとして、そしてすぐに納得したような声を漏らした。

 

「んあぁ、せつなちゃんはまだ知らねぇかぃ……」

「どうやら、学級裁判を無事終えたボーナスとして……新しく施設が解放されたようなのよ」

「え! いけるところが増えたってことかい?」

 

 白雪の補足に、隣の白うさぎが大きな声を上げた。有子もその言葉に目を丸くする。施設が解放された。つまり……有子たちのこれまで行けなかった場所に、これからは行けるようになったということ。活動エリアが広がったのだ。

 

「そうそう! 校舎の2階に行けるようになったんだよねーん。プールとかあってさ〜!」

「……加連様。おひとりで行かれたんですか?」

「いや? 他のみんなも一緒でぇ……いやややや置いてってごめん! ごめんってぇ!」

 

 あっけらかんと言う加連を猫塚がじとと睨みつければ、慌てて靴職人は謝り倒す。昨日の裁判といい、彼は執事に弱みでも握られているのだろうか?

 

「……探索結果の共有に移るか。青錆の看病をしていたのなら、まだその辺りも知らないことだろう」

「うん。出来たら、お願いしたいな」

「わーい! あたらしいおへや!」

 

 我らのリーダーが許可を下せば、話題はすっかり新エリアのことに切り替わる。何も知らない有子たち看病組以外は、あの後エリアの開放に気付き探索していたようだ。赤柳はご丁寧に電子生徒手帳からマップを開いて見せながら、説明を始めてくれた。

 ざっくり彼らの話を要約すると、開放されたエリアは学校エリアの2階。そこには教室がふたつと、プール、男女更衣室、それから図書室があったのだという。プールは室内プールであり、やはり窓も施錠され開けることは不可能とのことだった。無論、今まで行けていたエリアも、相変わらず出入口は見付からず、玄関ホールの扉も開かずじまいのようだ……。

 やはりここから出る術は、始めにモノヴォルが提示した条件しか無いのかと有子は肩を落とした。説明が終われば、猫塚はやれやれと呆れたようにため息をついた。

 

「徹底的に僕たちを外へ出さない工夫が施されていますね。ここまで来ると、黒幕は学園そのものなのでは?」

「そんなわけあるかぁぃ? 他の生徒もいねぇし、国中なんかほかの学校の生徒なんだぜぃ?」

「ですが、9割学園の生徒の僕たちですよ? 最高峰のセキュリティ(笑)の学び舎で過ごしていた、世界的権威希望ヶ峰学園(笑)の生徒が、こんな簡単に死亡事件に巻き込まれてしまっているんですよ? おかしいでしょう、何もかもが」

「猫塚君ってばホント、希望ヶ峰アンチだよねー」

「『なんか鼻についてムカつくから』と叩きたいだけの方々と一緒にしないでください。僕は理由があって嫌いなんです」

 

 皮肉たっぷりに薄ら笑いを浮かべて述べる猫塚に、夜羽は分かりきったように言う。執事は眉をひそめてその言葉に若干の訂正をした。猫塚くん……学園の生徒なのに、学園のこと嫌いなんだ……? 有子は不思議に思ったが、他の生徒にとっては既知の事実のようだった。

 

 

 

 

「そうだ、お前たち。倉庫の道具で何か持ち出す際には、理由と共に僕に申し出てくれ」

 

 探索結果の報告のついでに、赤柳が新たな申告をする。倉庫……といえば。様々な道具が混沌と積まれていた設備である。昨日の事件……茨木と綿貫の事件で使われた凶器やその他の道具は、まさにこの倉庫にあった道具であった。当時その危険性も考慮していなかった反省を踏まえ、彼なりにあのような出来事を抑止すべく動いたのだろう。

 

「あそこ、あんたが管理するの?」

「あんな悪趣味な議論は二度と御免だからな。お前たちもそうだろう? とれる対策は全て実施すべきだ」

「言えてる」

「倉庫管理でしたら、是非僕にお任せ頂ければ、」

「却下だ。倉庫の管理は僕がやる。お前は今受け持っている仕事と青錆の世話に全力を注げばいい。それで十分助かっている」

「……かしこまりました」

 

 にこやかに申し出た猫塚を赤柳は軽くあしらう。ただでさえ膨大な仕事量を請け負っているというのに、これ以上の負担は支障が出るだろう。その上……。有子は昨日の学級裁判中の出来事を思い返す。そう、この猫塚という少年は、虚言癖の自己保身に走る、信用ならない人物なのだ。そのことを全員が知ってしまった今の状況で、他者の補助に関する仕事以外に、彼に何かを任せる流れにはどうしてもならなかった。

 不服そうにしながらも、しぶしぶ猫塚は引き下がる。代わりにあっと声を出したのは、可愛らしい赤ずきん。

 

「あ! じゃあさ、じゃあさ? 保健室のおくすりはぼくが見るね!」

「保健室の薬?」

 

 何のことかと一同が首を傾げれば、介護士は元気よく頷く。

 

「うん! いっぱいおくすり置いてあるんだけど……。よーく見たら、扱いがむつかしーのもあってねぇ……」

「毒薬にもなりうるものが陳列されていたな」

「何?」

「ど、ど、毒ぅ!? そんなの絶対危ないじゃん!」

 

 それまで有子たちの議論を、バックグラウンドミュージックのようにして優雅な朝食を楽しんでいた姫ヶ原の唐突な補足に、加連は素っ頓狂な声を上げた。もちろん有子も、あの赤柳も。その申告には驚きを隠せない。

 白雪が真剣な表情で頷く。

 

「ならなおさら、そこも管理した方が良いわね」

「知識のある奴が適任だと思うが……世絆、大丈夫なのか?」

「んー……。じゃあ、かぐらちゃんもおてつだいしてぇ? いっしょのほーが、ぼくも、安心だなあ〜」

「ふむ、良かろう。薬物に関して言えば、御前より我の知る事の方が多かろう。承ったぞ」

「わーい! がんばろおね〜」

 

 星永がにこにこと人懐こい笑みを浮かべれば、微笑む姫ヶ原の表情も、有子の目には何処と無くいつもより優しげに映った。

 

「でしたら、僕も……」

「お前の仕事は先程指示したはずだが?」

「…………」

「ね、猫ちゃんのご飯美味しいなぁ〜! 俺、猫ちゃんがご飯用意してくれるのすっごい助かってるなあ〜!」

「フゥン……そりゃそうでしょうけどね」

「こいつマジでめんどくせぇな」

 

 再び表情を無くしていく猫塚の気を紛らわすべく、加連が慌ててわざとらしく話を逸らす。ようやくいつもの調子が戻った執事に、やれやれとパティシエの片割れが白けた目を向ける。しかし猫塚は彼女のことなど眼中に無いようで、昨日の話し合いの時のように突っかかっていくことは無かった。

 

 

 

 

 

 

 会議と食事は無事終わり。有子は今日も少し手伝いをしてから移動しようと、後の方まで残っていた。いつも食べ終わりが最下位の城主はこの場に居なかったため、火燈が手を合わせれば、それが最後の皿だった。

 彼女と一緒に厨房へ食器を持っていくと、丁度良いタイミングでそれを受け取るため、猫塚がにこやかに顔を出す。一昨日までそこで共に食器洗いをしていた綿貫の影は、当然そこには無かった。まだシンクに重なっている泡だらけの皿の量を見て、彼の不在は大きいものだと痛感せざるを得なかった。けれども執事はなんでもないように、そのまま()()()()()()()皿洗いをはじめる。

 ふと、有子は先程の会話を顧みて、思い切って彼に尋ねてみることにした。

 

「ね、ねえ、猫塚くん……。さっきみんなさらっと流してたけど……きみは、希望ヶ峰学園嫌いなの……?」

「嫌いですよ」

 

 即答だった。

 

「教師陣の中にはまともな方もいるようですが……役員やら理事会やらは、金儲けと実験にしか興味の無い下劣な大人たちです。スカウトマンなんかホント、最低ですよ。常識も倫理も無い。なんたって青錆様は、半ば強制的に連れてこられたそうですよ。ほんと、希望ヶ峰学園ってろくでもないですよね」

「でも、きみもスカウトされて……それを了承したからここに居るんだよね?」

 

 猫塚が嘲笑するように言い捨てるのを、有子は不可解に思って疑問を口にする。……本当にそこまで嫌いなのなら、わざわざこんなところに来なければいいのに……。有子も自分の進路は自分で決めた。もちろん、当時の担任教師や親に相談して、近場で学力の見合う進学校に絞ったのだが……それでも今の学校に通うのは、有子にとって自分で選んだ道だった。周囲も皆そうであったし、ましてや希望ヶ峰学園というマンモス校。()()()()()()()()()()()()()()()とはいえ、勧誘(スカウト)だ。それはされたからといって、選択肢が広がるというだけのもの。

 ……だという認識だったが、目の前の彼にとっては少なくとも違ったらしい。長靴をはいた猫はきゅっと水道の蛇口を捻って止め、それから困ったように肩を竦めて、不貞腐れるようにため息をついた。

 

「……恩師や義兄(あに)の母校を悪く言うのは、僕も心苦しいのですがね。それを抜いたって、加連様なぞは三年も追い回されていたのですよ? 本当にろくでもない……。……実は、僕は学園に脅されてここに居るようなものなんです。そのうえこんな誘拐事件ときたら……ね? 嫌にもなりますでしょう?」

 

 有子は希望ヶ峰学園の闇を垣間見た……。

 

「きみは学園を疑ってるの?」

 

 彼の嫌悪とその口調から、かなりマイルドに言葉を選びながらも……有子は猫塚が学園こそが黒幕であると確信しているのではないかと感じ、そう尋ねた。執事は否定するでもなくふっとため息をつく。

 

「学園が関わっているのであれば、外部からの助けはほぼ期待出来ません。警察も頼れないでしょうしね。僕たちにとって最も不利な敵ですから、そうとは思いたくありませんけれど……。それを抜きにしたって、信頼しようとしていた大人もいましたから」

「それって……?」

「僕たちのクラスの担任です。彼女は学園で最もまともな方だと思っています。今でもね」

 

 その人は――……。そう、質問を重ねかけた時だった。

 

「国中さん、ここに居たのね。一緒にプールへ行きましょう」

「え? う、うん」

 

 引き裂くように現れた白雪がにこやかに話しかければ、猫塚はふいとすぐに仕事へ戻っていく。別にそれ以上会話をするつもりはなかったので、有子は別段気に留めなかった。

 ――強いて言えば、"担任の先生"。彼が『僕たちのクラスの担任です』と語ったその人のこと。それはつまり、白うさぎの担任でもあるということ。あの気難しい執事が信用していた唯一の大人。

 どんな人なんだろ……。そのことだけを考えていた有子だったが、目の前のイベント事へすぐに頭が切り替わってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで。有子も白雪に連れられ、待機していた女子陣(泡淵、星永、火燈と、有子を含めた全部で五人!)と共にプールへ向かう。保健室の奥、体育館に繋がる廊下のその先の階段は、今朝聞いた通りシャッターが上がっていて通れるようになっていた。未知の階段を登ってすぐ左手に案内される。そこには二つの入口と、なんとも物騒な装備が取り付けられてあった(なんと、異性の更衣室に入室しようとすると、この設置されたマシンガンが起動するそうだ!)。先行する赤ずきんが自身の電子生徒手帳をかざしてピンク色の扉を開く。泡淵や火燈、それから白雪が同じようにそうするのを見て、有子もそれに倣い部屋に入った。

 そこは女子更衣室。着替えをするための施設であった。部屋の端にあるハンガーには様々な種類の水着が取り揃えてあったので、有子はその中から気に入ったものに早速着替える。同性とはいえ、全裸を他者に晒すのには有子も抵抗があったが、更衣室にはしっかり仕切りのある着替えスペースも備わっており、問題なく着替えが完了した。

 

「ゆうこちゃん、かわいー!」

「え、えへ……。ありがとう、せつなちゃんもすっごくかわいいよ」

 

 カーテンを開いて初めに出会ったのは、水着姿の赤ずきんと人魚姫だ。素直な褒め言葉に、有子は少し照れ臭くなって頬を掻く。二人の可憐な少女たちも、とても素敵な水着を見つけたようだった。

 

「あら、みんな早いのね。とても似合っていて素敵だわ」

「白雪さん……! わあ……!」

「りんこちゃん、きれーい!」

 

 後ろから声が掛かり振り向けば、セクシーなビキニを着用した白雪が立っている。ふくよかな胸、きゅっとしたくびれ、細い足のすらりとしたシルエット。彼女が"最高峰のモデル"であるということを、有子は再認識した。もちろん水着も素敵なデザインであったが、それはもはや白雪梨子という少女の美しさを際立たせるための脇役でしかなかった。

 

「白雪さん……すごくきれい……。ご、ごめんね、まじまじと見つめちゃって……」

「気にしないで。視線を集めることは慣れてるから。それに、褒めてくれて嬉しいわ」

 

 にこやかに微笑む白雪姫に、有子はぎゅっと目を瞑った。このまま直視し続ければ、女の身でありながらも恋に落ちそうだった! 遅れて現れた火燈も、露出の控えめな可憐な水着で現れた。有子たちは例に漏れなく彼女を褒めたが、彼女の反応は言うまでもないだろう。

 水着姿に着替え終わった一同は、早速と共にプールへ向かうことにした。星永は上機嫌で泡淵の車椅子を押して行く。

 

「わーいわーい! みんなでプールだ〜!」

「楽しみね」

 

 はしゃぐ赤ずきんを見て、車椅子の上で同じように人魚姫が微笑む。有子も二人の喜ぶ様子を見て自然と顔が綻んだ。

 ――そうして、有子は水泳施設に足を踏み入れる。流石マンモス校とも言うべきか……思っていたより広大な屋内プールに改めて圧倒される。左右には体育館と同じように観客席がずらりと並び、競泳用50mプールの他にも中規模のプールがいくつかある。明らかに水泳の不得意そうな面々もいる中、伊海田がここでの懇親会を提案した理由を、有子はそこで理解した。

 あまりにも広く豪華なその設備に圧倒される有子に、気持ちよく元気の良い声が掛かる。伊海田だ。

 

「お、来たかぃ!」

「伊海田くん」

「お誘いありがとう、伊海田。良い気晴らしになるわ」

「ほんとほんとー!」

「あ、あ、あ、ありがとっ……!」

 

 当然ながら、彼もまた水着を着用していた。いつもは服に隠れて見えない逞しい筋肉を目の当たりにして、有子は思わずおお……と感嘆の声を漏らした。お構い無しにニカッと、いつもの快活な感じで出迎えてくれた彼だったが……。――そう、伊海田航太郎は女子に苦手意識を持っているのである。目の前には、普段より露出度の高い水着姿の女子五人。……彼の笑顔が引きつっていくのが分かった。

 

「カッ……カワイイナ、ゴニントモ……」

「む、無理しなくていいよ伊海田くん!」

 

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 ガチガチに表情筋を強ばらせ無理やり笑顔を保つ彼が見ていられずに、有子はあわわと手を振る。苦手とは聞いていたけれど、これは結構重症だな……。もう少し露出の控えめで地味なデザインの水着を選ぶべきだったかと、有子は己の配慮の足りなさを反省した。

 

「はぁ!? おい、お前泳ぐ気あんのか!?」

「親睦会に水泳が必須なのか? そうじゃないだろう」

 

 そんな主催者とのやり取りをしていれば、先客が素っ頓狂な声を上げる場面に遭遇する。他の女子同様、可憐な水着に身を包む菊音に相対する赤柳は、いつも通りの制服でそこに居た。信じられないものを見る目の菓子職人に言い捨てると、彼はやれやれとため息をついて、プールサイドにずらりと並ぶ観客席に上がって行こうとする。それを見ていた伊海田は、はっとすぐさま正気に戻り慌てて引き止めた。

 

「ややや、制服なのは百歩譲るとしてよぃ……。んな離れんなよぃ、()()()だぜぃ? 駄弁ろう、な?」

「…………はぁ。承知した」

 

 露骨に嫌そうな表情をしつつも、赤柳は伊海田の言葉に従い階段を降りプールサイドの隅に落ち着いた。漁師はやや苦笑をしていたが、観客席に居られるよりはましだろう。

 

「笛吹きくんは、遊ばないのかい?」

「親睦と言うからこの場に来ただけだ。プールを利用するつもりは元から無い」

「ほえ〜……」

 

 何処に居たのかこの白うさぎ。やはり赤柳のところにいたようだ。隅のベンチに腰掛け本を開いた彼に、章平は不服そうな声を上げた。

 ことがひと段落したところで、ようやく有子たちに気付いた双子がにこやかに駆け寄って来た。

 

「おー! お前ら似合ってんじゃん!」

「きくねちゃん、かわいー!」

「でしょ?」

「お前はどのポジションからのドヤ顔してんだよ」

 

 星永が素直ににっこりとはしゃげば、言われた菊音ではなく隣の夜羽がふふんと誇らしげに鼻をふくらませた。可愛らしい水着に身を包む菊音と、比較的オーソドックスな水着姿の夜羽。お揃いの色合いの水着は、彼らの仲の良さを物語っている。

 

「制服もだけど……菊音ちゃんて、フリルがとても良く似合うよね」

「かわいいでしょ?」

「んぁあ……こいつのシュミだ。俺んじゃねえ。……とはいえ、褒められんのは悪ぃ気はしねぇな! あんがとよ!」

 

 ジト目気味に片割れを親指で示した菊音だったが、すぐににこりと笑みを作った。彼女のこういう明るいところが好きだなあと、有子は思った。

 そうこうしているうち、扉が開いて水着姿の加連が現れた。

 

「おっつおつ〜。ひゃ〜! みんな水着似合ってんね〜! せつなちゃん、かんわい〜!」

「えっへへ〜ん、いいでしょぉ〜」

 

 加連は星永の目の前にしゃがみこんで顔を綻ばせる。赤ずきんはえっへんと腰に手を当てて満更でもないようだった。にこやかに会話を繰り広げる加連から庇うように、白雪が険しい表情をしながら、一人一人女子たちを靴職人から遠ざけて行く。流石の能天気な彼も不服に思ったのか、困惑した顔で白雪姫を見つめる。

 

「え、なに……? なんなの、白雪ちゃん……」

「近付かないで。変態魔人に素足晒してんのよ、こっちは」

「俺のことなんだと思ってる?」

「ド変態脚フェチ野郎」

「ねぇ酷くない? 俺白雪ちゃんになんかしたぁ?」

 

 いつもの二人の言い争いが始まったので、有子たちは苦笑しながら距離を取る。この場合、気が済むまで触れない方が良いのだ。ふと加連の後ろを見れば、いつからそこに居たのかラフな格好の猫塚が、なんとも言えない表情で言い争いを見つめていた。菊音が呆れた声を上げる。

 

「はー? お前も泳ぐ気ねぇじゃん」

「それ水着なの?」

「ちゃんとした水着ですよ? ラッシュガードってご存知ですか?」

「ほぼ服じゃん、つまんないのー」

「お前その下、ダイビングでもするつもりか?」

「これ以上の肌露出は追加料金が発生致します」

「水着ってオプションだったの?」

 

 菊音の指摘通り長靴を履いた猫は、ラフな私服と相違ない()()()()()()()の下に、長袖の水着を着用しているようで……。そう、ガチガチに着込んだ普段とそう変わりない肌露出であった。やれやれと呆れた顔をする双子をよそに、執事はつんと顔を背ける。相変わらずだなあと有子は苦笑した。そうしてまた、奥の扉が開いて人影が現れる。

 ……いつもの装いをした姫ヶ原だった。期待を裏切ることなく、また菊音が呆れた声を上げる。

 

「カー! 姫ヶ原! お前もかよ!」

「衣を替えるのは面倒だ。彼奴が許容出来るのであれば、我も問題無いはずだが」

 

 プールサイドに置かれたベンチに腰掛け、ひとり黙々と読書する赤柳をちらと見て、姫ヶ原は悪びれる様子も無く言う。

 

「確かに。姫姉さんそれ、着付け大変そうだもんねぇ……」

 

 いつの間にか言い合いが終了したのか、横から入ってきた加連がほあーと口を開けて言う。かぐや姫の着物は煌びやかで華やかで、しかしシックで落ち着いた印象もあり、気品に満ちた、傍目からでも分かる高級品である。その価値を十全に表し魅了するには……正しく着用するのが正解なのだ。つまりどういうことかと言うと――この衣類に関する観察眼が非常に優れている靴職人が伝えたかったのは――彼女が、節々に相当なこだわりを持ってこの格好を保っているのだということだ。

 姫ヶ原は有子たちに構わず、すたすたと奥まで歩いて行ってしまう。流石にあの格好で水遊びを楽しむ気はないようで……突き当たりのベンチ、施設全体を見渡せる場所に腰掛けた。彼女も持ち込んだ本を取り出して読書に耽ってしまう。親睦会とは……。頭に手をやる伊海田を横目に、有子は困ったように愛想笑いを浮かべた。

 

 

 

 

 何はともあれ。

 さあさあそれでは、お待ちかねのプール! 浮かれた生徒たちに囲まれ、有子もその気になって微笑む。……するとそこへ、遅れて()()()()()がやって来た。

 

「し、失礼します……」

「青錆!」

 

 きゃいのきゃいのと泳ぐ気満々の生徒たちと共に、プールサイドで準備体操をして賑やかな中。遠慮がちに扉を開けて現れたのは、昨日から姿が見えなかった城主その人だ。待ちに待った彼の登場に、ほぼ全員が思わず駆け寄る。有子ももちろん、その一人だ。

 

「青錆、よく来たなぃ! 大丈夫なのかぃ?」

「猫塚氏に、お声掛け頂いて……。ご、ごめんなさい……。もう、大丈夫、です……」

「ごめんじゃなくてよぃ……。ま、元気になって良かったぜぃ!」

 

 申し訳なさそうに俯くふわふわの癖毛頭に、伊海田はぽんと優しく手を置く。こんな風に頭を触られることに慣れていないのか、青錆はゆっくり顔を上げてから、不思議そうな顔をした。

 普段と変わりない彼の装いに、今度は菊音ではなく夜羽が指摘した。

 

「青錆君それ、水掛かっても大丈夫そう?」

「す、すみません……。プールって、初めてで……。吾輩、す、水泳とか……したこと、なくってぇ……」

「青錆ちゃん、運動って苦手そ〜よね。体育いつも見学だったし……」

「お前、あんま無理すんじゃねーぞ? 身体冷やしちゃだめだろ」

「ひぃ……面目ないです…………」

 

 体調を崩してしまったばかりの青錆には、水遊びは勧められないだろう。その事を頭に置いていた双子は、心配して尋ねたようだ。またすみませんと謝罪の言葉を繰り返し、縮こまってしまう城主。そこへ、横からきゅいっと車椅子が到着した。

 

「来てくれただけでも嬉しいわ。青錆君、あっちに温水プールもあるみたいだから、足だけでも浸からない? どうかしら、せつなちゃん?」

「うん! 温水でならだいじょーぶ! れーちゃんもプール、入ろ〜!」

「では……そう、させていただきますね……」

 

 泡淵と星永がにこやかに微笑みかければ、ようやく顔を上げて、青錆はこくりと頷いた。これで今居るメンツは全員集合。

 欠席者のいない親睦会(プールで遊ぼうの会)が開催された!

 

 

 

 

 

 

 ざぶざぶと水飛沫を上げて飛び込んでいく豪快な生徒たちに続いて、有子もプールサイドのはしごから入水する。痺れるような冷たさを感じる。けれども、とても気持ちが良い。しばらく浸かれば徐々に身体が水温に慣れてゆく。有子は水泳の授業はあまり好きではなかったが、プールは好きだった。どこから持ち出したのか、ビーチボールやビート板、浮き輪やボートを使って早速水遊びを始める各々。読書をしている不届き者もいるのだが……。ともあれ、楽しいことに変わりはなかった。

 

「ねえせつなちゃん、私も泳ぎたいわ」

「え? でも、おねえちゃん……」

「お願い。みんなも見てて。私、水の中ではすごいんだから」

 

 少し離れたところで、生徒たちのはしゃぐ姿を見守る少女たち。車椅子に乗った泡淵が、隣で大人しくにこにこしていた星永に声を掛けた。流石に予想外だったのか、赤ずきんは目を丸くして彼女を見つめる。けれども……。

 ふふん、と不敵に笑うその表情は誇らしげで。今まで見たどの彼女の表情とも異なっていた。いつも一歩引いて穏やかに微笑んでいる泡淵が……えっへんと胸を張る姿。相当自信があるのだろう。

 困惑した様子の赤ずきんも、そのあまりの自信に満ちる態度に根負けして、人魚姫が入水するのを手伝う。車椅子から降りて、プールサイドに座る。プールに入り遊んでいた面々が、思わず注視して見守る。……そして。

 ちゃぷん。

 驚くほどのしなやかな動きで、座ったまま彼女が飛び込んだかと思えば。すいすいと気持ち良さそうに、流れに身を任せるように……あっという間に反対側、50mのその先から折り返して戻ってくる。……無論、ここは競泳用プール。水の流れなど存在しない。果たして彼女を人魚姫、と喩えたのは誰だったか。有子はその形容の的確さに感心した。

 顔だけ水から出して、呆気に取られる一同を見渡しながら泡淵は自慢げににんまり笑う。

 

「すげ〜! 泡淵、人魚みてぇだな」

「ほんとほんと! すいすーいって! おさかなさんだった!」

「こんな特技があったなんて……。泡淵さん、凄いわ!」

「足が動かないというわけではない、とは……仰っていましたけれど……」

「ねー! めーっちゃ速くなかった!? 泡淵ちゃん、ほんとに泳ぐの得意なんだね〜!」

 

 やいのやいのと、人魚姫は一躍話題の中心人物となったのだった。

 ざぷんと真似をし始めた星永を皮切りに、再び生徒たちは思い思いの水遊びをはじめる。満足したのか、泡淵はすいとプールの隅へ移動して、またにこにことその様子を眺めている。

 有子は彼女の元へ寄った。

 

「すごいねえ、泡淵さん。水泳教室とか通ってたの?」

「海でよく泳いでたの」

「へえ! 海近いんだ?」

「ええ。リュウグウ水族館にもよく遊びに行ったわ」

 

 リュウグウ水族館。それは、有子も知っている有名な水族館だった。元超高校級の海洋生物学者と元超高校級のさかな博士が共同で設立した、"世界一海のいきものに詳しい水族館"。展示方法や海洋生物のコラムなどがとても専門的で、生き物に寄り添った水族館である。怪我や病気で保護された野生の生き物たちを治療し、自然へかえす活動を盛んに行っていることでも有名だった。

 それまでプールサイドで皆の水分補給用の水筒や軽食代わりの菓子などを用意していた伊海田が、水族館の名を耳にして、すかさず泡淵に声を掛ける。

 

「なんだぃ、泡淵……。意外と近所かぃ?」

「そうかもしれないわ。そういえば伊海田君も、リュウグウ水族館と交流があるんですよね?」

 

 そういえば……。有子もはてと思い返す。伊海田はマグロ漁の実績を大きく買われてスカウトに至ったようだが、他にもリュウグウ水族館と協力して、野生の海の生き物の保護活動も行っているのだ……という、"新入生スレッド"の書き込みがあった。

 

「まぁなぃ。ウミガメ助けた時とかぁ……クジラ助けた時とかでよぃ。ケッコー世話んなったぜぃ」

「そうなのね。ミコトさんは元気かしら」

「コト姉ぇ〜……はぁ〜……」

 

 聞いた瞬間、伊海田の表情が強ばる。有子がおや? と首を傾げた時には、漁師の彼はすっくと立ち上がっていた。

 

「元気してんじゃねぇかなぃ! ア、アハハ! あ〜! オレちょっと泳いでこっかなぃ!」

「え?」

 

 聞き返すより早く。伊海田はそのままドボンと豪快な水飛沫を上げて、50メートルの水へ消えてしまった。有子は泡淵と顔を見合わせる。人魚姫はすぐに眉を八の字に下げた。

 

「悪いことしちゃったかしら……」

「そんなことないと思うよ。……ミコトさんって?」

「リュウグウ水族館の現館長さんの娘さんです。飼育員をしていて……海の生き物にとても詳しいの。でも……」

「でも?」

「……ちょっと、変わってる人で……」

「あ〜……」

 

 伊海田の苦手意識に、大いに関連するであろう人物だ……。有子はその一言だけで、そう確信したのだった。

 

 

 

 

 

 

 有子はさてと顔を上げた。いま、有子がもっとも気に掛けている人物と会話するため……有子は競泳プールを離れた。

 

「お邪魔してもいいかな」

「く、国中氏……。ど、どうぞ、お構い無く……」

 

 競泳プールの奥の温水プールのエリアには、青錆と姫ヶ原がいた。姫ヶ原は近くのベンチに腰掛け読書を楽しんでいるようだ。青錆は隣のプールの騒ぎを見つめながら温水プールに足だけ浸して、時折ぱしゃと遠慮がちに音を立てている。有子は彼の近くに腰掛けて、同じように足だけ浸した。じんわりと冷えた足が温まっていくのを感じる。とても気持ちが良い。ふと顔を上げると、ぼんやり皆の遊ぶ様を見つめる青錆の横顔が目に入った。

 

「青錆くん、ほんとに大丈夫?」

Was(え?)? ……あ、ああ……。すみません、ご心配お掛けしてしまって……。姫ヶ原氏に……謎の薬を飲まされてから……かなり、落ち着きました……」

「……それ、大丈夫なの……?」

「不審物で無いことは示したぞ」

「……いや、急に口を開けろと……突っ込んで来るのはおかしいですぞ……? ……え? いや……お、おかしい……ですよね……?」

 

 ふと口を開いた彼女を見れば、相変わらず意識は手元の本にあった。困惑したように城主が首を傾げても、彼女のページを捲る手は止まらない。

 

「でも良かった、元気になって。もう無理したり我慢したり、しちゃダメだからね?」

「すみません……。気を、つけます……」

 

 有子がそう言えば、彼はまた縮こまって、俯いてしまった。……うーん。謝って欲しいわけじゃ、ないんだけどな……。どうしたら上手く伝えられるのだろう。これ以上良い言葉が見付からずに、有子も口を閉じてしまった。浸かった足から、ゆっくりと身体が熱を帯びていくのを感じる。

 

「そうだ、御前。軽い不眠だろう。就寝前にも足湯に浸かると良い」

「え……」

 

 唐突に後ろから声が掛かったと思えば、ベンチに腰掛けて本を読んでいたかぐや姫は、本を膝に置いてこちらを見つめていた。あまりの突然のことに、隣の城主も困惑しているようだ。唖然とする有子たちには微塵も構わず、科学者は続ける。

 

「足湯は良いぞ。温まった血液を脹脛の筋肉が全身へ運ぶことにより、足のみならず身体中を温める。就寝前の入浴は、毛細血管を拡張し効率的かつ自然に体幹温度を下げる。端的に言えば、眠りやすくなるというわけだ」

Ach so(そうなんだ……).」

「ほえ〜……。やっぱり、お風呂は夜が良いんだね」

「お湯に浸かる、という習慣が無かったので……正直、半信半疑なのですが……。分かりました、試してみますね……」

「青錆くんっていつもシャワーなの?」

「はい……。ずっと……」

「わたしはほぼ毎日お風呂はいってるよ。すごく温まるよ。ねえ、姫ヶ原さん。やっぱりシャワーよりお風呂の方がいいんだよね?」

「そうさな。じっくり身体を温めるには、入浴した方が良い。……だがまあ、小僧には足湯の方が良かろう。全身浴と比較して、循環器への負担は断然僅かであるからな」

「お気遣い……痛み入ります……」

 

 ぺこと頭を下げて、青錆はぱちゃりと脚を動かした。言いたいことはそれで全てだったのか、目を向ければ姫ヶ原はまた読書に戻ってしまっていた。

 

 

 

 

 そろそろまた水遊びをはじめよう。小休憩を終えた有子は、青錆と姫ヶ原に挨拶してから温水プールを離れる。そろそろ白うさぎも有子を独り占めにしたいはずだった。競泳プールでは、やはり放心状態でぷかぷかと浮かぶ章平が目に付いた。

 

「ありす!」

「楽しそうだね、ショウくん」

「ありすも一緒にラッコさんごっこするかい?」

「浮いてるだけなのも楽しいよね」

 

 思った通り。ぽかんと口を開け高い天井を見上げていた白うさぎは、有子を見つけるや否や、パッと明るい表情に切り替えて水飛沫を上げた。うさぎのそんな様子にすっかり気を良くして、有子はまたハシゴを使ってゆっくり水に浸かる。先程まで温水プールで温まっていたこともあって、また痺れるような冷たさで身を震わせた。章平が近くに浮いていた浮き輪を一つ有子に寄越してくれたので、遠慮なくそれを受け取って浮いてみる。目の前にはにこにこ顔の幼馴染。有子も思わず顔を綻ばせた。そうして二人仲睦まじく、穏やかで楽しい時間を過ごしていると……。

 

 

 ――バチャーン!

 

 

 突如、物凄い水飛沫を上げて、プールが波打つ。浮いていただけの有子たちも揺られて激しく上下した。何事かと事態を把握しようと顔を向けた瞬間、プールサイドにいた泡淵が激しくタイピングする。

 

「待っ――! 待って!! 赤柳君は、泳げないのよ!!」

「え?」

 

 その音量は今まで彼女が使用していたものとは桁違いに大きいもので――まだ奥のエリアにいる姫ヶ原と青錆の注目をも集めた。

 同じくプールサイドに立って、悪戯な笑みを浮かべていた双子の表情が変わっていく。どうやら彼らがふざけて、あのフルーティストをプールに突き落としたようだ。彼が落とされたと思われる場所を見ても、あの不機嫌な顔は見えなかった。恐らくまだ訳も分からず水中にいるのだろう。

 

「……マジみたいだね」

「!!! や、ヤベエ!! 俺たちクロになっちまう!!」

「はやく! 引き揚げるぞぃ!」

 

 全く浮上してくる気配が無いのを察して、ようやくしでかしたことの重大さを把握したのか、二人とも慌てている。奥から顔を出した伊海田がすぐさま水に飛び込み、しばらくして笛吹き男を抱えて浮上してきた。溺れ掛けた彼は激しく咳き込み水を吐き出しながら、漁師とプールサイドに集まった生徒たちの手を借りて陸に上がった。

 

「お前マジでカナヅチなの?」

「そいやぁ、赤柳ちゃんも、体育いつも見学だったねん……」

「大丈夫? 赤柳君……」

「すまねえ、赤柳……。泳げねえって知ってりゃ……無理してプールにするこた無かったんだがよぃ……」

 

 伊海田がバツが悪そうに頭を搔く。何の非も無い彼が謝り、元凶の双子が反省の色を示さないのを、有子は少し気持ち悪く感じた。ぱたぱたと駆け寄ってきた猫塚は、乾いたふわふわのタオルをずぶ濡れの彼に差し出す。それを受け取りながら呼吸を整えつつ、笛吹き男は唸るような声を絞り出した。

 

「ぜえ……はあ……はあ……。お、お前たち……そこに並べ……!」

「あ、赤柳氏……! アンガーマネジメントですよ……! 6秒、6秒待って……!」

 

 これはまずいと思った青錆が、慌てて彼を落ち着かせるように肩に手を添える。いつの間にか、騒ぎにほぼ全員が近くに集まっていたようだ。

 当事者でもないのに気が動転している彼の斜め上な発言に、心の中でいやいやと有子は突っ込みたくなったが、笛吹き男がその場で怒りを爆発させることは無かった。彼は城主の言い分も最もだと思ったのか、大人しく忠告を受け止め、すーはーと深呼吸して無理やり待つ。6秒経った頃、赤柳は静かに拳を握り締めた。

 

「とりあえず一発ずつ殴らせろ……!」

「ダメだった!」

「アンガーマネジメントとは……」

 

 わなわな震える赤柳をよそに、周囲の生徒はあららと声を上げる。まだ謝罪の言葉を出してこない双子を、猫塚も顔を顰めて睨み付けた。

 

「そりゃそうでしょう。今のは流石に度が過ぎる悪戯ですよ」

「オメーにド正論ぶちかまされるとめちゃくちゃ腹立つな……」

「いいからあんたたち、まず謝りなさい……?」

 

 呆れたように白雪が言って、ようやく小さく菊音が頭を下げる。夜羽はそのままその様子を見ているだけだった。呆れたのか、もう怒りが収まったのか。赤柳ははあと長い溜息をついてから、よろりと立ち上がる。

 

「……もういいだろう、僕は帰る」

「えー! しこくちゃん、遊ぼうよー!」

「誰かさんたちのお陰でずぶ濡れなんだ、シャワーくらい浴びさせろ」

 

 不機嫌な笛吹き男の制服からは、まだぽたぽたと水が滴っている。うーと可愛らしい唸り声を上げつつ、その居心地の悪さに正当性があると判断したのか、赤ずきんは不服そうにしながらもそれ以上彼を引き止めなかった。

 ……かくして、事件は未遂に終わったのだった。

 

 

 

 

 

 

 残った生徒たちは変わらず各々はしゃいでいた。一人抜けた穴はそう大したことがないようで――そもそも、笛吹き男は一人で読書していただけだった――変わらず楽しい時間を過ごしていた。

 ただ遊んで、お喋りをして……それだけの時間だったが、生徒たちの仲は以前より深まったと、有子はそう思った。微笑みを浮かべながら、菊音がぽつりと呟く。

 

「案外、親睦会ってのも悪くねぇな」

「そうね。以前よりずっと打ち解けられた気がするわ。コロシアイなんて……さっきの事故みたいなのじゃなけりゃ、起きる気しないわね」

「そうそう! 全員でなんとかして、こんなとこさっさと出ようぜぃ!」

「そうだよね、みんなで協力すれば、生きて全員……」

()()()()()()()()()()

「え……」

 

 そうして、明るい気持ちになって。皆が一致団結をしつつある中――唐突に飛び出た不穏な言葉。有子たちは時が止まったように閉口する。……そう呟いたのは猫塚だった。

 彼は冷めた目をして、しかし口は笑みを作って、手を取り合う有子たちを見つめる。

 

「何の希望も見出せずに、すぐに誰かが死にますよ」

「……猫ちゃん」

「一度起こってしまったのなら、連鎖していく。それは流れのようなもので、おそらく皆さんも驚くほどすぐに、あなたが命を落とすかもしれませんよ」

「猫ちゃん!」

 

 声を荒らげて、加連は猫塚の肩をがしりと掴む。猫塚は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに平然とした表情に戻り、振り返って加連を見た。友人の過ちを叱る顔で、加連は眉をひそめて猫塚を見つめている。

 

「いくらなんでも、その冗談は笑えない」

「……そうですね」

「猫ちゃん」

「ええ。僕としたことが、とんだ失言を。申し訳ありませんでした」

 

 反省の色など微塵も見えない笑みを浮かべて、猫塚は有子たちに向き直り、頭を下げた。こんな形だけの謝罪は慣れっこなのだろう。最終的に正答に辿り着いたとはいえ、彼は先の裁判で平然と嘘に嘘を重ねて行った虚言症の男なのだ。人を脅かす嘘を吐いて、自分を守る嘘を重ねて、心にも思っていない言葉を紡いで、しかしそれを罪だとはまるで思っていない。この短い期間で有子が知り得た猫塚誠司という少年は、そういう人間なのだった。

 

「……てめぇはよぉ……。ホントいい加減にしろよ!」

 

 耐え切れず、パティシエ双子の粗暴な方……菊音がすっくと立ち上がって、スカした執事の胸倉を掴む。せっかくの場の空気を全て破壊し、伊海田の心遣いも、皆の信頼も、全てを台無しにしたこと。猫塚がしたいまの発言は、()()()()のレベルをゆうに越えていた。

 

「殴るんですか? どうぞ?」

 

 ……けれども、それを理解しているのかいないのか。猫塚はむしろ挑発するように目を細める。菊音はぎゅっと右手を握り締めた。間に入って止めようとした伊海田も、流石にこれには顔を顰める。

 長靴をはいた猫は、悪びれることも無く飄々と続けた。

 

「僕に暴力を振るうことで事が解決するなら、喜んでこの身を差し出しましょう。どうぞ、ご自由に。そう簡単に死にませんよ、慣れていますから」

「………………」

「きくね、どうしたの。良いって言うなら心置きなく殴ろうよ。こうやって」

「っ、ぐ……!」

「猫ちゃん……っ!」

 

 あっと有子が声を上げる前に、横から現れた片割れが代わりに彼の頬を殴る。思いがけず菊音は手を離して、その拍子に猫塚は崩れ落ちる。はっとして加連が負傷者に駆け寄って抱き起こした。先程彼自身が申告した通り、幸い大事には至っていないようだ。

 ぱちぱちと数回瞬きをした後、菊音は隣に立つ片割れを睨み付けた。

 

「よはね、テメェ……!」

「あれ? だって、きくねは彼のことを殴るべきだと判断して掴みかかって、彼もそれに同意したんだよね? ならそうすべきだったってことでしょう? だよね、猫塚君?」

 

 痛そうに頬を抑えながら、問い掛けられた執事はゆっくりと顔を上げる。……大層不機嫌そうな表情だった。

 

「チッ……。……えぇ、はい。そっすね。お気は済みましたか?」

「ね、猫ちゃん……!」

「……済むわけねぇだろ、頭わいてんのか?」

「でしたら、今度はあなたご自身の手で殴りますか?」

「それで懲りねぇなら今度は殺すまで殴っぞ、テメェ……」

 

 一触即発……。二人がまるでばちばちと火花を散らすように睨み合う様を、有子ははらはらしながら眺めるしかなかった。埒が明かないと思ったのか、すかさず猫塚を介抱していた加連が間に割って入る。

 

「はーいはいはい! 仲裁仲裁! 二人とも離れましょ!」

「殴ればいいのに……」

「夜羽ちゃんはちょっと静かにしてて!」

「怒られちゃった」

 

 加連はすぐに猫塚が立ち上がるのを手伝うと、彼の両肩を掴んで双子から距離を置く。残念そうにその背中を見つめる夜羽の呟きにも、被せるようにして叱った。……なんだかお兄ちゃんみたいだな……。有子は仲裁する神父を見て、素直に感心した。

 不穏な空気はひとまず払拭されたとはいえ、またすぐに遊ぼう! などという空気にもなれず……。有子たちはその場に立ったまま、加連と星永が猫塚の手当てをする様を見つめるだけだ。氷嚢を用意したり、ガーゼを見繕ったり……。テキパキと処置をする二人の背後に、もぞもぞと近づいて行く少女の姿。

 

「どしたの? あんなちゃん」

「……ね、ねね、ね、ねこ、ねこっ……ね、……う、……あ、あのっ……! あのっ……」

「…………」

 

 おそるおそる声を掛けた彼女は、どうやら負傷した猫塚に用があるようだった。言葉を詰まらせつつも、懸命に発言しようとする彼女を、赤ずきんと神父が手を止めて見守る。

 ……なかなか言葉が出てこない彼女の様子に、黙って待っていた執事の眉が険しくつり上がって行くのが見えた。

 

「あ、あのっ……あの、あのね、……っ、…………」

「……本当に、言いたいことがあるのならはっきり仰ってくださいよ。あなたがそうして言語化するまで待つ間に、僕がどれだけの仕事をこなせるかご存知ですか?」

「う……ご、ごめ……ごめ、なさっ……」

「……はぁー……。そうして涙を見せれば、ご自分が被害者であると印象付けられて良いですね。とても立派な処世術だと思います。もっとも、僕には効かないようなので、もう見せないで頂きたいのですがね」

「ちょっと」

 

 耐え切れずにまた悪態をつく猫塚。火燈は、もう言いたいことなど全て吹き飛んでしまった様子で、目に涙を浮かべながら謝罪の言葉を呟くことしか出来なくなってしまった。ぽろぽろと泣き出してしまった少女を、両脇の二人が慰めようとすれば、執事はますます不機嫌になって文句を言う。

 今度は、黙って見ていた白雪が口を挟んだ。

 

「あんたはなんでそう、火燈さんにきつく当たるのよ?」

「思い違いではありませんか? 僕はさして彼女にだけ、特別に対応を変えている訳ではありませんよ」

「……あたしにはそうは見えないけど?」

「だとして、僕が彼女を不当に扱っていると仰るのなら、僕に関わらなければ良いことです。ご本人と接することがなくとも、僕は求められた仕事は今まで通りこなしますし、それで差し支えないのであれば、構わないと思いませんか?」

「……だそうだけど。火燈さん、こいつにもっと言いたいことあるんじゃない?」

 

 これ以上話し合うのは無意味だと思ったのか、白雪はふうとひとつため息を漏らして、代わりに彼女へバトンを渡す。火燈ははっとして、最後のチャンスと言わんばかりにぐっとこぶしに力を入れて、言いたいことを言葉に……。

 

「あっ、あのっ、! ……ま、まえっ……そ、…………っご、ごめ……」

 

 ………………出来なかった。

 

「……はあ。時間の無駄なので、僕はもう失礼しますね」

「ちょ、猫塚!」

 

 わざとらしく大きなため息を吐き出して、猫塚はすっくと立ち上がる。引き止めようとする伊海田の声を無視して、そのまま笛吹き男と同じように、さっさと扉の向こうへ消えてしまった……。

 黙って彼を見送った後、はっと鼻を鳴らして菊音が悪態をつく。

 

「何アイツ。生理なん?」

「いやいや、アイツ男だぜぃ!?」

「ヒトの雄に月経は無いぞ。ホルモンバランスの周期という意味でなら、……まあ、少なからず有るとは言えるがな」

「えぇ……。マジなんか……」

「ヒューウ、姫姉さん、さっすが博識ィ〜」

「明日要らない知識が増えたわね……」

 

 相変わらず薄ら笑いを浮かべる姫ヶ原の言葉に、菊音も白雪も引き気味に苦い顔をする。加連はぴゅうと口笛を鳴らして、処置道具を星永と共に片付けていく。その様子を見ながら、涙を零す火燈に、なんてことない風に夜羽が言葉をかける。

 

「それにしても火燈さん、嫌われてるねー。何かしたの?」

「う、ぇう……! う、ぅ……」

「ちょっと、火燈さんが悪いわけないでしょ。変なこと言うのやめなさいよ。……火燈さん、あんなの気にしなくていいのよ」

「あんまり猫ちゃんのこと、悪く言わないであげて欲しいなぁ〜……。猫ちゃんも、相当我慢してると思うんだよねぇん……」

「我慢しているなんて、猫くんは偉いね!」

「うーん。ややこしくなるから、佐渡はちょっと黙ってようなぃ……」

「ほぇ〜?」

 

 ぱっと明るい顔をして発言した白うさぎに、漁師は困った顔をした。うさぎはきょとんとした顔をしたが、すぐに有子も彼と同じような表情をしているのを見て、首を傾げつつも大人しく指示に従う。そのやりとりを一旦目から離して、白雪はふんと鼻を鳴らす。

 

「何に対して我慢しているなんて言うのよ。この状況なら全員同じ条件でしょ。甘えたこと言わないで」

「……あ、あの! で、ですが、その……。猫塚氏は、特に、綿貫氏と……親しくしていたことも、ありますし……。わ、吾輩も、そんなに……無理もないかなと、思っています……」

「これだから男は……。やっぱり味方する方は決まってるのね」

Was(へ?)? あ、いや。そ、そういうつもりではなく……」

「僕はいつだってきくねの味方だよ♡」

「お前ちょっとは空気読めよ、よはね……」

 

 ……そんなこんなで。たのしいプールの親睦会は、なんだか後味の悪い空気を残しながら終了したのだった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「あれ? 加連くん……?」

「お〜、国中ちゃん、おはおは〜」

 

 翌朝。いつも通りに白うさぎを連れて食堂に入る。見慣れたメンツの中……厨房に立っていたのは執事ではなく、赤毛の靴職人であった。有子は目をまん丸にしてまじまじと見つめてしまう。なぜなら、この神父はどちらかと言えばいつもルーズな方であったし、眠い目をこすって現れては白雪姫に小言をいわれていたからだ。現在時刻、午前7時10分。まだ彼が起きて来るには、だいぶはやい時間だ。

 

「珍しいね、こんな早くに……。……猫塚くんは?」

「あ〜……猫ちゃんは〜……。なんか今日はダメな日っぽくてねぇ〜」

()()()()……?」

 

 不可解な単語を、有子はそのままオウム返し。けれども、目の前の靴職人はマイペースに、気ままに。有子の質問には答えずに、掻き混ぜる鍋の中を覗き込んだ。

 

「うーん、こんなもんかな〜。じゃ、俺ぇ、青錆ちゃん起こして来るにぇ〜ん」

「え、あ……加連くん……」

 

 自由奔放な妖精のような彼は素早く火を止め、有子が呼び止める間もなく、手を振りながらすたすたと行ってしまった。うーん、加連くんて、不思議だ……。有子は去ってしまった赤髪の神父を思い浮かべる。彼は誰にでも人懐こく、気さくで陽気な性格だ。文字通り、初対面の人ともすぐ打ち解けてしまうコミュニケーション能力の高さがあり、パーソナルエリアはかなり狭いといえるだろう。……だけども。特に、猫塚との距離感は異常だ、と有子は思った。思い返せばほとんどの時間で加連の隣に猫塚がいる。かの執事の難儀な性格は、有子もこの前嫌という程思い知った。そうでなくても彼は、初対面の人間とは一線を引くような接し方をしていたのだが……。あの執事の性質は、彼にだけは当て嵌まらなかった。それこそまさに、()()()()()()()()()()()()()の…………。

 

「……まあいっか」

 

 ……別に、だからといって有子には関係の無い話である。思考をそこで止め、朝食が始まるまでの間、いつものメンバーと短時間の談笑をすることにした。

 

 

 

 

「……おい。また猫塚は欠席か?」

「ん〜と。今日はそっとしといてあげてほしいな〜って」

「あ、そ」

 

 そうして、ほぼ全員が集まった食堂。相変わらずまだ個室で朝食を済ませている城主はともかく――いつもの時刻になっても、あの執事が姿を現すことは無かった。しびれを切らした赤柳が不機嫌そうな声を出せば、やはり。それに答えるのは他の誰でもない、加連だった。

 

「別にいいだろ、あいつ居るとマジで飯が不味くなる」

「作ってるの猫ちゃんなんだけどねぇ」

 

 顔をしかめて菊音が呟けば、加連は苦笑しながら突っ込みを入れる。忘れがちになるが、猫塚がしている仕事は膨大なのである……。

 加連が言うならと、赤柳は章平に号令を促す。いつものうさぎの声掛けで、今日も朝食会が始まるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?」

 

 朝食後、いつものように片付けを少し手伝おうとすれば、加連が手際良くさっさと終わらせてしまったのでいつもよりだいぶ早く手持ち無沙汰になってしまった。

 また学園の探索でもしようかとふらふら歩いていれば、くるんと巻いた特徴的な前髪が目前に見えた。

 

「珍しいね、夜羽くん。ひとり?」

「やあ、国中さんか」

 

 手には数枚のDVDを持っている。どれもこれも有名な邦画だ。

 

「きくねはゲーム仲間とつるんでるよ。僕はあんまりゲームしないから、よく分かんなくてさ」

「へえ、意外だね。二人でいっしょにしないんだ」

 

 パティシエ双子といえば……そう、四六時中二人でいるのが当然だと思っていた。それは、あの仲睦まじい泡淵&星永コンビや、加連&猫塚コンビよりも、だ。

 はじめて、である。有子は彼らとの共同生活を開始してから……初めて、この双子が別行動をしている現場に遭遇したのだった。

 その認識から自然と出た言葉だったが、案外夜羽の方は、この状況はむしろ当たり前だと言わんばかりの態度で頭を傾ける。

 

「うーん、することもあるけど……。僕はきくねよりセンスが無いからね。横で製菓の勉強してることの方が多いかな」

「そうなんだ。努力家なんだね、夜羽くん」

 

 双子といっても、そういった感性が違うのは……なんとなく、普段の彼らの言動から察せられた。

 

「それはどうしたの?」

「ああ、暇つぶしに二人で見てるんだ。視聴覚室にたくさん置いてあるよ。……今は図書室にも行けるからいいけど、ちょっと前までは、ほんとに娯楽なんてなかったからさあ。ほら、退屈でしょうがなくって」

「たしかに。プールも解放されてよかったね。そういえば、菊音ちゃんの水着すごく可愛かった! 夜羽くんが選んであげたの?」

「うん、そう! せっかく女の子なんだから、可愛い方がいいでしょう? きくねのスカートにレースを着けたのも僕だよ。可愛いでしょあれ」

 

 えっへんと、まるで自分が褒められたかのように自慢げに鼻を鳴らす様子がおかしくて、有子は微笑む。こういうところは、素直にかわいらしいんだよなあ……。

 

「わたしは兄弟はいないから、ちょっと羨ましいな。夜羽くんは、ほんとうに菊音ちゃんのことが大好きなんだね」

「うん、もちろん。僕はあの子のおかげで成り立ってるからさ、当然だよね」

「え……?」

「じゃあ、僕はこれ返して新しいの探すから、これで。またね、国中さん」

 

 なんてことない台詞に、有子は思考を停止した。それに気付いているのかいないのか、当の本人はあっけらかんと一方的に別れを告げて行ってしまった。

 ……ふたりは……普通のきょうだい……なんだよね……? すたすたと迷いなく遠ざかって行く後ろ姿を見つめながら、有子は首を傾げるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 双子の片割れと別れたのち。しばらく図書室で時間を潰して自室へ帰る途中、有子は再び章平とぱったり会い、またおやつの時間にしようと二人仲良く食堂へ向かった。

 

「あれれ! みんなお揃いで、どうしたんだい?」

「暇潰しだ。この場は代わる代わる人が訪ねてくるからな」

「僕は水を取りに来ただけだが」

「吾輩も……」

「ほらな」

 

 そこには着席してお茶を楽しむ姫ヶ原と、ペットボトルを手にした赤柳と青錆がいた。なるほど、かぐや姫はともかく、ふたりは偶然居合わせたようだ。

 ひとまず、有子は比較的見慣れない彼に声を掛けた。

 

「珍しいね、青錆くん」

「あ、はい、菊音氏が喉が渇いたと……。皆さん白熱しているので……手が空いてる吾輩が、取りに来たんです……」

「……何かしてるのか?」

「ボードゲームを……。吾輩、一抜けしてしまったので……」

 

 そういえば、さっき会った彼は、片割れがゲーム仲間と共にいると言っていたな……。有子はつい数十分前の出来事を思い返す。青錆がその"ゲーム仲間"のメンバーのうちの一人なのだろう。

 一人で納得していると、横で(白うさぎに絡まれながら)聞いていたフルーティストがすこし表情を和らげたのが分かった。

 

「そうか、ひとりじゃないなら良い」

「あ……す、すみません、ご心配おかけして……」

 

 彼と有子の言わんとしたことを察知して、城主は申し訳なさそうに縮こまってしまう。「そんなことまで謝らなくていい」と、またいつもの調子で赤柳が眉をひそめる。章平はにこやかにまた彼にくっついて、ますます彼の表情は険しくなる。有子は苦笑しながら、視界の隅にかぐや姫を映した。……相変わらずマイペースなようで、ひとり我関せずといった風にまた茶を啜っている。

 有子の視線の先を辿った青錆が、急に思い出したようにあっと声を出した。

 

「……あ、そうだ……。あの、姫ヶ原氏。早速……試してみました。以前までと、段違いで……。今日の目覚めは、すっきりでした……。ありがとうございます……」

「ああ。習慣付けると尚良い。調子が良くない時は止めておけ」

「は、はい……」

 

 かちゃり、とカップをソーサーに置いて。かぐや姫はその言葉を聞き入れると、満足そうに頷いた。城主が忠告を素直に実行したことに機嫌を良くしたようだ。彼女の態度は変わらずいつでも悠然としているが、初対面の印象とは裏腹に案外親切だ。

 一連の会話を聞いて、詳細を知らない赤柳と章平は二人の顔を交互に見る。

 

「……何の話だ?」

「ぼくもきになるー!」

「あ……昨日……姫ヶ原氏に、眠る前に足湯に浸かるといいと、進言して頂いて……」

「そうか、確かにそれは日課にした方がいいだろうな」

 

 訝しげな表情をした赤柳だったが、青錆が説明すれば納得して頷く。有子はその様子を見て微笑んだ。よかった、青錆くん……昨日はちゃんと眠れたってことだよね。相変わらずあまり良いとはいえない顔色の城主を見て、有子はそんな風に考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、加連くん」

「国中ちゃん。やほやほ〜」

 

 章平としばらくだらだら過ごして、一度別れた後。廊下でぱったりと出くわしたのは、いつも気さくな靴職人。

 

「どこ行くの? わたしは一度部屋に戻るところ」

「ちょっとお菓子漁りに食堂行こっかな〜って。あ、夜食用だよ?」

「あはは。確かに、遅くまで起きてると、お腹すいちゃうかもね」

 

 有子はあまり遅くまで夜更かしをしたことはないが……。それでも、時たまそういう日もある。その時は、無性になにかつまみたくなるのだ。

 相変わらずゆらゆらとのんびり揺れる頭は、有子よりひとつ分上にある。有子も大分長身な方ではあったが……自身より発育の良い白うさぎとほぼ同格の目線の加連は、すらっとして見えた。

 

「加連くんって、ヒール高いの履いてるよね。それも自作?」

「そだよぉ〜? めっちゃイケてるっしょ! やっぱ赤いのが1番すきなんだよねぇ〜。映えるし、ヒールも慣れちゃえばシルエットキレーだから、ずっとこれ履いてる〜」

「お気に入りなんだね」

「めーっちゃ大事にしてる! 猫ちゃんも褒めてくれたからさあ〜。すっごい自慢? みたいな〜」

 

 様々な靴をオーダーメイドで製作している、というのは知っていたが……。実物を見たのは初めてだった。スレッドにも魅惑的なフォルムの靴の画像が貼られていたから、どのような靴のデザインなのかは知っていたが……。加連の今履いているそれは、普段使いもしやすいシンプルでいて、しかし洗練された魅力的なデザインだった。

 

「そういえば、ずっと思ってたんだけど……加連くんって今は、お部屋で靴を作ってるの?」

「そだよー。本校舎の被服室使う時もあったけど……やっぱ接着剤の匂いとかキツいからね〜……。今無いしー……俺いま臭ってない? だいじょぶそ?」

 

 いいながら顔を顰めていき、加連は鼻に腕を付けてくんくんと匂いを気にしている。

 

「全然大丈夫だよ」

「よかった〜。……猫ちゃんは俺の匂いのこと、『接着剤と革の匂い』ってゆーんだよぉ。ヒドくなぁい?」

「確かに……。甘い香りがする猫塚くんと比べたら、たまにつんとする時があるかもしれないね」

 

 人の匂いなどさほど気にしたことは無かったが、言われてみればそんな匂いが鼻につくことがあった気がした。対して、執事は香水でもつけているのか……ふんわりと甘い良い香りを纏わせていることが多かったように感じる。

 

「俺ちゃんも香水とかつけよっかなぁ〜」

「でも、靴作りの時に匂いが移っちゃうかもしれないね……」

「たしかに。それはちょっと困るぅ……。まだ何個か依頼残ってるんよね〜……。仕上げの時も変なカガクハンノーしたら困るしなぁ〜」

 

 のほほんと言いながら頭を揺らす靴職人。彼のマイペースな話し方は、こちらの緊張も解していく。初対面から感じていたが、改めて有子はそう思った。

 

「……そういえば、猫塚くんの時計って、加連くんが直してあげたんだよね」

「ん? まぁね〜」

「すごいね、加連くんってすごく器用なんだね。……あ、職人さんだもんね。当たり前か」

「確かにけっこー器用かもねえ? 国中ちゃんも、なんか直して欲しいものあったら言ってよ〜。暇潰しで良ければ直したげる〜」

 

 気分がいいのか、にこやかにそう告げる神父。……もちろん、その申告はありがたいのだが……。

 

「え? えっと……わたしは時計は持ってなくって……」

「時計じゃなくても、なんでもいーよ。服でも、スマホでも、それこそ靴でも……」

「………………スマホ?」

「スマホとか〜ゲームとか?」

「スマホは……モノヴォルに没収されちゃってるみたいで……ない……けど……」

「あ、そいやそーだったね! あれ不便だよね〜。俺ちゃんもやってるソシャゲ、せめてログボは欲しいんだけどな〜……」

 

 有子の反応も見ずに、ひとり淡々と話を進めていく靴職人。突っ込むべきか、言わざるべきか……。有子はしばらく考えて、やはり聞き直すことにした。

 

「加連くん……スマホ直せるの? 道具とかは……」

「んぇ? 道具なんてあるものでどうにかするか、それこそパパっと作っちゃえば………………あ〜………………やっべミスった。ごめん、今の忘れて〜」

「え?」

 

 何かに気づいたように、彼は目を伏せて、それからすぐにまたにこやかに微笑みながら取り消すように手を振る。何が何だか分からず首を傾げる有子に、彼はそのまま手を振りながら別れを告げて去ってしまった。

 ……いまの、絶対おかしいよね!?

 

「お? 何してんだ? 国中……」

「き、菊音ちゃんっ! す、スマホ壊れた時って……直す!?」

「は? いや……。それは業者かなんかに頼むだろ?」

「そ、そうだよね? そうだよね……」

 

 たまたま通りかかったパティシエを捕まえるようにそう言えば、困惑しながらも返ってきたのは、想像通りの回答。

 有子は加連という人物の規格外さに恐れ慄いた……。

 

「さっきなんか加連とすれ違ったけど、それ関係?」

「加連くんって器用なんだなぁって……」

「あ〜。確かに。あいつ、なんだかんだで要領良いよな。さっきやってたゲームも、真っ先にあいつ抜けて、俺と伊海田でビリ対決したんだぜ?」

「あ……」

 

 その言葉で思い出す。そういえば、その面子で集まっていたんだったな。そこに青錆が入っていたというのだから、なかなか不思議な組み合わせである。それこそ、共通の趣味なんかが無ければ……。

 

「そうだ、菊音ちゃんってゲームよくやるんだよね」

「んまあ、それなりに? どした急に?」

「さっき夜羽くんとちょっとお話してさ」

「あ〜、あいつ変だろ? あんま真に受けんなよな」

 

 片割れの名を出せば、納得したように彼女は頷く。そして呆れたように肩を竦めた。二人とも、お互いのことを大切に思っていることは確かだが……菊音は夜羽の非常識的な面を、肯定的にはとらえていない様子だった。

 

「確かに……夜羽くんってちょっと、個性的な考え方をするよね。菊音ちゃんのこと大好きなのがわかるよ」

「個性的……ねぇ〜? 異常だろハッキリ言って。バカスカ物怖じせず何でも思ったこと言うのは、良いとこだろうけどよ。あいつの場合そーゆーのじゃねぇだろ」

「そういうのじゃないっていうと……」

「あいつ、マジで俺以外のことなんとも思って無さそうなんだよ」

「あー……」

 

 彼女の言うことには一理ある。仮に「一に菊音、二に菊音、三四も菊音で、五も菊音だよ!」などと彼に言われたところで、特に驚きもせずそうだねと受け流せる自信があるほどには、納得した。

 

「でもそれは、それだけ菊音ちゃんのことが大切で、菊音ちゃんに夢中ってことだよね。一途で、素敵だと思うけどな」

「……そう見えるか」

「うん……。でも、菊音ちゃんも偉いよね。夜羽くんがそうやって、孤立しちゃうの心配してるんでしょ?」

「そりゃあな。……だって、あいつがあんなんなったのは、俺のせいだから……」

「……?」

 

 菊音が目を伏せてぽつりと呟く。有子は、彼女の言う意味が理解出来ずに瞬きを繰り返した。

 

「わりー、国中。俺ももう行くわ。あいつ待たせるとめんどくせぇからよ。じゃな!」

「うん、じゃあまたね」

 

 ぱちぱちと瞼をくっ付けては離して。そうしてまた目を開いた頃には、いつも通りの元気なグレーテルが笑っていた。手を振って足早に去っていく彼女に、有子も手を振り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夕食は、久々に全員が顔を見せてのものとなった。有子が白うさぎと共に食堂へ来た時には、既に猫塚が準備を始めており、その傍らに青錆が座っていたのだ。学級裁判の後に倒れてから――彼が、こうして会食の場に居合わせるのははじめてだった。昼間のことといい、城主の具合はすっかり良くなったようで、そのことは有子をほっとさせた。

 彼らに声を掛ける前に、お腹を空かせた高校生の少年少女が次々と集結し、賑やかさを増していった。彼らのお腹が限界を超える前にナイスタイミングで猫塚が夕食の準備を終える。そうして今度こそ、()()()()食事会がはじまったのだった。

 

「そういえば青錆、随分箸が上手くなったな」

 

 言われて、有子はあっと気付く。そうだ、全然気に留めていなかったが……この城主は以前、確かに箸が使えないと申告していた。けれども、今の彼はどうだろう。手袋を嵌めた手で、難無く箸を操り料理を口へ運んでいる。少し前までその手にあったはずのフォークは、彼の食卓には並んでいなかった。いつの間に? 有子は驚きと同時に、嬉しさが込み上げた。

 

「ほんとだあ! れーちゃん、すごいねぇ、えらいねぇ〜!」

「こんな短期間で上手くなるもんなんだね〜! 青錆ちゃん、すごーい!」

「え、えぇと……。あ、ありがとう、ございます……? あの、猫塚氏に、教えて頂いて……少しずつ、使えるようになりまして……」

「そのまま食器を変えないでいても構わなかったはずだ。だが、お前は努力して扱えるようにしたんだろう。凄いな」

「そうよね。だって、あんた長くドイツ暮らしだったんでしょう? 尚更箸は難しかったでしょうに」

「……そ、んな……こと、は……。郷に入っては、郷に従え……と、言います、でしょう……? それに、ほんとうに……猫塚氏が、親切、で……」

 

 にこにこと嬉しそうに褒め言葉を浴びせる生徒たち。あのしかめっ面の赤柳も、男子には妙に厳しい白雪も、顔をほころばせていた。反面、青錆は誇らしさも嬉しさも無さそうで……ただただ、困惑したように首を傾けるばかりである。

 静かに聞いていた夜羽が、意外そうに声を上げる。

 

「へぇ〜。猫塚君って教えるの上手いんだね」

「そうでもないと思いますよ」

「……えあ? おめ〜、どした? ふっつーに僕のおかげですよ〜とかなんとか、言ってきそうだと思ってたんだが……」

「青錆さんはご謙遜が過ぎる、というお話です。僕の言葉、覚えていらっしゃいますか?」

「あ……はい……。すみません……。自信、持ちます……」

「案外上手くやれてんだなぃ、お前ら」

 

 二人の間でしか通じない会話を織り交ぜたのを見て、伊海田が意外そうに眉を上げる。そういえば、はじめは結構嫌がってたけれど……お世話を猫塚くんに任せて正解だったかもしれないな。有子も同じことを思って、同時にその事実に安堵した。少しでもより良い環境に居られるということは、城主の体調などを考慮せずとも重要なことだ。皆口には出さないが、執事の仕事ぶりは正しくそれに直結していた。今まさに目の前に存在している美味な料理を提供してくれたのは、他の誰でもない。娯楽が制限されている以外に、この生活で今有子が抱える不満点は特に無かった(いや、コロシアイという異常な空間であるという前提があるが)……。

 

 ともあれそんな感じで、今日も綺麗に平らげ、楽しい食事会を終了したのだった。

 

 

 

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