◇学級裁判 開廷◇
「では、まずは再びルールのご確認を。学級裁判の結果は、皆様の投票によって決まります。正しいクロを指摘できれば、クロだけがお仕置き。もしも間違った人物をクロとした場合は、クロ以外の全員がお仕置きされ、皆様を欺いたクロだけが卒業となります。……ではでは、早速学級裁判を始めましょう」
前回と同じようなモノヴォルの口上の後、ピリリとした雰囲気に切り替わる。そう……"学級裁判"。やる事は同じ。章平は大きく息を吸って、議論の準備とした。
◇議論開始◇
「ひとまず、前回のように分かっていることから話を進めましょう」
「そだなぃ。えぇっと、被害者が猫塚で……」
白雪の提案に、伊海田がモノヴォルファイルに目を落としながら言う。
「ちょっと待てよ」
その議論の流れに早速待ったを掛けたのは、パティシエ双子の片割れ、菊音だ。彼女は全員を睨むように眉を吊り上げ、そして責めるような強い口調で言葉を続けた。
「事件の話より何より、真っ先にしなくちゃならねぇ話があんだろ」
「えー? なんのおはなし?」
「とぼけてんじゃねえ。分かってんだろ、
困ったように赤ずきんが首をことりと傾げれば、鬱陶しいと言わんばかりにグレーテルは吐き捨てた。
"被害者が誰か"……。そんなものは、現場を見れば瞭然である。真意を測りかねる発言に、漁師は眉を顰めて口を開く。
「そりゃ……だって、猫塚だろぃ? 他に死んじまった奴はいねぇんだからよぃ……」
「伊海田君って、本当におつむが弱いよね」
「……喧嘩売ってんのかぃ? 言っとくけどよぃ、オレぁ買わねぇぜぃ」
「そう、つまんないの」
にこやかに片割れが挑発するも、案外冷静な漁師はそれに乗らない。ヘンゼルはふっと小さく息を吐いて肩を落とした。……もし、煽られたのがこの場にいない彼だったら、議論は明後日の方向にヒートアップしていっただろう……。そんなあったはずの今を想像していれば、白雪が軌道修正していく。
「とにかく、菊音さんが言いたいことは分かるわ。あたしたちの知るところの
どうやら最初の議題は決まったようだ。我らがリーダーといえば笛吹き男ではあるが、白雪姫もその適性は十二分。フルーティストも黙って議論を静観したまま特に反対しないので、早速この件について双子が取り仕切り始めた。
「つーことで俺は証言者を指名すんぞ。絶対お前は何か知ってんだろ! なあ、加連!」
ビシィと効果音が付きそうなくらい、大袈裟な手振りで指をさし示す菊音。
しかし、指名された彼は全くの無表情で……。
「…………」
「おい、なんとか言ったらどうなんだよ?」
「……や、やめましょうよ……。そうやって、責め立てるのは……。だって……皆さん、ご存知でしょう……? 加連氏は、猫塚氏と、いっとう仲が良くて……」
「だから聞いてんだろうがよ! あんだけ四六時中べったりで、なーんも知らねぇ訳ねぇだろが!」
「ヒッ……ご、ごめんなさい……! 差し出がましいことを……! すみません……」
嗜めるように青錆が控えめに声を上げたのを、菊音は一喝して黙らせた。臆病な城主はすぐさま縮こまってしまったが、それまで無言を貫いていたリーダーが口を挟む。
「……いや、青錆の言う通りだ。それを抜きにしても、当人に話す気が毛頭無いのであれば、問い詰めるだけ無駄だろう。まずは別の切り口から、猫塚について議論すべきだ」
「別の切り口?」
「奴の正体を知る上で、それらしい証拠は嫌という程見つかったろう」
笛吹き男は話題を提示して、やはりそこで言葉を噤む。章平は少し考えて……前回の時と同じように。また自分が代わりに説明をすることにした。
「ええと、"金色ペテン"は、おぞましいほど美しい金目を持つと言われているんだったよね! その上、モノヴォルが"金色ペテン"はぼくたちの中にいるって断言していた。おまけにオオカミくんの左目は、ものすごーくキレイな金目だったよね!」
「そう、それからモノヴォルファイルに記されていた奴の肩書きは、"超高校級のペテン師"。つまり、猫塚こそが世間を騒がす犯罪者……"金色ペテン"その人だと言える」
章平が説明すれば、待っていたと言わんばかりのタイミングで赤柳は補足する。しかし、双子はまだ納得がいかないような表情をしていた。コンフィズールの夜羽はやれやれと肩を竦めてゆっくりと首を横に振る。
「モノヴォルファイルを見て、せつなちゃんが金目について暴いた時にそうは思ってるよ。僕もきくねも馬鹿じゃない」
「なら、何が腑に落ちねぇんだよぃ?」
「結局、
……そう、今まで章平たちと接していた「猫塚誠司」と名乗った少年は、「鷺沼瑞」という詐欺師・"金色ペテン"その人である。ならば……では、「猫塚誠司」とは何だったのか? パティシエの疑問はもっともである。
けれども、章平たちはその真相についても知っていた。章平が証言者の顔を見れば、彼は任せろと言わんばかりにこくりと頷き、口を開いた。
「猫塚家に養子の次男がいて、そいつが執事をしているという話を、僕は入学前から知っている」
「なんでンな事知ってんだよ」
すかさず突っ込み。じとと睨みつける双子にも構わず、赤柳は解説を始めた。
「幼い頃、猫塚の長子に世話になっていてな。その縁で現在も、彼とは時折連絡を取っていたんだ。
「
「勿論無い。……けれど、その
「……全部
「これらのことから僕の考える結論はこうだ。今回の被害者である
「
「名前が二つあるってこと?」
証言にこくりと白雪が納得したのを見て、赤柳はその証拠に基づいて導き出される結論を提示した。いまいち飲み込めていない様子の伊海田が呟き、確認するように夜羽が聞き返す。ふむ、と姫ヶ原がその結論に頷いた。
「成程、詐欺師としての名と、本来の名……どちらも所有しているというのは、何ら不思議な事では無いだろうな」
「芸能人や……インターネット上で活動する方々も……本名ではない名前を使う方が、多いですしね……」
「青錆もハンネのが有名だもんなぃ!」
「え? 青錆、なんかやってんの?」
「…………
「誤魔化されるとすげぇ気になる」
「……っどうでもいいじゃありませんか……!?」
「お、おお……」
逸れた話を強引に戻そうとする城主の"圧"は、今まで見せたことのない有無を言わさぬ態度で……。思わずグレーテルはたじろいで引き下がった。
◇
「話戻すか……」
「ええと……。とりあえず、被害者は猫塚君で……彼は詐欺師としての才能も認められていて、モノヴォルの指摘した"金色ペテン"の正体である、ということが分かりましたね」
「まとめサンキュー、泡淵!」
「ひとまずせーじちゃんについてのことは、ここまででいったん置いといてー……そろそろ事件のおはなしも進めないとだね」
泡淵がかたかたとこれまでのまとめを打ち込む。星永がモノヴォルファイルを起動しながら、議論を促した。
「そうだね、じゃあ早速事件の話をしていこう。発見時の話からとりあえず、聞かせてもらえるかな?」
今回の遺体の発見者は、章平を含む数名の生徒である。早朝だったことも相まって、当然他の生徒たちはまだ、ことの詳細を知らないだろう。まずは情報共有から。章平が探偵の方へ顔を向けると、彼は先ほどと同じく任せろと言わんばかりにこくりと頷いて説明を始めた。
「僕は、いつも通り朝練を終えてから食堂に向かった。いつもならその時点で既に食事の用意がされていたはずだが、今朝に限っては仕込みすら無くてな。この時間なら青錆の起床を手伝っているかもしれんと思い、世絆と共に青錆の個室へ向かった。そこで加連と佐渡、国中に鉢合わせ……いよいよ猫塚の行方が分からなくてな。奴の個室も確認したが、昨夜から使用していないようだった。一旦食堂に戻って、伊海田から保健室に鍵が掛かっていた気がするとの話を聞いて、飛び出した加連を追い掛け僕と佐渡、伊海田、国中が共に保健室に向かった。伊海田の話通り、保健室の扉は開かなかった。あまりに不自然だったから、加連が扉に体当たりをして強引に突入したんだ。そこには既に事切れた猫塚がいて……後は、お前たちの知るところだな」
彼の証言中、全員が大人しくその説明に耳を傾けた。章平も自身の記憶と照らし合わせる。特に間違った部分などはなかった。伊海田と有子もこくりと頷いたので、生徒たちはこれが全ての事実であると納得したようだ。
けれども別のことで、生徒たちに疑問が生じる。
「扉壊しちゃって、大丈夫なの?」
「あー……。そのルールはまだ追加していませんでしたので、今回はお気になさらず。……といっても、今後わざと施設や備品破壊をするのは見過ごせませんから、今追加してしまいましょう。……あ、ついでにですと。器物破損ルールには、一部例外があります。今回のような場合は特に問題ありませんよ」
「なるほどねー」
すかさずモノヴォルが注釈を入れる。つまり、器物破損より殺人事件が発覚することの方が重要である、ということだ……。
……さて、ともあれ情報共有はひとまず済み――次に議論するべきは、遺体のことだろう。早速夜羽が口を開く。
「あの現場の惨状、正に血の海! って感じだったよね。鷺沼君は出血死かな」
「ああ、頸動脈を損傷したことによる出血性ショックだ。他に目立った外傷は無いからな」
「首が抉れていたね!」
「く……首……が……えぐ…………れ…………」
「……あ。あー……青錆、お前……そいや……」
「ち……血が、すご…………かった、です、よねぇ……あ、あは…………はは…………」
「もういいもういい、思い出すなお前もう……」
見事に顔を青ざめて震え出す青錆。引き攣った笑いを無理やり零す城主に、やれやれと菓子職人が肩をすくめた。
気を取り直して。夜羽が検死を行っていた二人に顔を向ける。
「首を狙って一突き、で認識は合ってるかな」
「そうかもね……。ただ、首の血管を確実に破壊するために……捻ったりして傷口を拡げたみたい……。頸動脈って、けっこー深く傷付けないと損傷しないからねえ……」
「……は、はぁっ……!」
星永の見解に、やはり青錆ががばと顔を上げて悲鳴を上げた。章平も、介護士の言葉を想像して背筋がぞわぞわするほどだった。苦手な様子の彼が震えてしまうのも無理はないだろう。優しい有子はすぐに城主の異変に気付いたのか、哀れな男に声を掛ける。
「青錆くん、大丈夫そう……?」
「はぁー……っ、はぁー……っ…………。……ちょっ……と、…………そのまま、お話、続けててください…………」
自分の証言台に掴みかかって、城主はそのまましゃがみこんでしまった。必死で呼吸を整えているものの、かなり具合が悪そうだ、と章平は思った。彼の苦しむ様を見ながら、モノヴォルが不満そうに首をゆらゆらと振れさせる。
「青錆君、限界でしたら仰ってくださいね。ワタクシ、お掃除は不得手ですので」
「モノヴォルにも言われてるよ。青錆君、お願いだからここでは吐かないでね」
「……は、はひ………………」
「酷いよ夜羽くん。我慢してる人にそういう言葉は言わないで」
「でも、嫌なものは嫌でしょ。じゃあ国中さんが処理してあげてね」
「もちろんするよ」
「くっ……!? 国中氏!?!!?」
有子の返答に、青錆は思わずがばっと顔を上げて素っ頓狂な声を上げた。真面目な顔をする有子の一方で、夜羽は白けた顔をして頷き、最も動揺している彼に声を掛けた。
「ほへ〜。良かったね、青錆君。国中さんは君の吐瀉物、掃除してくれるんだって」
「
「いいの。誰が片付けようが一緒でしょ?」
「ゆうこちゃん、ひとりでやるの? ぼくもするよー?」
「わ、わ、わっ! わたしもっ……!」
「健気で優しい子が多いこと……。……あ、あたしは嫌よ」
「誰だって嫌だろうがよ。なんで嬉々として手伝うとか名乗り出んだ? お前らキショいぞ」
「おい……。いつまでこんな話を続けるつもりだ?」
「そんな話より事件の話しましょうよ。出したら出したでしょうがないものはしょうがないでしょ。そうなってから話して」
「あ、ああ〜…………ごめんなさい、ごめんなさい……。ほっといて続けてください…………」
リーダーの二人が不機嫌に軌道修正し、元凶の彼がへなへなと情けなくまた項垂れて黙り込む。有子は相変わらず心配そうに見下ろしていたが、議論は構わず進むようだ。
◇
「話を戻すぞ」
「他にも遺体に何かあったわよね」
「佐渡、報告しろ」
笛吹き男の指示で、章平もすぐさま意識を裁判に戻す。
「あ、うん! オオカミくんは、左手に何かを握っているようだったんだよね」
「何かってなに?」
「分からないよ……。太郎くん。結局、オオカミくんのおてては開いたのかい?」
「いや……。裁判にゃ間に合わなかったなぃ……。もうちょいだったんだがよぃ……」
伊海田は言いながら罰が悪そうに、加連を見つめる。靴職人は相変わらず視線を落として俯いていた。先程からずっとこの調子だ。章平たちの議論を聞いているのかいないのか、もはや判別出来ないこの被害者の友人が、不機嫌にも漁師の行為を阻止したということは想像に難くなかった。
「重要な手掛かりだろうけど、分からないんじゃしょうがないよね。先に別の話をしよっか。凶器ってあそこに落ちてたメスでいいかな?」
「凶器は鋭利な刃物……だけど、包丁ほど大きくはないと思うよ。60mmくらいの刃物かな」
すぐに解決しない話題を続けていても仕方ない。再び別の議題を夜羽が提示し、星永がそれに反応する。その話なら章平も分かる。情報共有のため、すかさず口を開いた。
「現場に落ちてたメスは、小さいし、凶器の特徴と一致するね!」
「包丁といえば、また厨房の包丁が無いみたいだけど……青錆君?」
「はひ? ……げな、
「……まあ、それが凶器の可能性より、現場の血塗れのメスの方が凶器っぽいよね」
まだつらそうな城主は、飴細工師の問いに辛うじて返事をした。念の為に確認しただけだったのか、ヘンゼルはその回答からさらに追及することはせず、うんと納得したように顎に手をやった。
「なんなら、青錆くんのアリバイはわたしが証明してあげられるよ」
「ありすは昨日の夜、青くんとおしゃべりしていたんだったよね!」
有子の発言に、そうだと章平は便乗する。有子はこくりと頷いて、証言を始めた。
「うん。眠れなくて、寄宿舎から出てすぐの教室でおしゃべりしていたんだ。たしか、午前0時くらいから一緒だったから……。青錆くんに犯行は不可能だよ。それからええと、1時くらいだったかな……。ふたりでおしゃべりしてるときに、物音が聞こえて……。……今思えば、まさに猫塚くんが襲われてたところだったのかも。助けに行って、あげられてたら……」
「く、国中氏に責任はありませんよ……! 吾輩だって、全然……物音にも気付かなかったですし……」
「そんなに激しい音じゃなかったの?」
「うん……。遠くの方で……何かが落ちたのかな? くらいの……。わたしもしっかり聞こえたわけじゃないんだけどね」
「国中たちがいたという教室から保健室とでは、かなりの距離がある。気付けなかったのも無理はない」
保健室と有子たちがいたという教室は、赤柳の言う通りかなり離れている。長い廊下を挟んで対極……それぞれ校舎のおおよそ端と端に位置しているのだ。そんな遠くの音を聞き取ることすら、難易度が高いだろう。彼女の聴力がかなり優れていたと言うほかあるまい。
◇
「……一旦黙って聞いてたけど、やっぱり突っ込ませてもらってもいい?」
「うん、どうしたの? 白雪さん」
有子の証言が終わり。事件についての情報がまたひとつ増えたところで……しばらく沈黙を貫いていた白雪が口を挟む。
捜査時間に有子の証言を聞いた時、彼女も一緒だった。その時は何も突っ込まなかったはずだが……。きょとんとしながらも有子が彼女の発言を促すと、白雪姫はきっと眉を釣り上げて、叫んだ。
「青錆、あんた。よりにも寄って女の子と……夜な夜な二人きりになってんじゃないわよ!」
「ヒェッ……! ご、ごめんなさい……!」
「え? そこ?」
「し、白雪さん……。わ、わたしが誘ったんだよ。ごめんね……」
「そうだとしても男として、断るのが普通でしょ? あんたにその気は毛頭ないんだろうけど! でも! そんな深夜に逢瀬とか、有り得ないわ!」
反射的に城主が謝罪を述べても、有子が宥めようと間に入っても。男性嫌悪の気質が強いモデルは収まらない。証言の内容が、彼女の逆鱗に触れるシチュエーションであったことは否めず……。他の生徒もやれやれと苦笑いを浮かべるばかりである。
菊音がゆらゆらと頭を揺らして、呆れたような顔をする。
「ってか、そもそもなんでお前ら夜中に出歩いてんだよ? 体調も安定してねぇんだし、青錆はちゃんと寝てろよな」
「ほんとだよねー」
「ごめんなさい……! ごめんなさい、ほんとうに……。ね、眠れなくてぇ……」
「れーちゃん、おくすり、きかなかったー?」
「い、以前は……あれより、強いやつを……飲んで、いて……」
「あー…………」
「せつなちゃんの呆れたような顔、初めて見たぜぃ……」
心底残念そうな、呆れたような表情を見せる赤ずきん。漁師の言う通り、章平もこんな顔の彼女を見るのは初めてだった。
「眠れないことが苦痛になってしまうのは仕方ないだろう。ろくに娯楽もないこの状況では適切な処置も他に無い。白雪、目を瞑ってやれ」
「そこはいいけど、女の子と二人きりはホントに止めなさいよね。それも夜中に!」
「ゴメンナサイ……ゴメンナサイ……」
助け舟を出すようにフルーティストが間に入れば、やっと落ち着きを取り戻したのか、モデルは肩をすくめて息を吐く。ダメ押しとばかりに城主はまたぺこぺこと頭を上げ下げするのであった。
◇
気を取り直して、議論の続きである。
「……ともかく、他にアリバイのある人っているかな?」
「犯行時刻は深夜だったので……。多くの人が、個室で睡眠をとっていたようだわ」
「ふっつーに俺も寝てたぜぃ……」
「俺らは前回言った通り。身内の証言はアテになんねーだろ」
「うーん、じゃあやっぱり、他にアリバイがある人はいないかな」
引き続きアリバイに関する議論を聞いて、有子が突如声を上げる。
「……あっ! そういえば、アリバイの話でもう一つあるけど、姫ヶ原さんもアリバイがあるって言えるんじゃないかな? そうだよね、青錆くん」
「あ……そう、ですね。
「……ふむ? 誰か来たなと思うたが、御前であったか」
話題の中心人物は、そこではてと首を傾げる。その様子が不可解で……。情報の提供者である有子までも首を傾げた。
「? 姫ヶ原さんは、青錆くんと会ってないの?」
「何時頃の話か不明だが……恐らくその時刻であれば、入浴中であったからな」
「にゅ……!」
「覗きかぁ〜」
衝撃の言葉。流石に"それ"が良くないことである、というのは……章平でも分かることだった。
……思った通り。大人しくなっていた白雪姫の導線に、再び火が付く。
「青錆あんた……! 逢瀬だけじゃ飽き足らずよりによって……っ! なんてことしてんの!!!」
「ヒュエ!?
「男はみんなそう言うのよ」
「ほ、ほんとにぃ……してないんですってぇ……!」
「流石に可哀想になってきた」
「安心しろモデル娘。入浴中に扉を開けられた覚えは無い」
「…………姫ヶ原さんがそう言うのなら……。ひとまず、目を瞑っておきましょう」
それまでニマニマと意地の悪い笑みを浮かべていた姫ヶ原だったが……。収拾がつかなくなる前に鎮火することにしたのだろう。白雪は不満気な顔をしながらも、ひとまず食い下がる。この話題はこれで終了した。
困ったように眉を下げたまま、有子は息をつく。
「話戻そっか」
「つまりー、姫さまも、アリバイがあるってことで良いんだよね?」
「青錆君がお風呂に入ってた姫ヶ原さんを見てるからね!」
「見てないんですってば!」
「けっきょくどっちー?」
「見てませんけどっ……! 確認はしました……!」
「言い直しても同じ意味なんだよね」
「青錆っていっつもなんか話題逸らすよなー」
「ゴメンナサイ……ゴメンナサイ……」
「全然話戻ってねぇぜぃ」
冷や汗を流しながら縮こまる城主を見て、困ったように漁師が首を傾けた。章平は大変そうだなあと思ってその光景を眺める。
◇
ともあれ、これでアリバイがある人物は全員のようだ。深夜の犯行、当然アリバイの成立する生徒ばかりではない。章平も自室で寝ていたが、それを立証する術は無いのだ。まだ犯人候補はたくさんいる。
夜羽がしばらくうーんと唸って、新たな議題を提供した。
「アリバイのことは分かったし、ひとまず違う話題にしよっか。遺体を発見した時……保健室は密室だったんだよね? 犯人はどうやって部屋を出入りしたのかな?」
「単純に考えれば、大まかにわけて答えはふたつだ。犯人が密室になるよう細工をしたか、ずっと中に籠って居たか……」
「……なにそれ? 鷺沼君は自殺かもってこと?」
「その可能性も否定はしない」
「は!? あんな我が強ぇ奴が自殺なんてするかぁ!?」
怪訝な表情をして首を傾げる夜羽に、姫ヶ原はこくりと頷く。思いがけず片割れも声を上げた。確かに――これまでの猫塚の言動を鑑みれば、そんな事態になるとは想像しにくい。
……けれども、かぐや姫はその説を譲らない。
「精神的な問題を抱えていれば、この状況に耐えかね自ら命を断つ……というのも理屈としては罷り通る」
「それは……そうだけどよぃ、猫塚だぜぃ? あいつに限ってんなこと……」
「そっちは偽名だよ」
「……鷺沼に限って、んなこと……」
「あ、言い直すんだ」
「律儀な奴だなあ」
「自傷癖を抱える人間が、精神的に問題が無いとは言えぬよ」
「自傷?」
伊海田が律儀に言い直すも、すかさず反論。横で有子が目を見開いたのが分かった。他の生徒たちも……
物言いたげに眉をひそめていく星永は、しかし何も言うことはなく。赤柳ももちろん、目を伏せただけだった。……補足事実を提示出来るのは、章平しかいないようだ。
「姫さまが言っているのは……この手首の傷のこと、だよね?」
章平はモノヴォルファイルを開いて、遺体の写真を拡大して見せた。補足するように
「左手の傷、ねぇ……。それこそ自傷ってより、彼が左手に握った何かを取り出すために、犯人が付けた傷……とかじゃなくて?」
「断定しただろう、
「あいつリスカしてたんか……」
驚くべき事実。それもそうだ、季節は秋。段々と冬の足跡が近づく頃……一般的な服装は長袖であり、例に漏れることなくあの執事も腕が隠れる装いをしていた。……それに、あのプールでの親睦会ですら、ほとんど普段着と変わらないような低露出の格好で参加していたのである。無論、両腕はきちんと隠れていた。それは章平のダボついたカーディガンとは違って――別段不審に思うようなものでもなかった。……そう、一同が気付かないのも無理はなかったのだ。
「でも、一緒に水仕事してたんだからよぃ。それを綿貫が気づかなかったわけなくねぇかぃ? あいつ、何も言ってなかったよなぃ?」
「傷隠しの道具を使っていたみたいだよ。ファン、デー……ショー? タイム……だっけ?」
「ショウくん。それを言うならファンデーションテープ、じゃないかな……」
「そうそうそれ!」
「でも、いくらファンデーションテープでも、そのくらい間近で見てたら分かるよね」
「だよなぃ? だったらおかしい話じゃねぇかよぃ……」
うーんと声を上げたのは伊海田だ。確かに、一緒に炊事を担当していた綿貫は気付いても良さそうなものである。彼らは仲良く並んで仕事に励んでいたし、調理時は当然、それに相応しい格好をしていたはずだった。それこそ、袖が濡れないよう捲りあげて――……。
「……気付いたとして、お前はそれをわざわざ言いふらすか?」
「言い……ふらさねぇけどよぃ……。……や、わりぃ……。だよなぁ、知ってても言わねぇかぃ……。綿貫なら、知らないふりしててくれただろなぃ……」
猫塚が綿貫を慕っていたように。綿貫もまた、なんだかんだで猫塚を可愛がっている様子だった。そうでなければ、料理のレシピを教えるなどという話をするわけがない。それこそ、あの穏やかで気配り上手の家事代行である。……心配こそすれ、その心の傷をほじくるような行為を彼がするはずがないというのは、全員が納得する論だった。
猫塚の自殺説について、姫ヶ原がさらに根拠となる証拠を提示する。
「それから、保健室の棚にある薬……。使用されていたものがあった」
「ひとつは、ぼくがれいちゃんに渡してた睡眠薬だよ。こっちはぼくがれいちゃん用に管理していた量より減ってないから、れいちゃんだけが使ってたものだって言えるんだけどね」
「睡眠薬以外に使われた薬がある、ということ?」
「それって事件に関係あるだろ。やっぱ毒とか?」
「モノヴォルファイルによると、オオカミくんは服毒していないみたいだし……少なくとも、直接的な死因につながる毒じゃないみたいだよ。確か、こころのおくすり……だったよね? 姫さま」
その話も章平は聞いていた。これらの事実を知っている、自殺説提唱者に章平は問い掛ける。彼女は満足そうに頷いて目を細めた。
「分かりやすく言えば、抗精神病薬及び気分安定剤の類が軒並み減っていたようだな」
「つまり……どういうこと?」
「抑うつや不安の解消のために、誰かが薬を無断で服用していたってことだよ。さっきのおはなしの繰り返しになるけど……。それも、せいじちゃんが使ってたんじゃないかなって、かぐらちゃんはそう言いたいんでしょ?」
「その通りだ」
「んなの、誰かが間違えて使ってるかもしれないだろ」
「一理ある。ならばこれらを一度でも使用したことのある者は、迅速に自分こそが服用者だと名乗り出ろ。これは事件解決のための重要な証拠である」
姫ヶ原の言葉に、この場はしんと静まり返る。そして静かに生徒たちは、互いに顔を見合わせた。その様子は――確実に、該当者はここには居ないことを示していた。
「いねぇみてぇだなぃ」
「吾輩は……保健室のお薬、ということでしたら……少なからず、利用はしましたが……。全て世絆氏の管理下でしたよ……」
「なら青錆は関係無いわね」
「……じゃあ、使ったのは鷺沼君だったって確定だとして……でも、こころの病気だったってことはなんで断言出来るの? それこそ、ちょっと気分が沈んでる時に、それに効く薬を見つけたら飲むのは別に……そこまで不思議でもないでしょ」
「コンスタン、メイラックス、セパゾン、デパス、パキシル、ジェイゾロフト……」
「……な、何言ってるのかな……?」
突然かぐや姫が唱えだした謎の単語の羅列に、章平をはじめ、一同が困惑して首を傾げる。その様子を一瞥し、彼女は肩を竦めた。
「薬品棚に保管してある薬は、管理用表示は商品名のみである。我は趣味で把握しているが……介護士のように、仕事に関連しない限り知る由もないだろうよ。……けれども、使用形跡のある薬物は、的確だ。
そして、彼女はゆっくりと扇子を広げ、口元を覆う。
「
しん……と、沈黙が裁判場を包む。その推論から導き出される結論は――ひとつだ。
「じゃあ……鷺沼君は本当にこころの病気だったってこと?」
「……んまあ、あいつ情緒どうにかなってたもんな。一日一人で部屋に籠ってる日もあったし」
「あー……。そいやぁメシにすら顔出さねえ日、あったなぃ……」
それぞれが被害者についての記憶を振り返る。章平もうーんと唸って長靴をはいた猫の行動を思い起こしてみた。確かに皆の言う通り。彼は感情の突起が激しい一面があった。振り返ってみればそれは――かつての章平自身と同じ。心の状態が不安定であることを示していた。
姫ヶ原はまたにまりと目を細める。
「理解したか? 猫が自殺である可能性は十二分にあるということだ」
「そっか、保健室は開かなかったんだもんね。邪魔されないように鍵をかけて……わざわざ皆が疑心暗鬼にならないように、密室にして自殺を図った……ってことかな?」
……確かに、その可能性は否定出来ない。あの執事が生徒たちのために……という点は、少々疑問が残るが――かといって、破綻しているとまで言える論ではない。
しかし。
「……密室ではなかったかもしれない」
「は? 何言ってんだ、お前らが遺体見つけた時に開かなかったんだろ? 開かねぇのに密室じゃねぇなんてこと、あんのか?」
「……佐渡」
一同が納得しかけたところへ口を挟んだのは、やはりリーダーの赤柳。彼は少し考え込むようにしてから、章平を指名した。……彼の言いたいことは、何となく理解している。章平は素直にこれだと思うことを口にした。
「うーんと、保健室の扉にはつっかえ棒が掛かっていたんだよ。保健室の扉は引き戸だから、つっかえ棒を掛けてしまえば扉は開かなくなるよね」
「……つっかえ棒……なるほど、確かにそれなら開かねぇけど……。なんでつっかえ棒?」
「そう。仮に自殺だったとして、わざわざ鍵じゃなくてつっかえ棒で密室にするかな? 誰にも入ってこられないように閉じこもるのなら、鍵を掛けるのが手っ取り早くて自然だよね」
「確かに佐渡の言う通りだわな。別に鍵は壊れてなかったんだろ?」
「扉自体に不審点は無かったな」
「……でも、つっかえ棒で閉じられてない方も開かなかったんでしょ? 保健室の扉は引き戸なんだから……。つっかえ棒だけじゃあ、密室にはならないよね?」
「そう、まさにその通りだ」
自殺説の推理の穴。それを生徒たちが理解したところで、赤柳はすぐさま追い討ちをかける。
「だから事件当時、保健室は完全な密室ではなかったんだ」
「でも実際に、鷺沼くんを見つけた時……保健室の戸はどっちも開かなかったよね? 片方はつっかえ棒だとしても、もう一つはどうして開かなかったのかな……」
「これだ」
「……レール?」
当然の疑問。有子の言葉に、伊海田も不思議そうにことりと首を傾げた。しかし、その謎も探偵には分かっているようで……すぐさまモノヴォルファイルの中の該当写真を示して見せる。そのまま彼はぐいと拡大表示して、皆に見え易いように掲げた。
「ここだ。傷がついているだろう。戸とレールの間に何かを噛ませて、滑り難く細工したと考えれば……密室の謎は解ける」
「わざと建付けを悪くしたってこと!?」
「そっか、すぐに加連くんが体当たりで中に入ったんだもんね……。扉の細工に気付く前に……」
「その後のゴタゴタで、細工を取り除くことはいつでも可能だったろう」
「確かに出入りとか、それどころじゃなくて把握してないわよね……」
ちらりと赤毛の神父を見る伊海田と有子。彼は何処を見つめているのか……微動だにせず、黙りを決め込んだままだ。戸を破る決断を下したのは加連その人だったが――……。細工を気取られないよう、彼がそうしたとするのは些か疑問が残る。あんなに仲の良かった友人を彼が殺せるとは、章平にはどうしても思えないのだ。
うーんと首を傾げる章平をよそに、議論はまだ続いていく。
「細工に気付かず誰かがゴミだと思って処分したんだとしても……。そもそも、もし本当に自殺だったらそんなことしないで、普通に鍵掛ければいい話だよな」
「きくねの言う通りだ。自殺のための施錠にしては不自然すぎるね。……じゃあやっぱり、鷺沼君は他殺ってことでいいのかな」
「そうだな、自殺に見せ掛けた他殺……。現時点ではこれが有力な説だと思う」
探偵がそう結論付ければ、それに反対する者は一人もおらず。皆それに納得したように頷いた。
「でもさあ……それ、出来た人ってほぼ全員なんじゃないの?」
「少なくとも青錆と国中、それから姐さんにゃ出来ねぇことは確実だが……。こりゃまた容疑者の範囲が広ぇこったなぃ……」
振り出しに戻り……。結論が見えたところで、また初めからやり直しである。うーんと肩を落とす一同の中、しかめ面のまま、双子の片割れが口を開く。
「でも、じゃあやっぱり加連が怪しいんじゃねぇのか? 細工に気付かれる前に体当たりで扉ぶち破りゃ、それで密室に見せかけられるだろ。それに、あいつと四六時中一緒に居たんだ。加連ならあいつの弱さに付け込んだりなんか、カンタンに出来るだろ」
「…………」
靴職人は相変わらず口を噤んでいる。……確かに、状況を鑑みれば、アントルメンティエの言う通りである。けれど……やっぱり、章平はどうしてもそれに納得出来なかった。
いつまでも返事どころか、視線さえ合わせようとしない加連に痺れを切らして、責めるように菊音が声を掛ける。
「おい、何とか言ったらどうなんだよ?」
「そこまでにしろ」
それを制止する声は、やはり笛吹きのもので。
「……んだよ」
「加連を糾弾するまでの証拠はまだ無い。もう少し確実になってから詰めていくぞ」
「……わーったよ」
リーダーの主張はもっともだと思ったのか、菊音は大人しく返事をして姿勢を変える。
さて、新たな話題を提示するのは……またもや彼女の片割れ、夜羽だ。
「他に何か怪しいことはあるかな? 犯人の手掛かりになるようなもの……」
「現場には他にも物が残されていたな、佐渡」
「うん! この……わいやー? イヤホン!」
「イヤホン? 倉庫の備品とかじゃないってこと?」
「そういえば倉庫管理って、赤柳がやっていたんだったわよね」
話を振られ、章平は素直に答えた。現場で気になる証拠品といえば、このワイヤレスイヤホンである。
倉庫の件が出てくると、赤柳がこくりと頷いた。
「ああ、毎日整理も兼ねて点検を行っていた。事件直後ももちろん確認している。今回持ち出されたものは無いとみて良いだろう。……その上保健室に落ちていた形状のワイヤレスイヤホンは、そもそも倉庫には置いてなかった。前回の事件後、すぐにリストをまとめたから間違いは無い。倉庫にあるイヤホンは全て、有線のものだったな」
「てことは、つまり……」
「そう、つまりこのイヤホンは、誰かの私物。もしかすると、犯人に繋がる……」
「カンケーないんじゃないかなぁ〜」
◇
「……は?」
「関係、ない?」
赤柳の言葉を遮ったのは意外な人物だった。全員がそののんびりとした声の主に注目する。それもそのはず。彼はこの裁判がはじまってから一言も口にしていなかった……。
ここで初めて議論に口を出した加連は、猫塚の遺体を発見した時のあの余裕のない表情ではなく、いつも通りの……飄々とした、のんびりとマイペースな加連修也であった。
「なんだ加連。関係無いとはどういうことだ」
「せつめーしろ加連!」
彼の次の言葉を急かすセリフに、彼は相変わらずの間延びした声を返した。
「うん。だってそれぇ、
「スイって、えーっと、猫塚のことかぃ!」
「だからそっちは偽名だよ」
「んぁあー! 紛らわしい! どっちでもいいだろぃ!」
「そ、それより加連くん。"補聴器"って……?」
「あ、うん」
動揺の声で掻き消された彼の続きの言葉を、有子は尋ねた。一旦止めた加連も、それを聞いてすぐに頷く。
「あの子ぉ、ビョーキで元々耳があんま聞こえてないらしくてぇー。それで着けてたんだよ」
「あんなオシャレな補聴器もあるのね……」
「ぼくも初めて見た! しゅーやちゃん、病気って、なんの病気ー?」
「んー……なんだっけなぁ〜…………。……わ……わー……わーでんぶっく? だっけぇ……」
「ワールデンブルグ、かな」
「あ、そうそうそれぇ。せつなちゃん詳しいねぇ」
「介護士だしねぇ〜。……難聴の他に、後は白毛症やヘテロクロミアなんかも併発する病気だけど……」
「……ヘテロ……。……そういえば、猫塚はオッドアイ……ヘテロクロミアだったわね」
「白毛症……? もしかして、メッシュだと思ってたけど、あれは……地毛?」
「うんうん。あそこだけ染めても無駄だからって言ってたっけなぁ……」
加連は目を細めてうんうんと頷く。その目は、懐かしい友との美しく、素敵で、心温まる思い出を思い返して浸っているような表情だった。
「なんか目の色も気にしてるらしくてさぁ。キタローヘア崩さなかったんだよねぇ。俺はキレイだし好きだなーって思ってたんだけどー……。ほら、金色と水色でしょぉ? まるでお月様と湖みたいだよねぇ。どっちも透き通ってて、キラキラしててぇ〜……俺あの色好きだなぁー」
「え、おま……! あいつが金目だったの知ってたのかよ!?」
「知ってて言わなかったの? "金色ペテン"の話してたのに……」
「だって、俺もあの子がそうだとは知らなかったしぃ……」
次々と投下されていく新事実に、章平はまだ追い付けずにいた。靴屋くんとオオカミくんは、ええと……やっぱり前から仲良しだったってことかな! そう無理やり納得して、章平は頭の中で必死に言葉を追うのだった!
章平と同じく、情報を叩き入れるので精一杯な生徒たちに混ざって……。ようやくこの時が来たと言わんばかりに、いつも通り冷静なリーダーは、靴職人から更に情報を引き出してゆく。
「そんな話は今はどうでもいい。『耳が聞こえない』と言ったな? そのための補聴器か?」
「そだよぉー。小さい音とか、高い音とかが全然聞こえないらしーんだよねぇ。だからぁ、せつなちゃんとかぁ、火燈ちゃんの声は〜、ぜーんぜん聞こえてなかったんだと思うよぉ〜。まあ、俺がいる時は、分かってなさそうだったら、おんなじこと繰り返して言ってあげたりしてたけどねぇ」
「そーいえばぼく、たまにせーじちゃんからお返事貰えなかったことあるよ〜。あれ、無視してるんじゃなかったんだねえ」
二人の言葉に、そういえばと記憶を辿る。……確かに、あの執事は時折やたらと反応が鈍い時があった。星永が言う通り、彼女の台詞の後に決まって加連が繰り返し、ようやく返事をしていたのだ。
「そっか、流石に突然襲われたら気付くだろうと思ったけど、難聴だったとなると話は別か……。犯人に至近距離まで近付かれても気づけなかった可能性があるよね」
「でも、補聴器を使っていたのなら全く聞こえないわけじゃないんでしょう?」
「もちろん全く聞こえないわけじゃないから、その為の補聴器だよね。でもワールデンブルグ症候群の難聴の厄介なところは、感音性難聴だってところだよね」
「かんおんせ……? だとしても、補聴器を使えば聞こえるようになるんでしょう?」
「感音性難聴。音の聞こえ方には特徴があるんだよね。小さくて聞こえない音の範囲が広いこと、音がぼやけて聞こえること、聞こえない音の成分があること。……一つ目は補聴器で補えるものだけど、他のふたつはどうしようもない。そもそも音を音と認識して脳に届ける細胞の数が少なくなって起こる難聴なんだよ」
「ほ、ほえ……。よ、よく分からない、けれど……補聴器……が、あっても、聞こえないことが、あ、あるのね……」
「でも病気だったんなら、治療してたんだろ? そんな素振り全然なかったし……」
「い、いつからその病気に……」
混乱する生徒たちの呟きに、赤ずきんは呆れたような顔をして小さく息をつき、しかしすぐに穏やかな笑みを浮かべて解説をはじめた。
「…………うーんとねえ。あのね、これは遺伝子疾患なの。つまり遺伝子の異常によって起こる病気。現状治療法は無い。当然元々ない細胞を増やす手段も無い。今の技術じゃ決して治らない病気、不治の病、平たく言えば難病だよ」
「そんな……」
「猫塚くん……。なんでそんな大事なこと、黙って……」
「その点は理解出来る。自ら弱みをペラペラと喋る阿呆が何処に居る? ましてこんな状況だ。難聴だなんて、それこそ奇襲でもかけられたらどうする? 気付けずにそのまま命を落とすことになるんだぞ。今回の状況がそれを全て物語っているだろう」
「あー……。それに、猫塚って、茨木にも似たようなこと忠告してたんだったよなぃ……」
腕を組んで思い返すように首を傾げる伊海田。章平もそうだ、と振り返ることが出来た。茨木大璃愛……今はこの場にいないあの眠り姫も、病という
しかし、そこではてと漁師は首を傾げる。
「んでも、加連は知ってんだよなぃ? なんでだぃ? 確かにお前らいつも一緒にいたけど、あいつが他人に自分の弱みを握らせるなんてぁ……」
「あー、俺ぇ、
「は?」
聞き捨てならない事実の発表に、生徒たちは眉をひそめて責めるような表情を作っていく。章平も責めるつもりまではないものの、豆鉄砲を食らったようにきょとんとしてしまった。
「おい、元々知ってた? どういう意味だ。まさか入学してすぐなどと言うつもりか?」
「んぇ? もっと前だけどぉ?」
「もっと前!? 入学前!? てめぇら実は同中……」
「いや別々だったよー」
「え、じゃあ中学より前……小学校かな?」
「ん〜、もうちょい前だったような……?」
「小学校より前ってどういう事だよ! それより前のやつのことなんか覚えてねぇだろ!」
「まあまあきくね、落ち着いて。僕は君の赤ちゃんの頃のことも全部憶えてるからね」
「えぇ……それはそれでキモいな……」
「僕のことを心底気色悪いと思っている……そんな顔も素敵だよ、きくね♡」
片割れを宥めるため、にこやかに暴露した夜羽だったが……。相方は心底嫌がる様子で顔を歪ませた。夜羽は言葉通り、そんな菊音も純粋に愛らしいと思っているようで――満面の笑みを浮かべていた。流石の泡淵も、これにはなんとも言えない困ったような表情を浮かべる。
やれやれと肩をすくめて、白雪が軌道修正するように促した。
「そこの双子ちょっと黙っててくれない? 今は変態ロン毛野郎の話を聞きたいのよ」
「んぇ? 俺いま、白雪ちゃんに暴言吐かれたよねぇ?」
「おい、もったいぶらないで早く答えろ。お前、猫塚とはいつから知り合いなんだ」
痺れを切らした赤柳が催促すると、加連は口元に指を置いて、正確な年数を数え始める。
「え〜……。そだなぁ〜……スイがよっつのときからだったはず……」
「よっ……!?」
「あでもぉ、今までずーっと一緒だった訳じゃあないからぁー……。そのへんどうなんだろ〜?」
「……あ、あの……吾輩、そういう縁はさっぱりなんで、よく、分からないのですが……。それって知り合い……というか、幼馴染、と言えるのでは……?」
「ぼくとありすは赤ちゃんの時から一緒だよ!」
「ショウくん……」
「黙れ佐渡張り合うな」
意気揚々と発言した章平だったが、心の底から迷惑そうに笛吹き男にあしらわれてしまった。必要ない発言だったようだ……。章平は大人しく口を閉じて、また議論に耳を傾けることにした。
「よっつの時って、幼稚園ってことだよね? え、加連くんって、実は物凄く記憶力がいいとか……」
「んぇ? ぜーんぜんだけどぉ?」
「いくら猫塚の外見が特徴的だったとしてもよぃ、幼稚園の時のダチのことなんて……。それっきりだったらよぃ、覚えてるわけねぇだろぃ……」
「というか鷺沼君が4つの時だよね? その時加連君はいくつなの?」
「7だったけどぉ?」
「は? お前今何歳なの?」
「俺ちゃんじゅうはっさいでぇす〜」
「は!? あんたそんなので18なの!?」
「加連くんて歳上だったんだ……!」
「えなにぃ? その言い草、酷くなぁい?」
「そいやお前……。スカウト2回も断ってんだったなぃ……そらそうなるかぃ……」
「オオカミくんとみっつも離れてるんだね! 靴屋くんはお兄さんだね!」
「んん!? 待て待てお前、7ってこたぁ当時小学生じゃないのかぃ?」
「どうだったかなあ〜、小学校の教育は受けたけど小学校には通わなかったからねぇ。分かんないやぁ〜。ごめんねぇ〜」
「待って待って、話が見えないよ。加連くんてどんな幼少期送ってたの? 猫塚くんもだけど! どういう出逢い!?」
「どーゆーって、
◇
ぱち、と同時に生徒たちが瞬きをする。章平も例に漏れず同じことをした。
「……孤児院?」
「あぇ〜? ……あ、そっかぁ。聞かれてないから言ってないねぇ。俺ちゃん中学まで孤児院にいたんだよねえ。勉強もそこで出来ちゃったからぁ〜。小学校も、中学校も、通ってないんだぁ」
「突如語られる衝撃の過去……!」
怒涛の事実開示。これには流石に大きくリアクションせずにはいられず……。動揺と戸惑いの中、ただひとり加連だけが懐かしむような表情で微笑んだ。
「え、え、重……重くない? それそんなノリで話していいやつなの?」
「シスターがね〜、院の玄関に棄てられてた赤ちゃんの俺を拾ってくれたらしいよぉ」
「棄て……ちょっと待って加連、あんたそんな暗い過去持ちなの?」
「別に暗くなくない〜? そんなの珍しくもないでしょ。孤児院チョーたのしーよぉ〜? みんな同じ屋根の下、家族だもの。……まぁ、スイはあんま馴染めてなかったみたいだけどぉ」
「そういや、あいつ……。猫塚の"
「あ、え、そっか、猫塚くんも孤児院に……孤児院!?」
「あー、スイのは特殊ケースっていうかぁ……。親が捕まったから来たらしい? 保護されたって聞いた記憶あるんだけど……。うーん、よく分かんないー。でもなんかぁ、お父さんもお母さんも、すっごい悪いことしてケームショに入れられちゃったらしいよぉ?」
「思考が追いつかない……。どうしてこんな爆弾一気に投下してくるのよ、あんたは……」
「出逢ったばっかの頃は〜補聴器も持ってなかったからぁ、ほっとんど何にも聞こえてなくてさぁ〜……。あ、声変わり前だから高い声だったのも聞こえなかったのかなぁー。よく無視しないでーって怒ってたなぁ〜……」
律儀に反応を返してやる白雪と、相変わらずのんびりと受け答えをする加連。いつもの光景が帰ってきたなあと章平は呑気に思った。
厳しい表情の生徒たちは、互いに顔を見合わせる。
「……ねえ、みんな。今の話信じる?」
「え、事実じゃねぇのかぃ?」
「信じるも何も、事実だけどー?」
「それを確かめる術、今の僕たちに無いよねって話。そりゃ加連君は事実だとしか言わないでしょ」
「うー……ん。同じ孤児院だったっていうのは、ほんとのおはなしじゃないかなー?」
「何を根拠にそんな話を信じろって? やっぱり一番近くにいたんだから、加連君が一番殺しやすいポジションにいたのは事実でしょ。今の身の上話だって、たまたま幼馴染がこの学校に入学するだなんて、どんな確率?」
赤ずきんの呟きに、正論で返すヘンゼル。けれども小さな介護士は、少しも怯むことはなかった。
「まあ本当っぽい話ではあったけど、にわかには信じ難いものだったよね。……ところで、ねぇしゅーやちゃん。その孤児院ってキリスト教でも信仰してたの? シスターがいるってゆってたよね?」
「……んぇ? ああ……うん。俺ちゃん、そこまでは詳しくはないんだけどねぇ。教会に併設されてた孤児院なんだよぉ。院長先生や他の先生の他に、シスターがいてねぇ」
「じゃあその十字架も、孤児院で貰ったんだ?」
言いつつ、赤ずきんは靴職人の胸で揺れているそれを指差す。加連は思い出したようにそれを見下ろして、また懐かしむように微笑んだ。手で触れたそれは、照明を反射してきらと光る。
「あぁ、うん。みんな来て直ぐにシスターにもらうんだぁ。神様の御加護がありますようにってねぇ〜」
「……ねぇ、そんな話聞いてどうするの? 今の話、加連君の容疑に関係するの?」
「うん。少なくとも、しゅーやちゃんとせーじちゃんの関係のお話が嘘じゃないことは、証明できるよお」
「どうやって証明すると言うんだ?」
「じゃーん。これなーんだ!」
そう言って彼女が取り出したものは、十字架だった。首から下げるロザリオだ。章平も、有子も、皆がそれを見て目を見開いた。それはとても見覚えのあるものだったからだ。そして、その持ち主であろう人物へ、全員が視線を送る。……視線の先には、加連。その胸元には、星永が掲げているものと瓜二つの十字架が変わらず下げられていた。
加連はぽかんとして星永の持つ十字架を見つめている。その意味がまるで理解出来ていない様子だ。星永は、にこりと笑って口を開く。
「なんでぼくがこれ持ってるんだと思う?」
「え……? せつなちゃんも、同じ孤児院……?」
「あっは。ぼくのおとうさんもおかあさんも、どっちもまだ生きてるし、まあまあ元気だよぉ」
「ならどこで拾ったんだ、それは」
「ここまで言えば聞かなくてもわかるでしょう?
「!」
「シャツの下にね、隠すように下げてたみたい。きっとしゅーやちゃんと同じように、肌身離さず持ってたんだろうねぇ。よっぽど大切にしてたのは間違いない」
「スイ……」
「念の為に確認してよ、しゅーやちゃん。これがしゅーやちゃんが貰ったものと同じものならさ。しゅーやちゃんの話は本当ってことでしょ?」
そう言って星永は、十字架を加連の元へ回す。受け取った加連は、それを微かに震える手で優しく撫で、ほっと愛おしそうに目を細めた。
「……そう、だねぇ……。同じものだよ。……そっかぁ。ずっと、持ってたんだねー……」
それは、本当に大切な人を想うときのもので……。章平は、きれいだなあと、たったひとつそれだけ思った。
赤ずきんの説を補強するように、笛吹き男が静かに口を開く。
「……加連が奴と友人以上の親しい関係性であったことは、他にも証明出来る」
「何それ? いつも一緒にいたからとか? それは見てれば明らかだけどさ、根拠としては薄いんじゃない?」
「明確な信頼関係の物的証拠があるだろう。忘れたのか? "
本当に分からないのかと怪訝な表情をして、笛吹き男は自身の電子生徒手帳をひらひらと掲げる。……そう。"それ"は――彼の言う通り、
「加連は猫塚の個室の合鍵を所持している。僕たちの目の前で加連が鍵を開けたんだ。これがどういうことなのか、分からないわけではないだろう」
「なるほど、そっか。確かにそうだね」
「……んん? でもよぃ、猫塚は……ほとんどの奴の合鍵を持ってたんじゃなかったかぃ?」
「バカだね、伊海田君。
「……あ? ああ、そっかぃ! そいやあ、渡すってやり取りしねぇとダメだったなぃ! じゃあ、あいつの信頼を勝ち取らないと持ってるはずがねぇんだ!」
合鍵のルール、会得方法。それは、
それまで、ゆらゆらとつまらなさそうに揺れていたモノヴォルが、痺れを切らしたのか議論に介入してくる。
「この件についてはどうでも良いことですから、ワタクシの方からお話してしまうと……。加連君と鷺沼君の合鍵を所持しているのは、お互いだけですよ。ちなみに、先ほどの加連君のお話は全て事実です。……いやはや、くしし。なんとも美しい友愛、親愛、兄弟愛ですねぇ」
靴職人の身の上話の保証も請け負って、狐はまた口を閉ざした。学級裁判におけるこのぬいぐるみの立ち位置は、犯人にも容疑者たちにも味方しない、全てを知るだけの傍聴人。
注釈を入れられてしまえば、この件についてこれ以上議論することは無い。こんなことで時間を食っていないで、良いから早く事件の話題に戻れということなのだろう……。
◇
「このことを踏まえてひとつ聞くけど。ちっちゃい頃からずぅっと一緒にいた幼馴染をさ、あんな風に惨たらしく、簡単に殺せるかな? しょーへーちゃん、ゆうこちゃん、どう思う?」
赤ずきんのターンはまだ続いていく。話を振られたので、章平もそちらに意識を向ける。有子は突然の名指しにびくりと肩を震わせた。
「そんなっ……! わたしは、ショウくんを殺したりなんか、絶対出来ないよ。ショウくんのおかげで、わたし、今も正気でいられてるんだ……。ショウくんがいない明日なんて、考えられない……」
「ぼくもありすと同じ気持ちさ。ありすがいないって、全然想像つかない。……ちょっと、こわい……」
「双子ちゃんはどー思うー?」
「僕がきくねを殺すなんて有り得ないよ。世界がひっくり返っても絶対無いね」
「……同じく。聞くなよ、分かってんだろ。もう俺は何も言えねぇよ……」
それまで加連を糾弾していた双子もこの通り。大切な人を手にかけるはずがない――……。それはこの場にいる全員の、共通認識であるようだ。
白雪が腕を組んで肩をすくめる。
「加連には猫塚を殺せないわ。事故なら分からないけど……あの現場はどう考えても故意で作られたものでしょう。だったら、加連は犯人じゃないと思う」
「……庇ってくれて、ありがとう。……だけど白雪ちゃん、なんでそんな言いきれんの?」
「……察しなさいよ。あんた自分のことでしょ」
「あー……うん。俺、スイのことだけは、絶対に殺せない自信あるよ。むしろ逆なら出来ちゃうかも。スイのために皆を殺すほうが、俺にとってはハードル低いかもねー」
「ちょっと思ってたけどお前、割と重いな……」
「そ〜よ〜。俺ちゃん、こ〜見えて重いのよ〜?」
にこにこといつもの人懐こい笑みを浮かべて、ピースサインを作って見せる加連。文字通りいつもと変わりない態度ではあったのだが――
◇
「……ねえ、君に動機がないってのは分かったけどさ。加連君。
一旦議論が落ち着いたところで、またも新たな話題を提供したのは双子の片割れ、夜羽だった。
尋ねられた加連は、その真意を探るように――しかし、これまた普段通りに――ことりと首を傾げた。
「なんのはなしー?」
「今の話だよ。最初から最後まで。1から10全部。それって、フェアじゃないよね? 君は猫塚君……もとい、鷺沼君の本名も、片目が金目なのも知ってた。彼が"
「条件が一致するからって、あの子が"金色ペテン"だったかまで知らないよ。……ほんとに、知らなかったよ。今でも信じらんない」
「や、そこまで知っててそれを知らないってのは苦しいだろ」
「そんな身近に大悪党がいるだなんて、夢にも思わないのは無理もないじゃない? あたしも実は妹がそうでした、だなんて。絶対信じないわよ」
「だとしてもだよ。さっきの話じゃ鷺沼君の両親も多分詐欺師か何かなんでしょ? 犯罪者の子どもであるってことをさ、加連君は出会った時から知ってるんじゃん。微塵も疑わなかったの?」
「……あの子は優しい子だよ」
「どう……かねぇ〜……? 優しい……かぁぃ? 猫塚は……」
「審議入った」
「…………で、ですが吾輩なんかは……! とても親切に、お世話して頂きましたよ……。本当に、細やかな配慮を、して頂いて……」
「フォローも入った」
「わざわざンなこと言う青錆のが、よっぽどお人好しだろ」
「うぇえ!? な、なんかすみません……!」
「御前は直ぐ条件反射で謝罪を述べるでない。……それにしても、アレが彼の世間を賑わす悪党だとは、我も拍子抜けよな」
「オメーは何に期待してたんだよ」
議論は低迷している。それもそうだ、はじめから靴職人と章平たちの情報量は同じではない。片割れ以外のことを微塵も信用していないヘンゼルが、疑心のタネを撒くであろうことは予測出来た。出来たけれど……その疑いももっともである。現に笛吹き男は静かにするだけで、一連の会話に割って入ってこなかった。
「あのさー」
やいのやいのと、生徒たちが好き勝手に発言する中……ついに、不機嫌そうに中断させたのは――……もはや、語るまでもないだろう。
「なんでそんなに悪く言われなきゃなんないわけ? 俺があの子の罪を知らなかったのと同じように、皆もあの子のこと、何も知らないのに。なんであの子が犯罪者だったからって……。死んじゃった後に、そんなに好き勝手言えるわけ?」
「……加連」
「おかしいでしょ。"金色ペテン"のやったことだって、まだ全然、解き明かされてないのにさ。何があの子の罪で何があの子の名前を借りた他人の罪かも分からないのにさ。想像だけであの子を語らないでよ。あの子のこと、俺よりなんにも知らないくせに……」
「加連。……少し、頭を冷やせ」
「……はーい、仰せのままに。黙りますよー」
苛立ちを隠しきれなくなった加連を宥めたのは、我らがリーダー・赤柳である。これ以上の議論の迷走を良しとはしなかったのだろう。不貞腐れるようにまた口を噤む靴職人に追及を重ねるのも……これ以上本題から逸れてしまう。
「加連が猫塚の正体について、全てを知らなかったのは事実だろう。現に、モノヴォル……奴が"金色ペテン"は僕たちの中に潜んでいる、という情報を動機として提示してから、猫塚は周囲との接触を絶っていた。それは加連も例外無く、だ」
「……そうね。今までほとんどの時間を、あいつ、加連と一緒に過ごしていた記憶があるわ。今となっては……あいつにとって加連は、幼い頃からの顔馴染みだし……。この中で唯一、心から信頼出来る人間だったってことだものね。……そんな存在をも、自分から拒絶する意味って……。ひとつしかないと思うけど」
「その上精神薬の服用が始まったのは、おおよそ動機が提示された時期と重なる。ただでさえ不安定な感情を、僕達に悟られまいとして……一人で無理やりどうにかしようとしていたのだろう」
「つまり……オオカミくんにとって、ペテン? のことは……靴屋くんにも知られたくない秘密……だったのかな?」
「そう、なんだと、思う……」
そこではじめてぽつりと口を開いたのは、いつもおどおどとして、発言を避ける少女だった。
「……きっと、怖かったんだよ。すごく……。加連くんとのやさしい時間が、全部壊れてしまうんじゃないかって……」
「……どういうこと?」
「火燈、何か知ってるのか?」
「ふぇっ!?」
意味深にひとり言葉をこぼした彼女は、当然全員の注目を集めた。聞き返す台詞に、はっと顔をあげてようやく、マッチ売りの少女は発言者になったことを自覚したようで……。わたわたと手を暴れさせながら、元からあがり症の彼女は顔を赤らめた。
「ごっ……! ご、ごごご、ごっ、……ごめっ……! っ、…………ぁ、ごめ……ごっ…………!」
「火燈。何か知っているのなら、話してくれ」
「……………………っわ、わた、……し……」
じっと見つめる赤柳の眼差し。彼のその瞳は、心の奥底にまで届くような――そんな真摯で、切実な無言の訴え。火燈は言葉を詰まらせつつも、しかしそれがこの場で必要な発言なのだと強く確信している様子で、ゆっくりと深呼吸をしてから……ついに、絞り出した。
「ごめん、…………知って、た…………」
「はぁ!?」
「なあんだ。正体不明の犯罪者なのに、意外と知ってる人いるんだね?」
「いつから知ってたの? 火燈さん。教えてくれるかしら?」
「じ、事件の……前の……おととい……の、夜…………」
責めるように声を上げる菊音と、肩を落とす夜羽。白雪が横から比較的穏やかに問えば、しっかり応えなくてはと思っている様子の彼女は、案外すんなり回答した。
「…………あの、ね。っ聞い、ちゃったの。偶然……。ほんとに、たまたま……。彼の、口、から…………」
「あいつが自分で正体を明かしたの?」
「なんで火燈さんがそんなこと聞けるの?」
「そ、そうだよなぃ!? お前、猫塚にめっちゃ嫌われてるっぽかったじゃねぇかよぃ! なんであいつの口から、直接そんな秘密を聞けるんだぃ?」
「あ、あの、あのっえっとっ……! そのっ……!」
「……ひとつずつ聞いてやれ。答える気はありそうなんだから」
「そんなこと言ったって、彼女の言葉を待ってたら日が暮れちゃうよ?」
夜羽の言い分ももっともである。事実、奇術師は言葉を捻り出そうとするだけで、意味のある言葉をなかなか吐き出せずにいるようだった。章平もうぅんと困ってしまう。助けを求めるように、自然と動いた視線の先は――やはり、笛吹き男で。
赤柳は肩をすくめてため息をひとつついてから、壇上のぬいぐるみを睨み上げた。
「……モノヴォル」
「はぁい、何でしょうか赤柳君? もう投票に移りますか?」
「違う。どうせお前、僕たちのことを四六時中監視出来るシステムを持っているんだろう。今の件に関する、火燈と猫塚の会話内容を寄越せ」
「えぇ? そんなおいそれとプライバシーを侵害するようなこと出来ませんよ」
「片方は死亡し、もう片方が良いと言っているんだが?」
「んまあ、このまま火燈さんを待つのは時間の無駄ですからね。良いでしょう、それでは録音を再生します。2日前、22時18分46秒、ランドリー付近の廊下での録音内容です」
◇◇
ザザッ……。プツ。
「ど、どうした、の……?」
「……っ、失礼、しました。何でもありませんよ。お休みなさいませ火燈様」
「まっ……! 待って! ねこ、づか、くん! ……こ、ここんな、時間……に、泣い……。……な、何か、あったん、でしょ? あの、よかったら……」
ザッ……。
「……ご、ごめ、……おせっかい……」
「分からなく、なってしまって」
「……ぇ?」
「……どうしたら、良いのか」
ザッザッ……。
「…………動機の、こと、なら……"金色ペテン"が、ほんとに、いると決まった、わけじゃ、」
「います」
「ぇっ……」
「"金色ペテン"はこの中に居ます」
「ど、どうして、そ、思うの……? 猫塚、くん、やっぱり、その人の、こと、ずっと追って……」
「違います」
「じゃあ、」
「俺だからです」
ザー……。
「その卑しい詐欺師は俺だから」
…………。
「………………そ、そういう、嘘は、良くない……よ。……そんな、こと、言ったら、きみが、……こ、ころ、さ、れ……」
ザザザ。
「…………どう、して……?」
「……"金色ペテン"、それは俺のことです。俺は世間が言う詐欺師で、人を騙してお金や物品を手にしたことがあります。でもあの悪行は、世間で騒がれているおぞましい事件は、俺のものじゃない。俺はあんなこと、したことがない。した事があってもそれはもう随分昔のことで、そんなに、沢山では、ない、と、思う……」
プツ、ザッ……。
「……こんな悪癖があるから、もちろん誰かを不幸にしてしまったかもしれない。でも俺は、俺はそんなこと、わざとやったことなんて、一度もない。私欲のために、自分のために、人を欺こうだなんて思ったことなんてない。思いがけず得てしまったものは、……全部、施設の子供たちのために使った。自分の正当な報奨だなんて思ったことは一度だってない。そんなことを、しないように、しないようにって、俺はずっとそうして……でも、だめで……気がついたらまた口を滑らせて……」
ザッ、ザー……。
「でも、……ほんとに、ほんとに…………俺は、ちがうんだ。ちがう、のに。……なのに、おれ。こんな……」
…………。
「こんな話を、……一体誰が信じるって言うんだ……」
「わ、わたしが! あなたを……!」
「本当にお優しいんですね。ありがとうございます」
「あ……」
「嘘でも嬉しかったです。……この話はもう終わりにしましょう」
ザー……ザッ。ピッ……。
◇◇
ノイズまみれのその録音は、しかしその内容をはっきりと把握するには十全だった。
静まり返る裁判場で、最初に口を開いたのは……当事者の火燈だ。
「黙ってて、ごめんなさい……。でもっ……! わ、わたし……! これはね、これは……! 猫塚くんが、ちゃんと……自分の口で、み、みみんなにっ打ち明けなきゃいけないことだって、そう思ったの……! そう、思って……だ、だから…………」
「……んーん。火燈ちゃん……ありがとーね。ないしょにしててくれて……」
「ごめ…………ごめ、ごめん、ごめんねっ……! ごめんっ……! こ、こんな、……こんなっ! こんなことに、なるなんて…………っ!」
彼女は謝罪を口にしながら、目から溢れる大粒の雫を懸命に拭う。自責と後悔の念でいっぱいな彼女に、それ以上を望む人間はここには居なかった。
またも沈黙が襲う会場に、一声、また議論を再開する一言。
「……ひとまず、これで
「はっきりしたって……一体何が?」
「
「つまり、どういうこと?」
「じゃ、じゃあ火燈が犯人ってことかぃ!?」
「……っ! わ、わ、わ、わたしじゃ、ないよっ……!」
「そりゃそうでしょ、火燈さん鈍臭いし」
「え、えう……」
再び勇気を出して弁明しようと顔を上げた奇術師は、飴細工職人の無慈悲な一声で再び瞳を潤ませてしまった。
赤柳は眉を顰める。
「お前たち、何を言っている? 今の一連の会話がなされたのは、
「あ……!」
「そうか、
「あの鷺沼が、そんな迂闊なことするなんてな……」
「むしろ、そんなことに気が回らないほど、奴が憔悴していたということね……。それも犯人が利用したんでしょう……」
「でも……。火燈は気付いてないんだよな? 会話聞かれてたことも……」
「……う、うん……。ごめんなさい……」
火燈はしゅんとして俯いてしまう。そう……もし、彼女が第三者の存在に気づいていれば、犯人についての大きな手掛かりになり得たはずだった……。
◇
重要な証人がいないことが判明したところで、双子の片割れがこころなし不機嫌に肩を落とす。
「だったら犯人の動機がはっきりしたところで、意味なんてなくない? 誰がやったのか全然見えてこないんだもの」
「それとも、名探偵さんはもう答えを見つけられたのかしら?」
「…………」
白雪がちらりと赤柳を見やる。探偵は顎に手をやり、黙り込んでしまう。……思考をまとめているようだった。そうして、しばらく間が空いて……ゆっくりと彼は口を開く。
「犯人は猫塚の状態を把握した上で奴に近付き、そして殺害したんだ。それには保健室の設備についてかなり詳しくある必要がある……」
犯人像をまとめてから一度、そこで言葉を区切り。赤柳はゆっくりと視線を再び上げた。
「……僕が疑わしいと思っている人物が一人だけいる。それはお前だ、姫ヶ原かぐら」
「はあ!?」
「ほう……」
探偵の指名に、生徒一同が驚愕を露わにする。容疑者に名指しされた彼女だけは、面白そうににやりと笑みを浮かべた。
発想の飛躍だと考えた菊音が、すかさず口を挟む。
「なんだよお前! さっきまでの議論ガン無視か!?」
「いや、ガン無視はしてないだろよぃ」
「いや、一部すっ飛ばしてんだろ! なんでここで姫ヶ原の名前が上がんだよ!?」
「良い、一旦落ち着け」
反論するアントルメンティエを落ち着かせたのは、他の誰でもない、容疑者とされた彼女の一言だった。かぐや姫はそうして口元を隠しながら探偵を見据え、目を細めた。
「御前、何故我が犯人だと?」
「……猫塚の自殺説を嫌に提唱していたのが気になった。お前の全てを把握しているとは言わんが、前回の立ち回りから考えると、あの発言は違和感がある。お前ほどの人間が、保健室の扉の細工に気付かないはずがないからな。その上、お前は世絆と共に保健室の薬品管理も行っていた。日常的に薬品棚を目にしていたのなら、薬の使用についても事前に知っていただろう。つまり、僕たちより一足早く、猫塚の異変について勘づけたはずだ。……それに……。お前はよく、猫塚を小突いて遊んでいたな? 奴の反応を観察していたのなら、"難聴"であることも察せたはずだ」
「成程、推測にしては理に適っている。しかしだ小僧、城主が証明したアリバイはどう説明する? 奴等の話が事実であれば、我が保健室へ向かい猫を殺害することは不可能なようだが」
「……確かにアリバイがある限り、お前がシロであることは覆ることは無い」
――けれど……そのアリバイそのものに、引っ掛かりを覚えるんだ――……。口には出さなかった続きの言葉が、章平の頭で響いた気がした。
「念の為もう一度確認しておくが、青錆。
「みっ!? み、みみみみみ見てませんってば!!!」
「お前のそんなデケェ声、初めて聞いたわ」
「ならお前は、どのように奴のアリバイを証明する? それが紛れも無い本人だと、お前はどう説明するつもりだ」
笛吹き男が真剣な表情をして真っ直ぐ目を向ければ、城主もその意味を理解して背筋を伸ばす。同窓の名誉を取り戻すべく、きりりと覚悟を決めた表情になって、青錆は口を開いた。
「パーテーション越しに……影が見えました。上機嫌だったのか……鼻歌も聞こえましたから、姿がハッキリ確認出来ずとも……姫ヶ原氏であることは分かりましたよ」
「……なるほど、分かった」
「やっぱり、アリバイは完璧だよな。姫ヶ原じゃねえってことか……」
「じゃあ他に誰が条件を満たすのかな」
うーんと一同がそこで首を傾げる。大浴場にいたということは、その後寄宿舎から殺害現場である保健室へ向かわなくてはならない。しかし、寄宿舎と校舎を行き来するためには、有子と青錆がいた教室の前を通らねばならない。ふたりは教室の前を行き来する人影はなかったと言う……。まとめてみれば、不可能犯罪としか考えられない。頭を悩ませ始めた生徒たちをよそに……しかし、名探偵はひとり、凛として声を上げた。
「僕は答えを変える気は無いぞ」
「は? どういうこと?」
「
◇
「え……」
耳を疑う彼の発言に、生徒たちは言葉を失う。それもそのはず……
名探偵は、静かに推理をまとめた。
「パーテーションをスクリーンとして、予め録画していた映像をプロジェクターで投影する。……そうすれば、今まさにそこに居るように錯覚させる事が可能だ。このトリックを暴くことはもちろん簡単。至極単純な仕掛けだからな、パーテーションの向こう側を覗いて仕舞えば良い……だが、
「はぁあ!?」
「……で、では……! ぼ、僕が見たのは……」
「青錆はその場にいる姫ヶ原の影をパーテーション越しに目撃したのではなく……プロジェクターで投影された姫ヶ原の映像を目撃したということだ」
「なんてこと……」
「そんな……」
思わず生徒たちは息を呑んだ。探偵は続ける。
「プロジェクターとビデオカメラは、視聴覚室で貸し出ししていた道具だ。実際、事件直前からプロジェクターがひとつ行方不明であったことを、菊音、お前は確認していたな?」
「そう、だけど……。だとしたら、計画的すぎんだろ……!」
「青錆は入眠困難の症状を改善すべく、夜に足湯をする習慣がついていたな。ほとんど毎日行っていたとすれば、大浴場に青錆が訪れることは事前に分かっていたはずだ。アリバイ工作をするならば、決まった時間に決まった場所へ行くルーティンがある奴を利用するのが最も確実で、まず間違いない。そもそも、こいつに足湯の提言をしたのもお前だったよな、姫ヶ原」
赤柳の主張は、なるほどとても理にかなっているように思えた。青錆以外の誰かが来たとして、同じようなことが起こっただろうことは想像に難くない。探偵が着実に容疑者を追い詰めて行く。
……しかし。
「成程、辻褄は合う。その装置を組みさえすれば、脱衣所に来た者共に、我がその場に居たのだと誤認させることが可能だな」
「……認めた、ということか?」
「いいや? しかし一先ず、御前の推理を聞いておこうか。一から十まで、犯行の全てを」
相変わらずの、したり顔で。追い詰められた犯人とは到底思えない態度のかぐや姫は、平然と笛吹き男を煽っていく。
フルーティストはしかし、実に冷静にそれに答えた。
「……これまでの議論の結論を、改めてひとつにまとめれば、それが僕の推理だ」
「ならばその作業は語り部に託すのが良かろうか?」
「……ぼくかい?」
突如名指しを受け、章平はきょとと瞬きを繰り返してしまう。全員の注目を浴びる。最後の一人がゆっくり視線を動かして、章平と目を合わせた。
「……佐渡。今までの議論をまとめてくれ。それが僕の答えだ」
「……うん、分かったよ」
笛吹き男に促され、章平は素直に口を開いた。
◇事件概要◇
今回の事件の発端は、モノヴォルが「ぼくたちの中に"金色ペテン"がいる」という情報を提示したことだ。この動機が提示されてから、オオカミくんはぼくたちと、あんなに仲良しの靴屋くんとさえ、距離を置いていた……。何を隠そう、オオカミくんの本当の才能は、なんと、"超高校級のペテン師"だったんだ。彼は、今までぼくたちが"執事"の猫くんだと認識していた……"金色ペテン"その人だったんだよ。オオカミくんはこのことを誰にも……靴屋くんにも知られたくなくて、ぼくたちと距離を取っていたんだ。
でもその事実を、オオカミくんはぽろりとマッチちゃんに打ち明けてしまったんだ。オオカミくんはかつてのぼくと同じく、こころの病気を患っていて……元々気持ちが不安定だったんだ。ただでさえつらい思いをしていたのにこんなことになってしまって、きっと限界だったんだろうね……。そして、その思いがけずこぼしてしまった言葉を聞いていたのは、マッチちゃんだけじゃなかった。そう、犯人だよ。犯人は、ここでオオカミくんの正体が"金色ペテン"であることを知って……オオカミくんの殺害計画を企てたんだ。
犯人は、まずアリバイ工作のため、視聴覚室からビデオカメラとプロジェクターを借りた。ビデオカメラで映像を撮って、それをプロジェクターで更衣室のパーテーションに映し出したんだ。そうすれば、大浴場を訪れた人に、さも犯人が今そこにいるかのように見せることが出来る。青くんは毎夜足湯に浸かる習慣があったから、それを利用して、青くんをアリバイ証人に仕立て上げたんだよ。青くんがありすに会う前に目撃した光景は、あらかじめ録画された映像だったんだ。
次に、犯人は自分のテリトリーである保健室にオオカミくんを呼び出したんだ。モノヴォルから動機を提示されてからは、ぼくたちと距離を置いて過ごしていたオオカミくんだけれど……。変わらずお仕事をしてくれていたから、彼を呼び出すこと自体は、不可能では無かったはずだよ。手紙か何かを使う手もあったかもしれないね。現場の施設のことを考えれば急病人が出たとかで、お仕事の要請というていもとりやすかっただろう。
ともかく、素直に呼び出しに応じたオオカミくんと二人きりになった犯人は、オオカミくんを後ろからメスで襲ったんだ。オオカミくんはお耳が悪い病気だったから、不意打ちをくらってしまったら、きっと躱すことは難しかっただろうね。首に深い傷を負ったオオカミくんはその場で倒れて……その拍子に補聴器が転がったんだ。……もしかすると、ありすが聞いた物音は……この時の音だったんじゃないかな?
そうして犯人は、オオカミくん殺害後、計画の最終段階に入る。……そう、オオカミくんを自殺に見せ掛けたんだ。わざと凶器のメスを遺体の近くに置いて、保健室の片側の扉を、開かないようにつっかえ棒で固定する。それから、反対側の扉から外へ出て閉め、その扉も固定するよう、レールにものをかませて動かなくした。それから、大浴場の仕掛けを回収し、そのまま部屋に戻る。この時はまだ、ありすと青くんは教室でおしゃべりをしていただろうから……。犯人は二人が部屋に帰るのを確認してから、後片付けをしたんだろうね。……後は、翌朝何食わぬ顔でぼくたちに合流し、オオカミくんを発見させたタイミングで……レールにかませたものを回収すれば、計画は完了だ。
これらの一連の行動が出来るのは、保健室の設備を熟知していて、オオカミくんのこころの状態を事前に知ることができ、アリバイが不自然なひと……。
それは、きみなの? 姫さま……。
◇
「これが、今までのまとめだよ」
ふうと息をついて、章平は
「……成程、これといって矛盾も無く簡潔だな。小僧の語った通りであるならば、我が犯人だというのはまず間違いないだろうよ」
「じゃあ……!」
その言葉は、驚くほどにあっさりと罪を認める内容だった。生徒たちは目を見開いて驚愕を露わにする。
……彼女の言葉には、続きがあった。
「……しかし、確証はあるのか?」
「……なんだって?」
笛吹き男が静かに聞き返す。彼が眉を顰めても、かぐや姫は面白そうにまた、目を細めるだけだ。ぱさと扇子を広げて、口元を覆う。その優雅な仕草は……それが追い詰められた犯人のそれだとは、到底思えなかった。
「確証だよ。投影機や録画機を我が持ち出したと証言出来る者は居るか? 浴場にいた我が映像であったのだと証言出来る者は居るか? 保健室に奴を呼び出したのは我だと断言出来るか? 御前の仮説は辻褄が合うが、
「……お前が犯人だという、揺るぎない証拠を出せ……ということか」
「端的に言えばそうだ。一つで良い、出せるか?」
ぱしと扇子を閉じて、かぐや姫は問う。それはまるで、謎賭け遊びをしているようだった。
静かに名探偵は目を伏せて、顎に手をやる。
「……そこまで考えると、一つ、疑問が浮かび上がるな」
「ひとつ……。ねえそういえば、ぼくずっと気になってることがあるのだけれど、質問しても良いかい?」
「ああ、佐渡。問い掛けると良い」
――そう。
"彼女"は相変わらず涼しい表情で議論の混迷を観察している。
「ねえ、姫さま。
――今朝。事件が発覚した後。姫ヶ原に出会った時。その瞬間から、章平が気になっていたこと――……。
もちろん彼女のピアスはそこにある。
姫ヶ原は章平の疑問を聞くと、にまりと口角を上げてそこにないはずのアクセサリーに触れる。
「さてね。我のボーイフレンドが持っておるだろうよ」
「ボーイ、フレンド……って……」
「狐、決定的な証拠を持って来い。被害者の左手に握られた物だ」
「……えぇ? アナタ、何を……」
「良いと申しているのだ。納得させられなくば決着にならぬぞ」
「あぁ……はい……。それで宜しいのでしたら、では、お言葉に従って……。えー、現場のモノヴォルさん? モノヴォルさーん! はーい! こちら、現場のモノヴォルです! なんと、こちらに犯人に繋がる決定的な証拠があると聞き、やって来たのですが――」
「遊びは良い、さっさとしろ」
「……ホントーに。姫ヶ原さんて、つまらない人ですよね……」
一人芝居が始まったかと思えば、すぐさまそれを制止する一声。がっかりしたと言わんばかりに悪態をついて、モノヴォルはさっと後ろを向く。そうして、そこから取り出したものを高々と掲げ――……。
「ジャジャーン! 鷺沼君の手から――こんなモノが出てきましたー!!」
……それは、見間違えようも無い。風鈴の短冊――……。涼しげな青と白の色合いのそれは、間違いなく彼女の耳に下がっていたものと同じだった。もちろん、その決定的な証拠を目の当たりにした一同は……言葉を、失う。
「うそ……」
「……そんな。じゃあ、本当、に……」
「これを見逃すほど愚かであるなら、それ迄だと思うていたが……良くぞ詰めた。誉めてやろう。
「……は? お前……。今まで何考えて議論聞いてたんだよ」
「小鳥たちの囀りは、実に耳に心地よいと考えておったぞ」
「答えを知っててずっと黙ってたの……? 姫ヶ原さん、それは、犯行を暴かれたくないからじゃなくて……」
「皆がどのような思考過程を経てどのような結論を導き出すのか、それを観察するのはまこと愉悦だった。例に漏れずまたも始まったこの劇には随分と期待したぞ。面白いものを観たいと考えるのは自然なことではないか」
愕然とする生徒たちの中でも、彼女は平然といつものように微笑んで見せる。それは、殺人事件が暴かれた犯人のものとは、到底思えない……。前回の事件、たぬきの過ち――……。
あの時と比較して、てんで全く、"普通"ではなかった。
「さいあく……」
「お前までクソ野郎だったのかよ……」
「なんで……こんな、こんな……っ」
「……おい、待て。加連ッ! 誰か止めろ!!!」
赤柳が声を張り上げた時には、既に加連は姫ヶ原の目の前に辿り着いていた。それもそのはず、
慌てて飛び出した伊海田が彼の手を止める。勢いよく降ろした凶器は、彼女の目と鼻の先……間一髪のところで制止する。数人が悲鳴を上げたが、事件が未然に防がれたことを確認すると、今度はほっと息のつく音を出した。
「加連、気持ちは分かる……! 分かるけどぃ! こんなことしたって、意味なんかねぇんだぜぃ!?」
「意味ならあるよ。俺の気持ちはすこし晴れる」
「その通りだ、小僧。御前の心の赴くまま、情に身を委ねて生きるが良い。其れが御前の正しい在り方だよ」
「ちょ……姐さんは何で煽ってんだよぃ!!」
伊海田と加連の力の差は明らかで、しばらく拮抗していた錐も、すぐにからんと音を立てて、彼らの足元へ転がった。加連の手から凶器は離れても、伊海田は掴んだ手を離すことはしなかった。その手を離してしまえば、道具など無くとも――とてもではないが考えつかないような方法で――加連は復讐を遂げようとするだろうと確信していたからだ。
「加連、少し頭を冷やせ」
「そーだよ。一旦落ち着きな。君がわざわざ手を汚すまでもないでしょ。どの道、これから姫ヶ原さんは処刑されるんだからね」
夜羽のその一声で、一同ははっとして顔を上げた。
「そうだ、処刑……!」
「そ、そんな……! どうして、なんで? 死んじゃうのに、なんで殺しちゃったの……。なんで名乗り出たの……!? なんでなの、姫ヶ原さん……!」
「うーん。その話聞く前にさ、さっさと投票始めちゃわない? もうみんな、誰が犯人なのか間違いようがないでしょ」
「おい、よはね……!」
平然と言ってのける片割れに、菊音は思わず顔を顰めた。けれども夜羽は相変わらずの調子である。
「これ以上議論することも無いのは明白じゃない? だったら、票入れる前か後かなんて、関係ないでしょ」
「そうですねぇ。それでは、議論の決着がついたようですので、これより投票タイムに移ります。皆様、お手元のパネルにて、犯人だと思う人物を指名してくださいね。さてさて、投票の結果、クロとなるのはどなたか? その答えは、正解なのか? 不正解なのか――?」
モノヴォルの操作で、手元のパネルが投票モードに切り替わる。章平はすぐに投票するべきか少し迷って、しかしすんなり犯人の名前を押した。事実は事実。まして、その犯人が罪を認めた後なのだ。疑いようもないことだろう。――けれど、章平が画面をタップして随分と長い時間が過ぎてから、全員の投票が終了した。
前回同様。天井から降りてきた大パネルに、投票結果が表示される。その結果は――
「またもや大大大、大正解! 素晴らしい! 皆様は優秀な生徒でございますね! おめでとうございます! おめでとうございます! おめでとうございまぁぁぁす!!」
怒りや悲しみを露わにする生徒たちの表情と、祝福する音楽、演出、言葉。二度目も相変わらずちぐはぐなその光景を、章平はただ、ただじっと見つめていた。