今章は、ショッキングな表現を多分に含みます。
苦手な方はご注意ください。
1
ひみつをまもれますか。
しんらいをまもれますか。
やくそくをまもれますか。
あなたはぼくを、うらぎらないといったのに。
◇◇◇
第三章
「ヘンゼルとシュヴァルべ」
◇◇◇
「んぅ……。朝か……」
むくり、と身体を起こしてぼんやりとしてしまう。有子は、眠る前の出来事を思い返していた……。つい昨日のこと。二度目の学級裁判――……。有子は議論の内容を、ひとり頭の中で振り返る……。
被害者は今まで有子たちの生活を献身的に補助してくれていた、猫塚だった。何かと問題発言を投じたり、気難しい性格だったりと困った生徒ではあったが――悪い人間ではないと思っていた。その彼が、実は世間を揺るがす大犯罪者"金色ペテン"で……加連とは幼少の頃からの幼馴染で……。そんな彼を"
「はぁあ……」
たくさんの信じられない出来事と真実が判明して、正直有子は頭も心も、議論に追いつけなかった。姫ヶ原が処刑された後も、鷺沼について生徒たちの間で議論があって――……。
「……うん」
……だが、悪いことばかりではなかった。
またばらばらになりかけた生徒たちを繋ぎ止めたのは、他でもない――青錆のちいさな勇気の一声だった。彼は、自分の秘密にしていたこと……"本名"を打ち明け、一歩踏み出してくれたのだ。まだ話したいことがある……と言っていたが、それはきっと、この状況を打破する何かを彼が見つけたに違いない。
「よし」
着替えを済ませて、身なりを整えて。有子は気合いを入れる。周りは天才ばかりとはいえ……。有子も一般人なりに、出来ることをしていかなければならない。そのまず第一のことは……やはり、章平の補助だろう。
いつものように白うさぎを起こすため部屋から出ると、洗濯物を見つけた。ただしそれは、いつも綺麗に畳まれ清潔になって返ってきたそれではない。――ただ、有子がいつも通り置いて、そのままのもの。
「あ……。そ、そうだよね。鷺沼くん……は、もう、いないんだもの……」
有子は慌てて洗濯物を集めて、ランドリーへ向かう。まだみんなが集まるまでは、少し時間があるだろうし……。ついでに章平の分も拾って、足早にそこへ駆け込む。
……これからは食事も、洗濯も、不要物の処理も。全て自分たちで行わなくてはならない。世話焼きな執事はもういないのだ。そう、これまで何処か他人事で……現実感の無い問題だった、"仲間が欠けていく"ということ。それを、有子は今、初めて――深く、重く、自覚した。いつの間にか生活に深く関わっていた彼の不在を痛感するのは、無理もなかった。けれども、有子はそこでようやく目が覚めたことを、とても恥ずかしく思ったのだ。何を隠そう――それは、茨木と綿貫の死を、きちんと直視していなかった何よりの証拠だったからだ。
ピーと機械が鳴って我に帰る。そこまで汚れていないので早回しで設定した洗濯機が、終了を知らせたのだ。有子は早速綺麗になった洗濯物を取り出してみる。
「あ、あれ……」
なんかいつもと違うような……? 洗濯の方法、鷺沼くんがやっていたのと間違ってたのかな……。仕上がった洗濯物を広げ、その出来栄えの違和に有子は首を傾げる。同じ道具を使っているのだから、ここまでおかしいと思う違いが出るはずがないのだが……。
「……国中氏?」
急に声を掛けられ顔を上げれば、今まさにランドリーへ入ってきた様子の青錆が立っていた。洗濯物を広げに広げる有子の奇行を不審に思ったのだろう。有子は慌てて手に持ったものを畳んで、曖昧に微笑んだ。
城主はあまり気にしていないのか、興味が無いのか……。いつもの低いテンションでぺこりと軽く頭を下げた。
「どうも、おはようございます……」
「青錆くん、おはよう。珍しいね、こんな早くに……。どうしたの?」
「お洗濯をと……。国中氏もですか?」
「うん、そうなんだけど……。なんだかいつもと違くて……。なんでだろう? 乾燥機能も使ってみたんだけど……」
そうだと頷く彼の手には、なるほど。有子と同じく洗濯物が抱えられていた。彼は少し離れた洗濯機にそれらを投入して、蓋を閉める。青錆の作業を見守りながら会話を続けていた有子は、また洗濯機から仕上がったものを取り出した。やはり違う気がする。
慣れた手つきでピッピッとボタン設定を進めて洗濯機を稼働させた青錆は、くるりと有子の方へ方向転換。離れたところから覗き込むように、彼は有子の手の衣類を見つめる。
「アイロンではないでしょうか……?」
「……アイロン?」
ぽそり、と呟いた彼の言葉に、有子はオウム返し。ことりと首を傾げれば……この前の夜のときのように、優しく丁寧に説明を続けてくれた。
「違和感は、服のしわではありませんか? 猫塚氏は、いつも綺麗に畳んで返してくださっていましたし……。吾輩も、返ってきたシャツが、やけにぴっしりしているな……とは、思っていたので……」
「え、ええ!? ね、猫塚くん、アイロンがけまでやってくれてたの!?」
見れば、なるほど。ランドリーの一角にはアイロン掛け用の設備も整っていた。これを使って、あの執事は……ほぼ全員分の衣類のアイロンも……? 想像しただけで膨大な仕事量だと、有子は唾を飲み込んだ。そして急に――彼の、手首の傷のことを思い出して――なんだかとても、悲しい気持ちになってしまった。
するすると手元の布を手繰り寄せて、視線を落とす。その腕に傷を創る時の様子を、有子はよく知っていた。
「すごく……働き者だったよね、猫塚くん……じゃなくて、鷺沼くん。姫ヶ原さんも……。わたし、まだ信じられなくて……」
「……そう、ですね。吾輩も、ほんとうにたくさん、助けていただいてばかりで…………」
隣の城主も、悼むように目を伏せる。その姿は、ほんとうに……。ほんとうに、大切な友人を想うような姿で。
「…………僕なら、何かできたんじゃないかな……」
「……え?」
ぽそりと彼がこぼした言葉に、有子は思わず声を漏らしてしまった。それが口に出ていたことにあっと気付くと、彼は顔を上げて有子を見つめる。
「あ……。す、すみません、変なことを……。……でも、……少し、考えてしまったんです……。ほら……裁判のときに……。皆さん、仰っていましたでしょう? 猫塚氏は、加連氏すら避けていたんだって……」
「うん……。そうなんだ。本当に、あの時はずっと、みんな鷺沼くんに会えなくて……」
「……僕は……毎朝、毎晩……。猫塚氏に、お会いしていました…………」
「…………」
最初の裁判を終えたあと、青錆の身体が虚弱であることが判明した時から――彼は、他者の助けを借りて生活していた。その補助というのは、主に猫塚と星永が行っていたことだった。そう、いつだったか……。赤ずきんが言っていた。今毎日必ず猫塚と会っている生徒がひとりいる、と……。そのおかげで、猫塚をお茶会に誘い出し、親睦会を開くことが出来たのだ――。
「……僕、僕……猫塚氏と、毎日すこしだけ、雑談していたんです。だから……だから、もっと……。もっと、強く……加連氏や、皆さんが心配しているってことを、あなたはひとりじゃないんだってことを、僕が……きちんと、伝えられていたら……。もしかしたら、もしかすると……。……そうでなくたって、あの時――僕が、あの脱衣所の仕掛けを、見つけていたら……そうしたら、そうだったなら、お二人とも――……!」
「――青錆くんっ!」
有子は思わず声を上げた。自分でも予想外に大きな声だったので、目の前の彼がぱちくりと意表を突かれた表情をしているのも無理はないと思った。彼の、独白――ぽそぽそと語り出したその言葉を黙って聞いているうち……その言葉に混ざって、段々と感情が溢れ出していくのが分かった。けれど、その深い自責と後悔は……正しいものじゃない。それを肯定して、彼だけに責任を押し付けるようなことを、有子は許せなかった。あの事件を止められたかもしれないのは……有子も同じだったからだ。
目の前の少年は、もう、有子たちのために一歩踏み出してくれた。そしてまた……今度はもう一歩を踏み出そうとしている。昨日の出来事を思い出して、有子はぎゅっと拳を握りしめた。顔を歪める目の前の、やさしい彼に……有子がいま、出来ることはひとつだけ。
「青錆くん、本当の名前はなんていうの?」
「……え? ……えぇと、昨日……お見せしたもので……」
「ドイツ語って、わたし、読み方が分からなくって。聞きたいなって」
有子がそう申し出れば、彼は動きを止める。有子の言葉は、彼の想像しなかったものだったようだ。
「……。…………。………………」
「教えて欲しいな」
そうして逃げるように顔を逸らした彼に、ゆっくりと近づく。知りたいのは、彼の名前だけではなかった。彼が考えていること、その気持ち、信念、理想、……全部だ。有子はひとりの人間としての彼のことを、もっと深く理解したいと思ったのだ。
やがて、長い時間の果てに。おそるおそる顔を向けて、彼は振り絞るように呟いた。
「…………"Reynard"」
「れなーど?」
有子は、自分の想いに彼が応えてくれたことが何より嬉しかった。だからこのオウム返しは、少し前のめり過ぎたかもしれなかった。けれども
「……はい……。縮めた形が、"Rey"で……」
朗らかに、頷いた。
「だから"
「あ……。はぁ、まぁ……いわゆる当て字……なんですけど…………」
「"レイくん"」
「っ!」
「えへへ、やっと呼べた」
「………………。はい…………」
そうしてにこりと微笑みかけると、彼はそっぽを向いてしまった。けれど、それが不快からくる行動ではなさそうだったことは、なんとなく伝わった。
「これからは、レイくんって呼んでもいい?」
「えっ……あ、あのっ……。えっと……」
「わたし、好きだなあ。レイくんって、なんだかきれいで、すてきな響き」
「……お、お好きなように……呼んでください……」
慣れない呼び名がこそばゆいのか、そう呼ぶ度に彼は首を傾けて、しきりに自分の頬を掻くように手を滑らせる。そんな彼の仕草がなんだか愛らしくて、わざと口に出したくなった。
「うん! ありがとう、レイくん! えへへ、やっぱりまだちょっと不思議な感じだね」
「……耳慣れない、ですね……」
「あっそうだ! 折角だし、レイくんもわたしのこと有子って呼んでよ」
「……へ!?」
びくりと大袈裟に肩を震わせて、城主は有子に顔を向けた。先程まで背けられていて分からなかったが、いつもは青白いその肌は、ほんのり赤みを帯びているように見えた。
レナードはすぐにまた顔を背けて、居心地悪そうに――と言っても、嫌悪というより困惑の反応で――ゆらりゆらりと頭を傾ける。
「え、ぁ、いや……! そ、そんな、ぼく、えっ……き、急に、は……難しい、です……!」
「あー……そう、だよね……。ごめんね、困らせちゃって」
そう言って、有子は笑った。城主との時間。それがなんだか、有子にはとても愛しい時間に思えて……。
つい、この前までの残酷な出来事の数々を、この時ばかりはすっかり忘れることが出来た……。
そうこうしているうち。もう良い時間だったので、彼も一緒に章平を起こしてから、朝食を取るため食堂へ向かったのだった。
◇
「おはよう」
「おはよう、白雪さん。みんなも」
「いつもより遅いなと思っていたら、珍しい組み合わせね」
「……お、おはよう……ございます……」
三人で仲良く(と言っても、城主はやや離れて後ろを着いてきていたのだが)食堂に入れば、いつものメンバーの他、ほとんど全員が揃っていた。白雪の言う通り、有子と章平はいつもより遅い時間の到着である。
「お洗濯してる時にね、丁度会ったんだ」
「は、はひ…………」
「そうだったのね」
ぺこと頭を下げていつもの席に離れていくレナードを見つめながら、有子は微笑んだ。彼は小さく情けない返事をして、逃げるようにそそくさと席に着く。この前の白雪に叱られた出来事を思い返して、しまったと思ったのだろう。けれど、今朝のモデルは大人しかった。
「じーびーじーびー! さいなら!」
「お〜いいねぃ、正解!」
「へへん、いーかげんマスターしたぜ!」
「何してるの……?」
かたわらで盛り上がっていた伊海田と菊音が気になって、有子は首を傾げた。夜羽は星永と話しているようで珍しく近くにはいない。この前も思ったけれど……。女子が苦手というわりに、漁師はかなりアントルメンティエと仲が良いようだ。彼らは二人していたずらっぽく微笑んでから、隣の城主を見上げた。
「青錆はわかるだろ?」
「あ……この前の、モールス……?」
「そうそう! 次何がいいかねぃ?」
「え、うーん……。長文やってみます? この前挫折しちゃったやつ……」
いつの間にかいなくなっていた白うさぎと同じく、レナードもまた別グループに取られてしまった。有子は少し不満に思いながらも、大人しく席に着く。そうしてしばらくの間、生徒たちが揃うまで……いつものように周囲と歓談を始めるのだった。
◇
「そろそろいつもの時間ね。とりあえず、配膳しましょう」
かたんと席を立って、白雪姫が厨房へ向かう。すぐに帰ってきた彼女の手には、トーストと目玉焼き、ベーコンが乗った簡素な食事の乗った皿。
……そう、
「え、これ白雪が用意したのか?」
「うーん、絶妙に食欲がそそられない……」
純粋に疑問を口にした菊音に対して、夜羽の予想通りのリアクション。片割れが顔を顰めて、おいと小突くが……。皿の上の食材は黒い部分が目立ち、形も崩れてしまっている。……飴細工師の言う通り、あまり食欲を唆る見た目とは言い難かった。
しかし正直な感想にも、本日のコックは気を損ねることはなく……。むしろ、申し訳なさそうに肩を落としながら、数人分の食事を運び込む。
「丸焦げで悪かったわね……。別に、暇だったから用意しただけで、気に入らないなら自分で用意しなさい」
「そんなことない、美味しそうじゃない。白雪さん、ありがとう」
「泡淵さん……。気を遣わなくていいのに」
「だって、私には出来ないことだもの。本当にありがとう」
「わーい! りんこちゃんの手作りごはーん!」
らしくなくしょげてしまう白雪姫とは対照的に、二人の少女は嬉しそうに微笑んでいた。赤ずきんなぞはいつも通り無邪気にはしゃいで、たったかと配膳を手伝う。
配膳が順調に進んでいき……。いつも通り、全員が席に着く。
そして――さあ、食事の時間が始まる――と思ったところで。ふと、異変に気付いた笛吹き男とマッチ売りの少女が、彼らの行動に待ったをかけた。
「待て、まだ揃っていない」
「か、か……加連くん、まだ、来てないっ……」
「あー……」
火燈の言葉を聞いて、有子ははっとして顔を上げる。そうだ。あの目立つ赤髪を、今朝はまだ目にしていない……。
加連修也――つい昨日、大切な存在を亡くしてしまった人物。犠牲になった四人を除き、彼だけがこの場に現れていなかった。
「呼んでくる」
「笛吹きくん、待って!」
「佐渡は待機していろ。すぐ戻る」
さっと立ち上がって、有無を言わさず行動に移ったのは赤柳だった。今までは平時にわざわざ呼びに行く、などと申し出ない彼がそうしたのは、少なからず今までの事件に思うことがあったからなのだろうか。
数分ほど待って、笛吹き男は戻って来る。その後ろに靴職人はいない。誰に尋ねられるまでもなく、彼は席に着きながらため息をつくように結果報告をする。
「加連の無事は確認して来た。"気分じゃない"そうだ」
「気分じゃねぇっておい……」
「その気になれば来るとのことだ。気にせず僕たちは食事を済ませてしまおう、佐渡」
「はあい! それではみんな、今日もおいしいごはんに感謝して〜……いただきまぁす!」
「いただきまーす」
有無を言わさぬリーダーの言葉に、伊海田の言葉は中断されてしまう。空気の読めない白うさぎは、何の気なしにいつも通りの号令をする。ほとんどの生徒は、とにかく先に食事を終わらせるとの提案に賛成だったのだろう。そうして速やかに朝食会が始まった。
◇
ひとくち、ふたくち。有子は用意された料理を、ただ黙々と口に含んで咀嚼していた。カチャカチャと生徒たちの食器の音が響く。
「うー……ん……」
「まあ食べれなくないけど美味しくは無いね」
「なんか調味料ある?」
「お、おいしい、よ! し、白雪さん、すごい!」
「火燈ぃ……。それぁ、ちょっと言うタイミングが悪ぃなぃ……」
「あっあっ、ごっごめっ、ごめんなさいっ……!」
本日の食事……。見た目通り、期待を裏切らないその味に、生徒たちは微妙な表情をしていた。有子も特に感想を言えず、ただ業務的に淡々と栄養摂取をするほかなかった。
「何度か味見をしたから知ってるわ。ごめんなさいね」
「よはねが余計なこと言うから拗ねちまったじゃねーか」
「事実を口にした迄なんだけど……」
「文句言うなら次からよはねが作れよ」
「そうだね! みんな、全部飴になるけどいい?」
「ぜっ……全部アメかあ……」
「そ、それは流石に……。吾輩は……遠慮します……」
有子もたまらず苦い顔をする。というか、文句がある者だけ自分で用意すれば良いのでは? 有子の料理スキルはど素人レベルだ。自分のぶんだけでなく、率先して全員のものを用意してくれた白雪は、むしろ褒められるべきだろう。今のこれだって、不味いと言い捨てるまでの粗末な出来ではないのだ。
けれど――本日の料理人は、素直に彼らの不満を受け止めた様子で肩を落とす。
「誰か美味しい料理作れる人いないの? あたしも自分で作っといてなんだけど、ずっとこれなのは味気無くて嫌ね……。教えてくれる人もいないんじゃ……。伊海田は?」
「オレぇ!? お、オレぁ……魚汁しか……分かんねぇぜぃ……?」
「男の漁師めしだ」
有子も少し気になって頰を緩ませた。あら汁とか、そういうのなのかな……? 余すところ無く魚を食べる方法を、確かに伊海田なら知っているだろう。だけども……。
生徒たちは、今、失われたものの大きさを実感させられていた。
「猫塚君って相当料理上手だったんだねー……」
「教えた綿貫もかなり優秀だぞぃ……」
「悔しいけど、認めざるを得ないわね」
「ぼく! ぼくりんこちゃんのお手伝いするー!」
「あら、世絆ちゃん。ありがとう。多少マシになると良いけどね」
フォローするように元気に手を上げた赤ずきんに、本当に優しく白雪姫が微笑む。それは、なんというか……睦まじい光景だった。
◇
「……そういえば、青錆君。昨日言っていたことってなに?」
「…………」
「昨日? あ……。そいや、話したいことがあるってぃ……」
「そうね、結局昨日は聞かなかったけど……。なんだったの? あんた、何か分かったの?」
数人の食事が終わり始めた頃。食器を洗い場へ運びながら、何の気なしに夜羽が尋ねた。
昨日のこと――……。そう、この城主は自身の秘密をひとつ打ち明け、その上で生徒たちに話したいことがあると言っていたのだ。昨夜は、今はまだ言えないと、そう口にしていた。
しかし、話を振られた彼は食器を置いて、黙り込むだけで……。
「…………。……すみません……」
「すみませんじゃなくてさあ」
「まだ…………。……い、言えない……です……。ごめんなさい…………」
「時期を窺っているということか?」
「い、いえ……。そういうわけでは、なくて……」
歯切れの悪い彼の反応に、赤柳が訝しげに眉を動かす。申し訳なさそうにレナードはまた縮こまって、俯いてしまう。
「…………あの、ほんとうに……ごめんなさい……! 僕の……覚悟、の……問題、です……。この意気地なしは、……まだ……この期に及んで…………。……ごめんなさい………………」
「…………」
怯えるような情けなく震えた声に、フルーティストはそれ以上何も言わなかった。ただ小さく息を吐いて、ゆっくりと肩を落とす。
笛吹き男とは対照的に、男子には嫌に厳しい白雪姫は、責めるように静かに低い声を出した。
「……そんなに"覚悟"が必要ってどういうこと? あんたまさか……」
「ああー! よせよせ! オレらでいがみあってもしょーもねぇじゃん! 青錆も、んな顔すんなってよぃ! オレたちいつまででも付き合うぜぃ?」
「あんた、そんな楽観的でいいわけ? あたしたちは一刻も早く……」
「何かはわかんねーけどよぃ、何か知ってんのは確かだろぃ? なら、なーんも手掛かりがなかった今までよりずっと良いじゃねぇかぃ! それが手に入るなら、今更ちょっと待つくらい、どうってことねぇだろぃ? 今は加連もいねぇしよぃ……。どっちにしろさ、この話はみんな揃ってからの方がいいだろぃ」
彼女の追及を無理矢理止めたのは、お人好しの漁師である。小さくなって震える可哀想な城主の肩に大袈裟な動きで手を置き、生徒たちに言い聞かせるように場を納める。そうして彼が全員を見回せば、同じような考えの生徒がこくりと頷き始めた。
「ぼくも、こたろにさんせー」
「私もよ。そんなに焦らなくても大丈夫。皆で頑張れば、きっと活路を開けます」
「そうそう! おねーちゃんの言うとーり! 」
穏やかな二人が率先して意見を言えば、大抵の場合反対意見を主張する声は無くなっていく。今回も同様で、確かに焦る必要もないと納得した生徒たちは、そのまま口を閉じた。確実な情報があるのならば、少しくらい待つのも厭わない。漁師の先ほどの主張を頭の中で復唱して、有子は確かにそうだと頷く。これまで散々なことがあったのに、まるで手掛かりの輪郭すら見えなかったのだ。現状を打破出来るようななにかを、彼が持っているとは思えないけれど……。しかし、それにつながるような何かであることは分かった。それは、今の有子たちにとってまさにひとすじの光、すぐそこにある希望だ。
それでも暗い顔のままの城主の肩を、二、三度軽くぽんぽんと叩いて、漁師はいつものように明るく微笑みかけてやっていた。
「それにこのあと、ちゃあんとやるべきことがあるでしょ?」
「この後となると……やはり探索か」
「前回と同じなら、また新しいエリアが増えてるでしょうしね。そうしましょうか」
リーダーの二人がそう頷けば、生徒たちの行動指針はひとつに固まる。各々の顔付きが前向きなものに変化した。
「なら、善は急げだなぃ」
「解散ってことだね! きくね、行こ!」
「ああ」
既に食事を終えていた数名が、早速立ち上がって食器を返却していく。そのまま彼らはぞろぞろと食堂を後にした。
◇
「これであとはふたりだけだよ」
「ありがとう、国中さん」
解散した後も、有子はいつもしていたように片付けを手伝っていた。厨房の主は白雪に代わっていたため、以前より皿洗いの手伝いも申し出やすかった。何せ、先代はふたりとも男子だったし、片方は気難しい完璧主義者だったのだ。そのふたりも、もう今はここにはいない……。感傷的な気分になった頭を切り替えて、作業を続ける。有子は乾いた布巾で、モデルが次々と置いていく食器を拭いていった。
「……ごちそうさま、でした……」
「……っで、したっ!」
そうこうしているうち、最後の二人が食事を終えたようだった。手を合わせて挨拶を済ませた彼らは、かちゃかちゃと食器を重ねる音を立てる。有子は今拭いている分を終えてから、彼らの食器を下げに行こうと思い、目の前の濡れた皿をまたひとつ手に取った。
「わ、あっ……!」
そうして皿の表面をひと撫でした時、ぱりんと嫌な音が立つ。振り返ってみれば、いつぞやのように火燈が食器を取り落としてしまったようだった。ガラスのコップがバラバラの破片になってしまっている……。
火燈の隣に居たのであろう青錆が、彼女の肩を抱いて立っていた。音を聞き付けた赤柳が咄嗟に様子を見に来る。
「怪我はないか?」
「大丈夫? 火燈さん」
「火燈氏が……転んでしまう前に、お支え出来たので……おそらくは……。大丈夫ですか……?」
「う、うんっ……! ご、ごめ、ごめんねっ! 青錆くんっ……」
「いえ……。吾輩は、全然……。お気になさらず……。お怪我がなくて、何よりです……」
「し、白雪さん、たちもっ……こ、こ、こ、コップ、割っちゃ……」
「良いのよ、まだたくさんあるし」
ぼんやりしながら城主が尋ねれば、涙目を浮かべた奇術師はこくりと頷く。どうやら躓いて転びそうになったところを、間一髪彼が支えてやったらしい。それでも咄嗟のことで、ガラスのコップは救えなかったようだ。残骸を見て瞳に涙を潤ませながら、360度の方向に謝罪を述べる彼女を見てしまっては、誰も責める気になれなかった。
危険を避けるために自身の食器を片手に持ち直していたレナードがバランスを崩さないよう、赤柳はその手から食器を取り上げ白雪に渡す。ガラスの破片を誰かが踏む前に、火燈は慌てて屈みながら近くの箒を手に取った。自分の不始末はきちんと処理するつもりのようだ。有子も手伝おうと体勢を整える。
「あっ!」
突然大きな声を上げたのは、半べそをかいていた火燈だ。彼女は何か大変なものを見つけてしまったかのように、すぐに顔を歪ませた。彼女の視線を追って床に目を落とす。赤いしみが点々と出来ていた。それが血だ、と有子が気付くより先に、奇術師が屈んで
「……ごっ……! ごめ、あ、あああおっ……! 青錆くん、ケガっ……!」
「……へ?」
「あ、足……っ、わ、わ、ど、どうしよ、ご、ごめ、ごめんねっ……! 痛いよねっ、ごめんねっ! ごめんなさい……っ!」
「あー……」
言われて初めて気付いたかのように、レナードは自身の左脚を見下ろす。有子はぎょっとして肩を強ばらせた。そしてすぐに視線を逸らす。それは、結構な深い傷だったからだ。ぱっくりと傷口が開いていたのを見るに、割れた破片が飛んだのだろう。
「青錆、そこに座れ。……これはまた、かなり深くやったな……」
「すみません……。余計なこと、してしまって……」
近くの椅子を指して、笛吹き男は着席を促す。城主が大人しくそれに従うと、指示した彼はすぐさまその前に膝をつく。スラックスを捲り上げながら、フルーティストは不機嫌そうに息を吐く。
「謝るな。火燈に怪我がないのはお前のおかげだろう。……ひとまず保健室で処置するか。このまま止血だけして移動しよう。歩けそうか?」
「大丈夫です……」
「え? ほ、ほんとに歩ける? レイくん……」
かちゃかちゃとガラスの破片を全て袋にまとめながら会話を聞いていた有子は、そのぼんやりとした返事に思わず口を挟んでしまった。滴るほどの出血だったのであろう傷は、応急処置としてひとまず塞がれていたのだが……。
「痛かったら言えよ」
「痛くはないです……」
「は?」
「あんたそれ、大丈夫じゃないでしょう」
痛がる素振りを微塵も見せず、それどころかいつも通りぼんやりしたダウナーな彼に、白雪も口を挟む。赤柳がふうと息を吐いて立ち上がると、すぐに目の前の負傷者に手を差し伸べた。
「肩貸すぞ」
「いえ、普通に歩けるので……」
「は? おい、無理するなよ」
「え……してないですけど……」
いつも通りの足取りで立ち上がると、青錆は困惑したように言う。丁度痛みを感じない箇所だったのかな……? 本気で何事も無い態度を取り続ける彼を、有子は一旦そう解釈した。他の彼らも同じだったようだ。
「……とにかく、僕はこいつの手当てをしてから行く。お前たちも、片付けが済み次第探索にかかってくれ」
「分かったわ」
「お大事にね、レイくん……」
赤柳に連れて行かれるその背に向かって、有子は声を掛けた。彼は少し振り返って、こころなし嬉しそうに微笑んだ気がした。
◇
さて、探索である。有子は白雪と火燈と共に、プールと図書室の間にある階段から校舎の3階へ上がった。階段を上り切ってすぐ目の前の教室から、丁度赤ずきんと人魚姫が出てくるところだった。
「世絆ちゃん、泡淵さん」
「みんなやっほー!」
「お片付け、ありがとうございました」
元気よく星永が出迎えて、傍で微笑む泡淵。二人を見つめて、有子は奥の教室を覗く。なんだか学校に似つかわしくない雰囲気だ。そう、それは……。
「ここは?」
「なんかいっぱいゲームがあったよー! ダーツとか、ビリヤードとか〜」
「娯楽室っていうみたい。今度みんなで遊びましょう」
なるほど、娯楽室。これまで"遊び"のための設備はほとんど無いに等しかった。無論、通常の教育機関にそのような施設は不要だろう。だがここは、「希望ヶ峰学園」なのである。様々な分野の超一流の生徒たちが呼ばれ、その才能を磨くために通うのだ――……。つまり。一般的に"遊び"と評されるものでも、それを極めれば"選手"になる。それらを自身の"才能"とする生徒たちのための設備――それがこの娯楽室というわけだ。
希望ヶ峰ならではの面白い設備だなあと、有子は好奇心をくすぐられた。赤ずきんの言う通り、様々なゲームが設置されているようだった。人魚姫の提案を受けて、みんなでワイワイ遊ぶのも良いだろう。
「二人とも、もう降りるの?」
「ぼくたち、おくから見てたから、これでいったんおしまいなんだ〜」
「一度個室に戻ろうと思って、せつなちゃんにお願いしたの」
「あたしたちも何か手伝いましょうか?」
「んーん! だいじょぶよ〜。みんなあたらしいとこ、見てって〜」
にこやかに挨拶を交わし、赤ずきんたちと別れる。そういえば……旧校舎には階段しかないが、車椅子用階段昇降機が取り付けられていた。慣れた手つきで折り畳み式のそれを広げて、介護士が車椅子を乗せ稼働させていったのだった。
二人を見送り、娯楽室を出て左を見る。そちらの廊下には、下階と同じように教室があった。右に続く廊下は何やら長く……。角を曲がるとようやく扉が見えて来る。
「ここは……美術室、かな」
「そうみたいね」
教室は今までよりとても広い空間で、彫刻やキャンバスなど、おおよそ美術室に置いてあるような道具が揃えられていた。ありとあらゆる作品を生み出すことに特化した施設のようだ。
奥にある教室には、彫刻刀や絵筆などの道具や素材が仕舞われており、どうやら美術準備室のようだった。
「本格的だねえ……」
「芸術家の才能の生徒もたくさんいるものね。本校舎はもっと広いわよ」
「えっそうなの?」
「け、け、けんきゅ、教室って、いうのも、あったねっ……!」
そうだ、ここは
◇
「あ、そういえば、火燈さん」
ふぅんと美術室の備品を見てまわりながら、そういえば……と、ふと気になっていたことを思い出して、有子はそのまま彼女と会話をすることにした。
「そういえば、火燈さんって……"金色ペテン"と関わりがあるの? 鷺沼君が自分で打ち明けたっていう話もそうだし、前にそんなようなことを言っていた気がして……」
「確かに、そうね。最初の話し合いの時だったかしら?」
「うん」
気になっていたこと。それは、あの詐欺師との関係のこと。火燈は彼の口からその正体を聞いたのだと話し、それがモノヴォルの録音で事実であることが判明した。けれども、彼女はその前から……"
「あっごっ! ごめん! ぜんぜん、言いたくない話ならいいんだよ! ただ、ちょっと気になっただけで……」
自分勝手に質問してしまったことに、しまったと思って、有子は慌てて訂正する。疑っているわけではない。ただ純粋に気になっただけなのだ。
けれど、有子の疑問に気を悪くした様子もなく。奇術師は快く口を開いてくれた。
「わ、わたし……わたしねっ、あのね……。猫塚くん……詐欺師の、ときの、猫塚くんと……会ったことが、たぶん、あるの……」
「……へ?」
「そうなの?」
「わ、わわ、わ、わたし、わたしのっ……サーカス……灯籠座……。行き場のない、こどもたちにねっ……芸を、教えていたの……。でも、で、でもっ、でもね、その、みんな、みんなが……じょうずになれるわけじゃ、なくって、だから……お、お父さんも、オーナーさんも、おとなのひとは、みんな、いっつもおこってて、それで……」
そうだ、"灯籠座"……。それは、かつてあった大きなサーカスの一座である。有子が幼い頃にはちょくちょく名前を聞くことが多かったが、いつの間にかぱったり話題を耳にすることがなくなった。それもそのはず、数年前に灯籠座は解散して無くなってしまっていたのだ。そういえば、"新入生スレ"を見て有子はそのことを知ったのだが……そこには、「"金色ペテン"が絡んでいた」と書かれていた……。
「……くるしかったの」
火燈が、首元のマフラーをきゅっと握りしめる。その手は小さく震えていた。あの頃の、幼い日の苦痛の日々を思い出しているようだった。白雪がそっと優しく彼女の肩に触れる。痛々しそうな表情で微かに微笑んで、彼女は言葉を続けた。
「でも、でもね、あの子が……。猫塚くんが。灯籠座を、壊してくれたの……。おはなししたのは、ちょっとだけだったけど、ほんのちょっとだったけど。それでも、でもね、分かったよ。あの子がたすけてくれたんだって、わたしたち……。ちゃんとわかったの……! だって、わたしたちを、見つけてくれたのは……あの子だけ、だったんだもの……!」
「…………」
「灯籠座が、なくなって……。行き場のないこどもたちは、誰かのおかげで、孤児院に入れたの……。もちろん、みんないっしょのところじゃ、なかったけど、でも……。ごはんをね、抜きにされることも、叩かれて、泣いちゃうことも、なくなったって……みんな、言ってて。あの子に……あの子が、ぜったい、そうしてくれたんだって、みんな分かってた……」
「そう、……だったんだね……」
「話してくれてありがとう、火燈さん」
火燈の事情……。そんなことがあったのかと、有子は唖然とした。白雪はすぐさまやさしい言葉を彼女に掛けてやっていたのだが、有子はというと……何と声をかけるべきなのか分からなかった。あまりに現実離れしすぎていて、それが本当のことなのかと疑いたくなってしまうくらいには、壮絶な過去だった……。もちろん、今朝は姿を見せなかった靴職人も、話に登場した"ペテン師"も、同じくらい……とてもではないが想像出来ないほどの過去があったのだと、先日明かされたばかりだった。
自分の平凡な人生とはかけ離れ過ぎた話の内容を咀嚼するので、有子は手いっぱいだったのだ。
◇
美術室を出てまっすぐ進み、廊下の突き当たりに向かう。すると目の前から赤柳と章平が揃って現れた。青錆の処置をしていたはずの彼がここにいるということは……有子たちは随分とゆっくり施設を見て回っていたようだ。
「赤柳くん」
「ありす〜!」
「あわわ……」
白うさぎは相変わらずの様子である。有子を見るなりぱっと顔を明るくさせて、ふわふわの癖毛を押し付けてくるのであった。もう慣れたのだろう、他の生徒たちは無視して話を進める。
「あんたたちの方が先に奥にいるなんてね」
「レイくんは大丈夫そう?」
「ああ、世絆が通りかかったんでな。ほとんどの処置は任せてしまった。包帯できつく圧迫しておいたから止血は問題無いだろう。また傷が開く可能性があるから、走ったり階段を使ったりは、しばらく止めたほうがいいと思う」
「結構深かったもんね……」
必需品は一階部分に揃っているから、生活に支障はないだろうが……。図書室が校舎の二階なのがネックだ。かなりの頻度で彼がそこにいるのを見かけた記憶がある。本人に見舞いに行って、暇つぶし用の本を数冊持って行ってあげようかな。有子はぼんやりとそんなことを考えた。隣で火燈がまた瞳を潤ませはじめたのが見えたので、それを口に出すのはやめておくことにした。
有子の気遣いを察してか、フルーティストはこの話題を早々に切り上げて、後ろをちらと見た。
「この奥は物理室らしい。三階の設備はここまでだな」
「上への階段にはやっぱりシャッターが降りてたね……」
「また学級裁判を終わらせれば、開くんでしょうね」
途中の廊下にあった階段を思い出して有子が言えば、続くように白雪も肩をすくめた。なんとなく分かってきたこの学園生活のシステム……。新しいエリアに向かうためには、学級裁判をクリアしなければならず、学級裁判をするためには、事件が起こる必要がある――……。なんとも嫌な仕組みである。
表情を歪ませる有子をよそに、呑気な白うさぎが機嫌良く口を開いた。
「何階建てなんだろうね!」
「五階まではあると思う」
「え! どうしてだい?」
章平の疑問に、有子もはてと思った。しかし、フルーティストは当然のような顔をして見せる。
「旧校舎を外から見た時の高さで、おおよその階数は推測出来る。……最も、ここが本当に旧校舎なのかどうかは疑問に残るから、憶測でしかないがな」
「わぁ〜! すごい、笛吹きくんは頭が良いね〜!」
……なるほど。彼らは希望ヶ峰学園の在籍者である。つまり、内部に立ち入ったことこそ今回が初めてだが……旧校舎の外観は目にしたことがあるのだ。尊敬するリーダーの答えに、章平は素直に感心していた。……わたしも、学園を見慣れていたらそのくらい分かったんだけどな……。有子は思ったことをそっと心の中に仕舞い込んだ。
◇◇◇
「おはよう」
「おはよう、国中さん」
「おはよー! 笛吹きくん!」
「ああおはよう、佐渡」
今日もおきまりのルーティンで、白うさぎと共に食堂へやって来た。その場の生徒に軽く挨拶を交わして、有子ははてと違和感を覚える。
「……あれ? せつなちゃんはまだなんだね?」
「せつなちゃんなら、青錆君を起こしに行ったわ。朝と、昼と、夜と……。様子を見に行くことにしたみたい」
そう。部屋を見回して、あの目立つ赤色のフードポンチョが見当たらないことに気付いたのだ。すぐさま続く泡淵の説明を聞いて、なるほどと納得する。これまで執事がやっていた仕事のうちのひとつだ。彼はただでさえ身体が弱いのに……昨日は怪我まで負ってしまったのだ。誰かが定期的に様子を見るのが良いに決まっているのだけれど……。ぼんやりと、あの控えめで優しい笑顔を頭に思い浮かべて……有子はすぐに首を振った。いや、いや。彼が難なく過ごせることがいっとう大事に決まっている……!
そして有子は、いつものように食堂メンバーと他愛のない雑談をしながら、生徒たちが揃うのを待つ。
「おはよ〜……あれ? 伊海田君、また怪我増えてない?」
「え? あ、あ〜……。ま、またぶつけちまってよぉ……。あは〜……」
「普通そんなとこぶつける?」
「ぶ、ぶつけちまった、からよぉぃ……」
「そろそろ自分のデカさ自覚した方がいいと思うぜ」
「ははー……」
聞こえてきた会話の方を見れば、確かに伊海田の腕に絆創膏が増えていた。彼は縦にも大きい上、鍛えているから横にも大きい。大変そうだなあと思いながら、有子は会話に戻って行く。それから順当にひとりふたりと増えていき、そろそろ全員が揃う頃合いだと思った――ちょうどその時。ばたばたと慌ただしい足音が近づいて来たかと思うと、すぐさま勢いよく食堂の扉が開かれる。
そこにはたった今、息を切らせて走って来たのであろう赤ずきんが、焦燥の表情を全面に出しながら呼吸を整えていた。
「たいへんたいへーん! みんな、ごほーこく! ごほーこくがあります!」
彼女の声掛けに、全員が耳を傾ける。注目を集めた介護士が次に放ったのは、……なんとなく、予想がついた言葉だった。
「れーちゃん、れーちゃんが……!」
◇
「げほっ、げほっ……はぁ、はぁっ……ごほっ……」
「レイくん、大丈夫!?」
「うにゅ、お熱が出ちゃったみたいなんだぁ……」
苦しそうな呼吸をなんとか続けながらベッドに横たわる姿を見て、有子は思わず声を上げてしまった。
星永の呼び出しに応じて、(加連を除く)全員が青錆の個室へ集合した。一人用の部屋に全員は収まり切らず、何人かは開かれた扉越しに中の様子を窺うだけだったが……。有子はこれまでの交流を加味され、中まで通されたのだった。
介護士は困ったように、冷水で冷やしたタオルをそっと城主の額に乗せる。有子の後ろで白雪が、心配そうにため息を漏らした。
「そういえば、最近やけに反応が鈍かったわね……。昨日もあんなだったし……ずっと体調悪かったの?」
「げほ、……そ、んな……こと、は……」
「あー、はい。あんたはそう言うわよね……」
尋ねたところで返事は分かり切ってはいたものの、白雪は一応確認したようだ。有子にはあまりそのような印象はなかった(この城主はいつもぼんやりローテンションだったから……)のだが、このモデルが言うのであればそうだったのだろう。気にかけることが出来ずに申し訳ないと有子は思った。
部屋の隅の方に立っていたリーダーがすかさず今後の指示を出す。
「世絆、看病を頼む」
「もっちろん〜! まかせてぇ!」
「世絆がいなくて困る者はいるか? 佐渡は……国中がいればいいな」
「うん! 笛吹きくんと、ありすがいれば大丈夫!」
すぐ後ろにいた白うさぎは、嬉しそうに抱き付いてくる。ふわふわの癖毛が頬をくすぐって、有子は気分を良くした。赤柳は相変わらずの様子に肩をすくめて、小さくため息をついた。
「別に僕は必要無いだろう。……泡淵は? 何か不便があれば手伝うぞ」
「ううん。私は慣れているから、ベッドへの移動もお手洗いも一人で大丈夫よ。ただ……」
「ただ?」
「シャワーやお風呂は……すこし、難しいかな……」
「! そうか、それは……。すまない……僕には手伝えないな……」
リーダーは振り返ると、車椅子の少女を確認する。彼女は気を遣って、穏やかに微笑んで首を振ったのだが……。やはり、難しい問題は他にもある。ばつが悪そうに赤柳が視線を逸らして、すかさず星永が勢いよく振り向いた。
「えー! もちろんその時はぼく、おねえちゃんのお手伝いにいくよお!」
「いえ、あたしがやるわ。世絆ちゃんは青錆のことをお願い」
「わー! じゃあ、りんこちゃんにおねがいする! おねえちゃんはいーい?」
「うん。私はありがたいけれど、白雪さん、いいの……?」
「女同士なら問題無いわよね?」
「ありがとう、白雪さん」
速やかに名乗り出た白雪に、星永と泡淵は快諾した。確かに、女子同士であるなら問題はないだろう。泡淵の足は、すいすいと泳ぐことが出来る程度には動かせるのだ。全く動けない人よりは、介助もし易いだろう。
話がまとまりかけたところで、どうやらまだ眠っていなかった青錆が咳き込みながら起き上がろうとする。有子は無理をさせないようにそっとそれを阻んだ。城主は大人しく元の位置に頭を下ろして、静かに唸った。
「げほ、ごほっ……う……ぅ……すみま、せん……。ほんとに、けほ、ごめんなさい……」
「謝らないで、レイくん……」
「こんな状況だ、ストレスもあるだろう。僕たちのことは気にせず、今はゆっくり休むんだ」
「ごめんなさい……ごほごほっ……っう、ほんとに、けほ、ごめんなさい……はぁ……っ、ひっ……ぅ、……」
再び苦しそうに咳き込む青錆の胸をさすって、星永は落ち着かせるように微笑んだ。
「よしよーし、れーちゃん、おねんねしようね! ゆっくりやすんではやくなおそ! みんな、ここはぼくにおまかせしてだいじょぶ!」
「ああ、世絆。頼んだぞ。青錆は本当に気にするな、僕たちのことは全く考えなくていい。考えるな、身体を休めることだけに集中しろ。いいな」
赤柳は敢えて厳しい口調でそう言って、生徒たちを促し退室する。有子は後ろ髪引かれる思いで、しかしそのまま皆の後に付いて出た。
◇
二人の食事は後で白雪たちが運ぶことになり、一同はそのまま食堂に蜻蛉返り。据え膳になっていた朝食を、先に済ませることにした。いつもの章平の号令で、今日も食事会が始まった。
食事の場では……やはり、今後の方針についての話し合いが緩やかに始まる。もちろん、今朝は体調不良者が出てしまったのだ。話題にならないわけがなかった。
「ひとまず看病は世絆に任せることにして……僕たちは脱出策を練らねばならん」
「うだうだしていたら、また動機なんてものが投下されちゃうものね」
「白雪さんは、また誰かが殺人を実行すると思ってるの?」
茶々入れするように横から飛び込んできた台詞に、明らかに顔をしかめながら、白雪姫は律儀に言葉を返した。
「なんであんたはそう、不和を生むような発言しか出来ないのかしら? なんであろうと、現状以上のストレスは無いほうがいいに決まってるでしょ」
「白雪の言う通りだぜぃ……。嘘だとしても、仲間を疑うように仕向ける言葉なんざ、聞きたくねぇだろぃ」
「ふぅん、ま、そうだね」
茶々入れした本人は、発言しておいて特に会話に興味もなかったのか、また背もたれに寄り掛かる。有子も二人の意見に賛成だった。モノヴォルの"動機"……。有子にも誰かを殺そうなどという考えは毛頭ない。けれど、それを煽るような言葉を耳に入れるのは単純に不愉快だ。おそらく他の生徒たちよりは、すこしだけ現状への不満は少ないと思うが――彼らも似たような考えであることを知って、少しほっとした。
白雪がまた生徒たちの顔を見回して、意見を仰ぐ。
「とりあえず、どうしたらいいか案はある?」
「新しいエリアはまだ軽くしか調べていないからな。そこの調査を優先的にするか」
「とは言っても、脱出口なんてあるかな?」
うーんとコンフィズールが首を傾げると、わざとらしくため息を吐いてフルーティストが腕を組んだ。
「脱出口は見つからずとも、何か手掛かりくらいは見つかるかもしれんだろう。最善を尽くす前に言い訳を作るな」
「はぁい、じゃそういう感じでやってきますか」
「あの……」
これでようやく方針が決まり。というところで、おずおずと手を挙げて発言をしたのは、気弱な奇術師、火燈だった。
すかさず女子の味方・白雪梨子がにこやかに彼女に目を向ける。
「どうしたの、火燈さん?」
「か……か、かれ……加連くん、は……」
「あー……」
言われて、一同はこの場にいない彼を思い出す。ついぞ昨日は全く姿を見かけなかった……。あれから日が浅いのもあって、傷はまだ癒えないだろうことは明白だった。
生徒たちは困った顔をする。
「呼んでも出てきそうになくないかぃ? オレ、あいつの立場だったら……。や、わりぃ。なんでもねぇ……」
「……そうね。あいつも定期的に様子を見に行った方がいいわ。あたしが行くのでいいかしら」
「え? 白雪が?」
意外な申し出に面食らったのは有子だけではなかったらしい。件の彼と最も犬猿なやり取りをしていた、他ならぬ彼女自身からそんな言葉が出てくるとは思いもよらなかったのだ。きょとんとする一同に、軽く息をついて白雪姫は肩を落とした。
「別に誰が行っても、今のあいつにとっちゃ鬱陶しいだけでしょ。ならさっぱり様子を見るだけの方がいいでしょうし。あたしは長話するつもり毛頭無いから」
「……まあ……。じゃあ、頼むわ」
彼女の言うことは一理ある。この状況で雑に慰められても、かえって苛立ちが募るだけだ。彼と全く同じ経験を、今、この場の誰も味わってはいないのだ……。むしろ、彼が自らその状況を回避するために、自分たちから距離を取ったというのも考えうる。もしそうなら彼女の言う通り、しばらく接触はなるたけ簡素で短時間である方がいいだろう。彼の心が落ち着くまで……。
◇
食事が終わり、後片付けも手伝って……。有子はようやく行動を開始した。まずは、ざっくりもう一度施設を振り返って…………。
……けれども、全く集中出来なかった。
脳裏にチラつくのは、今朝見た城主の苦しそうに息をするあの姿――……。元々身体が弱いというのも聞いていたし、そうでなくてもこの前倒れてしまったばかりだ。その上でここにきて熱を出してしまって、あんなに咳き込んで――おまけに昨日は大怪我を創ってしまった。……うーん、やっぱり心配だ……。兎にも角にも、気になって身が入らないのであれば――ひとまず、様子を見に行って安心するほかあるまい。
有子がよしとついに決心してくるりと方向転換すれば、曲がり角からぬっと出てきたのは、頭二つ分ほど飛び抜けた大男。
「……お、国中……」
「あ。こんにちは、伊海田くん。順調?」
「順調では、ねぇかなぃ……。国中は?」
「ちょっとレイくんの様子が気になっちゃって……。一旦お見舞いに行こうかなと」
有子がそう返答すると、伊海田は密かに眉を動かした。それから腕を頭の後ろに持っていき……時折彼がする、バツが悪そうな態度で口をもごもごとさせる。その様子が意外で、有子は首を傾げて踏み込んだ。
「? どうしたの?」
「や……。うーん……。なんでもねぇんだ、けど……よぃ……」
「珍しいね、伊海田くん。いつもははっきり言ってくれるのに……」
伊海田はまたも、もにょもにょと口ごもらせる。思ったことをなんでも口から飛び出させてしまうような、彼はそんな素直な性格だと思っていた。気を遣うことはあっても、嘘を吐くことはしない。言葉の裏に何か含みを持たせるようなこともなく、ストレート。さっぱり爽やか、快活な男子。それがこれまでに有子が認識した伊海田航太郎という男だ。
「あの……さ。こう言うのは、ちと、どうかとは思うんだけど、よぃ……」
だから、彼がそう前置きをするということは、よっぽど言いづらいことなのだろうと身構えてはいたのだが……。
「あんま……青錆と二人っきりになんのは、よしたほうが良いと思うぜぃ」
「……え?」
あまりに突然の思いがけない言葉に、有子は面食らってしまった。確かに、少し前に似たようなことを言われたことがあるが……。今それを口にしたのは男子嫌いの白雪姫と違って、前述の通り、快活で気の良い漁師である。
有子は自然な会話を続けた。
「伊海田くん、……どうして……そんなこと言うの?」
「いや、あの! ほら、国中は女子じゃん!? だから、なんつーかほら……! だって、こないだ白雪にドヤされたばっかだろぃ!? あんまりよぉ、そういう感じのことは、やっぱ避けた方がいいってゆーか……!」
「伊海田くん……」
慌てて並べた言葉は、もっともらしいだけで誤魔化しのそれに違いなかった。なるほど、彼は嘘をつくのが下手である。これまでそうする必要が、てんでまるきりなかったのだろうと察せられるほどだった。
「もしかして、何か知ってる?」
「…………」
有子がそう尋ねれば、捲し立てていたのをぴたりと止め……黙り込んでしまった。――そうして彼は、腕の絆創膏に触れる。初めて会った時には無かったもの。気付いてみれば、それは知覚出来てしまう。そういえばこの前も絆創膏を取りに行ったと話していた。そしてそれは少しずつ、しかし明らかに増えている……。
「知らねぇ……」
ようやく絞り出した言葉は、今まで聞いた彼のどんな声よりか細く、静かなものだった。
「そっか」
それが嘘ではないことを理解して、有子はそのまま歩き出した。