今章は、ショッキングな表現を多分に含みます。
苦手な方はご注意ください。
あれから、2日。10人もの生徒たちが、およそ一日中調べ回っても……特にこれといった収穫は無く。昨日の夕食も、なんだか気まずい雰囲気が払拭出来なかった。無論、隣の白うさぎはなんてことない。いつも通りの調子だったのだが……。
ぐるりと有子は面々を見回して……減ったなあ、と思った。
「今日はどうする?」
「探索の続きだ」
「……んなこと言ったって、もう調べるところなんか無ぇだろ」
否応無しに即答する赤柳に、菊音はやれやれと肩をすくめる。有子もたくさん校舎内を歩き回ったし、ダメ元で窓を開けてみようとしたり、壁を叩いてみたりした。結局目ぼしいなにかが見つかるわけでもなく、ただただ今まで通り脱出方法は提示されたものしかないのだと諦めはじめていた。
しかし、我らがリーダーはきつく眉を顰める。
「見落としが全く無いと言い切れるか? 隅々まで調べ上げたか? 文句を言うのは最善を尽くしてからにしろ」
「赤柳君の言う『最善を尽くせ』ってさ、尽くしすぎなんじゃない?」
「……はあ。そこまでやりたくないと言うのであれば無理強いはしない」
「軽蔑モード入っちゃった」
「あんたたちが非協力的だからでしょ」
夜羽が口を挟めば、赤柳はわざとらしくため息をついて体勢を変えた。自分の発言が間違いだとは露ほどにも思っていないような表情で、コンフィズールはやれやれと首を傾ける。
「まあまあ……。なんか見つかるかもしねぇしよぃ。もちっとだけ頑張ってみようぜぃ?」
「伊海田君、そう言って何日経ったか数えてないんでしょ」
「数えてねぇよぃ。わざわざんなこと、どうでもいいだろぃ。どっちにしろオレら、それしか方法ねぇんだぜぃ?」
「それこそ今更だろ。一階に抜け道が無いのに三階にあると思うか?」
一触即発。そんな言葉がお似合いなほど、対立の溝が深まっていくのを感じ取れた。現実問題、既に4人もの仲間が犠牲になってしまっている中で、悠長にはしていられない。レナードのことも心配だ。有子はどちらかといえば笛吹き男の肩を持ちたかったが、双子のうんざりした気分も、とても良く理解出来た。成果が見えないと、人間というものは、やる気を削がれていくのだ。
「みんなおはよぉ〜」
……そんな険悪な空気が漂う中、一同より一歩遅れてやって来たのは、小さな介護士。今朝も病床人の看病に手を尽くしていたようだ。のんびりとしたいつも通りの可愛らしいトーンで、星永は生徒たちに挨拶を交わしながら自分の席へ向かっていく。彼女の移動を待ちながら、赤柳は口を開く。
「世絆、青錆の様子はどうだ?」
「ん? んー、まだおねつたかいかなー」
「なら余計ことを急くだろう。お前たち、四の五の言わずに協力しろ」
「んなこた分かってんだよ」
「みんな、けんかしてたのー? どしてー?」
周囲の様子が険悪になりつつあるのを察して、こてりと赤ずきんは首を傾げた。質問には、うんざりした様子のヘンゼルが答える。
「ずっと探索して成果が無いのに、赤柳君たら、何か見つけるまでやろうとするんだもん。大人しく助けを待つしかないんじゃないって言ったらさあ」
「僕は、悠長にしている場合なのかと言っているんだが?」
「だから、んなこた分かってんだって!」
「お、おい。落ち着けよぃ……」
「さっきから彼、こんな喧嘩腰なんだもん。話し合う気にならないよねえ」
困ったように宥め役に回る漁師もなんのその、双子の片割れはやれやれと肩を竦めて悪びれることもなくため息をついた。それまで静観していた白雪姫も、これには口を挟まずにいられない。
「やるしかないんだから仕方ないでしょ。三人とも良い加減にしなさいよ」
「僕にも非があるような言い方だな」
「あるでしょ、あんた。良い加減、その態度どうにかしたら?」
「ほんとだよねー」
「……白雪はともかく。お前たちに言われる筋合いはないはずだが?」
「とにかく! 皆さん落ち着いて!」
再び言い争いが勃発しようとしたところで、普段の倍の音量の電子音が響く。他でもない、人魚姫である。彼女はそのまま隣で困った顔をする赤ずきんに、言葉を促すように背を押した。どうやら言いたいことがあるのは彼女のようだ。
「んとね、しこくちゃん。ひとまずれーちゃんのことは、だいじょぶよー。みんなも。しんぱいしてくれて、ありがとーねー」
「しかしだな、世絆。そうは言っても状況は……」
「しこくちゃんは、やさしいこだねー。いーこいーこ」
「やめろ、撫でるな……。もう、……お前がそう言うなら大丈夫なんだろう。……確かに気が立っていたかもしれん。悪かった」
「……んまあ、俺も。ムキになって悪かったよ……」
「二人とも、謝れて偉いね!」
「あんたも謝りなさいよ……」
ヒートアップしていた両者は、赤ずきんの介入で少し冷静さを取り戻したようだ。二人がお互いに非を認め謝罪したことで、この騒動は終着した。……着火させた原因とも言える片割れの方はあっけらかんとしていたが……。白雪姫が呆れながら首を振るも、当人は我関せずと言わんばかりの態度である。
◇
「あのね! ぼくいーことおもいついた!」
ぱんと両手を叩いて、空気を切り替えるように。わっと明るい声をあげて星永は微笑む。ついさっきまでは、淀んだ空気の一同を見つめながら少し考えていた様子だったが……何か閃いたようだった。
それが何なのか気になって、有子は彼女の言葉を促す。
「いいこと?」
「みんないったん、しあわせになろー!」
「……話が見えないね。せつなちゃん、どういうこと?」
「あんなちゃんの、さいみんじゅつだよー! みんな、ぴりぴりしてるでしょお? だからね、いったん、きゅうけーも、いーとおもいます!」
「う、うぇ!?」
突然の名指しに、彼女にしては珍しく大きな声を上げて、肩をびくりと震わせた。途端にしどろもどろになってあふあふと挙動不審になっている。しかし、本人以外の生徒たちの様子はというと……ふむと納得したような表情だった。
火燈の幻術、といえば。以前……茨木と綿貫の事件が起こる前、有子も成り行きで見せてもらったばかりだ。彼女のまぼろしは、その人が心から幸せだと思う光景。有子もあの時見たまぼろしに、とてもこころを癒された。本当に自分の望む幸せがそこに映し出されているようだったのだ。星永の提案は、生徒たちを癒すのに打ってつけのものだった。
「確かに、せつなちゃんの言う通りだわ。疲労が溜まると作業効率が落ちてしまうから……一度リフレッシュするのはどうかしら? 裁判も乗り越えたばかりだもの……」
「いい考えだよ! 火燈さんの術は、ほんとうに幸せなきもちにしてくれるんだよ。あれを見たら、みんなひとまず落ち着けると思うんだ」
「あたしもリフレッシュには賛成よ。純粋に催眠術に興味もあるし……どうかしら? 火燈さん」
「あ、あう、あう……」
女子陣の援護によって後に引けなくなってしまった火燈は、わたわたと戸惑いながらも、それが自身のすべき事なのだと理解しているようだった。きゅっと目を瞑り、数回深呼吸してから……ぱたぱたと全員の視線の中心に移動した。
「え、えと……えと……! じゃあ、は、はじめ、ますっ……! ま、マッチ……する、から……。それを、見てて、ねっ……!」
火燈が意を決して、パッチワークスカートのポケットから小箱を取り出す。マッチだ。そのまま一本取り出すと、双子の片割れが顔色を変えた。
「え、おま……火起こすのか? 今? ここで?」
「う、うん……。わ、わたしの、幻術……マッチのね、火を……。ご、ごめんね、だいじょぶ……?」
「きくね、まだ火怖いの? あんなにクリーム炊いたりしてるのに……」
「コンロはコントロール出来るからいいんだよ! ロウソクとかライターもまだ無理……。マッチなんか、一番怖ぇよ……」
片割れが不思議そうに覗き込むと、菊音は青ざめた様子で自分の腕を掴む。その手は微かに震えているようだ。
「きくねちゃん、火こわいのー? どしてー?」
「昔ちょっと、ボヤ騒ぎあってから……」
「実は僕らも、加連君たちと同じなんだよね。火事で親死んじゃっててさ。今の保護者に引き取られたんだよね」
「え……でも、お前。今まで気付かんかったんかぃ?」
「お菓子作るのに火を使うでしょう? だから、僕はてっきりもう大丈夫なもんだと思ってたんだけど……きくねってば、まだその時のことトラウマみたい」
大雑把な事情をひとまず理解した一同は、しかし不審点があることに気がつく。突っ込んだのは伊海田だった。
あっけらかんとして言う夜羽の姿は、辛い過去を語る様子にはとても見えなかった……。どうやら彼の神経が図太いのは、生まれつきのものらしい。
「マッチの火じゃねーとダメなら、俺無理かも……。悪ぃ、火燈」
「う、ううん! ご、ごめんねっ……。わたし、こ、これしか、できなくって……」
火燈がまた涙ぐんで縮こまる。彼女にとって、自分に出来る唯一のことすらだめになってしまったのだ……。有子には才能はないが、唯一誇れるなにかが否定されてしまうのは堪え難い苦痛であることは理解出来た。
全員が息抜き出来る方法……。リフレッシュ出来るなにか……。有子はふと考えを巡らせようとしたが、凡人の自分に提案出来ることなどたかが知れている。意見を言うのはよして、大人しくまた箸でカリカリベーコンを摘んだ。
◇
そんな感じで。一同がなんとも言えぬ空気感を持て余す中、突然食堂の扉が開き、生徒たちが振り返る。有子は思わず目を見開いた。何故なら、そこにいたのは――待ち望んだ人物のうちのひとりであったからだ。
「おこんにちわ〜」
「加連くん!」
「加連! お前……!」
「生きてたのね、良かったわ」
にこやかに茶化すように。
「おはよう加連君。もう大丈夫?」
「あっは。ご心配お掛けしましたん〜。なんかボーっとしちゃっててさぁ〜」
「まともに返事も寄越さないし……。ぼーっとして4日も過ごすなんて、あんた他にやる事ないの?」
「んぇ……。白雪ちゃんはもうちょい心配しててくれても良くなぁい……?」
「そうね、もう死体なんて見るのはこりごりよ。無事で何よりだわ」
「そう言われると急にむずがゆい……」
「あんたが心配しろって言ったんじゃない」
泡淵の問い掛けに、たははーと頭に手をやりながら加連は微笑んだ。白雪はじととした眼差しを送っていたが……いつもとは違って、素直に心配していたことを伝えた。再びお茶を濁すようなリアクションを返した靴職人。これまでと何ら変わりないやりとりをして見せる彼に、白雪はやれやれと肩をすくめた。
「……ともかく、加連。無事で良かった。空腹だろう、すぐに食事にするぞ」
「……うん。ありがと、赤柳ちゃん……」
フルーティストの一声を噛み締めるように目を細めて、靴職人は静かに席に着く。
そして再びの白うさぎの号令で、ゆるやかに朝食会が再開された。
◇
食事の出来は、相変わらずである。そもそも、連日レストラン級の料理を提供され続けていた有子たちの舌が、肥えに肥えてしまっただけの話であって……。
しかし、慣れ始めた生活水準を下げることは、すぐには不可能なのである。
「……加連」
「あぇ?」
「口に合わなかったら残していいわよ」
申し訳なさそうにしおらしく、白雪がそう告げる。彼女自身もことを承知の上なのだ。けれど、彼女にそれを任せる選択をしたのは自分たちなので、そんなふうにしょげる必要は無いのにな、と有子は思った。
また気まずい空気が場を包み込む中……きょとんとした顔で、加連がまばたきを繰り返した。
「なんでぇ? 普通においしいけど?」
「えっ、コイツ本気の顔?」
「しー! きくね、失言だよ」
「あ、いや。悪い、白雪……。ほんとに悪い……」
双子の失礼極まりないやりとりを横目で見て、事情を察した靴職人は嬉しそうに微笑んだ。
「えー? 白雪ちゃんが作ったんだ〜! いいじゃ〜ん! 俺ちゃん、腹ペコだしぃ、おかわりしちゃおっかな〜」
「あんた本気で思ってんの?」
「え、なに? 普通に食べれんじゃん、何が問題なの?」
「味付けかなぃ……。たぶん、綿貫と猫塚のに慣れちまったんだろうなぃ……」
「気付かねーうちに、俺ら舌が肥えちまったんだよ」
「……あー。なるなる。確かにスイの手料理毎日食べれたの、幸せだったなあ〜! ……幸せだったなー……………」
「おい! 地雷踏むなよ!」
「やべ! うっかりしてたぃ、すまん加連……」
「ウンだいじょぶー。しょーがないよねぇ、しょーがないよ、ウンー……」
しょうがないと言いつつも、彼の目は明後日の方向を見つめていた……。有子も発言にはくれぐれも気を付けようと思うのであった。
◇
すぐさま我に帰ってきた靴職人が、今度はきょろきょろと食堂内を見渡して首を傾げる。
「てゆーか、青錆ちゃんいないんだねー? また具合悪いの?」
「そうなんだよぃ、今度は熱出しちまったって……」
「あれま」
今日もこの場に居ない城主を目で探して、加連はその理由に仕方ないねえと心配そうに肩を落とす。
「俺ちゃんも、なんか手伝おーか? なにしたらいー?」
「お前はまず療養に専念しろ。何か別の趣味なり暇潰しなり、ひとまずひとつは見つけた方がいい」
「え〜ん。でもさぁ〜? 紛れることしたいじゃあん?」
「確かにそうかもしれないが……」
「赤柳君は、心配しているのよ。ずっとお部屋にこもっていたのに、急に動くと身体がびっくりしてしまうわ」
しかめ面で赤柳が言い淀んだのを、横から泡淵が解説する。有子も笛吹き男の態度を不思議に思ったが、なるほど、人類学者の説明は分かりやすかった。
加連はうーんと首を曲げる。
「そうかなあ? うーん、言われてみればそうかもー」
「まずは散歩からはじめたら?」
「あ、そーだ、そーだ! 三階行けるようになったんよね? 俺ちゃんも見に行ってこよー!」
やることを一つ見つけて満足したのか、靴職人はぱっとそのまま明るい顔をしてから、またひとくち料理を含む。なんだか昨日よりほんわかとした雰囲気が場を和ませているな……と有子は思った。基本的にのほほんとして、にこにことしている加連は、生徒たちにとって唯一無二の緩衝材なのかもしれない。
◇
ごちそうさまでしたと、数人が次々と食事を終え席を立っていく。有子は今日も食器洗いを手伝ってから移動しようと、自分と章平の食器を重ねていく。視界の端に捉えたマッチ売りの少女は、相変わらず一生懸命咀嚼を頑張っていた。
「あ、そーだ。しゅうやちゃん!」
「んー? どしたの、せつなちゃん?」
他の生徒たちと同様に、食器を洗い場に預けてから出て行こうとする加連をあっと呼び止めて、星永はとことこと駆け寄って行く。彼女に対するいつも通りの仕草でしゃがみこみ、靴職人は微笑みを浮かべる。目線が同じになった彼に、赤ずきんは肩に下げたポシェットから何かを取り出して差し出す。
「これね、返すね!」
ぱち、と驚いたように瞬きをしてみせる加連。その小さな手に握られていたものは……
「せーじちゃんのじゅーじか……。ぼくが持ってていいものじゃないでしょ?」
「…………。うーん……」
受け取ったものの。
「火燈ちゃぁん」
「ふぇっ!?」
妖精は朗らかな口調で振り向きながら、後ろにいた少女の名前を呼ぶ。当の少女は突然自身が呼ばれる理由が分からないのか、思いがけない出来事に巡り合ったかのように狼狽えながら返事をした。
「え、ぁ……かっ、かかかかれ……っ!? な、なな……!?」
「手ぇだ〜して、はーい。どーおぞ〜」
ゆっくり近づいた加連は、そのまま流れるような仕草で火燈の手にぎゅっと何かを握り込ませた。少女はびくりと肩を強張らせて、手渡されたものをまじまじと見つめ、渡してきた本人と交互に見比べた。
「え!? っこ、ここ、こっ……これ!」
「スイのやつ、火燈ちゃんが持っててよ」
「ぇあ、で、でででもっ!」
「俺ぇ、火燈ちゃんがいいと思うんだあ」
慌てて少女は、手に包んだ大切なたからものを返そうと差し出す。けれども本人は、にこりとやさしい微笑みを浮かべるだけで、受け取ろうとしなかった。
「スイのこと。信じてくれて、ありがとお」
朗らかな瞳の奥にある、哀愁。少女はきゅっと十字架を握りしめた。
「俺ぇ、うれしいんだぁ。君はさ、ほんとのことを知っても。スイの友達でいてくれたんだよねぇ……」
そう言って彼が見つめる先には、誰もいない空間だった。……いや、そこは、かつて"
再び作った笑みは、もう返らないあの頃を懐かしんでいるような顔に見えた。
「ずっとさ。心配だったんだぁ……。いつまでも光のある場所に出て来れないんじゃないかって……。本当に苦しい時に誰の事も頼れなくて、助けを求められなくて……それでいつか、取り返しがつかないくらいにさ、壊れちゃうんじゃないかって。……ずっと、……思ってた。やっぱり苦しくて、俺のことも頼れなかったけど……でも、君がいてくれたから、きっと……。スイは、最後に少しだけ、明るい場所に行けたんだと思うんだよね……」
そう言って彼はまた、すぐそこにいる少女に目を向けて。
「だから、ありがと火燈ちゃん。スイのこと、忘れないであげて……」
「……っうん! うん……!」
彼女はぽろぽろと大粒の涙を溢れさせながら、大事に大事に。持ち主をなくしたロザリオを抱きしめた。きらと照明を反射させる十字架は、彼女の雫を纏わせて、より一層美しく光って見えた。
◇
白雪との皿洗いが終わり。珍しく大人しく待っていた章平と合流して、有子はしばらく歓談した。懐かしい時間を思い起こすものだったが、やはり……。会話そのものの楽しさは、白うさぎとのそれより"彼"のほうが――……。
失礼なことを考えかけて、有子は思い切り首を振る。うさぎは不思議そうにきょとんとするだけだった。ごめんねと謝れば、幼馴染は訳も分からずいいよとにこやかに頷くのだった。
このところ、なんだか自分がおかしい。ふとした時に思い出すのは……城主の、あの穏やかな微笑みなのだ。なんでこんなに気になってしまうんだろう。ぺちぺちと有子は自身の頬を叩いて、目を覚まそうと躍起になる。
「えー……。ほんとどうしよ……」
そんな折。ふと、途方に暮れるような声が聞こえてきたのでそちらの方を見れば、そこには首を傾けて突っ立っている靴職人の姿。
「こんにちは、靴屋くん! どうしたの? お困りごとかい?」
「おこんにちわ〜佐渡ちゃん、国中ちゃん。ねぇちょっと聞いてよぉ」
加連が章平の声に振り向いて、すぐに不満げな表情に戻る。どうやら愚痴を聞いてほしいようだった。有子は章平の口を閉じさせて、大人しく聞き手に回ることにした。
「白雪ちゃんがさぁ〜……。俺ちゃんの仕事道具ぜ〜んぶ没収ー!っつて持ってっちゃってえ〜……。去り際なんて言ったと思う? 作業したくなったらあたしの部屋でやりなさい! だってー……。女子の部屋で作業なんか出来ないよねん」
「白雪ちゃんは豪快だねえ!」
「そだよね〜。……ま、俺ちゃん作業もやる意味無くなっちゃったし、三階の探検も終わっちったしぃ……。なーにして過ごそっかなぁ〜……」
なるほど、章平の言う通り。白雪の行動は大胆である。加連は首を右に左に。章平も真似をしてことりことり傾けつつ、彼の不満内容に合点がいったようだった。
ため息をつくように、小さく最後に吐いた言葉が引っかかって、有子は彼に確認する。
「やる意味……って……。でも、加連くん、依頼があるって言ってたよね? それはいいの?」
「それは3日目にとっくに終わってるよ。そのあとは、ずっとスイの靴作ってただけ。……でもさ、それももう必要無いじゃん? そもそも俺、あの子のために作りたかっただけだしさ」
「あ……」
「靴屋さんになったきっかけかい?」
まさかまさかの作業の速さに、これが加連修也というプロの職人なのかと有子は息を呑んだ。確かに、その後も彼が接着剤の匂いを漂わせていたことが度々あったのだが……それはもう既に
どこか寂しそうに目を伏せた彼に、しまったと有子は口を覆う。けれど、章平は純粋な疑問を抱いたようで、またことりと頭を傾けた。存外加連は快く答えてくれた。
「そそ。一番初めはスイに合う靴を作りたかったってだけだよ。……まあ、今もそうだったんだけどねえ。今更やる意味も、やる気も。もう無いかなぁ……」
「靴屋くんは、ピノキオくんのために靴屋さんをしてたんだね」
「ん、まぁ……そんなとこかなー……」
加連はそう言ってまた目を伏せる。微笑を浮かべてはいたが、その目は虚ろだ。無理もない。今の彼は空っぽになってしまった。恐らく彼の中でもっとも大切であった人物を亡くし、さらに加連を加連たらしめる唯一無二の個性である、"靴職人"という才能さえをも失くしたのだ。今の彼は、
◇
「あっせつなちゃん」
「およ?」
一旦章平と別れてから何をしようかと迷っていたところに、特徴的な赤い背中を見かけて、有子は思わず声を掛ける。相変わらず愛らしい仕草でくるりと振り返ると、にぱっと笑みを浮かべて、彼女は有子に駆け寄ってきた。
「こんにちわあ〜」
「レイくんのところ?」
にこやかに挨拶をする赤ずきんに頬を緩ませて、有子は彼女の行き先を訊ねる。彼女は「うんそうー」と間の抜けたような声を出して、素直に頷いた。
あの苦しそうな姿が脳裏をよぎって、有子はすぐにいたたまれない気持ちになった。
「せつなちゃん、その……。レイくんは大丈夫……?」
その問い掛けに、介護士は少しずつ眉間に皺を寄せて、俯いた。
「んー…………。ああは言ったけど、しょーじき……。れーちゃんの身体のことを考えると、おねつが出ちゃったのはマズイんだよね。だから、とにかくおねつを下げないと……」
「まずいっていうのは?」
浮かない表情に、有子は思わず踏み込んでしまう。赤ずきんは一瞬意外そうな顔をしてから、すぐに眉をまた八の字に戻して言葉を続ける。
「ぼくはお医者さんじゃあないから、はっきりとは言えないんだけど……。お外に出て、ちゃんとしたいりょーきかんで診てもらわないと……ちょっとしんぱい」
それは、"ちょっと"と言う割には深刻そうな口振りであった。赤ずきんは普段、にこにこのほほんな雰囲気であったから、そのことがかえって有子にはますます不安を募らせた。
「たしか、内臓が弱いって言ってたよね? ……そんなに、悪いの? レイくん……」
「うん……。おねつが出ちゃうってことは、それだけ身体に負担がかかることなの。……もしかすると、元々弱いところが、悪くなっちゃっているのかもしれないし……」
「こんな場所で、ちゃんとしたお医者さんもいないものね……」
介護士は変に誤魔化したり逸らしたりせず、存外素直にそう言った。
自分たちだけの力で健康的に過ごす事が、現実的に困難な生徒がいる……。その事実だけで、有子はこのコロシアイからの脱出について、急くような思いに駆られる。けれど……。その方法は、有子ひとりではどうしようもないものであった。この場には様々な天才たちがいるとはいえ、所詮まだ子どもだ。有子は改めてそれを身にしみるよう実感した。こんな閉鎖空間では、出来ることは限られている。
有子は、速やかに探索を再開した。
◇
時計の針が回りに回って。有子はしょぼしょぼした目を擦りながら、引き摺るようにして重い足を動かしていた。あれから細かいところまでよくよく見回してみたものの……やはり、何度見ても変わらない景色に辟易するだけだった。
レナードのためにもはやく何かを見つけたい……。そう思って焦るほど、何も成果を見出せないのを腹立たしく感じてしまう。こんなことで気持ちを乱している場合ではないのに……有子はぶんぶんと首を振って、自室に向かうことにした。明日頑張るためにも、今日の疲れは徹底的に癒すべきだと思った。そうだ、ゆっくり熱い湯に浸かろう。早めに大浴場へ赴いて、温泉を堪能しよう。そうしてほっかほかになった体で、そのまま落ちるように意識を手放せば……大概の嫌なことは忘れられる……。
「加連! あんたまだ自室に危ないもの置いてないでしょうね!?」
よし、早速と足を速く動かそうとした時。ふと耳にした怒声は、聞き慣れた白雪姫のものだった。またあの二人が喧嘩しているのか……。最近は妖精のほうが閉じこもっていたのもあって、すっかり耳にしていなかった。実に久々に聞く、もはや懐かしさすら感じる怒声が気になって、有子は顔を上げ、ちらりと声のする方を見やる。思った通りそこには、たじたじになっている加連と、とても不機嫌な白雪が言い争っていた。
「んぇ〜……。そんなの全部白雪ちゃんが持ってっちゃったじゃないかぁ〜……。もう無いよぅ、キリもハサミもハンマーも、何もかもぉ……」
「じゃあなんで靴作りに来ないのよ!」
「女子の部屋で作業出来ないってぇ〜。それに今やりたくなぁい、気分じゃないよぉ〜」
「いいから来なさい! 靴職人でしょ、あんたは! 靴作れなきゃ
「無くていいよもう〜〜〜。めんどくさい〜〜〜引っ張んないでよぅ〜〜〜」
「作りたいものが無いなら依頼するから、あたしに一足くらい作りなさいよ!!」
「あ〜〜〜……だれか〜〜〜……たすけて〜〜〜……」
ケープをがっしりと白雪に掴まれ、加連はずるずると引き摺られていく。有子は、全く助けを求める気のない間延びした彼の声が離れていくのを聞きながら、白雪は面倒見が良いなぁなどと考えていた。
◇◇◇
翌日。
「おはよう」
「おはよう、白雪さん」
いつも通りに挨拶を交わして、白雪姫の隣の席に腰掛ける。ちらりと彼女の横顔を見て、昨夜のことを思い返し、少し迷ってから話し掛けることにした。
「なんか不機嫌だね?」
「あら……。ごめんなさい、分かる?」
だめね、こんなんじゃ。と言って、彼女は自分の頬をマッサージする。よかったら話を聞くよと声を掛ければ、彼女は少し視線を落とす。話すべきか迷っているようだった。それから、打ち明けてしまおうと思ったのか、あのね、と話を始めた。
「いろいろあって、加連の仕事道具をあたしの部屋で預かることにしたのよ。ほら、凶器になるような道具もあるじゃない? だから、一人でいるときに扱わせない方がいいと思って」
確かに……。有子は前回の裁判のことを思い返した。あの時、靴職人はいつの間にか、鋭利な錐を犯人目掛けて振り翳そうとしていた。あれは加連がいつも所持している仕事道具だったが――あれだけ鋭ければ、あんな使い方をすれば。人ひとり殺せる凶器になってしまうだろう。有子は白雪の判断は間違っていないなと思った。
そのまま彼女は続ける。
「それなのにあいつときたら、ウロウロするばっかりで……。型紙ひとつ取りに来やしないのよ。だから、もう頭にきちゃって」
態度に出しちゃってごめんなさいねと、彼女はまた有子に謝る。
「白雪さんって、なんか加連くんには優しいよね」
「え? ああ……。だって、ほっとけないでしょ今のあいつ。特にあたし、知っちゃったし……」
「何を?」
思ったことを素直に口に出せば、白雪は意味深な言葉を発する。条件反射のように思わず口をついて尋ねてしまった。有子の質問に、彼女はうーんと少しだけ考えてから、うんと顔を上げた。
「……国中さんならいいか。あたしが配布された"秘密"、あいつのだったのよ」
「そう、だったんだ……」
「内容まで許可なく漏らすつもりは無いけどね。でもまあ、知っちゃったら目をかけずにはいられなかったわ。……同情なんて一番要らないでしょうけどね。でも、何もしないでただ見ているのは、あたしが許せなかったの」
生徒たちの"秘密"――……。そういえば、最近はすっかり有耶無耶になっていたことで頭からすっぽり抜け落ちていた。思わずポケットの電子生徒手帳に手を伸ばす。きちんとそこに収まっていた機械の感触を味わって、これ以上この話をするのもなと思い、違う話題に切り替えた。
それから程なくして、生徒たちが集まり……。いつもの朝食会が始まったのだった。
◇
「よし。これでおしまい」
「いつもありがとう、国中さん」
「ううん。こちらこそ、ご飯の用意ありがとう」
本日も後片付けを手伝った有子は、白雪に食事の礼を言いながら彼女と別れた。今日も手掛かりの調査に励もうと背筋をぴしっとしたところで、しばらくして廊下で見慣れた赤いシルエットが通り過ぎていく。
「せつなちゃん」
有子は追いかけるようにたったかと小走りで近づいて、彼女に話しかける。
「今日もレイくんのところへ行くの?」
「うん。そだよぉ〜。おくすりの、じかんだからね。きょうは、たべやすそうな、おかゆをねー。りんこちゃんと、おねえちゃんと、つくったんだあ。ちょっとでも、たべれてると、いーなぁ」
「そっか……。ご飯も、あんまり食べられてないんだね……。熱はちょっとでも下がったかな? どんな様子?」
最後に会った時は、とても苦しそうだった。その姿が忘れられずに、有子は捲し立てるように聞いてしまう。赤ずきんは目をぱちくりとさせて、それから考え込むように頭を揺らす。
「んー……。ゆうこちゃん、れーちゃんのこと、そんなにしんぱいー?」
「え……。う、うん。もちろんだよ。それは……」
「じゃあさ、いっしょいくー?」
ことり、と首を傾げる赤ずきんが有子の顔を覗き込んできた。ぱちりと目が合えば、彼女はにぱっと愛らしい笑みを浮かべてこう言った。
「れーちゃんのかんびょう!」
……こうして、有子は星永と共に、かの城主の部屋を訪ねることになったのだった。
◇
男子の部屋に入るのは、章平の部屋以外で初めてだった。いや、正確に言えば鷺沼の部屋にも入ったことはあるのだが……あの時は緊急事態で、結局部屋の主は留守だったのだ。それに、この前こうして彼の部屋に入った時も同じく緊急事態で、その時はほぼ全員で押し掛けたのだ。……なので。星永がピンポンとチャイムを鳴らす横で、有子は妙に緊張してしまっていた……。のんびりと入るねえと一声かけて、彼女は電子生徒手帳をかざして鍵を開ける。"合鍵"だ。初めて倒れてしまった時、この介護士と今は亡き執事が世話のために城主の合鍵を取得していたのだ……。
「れーちゃん、ごはんたべれたあ?」
「お、おじゃましまぁす……」
控えめに声を掛けて、そうっと部屋に入る。そこで、有子ははっと息を飲み込んだ。奥の窓際。レナードは、ベッドに横たわって苦しそうな呼吸を繰り返していた。その姿が何故だか……とても。目を惹くというか、離せないというか――……。何も言えずに、そのままじっと見つめてしまう。……乱れた髪が広がって、はらりと一本重力に負けて落ちていった。普段よりずっと緩く留めたシャツの間から見える白い肌に、上下する胸の動き……。それらは、ずっと眺めていたいと思うような、そんな異様な
ぼーっとしていると、赤ずきんはたったかと部屋に入って行き、横たわる彼の側に寄った。声を掛けられて目を覚ましたのか、何度か咳き込んでから身体を起こそうと動かす。
「れーちゃん、きのうのねつさまし、どうお? こないだのより、ましだとおもうけど……」
「ええ……けほっ、げほっ……。だいぶ、らくです……。すみません、わざわざ、っこほ、けほ」
「っだ、大丈夫だよ、レイくん……。起き上がらなくても……!」
「ごほっ……いえ、起きていた方が、けほ、楽、なので……」
止める有子をよそに介護士は彼を手伝って、上体を起こしてやり、枕の位置を調整してもたれ掛けさせた。城主は小さくお礼を言うと、有子にもまた感謝の言葉を述べた。
「世絆さんと、皆さんのお陰で……。大分熱も下がりました……。……ほんとうに、その、ご迷惑、ばかり……」
「迷惑なんて、そんなこと思ってないよ」
「うんうん。いーのよー。とりあえず、おねつはかろっか」
ベッド脇のテーブルにあった体温計を差し出して、それを促す。気怠そうなゆっくりとした動きで、彼は素直に従った。しばらくして計測完了の電子音が響き、取り出した体温計と赤ずきんが睨めっこする。無意識に覗き込むも、その数値は有子に見えない角度だった。介護士は眉を顰めて唸る。
「んー……。またちょぴっと上がっちゃったかな? こっちはききにくいみたいだねぇ……。もういっこのほう、ためしてみる?」
「世絆さん……。はぁ……。ごめんなさい……何度も……」
「いいんだよぉ〜! れーちゃんのおからだも、なれないおくすりじゃびっくりしちゃうからねぇ」
そうして赤ずきんはぴょこんと地面に降り、とことこと移動する。扉の前まで来たところで、有子はお見舞いがこれで終わることを察した。少しだけ考えて、ドアノブに手を掛ける彼女を呼び止める。
「……せつなちゃん」
「どしたのー?」
「あのね、わたし……。もうちょっとだけ、レイくんと一緒にいたいんだ……。いいかな?」
「んー……。じゃ、ぼく、おくすりとってくるからー。そのあいだねー、れーちゃんみててあげてー」
「うん、分かった。ありがとう」
じゃあねぇと微笑んで、介護士はたったかと行ってしまった。扉が閉まるのを確認して、有子は踵を返す。そのままベッド脇の小さな椅子に腰掛けた。
まだ起きていた城主が、出ていかない有子を不思議そうに見上げる。
「国中、氏……? どう、したんですか……」
「レイくん、くるしい……? お水いる?」
「いえ……。自分で、とれますから…………」
「分かった。何かして欲しいことがあったら、教えてね」
「……ごめんなさい……。ほんとう、に……ごめんなさい…………」
「……」
何度も耳にした言葉。思えば、彼はいつも、いつだってその言葉を口にしていた。何の非がなくても、許しを乞うためでなくても。彼はずっと、"ごめんなさい"と口を動かすのだ。彼のその様子を見ていると、胸がつんと痛むような気がした。
「レイくんって、小さい頃から身体が弱かったの?」
「え? な、何故……?」
「ごめんなさいって、すぐ言うから……。ずっと、周りの人にお世話されて、それを申し訳ないと思って……ガマンしてるんじゃ、ないかなって……」
「…………」
そう言うと、レナードは押し黙ってしまった。有子はてっきりこの指摘が図星で、言い当てられたことに彼が驚いたのかと思ったが、哀しそうにゆっくりと肩を下げる様子は、それが異なることを示していた。そう、それは……どちらかといえば困惑だった。
「……吾輩、には…………。お話出来るだけの、過去がありません……」
「……どういうこと?」
「曖昧、……なんです。記憶が……」
その告白に、有子は息をするのを忘れた。
彼は俯いたまま、ぽつりぽつりと言葉を続ける。
「気付いた時には、家族も親戚も……分からなくて。何処にも……居なくて。……国が……いろいろな支援を、してくださいました……。ある程度、自分のことは自分で出来るようになってからは、……ひとりで……」
親戚も……家族すら、分からない。それがどんなに大変なことなのか、有子はすぐに理解出来た。なんたって有子たちは高校生である。もうほとんど大人の仲間入りをしているとはいえ――
「お城にはお手伝いさんはいなかったの?」
「……昔は……たくさん、いたみたいです……。覚えている限りでは……誰も、居ないのですけど……」
寂しそうにぽつりとそう呟いて、また城主は俯いてしまった。……なんと、声をかけたら良いのか。大変だったね? 他人事過ぎる気がする。良く頑張ったね? 何様目線からの台詞だろう。すごいね、えらいね? 何処か上手く説明できないけれど、致命的にズレている気がする……。有子には適切な言葉が分からなかった。
「……国中氏は、……こんな得体の知れない男と一緒に居て……怖く、ないんですか……?」
おそるおそる。こちらを覗くようにことりと首を傾ける様は……きっと、他人でしかない大人の顔色を窺ってきた癖だ。
有子は考えるより先に声を発していた。
「有子だよ」
「へ…………」
「レイくん。わたし、有子っていうんだよ」
「…………」
今目の前にいるのは、彼が機嫌を窺わなければならない対象ではないのだ。ひとりの友人として、彼の体調が心配で……純粋に力になりたいと思ってここにいる、ただの女子高生である。
そのことを伝えたいと思ったら、自然と言葉がするする出てきた。有子はそれに身を任せる。
「きみのこれまではひとりぼっちだったかもしれないけど、でも、きみのこれからはそうじゃないでしょ。……だって、わたしたち、もう友達だもん」
「……とも……だち…………」
それは、初めて耳にした言葉を、ゆっくりと噛み締めるような。そんな風に、大切に心の中へ落とし込むように、彼は繰り返して呟く。以前彼が言っていた……「友人はシュヴァンしかいなかった」という言葉。そう、いまの有子のように、彼にそう伝えたことのある人間は、文字通りひとりも。これまでいやしなかったのだろう。
浸るように彼がゆっくりと瞬きをするのを見て、有子はまたその瞳を覗き込む。
「嫌……かな?」
「い、いえ! 嬉しいです! とても……。ほんとうに、とても……。すごく、嬉しいです……」
「嬉しい」と、そう口にする割に。何処か苦しそうに顔を歪める彼の表情を、有子は真正面から見つめられなかった。名残惜しそうに彼が言葉尻に余韻を残して、それからまた、寂しそうに俯いて。
「ですが、僕……。本当は……。ひとと一緒に、生きてはいけないんです……」
それはまるで、懺悔するような様子だった。とんでもない罪を犯し、そしてその罪悪感で潰されそうな、そんな憐れな迷い子のように呟く彼。今度は覗き込むように有子は尋ねた。
「……どうして?」
「……それ、は…………」
「……きみの"秘密"と、関係があること?」
◇◇
「くししし……。では、遠慮無く。前座すっ飛ばして本題です。ワタクシから皆様に提示させていただきますのは、"行動理由"……つまり、コロシアイを行うにあたっての……"
――ピロリン!
場違いな、やけに軽快な効果音が一斉にそこかしこで響く。有子の近くでも鳴ったので、その出処はすぐに判明した。制服の、ポケットの中……そう、
すぐさま反応した生徒たちに倣って、有子はおそるおそる自分の電子生徒手帳を起動する。新着メールのお知らせを表示するように、何故か「秘密の欄」のアイコンに誘導するように……これまで見られなかったマークが表示されていた。狐紳士の思い通りに、有子はそれをタップする。……そこに表示されたのは……。
「え……!」
「うっそ……マジ?」
「ほぉ……。成程な」
他の生徒も同じようで、しかし反応から察するに
「これ……は……」
「大丈夫かぃ? 青錆……」
「…………だい、じょうぶ……な、わけ……ない、じゃ、ないです、か…………!」
いつも白い顔からは、ほとんど血の気が失せてしまっていた。そんな可哀想になるほどに震えている城主の青錆の身体を、漁師の伊海田が支える。
「……これって……これって……! ぼ、僕……! 僕の、"秘密"も……! いま、
◇◇
――彼の、"秘密"といえば。そう、あの時……有子たちの持つ各々の"秘密"が第三者に握られてしまったと判明した時……最も狼狽え、震えていた人物こそ彼だ。あの時の様子から、有子も彼の持つ"秘密"が、人には知られてはならないとんでもない事なのだと推測出来た。
――いや、
「…………僕、は……。ひとのかたちをしているだけの、怪物、なんです……。だから、僕は……このまま……。…………」
顔を覗き込む。長い前髪が陰になって、彼の顔はより一層暗く見えた。髪から垣間見える瞳は、沈み……少しの光も、映し込んでおらず――……。
「……お願いです。僕のことは……放っておいてください……」
――それは、"拒絶"だ。
彼は、有子が踏み込むのを固く拒んだ。歩み寄ろうとしたその手を、突き放したのだ。そうして有子が様子を伺うことすら、許さなかった。彼は善意を拒み、有子を拒み、仲間を拒み、関わりを拒んだ。けれども有子は、彼を責める気持ちにならなかった。彼が、泣いているように見えたのだ。泣きながら――本当は、ずっと誰かに傍に居て欲しいのに――温もりを、拒絶した。
その、心の壁をまた……高く高く、築き上げて――……。
◇
あれからすぐに星永が帰ってきたので、有子はそのまま入れ替わるように、レナードのお見舞いを終えた。どんなに有子が力になりたいと思ったところで、本人が望まないと拒絶するのであれば、それ以上踏み込むのはいけないことだろう……。
いつかの夜を思い出す。あの時は……彼はたくさん、ほんとうにたくさん話をしてくれて……嫌がるどころか、とても丁寧に接してくれていた。あれは、きっと……もしかして。有子だけが楽しいひとときで、けれど、ひょっとしたら彼にとっては苦痛でしかない時間だったのかもしれない。そう思ってしまったら――尚のこと、それ以上足を踏み入れることは拒まれた。
「こんにちは、国中さん」
「白雪さん」
声を掛けられて顔を上げると、そこには白雪姫が立っていた。俯いてとぼとぼ歩く有子を心配してくれたのだろう。少し姿勢が前屈みになって、有子の様子を窺うようにじっと見つめていた。
「加連くんと一緒にいたの?」
「まあね、そんなところ。手の掛かる職人さんよ。国中さんは…………。珍しいわね、この時間に……。ひとり?」
「うん。ちょっとレイくんのお見舞いにね。せつなちゃんと一緒に様子を見に行ったんだ」
「そうだったのね。どうだった? 青錆は……」
「ひとまずは大丈夫だよ。会話も出来るくらい意識もはっきりしてたし……。せつなちゃんがいろいろ試行錯誤してくれてるみたい」
「そう、なら良かったわ。ゆっくり休ませてあげましょう」
にこと微笑むその顔は、飛び上がりそうになるくらい綺麗で……。けれど、いつもならそう思うはずの彼女の優しさも、いまの有子にとってなんでもなかった。どうしても頭の片隅に、あの城主の顔が離れない。また、あんなふうに……穏やかでやさしい笑顔が見たい。だがそう思うこと自体が、有子のエゴでしかないのだ。
「なんだか浮かない顔ね。何かあった?」
「あ……。ううん! なんでもないんだ」
「……恋のお悩み?」
「こっ…………!?」
思いがけない言葉に、有子は気が動転してしまう。
「い、いや……! そんなんじゃないよ!?」
「あら、そう?」
首も、手も。ばたばたと騒がしく振って、全身でNOを表現して見せる。有子はまったくそんな気持ちは無かったし、きっとあの城主もそんな風には思っていないだろう。確かに、最近の有子は彼のことをとても好意的に見ていた。けれどもそれは、純粋に友人として……そう、あくまで友人としてである。時折彼のことが気になって集中が切れてしまうのも――それは彼が、病弱だから……純粋に、心配で――……。
「ほ、ほんとにそんなんじゃないからね! ……ただ……。うん……。わたし、もっと……力になってあげられたらって……それだけ」
言いながら、その言葉を自分の耳で受け止めると、改めて有子は自分の無力さを実感した。そんな気持ちだけあっても、彼のために何一つ力になることは出来ない。彼は天才たちのうちのひとりで、けれども自分は何一つ持っていない凡人でしかないのだから。悔しくて、もどかしくて、言葉尻は情けなく小さな声になってしまった。それでも目の前の親切な少女は、うんうんと親身に有子の声を聞いてくれた。
「自分に出来ることって限られてるのよね。だからみんな焦ったりから回ったりしてしまうの」
白雪の言うことはもっともである。各々得意なことは違うし、有子の幼馴染だって、彼らと同じ天才のひとりだけれど……
しかし、そんな有子の心も見透かしたように、白雪はやさしく微笑む。
「良いこと教えてあげましょうか」
「え……?」
「
「…………」
「特に……一回二回嫌だって言われても、それでも気にしちゃうおせっかいなお人好しがね。大好きみたい」
にこりと彼女が笑う。有子はきゅっと口元に力を入れて、顔を上げた。
「白雪さん、ごめん。わたし……行くところが出来た」
「そう。行ってらっしゃい」
有子は来た道をくるりと、真っ直ぐ戻ることにした。
◇
「ぼくはここでまってるからね」
「えっ……いいの?」
「うんうん。だってー、れーちゃんとだいじなおはなしなんでしょ? じゃあ、かぎあけるね」
「うん」
「れーちゃん、入るよぉー」
星永が部屋の鍵を開けてくれて、有子はすぐに入室する。
白雪姫のアドバイスを受け、有子はすぐさま赤ずきんを訪ねた。彼の個室に、彼の意思とは関係無く自由に出入り出来るのは、いま生徒たちの中で彼女だけだったからだ。事情を話せば赤ずきんはとても協力的で、早速と足を運んでくれたのだった。
「けほ……。世絆さん……? 忘れもの、ですか……?」
彼は少し咳き込みながら、来客を迎えるために身を起こす。具合がまだ良くないのに、律儀にそうやってしまうんだな……。有子はまた胸が締め付けられるような想いで、そっとベッドのそばに寄る。顔を上げた彼は、有子の顔を見るなり固まってしまった。髪の隙間から覗く瞳は、信じられないものを見るような目で、酷く動揺しているように見えた。それもそのはず。何故なら今ここに立っているのは、つい先程彼自身が強く拒絶を言い渡した相手なのだから。
「…………なん、で」
「レイくん」
有子が呼び掛ければ、はっとしたようにそっぽを向いて、すぐにまたベッドの中へ潜り込んでしまった。そうしてから不機嫌そうな、くぐもった声が返事をする。
「帰ってください……。すこし、眠りたいので……」
「ごめんね、もうちょっとだけお話したくて。いいかな?」
「吾輩、放っておけと……言ったはずなんですけれど。伝わって、いませんでしたかね……」
「うん。わたしは、きみと話したいんだ」
「僕は、話したくないです……」
はっきりとした拒絶の意思。怒りを孕んだようにも聞こえるその声は――それでも、いまの有子には、助けを求める幼子の声にしか聞こえなかった。
「きみはどうして、そんなふうに一人になろうとするの?」
そっと優しく毛布の上から手を触れて。すると、びくりと彼が体を強張らせた。それからすぐに、悲鳴にも近い声で、レナードはまた有子を遠ざけようと拒んだ。
「ひとりが、すきなんです……。いいから、もう……! ほっといてください……! お願いですから……」
「わたしは、きみがほんとうに一人を好んでいるんだとは思えないよ」
殻に籠る彼に、そっと言い聞かせるように。努めて穏やかに優しく……落ち着いて。有子はゆっくり話しかけた。
「あのね、レイくん。わたし……わたしね、有子っていうの」
「…………」
「レイくんにも、そう呼んでほしい。わたし、きみの友達になりたい」
「…………」
「ね……おねがい。わたしがそうしたいの。きみの力になりたいの。わたし、またあの時みたいにね、他の誰でもない、きみと。レイくんと。おしゃべりしたいんだ……」
再びそっと、毛布を撫でる。やさしく、やさしく。その身体を撫でて……。
「だめ……かな…………」
怯えるように微かに震えているのを、宥めるように。有子はまたそうっと撫でた。
「…………ゆ……」
「…………」
「……ゆ、うこ……さん……」
「うん」
毛布にくるまったツチノコが、もぞもぞ動いたかと思えば……ゆっくりと銀髪を覗かせて、遂には顔を出した。起き上がるのを手伝って、彼はようやく殻から出て来てくれた。苦しそうな、申し訳なさそうな、そんな表情をしていたが……有子は、彼が心の壁をまた取り払ってくれたことを、何より嬉しく思った。
涙こそ溢れはしないが、泣いていると言っても良い震えた声で、彼は有子に赦しを乞うた。
「ごめんなさい……。ごめんなさい、僕……。ほんとうに…………。自分でも、たまに、……なんだか、きもちが、……落ち着かなくって……。あなたに、とてもひどい……態度を……」
「ううん。いいの。良いんだよ。それよりわたし、レイくんが名前で呼んでくれたことが嬉しい」
嗚咽を漏らすように揺れる背をさすってやって、気持ちが落ち着くように穏やかに声を出す。心なしか先程より身体を預けて来てくれているような気がして、有子はもちろん迎え入れるため促した。
「レイくんは……嫌……だったかな?」
「い、いえっ……! そんな……こと……。僕……そっちの方が……うれしい、です……」
「レイくん」
「あ…………。…………有子、さん……」
「うん」
もう一度名前を呼び合って、髪の隙間から覗く瞳を見つめる。澄んだ星の色が、涙に潤んで輝っていた。もう絶望の色をしていないそれをたいへん愛しく思って、有子はまた彼の背をゆっくり撫でた。
そうして触れるだけの時間が、有子には、ここに来てからもっとも尊く、大切で、噛み締めていたくなるような……そんなひとときだった。
そして、ふたりはそのまま、やさしい時間を過ごすのだった……。
◇◇◇
「せつなちゃん」
「おはよう、ずきんちゃん!」
「ほよ!」
翌朝。いつものように白うさぎを起こして、二人揃って食堂へ向かおうと個室を出ると、目の前を赤ずきんが通り過ぎた。
「おはよお、しょーへーちゃん、ゆうこちゃん」
「おはよう。昨日はほんとうにありがとうね」
「どーいたしましてー」
「昨日? 何かあったのかい?」
「うん……。ちょっとね。せつなちゃん、いまレイくんのところに行ってきたの?」
「うん! かなーりおねつ、下がってたよ〜。昨日のおくすりが合ってたみたい! これでひとあんしん、かなあ〜」
「そっか、そっか……。よかった、ほんとうに……」
星永の嬉しそうな様子から、本当に具合がかなり良くなったのだろう。有子は心の底から安心して……それからまた、昨日の彼の暗い顔を思い出し、きゅっと胸が締め付けられるような気がした。でも、それでも有子がそばにいることで、穏やかな表情をしてくれたのは間違いない。今日も後で、また会いに行こう……。心の中で、誰に誓うまでもなく有子はそう思うのだった。
「青くん、元気になったんだね! よかったあ! でも、まだごはんはお部屋で食べるのかい?」
「ずっとねこんでたから、ねぇ〜。急には、たいへんだと思うよー」
「そっか……。またいつもみたいに、みんなでご飯食べたいね!」
「そうだね!」
白うさぎたちの無邪気なやりとりに、有子もそうだと心から思った。元気になれば、またあの優しい笑顔も自然と出来ることだろう。今までは、具合が悪いから気持ちも塞ぎ込んでしまっていたのだ。きっとそう。
それから、短い道中を三人で話しながら、有子は今後あの城主と共に、どんな楽しいことをしようかなと考えていた。
それから真っ直ぐ、食堂に辿り着くと……。
「お、おい!? どうしちまったんだぃ!?」
扉に手を掛けたところで、かなり慌てた様子の漁師の大声が響いて来た。有子は一瞬章平たちに顔を向け、すぐさま扉を開く。
「伊海田くん? そんな慌てて、どうしたの?」
「白雪がっ……! 白雪が急に倒れてよぃ!」
「え?」
「りんこちゃん、りんこちゃん! ……ダメだ、ぜんぜんおきない……」
見れば、食堂には泡淵の腕に抱かれる白雪。傍らでそれを心配そうに見つめる伊海田は、あふあふと狼狽えてしまっている。すぐさま飛び出した星永を追って、有子も、章平と共に駆け寄る。
「ど、どうしちゃったんだい? 白雪ちゃん……」
「分からないの。さっきまで、いつも通りにお話していたのに……」
「息はちゃんとしてる……。とにかく! まずは移動しよう。保健室に……こたろ!」
「おっ……おぅ! え、ええとぉ……。ど、どうやってぃ……。んぁ〜! んぁあ! 触るぞぃ白雪ぃ! 勘弁なぃ!」
相変わらず女子が苦手な伊海田は、まごまごしながらも腹を括って白雪を抱き上げる。
先導する星永と共に、有子も心配で着いて行くことにした。
◇
保健室へ続く廊下の先。有子たちは信じられない光景を目にして、思わず足を止めた。
初っ端からの大騒動で、この瞬間まで
保健室の扉の前。彼にとって最も大事な相棒とも言うべき楽器が、無残にも投げ出され――……。
「――しこくちゃんッ!!」
フルーティストの赤柳が、そこに倒れていた。