カタリロンパ   作:カタリベガタリ

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今章は、ショッキングな表現を多分に含みます。
苦手な方はご注意ください。




3

 

 

 二人をベッドに寝かせ、星永に診察を頼む。

 ――つい、今朝のこと。いつも通りに白うさぎの支度を手伝って食堂へ向かうと、白雪姫がぐったりと倒れているという信じられない光景を目にしたのだ。彼女をひとまず保健室へ運ぶため、その場に居た一同と共に廊下を駆けていると……同じように倒れていた笛吹き男を発見したのだった――……。

 ベッドの傍ら、全員が言葉を無くし、ぐっと息を呑んで見守った。呼吸はしていたが……またあのコロシアイが起こってしまったのかもしれないと思えば、その心中は穏やかでいられなかったのだ。声を掛けても、揺すっても、無反応だったことを思い返して、背筋が凍る。あんな恐怖はもうごめんだと、誰もがそう思っていた。

 

「……う」

 

 もぞもぞと二人の腕や顔に触れていた星永は、困ったように声を漏らし有子たちを振り返った。

 

「こきゅうも、みゃくはくも、せーじょー……だよぉ……」

 

 飛び出たセリフに、生徒たちは顔を見合わせる。せいじょう。正常? "()()"と、この介護士は今……そう言ったのか?

 有子と同じことを頭の中で思ったのか、戸惑いながら伊海田が声を上げた。

 

「正常ぃ? せつなちゃん、それは……何も問題ないってことかぃ?」

「うゆ……。みたかぎりじゃあ、ねんねしてるだけなの……。でも、ほっぺつねっても、おきない……。クライン・レビン……?」

「寝てるだけ……」

 

 "クライン・レビン"……。少し前の有子なら、それはなんだとオウム返しをしていたはずだったが、その単語は耳慣れずとも全く知らないものではなかった。……そう、それは、つい最近知ったばかりの言葉。

 

()()()()……だっけ? 茨木さんの……。でも二人はそんな素振りなかったし、聞いてもないよね」

「レアな奇病の患者がこんなに集まることも無いでしょ……。何かあるよねぇ……」

 

 困り果てた様子の一同。けれども、加連の言葉にはひとつ、心当たりがあるような含みを持たせたものだった。加連くん、それって……。有子がそう言い掛けたところへ、最近あまり耳にしなかったノイズが耳をつんざく。

 

「あーらあらまあ! 大変大変! まさかこんなことが起こってしまうだなんて!」

「……モノヴォル」

 

 唸るような声を上げて、菊音がじととぬいぐるみを睨む。そう、唯一の()()()()。それは、このコロシアイ主催者による新たな生徒たちの行動理由――()()()()だ。

 

「ねえ、どうせ君の仕業でしょ? 何したのか話しなよ」

「人聞きが悪いですねぇ、ワタクシは何もしていませんよ? お二人は不運に見舞われてしまっただけです」

「白々しいな……」

「とりあえずはやく詳細教えてくんない?」

 

 パティシエ双子がやれやれと肩を竦め、いいから詳細を話せと靴職人が急かす。先の事件の記憶もまだ薄れないままで、これ以上この狐と話すのもうんざりしているのだろう。

 彼らが雑談を楽しんではいないのを早々に察知し、自称・理事長の狐はこほんと咳払いをして、くるくるステッキを振り回してから、こつりと地面に叩きつけた。

 

「なんと、お二人は不幸にも……『眠り姫の呪い』に掛かってしまったのです……」

「呪いだぁ?」

「なに、それ……」

 

 あまりにも馬鹿馬鹿しい原因に、生徒たちは眉を顰めて不服な態度を取る。それもそのはず……大真面目に理由を聞いたのに、そんな、非現実的な……。有子も狐の台詞に呆れてしまう。けれども紳士は平然と。発言を改めることなくこくりと深く頷く。その現実離れした非科学的な動機は――本当に本当のことのようだった。

 

「ええ、呪いです。お二人は目を覚ますことはございません! 一生このまま! 果てには衰弱死という訳でございます」

「ふざけんなよぃ。このまま二人が死ぬの見守れっていうのかぃ?」

「呪い……てことは、魔術的な、何かが原因で……? ……でも、だとすると……解呪法とかは、無いんでしょうか……?」

 

 おずおずと青錆がモノヴォルを覗き込むと、待ってましたと言わんばかりにくるんと杖を回す。モノクロの狐はおほんと咳払いをして見せた。

 

「流石は青錆君ですね! 良い着眼点です。もちろん解呪法がございますよ。そしてワタクシ、その方法を知っておりますとも!」

「あ、話が見えたぁ〜」

「最悪だな」

「これまたクソだね」

 

 続きの言葉に察しがついた一同は、各々の仕草で呆れたように息を吐く。ぬいぐるみはなだめるように上下に両手を動かしてまた笑った。

 

「まあまあ最後までお聞きくださいな。そう、今回の動機、それは……『眠り姫の呪い』でございます! 呪いが解けるまでお二人は目を覚ますことはございません! 解呪法は皆様がコロシアイを行った報酬として、ワタクシがお教え致しますので、どうぞお二人のお命を天秤に掛けて、ゆっくりお悩みくださいね」

 

 既に皆が分かっていたことをご丁寧に説明して、モノヴォルは抑えきれない笑みをこぼしながら、またそそくさと去って行く。とことことドアの前まで移動したところで、突然くるりと振り返った。

 

「ああ、そうそう、言い忘れるところでした。ついでにもう一つ、皆様に新たな"悪役(ヴィラン)"についての情報をお教えしましょう。"悪役(ヴィラン)"は人を殺した人物ですが……その『()()()()()()()()()()()()()()()』です。大量殺人犯ってことですね! くししし!」

 

 不愉快な笑い声を響かせながら、今度こそその声が遠のいて行った。

 後にはベッドの上で緩やかに呼吸を繰り返す二人と、彼らに目を落として困った顔をする生徒たちが残る。

 

 

 

 

「これからどうしよう……」

「今までで一番最悪な動機だよね」

「"悪役(ヴィラン)"のことは……もう、考えないようにしようぜぃ……。大量殺人犯がこん中にいるっつったって……もう、そこまでいくと想像つかねえよぃ……」

「確かに。急に現実感なくなったよね。いっそ逆にいない気がしてきたよ、俺」

「とりあえず、いま一番考えなきゃいけないのは、ふたりを起こす方法だよね……」

 

 早々に生徒たちが相談を始める。けれど、それはいつものようにまとまりはなく……各々が思ったことを呟くだけだ。

 しばらく口に手を当てて考え込んでいた青錆が、ふむ、と息を吐く。

 

「解呪法がある、ということは……。つまり……原因が明確である、ということですよね……。それを突き止められれば、言いなりにならずとも、お二人を起こすことそれ自体は……なんとか、出来そうですが……」

「でも、呪いなんだよ? 原因が分かっても、対処出来ないんじゃない?」

「原因不明の奇病や不運のことを、呪いや祟りと呼ぶんです。事実、科学技術の発展によって……これまで呪いとされてきたものが、病や、自然現象によるものだと、解き明かされていますし……。今回の呪いも、解呪法があると……断言されていますから。それは、対処の方法が明確だ、ということです。……全く同じ方法でなくとも……。()()()()()()という言い方であるなら、その後は自分たちで何とかしろ、ということのはずです。つまり……それは、原因さえ突き止められれば、吾輩たち自身で、対応可能な範囲であるはず……ですよ」

 

 城主は懇切丁寧に説明してくれたようだが……有子にはイマイチピンときていなかった。呪いは呪いなんじゃないの? じゃあ結局はモノヴォルが何かしたってことなのかな? 話の腰を折るような質問だったので、とりあえず黙っていることにした。

 

「青くんはすごいねえ〜。ぼく、なんにも分からないや」

「うーん……。難しいことはよく分かんないけど……。青錆君は出来そうなの?」

「流石に、現状ヒントが少ないので……今すぐ解る、というわけでは……。出来る限り……やってみようとは、思います……」

「でも、それがどこまで掛かるかが問題だよねえ……。ヒント少ないどころか、実際現状、ノーヒントじゃない?」

「症状は、十分ヒントですよ。眠りの深さ、バイタル、瞳孔の動き……。後で、詳しく診させてもらいます。……確かに、それだけで……対処は出来ないのですけど……」

 

 途方に暮れる有子たち。大半が表情を曇らせる中、数名はまだ事態の深刻さを実感していないようだった。そのうちのひとり、伊海田は、黙り込んでしまう生徒たちの顔を伺いながら首を傾けた。

 

「問題っつってもよぃ、結局はただ寝てるだけだろぃ? そんな深刻にならんでも……」

「寝てるだけと言っても、食事や水分補給はどうするんだって話。点滴とか……せつな、分かる?」

 

 グレーテルに言われて、そこでようやくああと納得したように漁師は声を漏らした。話の流れで名指しされた赤ずきんは、曇った表情のまま眠るふたりを見つめる。

 

「うー……ん……。いりょーこーいってゆうのは、ほーりつでおいしゃさんやかんごしさんみたいな人しか、しちゃいけないって決まってるんだよね。かいごしさんも、ちょっとだけみとめられてはいるんだけど……点滴のかんりはねぇ、かいごしさんはやっちゃダメなの……。だから、ぼく……わかんないんだあ……」

 

 この中で現状もっとも医療分野に明るい彼女の、戦力外宣言。それはこの状況が絶望的であることを的確に示していた。

 夜羽が不安そうに眉を下げる。

 

「そう、それは仕方ないけど……。点滴がダメとなると、本格的にマズイね」

「ここから二人とも、死ぬまで飲まず食わずなんかぃ!?」

「……すいぶんもとれないとなると、もって5日……。でも2日いないになんとかしないと、あぶないよー……」

「ええっ! それは大変だねえ!」

「ご飯なくても何週間は〜ってゆーけど、水もとなるとそれくらいかぁ……。まいったねぇ、俺が死のっか〜?」

「か、かか加連くん! そ、そん、そんなこと!」

「あは。いや冗談だよぉ、それくらいしか解決策無いしさぁ」

「冗談でもそういうことは言うもんじゃねぇぞぃ……」

 

 加連はへらと笑うが、火燈には到底冗談には聞こえなかったのだろう。ふるふると震えて、蒼白な顔になってしまった。大事な弟のような存在を亡くしてしまったばかりの彼を思えば、無理もない話だ。事実ここ数日の加連の様子は、あまり見ていられないものなのだから当然だ。

 

「やっぱりここは、ひとまずせつなに任せるのがいいよな」

「うん! お世話がんばるよお!」

「でも、そしたらレイくんは大丈夫……?」

「え……」

 

 有子が懸念を声に出すと、当の本人はきょとんとして口を開く。有子の心配ごとには、すかさず星永が振り向いてにこりと微笑んだ。

 

「だいじょぶ! ぼく、れいちゃんのお世話もするよ! 二人はおねんねしてるだけだし、からだをふいてーたまに動かしてあげればいいだけだしー……」

「い、いえ……! 世絆氏……吾輩は、大丈夫です……。もう熱も、下がりましたし……こうして、一人で歩けるまでには、回復したので……。さすがに、これ以上、お手を煩わせるわけには……」

「だ! め! だめだめだめだめー! れいちゃん、むりしちゃうと、またお熱出ちゃうよ! いまも、あんまり具合、よくないでしょ?」

 

 申し訳なさそうに首を振って遠慮するレナードの言葉を、星永は強引に止めた。彼の顔色を覗き込むように見上げたその表情は、とても大袈裟に言っているようには見えなかった。

 心配そうに靴職人が城主の方を見る。他の生徒たちも同じだった。

 

「そうなの? 青錆ちゃん……」

「い、いえ、そんなことは……。昨日までより、だいぶ楽ですし……慣れてる、ことですから……」

「青錆ぃ、あんま無理すんなよなぃ?」

「レイくん、ほんとのこと言って」

 

 有子がわざときつく睨むように言えば、うっと彼は言葉を詰まらせたじろいだ。それは……やはり。先ほどの言葉が真実とは異なることを暗に示していた。

 

「…………。…………実は、まだ、めまいが……あって……」

「ダメじゃないかぃ……」

 

 とうとう観念した彼が、正直に現状を吐露する。やっぱりなと言わんばかりに伊海田が肩を落として息を吐くのを見て、慌ててレナードはまた顔を上げる。

 

「でっ……! で、でもっ! でもホントに! ホントに慣れてることなんで! 全然っ大したことないんです……! むしろ、すこぶる快調というか……!」

「それが"すこぶる快調"なんだったら、それこそ逆に問題でしょ」

「アヒ……」

 

 鋭い夜羽の指摘に、ぐうの音も出ない青錆は小さく鳴いて黙り込んだ。これ以上拒否しても無駄なのだと悟ったのだろう。双子の片割れ、菊音が星永に向き直る。

 

「やっぱり、せつなに頼んだ方がいいと思うな」

「でも、せつなちゃんの負担が大きいのは確かだよね。俺ちゃんでよければ……青錆ちゃん、手伝おっか?」

「ですが……その、加連氏……。……ほ、ほんとうに、大丈夫で……。だから、……そんな、申し訳ないです……」

 

 加連は眉を下げて小さな彼女に目を向けてから、顔色をうかがうように首を傾げて青錆を見つめる。彼はいじいじと指を遊ばせながら、戸惑うようにあっちへこっちへ顔を向けながら縮こまった。はあと大袈裟にため息をついて、神父は鬱陶しそうに首を振る。

 

「そんなことどうでもいいんだよー。大事なのは青錆ちゃんの体調! ちがう?」

「わたしもそう思うよ。レイくん、わたしも出来ることがあれば、お手伝いするからね」

「有子さん……」

「もちろん、オレも手伝うぜぃ。気楽に声掛けてくれやぃ!」

「あ、あ、青錆くんっ! わ、わわわたしもっ! お手伝い、するから! 遠慮なく、こっここ声っ! 掛けてねっ!」

「……すみません……ほんとうに…………」

 

 次々と助けになるよと声を掛ける温かな生徒たちに、レナードは感謝どころか……おろおろと彼らの表情を見比べながら、ただただ困惑したように目を伏せただけだった。有子はため息をついて、腰に手を当てる。

 

「もう、レイくん。すみませんじゃないでしょ?」

「あ……ありがとう、ございます……。すみません……」

 

 ようやく絞り出た感謝の言葉も、癖のように飛び出す謝罪の言葉で掻き消えてしまった。それこそ、こちらの方が申し訳なくなってしまいそうな彼の態度に、有子たちはなんだかいたたまれない気分になってしまった。

 一連のやり取りを黙って見ていた双子が、ついに我慢の限界を超えて大袈裟にため息を吐いて見せる。

 

「青錆君さあ〜……。すみませんすみませんってウザいよ? みんなやりたくてそうしてるんだから、ほんと、お礼だけでいいんだって」

「その通りだよな。よはねの言う通り、黙ってなって」

「は、はい……。すみま……あっ、ご、ごめんなさい……」

 

 再び謝罪の言葉を繰り返しそうになったのを中断して、けれども城主はまだ同じことしか言えないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからひとまず、赤ずきんに二人を任せることにして……有子たちは朝食を摂るべく、揃って食堂に戻ってきた。作りかけの食事を、みんなで手分けして完成までさせて……配膳が終わった頃には、いつも食事を終えて解散する時刻になっていた。

 

「とりあえず、二人のことはせつなちゃんに任せることにしたけどよぃ……。他のことはどうすっかぃ」

「なんで伊海田君が仕切ってんの?」

「んなの誰だっていいだろぃ!」

「いつもやってくれる二人が、オネンネしちゃってるからねぇん」

 

 率先して伊海田が方針について話し始めてくれたところで、双子がつっこむ。有子はそういう役は大層苦手なため、仕切り役を買って出てくれるのはとてもありがたかったのだが……。確かに、いつものメンツではないと少し不思議な感じだ。

 加連はあははと笑いながら、身体を傾けて訊ねる。

 

「とりま、みんなが良いなら食事の用意とかは俺がやろっかなーて思うけど、どぅお? 今日みたいにみんなでやるのもいいけど〜、こゆのは、ぱぱっと終わった方がいーよね?」

「え、加連が?」

「うんー。スイとたぬちゃんが作ってたやつとか、白雪ちゃんたちが作ってたやつならなんとか……再現出来ると思うんだよねー」

「結構限られてる感じの言い方だけど、だいぶレパートリー広いよそれ?」

 

 有子は驚いたが、確かに……この靴職人はかなり器用な部類であると感じていた。作ってくれる、と名乗り出てくれるのは大変ありがたいが……?

 

「私はお任せしたいと思います。申し出てくれるのはありがたいことだもの。それに、心配ないと思うわ。加連君は器用だから……」

「……そんなことないと思うけどねぇ〜」

「んじゃあメシの支度は、加連! 頼むなぃ!」

 

 泡淵の意見で、加連が食事係に任命されることになった。そういえば……。以前、あの有能な執事の代わりに、何度か彼も調理当番を担っていたことを思い返す。確かに、この靴職人に一任することが正解だと有子も思った。それを抜きにしても、せっかく本人にやる気があるのだから仕事をさせて、余計なことを考える隙を与えないほうがいいだろう。

 

「とりあえず食事面はこれで解決するとして」

「どうしよっか」

「どうするってぃ……言ってもなぁ……。やっぱ、やることは変わらんだろぃ。青錆だって、まだ全快じゃねんだぜぃ?」

「え、あっ……いやっ……! あの、ほ、ほんとに吾輩は、大丈夫ですからっ……」

「いいからレイくんは座ってて!」

「ヒン…………」

 

 レナードが立ち上がりそうになったところへ、有子は迷わず大人しくさせた。少なくとも、安静にしていれば酷くなることはないはずだ。

 

「……まあ、伊海田の意見は最もだよな。俺らに残された選択肢は、一刻も早く脱出方法を見つけるか、さっさと誰か殺すか――」

「冗談! ……やめなよって、きくね……」

 

 珍しく菊音が物騒なことを言い掛けて、夜羽がそれを止める。周囲の反応を伺うように、飴細工職人は視線を動かした。

 

「双子ちゃん、やりずらそ〜ね〜」

「ツッコミブレーキいねぇかんなぁ……。てか、加連はなんでそんな落ち着いてんだよぃ!?」

「ええ? そお? ……んまあ、俺ん中じゃ手っ取り早い案がもうあるからさぁ」

「なんだ!? 早く言えってぃ!」

「だからぁ、俺が死ぬのー」

「お前そんなんダメに決まってんだろぃ!!」

「さっき冗談って言ってたよねえ!?」

「あっは、よはねちゃん、きくねちゃんみたぁい」

「加連君、ふざけないで」

「はいはい〜。ジョーダン、ジョーダン」

 

 生徒たちから怒鳴られても、当の本人は気楽なものだ。あの泡淵だって、今まで一度も見たことがないくらいに眉を吊り上げて怒っている。

 軽く流した加連の隣に、とことこと小柄な少女が寄って行く。火燈だ。彼女は静かに……そう、静かに。俯いていた顔を上げた。

 

「……加連くん」

「なんに? 火燈ちゃん」

「三度目はないからね。わ、わたし! 次こそ……お、怒るよっ!」

「……あーい。怖いからもー言わないよん」

 

 ふるふると、握り締める拳を微かに震わせながら精一杯睨み上げる奇術師を見て、靴職人は大人しく引き下がる。……あんなに怒る彼女は初めて見た。本気で怒らせてしまったら、それこそどうだってなってしまいそうな……。

 

 

 

 

「というかさ、あれどうなった?」

「あれって?」

「白雪が姫ヶ原に頼んでたやつだよ。"爆弾"」

「あー……」

 

 唐突に飛び出た疑問の詳細に心当たりが無く、有子は首を傾げた。丁寧に菊音が言い換えて、ようやく"それ"を理解した。"()()"……全員でここから脱出する方法として、白雪はとても乱暴な案を提示した。それに必要な()()を用意するため、姫ヶ原が製作を引き受けていたのだった。そういえばそんな話があったなということを、まさにたった今、思い出すまで忘れてしまっていた。

 

「確かにぃ! そいや、オレらでがんばろうっつってたばっかだったよなぃ! なんで、姐さんはあんな強行突破……」

 

 はっとしたように伊海田が大きな声を出す。有子も同じことを思った。全員が彼女の成果を待っている折に……彼女は鷺沼を殺害したのだ。その目的の何より重要なことは、彼を排除することそのものではなく――全員で脱出することであったはずだ。

 

「私はてっきり……。彼女が犯行を選んだということが、その答えだと思っていました」

「赤柳君と白雪さんが事件後に突っ込まなかったのも、たぶん泡淵さんと同じ考えだったからだと思うな。でも実際のところ、どうだったんだろね?」

「……あの。それ……。わ、吾輩も……自分なりに、計算、してみていたんですけど……。()()()()だったのでは、ないかと……」

「素材不足?」

 

 城主の言葉を生徒たちがオウム返しする。彼のように、自ら検証を行なっていた生徒は皆無だったろう。有子もその一人であった。専門的なことはその道のプロである科学者に任せるべきだと思っていたし――有子たちに、それほどの知識が備わっていなかったからだ。

 レナードはこくりと控えめに頷いてから、ゆっくりと説明を始めた。

 

「結論から言えば……姫ヶ原氏ならば、小型爆弾自体は作成可能だったと思います……。ですが、その……学園施設内で利用可能な材料は、著しく限定されていますし……。試行錯誤の過程だとしても、そこでアクシデントが起これば、それこそ事件が起こってしまいかねません……。ほぼ一発勝負の条件で、最大火力を引き出す必要があるのですけど……。その威力が、全員がスムーズに脱出可能な規模の風穴を、生み出せるかという問題は……」

「うー……ん、と……」

「……すみません、言い方を変えますね。現時点で集められる素材では、"あの扉"の破壊も、壁に穴を開けるほどの強い爆弾を作ることは不可能です。……だからたぶん、姫ヶ原氏は……ルールに則る方へシフトチェンジしたんだと思います……」

「なるほど……」

 

 言い換えられた後の端的な説明で、有子はようやく状況を理解出来た。つまり――……「自作爆弾」を用いる方法では、全員の脱出は不可能である、ということ。そのことが分かった上で、全員が助かる他の方法を試行したのが先の事件の真相である、ということ……。食えない態度の科学者は、きっとひとりであれやこれやと考えていたのだ。それこそ、有子が考えもしないことも、たくさん、たくさん……。

 それから、話し合いはあまり進展せず……ひとまず、一時解散という運びになった。有子は章平と共に二人並んで食堂を後にした。

 

 

 

 

 

 

 赤ずきんに二人の世話を頼むことにしたとはいえ、有子も出来る限りの手伝いをしようと思った。何より、白雪姫には毎度気を遣って助けてもらっていて、笛吹き男には白うさぎが大層世話になっている。これまでの二人への恩を返す……という点を抜きにしても、クラスメイトが大変な時に、呑気に人任せにしていられるたちではない。

 早速介護士に何か出来ることがないか尋ねると、彼女は少しだけ考えた後、有子と章平のパジャマになるような服を借りたいと言い出したのだった。その申し出を不思議に思いつつ、幼馴染にも促して二着のゆったりとしたルームウェアを保健室に持って来たのだった。

 

「せつなちゃん、これ。言われたやつ」

「ありがとお! 二人の、かりるねー!」

「パジャマなんて、何に使うんだい?」

 

 頼まれた物を持ってくれば、星永は思いの外嬉しそうに感謝を述べてくれた。章平の素直な疑問に、星永はうんと快く答えた。

 

「ねぐるしいと、つらいからね。とりあえず、おきがえしようとおもったの」

「そっか、それでパジャマになる服を」

「じぶんのがいーとは、思ったけど……。ぼく、ふたりのあいかぎ、もってないからねー……」

 

 "合鍵"制度を初日以降で活用したのは、もっぱら身体の弱いレナードくらいだろう。そのくらい、この"合鍵授与"へのハードルは依然として高かった。ある程度以上の信頼関係を構築していなければ、それを自ら預けようという発想に至らないのだ。有子ももちろん、章平以外とそのやり取りをしていなかった。一般人の有子でさえそうなのだから、ひときわしっかり者で警戒心の強い二人が活用しないのは、当然と言えば当然のことだった。

 早速赤ずきんがパジャマを二人に着せるべく、ベッドに近付く。それを見て、あっと章平が声を上げる。

 

「ずきんちゃん、お手伝いするよ!」

「んーん、だいじょぶ! ぼくなれてるからねぇ。しょーへーちゃん、おとこのこだから、あっちむいてて!」

「分かったよずきんちゃん!」

 

 白雪の胸元のリボンを解くと、星永は章平に目をそらすように命じる。その理由も何も分かっていないだろううさぎは、しかし素直にその指示に従った。「お手伝い」のひとつと認識したのだろうか。有子はちらと隣で壁に向かう幼馴染を見やり、星永に視線を戻す。なるほど、慣れた手つきで素早くてきぱきと意識の無い人間から衣服を剥ぎ取り、柔らかくゆったりした布を纏わせていく。ほんの数分で白雪の着替えを完了させ、星永は満足げに頷く。

 

「よーし。しょーへーちゃん、もーいーよー!」

「うん! ……わあ! 白雪ちゃんはもうお着替えを済ませたのかい?」

「あっというま、でしょお〜」

「ずきんちゃんはすごいねえ! さすが介護士さんだ!」

「えへ〜。しこくちゃんも、おきがえしようね〜」

 

 にこりと笑うと、赤ずきんはぴょんと隣のベッドに移動する。そのままするりと手を動かし、普段なら決して許されないであろう頬撫でをし、眠る彼のジャケットを脱がせてネクタイを解いた。有子は白雪の時と同じように、シワにならないように衣服を畳む。まとめて洗濯してしまえば良いといえばそれまでだが、だからと言って畳まない理由は有子には無かった。相変わらず調子良くシャツのボタンを開けていた星永の手が、急にふと止まった。

 

「……せつなちゃん?」

「…………」

 

 穏やかに上下する胸の上で制止した手は、シャツを掴んだまま離さない。赤ずきんの視線はその服の下に注がれていた。どうしたのだろうと有子が覗き込もうとすれば、慌てて隠すようにして星永はシャツから手を離す。

 

「あはは、ちょっとびっくりしちゃったあ」

「どうかした? ……まさか、赤柳くん……」

「うーうん! だいじょぶ! しこくちゃんはげんきにねんねしてるよぉ! ……あのねえふたりとも、ここはぼくにまかせてほしいな!」

「え、ずきんちゃん、一体……」

「だいじょぶ! だいじょぶ! ふたりのおせわはぼくにまかせてぇ!」

 

 有子たちが詳細を尋ねる間もなく、あははと誤魔化し笑いを続けながら赤ずきんは部屋の外に追いやってくる。そうして、満面の笑みを浮かべながらぴしゃりと扉は閉じられ――……。

 

「なん……だったんだろうね?」

「ね……」

 

 いきなり手持ち無沙汰になってしまった。有子は白うさぎと顔を見合わせつつも、その場を離れることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 そして、翌日。欠席者は昏睡している二人と、介助者の星永の三名。いつもより寂しい朝食会では、昨日の会議の続きが繰り広げられていた。

 

「青錆君、早速せつなちゃんといろいろ話してたみたいだけど……何か進展はあった?」

「はい……。世絆氏から、詳しい症状を聞いて……ひとまず、処置を提案してみたのですが……」

「ですが?」

「……現状、思いつく限りの方法は……お二人の身体に、かなり、負担がかかってしまうそうで……。すべて……却下されてしまいました……」

 

 もごもごと言い淀むのを双子が促して、レナードは悔しそうに続きの言葉を述べる。肩を落としてしょぼくれる様は、まるで叱られている仔犬のようだ、と有子は思った。

 夜羽が面白くなさそうに首を捻って、眉を顰める。

 

「方法なんて選んでる場合なの? それこそ、片っ端から試してみるんじゃダメなのかな」

「ううん……。強制的に、脳を覚醒させる方法が……手っ取り早いんですけど……。彼女の言う通り、荒っぽ過ぎる上に……リスクが高いので……。覚醒どころか、それで機能停止させてしまったら……」

「要するに……一歩間違えりゃ、殺すかもしれねぇ方法ってことかぃ? 荒い……なぁ、そりゃあ……」

「もう少し平和な方法は見つからないの?」

「すみません……。あんな啖呵を切っておいて……。さすがに、知識不足です……。とにかく、すこし……図書室で、医学書や呪いの文献を……漁ってみようかな、と……」

 

 どうやら現時点で解決策は皆無らしい。レナードはこの中で最も知識が豊富な生徒だが、彼が思いつかないとなると……。ううむ、案外難航しそうだな。有子もまた少し不安が湧き起こってしまう。……が、隣のうさぎは相変わらず呑気に食事を堪能していた。

 かちゃり、と。そのまま城主の言葉を遮るようにカトラリーの音を立てて、静かに靴職人が横やりを入れてきた。

 

「それは助かるんだけどさぁ〜……。青錆ちゃん、あんまりあっちこっち動き回るの、よしなよ?」

「…………すみません……」

「なに? また具合悪いの?」

 

 ほのかに不機嫌を孕んだその声色に、青錆はおとなしく謝罪の言葉を呟くしかなかった。ますますしょぼくれる仔犬である。

 聞き逃さなかった双子が、さらに突っ込むように加連に顔を向けた。

 

「昨日ね、廊下でうずくまってたんよ。割とすぐ落ち着いたみたいだったからいいけど、相当苦しそうだったし……。あれ、発作かなんかじゃないの? 流石にそこまで無理させらんないよ」

「……出来ることを、したいんです……。皆さんに、ご迷惑は……お掛けしないよう、気をつけます……。ごめんなさい……」

「あのねぇ、そゆことじゃないんよねえ〜」

 

 呆れたように肩を竦めて、加連はやれやれと青錆を見つめる。

 突然カシャンと腕を落としてふらふらと左右に揺れた城主を、隣の漁師が咄嗟に支えた。

 

「お、おい! あぶね……大丈夫かぃ?」

「言ってるそばからダメそうじゃん」

「……ごめ……なさい。ちょっと、めまいがして……」

「お前、またテーケットー? なんじゃねぇのかぃ? ゆっくりでいーから、ちゃんと食べようなぃ。んで、食べ終わったら部屋で休もうぜぃ。な? とにかく今日は一日、寝てようなぃ?」

「俺もこたろにさんせ〜。とりあえず明日から頑張ろーよ。今日は俺らが……」

「いえ、出来ます、やれます、大丈夫です。やります。やります。じゃないと、そうじゃないと……」

「落ち着けって! んな身体で、また倒れちまうだろ……」

 

 城主のそれは、健全には到底見えないほどの焦燥に駆り立てられたような姿だ。親切な漁師は、彼の身体を支えながら手に持つ箸をぎゅっと握らせてやった。やっとのことでレナードは姿勢を取り直すも、まだあまり力が入っていないように見える。

 彼らのやりとりを黙って見ていた生徒たちも、だんだん表情が険しくなっていく。かつんと皿の上のウインナーを突き刺して、夜羽が口を開く。

 

「それにさ、青錆君。身を粉にして働く前に、僕たちに話すことがあんじゃないの?」

「…………」

 

 その苛立ちを孕んだ厳しい口調にも、彼は黙りを決め込んで……。

 

「……ごめんなさい……」

 

 そしてまた、蚊の鳴くような声で謝罪の言葉をひとつ述べるだけだった。

 彼が何も話さないのを諦めてからは、そうと一言呟くだけ。居た堪れない空気が一同を襲う。有子は間に入ることも出来ず、ただ縮こまるレナードを見守ることしか出来なかった……。

 

 

 

 

 

 

 その日の夕食に、レナードは姿を現さなかった。元から続いていた体調不良も相まって、やはり個室でゆっくり食事をする方が良いと介護士が判断したそうだ。

 朝食会での様子が心配で、有子は昼間に何度か会いに行こうと考えたのだが、その日は章平やら泡淵やら、火燈やら。有子を捕まえてくる人物が多かった。だから、夕食時こそ少しでも話し掛けようと思ったのだが……。それも、今は難しそうだ。

 いつも通りの章平の号令で、いつも通りの食事会が始まった。けれども、初回よりも参加人数がかなり少なくなったこの会食の空気感は、以前と同じようだとは到底言い難かった。

 

「菓子パしよう」

 

 唐突に神妙な顔立ちから飛び出した台詞は、なんだかとても楽しくて可愛らしい提案だった。その場にいた一同は、きょとんとして彼の目を見つめる。

 

「よはね?」

「……ほら、なんか……。雰囲気暗いじゃん。寝てる二人はしょーがないとしても、起きてるみんなでまた親睦会しようよ」

 

 突然の企画に驚いたのは、彼の片割れも同じだったらしい。ぱちくりと数度まばたきをしてから、菊音は夜羽の顔を覗き込んだ。

 改めて有子たちを見回して、飴細工職人は困ったように肩をすくめる。確かに……彼の言うことはもっともだった。今回動機として提示されたのは、他でもない仲間の命そのものである。何もしないままで過ごすことでさえ、殺人に加担することになってしまうのだ。けれども、有子たちには打開する方法がまるで分からず、ただこころをすり減らしながら一日を過ごしていた……。

 すかさず泡淵がカタカタとキーボードを叩く。

 

「たしかに、気晴らしになるかもしれませんね。すこしゆっくり休みましょう。このところ、みんな働き詰めだったもの」

「そだなぃ、甘いもん食って……疲れたところにちょうど良いぜぃ!」

「ぼくも食べたいな! 前のお茶会の時のも、とても美味しかったから!」

 

 生徒たちが次々と賛成の言葉を述べれば、すっかり雰囲気が切り替わる。何よりも早く脱出するべき場で……いや、だからこそ。一度頭と体の疲れをリセットする必要がある。疲労が溜まれば、作業効率は下がるのだ。休息は各々適宜とっているとはいえ、精神的な休養はほとんど皆無だった。だからこその()()()という提案なのだろう。

 善は急げ。早速明日開催しようと意気込んで、今回はその場にいた全員で手分けして準備を進めることにした。主催のパティシエ双子はお菓子作りに専念してもらうため、夕食後は有子も会場設営でぱたぱた動き回ることとなった。

 急な企画で忙しかったのだが、みんなの団結力が強まったような気がして、有子はとても晴れやかな気分だった。

 

 

 

 

 設営がひと段落したところで、有子はちょうどひとりになっていた夜羽を見つけた。どうやらメインのお菓子の方も丁度キリの良いところだったようで、これ幸いと有子は話しかけに寄った。

 

「ありがとう、夜羽くん。みんなの雰囲気変わったみたい」

「いや。前からリフレッシュ企画かなんか、やろうって言ってたじゃない? だからちょっと考えてたんだよね。ちょうど良いかなって」

 

 確かに、パティシエ双子の得意分野であるのだから、お菓子パーティーという考えがすぐに浮かぶのは納得出来た。有子には彼らのような取り柄は無いから……余計に、それが少し羨ましくも思えた。

 彼はすぐに目を伏せて、表情に影を帯びさせる。

 

「……特に青錆君さ、前から割と陰気な感じだったけど……最近よりひどいじゃん。お茶会した時は喜んでくれてたし、またやろうって言ったし。……丁度いいかなって」

「意外。夜羽くんも、ちゃんとみんなを見てるんだね」

「失礼だな」

「いや、ごめん……。そういうのって、菊音ちゃんの方が言いそうだなーって思って……。そりゃ双子ちゃんだし、考えることは似てるよね」

「あー……。うん、きくねも同じこと言ってたから」

「あ、やっぱり?」

 

 少しだけ違和感を覚えた有子だったが、しかしそれは些細なものだ。そんなことより、彼の提案の方が大事だった。有子は出来得ることの惜しみない協力を申し出て、準備の続きに取り掛かったのだった。

 こうして、あっという間に夜は更けた……。眠気が限界に達した生徒から休んでいって、大方準備が整ったところで有子も個室へ戻った。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 それから、翌日。朝食はとても簡単に済ませて、いつぞやの時と同じように昼食兼お菓子パーティーを開催することになった。今朝も姿を見せなかったレナードを心配に思ったが、有子が食堂の前に来る頃には、もう既に到着していた。星永と伊海田が引き摺るように連れてきたようだった。

 

「あ、良かった。レイくんも来た」

「連れてきたぞぃ!」

「あ、あの……。皆さん、お揃いで……。いったい、これから、何をなさるんです……?」

「あれ? レイくん、聞いてないの?」

 

 伊海田に腕をがっちりと掴まれて逃げられない彼は、怯えるように震えながらふるふると首を振った。これから餌食となる運命を悟った小動物のような彼の姿は、とても可哀想に思えた。

 

「伊海田くん……。怖がってるじゃない、何したの?」

「なん!? なんもしてねぇよぃ!? ただ、話も聞かずに、顔見るなり逃げようとするから……」

「れーちゃん、これからねー、みんなでー、たのしいことするんだよー?」

 

 わたわたする大男の隣で、小さな少女がにっこりと微笑む。今日の城主の周りは賑やかで楽しそうだ。

 それから程なく残りの生徒たちも集合して、先に中で準備をしていた面々が頃合いを測って扉を開く。その瞬間、甘い香りが鼻をくすぐった。

 

【挿絵表示】

 

「いえーい、おまたせ〜!」

「じゃーん! パティシエお手製プチフールパーティーだ!」

「たくさん焼いたからいっぱい食べなよー」

 

 テーブルの上に並べられた、一口大の様々な種類のケーキ。どれもこれもがひとつひとつ見た目も華やかで美しく、同時に食欲をそそる姿をして鎮座していた。有子はスイーツバイキングが大好きだ。甘いものも、お菓子も、何せケーキだなんて、女の子の夢と憧れが詰まった甘味である。うわあと目を輝かせて、たちまち一同が笑顔になっていく。もちろん有子もそのひとりだった。輝く瞳のまま、生徒たちは席に着く。待ちきれない! と言わんばかりの表情で、けれども待てを指示された仔犬のように。大人しく見つめるだけで手は出さない。いつもの号令を聞いてからでないと、食事は始められないのだ。

 しばらくしても、白うさぎの挨拶が聞こえないので、有子は隣を見る。章平はケーキではなく、あさっての方向を見つめていた。その視線の先には……。

 

「青錆君も席つきなよ」

「…………」

「みんなのために用意したんだぜ?」

 

 ほらほらと菊音が背中を押して、ようやく彼は遠慮がちにいつもの席に座った。生徒たちの注目を浴びる。おどおどとあちこちへ視線を遊ばせ、小さくなって、居心地が悪そうに首を傾ける。

 ――そしてついに、かの城主は意を決したように口を開く。

 

「……あ、あの! ぼ、ぼく……ぼくっ……! その、……っ、あ、の………………」

 

 ……けれども、彼はまだ、その一歩は踏み出せないようで……。

 

「…………………………」

 

 おろおろと言葉を選ぶように詰まらせていた声も無くなり。ただ彼は、何かを言い掛けてそのまま押し黙ってしまうだけだった。

 これには生徒たちも面白くない顔をする。

 

「……青錆。本当に何か知ってるのなら、そろそろ俺たちに共有すべきなんじゃないのか?」

「……きくねの言い方はきついけど、僕もそう思う。君だって今の状況、分かってんでしょ? 勇気とか覚悟とか、そんなの準備してる余裕ないよ」

「…………」

 

 双子の言うことはもっともである。鋭い眼差しを突き付けられた城主は、また縮こまって俯いて。黙りを決め込んでしまう。……いや、きっと彼の頭の中では、たくさんの弁明の言葉が行き交っているのだろう。けれどそのどれもを口に出すことはせず……ただじっと、生徒たちの苛立ちを受け止めた。その様がとても痛々しくて居た堪れなくなったのか……慌てて伊海田が立ち上がる。

 

「……あー、あ、あー! い……いいからよぃ、青錆! 今日は楽しもうぜぃ!」

「……い、かいだ、し……」

「難しいことはナシにしてよぃ! 今日はうまいもん食って、寝て、それで明日また頑張ろうぜぃ? な?」

「…………」

「まあそれもそうだよね。ごめん、空気悪くした。主催者だってのにね」

「そんな、夜羽君。こういう会を開いてくれただけで感謝しています。ありがとう。菊音ちゃんも。たくさんお菓子を食べちゃいましょう」

「うん。どうぞみんな。たーんと召し上がれ」

 

 双子の言葉を合図に。空気が切り替わり、楽しいお菓子パーティーは幕を開けた。早速ひとくち含んで歓喜の唸りを上げる生徒たちを見つめながら、有子もひとくち。

 ……それはこの世の天国だった。

 以前もティーパーティーで双子の作った菓子を口にしたことはあったが、今回はさらに格別な美味しさだった。濃厚なフルーツのソース……。甘みが控えめのスポンジは、ソースの果実本来の味を引き立てている。食感も面白く、ふんわりと口溶けの良い生地の中に、カリカリと砕かれたキャンディが顔を出す。ひとくちふたくちと噛みたくなる心地良さだ。そうして噛めば噛むほどキャンディのフレーバーが混ざり合う。飴の味も、ソースと同じ果物の味のようで調和がとれている……。

 

「うわあ、おいしいー!」

「いちごだあ!」

「おいひいぃ……」

「思わず笑みが溢れてしまうわ」

 

 小さなケーキたちは、それぞれひとつひとつ見た目も味も違う。イチゴに、ピーチ、オレンジ、マスカット……。まるで美しい宝石のようなそれらは、見た目も華やかで楽しめた。目と、鼻と、舌で。特別なスイーツを味わう有子たちは、もはや魔法使いのお菓子の虜だ。

 

「これめっちゃ好きかもしれん!」

「こたニキ、こっちも美味しいよ〜」

「オレンジのやつ、見た目すごいかわいいね!」

「これキウイ?」

「そう! こっちのキャンディもキウイのやつで……」

 

 生徒たちはそれぞれ、次はどれにしよう、あれにしよう、これもおいしい、などなど……。夢中になってスイーツパラダイスを楽しんだ。それはまるで、お菓子の家を目の当たりにしたヘンゼルとグレーテルのよう。現実の彼らは作り手なのだが……二人も同じように、自信作を堪能していた。美味しいお菓子は、それだけで子どもたちを魅了してしまうのだ。

 久々に楽しい時間だ、と有子は思った。わいわいと盛り上がって、一同に笑顔が戻ってゆくのにつられ、自然と気分が上がっていった。うん。これなら、大丈夫。美味しいお菓子をまたひとくち放り込んで、有子はこれからのことを少し考えた。まだ事態は微塵も好転していない。けれどこのティーブレイクは、子どもたちの意識をあっという間に前向きにさせてしまった。あの執事の時のティーパーティーもそうだったが……。それは、まるで文字通り。()()のような至福の時間だった。

 

 

 

 

「……れーちゃん、くるしい? だいじょぶ……?」

 

 不意に不安げな声が聞こえて、生徒たちの心地の良い会話が途切れる。見れば、青錆が胸を抑えて浅い呼吸をしていた。星永が手を止めてすぐさま席を立とうとすれば、彼は片手を控えめに挙げふるふると首を振り彼女を留まらせた。

 

「だい……じょぶ……。ごめ、……気に……しないで、くださ……」

「……気にしないは無理でしょ。ホントに大丈夫? ヘンなものは入れてないはずだけど……」

「っだいじょぶ、です!」

 

 びくっと、有子の肩が一瞬上がる。レナードは深く息を吐いて、それからゆっくりと吸った。呼吸はすこし落ち着いたようだった。

 

「大丈夫、なので……。……ほっといて、ください……。すこし、やすめば、いい……だけ、なので……」

「おい!」

 

 そう言ってゆっくり立ち上がると、覚束無い足取りで食堂を出て行こうとする。そしてふらつき倒れそうになったところを、間一髪、伊海田が抱き止めた。

 

「……ぁ、ごめ……なさ……」

「待て待てぃ、そんなんじゃひとりで行かせらんねぇぜぃ!?」

「だいじょぶ、ですって、ば……」

 

 か細い声で謝罪の言葉を呟きながら、また立ち上がろうとする城主に、漁師は掴み掛かって引き止める。今度は確かに拒絶の意思を孕ませながら、逃げるように城主はその手を離れた。

 

「レイくん……。ほんとに、平気なの?」

「すみ、ませ……。せっかく、お菓子……。部屋ですこし、ねてきます……」

「送るよ、青錆ちゃん」

「いい……! です……! ……ひとりで、いきます、から……」

 

 有子の声掛けにも、彼は似たような返事しかしてくれなかった。他の生徒数人と目を合わせてから、加連がすぐに立ち上がって駆け寄る。心配そうにおろおろとする漁師にも目配せをして、今度は彼が隣に立った。けれど……強く否定するように。城主はまた声を荒げた。その態度は、かえって心配を助長して……靴職人はわずかに眉を顰めて、幼子に無理やり言い聞かせるかのように少し語気を強くする。

 

「それはダメだよ、ふらふらじゃん……。今にも倒れそうなのに、そんなんでひとりにさせらんないよ」

「……っ、ひとりに、してって……! 言ってんですよ!」

 

 ……大きな声でなくても。彼にしてはかなり強い語調でそう言って、構わずバタンと振り切るように出て行ってしまった。加連は手を伸ばしたまま、結局何も掴むことはなく……。不服そうにきゅっと静かに拳を握りしめてから、生徒たちを振り返った。

 

「……ほんとに一人にしていいと思う?」

「正直、良いとは思えないけど……。でも、あの拒絶の仕方じゃ、今追いかけても同じことじゃん?」

「具合が良くないと、気が立ってしまうこともありますから……。彼が落ち着くのを待って……その時に処置する方が良いかもしれないわ」

 

 菊音の言うことはもっともである。泡淵が少し悩んでから穏やかにタイピングをすれば、生徒たちは、なるほどそれもあるかと、城主の態度が腑に落ちたようだった。隣で大人しくしていた赤ずきんが、心配そうに眉を下げていたのを切り替えて、控えめな音をさせて立ち上がる。

 

「ん……。ぼく、ちょっと様子見てくるね」

「せつなちゃん、でもよぃ……」

「だいじょぶ。遠くからなら今のれーちゃんには気付かれないでしょ。ぼくちっちゃいし! とちゅうでたおれちゃってたほうが、心配だもの……。その時は、よびにくるから、よろしくねー」

 

 ぱたぱたと小走りで赤ずきんが出ていく。残された有子たちは……しかし、そのままパーティーを楽しむ空気にはなれず……。一同は顔を見合わせて、控えめに残りのスイーツを味わった。

 しばらくして星永が戻って来て、彼が無事自室に辿り着いたことを知っても、さきほどのような楽しい雰囲気は何処へやら。有子は皿の上の、食べかけのケーキに視線を落とした。無理をさせてしまったのかもしれない。最近はずっと具合が悪そうだったし、彼の心にはまだしこりが残っているままだ。それをどうにかすることも出来ずに……もしかしたら、皆で楽しそうにしているこの会が、彼にとっては苦痛だったのかも。そんな悪い憶測を立てて、勝手にぐるぐる、思考を巡らせてしまう。

 

「……ていうかさあ」

 

 やれやれと呆れたようなため息を吐きながら、双子の片割れが呟いた。それは不機嫌を孕んだ声色で、頬杖をつきながら皿の上のケーキをつつく。

 

「ぶっちゃけあいつが"悪役(ヴィラン)"なんじゃないの?」

 

 かつん、と。皿とフォークがぶつかる音が響く。続いてがたんと椅子の動く音がして、見れば伊海田が立ち上がっていた。

 

「おい……! 冗談でもそんなこと言うなよぃ!」

「でもだってそうでしょ? あいつの()()()()()()って、じゃあ何なの? って話」

「そりゃあ……。そりゃ、なんか、言い辛ぇ話なんだよぃ……! なんか、事情があってぃ……」

「そもそもさ、仮に"悪役(ヴィラン)"なんかじゃなくたって、ひとりだけ何か情報を持ってるのはおかしいよな。だったらそれって、"()()()()"ってことになるんじゃないの?」

「きくね!」

 

 ヒートアップしていく前に、横の片割れがそれを止めた。彼は珍しく表情を歪めて、相方を叱りつけるように睨んだ後、すぐに悲しそうに視線を落とした。

 

「……よくない。よくないよ、そういうの」

「…………」

「夜羽くんの言う通りだよ。どうしちゃったの、菊音ちゃん……」

「ちょっとイライラしてるだけだよ。ね、きくね?」

 

 思わず有子がらしくないと口を挟んで、ヘンゼルは曖昧に微笑んで見せた。相変わらずケーキをつつくグレーテルは、いつもの彼女らしくない。もしかすると、折角の職人のお菓子たちを台無しにされてしまって、怒っているのかもしれない。……けれど、結局。その真相は分からないまま……最悪の形でパーティーは幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 それから。またレナードは有子たちの前に姿を現さなくなってしまった。菓子パーティーの後の夕食もそうだし、今朝の朝食会もそうだ。赤ずきんの話では、体調の方はひとまず心配しなくても良いということだったのだが……。それでも、生徒たちとの関係にヒビが入りつつある。

 彼の様子が急変したのは、やはり"動機"……。眠り姫の呪いによって、赤柳と白雪が生死の淵に立たされてしまっていることが大きいだろう。二人が倒れてから、もう4日。介護士が提示した猶予のことを考えると、いよいよ事態は深刻である。なんとかしないと。焦る気持ちが、速る足に表れていた。

 

「加連くん」

「あらあ、国中ちゃん。こんちゃ〜」

 

 そうして廊下を歩いていると、ぱったり靴職人に出くわした。どうやら彼はこのところ、色々な場所をふらふら放浪しているようで……。相変わらず、靴の製作には取り組んでいないようだった。

 

「何してたの?」

「何しよっかな〜て、ぷらぷらしてる〜。昨日から火燈ちゃんつれないからさぁ〜」

 

 そういえば、と有子は言われて思い出す。あの奇術師と彼は、例の執事……鷺沼のことで絆を深め合った様子で、最近はよく一緒にいるところを見かけていた。

 

「もう靴は作らないの?」

「んー……。前も言ったけど、俺にはもう理由がないからねぇん」

 

 言ってしまってから、しまったと口に手を当てた。しかしそれも時既に遅し。有子のデリカシーの無い発言は、しっかり相手の耳に届いてしまっていた。何か言わなければ。有子は視線を泳がせてから、素直に思ったことを口にすることにした。

 

「あの……加連くん。その……。ほんとうに、ごめんなさい……」

「んぇー? 何の話ー?」

「鷺沼くんのこと……。鷺沼くんは……わたしたちが殺したようなものでしょう?」

 

 有子がそう言うと、しん、と空気が凍るような気配がした。再びしまったと思って顔を上げれば、そこにはいつもの柔和な彼の顔があった。朗らかに微笑んで、こちらを見つめている。彼は更に目を細めてから、ゆっくりと口を開いた。

 

「…………あっは。やだなぁ、国中ちゃん。俺ぇ、そぉんなことぜーんぜん思ってないよぉ〜?」

「で、でも、わたしは……。もし、ショウくんが死んじゃったら、きっとそう考えると思う……」

 

 いつも通りのその姿が痛々しくて、有子はまた言葉を続けた。本当のことだったからだ。本当に、彼がそんなことになってしまったのなら……。きっと、有子は正気ではいられない。

 

「どうしてショウくんが死ななきゃいけなかったのって、それこそ姫ヶ原さんが言ってたみたいに、ショウくんが普通じゃないって、だからそれに苦しんでたって、世界がショウくんの敵だったなんて、そんなことを言われたら……」

「……国中ちゃんさぁ」

 

 有子は驚いて口を噤む。その加連の声は、聞いたことの無い低い声だったのだ。

 

「そうやって煽んのやめてくれる?」

「っ……」

 

 無表情。なんの感情も浮かべていない顔。しかしその真っ暗な瞳の奥には、信じられないほど大きな怒りが隠れているように見えて、有子は声にならない悲鳴を上げた。じっと見つめるその深淵は、憎悪で有子を飲み込んでしまいそうだった。けれどもすぐにその目はにこりと閉じられ、有子は恐怖から開放される。

 

「……あっは。怖かった? ごめぇん、俺ぇ、今自分でも何すっか分かんないからさぁ。そっとしといて。ね? ……お願いね」

 

 ()()()とは、言うものの。有無を言わさぬ語調で、しかしにこやかにそう言い放つ。有子はもちろん返事をすることすら出来ずに、ただ彼がその場を離れるのを見守ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 加連と別れてから、何とも形容し難い負の感情を抱えつつ、なんとか当初の目的地に辿り着いた。図書室である。久しぶりにじっくり調べ物をしようと寄ってみたのだ。本の山、端的に言えば知の宝庫である。かなりの蔵書があるため、数日程度でひとりが網羅出来る内容とは思えない。せめて内容確認の助けになろうというわけだ。……とはいえ、有子はレナードのように頭が良いわけではないから、何か直接的な手掛かりが拾えるとは考えていない。あくまで確認の協力……そのついでに、あわよくば何かのヒントを得られるかもしれない。そう思い、有子は適当な本を取り出して開いては捲り、時間をそれに費やすことにしたのだった。

 

「"未解決事件まとめ"?」

 

 いくつかの著書に目を通しつつ、棚の背表紙をなぞっていると、ふと気になる本を見つけた。そのままタイトルを声に出して読み上げる。大衆向けの読み物のようだったが、興味を引く題名だ。ぺらぺらと適当にページを捲り、流し見る。有子も耳にしたことのある凶悪事件から、初めて聞いたおぞましい陰惨な事件……それから、()()()()()が絡んでいるとされる事件のことまで……。

 到底気分の良いものとは言えない内容に、有子は早々に読み始めたことを後悔した。そして、これ以上はやめようと本を閉じ、元の棚に戻そうとしたところで――……。

 

「あっ」

 

 恐ろしい事件のまとめを見てしまったために、無意識に身体が震えていたようだ。うまく隙間に収めることが出来ず、取り落としてしまう。床に背表紙が当たって、ぱさりと本が開く。

 

「ああ……」

 

 自分の失態にやれやれとため息をついて、落ちた本に手を伸ばす。……しかし、その手は本を掴むことはなかった。宙にぴたりと静止して、有子は身を屈める。()()()()()()()()()()()()()()、確かめるように有子は再び本を手に取り、文章を目で追った。

 

 ――今からおよそ十年前。()()()()()()()()()()()()()、山賊による惨殺事件が起こった――……。

 

「…………シュヴァン城、で……」

 

 シュヴァン城、といえば。そう、ここにいるレナードである。彼は()()()()()()()()()であり、その功績を認められていま学園にいる。

 出版日を見れば、今年の8月ごろであった。そこから十年前、といえば……有子はせいぜい小学二年生くらいの頃だろう。有子は詳しくかの城主の生い立ちを知らないが……彼の本名のことを考えれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだということは、想像に難くなかった。

 

「つ、続きは……」

 

 すかさず有子は続きの文字を追う。そこには次のように記されていた。

 

 ――被害者は当時のシュヴァネンブルグ家当主と使用人を含む計18名。シュヴァン城にいた人間ほぼ全員だ。鋭利な刃物で切り付けられたような切傷が目立つ。犯人によって一人一人が数回に渡り切り付けられた可能性が高く、また当主と数名の遺体は外側から内臓を掻き出されたかのように惨い有様であった。唯一の生き残りは当時5歳の次期当主。第一発見者はシュヴァネンブルグ家の専属医補佐。凄惨な遺体の中、次期当主は守られるように倒れていたと、第一発見者は警察に語っている。現場の状況から、山賊の仕業であると見て捜査が続けられていたが、3年後突如として捜査打ち切りの発表があり、真相は未だ藪の中である――……。

 

「当時5歳の、次期、当主」

 

 ()()が誰のことを指している単語なのかを、有子はすぐに理解出来た。

 有子は本を閉じる。そして表紙をしばらく見つめてから、そっと棚へ戻した。今度はすんなり元の場所へ収まるそれを、またじっと見つめる。

 次に向かう場所は、明白だった。

 

 

 

 

 

 

 ピンポンと軽快なチャイムの音が鳴り響く。しばらく間が空いて、ドアが控えめに開く。部屋の主が訪問者を確認すると、すぐに大きく扉を開いた。

 

「有子さん……! こ、こんにちは……」

 

 心なしか嬉しそうな声色で、彼は有子を出迎えた。昨日の件もあって心配していたのだが……。よかった、今日はいくらか調子が良さそうだ。会話をするだけの余裕はあるようである。今がチャンスだと思い、有子は早速用件を口にした。

 

「レイくん……少し、話したいことがあって……。あの、聞いてもいい……?」

「はい、有子さん。何でしょう……? 吾輩に、お答え出来るものであれば……」

 

 彼は「立ち話もなんですから……」と、快く有子を部屋に招き入れた。この場所に立ち入るのは、彼が体調を崩した時以来だ。あの時はそれどころではなくて、ゆっくり見ることはなかったけれど……。きっちり整頓された綺麗な部屋だった。有子や章平、鷺沼の部屋より書物が多いように感じられた。机の上にはパソコンやゲーム機のようなものが置いてあり、その上にコントローラーが鎮座している。……けれど、あまりに取り出しにくそうな形で収納してあるので、彼がこの部屋であれらを手にしたことはほとんど無さそうだと感じた。

 

「……あの、お恥ずかしながら、片付いてないので……。あまり……見ないでいただけると……」

「あっ、ご、ごめんねっ! つい……」

 

 もじもじとしながら居心地が悪そうにそう言われて、有子はようやく失礼だったと気がついた。彼はそのまま、きょろきょろと辺りを見回して、テーブル脇の椅子を見つけ持って来てくれた。遠慮なくそれに腰掛けると、彼は向かいに座る。彼の姿勢が整えられたのを見てから、有子は早速あのね、と彼に向き直った。

 

「十年前……きみは、シュヴァン城にいたの?」

「……? ええ……まあ……。というか、吾輩、産まれた時からシュヴァンと共にいたと、聞いています……。母が、先代城主だったそうなので……」

「じゃあ、じゃあ……。きみのその、記憶のことって……やっぱり、事件のことが、関係……している?」

「………………」

 

 相変わらず彼は長い前髪で顔が隠れていた。出会った頃からずっと、そこから彼の感情をほとんど読み取ることが出来ないでいる。それでも、明らかに彼の表情が変わったのを、有子は空気で感じとった。

 ――青錆の、記憶――……。そう、それは、彼が少しだけ打ち明けてくれたこと。幼い頃の記憶が、ほとんど朧気で思い出せないと言っていたこと……。

 

「……何処でそれを?」

 

 滅多に聞かない低い声。空気を感じ取れずとも、不機嫌な声色に変化させてしまったことは馬鹿でも分かる。有子は自身の鼓動が速まるのを感じた。でも……。

 ――だったらそれって、"裏切り者"ってことになるんじゃないの?

 なんとかして、話さなくてはいけないと思った。彼のことを少しでも知らなければならないと思った。たとえそれが、仄暗い真実だとしても……。あの発言が、耳にこびりついて離れないのだ。

 

「と、図書室……。あの、ごめ、ごめんね……。こんなこと……聞かれたく、なかったよね……」

「……いえ。お気になさらないでください。……そう、図書室……そう、ですか……。それは、どのように記載されていたんですか?」

「え? えっと……。十年前、シュヴァン城で山賊による……惨殺、事件があった……って」

「そう……。ここも、そう……なんですね。すみません、変なことを聞いて……」

 

 不愉快な感情を抱かせてしまったと思いきや、唸るような声から一転、すぐにいつものくたびれた声色に戻る。有子から出た情報に、落胆したように肩を落とす彼の様子を不思議に思って、先程とは違う心持ちでまたこの話題に踏み込んだ。

 

「レイくんは……事件のことを、覚えてる……?」

「…………正直、あまり……。……その辺りから前が、本当にあやふやで……。あなたの仰る通り……それが、きっかけなのだろうな、とは……」

「犯人は、捕まったの……?」

「……どう、なんでしょうね。……正式な記録は、国が持っていると思います。……あの人たちには、全部、誤魔化されてしまったので……僕が知ることは、ほとんど何も無いんです。……けど……」

「けど?」

 

 後に続く接続詞を置いて押し黙ってしまった彼に、続きを促すように聞き返す。けれども、彼はそのまま時が止まったかのように、数分沈黙を置いて……。

 それから、ようやく。今にも泣き出しそうな、そんな震える声を漏らした。

 

「…………有子さん、僕、……ほんとうに。ほんとうに……ろくでもない人間なんです……」

 

 ……それはまるで、酷く、後悔しているような……。

 

「本当は……こうして息をしていることさえ、許されちゃいけない……。僕は……僕、……あの時、あの時国を追い出された時に……やっぱり。さっさと死んでおくべきだったんです……!」

「レイくん……」

 

 思わず有子が声を掛けると、レナードははっとして有子のことを見つめた。

 

「ご、ごめんなさい……! こんな話……! ……忘れて、ください……。出来るなら、ほんとうに、もう……僕なんかに関わらないで……」

 

 慌ててそう言い捨てると、逃げるように席を立って距離を取る。有子に背を向けて、窓際で一人、拒絶するように縮こまる。

 退室を促されたことは分かっていた。けれども有子は、ゆっくりと立ち上がって、それから一歩、また一歩。彼の元へ足を進める。

 

「ねぇ、レイくん。レイくんのこと、もっと知りたいな」

「ゆ、有子、さん……?」

 

 振り返ったその顔は、怯えた子犬のよう。潤んだ瞳が照明に反射して見えた。……ああ、彼は。いつもこうして、一人で泣いていたのか。

 有子はにっこり笑って、後退る彼の頬に両手を伸ばす。冷たく、思ったよりも随分と柔らかい感触。有子はさらに一歩踏み込んだ。かたんとベッドにそのまま倒れ込む。怯えるような彼の瞳は揺れていた。

 

「レイくん。レイくんはもっと自分に正直になっていいと思うの。わがままになって……思うままに、自由に……きみの本当に好きなことをして生きていいんだよ」

「……でも……、それ、は……。…………いけないこと、なの、で……」

「わたしはそう思わない。レイくんは、レイくんのために生きるべきだよ」

「Verführst du(なに、を……?) mich?」

「ねえ、レイくん」

 

 震える手を、逃がさないようぎゅっと掴んで。

 

【挿絵表示】

 

「わたしに……本当のきみを、教えて?」

 

 光をほとんど失くしたその瞳に、有子の顔が映りこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本日もお日柄は良く。だなんて、良くある挨拶のひとつでも似合うかのような。今朝は、そんな光景からはじまっていた。

 

「たららった〜ら〜♪ ふんふふん♪ た〜らたらんら〜♪」

「青くんって、おうたが上手なんだねぇ〜」

「確かに……綺麗な歌声だね」

 

 周囲に構わずひとり歌を唄う彼を見つめながら、有子は白うさぎの隣に座っていた。歌詞はなくとも、明るいメロディのそれに、彼がとても上機嫌であることを察せられた。こちらの方には一切目もくれず、時折くるくるとステップを踏む様はまさに、自分の世界に浸っているようだった。

 

「青錆、どうしたんだぃ? やけに上機嫌じゃねぇかぃ……。……いや、機嫌が良いのはいいことなんだけどよぃ……なんつーか……」

「危ない薬でもやってそうだよな」

「そうそれ!」

 

 じとーとその様を見つめる双子が、伊海田の独り言に共感する。……たしかに。ちょっと今までと様子が違い過ぎて、なんというか……あんまり、正常な状態とは言えない気がするな……。

 

「ほけんしつのおくすりは、ちゃんと管理してるよ。それ以外ってゆーと、私物……。でも、れいちゃんのおへやにアッパー系のは、なかったと思うんだよねぇ」

「……え、ダウナーはあるんだ……」

「あるねぇ〜。睡眠薬とかね〜」

「あー、そいや不眠……。やっぱ寝れてないんじゃない? 今気付いたけど、絶対ひと月前よりクマ酷いもんね?」

「確かに……。限界越えると、逆にテンション上がってく時あんだよなぃ……」

 

 寝不足と聞いて、有子も思い返す。そういえば、彼は元から入眠困難な症状があったはずだ。寝る前の足湯でかなり改善したと聞いていたが……。最近は体調不良もあって、足湯に行っている様子もない。なにより、ここのところ塞ぎ込んでいて……きっと、ぐるぐると色々なことを考えてしまって、眠れない夜を過ごしていたに違いない……。

 

「まあひどくなったら流石に寝かせよう。それまではこっちの方が雰囲気良いんじゃない?」

「まあ……そうだけどよぃ……」

「なんなら青錆君て、多分元は明るいタイプなんじゃない? ほら、会話の節々からさあ」

「たしかに、青錆ちゃんてけっこーオモロいよねぇ〜」

 

 そんなわけで、今日もいつも通りに食事を終えたのだった……。

 

 

 

 

 

 

「ふふ、ふふ……あ、有子さん! 佐渡氏も。どうもこんにちは。ふふ、うふふふ」

「こんにちは、レイくん」

「やあ、青くん! なんだかご機嫌だね!」

 

 食事を終えた自由時間。白うさぎと廊下を歩いていると、相変わらず上機嫌の城主と鉢合わせる。ふらふらとした危うい足取りかと思ったが、よくよく見ればステップを踏んでいたようだった。体調も悪くはなさそうで、有子は安心した。隣の白うさぎがにこにこしながら話しかける。相対する彼はうっとりとした表情で、髪の隙間から覗く目を細めた。

 

「ええ、ええ、そうですよ。おかげさまで。吾輩、ようやく手に入れたんですもの。ふふ、うふふ。Ein Glück,dass ich dich kennen gelernt(あなたに出逢えた以上の幸福なんて無い!)habe! ねぇ? だってこんなに気持ちが晴れるなら、他に幸せなことってないでしょう?」

 

 いつもの彼の、1.5倍は早口で、2倍ほど明るい声。まるで別人のようなレナードの返答に、章平はニ、三度まばたきを繰り返し困った顔をしてから笑って見せた。

 

「うーんと、よく分からないけれど、青くんが嬉しそうで、ぼくも嬉しいよ!」

「レイくん、自由に生きてね」

「はい……! Dieses Gefühl habe ich zum(こんな気持ち初めて……) ersten Mal. ふふふ、楽しみにしていてくださいね」

 

 また耳慣れない言語を呟いて、彼は上機嫌にコートの裾を浮かせる。鼻歌が遠のくのを見送りながら、白うさぎは有子をまじまじと見つめた。

 

「……ありす、青くんとなにかお約束をしたのかい?」

「さあ……? よく分からないかな」

 

 じっと見つめてくるうさぎから視線を外して、有子は移動を促すようにくるりと向きを変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから自由時間を過ごして、夕食。やはりまだ鼻歌混じりのステップを踏むレナードに困惑しつつも、生徒たちは朗らかな気持ちで晩餐を終えた。章平の就寝準備をそのまま手伝ってやってから、有子は夜時間になる前に、部屋の飲み水を補充しにふたたび食堂へやってきた。

 

「確かに、そんな感じでいれてたなぃ!」

「伊海田くん」

「お? 国中」

「有子さん?」

 

 扉を開くなり聞こえてきた声を頼りに視線をずらすと、そこには大男の背中が見えた。彼の名前を呼べば、すぐに振り返っていつもの元気な笑みを見せてくれる。奥から控えめな城主の声がして、有子はすぐに駆け寄った。

 

「こんな時間にどうしたの?」

「青錆が紅茶入れてくれてよぃ!」

「……伊海田くん。わたしにはあんなこと言っておいて、自分はレイくんを独り占めしちゃうんだね……」

「ほぁ?」

「……? なんの……お話ですか……?」

「あ、いやっ……! いやいや! ち、ちがうちがう! たまたまだぜぃ! ほんとたまたま、飲み物取りに来たらバッタリ会ってぃ!」

「はい、吾輩はお薬を飲みに来ました」

 

 むうと頬を膨らませてじっとりと大男を見上げれば、彼は面白いくらいに大慌てで両手を振る。にこにこと上機嫌な隣の城主が素直に応えているのを見るに、本当のことのようだ。ひとまず有子は許すことにした。

 

「オレは喉乾いたから飲み物取りに来たんだけどなぃ。青錆は寝る前の薬飲みに来てて、ついでに紅茶いれてくれたんだよぃ」

「うふふ。猫塚氏が、やっていた手順でやってみたんです。こだわっていたポイントもよくお聞きしていたので。ふふ。……いかがですか? 有子さんも、是非」

 

 二つ並べられたカップからは湯気がたちのぼっている。いつぞやの透き通った紅は、あの時のように良い香りを漂わせていた。

 

「うーん……わたしは、寝れなくなっちゃいそうだから、いいかな。実は、前のお茶会の後も、寝れなくなっちゃったみたいで……」

「そっかぃ、そいやぁ、カフェインが……どうたらって言ってたっけなぃ。じゃあしゃーねーな!」

「レイくんは、紅茶でお薬飲んで大丈夫なの?」

「はい。寝る前のこれは、睡眠薬ですから。飲み合わせの心配は大丈夫ですよ。それに……今日は寝る前ですから、カフェインレスの茶葉でいれてみたんです」

「カフェインレス? ああ、カフェイン入ってねぇってやつかぃ! なら国中も飲めるんじゃねぇかぃ?」

「でも、どっちにしろ……。おトイレ行きたくなっちゃいそうだから……」

「あ、それはそうだなぃ」

「残念です。ではまた今度、是非」

「うん。できたら、お昼の間にお願いしたいな」

 

 そうして傍に置いてあったペットボトルを数本持つ。そのまま二人と別れ出て行こうと振り返り、食堂の扉に手を掛けたところで、ふと、漁師の素っ頓狂な声が聞こえた。

 

「ええ? 美術室? 三階はお前、一人じゃきついだろぃ。だったらオレも手伝うぜぃ」

 

 ははあ、ふたりはこの後美術室に行くんだなあと思って、有子はそのまま飲み水を持って自室へ戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜時間アナウンスが聞こえた後、有子は大浴場で入浴を済ませ、ほかほかの身体で部屋の扉を開く。

 持ってきたばかりのペットボトルの水を口に含んで、ぷはあと勢いよく呼吸を再開。そのまま贅沢にベッドの上へダイブ――……。ふと見た棚に置いてある漫画本に手が伸びて、いや、先にパジャマに着替えようかなどと考えていたその時、それは起こった。

 

 ――ピンポンパンポン♪

 ――皆さま、楽しい学園生活中失礼致します。校則追加のご連絡です。一人のクロが殺せる人数は、最大二人までとさせて頂きます。

 

 ――繰り返します。一人のクロが殺せる人数は、二人までです。三人目を手に掛けた時点で、違反者はおしおき致しますので……ちょっと! だからダメだって言ってるでしょうが! アナタ! アナタに言ってるんですよ!? 待ちなさい! 二人までだって! 皆殺し編なんて認めませんからね!? あっごほん、失礼。以上です。それでは皆さま、引き続き学園生活を……コラー!! だから待っブツッ――……。

 

「え……」

 

 絶句。

 有子はそれまで考えていたことが全て頭から吹き飛んで、文字通り、真っ白の頭になってしまった。そうして数秒、硬直した後……ぼんやりと先程の放送が甦ってくる。……なんて、言った? 校則の追加? いま、ブツ切りになったよね……?

 ()()()()()()()()()()()()()()()、モノヴォルが不審な放送を置いて去った。有子の胸が早鐘を打つ。嫌な汗が背筋を伝った。

 外に出た方がいいだろうか? いや、先の放送では――誰かが、まだ誰かを襲おうとしているような口振りだった。外に出れば、有子の身の安全は保証されない。みんなは? ショウくんは? 今頃どう過ごしているのだろう――……。あっという間に有子の心は不安でいっぱいになり、あれやこれやと考えが浮かんでは消える。そうしてしどろもどろして――どのくらい時間が経っただろうか。

 

 ――ピンポン!

 

 突如、軽快なチャイム音が部屋に鳴り響く。……来客? 誰だろう。有子はすぐにドアを開くか迷った。何せ、あんな放送があった後である。もしかしたら、殺人犯が立っているかもしれない。わざわざここを訪ねて来るなんて、次のターゲットは自分かも……。いや、むしろ――そうして襲われ、助けを求めに来た誰かかもしれない。

 早鐘を打つ胸を押さえて、けれど有子は真相を確かめなければならなかった。

 ――もし、もし本当にそうなのなら。脳裏には、前回の事件が蘇る。はやく駆け付けられれば、あの時……二人とも助かったかもしれないというのは真実だ。誰も、何も言わないけれど。あの時ああだったら、こうだったらと、全員が過去を振り返って悔やんでいる。もちろん有子もその一人だ。

 そろり、と震える手を少しずつ伸ばして、ドアノブに手を掛ける。後悔しないために、今、やるべきこと。この場で有子の選択肢は、どちらにせよひとつだけだった。ぎゅっと手を握りしめる。金属の冷たい温度がますます手に染み付いた。そうして意を決し、ガチャリと扉を開く……。

 

「………………え?」

 

 ……そして、その光景に。またも有子は絶句した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゆ……うこ、さん……」

 

 目の前で()()()()()()()、有子の名を呼び倒れ込んだ――……。

 

 

 

 ――ピンポンパンポン♪

 ――死体が発見されました。一定の捜査時間の後、学級裁判を始めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レイ、くん……?」

 

 有子は思わず抱き留めた彼をうかがう。彼の身体から温度がほとんど感じられないまま、嫌な感触が手のひらに広がる。止めどなく滲み出る朱色。淡い色の彼のシャツは、見たことのない色に染まっていく。まじまじと自分の手を見つめる。間違いなく、それは――……。

 

「だ、だめ……。だめ、レイくん! レイくんしっかりしてッ!!」

「どうしたの、ゆうこちゃん!」

 

 有子の悲鳴を聞いて廊下の角から飛び出してきた星永が、こちらに駆け寄ってくる。突如現れた救いの女神に、有子は縋る思いで助けを求めた。

 

「わ、分かんない……っ! 分かんないけど、でもっ……レ、レイくんが……!!」

「息は、してる。出血がひどい……。モノヴォル! ヴォルちゃんっ!!」

 

 彼の容態を一瞥するなり、介護士はきょろきょろと頭を忙しなく動かして監督者を探す。彼女の怒声にも近い呼び掛けに、すぐさま反対側の廊下の角からぽてぽてと、実に気怠げな足取りで狐紳士が現れた。

 

「はいはい、何でしょ。……全くもう、次から次へバタバタと……アナウンスが鳴ったでしょう? はやくそちらに……」

「れいちゃんの手当てしてっ! 出来るでしょ!!」

「……はて?」

 

 間髪入れずに叫んだ赤ずきんの指示を、きょとんとしてぬいぐるみは首を傾げた。大きな耳がくたりとへたって、ぴろぴろと動く。

 

「何故ワタクシがそのようなことをせねばならないのでしょう?」

「れいちゃんまだ生きてるっ! 今回の被害者じゃないでしょ!?」

「まだ死に至っていないだけで、これは立派に致命傷でしょうよ。アナタが応急処置より先にワタクシを頼る時点で、」

「モノヴォル!!!」

「おひゃあ、怖い怖い! ……そんなこと仰られても、ワタクシのスタンスは変わりません……と。言いたいところなのですが……()()()()()()()()()()()()()()()()、そうすることにしますかね。はい、では国中さん。失礼しますよ〜」

 

 そう言ってモノヴォルは至る所から予備機を出して虫の息の城主を抱えると、すたこらと退散していく。一体何処へ連れて行くのかと伸ばした手を赤ずきんに阻まれ、思わず彼女を見つめた。

 少女は険しい表情をしながら、ぎゅっとそのまま有子の手を握る。

 

「ゆうこちゃん。いま、鳴ったよね?」

「鳴ったって、でも、レイくん……」

「れーちゃんはまだ生きてるんだよ。分かる? この意味。さっきのアナウンスは、れーちゃんのことじゃない」

 

 赤ずきんの言わんとしていることは理解していた。けれども、有子の頭はそれどころではなくて……。すっかり動転している有子の様子を再度確認すると、はあと短く息を吐いて、星永は有子の手首を掴んで引っ張った。倒れないように歩くことが正解だった。何処へ行こうというのかは全く分からない。けれども、この施設のなかに()()()がいることは確実だった。

 

「とにかく、みんなを集めて……」

 

 ――ピンポンパンポン♪

 ――死体が発見されました。一定の捜査時間の後、学級裁判を始めます。

 

 はて、と。有子はたった今鳴り響いたアナウンスに釣られ天井を仰ぐ。すぐさま視線を下げて隣にいる赤ずきんを見る。有子はきっと、立ち止まった彼女と同じ表情をしていただろう。

 

「……なんで二回鳴ったのかな?」

「最悪なことを考えれば……ひとり一回鳴るって仕組みなのかもね」

 

 星永のその言葉に、有子はごくりと唾を飲み込んだ。何故ならそれは、つまり――……。

 

「とにかく行こう。また……事件が始まっちゃったんだよ」

「行くって、どこへ……」

「みんなが居そうなところ、かな……。ゆうこちゃんは、なんか心当たり無い?」

 

 そうだ……。そういえば少し前、確か城主は漁師と共に、美術室へ向かったはずだ――。彼はきっと、そこで事件に巻き込まれたに違いない。早速赤ずきんにそれを伝えると、彼女は有子の手を引いて一目散に駆け出した。廊下をまっすぐ進み、校舎に入って、長い廊下を突っ切って、階段を足早に上がる――……。

 そうして、二人で駆けた、その先は――とても、見るに堪えない惨状だった。

 一面の赤色と、きつい匂い。床はもはや染まっていない場所がないくらいに、赤で汚れていた。まずひとり、視線をずらして奥にひとり……。アナウンスの数と同じ……。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 "()()()()()()()()"()()()()()、"()()()()()()()()()()()()"()()()()――……。

 

 ふたりは、悍ましい色の海の中。もう……息をしていなかった。

 

 

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