Q. 何故こんなにも投稿間隔が開いたんですか?
A. 作者が3クロ退場ショックに耐えられなかったようです。
たいへんお待たせいたしました、四章開幕です。
1
分かってた、分かってたよ。
だけど知らないふりをしていた方がいいと思った。だから、見ないふりをしていた。でもそれは、間違いだったね。
ごめん、ごめんね。
何もしてあげられなくてごめん。
◇◇◇
第四章
「竜宮城へ還らないで」
◇◇◇
「おはよう、ショウくん」
「…………」
本日の目覚めは爽快ではなかった。しょぼしょぼとした目を擦って、それでもまだ頭は起きていない。視界は霞んで、目もまだ眠いと訴えているようだった。
昨夜――……。第三の殺人が発生、被害者は夜羽と火燈の二人だった。二人は生徒たちのため、前向きな気持ちにさせるような楽しいイベントを企画していたようだったが……それは、殺人鬼の手で惨く塵に消されてしまった。彼らを凄惨な目に遭わせたのは、いつも穏やかで控えめでやさしかったはずの青錆だった。彼は"愛"のために犯行に及んだと主張していたのだが、あの様子はとても正気には思えなかった。章平たちの間に晴れない雲を残して……しかし、裁判は彼の処刑で幕を閉じた。
深夜に事件が発覚してから、続けて捜査、裁判と挑んだために、事が全て済んだ時にはもう、時刻はすっかり真夜中どころか明け方が近くなっていて――そのまま、章平たちは各自倒れるように眠りについたのだった。
むくりと身体を起こす。今朝も律儀に迎えにきた幼馴染を見つめて、ふわとあくびをしてしまった。
「おはよぉ、ありす……。すごいねぇ、ありすは、ちゃんと起きれて……」
「ううん。実はわたしも、かなり寝坊しちゃった。もう10時すぎなんだよ、ショウくん」
「わあ」
有子が差し出す目覚まし時計の針は、短い方が10のところを指し示している。いつの間にアラームを止めたのかわからない。そのくらい眠気が限界で、ぐっすりと夢の中に落ちていたのだ……。
いつも通り有子に支度を手伝って貰って、ようやく着替えを済ませる。
「ありすはもう、ごはんは食べたのかい?」
「まだなんだ。だから、ショウくんと一緒に行こうかなって」
「そっか! じゃあ、行こう」
他の生徒たちのことは分からなかったが、ひとまず腹拵えをしてから……またいつもの健康的な生活リズムに戻すべきだなと思った。章平は着替えを済ませて、有子と共に早速と食堂へ向かうことにした。
◇
「あーん、白雪ちゃん。火強いよ〜。それだと焦げちゃう〜」
「ええ……。このくらい、かしら?」
「そそ、そんくらいで、じっくり焼くのがいーかも〜」
「分かったわ、ありがと」
食堂に入るなり真っ先に目に入ったのは、厨房で仲良く並んで調理している加連と白雪の姿だった。気の強いモデルは、一生懸命にフライパンを見張って、時折フライ返しで中身をつついている。隣の職人はテキパキとさまざまな作業を次々終えて行きながら、あちこち手を伸ばして少女の邪魔をしないよう、器用に自分の仕事をこなしていた。
「珍しい光景……」
「そう、だぁね〜……」
有子が横で呟くのを、思った通りのそのままに肯定して、しばらく食い入るように見つめてしまった。厨房から靴職人が食器を手に出て来るまで、章平たちは入り口に突っ立ったまま口を開けていた。
「んじゃ、俺こっちやっとくねぇ……あ、おっは〜。佐渡ちゃん、国中ちゃん。丁度良いね〜いま出来たとこだよ〜」
「あれ! みんなもお寝坊だったのかい?」
加連の言葉に驚いて辺りを見回す。ぼーっとしていたのでまさに今気が付いたのだが……なるほど、確かにいつも見るメンバーがそこに揃っていた。挨拶をされたのにすら気付かなかったようだ。やっと気付いたとこちらを見て笑顔を見せるのは、伊海田、泡淵、星永の見慣れたメンバーと、菊音。時間は昨日までより遥かに遅いのに、それはまるでいつもの朝食前の風景だ。
「流石に昨日は深夜もど深夜、ほぼ朝だったからね……」
ふわあとあくびをして、目に涙を溜めていくアントルメンティエ。それを甲斐甲斐しく拭ってやる片割れは……当然だが、もう居ない。
「俺ちゃんいつも休日はこの時間〜」
「休日も同じ時間に起きなさいよ」
へらへらといつも通りの笑みを浮かべる加連に、白雪はじとと睨むようにため息をついた。
「とりあえず、二人とも席に座って。配膳するわ」
「あ、白雪さん! 手伝うよ!」
「佐渡ちゃん、その辺座りなよ。みんな集まった方が楽しいっしょ?」
あっと声を上げた有子がぱたぱたと厨房へ駆けていく。食器の準備を行いながらテーブルを回る加連に促され、章平は適当な椅子に腰掛けた。あっという間に食卓に料理が並び、一同がふわあと期待の声を上げる。章平も、途端に腹の虫がぐるぐると鳴ってしまう。
「りんこちゃん、じょうずなったねぇ!」
「職人さんのおかげさまでね。やっぱりセンスはピカイチなのよねえ」
「え、うっそ今褒めた? 白雪ちゃんが俺のこと褒めたよねぇ!」
「センスはね、センスだけは」
「通常運転!」
「いーじゃん。しゅーやちゃん、ほめられてるよぉ?」
「褒めてる褒めてるぃ」
「もーちっとなんかさー、こうねー?」
「普通に美味しいごはんが食べられるし、俺は満足だなー」
「ありがとうね、白雪さん、加連くん」
そんな感じで、悲惨な出来事の直後とは思えないほど和気あいあいとしながら食事を始めようとしたところで――……。ばたんと、突然扉の開く音がした。
全員がそちらを振り返った。そこに立っていたのは……。
「あ、か……やなぎ……」
「よくここに来れたな」
いつも通りのしかめ面をしながら、彼はちらりと生徒たちを見やる。けれども、その視線は生徒たちの誰とも目を合わせないように逸らされた。
「食事を済ませるために来ただけだ。すぐ出て行く」
「待ちなさいよ」
厨房の傍ら、食料貯蔵エリアに置いてあるいくつかの市販品の軽食を持って、赤柳はその場を早々に立ち去ろうとする。そこへ、がたんと白雪姫が立ち上がり、不機嫌な声で彼を引き留めた。
「あんた……。あたしたちに言うことがあるでしょう」
「何の話だ」
「すっとぼけてんじゃないわ。"秘密"の件よ。あんた……あれは事実なの?」
「事実かどうか判断出来ないだろう。たかが楽器の音だぞ。それが人間の精神を揺るがすと、お前は本気で思っているのか?」
「そこじゃないわよ。そんなことは重要じゃないでしょ」
もはや苛立ちを隠す素振りもせずに、白雪はきつく容疑者を睨み上げる。そのままの勢いで、彼女は強く責め立てた。
「その事件そのものを事実と断ずるかどうかなんて、関係ないわ……。重要なのは"
「じゃあ……じゃあ、赤柳が"
伊海田が素っ頓狂な声をあげる。あえてこの時まで伏せていた事実を、改めて言葉にされてしまうと――それが例え誤解であったとしても――真実のように感じられてしまう。
「言い切るにはまだ判断材料がないけど……。でも、現時点での条件に十分当てはまるでしょうね」
「そんな……」
「なら、僕を排除すれば良い。お前たちがそう望むなら、僕はもうお前たちと関わらない」
「そうね、"
「……白雪ちゃん」
黙って生徒たちのやり取りを見守っていた加連が、静かに制止するように割って入ってくる。白雪姫は妖精を振り返って、けれど顔を顰めるだけだった。
「何よ。確かにこんな荒唐無稽な話、あたしも信じてるわけじゃないけど……。でも、その芸当が100%出来ないっていう根拠もないでしょう? 青錆のアレだってあったわけだし」
白雪姫は不機嫌に鼻を鳴らして言い捨てる。
「否定はしない」
「ああそう……。あんた、本当に凄いわね。一周回って尊敬すら出来ちゃうレベルだわ」
「……何が言いたい?」
白雪の挑発のような発言に、赤柳は眉を顰める。
「知らないの? あんたの傲慢さって超有名なのよ。学園のスカウトを断った、元引きこもりのトンデモワガママお坊ちゃん」
「……撤回しろ」
「あら、図星なのね。噂は本当だったのかしらお坊ちゃん?」
「撤回しろと言った」
「あたしはね、あんたみたいに才能に甘えて高みを目指さない人間が一番嫌いなの。その場に胡座をかいて我が物顔で座っている。あんたなんでこんなところに来たの? しょうもない自己欺瞞であんたのその音燻らせて、そこまでしてやりたかった事ってなんなの? それが人殺しなの?」
「し、白雪ちゃ……」
「白雪黙れ」
「黙らないわよ。ここまで言っても分からないなら、この際もうハッキリ言うけど。本当にあんたが"
生徒たちが間に入る間もなく、どんどん険悪になっていく。章平はおろおろしながらどうしようと考えることしか出来ず、他の皆も二人を交互に見つめるばかりだ。止めようと一歩踏み出した加連の声もか細く消えて、とどめとばかりに白雪は現実を突き付けた。
少し間を置いてから、赤柳は顔を背けて来た道を戻る。
「……無いよ」
「あっそ! じゃそういうことで」
「待って、赤柳君。白雪さんも……。まだ私たち、話し合えることがあるはず……」
「ごめんなさい泡淵さん。あたし、そう思えない」
「悪いな泡淵、僕もそうは思わない」
「でも――」
決別――それで話をまとめようとした二人を、人魚姫が慌てて引き止める。しかし一度決めた結論を、頑固な二人がすぐに変えるわけもなく……泡淵が続きの言葉をタイプするより早く、赤柳は扉の元まで移動してしまう。
「じゃあな。今後は個室以外での練習は控えるよ」
別れの言葉を一つおいて。フルーティストはさっさと出て行ってしまった。
しんとして気まずい空気が流れる中で、章平は彼が去った扉と残った生徒たちを交互に見比べる。それから、咄嗟に一歩を踏み出して。
「ま、待って――!」
章平は昨日と同じく追い掛けるべく、慌てて飛び出した。
◇
昨晩と同じように、章平はすぐに彼の背中を見つけることが出来た。すぐさま呼び止めるべく、声を出す……。
「あ、ふ、笛吹き……。あ、あ……。う、ぅ……」
いつものように声を掛けようとして、章平はすぐさま口を押さえた。何の気なしに振り向いた赤柳は、無表情で章平を見つめる。
「どうした。いつもの様に呼ばないのか」
「…………っ」
言葉を詰まらせ、章平は口を噤む。
"ハーメルンの笛吹きくん"。初めて彼に出会った時、そしてその才能を知った時。あまりにピッタリだと思った。本当におとぎの国から飛び出して来た、理想の
――けれども。
「ご、ごめん、よう……。その、きみは……。ずっと、いやなきもち……だったのかい? ……ぼく……ぼくは、あんまりに……その。ふえ、……き、きみ、に……。無神経、だったと、思うよ。だから、ぼく……」
「別に気にしていない」
いっそ冷淡にも思えるような、酷くさっぱりとした声で、彼はそう言う。
「お前が僕をどう呼ぼうが、それはお前の勝手だろう。悪意の無い渾名であったのは承知の上だ。現にお前、"あの事件"を知らなかったんだろ」
「でもっ……! ぼくは、知ってしまったよ! だから、もうきみのことをあんな風には呼べない……! だから、だから……。…………っ、………………」
章平はぱくぱくと口を動かした。懸命に声を紡ごうとしても、いつもは饒舌なそれは微動だにせず、ただただ口を動かしただけだった。おずおず笛吹き男の顔を見上げる。何かを待っているように、じっと章平を見つめていた。待ってくれている。自分を尊重してくれている。けれどもうさぎは、彼の期待に応えることが出来なかった。
諦めて彼から視線を外す。彼はふうと小さなため息をついた。……落胆させたようだった。
「……お前にとって。僕の名を呼ぶこと……たったそれだけの事が、どれだけ大変なことなのかということは理解しているつもりだ。だから無理をして変える必要は無い。出来ないことをやろうとするのは愚者のすることだ」
「……っだと、しても! ぼくは、このままじゃ……だめ、だと思う……! だからたとい、一生をかけて出来なかったとしても、ぼくは、出来るかもしれないことを諦めたくはない……! ――っ、き、みのっ! 名前を! 呼ぶ、ことを……! ぼくは、諦めたく、ないよ……!」
「……そうか」
嫌だ、と思った。そうしてきみに傷を創って、それで良いと笑うくらいなら、たとえ一生出来やしなくてもその方がマシだ。
赤柳はそうして叫んだ章平のことを、ひどく哀れんだ眼差しで見つめ、そうして静かにこう言った。
「それも、お前の勝手だろ」
言い捨てて、彼は構わず行ってしまう。章平はその後ろ姿が見えなくなるまで、ただそこに立っていることしか出来なかった。
◇
いつまでも呆然と立っているわけにはいかず、章平は元来た道を引き返す。とぼとぼと食堂まで帰ってくると、生徒たちは律儀にも章平の帰りを待っていたようで、料理のいい香りが鼻を喜ばせた。
「佐渡……」
「おかえり佐渡。さ、席に着いて。食事にしましょう」
「うん……」
章平は促されるまま、大人しく席に着く。美味しそうな料理が温度を失くしつつも、皿に鎮座し章平を待っていた。
「ショウくん、もうご飯にしよ? お腹ぺこぺこだもんね」
いつもの号令はかからないままに……食事は緩やかに始まり、進んでいった……。
◇
食事の席では、例の如く学級会議が始まる。率先して議論を回していくのは……女リーダー、白雪だ。
「とにかく、気を取り直して。今後の話をしなくちゃならないわね」
「やっぱり、探索するの?」
「ええ。これまで通りなら、新しいエリアが解放されていると思うの」
「四階、行けるようになってんのかねぃ」
白雪の言う通り、これまでは学級裁判を乗り越えた後に新しいエリアが解放されていた。この様子では、まだ見に行った生徒は誰一人いないようだ。本当に全員寝過ごしてしまっていたらしい。早速、この朝食会が終わり次第探索に取り掛かることとなった。
「後は、あいつをどうするかって問題もあるわね……」
「赤柳君……」
昨日のレナードの暴露とモノヴォルの話は、彼こそが"
「……とりあえずは保留にしておきましょうか。殺人行為なんて、進んでやるのはまっぴらごめんだわ。誰かさんとは違うから」
「ねぇ、白雪ちゃん……」
「ジョークみたいなもんでしょ」
やれやれとため息をついて、さらりと白雪姫が先の事件を想起させるようなことを言う。加連が物言いたげに声を出すと、軽く謝って議論を続けた。相変わらず、この場のリーダーは彼女だ。
「それはそうと……。青錆の"秘密"を渡されていたのは誰? まだ生きてる?」
「ねぇ、白雪ちゃん……」
「……何よ。あんたさっきからずっと突っかかってくるわね? 文句あるならいつも通りにハッキリ言いなさいよ」
「うん……」
「うじうじして、なんなの?」
「まーまー! ここで争っててもしゃぁねぇだろぃ! それによ白雪、青錆のことなんて……。んなの、今更炙り出したってぃ……。いいだろ、別に……んなこたぁよぅ……」
伊海田が間に割って入って仲裁する。それから嫌な記憶を拭うように顔を顰めて、声から覇気を無くしていった。そんなうじうじした様子の彼が気に入らないのだろう白雪は、またふんすと勢い良く鼻息を吹いて眉を釣り上げた。
「確かに、あたしたちは"秘密"について伏せることで、コロシアイ回避を目論んだわ。全員で決めた事だもの、今更どうこう言わない。……でも、
「わ、わたし……だよ……!」
「ありす?」
おそるおそる、震える声を絞り出したのは隣の幼馴染だった。章平は思いがけない告白に目を白黒させて、思わず有子をまじまじと見つめてしまった。
彼女は自責の念に囚われた様子で、震える声のまま続ける。
「レイくんの……"秘密"……受け取ってたのは、わたし……。ごめんね、白雪さん……。みんな……。その、通りだよね……。その通りだったんだよ……! 皆で決めた事だからって、彼が知られたくないって言ってたからって……! 例外中の、例外……だよね。ほんとに……ほんとに、ごめんね……。ごめんなさい……! ごめんなさい……っ」
「ありす、泣かないでおくれよ……」
ぽろぽろと涙を溢れさせる彼女の肩に、思わず章平は触れる。もうこれ以上は、誰にも泣いてほしくない……。章平は心からそう思った。
「ごめんなさい、あたしも……言い過ぎたわ。国中さん一人の責任とは言えない……。あたしが言いたかったことは、そうじゃないの……。そうじゃなくって。……あたしたちみんな、判断を間違えたのよ……」
肩を震わせる哀れな少女に、白雪姫はしゅんとして歩み寄る。彼女もまた、自身の選択に責任を感じているようだった。
「わたし、わたしっ……! だ、だって、レイくんは、やさしくて……穏やかなひとだったからっ……! だからっ、う、い、いまもっ……! し、しんじられ、なくって……!」
「……国中ちゃんが、青錆ちゃんと結構一緒に居たのってさ、それが理由?」
「え……」
突然の言葉に、一同は思わず顔を上げた。発言者は静かに有子を見つめるだけで……特に何の表情も浮かべていなかった。
「ちがうの? 青錆ちゃんの"秘密"を知ってさ、あの子の行動を近くで監視してたんじゃないの? 」
「わ、わたし……」
本人にそのつもりは毛頭無いのだろうが、まるで責めるような言葉遣いに、漁師はおいと静かに宥めるように声を掛けた。靴職人はちらと大男に視線を寄越すだけで、とくに有子へ謝罪の言葉などを掛ける気はないようだった。
震えたままの声で、有子はまた息を吐く。
「ほんとに、何か……。出来ることがあるならって、そう思って……。だ、だから、わたし……!」
「もういいわ、国中さん。ありがとう……。あなたはあなたの考えで、出来うる限りのことをしてくれたのよね……」
「ごめんなさい……っ!」
悲鳴のような声で、有子は謝罪の言葉を口にする。章平は、あっと思ってすぐさま彼女に駆け寄った。懺悔の涙に震える喉で、続きの台詞を吐き出す。
「わ、わたし……ほ、ほんとは、ずっと、知ってたのに……!」
「オレもだ」
「……え?」
その声に、きょとんと有子は顔を上げる。有子だけではない、発言者以外の生徒たちは……一同揃って口を開けた。
「……オレも……。ハッキリとしたことは、分かんなかったけどよぃ。あいつが時々、ヘンになるってのは……分かってた」
「変……って……? うわ!」
聞き返すなり、伊海田は腕を上げて見せる。そこには……
「……そういえば、最近怪我が多いなって感じだったよな」
「それ……ど、どうしたの?」
「……たまに……。青錆としゃべってるときに……」
「あんた、怪我させられてるのに黙ってたの!?」
あまりに今更ながら、それが真実の一端だったことを知る。そう、今更なのだ。気付いたところで、もう遅い。もう彼の過ちは正せないし、その行動の結果失われた命は甦らない。生徒たちはそれを正しく認識していたが……それでも、沸き起こる感情までを制御出来るほど、彼らは成熟していない。怒りをぶつけるしかないモデルも、申し訳なさそうに弁明の言葉を探す漁師も、まだ、子どもだった。
「あ、あいつもビックリしてて、謝って手当てもしてくれたしよぃ! 俺もわざとじゃねぇんだと思ってたんだぃ!」
「でもそれ、一回二回じゃないんでしょ?」
「……さすがに……五回目くらいでヘンだなって、思ったけどよぃ……」
「いや五回目は遅すぎでしょ」
「確かに、こたろーが一番仲良かったもんね。かなり一緒にいたっけか〜……。
意味深な言葉を置いて、加連はひとり納得したように目を細める。
「だからって何?」
「もともと航太郎がターゲットだったって話だったじゃん?
「何よそれ……。完全に頭おかしい奴じゃない……。ていうか伊海田あんた、気付いてたのにあの時ほいほい着いてったの?」
「だ、だってよぃ……」
呆れるようなモデルの声にも不服なようで、漁師は確固たる反論がある様子で眉を顰める。
「あんなに怖がって、あんなに謝られて、あんなに苦しそうなのに……それで、もう関わらないでくださいってよぃ……。はいそーですかーとは、いかねーじゃん……」
伊海田は善人だ。以前から分かっていた事実である。大人しくて遠慮がち、おまけに身体もめっぽう弱い。誰が見ても弱い立場の
「そこは置いといても、あたしたちに黙ってたのはどういうこと?」
「それは……だって、あん時も……。なんでもするから、黙っててほしいってぃ……。すんげー必死、だったからよぃ……」
「こたニキほーんと、お人好しすぎるよぉ〜……」
気まずそうに打ち明ける伊海田に、もはや呆れたようにため息をつきながら加連は肩を落とした。けれど、それがこの漁師なのだ。昨日までは、あの城主は生徒たちの中で見るからに弱い存在だった。彼を守ってやらねばと考えるのは……仕方ないと言えば仕方ない。
「とにかく……。この話はもうこれで終わりにしましょう。これはあたしたち全員が悪かった! そう思うことにしましょう。終わったことをうだうだ考えるより、これからのことを考えなきゃ」
白雪姫が腕を組んで、空気を切り替えようと声を上げる。しかし……それに賛同の言葉は上がらずに……。
「とはいってもねぇ、そんな気になれないよ〜」
「無理矢理なるの! あたしたちはまだ生きてるんだから、生きてる人間優先! 命優先!」
「言ってることは正論だけどぉ〜」
気怠げに茶々を入れる靴職人は、一見すると非協力的な態度に見えたが……実際、彼は代弁しているに過ぎなかった。顔を横に向ければ、白雪姫と同じように前を向いている生徒は実に少なく……大半が俯いて、意識が完全に後ろ向きになってしまっていた。無理もない。今まで切磋琢磨してきた仲間は、もう半分ほどになってしまった。それもひと月足らずでだ。コロシアイを強要されている極限下とはいえ、あまりに人が死ぬペースが早過ぎる。自ら行動を起こそうと考えることは無いけれど、次の犠牲者は自分かもしれないと、嫌でも過ってしまうのは当然のことだ。
気まずい空気のまま食事会は進んで行き……。今後についての方針も固められないまま、今朝はお開きとなった。章平は食器を預けるなり、廊下にまたすっ飛んで行って、しばらく校内を練り歩いた。……けれども、あの真っ白の制服の彼はどこにも見当たらなかった。
◇
一旦自室に戻って、章平は衣服の整理をしていた。猫塚が居なくなって、洗濯を有子に任せることになったため、しっかり仕分けをせねばということだ。流石に下着くらいは自分で洗わなければならない……。いつも難しくてぐしゃぐしゃに脱ぎ散らかしてしまうため、脱ぎっぱなしのまま渡すのもしのびない。
作業していると唐突にピンポンと軽快なチャイムが鳴る。はあいと扉を開けてみると、そこには幼馴染の姿があった。どうやら今朝の出来事で、章平を心配して様子を見に来たようだ。
「ショウくん、もう探検はしてみた?」
「ううん、まだ……」
「音楽室とね、化学室と。あとは情報処理室? パソコンがたくさんある教室があったよ。化学室は危ないものがたくさんあるみたいだから、あんまりいじっちゃダメだよ」
「うん……」
ついに開放されたという4階へ、有子は早速行ってみたようだ。そこの設備について一生懸命話してくれる……。化学室や情報処理室などは、やはり学校の設備だなあという感じの響きで、しかし不思議な構造をしているのだなあと思った。
そして……音楽室。音楽……笛吹き男。音楽室に、彼は行ったのだろうか。演奏家の彼が満足出来そうな設備が整っているに違いない。とは言っても、章平は彼の演奏を耳にしたことはついぞなかった。今頃どこで何をしているのだろう。今までは体育館でよく練習をしていた。こっそり覗こうとしてもすぐバレて、そそくさと場所を移動されてしまっていたものだから、やっぱり章平はその音を聞けず終いだったのだ。
「ショウくん、聞いてる?」
「うん……」
「よく分からないものには、触っちゃダメだからね」
「うん……」
「もう、ショウくんたら」
有子がお喋りに来てくれても、なんだか上の空になってしまう。きっと章平の様子がいつもと異なるものだから、いつもより気を遣って声を掛けてくれているのかもしれなかった。けれど章平の頭の片隅には、常にあの笛吹き男が鎮座しているのだ。生徒たちとの溝が深まって……これからどうするのだろう。
何を話し掛けても上の空な章平に曖昧な微笑みを浮かべながら、有子はそろそろ帰るねと出て行ってしまった。
◇
ピンポンと再び軽快なチャイムの音が響く。再び洗濯物の選別を行っていた章平は、思わず時計を見上げた。もっぱらこのチャイムを鳴らすのは有子だけだったが、彼女が訪ねてくるのは朝の決まった時間と、食事の時間が近づいた時だ。それに彼女は、先ほど帰って行ったばかりだし……。しばらく経っても扉が開かないあたりも、訪問者は幼馴染ではなさそうだった。誰だろう? まるで心当たりが無くて、けれど章平は素直に立ち上がって鍵を開けることにした。
「……あっ」
そこに立っていたのは、真っ白な制服の彼。
思いもよらなかった訪問者に、章平は狼狽えて上手く口が回らなかった。
「どう、したんだい? ふえ、……」
「……借りたものを返しに来ただけだ。助かった、ありがとう」
「あ……」
章平は思わず声を掛けようとして、出かかった例の呼称を途中で止める。フルーティストは有無を言わさず持っていたものを押し付けるようにこちらへ差し出してきた。それは、綺麗に畳まれたパジャマ。そうだ、前の事件の動機……その時、彼は眠り姫になって、それで赤ずきんに頼まれて……。
「洗濯は済んでいる。それだけだ」
「あ、ま、待って! 待ってよ!」
その手が自由になるや否やすぐさまその場を離れようとする彼を、章平は慌てて呼び止める。伸ばした手が届かなくとも、彼は歩みを止めてくれた。
章平は部屋から一歩踏み出して、正直な気持ちを言葉にする。
「ぼ、ぼく……ぼく、このままじゃあ、いけないと思う! ちゃんと、みんなとお話しておくれよ!」
「話したところで事実は変わらない。無駄な時間を消費するだけだ」
「でもっ……」
「じゃあな」
章平が反論を言い掛けても、彼はそのまま別れの言葉を押し付けて踵を返す。引き留めようと今度こそ肩に手を置いても、二度目は無いのか、彼は止まることはなく。……そのまま、その背を見送るしか出来なかった。
◇
章平はとぼとぼと歩を進める。歩き方が良くなかったのだろうか、ようやく自室に辿り着いた頃には何故だかとてもへとへとに疲れてしまっていて、部屋に入るなりお行儀悪くぼすんとベッドに頭から突っ込んでしまった。そうしてぐるぐると様々な言葉が頭を駆け巡っていく。それは、今まで言われた言葉の記憶だったり、自分の考えそのものだったり、それはもう様々なことだ。そしてぐるぐると言葉を踊らせて、カオスな祭りが始まる中、それでも認識出来るもの――それは、あの笛吹き男。
彼は今、孤立している。それはそうだ、彼の"秘密"が暴かれて――そしてそれは、"
今からだって、全員で助かる方法が何か見つかるはずだ。協力すれば今度こそ……。そうだ、力を合わせるためには、みんなを引き合わせないと。ぼくも……何か、しないと。このままじゃ、このままじゃあ……みんな、ばらばらになってしまう……!
「ぼくは……。今まで、みんなのことを知ろうとしなかった……。興味を持たなかった……。でも……」
もし、もしも。もっと深く、心のうちを知れていたのなら。慰めることも、止めることも、どちらも出来たんじゃなかろうか? ……だったら、もしそうなら、同じ後悔をしないためにやることは、ひとつだけ。"相手をよく知ること"――その手段、そう、"
「……よぅし」
章平は、昔から変わらない
◇◇◇
早速と廊下を練り歩く。目的は生徒たちとの交流。けれどそういう時に限って、なかなか仲間達に巡り会わない……。いつも、皆が何処で何をしているのかなんて、今まで気にも留めていなかった。そんなことより目の前の相手に話を聞いてもらう方が、よっぽど楽しかったのだ。
しかしそれでは、また同じことの繰り返しになってしまう。少しで良い。何処かで、何かを、変えなければいけない。そのために章平は"知ること"を選んだのだ。
「いいけどよぃ……。何に使うんだぃ?」
近くから困惑した様子の漁師の声が聞こえてきたので、章平はきょろきょろと辺りを見回しながら歩を進めた。すると、程なくして突き当たりの向こう側に、親切な大男と、赤毛の神父が向かい合って何か話しているところへ遭遇した。
「あー佐渡ちゃん。丁度良いところに〜」
靴職人は章平を見つけると、にこやかに手を振って来る。彼の仕草で、会話相手も章平の存在に気付いたようだった。章平は二人の中に加わるべく、早足で彼らの元へ向かった。
「やあ、靴屋くん、太郎くん。なにがちょうど良かったんだい?」
「佐渡ちゃんもさーあ? 服一着、貸してくんない? パジャマとかでも、制服でも、なんでもいーよ」
「へ?」
突然の思いがけない申し出に、章平は目をぱちくりとさせる。しかし、聞き間違えではないようで……。隣にいた伊海田も、見れば丁度同じことを言われ、困惑しているようだった。
「お洋服なんて、どうするんだい?」
「ほんとだよぃ……。何に使うんだぃ?」
「お手本にすんだ〜」
「おてほん?」
「んへ。まだナーイショ」
にっこりといたずらっぽい笑みを浮かべ、人差し指を口に当てる加連は、なんだかとても楽しいことを思いついた様子だった。しかし、"ナイショ"と言われてしまえば、それ以上聞いても答えは期待出来ないだろう。
後でお願い通りに服を持っていくことを約束して、章平は話題を変えることにした。
「ふたりは、偶然会ったのかい?」
「んー? そうね、たまたまバッタリー」
「佐渡と一緒だぜぃ」
二人はお互いを見ながら、にこやかにそう言った。実は、なんだかんだで年長者組である。年下の章平に不安が伝わらないよう、努めて明るくしているのだ。
「そうなんだ。お散歩でもしていたのかい?」
「そんなかんじ〜。でも、俺の方は、やりたいこと思いついたから、それの交渉? してるとこー」
「ああ、さっきの……。太郎くんは?」
「オレぁ……別に。じっとしてるのが性に合わねぇだけでよぃ。特になんか、用があってとかじゃねぇぜぃ」
伊海田はそう言いながら頭を掻いて、しばらく視線を泳がせてから俯いてしまう。じっと隣の妖精が大男を見つめていたかと思えば、ことりと首を傾けた。
「こたニキ、やっぱなんか元気ないねー。だいじょぶそ?」
「お前の方こそ大丈夫かぃ? オレはもううんざりだよ……。……こんなこと、いつまで続いちまうんだろうなぃ……」
しゅんとしてまた漁師は顔を下げる。これからも続くこの事件を考えて、気分が沈んでしまうのも無理はない……。
「青錆のことだって、オレ……。だって、あんな風に……。分かんねぇよ、ずっと嘘だったのかなって思っちまったら……。何にも……何にももう、信じられねぇじゃねぇかぃ……」
「…………」
……なるほど。彼はこの前の裁判から――ずっと、そのことを気に病んでいるようだ。あの殺人鬼に、いっとう親身に親切に寄り添っていたのは、彼だった。突然の裏切りに他ならないあの事件に、彼はひどく――混乱しているのだ。あの時の言葉が全て彼の本心ならば、じゃあ……今まで自分たちが見ていた彼は、一体何だったというのだろう? 章平もあの城主に対して、同じことを考えていた。だから、伊海田の気持ちはとてもよく分かるような気がした。
「……無償の愛ってのは、年端もゆかない無垢な子供が親に向けるもののことだと、俺は思うよ」
静かに、神父はそう述べた。章平と伊海田は顔を上げて彼を見上げる。
「だって俺はずっと見てきたんだ」
無感情な……否、感情を押し殺したような表情で、彼は遠くを見つめたまま続ける。
「どんなに親に酷いことされても、
神父はそのまま、にこやかにこちらを振り返る。その笑顔は、張り付いた仮面のような、作り物の顔で……お世辞にも"柔和"とは、言い難いものだった。それから彼は、また遠くを見つめるように視線を外して、項垂れるように頭の位置を下げた。
「青錆ちゃんのしたこと、俺は許せないけどさ。でも、あの子のこと恨んでるかって聞かれたら、そうでもないかな……。恨みってゆうか、なんていうか……。……可哀想だなあって……ただ、それだけ」
「かわい……そう……?」
「うん」
彼の声は終始穏やかだった。のんびりとした落ち着いた声色で……けれど、章平はそれがとてつもなく恐ろしくも感じられた。
「こたろも気づいてるでしょ? ほんとうの青錆ちゃんは――レイちゃんは。あんなふうに嗤う子じゃないと思うんだ。……誰のことも傷付けたくなくて、必死で抗ってたんだよ。そうじゃなかったら、コロシアイだなんて……。モノヴォルに最初に言われた日に、何の抵抗も無く俺たちを殺してたはずでしょ? こんなところから一刻も早く出たいってのは、あの子も一緒だったろうし。タイミングなんか、それこそいくらでもあったもんね。こたろのその怪我の数だけさ」
「……そう……だよなぃ……」
「なんであんなふうになっちゃったのか、俺すっごく気になるんだ……。姫姉さんだって、茨木ちゃんだって同じだよ。だって俺たち、ちょっと前までふつうのクラスメイトだったはずじゃんね」
「……モノヴォルのせいで……。みんな、狂っちまってるってことかぃ……?」
伊海田の言葉に、少し目を伏せて考える素振りを見せた後、加連は小さく頷いた。確かに――彼のあの時の様子は、異常だった。本性があのような狂気的なものだったとして、これまで章平が目にしてきた彼は、やさしくて穏やかで、どちらかと言えば控えめな性格で――……。だから、あの時見せた感情こそが彼のすべてなのだと断定するのは、やっぱり章平には難しかった。それは、今まで見てきたものを信じたい、という独りよがりな感情であるといえばそこまでだが……だからといって、こんなにも長期の間(少なくとも彼と出会ってからの3ヶ月ほどの期間)、それをひた隠しにしておくことは可能なのだろうか、という疑問もあったのだ。
「追い詰めて出てくるのは、別に本性なんかじゃない。極限まで追い詰めた時に出てくる姿は、その子が追い詰められたときの姿だよ」
静かに語るその言葉は、とても理に叶っていると章平は思った。それは、至極当たり前のことだった。
「だってあの子が本当にあんなものを好む異常者だったとして……。いつも、それを隠すために努力してたってことでしょ。自らの悪性を必死で抑え込んでまで善でいようとするのを、それこそを善性と言わずに、じゃあなんて言うの? ……だから……。だから、俺は……。責められないよ。誰のこともね……」
そう言って、彼は目を伏せる。昨夜の裁判――あの時は、彼もまたとても憤っていたように思えたので、こうして悔やむような態度をすることが意外に思えた。けれど、思えばよく気がつく彼のことだ。きっと表には出さないだけで、心の底でずっと考えていたことなのだろう。
「結局さ、俺たち。誰もあの子のこと理解出来なかったんだよね。あの子は頭が良かったし、自分のしてることだって客観的に見れば醜いことだって、ちゃんと分かってた。理解してた。俺たちがそれでどう思うかだって……ちゃんと、分かってた。……他人のことは
それはとてもひどい仕打ちだ。理解者のいない苦痛は、少なからず章平に身に覚えがあった。それは、幼い頃の記憶――今はもう過去のことだと割り切れるが、出来れば思い出したくない。今でこそ、有子をはじめ希望ヶ峰で出会った皆がいてくれるが、その頃はまるきり誰も、自分のことを見ていないのだと心底感じていて……強烈な孤独感を日々味わっていたのだ。それは、とても……正気ではいられないような、耐え難い日々だった。
「あの子を絶望させたのは俺たちだよ。俺たちみんな。あの子の周りにいた人間、全員だよ……。これまであの子といた人間たちが、あの子をあんなふうにしちゃったんだ」
"あの子"と、彼はひとりを指して言っていたけれど。その言葉の意味には、綿貫も、茨木も、姫ヶ原も――猫塚も。罪に手を染めてしまった全員のことを言っているように思えた。
……ほんとうの、青くん。
加連が先ほど言った台詞を、章平はひとり頭の中で反芻した。今更そんなものを確かめる術もないし、確実なことは何も言えない。けれど……。章平も、同じことを思った。
◇
二人と別れ、とぼとぼと歩を進める。どこに行くという目的はない。だがお話をしなくてはという焦燥感だけがそこにあって、どうすれば良いという具体的な案は思いつかないままだった。それでもただ、じっとしているのが苦手で足を動かしている。右足、左足、右足、左足……。どちらかが前に出て行くたび、床の模様が少しずつ変化してゆく。考えることにくたびれはじめた章平は、じっとそれを見つめて繰り返していくだけだった。
「こんにちは、佐渡君」
「こんにちわ〜」
優しい声が掛けられて顔を上げると、にこやかな二人の少女がそこにいた。赤ずきんと人魚姫である。仲睦まじい彼女たちは、今日も二人で過ごしていたようだ。
「どうしたの? なんだかとても、落ち込んでいるみたい。あなたらしくないわ」
「しょーへーちゃん、いつも、げんきー! ってかんじだもんねー」
「うん……」
二人とも、眉を下げて心配してくれている。けれども章平は気の利いた言葉が浮かんでこないので、素直に頷くしかなかった。
「靴屋くんも、漁師くんも……。"
「ほよー」
「なるほど……」
目をぱちくりとさせる星永と、少し考え込む泡淵。人類学者は、そうしてしばらくすると再びキーボードを叩き込んだ。
「佐渡君は、青錆君が事件を起こした動機を論理的に納得出来るよう、解明したいと考えている……ということですか?」
「うーん、と……? そう、なのかも……?」
「私も同じです。なので、すこし調べていたことがあるんです。それらしい論をまとめてみたので……そちらで良ければ、佐渡君に共有しますよ」
「えっ……!」
思いがけない言葉に、章平は驚いてしまった。まさかそんなことが出来るだなんて、想像したことすらなかったのだ。他の誰も出来ずとも……確かに、彼女は"人類学者"だ。この件に関して教えを乞う相手として、これ以上ない適任かもしれない。
「じゃあ、……お願い、したいな。いいかい?」
章平が素直にそう申し出れば、彼女は優しく微笑んでこくりと頷いた。それから、カタカタとキーボードを叩いて文字を入力していく。
「まず……結論から言えば、彼の犯行動機は彼が発言した内容で相違無いでしょう。彼は私たちを
初っ端から理解が難しい結論を提示されてしまい、章平は瞬きを繰り返した。
「でも、……
「すきなひとといっしょに、しあわせになりたいな〜って、ことだよねー?」
赤ずきんの言う事は理解出来た。章平も、その通りのことが「愛する」ということなのだと思っていたのだ。だからこそ、彼が行った行為がそれと同義だと言われても、理解出来ない。大切にするどころか、傷付ける。それはまるで真逆の行動だからだ。
「そうですね、一般的には物語の彼らの愛し方が好まれます。けれど、
神妙な面持ちをしながら、人魚姫はかたかたと指を動かしていく。その結論は――彼女が人類学者だからこそ、知り得たものだった。
「彼の生家にあたる、シュヴァネンブルグ家の歴史を垣間見ると、その性質がちらほら伺えました。おそらく、あの土地……アンターヴェルの歴史的に、自らがそういう性質でないと、自分や家族を守れない立場にあったのでしょう、ということです。あの土地では未だゲルマン神話の風習が残っているそうですから……。彼の生家で良しとされてきた愛情表現が、まさにそれだったということです」
彼が育った土地の歴史的背景、一族が受け継いできた風習。それらにより、彼は生まれてからというもの、世間とズレた価値観を植え付けられてしまった……。聞き慣れない難しい単語がちらほらと出て来て混乱したが、彼女の言葉をまとめると大体こういったことを説明していたのだと、章平はなんとなく分かった。
「でも……。青くんはこうも言ってたよね? ずっと抑えてた、正しいひとに責められたって」
「そうねー。れーちゃん、ちゃんとそれがヘンって、分かってたみたい」
すぐに気がついた疑問にも、学者博士は当然のようにこくりと頷いて、続きを解説すべく指を動かす。
「そう……。彼を取り巻く環境は、一度ガラリと変わっています。それを良しとされてきたところから、それは罪だとするところに置かれたんですよ。佐渡君はご存知かしら? アンターヴェル……それもシュヴァン城で十年前に、大きな事件があったようなの。その事件で、シュヴァネンブルグ家の血筋の人間は、彼以外にいなくなってしまった。歴史深い貴族の末裔で、何よりアンターヴェルを……シュヴァン城を管理していた一族ですから、国が彼を支援するようになった……というのは、想像に難くないです」
「そっか……。青くんは、家族を……亡くしてしまったんだ、ね……。それから、しらないひとが、お世話をしてくれて……そうか、だから……」
違う世界の人間と関わり合って、初めて彼はきっと、それが一般的なものではないのだと知ったのだろう。今までそうだと思っていたものを違うと否定されてしまう気持ちは――章平には、理解出来なかった。けれど、それでも……"家族を亡くす"というのは、とても耐え難い苦痛だと思った。
「そして彼は、正しい方法を学習したんです。せつなちゃんの言う通り、今まで教えられてきたそれが一般的に悪とされるものだと知った。だから、その"愛情表現"をしないように自制していたんです。おそらく、……御守りだと言っていた、あの手袋がそう。いわゆる精神的な安全装置なのでしょう」
「れーちゃん、おやすみのときもね。ずーっとつけてたよ。外すのいやって、……"こわい"って」
「なら、やはりこの仮説は間違いないですね」
赤ずきんの言葉に、人魚姫はこくりと頷いた。つまり……彼女の予想は当たっていたということだ。思えば、彼があのお守りを外していたのを章平が目撃したのは、あの――この前の学級裁判――たった一度きりだった。
「それから……敢えて部屋の隅を立ち位置とする癖、他者の顔と面と向かわないような長い前髪もそうです。彼は努力をしていた。真っ当に人間社会で生活出来るように。けれど……」
人類学者は、そこで少し手を止めた。哀しんでいるような、悔やんでいるようなそんな表情をしてから……また、キーボードを叩き始める。
「悪い経験やトラウマは人を歪ませてしまう。そうして歪んでしまったものは……元には、戻らないんです」
その一言だけで、彼女が何を言わんとしていたのかを章平は分かった気がした。それは、つまり――やっぱり、章平が、彼女たちが信じていた"穏やかで優しくて他人のために一生懸命な城主"は、本来ならずっとそういう性質の人であったはずだ、ということである。あの時、裁判の時の彼は明らかに様子がおかしかった。"歪んでしまった"部分が如実に現れていたのがあの時だったのだろう。それはきっと、何かが原因で……そうだ、彼には大変な事件の経験があったじゃないか。それが関係しているのかもしれない。
「……きっと、ターリアちゃんや、姫さまにも……。ぼくたちの、知らない
青くんにあったもの。すこしだけ分かってきたこと。もちろん、たぬきくんだって、オオカミくんだっておんなじだろう。みんなみんな、痛いのをずっと我慢していたんだ――……。
章平は、そこではじめて、本当の意味で彼らに歩み寄ることが出来た。そしてそれを自分でも成長だと感じると共に、とても罪深いことだと思った。
「ぼく……。愚かだった。きっと、とっても。でも……みんなのことも、ふえ……彼、の、ことも。ぼくは、大好きだ。だから、いまみたいなのは、いやだなって……。ターリアちゃんも姫さまも、青くんも一緒に、楽しく出来るにはどうしたら良かったのかなって、思っちゃうんだ……。これって、……ひょっとして、あんまり、良くないこと……だよね?」
「いいえ」
凛としたその音は、あまりにもすっと章平の胸に吸い込まれていった。人魚姫はやさしく微笑んでから、再び手元を動かす。
「私は、今の佐渡君の方が好きですよ。初めて会った時より、ずっと成長していると思います」
「ぼくもそーおもう! しょーへーちゃん、いまのほーが、すてきよー!」
「……でも、ぼく……。ただ、みんなと……仲良くしたかったなって、そう思っただけだよ……」
「佐渡君が、心からそう思ったことは尊いことだわ。ひとが、ひとと生きていくために欠かせない大切な気持ち。……あなたがそうしたいと思ったことは、誰にも邪魔する権利は無い」
真っ直ぐなその瞳は、笛吹き男の面影を想起させる。そう、この場にいる生徒たちを……何より、彼を。章平は大切にしたいと思うのだ。
「……ぼく、彼を……ひとりにしたくない。みんなと一緒に、いさせてあげたい」
「うん!」
「自分を信じて。あなたなら出来るわ」
やさしく微笑む人魚姫は、正しく章平の味方だった。章平は彼女と彼女の良き友人にお礼を言って、もう一度彼に会うために走り出した。
◇
意気揚々と走り出したはいいものの。そう簡単に赤柳を見つけることは出来なかった。人生はうまくいかないものである。もっとも、章平の人生がうまくいったためしは無いのだが。
走り回るうち、急速にエネルギーを消費してしまったのか、強烈な空腹感に襲われる。見ればおやつどきにも丁度良い時間だし……夕食会までにも時間がある。少し何かつまんでしまおう。くるりと踵を返して、今度は食堂へと向かうことにした。
食堂に入ると、席に座ってぼんやりとしている大男が目に入った。いつも快活で明るい彼は、今はその様子とは打って変わって暗い雰囲気を醸し出している……。どうしようか迷った挙句、やはり、章平には一歩踏み出すことしか選べなかった。
「太郎くん」
「……おう、佐渡。さっきぶりだなぃ」
章平はぱっと顔を上げて、伊海田に駆け寄る。彼は笑みを作って挨拶してくれたものの、その覇気のない様子は、いつもの彼らしくないほどしょぼくれているように感じた。
「太郎くん、落ち込んでいるのかい?」
「まあ、そうだなぃ……」
「どうして?」
「やっぱ、……オレのせい、なんかなって……」
続いた言葉に、章平は心当たりがあった。この前靴職人と話していた時もそうだったし、彼がこんなに元気のない様子なのは、直近の事件が起こってからだったからだ。
「青くんのことかい? 違うよ。あの事件に太郎くんのせいで起こった出来事は、何も無いよ」
彼に責任は無い。事の顛末を、章平は大体予想して語ってみせたが……その修正を、犯人であった城主はたったひとつしかしなかった。その唯一も、なんてことない訂正で……。彼とは全く関係の無いことだった。
けれども、やさしい漁師は酷く心を痛めている様子で項垂れる。そうは言っても、責任を感じてしまっているのだ。
「でも、だって、オレが構わなかったら全然、今だって平気だったかもしれねぇってのは本当じゃねえかぃ?」
「んー……。靴屋くんが言っていたこと? でも……太郎くんは青くんを陥れようとして、それで優しくしていたのかい?」
「違ぇよ! 違ぇ……。あいつが、……あいつが笑ってくれたら、そうやって楽しく過ごしてくれりゃあ……いいなって、そう、思って……」
言葉尻に後悔を残して、彼はまた口を閉じてしまう。まるで、そう思ってしまったこと自体が間違いであったかのように自分を責めようとする漁師に、章平はまた首を振った。
「それは紛れもなく、正しい愛だよ。それが間違ってるなんて、ぼくは思わない」
そうだ、それは、その気持ちは――
「でもそりゃあ、佐渡にとっちゃそうかもしれねぇけどよぃ。もしかしたらあいつにとっては、良いもんじゃなかったかもしれねぇだろぃ……」
「どういうことだい?」
漁師の思いがけないその返答に、章平は面食らってしまう。誰に対してだって、それが絶対に正しいもので、みんなそれに倣うべきなのだと――章平はそう、信じ切っていたのだ。けれども、目の前の彼はそれとは違う考えを示してきた。
「人それぞれだよなって、……そゆことだぃ。それが愛だったからって、それを受け取らなきゃいけねぇっていうのは、やっぱ、違うだろぃ?」
「違う……っていうのは? でも、だって……愛って良いものだろう? だから、やっぱりそれは、お互いにとって良いものなんじゃないのかな……」
「確かに愛ってぇのは良いもんだよ。けどな、お前にとってそれが良いもんなんだっていうのは限らねぇだろ? 上手く言えねぇけどぃ……お前、頑張って難しい漢字書けるようになった時にさ、誰かがそれ難しいから書いてあげるっつってお前からペンを取っちまったら、どう?」
「え……。それは、嫌……かなあ」
漁師の言葉通りに想像してみると、章平は確かに嫌な気持ちになった。その返事を聞くと、彼はこくりと頷いて続ける。
「そう、でも向こうはお前が書けねぇって落ち込まねぇように代わりに書くって言ってくれたんだよぃ。それは紛れもなく愛のかたちのひとつだろぃ? でも、それをお前は嫌だと思ったら、それは受け取らなくて良いってことだよぃ」
いいものでも、受け取らなくて良い。その言葉が難しくて、章平はううんと首を傾げる。確かに今の例えは善意からの愛情に該当するはずだった。それは正しく、章平の考えるところの「良いものの愛」だ。しかし、章平はそれを嫌だと感じた……。相手の為を思ってすることが、必ず相手にとって"良い"とは限らない。
「愛ってむつかしい……」
なんだろう。愛って、漠然といいもの……としか思っていなかったけれど。本当はそんな単純なものじゃないんだ。複雑で、むつかしい。章平はまた困りごとが増えてしまった。
「……悪ぃ、余計なこと言っちまったなぃ」
大男はがしがしと自らの頭を掻いて、章平に困ったような笑みを見せる。それにどう答えて良いのか分からずに、章平もただ困ったように首を傾げるほかなかった。