カタリロンパ   作:カタリベガタリ

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 二日目。

 有子は制服のまま、目を覚ました。毛布もかけずに、そのままベッドに横たわっていた自分に気付き驚く。そうか……わたし、あのまま寝ちゃったんだ……。身体を起こして制服を整える。尋常ではないほどしわくちゃになってしまったそれを見て、このままではみっともないと思った。

 ダメ元でクローゼットの中を見てみる。するとそこには驚くべきことに、有子の今着ているものとまるで同じ制服が数着吊るしてあった。ぽかんと数秒、固まってしまう。けれども、そうか……。有子はポケットから電子生徒手帳を取り出す。希望ヶ峰学園の生徒にしか配られるはずのないこれを、有子の分も用意したり……有子と身内しか知り得ないような秘密を把握していたり……。あの狐紳士……もとい、モノヴォルにとっては、全く同じ制服を用意することなど造作もないことなのだ。

 服を脱ぎ、新しい制服に袖を通す。有子が今まで着用していたものと異なって、それは当然新品未使用のものだった。プリーツスカートののりはぱりっとしていて、有子は去年の春、初めてこの制服を着た時のことを思い出した。

 

――キーンコーンカーンコーン♪

――皆様、おはようございます。朝です、午前7時となりました。起床時間ですよ! さて、今日も張り切って行きましょう!

 

「今のは……」

 

 突然、部屋の天井付近に設置されていたスピーカー付きのモニターが起動したかと思えば、そこに映ったのはモノヴォルの姿だった。放送が終了すれば、そのままぷつんと電源が切れる。再び黒くなった画面は、呆然と見つめる有子の姿を反射していた。

 あのモニター……時間を知らせるために設置してあったのか……。有子は単に部屋でテレビが見られるのかと勘違いしていたが、思えば昨日学園内を少し歩いた時にも、似たようなモニターが不自然に設置してあったことを思い出した。

 あっと声を出して、有子は電子生徒手帳を起動する。そして校則の欄を確認した。

 

『夜10時から朝7時までを"夜時間"とします。夜時間は立ち入り禁止区域があるので注意しましょう』

 

 校則の二番目……。夜時間は立ち入り禁止になる場所が存在する。この時間の切り替わりを確認するための放送なのか。有子はひとりでははあと納得した。

 

「あっ……。いけない! ショウくんのこと、ほっといちゃってたんだった!」

 

 昨日別れた幼馴染。白うさぎのことを頭に思い起こして、有子はまずいと慌ててポケットに電子生徒手帳をしまった。後でねと言って別れたものの、色々なことが重なって疲労が溜まっていた有子は、自身の個室のベッドへ辿り着いた途端に意識を手放してしまったのだ。今日これからも、彼と過ごす時間はたくさんあるとはいえ……埋め合わせは早い方が良いだろう。有子はばたばたと慌ただしく部屋を飛び出し、真っ直ぐに章平の個室へと向かった……。

 

 

 

 

 

 

「……お、おはよう、赤柳、くん……」

「ああ、おはよう。国中」

 

 章平の個室前に到着すれば、そこには先客が佇んでいた。今日も今日とて真っ白な制服をビシッと着こなした、無愛想のフルーティスト・赤柳である。相変わらず気難しそうな表情の彼におずおずと有子が挨拶をすれば、存外普通に挨拶を返してくれた。

 

「あ、あの……。赤柳くんはどうしてここに?」

 

 有子は改めて、目の前の部屋の主が自身の幼馴染であることを確認して、赤柳に問う。彼の個室はこの近辺ではなかった。となれば、わざわざここを訪ねてきたのだろう。

 困惑中の有子とは裏腹に、そうすることがさも当然であると言わんばかりに、それがなんてことない日常の一部であると言うように、赤柳は質問に答える。

 

「佐渡を起こしに来た。お前も同じだろう?」

「そ、そうだけど……」

「なら、今後は僕の助けは要らないな。お前が佐渡の世話をするだろうことは予想出来たことだが……まあ、確信は持てなかったからな。念の為立ち寄っただけだ。邪魔したな」

「あ、赤柳くんっ……!」

「先に行っているぞ」

 

 呼び止めようと声を掛けても、赤柳はそう一言返すだけですたすたと歩いて行ってしまった。追いかけても良かったのだが、白うさぎを放ってまで彼と話すことは何も無いなと思い直し、やめた。

 誰も居なくなった廊下、改めてうさぎの個室を見る。外装は当然の如く、有子の部屋と全く同じもの。扉に掛かっているプレートが辛うじて部屋の主を示す、シンプルな作りのものだった。早速有子は扉の横に備え付けてあるチャイムを鳴らした。数分待てば、がちゃりと扉が開き中からは相変わらず癖毛の酷い、ぽやんとした白うさぎが現れた。

 

「おはよう、ありす!」

「おはよう、ショウくん」

「うわあ……ほんとうのほんとうに、ありすがここに居るんだねえ! なんだかぼく、朝からとっても幸せだなあ!」

 

 言葉に違えず、その通りに満面の笑みを浮かべた章平を、有子は部屋に押し込んだ。……()()()()()で「幸せだ」などと宣うこの幼馴染を、誰かに見られてはいけないと思ったのだ。

 こんな状況……。そう、有子たちはつい昨日……学園の理事長を名乗る謎のぬいぐるみ・モノヴォルから、無期限の共同生活を提示され、そしてここから出たくば「殺し合いをしろ」とデスゲームを要求されたのだ。こんなところで、誰が何を見て何を考えているか分からないところで……争いの火種になりそうなことは、徹底的に回避せねばならなかった。

 がちゃりと後ろ手に扉を閉めれば、オートロックが機能する。これでもう二人だけの空間。正真正銘、安全地帯だ。章平は不思議な顔をして有子を見つめたが、すぐに有子が身支度をやり直してやれば、満足そうに、されるがまま大人しくしていた。

 ――やはり、章平は変わらない。自分と同じ学校でも、希望ヶ峰学園でも、殺し合い生活でも――いくら環境が変わっても、うさぎは一人では何一つ出来ない。有子がいないと何にも満足に出来ない。身支度一つ、まともに出来ないままだった。

 白うさぎがそんなだから、有子はひどく安心した。

 

「ショウくん、わたしたちの個室の合鍵を交換しよう」

「うん、分かったよ!」

 

 うさぎの身支度が済んで、いつも通り、有子の大好きな佐渡章平になれば、有子はあっと思い出す。そうそう、一番大事なことだ。いつでも自分が章平の元へ駆け付けられるように。

 当然のように快諾する幼馴染を見て、早速とポケットから電子生徒手帳を取り出す。合鍵交換の操作方法は全く分からなかったが、いつの間にか追加されていた合鍵の欄をタップすれば、そこには現在所持中の合鍵の一覧――当然、未だ有子も章平も、ひとつも表示されてはいなかったが――と、端に小さく「合鍵の申請」というアイコンが配置されていた。有子はすぐに申請ボタンから章平の合鍵を申請する。章平の画面では、承諾ボタンが表示された。彼がすぐにアイコンをタップすれば、有子の電子生徒手帳に章平の合鍵が追加された。有子は白うさぎを促して、同じように自分の合鍵を彼の電子生徒手帳に追加した。

 合鍵の欄にひとつだけある新しいものを見ながら、章平はとても嬉しそうに笑った。

 

「えっへへ〜! これでいつでも、ありすのお部屋に遊びに行けるね!」

「夜時間以外は、だけどね……」

「夜時間は出入りが禁止なんだよね? なら、お泊まりをすればお咎めはないと思うよ!」

「ええ……? そう……なのかな? いや、確かにそうかも……」

 

 

◇◇

 

「皆様に! ですよ! ……そりゃあお年頃でございますから? 思春期真っ只中でございますから? 多少の()()()()()()には目を瞑りますけれども……。ああ、ではこうしましょうか。夜時間の、異性の生徒の個室への出入りは禁止とします!」

「なんが、否応無ぐ勝手にルール追加ざれだんだげんど?」

「……別に問題無いっちゃ無いだろ」

 

◇◇

 

 

 そうだ、と有子は思い出す。あの時狐が禁止したのは、"夜時間"の異性の生徒の個室への()()()だけ……。揚げ足取りだと言われればそうでしかないが、言葉通りのルールさえ守っていれば良いのだ。そもそもこのルールの追加の趣旨は、"不純異性交遊"を禁止するもの。いくら同じ屋根の下、男女が二人きりになっていたとして……()()しようと考えなければ、()()ならないのだ。

 

「うっかり時間が過ぎちゃっても、普通に眠ればいいんだもんね」

「そうそう! えへへ〜。ありすとお泊まり、たのしいなあ!」

「うん……」

 

 白うさぎは相変わらず呑気だ。気の置けない仲である有子の傍に居られるということが、どれだけ安心出来る事なのか、有子には全てを理解することは出来ていないが……概ね有子も同じ気持ち同じだった。知っている人間がいる。絶対に自分を裏切らないと確信している人間がいる。それだけで、この疑心暗鬼の閉鎖空間でも、有子は正気を保っていられた。おそらくあの双子も似たような心持ちなのだろう。有子はパティシエ双子のことを思い出した。明らかに血の繋がったきょうだいである彼らも、お互いがお互いを裏切ることはないと信じ切っているはずだ。有子とは違い、彼らは天才である希望ヶ峰学園の生徒のひとりだが……それでも、同じ人間だ。似た境遇の仲間がまだいるようで、有子はそれも安心した。

 そこまで思いに耽ったところで、はてと有子は顔を上げる。目の前に変わらずある幼馴染、章平の装い……。そういえば、自分がここに居ない時は誰が、この一人ではなんにも出来ない哀れなこどもの世話を焼いていたのだろう?

  ……その答えには、もうとっくに出会っていた。

 

「ショウくん……。あのね、あの……今まで、学園で過ごしていて……困ったことはなかった?」

「困ったこと? ……うーん、特に何も無かったよ!」

「それは……赤柳くんが、……助けてくれていたから……かな?」

 

 有子の脳裏にちりと焼き付いていたのは、あの、真っ白な制服のフルーティスト……。出会った時から白うさぎの絶大な信頼を得ており、それどころかここに居る同じクラスの生徒たちからも信用され、彼らのリーダーであり続けている彼。

 ……彼は何故だか有子にとって、鬱陶しいほどに眩く見えた。

 

「うん! あのねぇありす。笛吹きくんはねぇ、すごいんだよう! いつもね、ぼくがどうしようかなって思っていると、ぼくのおなやみをスパッと解決! してくれるんだあ!」

「そっか、そうだったんだね……」

「うん! 朝もね、ありすがしてくれてたみたいに、いっつも起こしに来てくれたんだあ〜! ネクタイもね、結んでくれてねえ! ……でも、今日は来てくれなかったんだねえ?」

「うん……」

 

 有子の内に再び現れた言いようのない感情は、章平には悟られなかった。彼は嬉しそうに満足そうに、自慢の友人を紹介するかの如く、笛吹き男の話をする。有子はほとんど聞き流していた。その話を理解して受け入れるほどの器と余裕を、有子はまだ用意出来ていなかったのだ。

 

「さて、ありす! ぼくお腹がぺこぺこだよ。ごはんを食べに行こうか!」

「うん……」

 

 一通りお喋りをして満足した白うさぎは、マイペースに有子を急かす。相変わらずだなと有子はくすりと笑う。正直、章平が自ら話を切り上げてくれて助かった。二人きりの時に、自分と物語以外の話をするのはやめてほしいものだなと、有子は自身の器の狭さに改めて嫌気が差してしまうのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 食堂に着けば、やはり予想通り。食欲をそそる香りが有子の鼻を刺激した。厨房では家事代行の綿貫と執事の猫塚が調理をしているのだろう。

 早起きの他の生徒たちは、食堂で各々自由に過ごしていた。漁師の伊海田が奥のスペースを使って、身体を動かしている。その隣で同じように体操をしている介護士の星永を、人類学者の泡淵と、モデルの白雪が談笑しながら眺めていた。もちろん、章平の部屋に入る前に別れた、フルーティストの赤柳の姿もすぐそこにあった。『先に行っている』とは、なるほど、朝食を摂るため食堂へ訪れるだろうと予想しての言葉だったようだ。白うさぎは笛吹き男の姿を視界に入れるなり、にこやかに彼に挨拶をしながら駆け寄って行った。有子の嫌な予感は見事に的中した。

 相方が離れてしまった有子は、きょろきょろと周囲を見回して、離れずとも遠からず……食堂の席の絶妙なポジションに、ちょこんと座った。

 

「おはよう、国中さん」

「おっ……おはよう、白雪さん……!」

 

 話し掛けられてびくりと振り返れば、そこには絶世の美女……モデルの白雪が微笑みを浮かべて立っていた。先程まで人類学者の泡淵と二人で談笑していたはずだったが……。見れば、あちらの彼女は赤ずきんとの会話を楽しんでいるようだ。

 有子が車椅子の彼女たちに目を向けていると、白雪姫は有子に「お隣、いいかしら?」と断りを入れて隣の席に腰掛ける。そうだ……。白雪さんも、同じ空間にいるんだよな……。見知った芸能人が自身と同じ状況にあることを、改めて現実として突き付けられた有子は息を呑んだ。そんな有子の気も知らないで、著名なモデルは人懐こく会話をしてくる。

 

「昨晩は眠れた?」

「うん……。もうぐっすり……。相当疲れてたみたいで」

「うん、それは無理もないわよね……。あたしもね、こんな状況じゃ安心して眠れないって思ってたのに、いざベッドに入ったらね。いつの間にか夜が明けてたの」

「ふふっ、わたしとおんなじだ」

「……よかった。笑ってくれたわね」

「……え?」

 

 ほっとしたように目を細める白雪の言葉に、有子はきょとんとする。この天才のひとりである美少女が有子の笑みで安心する理由に、皆目見当もつかなかったからだ。けれども白雪姫は、また見惚れる表情をして頬を付いた。

 

「ほら、国中さんはこの中じゃあ、一番気が抜けないでしょう? あたしたちはふた月くらい一緒に授業受けてた仲だから、少しはお互いのことも把握してるけど……。国中さんは、誰より不安でいっぱいなんじゃないかと思って」

「白雪さん……」

 

 なんてできた人なんだろう、と有子は純粋にそう思った。出逢ったばかりの人間のことを――自分もとんでもないことに巻き込まれたというのに――心配することが出来る、彼女の器の広さに有子は感心した。

 仕事が出来て美人で、とても人気のあるトレンドモデル。有子にとって彼女は今までその程度の認識だったが、大勢のファンがいる理由の一端に、いま直に触れた気がした。何を隠そう有子はもう既に、彼女のことが好きになっていたのだ。

 絶世の美女に気にかけてもらえたという事実を改めて認識して、有子はふいに顔が熱くなって俯いた。もう、視界に彼女を捉えることが出来ないくらいに、彼女のことを意識してしまったのだ。けれども有子は、白雪の心遣いになんとしてもお礼を言わねばと、顔を背けつつも懸命に口を開く。

 

「ありがとう、気を遣ってくれて……。白雪さんのその気持ち、すごく嬉しいよ」

「よかった」

 

 白雪も有子の言葉を聞いて、また笑う。

 もじもじとしている有子のことに気付いていないのか、白雪はそのままふうと息をついた。

 

「……でも、そうね。全く知らない人ばかりって訳じゃないのも良かったわ。あんなでも、いるのといないのとじゃ全然違うもの」

 

 そう言って白雪は有子から視線を外す。その目の先には、相変わらず嬉しそうにはしゃいでいる白うさぎがあった。

 うん、そうだ……。白雪の言う通り。有子にとって、この場に章平がいるという事実はあまりにも大きかった。彼がもし、この場にいなかったら……。有子の心はとっくにすり減ってしまっていたことだろう。

 

「でも、良かった。白雪さんも、みんないい人たちで……。きっとみんなで力を合わせれば、ここから出られるよね」

「ええ、そうね。お互い頑張りましょう」

「うん」

 

 ちょうど彼女との会話が途切れたところで、遅れて他の生徒たちが食堂にやって来る。

 

「おはち〜、みんな〜」

「おはよう。……あんた、一人で起きれたのね」

 

 ふわあとあくびをしながら伸びをして見せた靴職人の加連は、まだとても眠たそうだ。白雪の言葉に、彼はへらりと笑みを作って答える。

 

「んへ〜まあね〜。猫ちゃんが目覚ましかけてったから……」

「やっぱり自力で起きてないのね……」

「……は、はよっ……!」

「おはよう、火燈さん」

「別に授業があるわけじゃねーし……こんな早起きしなくてもいいだろうよー……」

「まあ、規則正しい生活を送った方が、身体には良いよね。あっきくね、ネクタイズレてる! こっち向いて!」

「ん〜……」

 

 やれやれと白雪が肩を竦めたが、気まぐれな靴職人は、厨房にいる面々にちょっかいを出しに行ってしまった。その代わりにやって来た火燈に、白雪はにこやかに挨拶を返す。続くパティシエ双子は、相変わらずべったりしている。この二人は昨夜も同じ寝床で眠ったのだろうなと、有子は今朝の章平の『お泊まりをすればお咎めなしだよ』という言葉を思い出していた。有子はうっかりしていた場合を除き、そうするつもりは毛頭なかったが……何故だか、彼らは意図的にそうするだろうと思った。

 

「入口で屯するでない。騒がしいぞ」

「ごめーん」

「おはよう、姫ヶ原さん」

「ああ、お早う」

 

 ゆったりとした歩みで続いて現れたのは、科学部の姫ヶ原だ。早朝だというのに、昨日見た姿と変わらず豪勢な着物に身を包んでいる。一人で着付けしたのかな……難しいって聞くけど、こだわりがあるのかなぁ、凄いなあ……。有子はその堂々とした出で立ちに見とれてしまった。気持ちの良い挨拶をしたモデルの白雪には快く言葉を返し、しかし他の人間には目もくれずに、かぐや姫はそのまま奥の席へ着く。

 人が集まる度に、食堂は賑やかになっていく。あと来ていないのは……。有子が生徒たちに目を向けて数えていれば、すぐにきいと遠慮がちに扉が開く。その開き方だけで、誰が来たのかを有子はすぐに判別出来た。先程の白雪と同じように、今度は有子も挨拶をしようとしたのだが……それは、驚きに阻まれ成し得ることが出来なかった。

 何故入室した人物に予想がついていたにも関わらず、有子が驚くことになったのか? それは、彼らの様子にあった。……何を隠そう、城主の青錆と夢占い師の茨木は、()()()()()()()()()()

 

「ほぇえ〜……?」

「おはよう……ございます…………」

「あんたたち、随分仲がいいのね……」

「えっ」

「たりあちゃんとれーちゃん、なっかよし〜!」

「ヒューウ、おアツいねぇ〜」

「Was(は!?)? Unmögl(んなわけ!)ich! や、……そのっ! 違いますっ! 違いますからっ!」

 

 ひゅうひゅうとからかう声に、顔中冷や汗だらけの青錆はぶんぶんと空いている手で否定する。有子はまだ目を丸くしていたが、それでもこの二人がそういう関係に至っていないことは理解出来た。

 

「へ、部屋を出たら……茨木氏にお会いしまして……。その、……お、同じ場所へ行くだろうなと、お声をかけたら……」

「むにゃむにゃ」

「……す、裾を……掴まれて、しまって…………。し、しかし吾輩も、動きづらい上……。茨木氏が、ずっと……ふわふわ、していて……倒れないか心配で……その……不可抗力と、いいますか、なんといいますか…………」

「青錆ぃ……。朝っぱらからおつかれなぃ……」

「茨木さん、こっちに座りましょう」

 

 言い訳を聞いた一同はそれはそうだと頷いて、一先ずこの騒動は終了した。青錆くんは親切な人なんだな、と有子は感心する。そんな彼の心遣いもなんのその……ふらふらと夢の世界にいる様子の茨木を、面倒見の良い白雪がほら、と迎えて近くの席に座らせた。ようやく解放された城主は、今まで彼女と繋がっていた手をぎゅっと胸元で抱えて、おどおどと落ち着かない様子で席を探す。

 

「手汗すご……手袋しててよかった……!」

「何処に安心してんだよ」

「吾輩が……手を繋ぎ慣れている人間だと……思われますか……?」

「や、そりゃそう。悪かった」

 

 青錆がまじまじと双子の片割れを見つめれば、菊音は哀れむような目を向けてこくりと首を振った。

 彼女の隣にいた同じ顔のもう一人は、全員がこの場に集まったことを確認すると、にっこり笑って頷いた。

 

「みんなおはよう。ひとまず初日は、誰も死んでないみたいだね!」

「余計なこと言うのやめろお前……」

「え? 余計なことだったかな?」

 

 双子の片割れ、夜羽はきょとんとして相方を見つめる。彼のひとことで、有子は再び気分がどんよりと曇ってしまう。……そうだ、わたしたちは殺し合いを強要されていて……。あれは、夢じゃなかったんだ……。それが信じ難い現実であることを、目の前に勢揃いしている"天才"の生徒たちが突き付ける。有子という凡人の目と鼻の先、すぐ手が届くその距離に、彼らがこうして生きて存在している……その光景こそが何よりの証拠だった。

 

「みんな揃っだ? ご飯出来だよ〜」

「配膳します。皆様お席にどうぞ」

 

 図ったのか、そうでないのか。そんな空気を壊すように、厨房から現れた二人の給仕はにこやかにそう述べ、生徒たちの着席を促した。もちろん、お腹が空いていた食べ盛りの青少年諸君は素直にその指示に従い、手伝う者も名乗り出て、昨晩と同じようにスムーズに配膳は済んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 本日も、初めての会食と同じく、章平の合図で食事の挨拶がなされた。待ちに待った朝食会の始まりである。二度目とはいえ、やはり唸るほど美味な食事は、有子の気分を明るくした。

 そして。一夜明け、再び全員が集まるこの場では……やはり、今後のことについての"議論"が自然と始まった。今回の先駆者は、双子の片割れ。

 

「ひとつ提案なんだけど、皆必ず二人一組で行動するってのはどう? そしたら殺し合いの心配はだいぶ下がるよね」

 

 コンフィズールの夜羽がそう発言すれば、数人の生徒は食事の手を止め議論モードへと切り替わる。ふむと提案を頭に入れる数人をよそに、有子は一旦聴衆に回ることにした。よく火の通った焼き鮭が、白米にとても合う。有子の朝食はほとんどの場合トーストだったが、なるほど和食の手の込んだ朝食というのも、また粋なものだった。

 

「常に二人一組か……」

「えぇ〜……俺ちゃん、一人の時間も無いとしんじゃう〜」

「……わ、吾輩……も……賛同、出来ないです……。ごめんなさい…………」

 

 復唱して考え込むフルーティストの赤柳をよそに、靴職人の加連はおひたしを摘みながら嫌そうな顔をする。その向かいで俯いた城主の青錆は、律儀にもフォークをレストに置いて、申し訳なさそうに縮こまる。

 

「おへ〜! ワガママ言ってんなよ! この状況で確実に殺人を回避しなきゃなんねーんだぜ!?」

「……ごめんなさい……! ほ、本当に、ごめんなさい…………。ごめんなさい……」

 

 相方の提案を却下されたアントルメンティエの菊音は、不服そうに眉を動かして、ビシっと拒否した二人を箸で指す。指されたうちの根暗な城主の方は、ますます縮こまってしまった。

 有子は特に何も思わなかったが、赤柳がすかさず怖い顔で「行儀が悪い」と指摘して、菊音は箸を下ろした。

 

「だーってぇ、ヤなものはヤなんだもぉん〜」

 

 気まぐれな靴職人の方は、口を尖らせて、構わず料理を堪能している。今回も彼の隣に座っていた執事の猫塚は黙って様子を見ていたようだが、ふいに双子に目を向けた。

 

「僕と共に行動して頂く方には、仕事をご一緒して頂くか……酷く退屈な時間を持て余して頂くことになってしまうのですが。それでも構わないのでしょうか?」

「げ、お前。その仕事量他のやつに出来ると思うか?」

「不可能だと思います」

 

 うげと苦い顔をした菊音にも、すんと澄ました顔でそう言い切ると、猫塚も食事へ手を伸ばす。隣の靴屋が適当なものだからなのか、彼のそれは姿勢も、箸遣いも、見惚れるほど美しく際立っていた。有子は慌てて箸を揃えて箸置きに乗せ、膝の上に手を置いた。もう17歳、今更同級生と箸遣いを比べるものでもないのだが……意識すると恥ずかしくなってしまうくらい、執事の所作は完璧だった。

 おそらく他の誰もそのことに気が付いていないのか、議論はまだ、食事とともに続いていく。

 

「うーん。案自体は、いい案だとは思うけどなぃ……? 現実的じゃあねぇだろぃ。茨木はどうすんだぃ?」

「くぅ…………」

 

 漁師の伊海田が言いながら、出した名前の彼女を見つめる。眠り姫は食器を手にしたまま、こっくりこっくりと船を漕いでいた……。

 

「あらあら……」

「食べながら寝てる……!」

「茨木様、朝ですよ。茨木様? …………ふう」

「だったら茨木さん含めて三人組になれば?」

「それならもう一組三人組にならなきゃ、数が合わなくなるわよ」

「ぼくは、おねえちゃんとが、いーなぁ〜」

「ふふ。そうしましょう、せつなちゃん」

「ねえトイレとかもダメってこと?」

 

 やれやれとした表情で、執事は食事の手を止め、眠り姫を起こしに立った。夜羽がまたも提案をすれば、今度はモデルの白雪が困った顔で首を傾げる。可愛らしいやり取りをする介護士の星永と人類学者の泡淵をよそに、加連がそういえばと当然の疑問を口にすれば、それを皮切りにして他の生徒たちも口々に問題点を示していく。寝る時は? お風呂は? ご飯はまだしも、ずっと一緒に何をするの? 組は固定? 身内はダメでしょう、どうやってペアを決めようか…………。

 自由に各々が発言していたのを止めたのは、やはりリーダーの赤柳だった。

 

「現実問題が多すぎる。全員がそれを守るのは困難だろう。僕も不可能だ」

「他のみんなはともかく、赤柳君がダメって言うと思わなかった。理由聞いてもいい?」

「……僕の職業を忘れたのか? 単純に才能を捨てる事になる」

「練習くらい別にいいじゃん、ケチだな〜」

 

 夜羽の疑問に不機嫌そうに答えれば、赤柳はひとつため息をついて、置いていた箸を握った。彼の中で結論は出たのだろう。

 やれやれと肩を竦める夜羽と、もくもくと食事を再開する赤柳を見ながら、白雪は口を開く。

 

「……でも、まあ。アーティストや職人は仕方ないわよね。技術が盗まれるなんて、あってはならない事だわ。悔しいけど……あたしは赤柳の主張に賛同出来るわね。百歩譲ったとしても、基礎練習しか出来なくなってしまうわ」

「ぅえ〜? 白雪ちゃん、俺のこともフォローしてくれんの〜?」

「才能は本物だからね。感謝しなさい」

「あんがと〜」

 

 ぴたと箸の手を止め、加連が驚いたように白雪を見上げる。ふんと鼻を鳴らした白雪にも、彼はにこやかに笑って見せた。しかし、提唱者はやはり、異なる意見に納得がいかないようで顔をしかめている。

 

「フーン……イマイチ納得出来ないけど」

「じゃああんた、無期限で菊音さん以外の人と四六時中一緒にいなさいよ。あんたが押し付けてるのはそういうことよ?」

「え、最悪。却下却下、やめようこの話」

「お前さぁ……」

 

 散々交わされた議題も、提案者の変わり身の速さで終わりを迎えた。だったら最初から言うなよなという表情で、お構い無しに食事を再開したマイペースな片割れを、菊音は見つめた。

 有子も再び箸を取って、楽しい食事に戻ることにした。

 

 

 

 

「そういえば皆様、お好きな食べ物はございますか? 食材は何故か豊富にありますし……。折角ですから、皆様も召し上がるのでしたら、好物の方がよろしいでしょう?」

 

 議論の終わりに新たな話題を提示したのは、再び席に着いた執事の猫塚だ。占い師の茨木は無事に目を覚ましたようで、ようやく箸を口元へ運んでいた。

 

「俺ちゃん、なんでも好きだよぉ〜!」

「ですが加連様は、冷製スープはお嫌いでしょう?」

「あー……冷たいスープじゃなければ、なんでも好きだよー!」

「言い直すんかぃ……。そんな凝ったもんわざわざ作らんだろぃ」

「でも言わないで嫌いなもの出されるより良いんじゃない?」

「なんか切なくなるんだもん、スープ冷たいの……」

「ちょっと気持ち分かる。僕はにんにくがキツいのは苦手かな〜」

「俺も。あと野菜のニゲーのはカンベンな」

「お野菜もちゃんと食べなきゃダメよ」

 

 すっかり話題は嫌いな食べ物へ。有子は特に食べられないものはないが……梅干しやゴーヤなど、味が極端なものは苦手だなあと頭に浮かべる。そういえば、章平は昔にんじんが苦手だったなと、ふと隣の白うさぎを見る。皿の端に添えられたオレンジ色の根菜を、彼は嬉々としてフォークで突き刺していた。うさぎさんなのににんじんが嫌いなのはへんだねと、そう有子が言ってからというもの、彼が好き嫌いをしていた記憶は無い……。

 

「……Weißt(あの……)du, ……吾輩……量が食べられなくて……。今日は、少なめにして頂いて、ありがとうございます……」

「あー! そういえば、なんか人によって盛り方違った?」

 

 そうくだらないことを考えているうち、再び話題が変わった。靴屋の加連の言葉に、有子は改めて自分の皿と他の生徒たちに配膳された皿を見比べる。有子は平均的な量だったが、なるほど。隣の白うさぎは先程からずっと料理を口に運んでいるにも関わらず、今現状の有子用に用意された食事量とほとんど差は無かった。良く食べ良く寝て育ったこのうさぎは、男子高校生の平均身長をゆうに超えているのだ。

 

「うん。昨日のご飯でさぁ、猫塚ぐんが、みんなそれぞれどんぐらい食べてだが見でだらじぐでぇ……。そんで、調節しでみだんだぁ。どお?」

 

 気付いてもらえたことが嬉しいのか、こころなし誇らしげに、家事代行の綿貫は微笑んだ。すかさず何人かの律儀な生徒は頷く。奇術師の火燈は、必死にこくこくと頭を動かしていた。その様は、まるで章平が小突いた後の赤べこのようだった。

 

「あっ、あ、あ、ありがとうっ……! ち、ちょっ……ちょうどっ、いいよっ……!」

「僕もどちらかといえば少食な方なので、どうしても残してしまうのは仕方ないと考えています。食事は無理せず、楽しむものですからね。……それにしても、加連様の食いっぷりは見ていて清々しいですね」

「えへ〜! ぜーんぶ食べちゃうもんね〜!」

「あんた、程々にしないと太るわよ」

「え〜? 俺ちゃん、なんか食べても太んないんだよね〜」

「出だ……。痩せ型系大食い民……!」

 

 あっけらかんとしている加連とは裏腹に、綿貫は大層衝撃を受けたような顔をした。それもそのはず、食べる量の割に標準体型の加連は、長身であることもありスラリとして、スタイルが良く見える。一方で、綿貫はいわゆるぽっちゃり系……お世辞にもスマートとは言い難い体躯である。介護士の星永がぽよんぽよんと綿貫の可愛らしいお腹を突っついて、人類学者の泡淵にやんわりと注意されていた。

 がっくりと落ち込む綿貫を見て、猫塚は再び微笑んで話題を修正する。

 

「まあまあ、食事は楽しくしましょうね。皆様、苦手なものもそうですけれど……お好きなものはございませんか?」

「すとろべりーさんでー!」

「……せつなちゃん、それはデザートでしょう?」

「うにゅ〜……。じゃあはんばーぐ!」

「いいね〜ハンバーグ!」

「あとかれー!」

「いいね〜カレー!」

「し、シチュー、好き……!」

「いいね〜シチュー!」

「うーん……オムライスとか?」

「いいね〜オムライス!」

「あんたずっといいねしか言ってないじゃない」

「全肯定加連bot……」

「だって全部おいしいじゃぁん?」

「加連様はポタージュスープがお好きですよね。じゃがいもの」

「あれ、俺ちゃんだーいすき!」

「あれ作るの面倒臭いんだよなぁ〜……」

「ガーン! そんなぁ……。一回でいいから作ってよぅ〜……」

 

 仲の良いやりとりを目の当たりにしながら、有子は食事を進めていく。食卓の話題はこうでなければならないと、有子は思った。忌々しい現実の話や、疑心暗鬼を助長する提案など、美味しいご飯のお供なぞに相応しくは無い。せっかく同世代の凄い人々とお近付きになれたのだ。有子は各々の天才たちの、もっと色々な話を聞きたかった。

 

「季節に合っだご飯もいいよねえ! 今ならお芋どが〜栗どが〜」

「秋は美味しいものいっぱいあるよね」

「モンブランもいいな〜」

「だからそれはデザートなのよ……」

「あどは〜、冬にはお鍋だよなぁ〜!」

「お鍋、良いですね。綿貫様はどのような鍋料理がお好きですか?」

「おいら鍋ならなんでも好ぎだげんど……。ぢゃんごがなぁ〜」

「ちゃんこ鍋……ですか?」

「今度教えであげるよ〜」

「ふふ、では楽しみにしておきますね」

「ぼくもお鍋ぱーてぃ、したーい!」

「いーねぃ! みんなでパーっとよぃ、鍋パしようぜぃ! 鍋パ!」

「ナベパ……って…………なんですか……?」

「青錆、鍋パしたことねぇの!?」

「せっかくだし闇鍋もしようよ〜」

「バカヤロお前! この前るりに黙って飴めちゃくちゃ入れて台無しにしたの忘れたのか!」

「飴は流石にもう入れないよー」

 

 きゃいきゃいと皆の楽しそうな話をバックグラウンドに、有子は優雅な朝餉の時間を楽しんだ。隣の章平もにこにこと満面の笑みを浮かべて、賑やかな食事を堪能していた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな風に賑やかな朝食会は終わりに向かい。食べ終わった活発な生徒たちから、次々と席を離れて行った。有子は後片付けを少し手伝おうと、食事を済ませた後もしばらく残っていた。有子を待っているのか、章平も同じく席を立とうとはせず、笛吹き男との会話を楽しんでいるようだ。

 

「よーじ、ぞろぞろお皿洗うが〜」

「あ…………す、すみません。まだ、食べ切れていなくて……。ご、ごめんなさい、遅くって……」

「いいよ〜。ゆっぐり食べな〜」

「僕もこの後厨房のお掃除をしますから、青錆様、お気になさらずごゆっくりなさってください」

「はい……。すみません……」

 

 ほとんどの生徒たちが先に食事を終えてしまったその後も、城主の青錆は中々食事が終わらずにいた。それもそのはず……気が進まないのかゆっくりとした動作で、それでいてひと口が酷く小さいのだ。気まずそうに、それでいて懸命に咀嚼する様を横目で見ながら、急かすのは可哀想だなと有子も思う。

 同じようにひと口がとても小さく、辛そうにゆっくり食事をしていた奇術師の火燈も、その量が適量に変わったおかげか昨日より早く食事を終えていた。マッチ売りの少女は気を遣ってかおろおろとしながら、慌ただしく自身の食器をまとめる。

 

「火燈様、そちらはそのままで大丈夫ですよ」

「……ぅ、あっ、あっ……! わわっ」

「うわわ!」

 

 ばちゃり、と。

 

【挿絵表示】

 

 急に執事が声を掛けたのがいけなかったのか、バランスが悪い積み上げ方が良くなかったのか……。間一髪、綿貫が受け止め惨事には至らなかったものの。食器の汚れをそっくりそのまま、受け止めた彼が被ってしまった。傍に居た執事も同様に、被害を被ってしまったようだ。様子を見ていただけの有子も、危ないと立ち上がった勢いのまま綿貫の元へ駆け寄る。

 

「大丈夫? ふたりとも」

「あら……」

「ごっ……! ごめ、ごめっ……! ごめなっさっ……!」

「いーよ、いーよ。お皿割れんがっだしさ。火燈さんは、怪我はねぇが?」

「あ、あああ、ごっ、ごめ……! ごめっ……!」

「はぁ……。綿貫さん、タオルも使ってください」

「猫塚ぐんは、大丈夫そ?」

「ええ、大丈夫で……あ? ちょっ…………はぁあーーーーーっ……」

「え、何、どじだの?」

「……時計が動かなくなりました…………」

「嘘! うわ、ほんどだ……。うわぁ…………」

 

 見れば、執事の腕に嵌められていた高級感溢れる時計にも、水や汚れが付着していた。長針はおろか、秒針すらピクリともせず動かない。あからさまにショックを受けている猫塚に、有子はおそるおそる声を掛ける。

 

「ね、猫塚くん……。大丈夫?」

「……正直、かなりショックですね……。……お義兄(にい)様に戴いた、大切なものなんです……。防水仕様ではあったはずなのですが……。…………はぁ…………」

 

 ため息を着きながら、執事は腕時計を外して丁寧に汚れを拭う。手入れをして見た目は綺麗になっても、針は動かないままだった。火燈の潤んだ瞳が、ますます涙をそこに溜めていく。

 

「何とかして直せないかな?」

「あ、加連ぐんは? 器用そうだし、猫塚ぐん、仲良いでしょ?」

「聞いてみたら? 猫塚くん」

「…………」

「あれ?」

「……そうしてみます……」

 

 少しの沈黙があり、不審に思った有子が顔をあげれば、大層不服そうな顔で、猫塚はようやく首を縦に振った。

 足元にはぐしゅぐしゅになりながら、布巾で汚れを広げる鈍臭い少女。猫塚は彼女を冷たい目で見つめると、疲れたようにため息を吐く。

 

「ご、ごめっ、ごめ……っ、う、う……!」

「ひとまず綿貫さん、お拭きします」

「火燈さん、落ち着いて」

 

 時計を置いた猫塚が、ぽんぽんと汚れを拭う。幸いにも酷くは無かったが……エプロンには染みが残ってしまった。おろおろとする火燈を慰め、綿貫は柔和な表情で皿を片す。有子もそれを手伝い、心配して車椅子を動かして来た泡淵に、火燈のことを頼んだ。

 よいせとことが済んで立ち上がる。食器の洗浄はそのまま猫塚に任せることにし、ふむと綿貫は改めてエプロンを見下ろす。

 

「綿貫さん、こちらは僕にお任せ下さい」

「うん。おいらはごれ、洗濯すっがね〜」

「そうたちゃん! かわいいもよう〜!」

「え?」

 

 ぴょこと泡淵の車椅子の後ろから飛び出したのは、小さな赤ずきんであった。星永はそのままとててと綿貫に近付き、エプロンの染みをにこにこと見つめる。

 その手には……何処から取り出したのか、マジックペン。

 

「こーやって〜。おめめとおくちかいたら〜……じゃーん! 見て〜! たぬきさーん!」

「わ、ほんとだ。たぬきだ」

「あら、あら。せつなちゃん……」

「おい……。こら、世絆。何してるんだ」

「かわいいでしょおー!」

「そういう問題じゃないだろう」

「えー?」

 

 あっという間にエプロンの染みは、なんとも可愛らしいたぬきのイラストへと大変身。シンプルなエプロンは、元からたぬきがプリントされた愛嬌のある柄のものだと思えるくらいに、なんだか綿貫に似合っていた。……しかし、この星永のひと工夫は、完全に彼女の独断であった。後ろで一部始終を静観していたフルーティストの赤柳も、幼子を叱り付けるように眉をひそめた。会話を中断させられた白うさぎも着いてきて、厨房付近は大所帯だ。笛吹き男に注意された赤ずきんは、しかし不服そうに首を傾げる。横で見ていた泡淵は赤柳に目配せをして、それから星永に向き合った。

 

「せつなちゃん、かわいいけど……でも、これは綿貫君のエプロンだわ。勝手に描いたらだめでしょう?」

「うにゅ……」

 

 泡淵にやんわりと叱られた星永は、彼女の言葉を素直に受け止め、今度はバツが悪そうに俯いた。もぞもぞと手を遊ばせてから……しかしすぐに、綿貫へ自ら謝罪をする。

 

「そうたちゃん、ごめんなさあい……」

「お洗濯で落ちるかしら……」

「んーん。せづなちゃんのおかげで、えれぇかわいぐなっだがらあ……。落とさなくてもいいなあ〜」

「そうたちゃん、おこんないの……?」

「怒んないよ〜。うちのチビたちもさあ、おいらのエプロンにお絵描ぎじでなぁ。何だかそれ思い出しぢっだ。へへ、かわい〜タヌギ、ありがどな〜。大事にずるよぉ」

「綿貫、あまり甘やかすな。同級生なんだぞ」

 

 しょんぼりとする赤ずきんに視線を合わせて、彼はにこにこと微笑む。赤柳が肩を竦めれば、しかし本当に気にしていないようで、綿貫は困ったように眉を下げて笑って見せた。

 

「んでも、おいらほんどに気にじでねぇがら……」

「そうか……。いや、お前が良いのなら僕が口を出すことでは無いが……」

「しこくちゃん、お兄ちゃんみたいだねぇ〜」

「お前はしっかり反省しろ」

 

 すっかり元の調子に戻った赤ずきんをやれやれと見遣りながら、笛吹き男は食堂を出ていく。追い掛けるように、白うさぎも続いて行ってしまった。あ、と有子は思って慌てて立ち上がる。残っていた女子三人も、そのまま移動するようだ。同じ流れで章平を追おうと、有子は先に食事係たちに挨拶をした。

 

「じゃあ、わたしもそろそろ行くね。ご馳走様、お料理美味しかったよ。ありがとう」

「あいよ〜。お粗末ざま〜」

「あ、国中様。少々宜しいですか?」

 

 たたっと早足で猫塚が掛けて来る。なんだろうと目だけで追い掛ける女子三人はそのまま違う方向へ別れ、綿貫はそのまま厨房へ残って作業していた。

 何の用だろう? 有子には思い当たる節がまるで無かった。けれども、章平にはまた後で時間を作ることが出来るから、今は彼の用事を済ませてしまおうと有子は立ち止まる。執事の用はなんて事ない申し出だった。

 

「国中様。僕に合鍵を預けて頂けますか?」

「うーんと……。ごめんね。わたし、まだきみのことを良く知らないし……。もう少し後からでも良いかな?」

 

 そういえば、お世話をしてくれるって言ってたんだっけ……。昨日と先程の食事のことといい、それに加え掃除や洗濯もと名乗り出るのは、流石執事といったところか。いや、しかし有子の知識では、そういった仕事は女中のものであったはずだ。何故こう、この執事は……他人の世話を焼きたがるのだろう? 少し不審に思った有子だったが、やはり有難い申し出であることに変わりない。だが、この状況下でおいそれと"合鍵"の許可を出す訳にはいかなかった。

 断りを言い淀めば、しかしそれも想定内だったのか、猫塚は別段気にも留めない様子でこくりと頷く。

 

「ええ、勿論。この状況でなくとも当然の心理でございますから、僕は気にしませんよ。となると、国中様。ご自分ごとはどのようにされますか? 決まった時間にお部屋の前にお出し頂ければ……お洗濯や不要物の処分は僕が行いますよ」

「じゃあ……そうしてもらおうかな。お洗濯と、ゴミ処理だけ……。お願いしてもいい?」

 

 ひとまずの代替案。これであればプライベートな空間は侵されないまま、執事の力を借りることが出来る。全てを自分で行う自信が無い有子は、素直に彼に頼むことにした。猫塚は満足そうに微笑む。

 

「はい、かしこまりました。お洗濯の仕上がりのご希望時間は御座いますか? 乾燥機の備え付けも確認しましたので、干す作業は考慮しなくて良さそうですよ」

「うーん、時間の希望は、特に無いかな……。服も替えが何故か何着かあったから……」

「では、毎日17時までにお部屋の前にお洗濯物をお出しください。次の日の午前中には、同じくお部屋の前にお返し致します。不要物とはすぐに分かるように、分別はお願いしたいですね」

「ありがとう、助かるよ」

 

 猫塚の提案を記憶領域に叩き込み、有子は頷く。17時までに洗濯物と、ゴミを部屋の前に出しておくこと。毎日ちまちま出すより、溜まったら出した方が良いのだろうか。今後のことをそんな風に考え始めて、ふと、目の前に立つ姿勢の良い少年のことを見た。有子とあまり変わらない目線だが、有子より随分華奢で、男子にしては小柄なほうだ。先程も茨木の世話をしていたり、綿貫の手伝いに回っていたり……彼は、自分のことは後回しにしているような印象だった。

 

「……猫塚くん、みんなの分をやるつもり?」

「ええ。当然のようにそれすらお断りになる方もいらっしゃいましたが……お申し付け頂いた方の分は、全てこなしますよ」

「でも……だって、みんなの分のご飯も用意してくれているんだよね? それって……ちょっと、大丈夫?」

「何か……問題が? 僕は執事でございますから、もちろん炊事担当は初めてではございますが……。タイムスケジュール通りにこなしていけば良いだけのことですよ」

「でも、きみが休まる時間が無いんじゃ……」

 

 有子がますます眉を下げてそう言えば、首を傾げていた猫塚は、なにかに気付いたように頷いた。

 

「……ああ。なるほど、合点がいきました。ご心配には及びません。僕、どうにも仕事をしていないと落ち着かない性分でして……。好きでやらせて頂いているのですよ。お気になさらないでください。むしろ、他に何かご用が御座いましたら、何なりとお申し付けくださいね」

「そっか……。なら、良いんだけど……」

 

 にこやかにそう言ってのけた少年は、ではと有子に断りを入れて仕事に戻る。あれだけ忙しいと、余計なことを考える暇が無さそうだな……。有子は執事の生活の仕方も、ある意味正解かもしれないと思いながら、自分を置いて行った幼馴染のことを考えて、これからどうすべきかしばらくその場で悩んでしまった……。

 

 

 

 

 

 

 有子は薄暗い廊下を一人で歩いていた。きょろきょろと改めて風景を眺めれば、随分変わった造りの学校であるなということが見て取れた。

 何をしようか悩んだ挙句に思いついたこと。それは、"探索"。目が覚めてからというもの、有子がまともにこの場所を調べたのは、ここに来てから白うさぎに再会するまでの短い時間しかなかった。赤柳たちの話では、彼らはもう既にこの場所の探索を終えているようだったので……有子は一人で、この場所を見て回ることにしたのだった。

 寄宿舎の施設は、生徒たちの個室と男女トイレ、食堂と厨房。それからゴミ処理のための焼却炉のある部屋と、ランドリールーム、さらには大浴場もあった。食堂と個室の間の通路には、何やら沢山の道具が所狭しと詰められた倉庫と、二階へ繋がる階段があったが、階段の方はシャッターが降りていて利用出来ないようだった。

 学園のエリアも、同じく二階へ繋がる階段にはシャッターが降りていたため、現在有子たちが立ち入ることが出来るのは、一階のみのようだ。学園エリアには、有子が倒れていた教室と、もう一つ別の教室。男女トイレに、視聴覚室、体育館、購買部、保健室、厳重に施錠された重厚な扉のある玄関ホール……。それから謎の赤い扉。なんとなく嫌な感じのする赤い扉以外には、特にこれといって不審な点は無いように思われた。窓もきっちりと施錠され、鍵は生徒たちではどうにも出来ないようになっていた。

 

「何してるの?」

「茨木さん」

 

 振り返ればそこに立っていたのは、ぽわんと夢うつつな少女……夢占い師の茨木だった。朝食会の時は、執事の猫塚に起こされやっと目覚めたと思っていたが、もう既にかなり眠そうだ。目を擦って眠るまいとしている仕草は、何処と無くまだ幼く写った。

 

「ちょっと探索をね。皆が手分けしてやってたみたいだけど……。わたしも自分の目で見ておこうと思って。ほら、わたしはそもそも、違う学校の生徒だから……」

「そうなの」

 

 興味無さげにそう頷いた眠り姫だったが、とことこと有子の傍へ寄り、はたと足を止める。

 

「タリアも着いてくの」

「え? ……いいの? 茨木さん……」

「うん」

 

 きゅっと有子の制服の裾を掴む仕草は、存外子供っぽい。同じように愛らしい仕草をする介護士の星永を思い出して、有子は思わず顔がほころぶ。星永よりは大人びて見えるが……彼女も小柄な方だった。

 

「うん、それじゃあ行こうか」

「行くの」

 

 するりと自然な動作で手を絡められる。そうして彼女はきゅっと、有子と手を繋いだ。…………なるほど。今朝の城主の慌てぶりを思い出して、有子は心の中で頷いた。青錆くん、きみはぜんぜん、悪くないよ……!

 再び探索を始める。もう一度玄関ホールに戻って扉を調べたが、認証コードが必要な電子ロックが掛かっていた。金庫のように厳重な鍵は、簡単に壊せそうにない……。

 

「漁師さんが、倉庫にあった金槌を使って窓を割ってみようとしたの。でも、ダメだったの。科学者さんが、強化ガラス? って、言ってたの」

「伊海田くんの力で、道具を使ってもダメなら……どうしようも無いよね……」

「他にも、靴屋さんがシャッターを揺すったりしていたの。びくともしなかったの」

「そうなんだ……。やっぱり、行けるところは普通に行けるところまでってことなんだね……」

 

 茨木の情報を共有してもらい、有子も彼らと同じ情報を手に入れることが出来た。彼女を連れ歩くのは正解だったようだ。

 そこでふと、有子はあれと不思議に思う。章平の話では、手分けして探索を行っていたはずだ。それなのに何故か、茨木は複数人の行動を把握していた。ぼーっとしている印象の強い彼女が、他者の行動を記憶していることがとても意外に思えた。

 

「茨木さんって、意外とみんなのことをよく見てるんだね。なんだかうたた寝している印象が強くて……あ、ご、ごめんね」

「眠いのは事実なの。ほんとうに寝ちゃうの」

 

 有子の一言も別段気にしない様子で、眠り姫はまたふわと欠伸をする。それからきゅっとまた、手を握るちからを強めて。有子たちは二人きりで、薄暗い校舎を見て回った……。

 

「アリスさん」

「あ、えーっと……。茨木さん、わたしの名前は有子だよ。ショウくんが勝手にそう呼んでるだけで……」

「タリアは呼んじゃだめなの?」

「え? ううん、ダメじゃないけど……」

「アリスさん」

「……」

 

 なんだかすっかり懐かれちゃったみたいだな……。ぴっとりくっついてくる茨木は、まるで懐っこい妹のよう。ぼんやりしていることも相まって、守ってやらなくてはと強く思わせるのもいけなかった。

 

「あと行くところは、何処なの?」

「そうだなあ、茨木さんのお陰で、かなり把握出来たから……そろそろ探索はお開きにしようかな」

「じゃあ、タリアとお茶にするの」

「お茶? えっと……」

「こっちなの」

 

 有子が返答を迷っていれば、茨木はすぐに有子の手を取り、引っ張る。そうしてあっという間に茨木の個室に辿り着く。眠り姫が電子生徒手帳をかざして扉の解錠をすれば、有無を言わさず有子を部屋に押し込んだ。

 ……そうして茨木の個室に案内された有子は、目の前に広がる光景に、息を飲む。

 

「わ…………あ…………」

「どうぞなの。その辺、座って……」

 

 そう指し示された場所も、怪しげな道具が転がっており……。座るどころか、足を置くスペースさえ何処にも無い。ベッドの上には毛布も無く、怪しげな器具が広げられている。マットレスは床に投げ出され、その上にも様々な物が載っていた。所狭しと物が散乱し、整理のせの字も思い出せなくなるくらい、ごちゃごちゃとしていて。……平たく言えば、"汚部屋"と言える、酷い有様だった。

 

「茨木さん……。その、すごいね……」

「なにがなの?」

「その……ものが、いっぱいで……」

「タリアは、夢占いが得意。でも、色んな占いも出来るの。あっちは水晶、これはカード、星見の本もあるの。ぬいぐるみと、双眼鏡と……」

 

 いや、それは占いに必要なのか? という突っ込みをグッと飲み込んで……。有子はただただ苦笑いを浮かべて、その様を見つめるに留めた。

 これは……いつか、整理しなくては……。有子はそう思って、誰に声を掛けるかを考えていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後。

 あれから茨木の(汚)部屋にてお茶会をしていた有子だったが……しばらくして彼女が眠りこけてしまったので、時間を持て余し悩んだ挙句、書き置きをして退室した。そうして次は何をしようと自室に帰るところで、章平と鉢合わせた。

 

「ありす! 何処へ行っていたんだい?」

「わたしのセリフだよ、ショウくん……」

 

 相変わらずのマイペース。白うさぎは呑気にそう言って、いつも通りに有子に引っ付く。お喋りな白うさぎの話を聞くに、どうやらフルーティストの赤柳が今まで面倒を見ていたようだ。ついに限界を迎えた彼があしらって、ようやくこうして有子を捜しに現れたというわけだ。……有子はそれを聞いて、ますます面白くなかった……。

 ともかく、やっと二人の時間が確保出来た有子は、菓子でもつまみながらお喋りをしようと食堂へ向かう。すると丁度、正面から三人組が現れた。

 靴職人の加連に、執事の猫塚。そして奇術師の火燈だった。

 加連と猫塚は初対面から親しげであったので、二人が一緒に行動しているのは別段不思議に思わなかったが、そこに会話が苦手なマッチ売りの少女が加わっているのが何とも奇妙で、有子は思わずあれっと声に出してしまった。特に、火燈と猫塚は、今朝、大切な腕時計を壊し壊された二人だったのだから。

 

「こんにちは! 靴屋くん、猫くん、マッチちゃんまで! お揃いで、どうしたんだい?」

「こんにちは、佐渡様、国中様。加連様にお茶を振舞っていた帰りです。僕はこの後お洗濯に取り掛かるので、すぐに失礼しますが……」

「俺ちゃんは、猫ちゃんのお茶で休憩してて〜、そろそろ作業の続きやろっかなーって。あ、火燈ちゃんとはそこで会ったよん」

「あ、あう、……」

 

 加連はそう言って小さな少女に目を向けた。なるほど、そこで会ったのなら、彼女は二人と一緒に行動していたわけではないようだ。

 もじもじとする火燈の手には、何やら綺麗な包みがあった。見れば、執事の手にも同じものが乗っている。有子はふと今朝の騒動を思い出して、もしやと彼女に声を掛ける。

 

「もしかして火燈さん、綿貫くんに今朝のお詫び?」

「あっ、ぅ……うんっ……! あ、あのっ……あのっ……こ、これ……」

「んえ? たぬちゃんともなんかあったん〜?」

「ああ……。僕の声で驚かせてしまったようで……今朝、火燈様は、綿貫様のエプロンに食器を落としてしまったんです。火燈様、綿貫様でしたら、おそらくこの時間は自室に居られると思いますよ」

「う、う……」

 

 あの場に唯一居なかった加連が首を傾げれば、猫塚が思い出すように説明した。少女の詫びる相手の所在を知る執事は、にこやかに火燈に微笑む。それを聞いた加連は、すかさず口を挟んだ。

 

「え〜? じゃあ一緒に行こうよ〜」

「……僕たちが付き添うのは不審では?」

「このまま一人で行かすのも可哀想っしょ〜。火燈ちゃん、おしゃべり苦手だし、たぬちゃん困っちゃうんじゃなあい?」

「でも僕は、お洗濯を済ませないと……」

「じゃあ俺ちゃん、火燈ちゃんを送ってく〜。猫ちゃん、佐渡ちゃん、国中ちゃん。そんじゃね〜」

「いや、ちょっと待っ……」

 

 言いかけて、執事は言葉をそこで止めた。ふらり、と思わずよろけたその身体を、ほとんど反射的に彼が支えたのだ。抱き止められた火燈は息をつくと、申し訳なさそうに眉を下げて彼を見上げる。

 

「ご、……め……。っ、き、ぶんが……」

「……体調が良くないようですね」

「火燈ちゃん、だいじょぶ?」

「だ、だいっ……ひぁ!?」

 

 ぐっと目を瞑って耐えるように身を縮めれば、次の瞬間彼女は息を吸うような悲鳴を上げる。それもそのはず、彼女を腕に収めていた小柄な男が彼女を抱き上げたからだ。あまりの突然のことに、加連でさえ目を丸くしていた。

 

「足取りも不安です。お部屋までお連れした方が良いですね。少し揺れるかもしれませんが……火燈様、耐えられますか?」

「え、やっ、じ、じじじぶんで、歩ける、よっ……!」

 

 執事の体躯を思えば、そう軽々と移動できるはずもなさそうだが、彼は平然とした顔でそう言ってのけた。彼の質問に答えるどころではない彼女の様子をちらと見やって、すたすたと歩を進める。決して重いものを運ぶ覚束無い足取りではなかったので、ああ、この中では小柄に見えても、彼も立派な男子なのだなと有子は思った。

 

「すみません、皆様。僕と火燈様はこれで失礼致します」

「あ、あう……あう……」

「うん、猫塚くん、気を付けてね」

「もちろんですとも。お任せ下さい」

「火燈さん、お大事に」

「おだいじに!」

「あー猫ちゃん。俺も〜。じゃ、佐渡ちゃん国中ちゃん、またねぇ〜」

「うん、さよなら!」

 

 隣のうさぎが手を大きく振って三人を見送る。加連は時折こちらを振り返ってにこにこと手を振った。彼らが廊下の角を曲がったのを見届けて、有子は章平に向き合う。

 

「びっくりしちゃった。猫塚くん、かっこよかったね」

「猫くんはすごいひつじさんなのさ!」

「……あれ? 結局、お洗濯のことは別に良かったのかな?」

 

 洗濯をするからと、火燈の同行を渋った猫塚が、迷いなく火燈の介抱を買って出るのは……少し不思議で、やはり彼の感覚は分からないなあと首を傾げる有子たちなのだった……。

 

 

 

 

 

 火燈のことはあの二人に任せ、有子たちは食堂に辿り着く。"不純異性交遊"はモノヴォルに禁止されているため、変なことにはならないだろうと判断したのだ。"それ"がなくたって、あの二人はそんなこと考えないだろうけど……。あっけらかんとしている加連と、仕事人間の猫塚のことを考えて、やはりあの二人が色恋沙汰にうつつを抜かすような人物だとは思えなかった。

 有子は食堂の扉を開く。大柄の男がそこに座って居るのが目に入った。漁師の伊海田である。

 

「んぉお……国中かぃ……」

「こんにちは、伊海田くん」

「おぉ……。よ、よぉ……」

 

 彼は有子を目にすると、驚いたように名前を呼んだ。有子が挨拶すれば、気まずそうに目を泳がせる。有子ははてと首を傾げた。そんな様子は全く気にせず、有子の後ろにいた章平も、続いて食堂に入る。

 

「太郎くんこんにちは!」

「おう、佐渡! なんだぃ、二人で仲良しだなぃ!」

「えっへへ〜! おやつにするんだ〜。ありす、ぼくお菓子を探してくるよー!」

「うん、ありがとうショウくん」

 

 章平が厨房の方へ菓子類を漁りに行けば、有子は伊海田と二人きりになる。ちらと漁師の方に目を向ければ、やはり彼は少しだけ、居心地が悪そうにしているようだ。

 

「……ごめんね、伊海田くん。わたし、何かしちゃったかな……?」

「はぁ!?」

 

 有子が心配になってそう申し出ると、心の底から驚いた様子で、伊海田は大きな声を上げる。

 初めて会った時には、にこやかに元気に自己紹介をしてくれたこと。章平に対しては、別段普通の……彼らしい気持ちの良く快活な挨拶をしてみせたこと。けれども有子にはそうしなかったこと……。それらを踏まえて、有子が自分なりに導き出した答えだったが、彼の様子から察するに思い違いだったようだ。

 すぐさま伊海田は、ぶんぶんと首も手も大袈裟に振って否定した。

 

「い、いや! いやいやいや国中は別に……! なんもしてねぇぜぃ!? 気にしないでくれなぃ!」

「……そう?」

「そうそう! オレがちっと……。女子慣れしてねーってゆーかよぃ……」

 

 どう接したら良いのか、ちょっと分かりかねているというか……。もごもごとしりすぼみして上手く聞き取れなかった言葉は、大体そのようなことを言っていた気がする。しかし、有子を納得させる回答はそれで十分だった。

 

「そっか、漁師さんって男の人が多いもんね」

「そ……そう! そうなんだよぃ、オヤジばっかの男社会だからさぁぃ!」

 

 わたわたとあれこれ懸命に言葉を並べる様から、彼がそう申し出たことに偽りは無いらしい。有子の高校のクラスメイトの……あまり人付き合いをしない男子たちが女子に突然話し掛けられてしまった時の様子と、今の伊海田の様子は瓜二つだった。

 そうしてあたふたしている伊海田と話をしていると、両手いっぱいに菓子を抱えた章平が戻って来て、同時に家事代行の綿貫が扉を開けて食堂に現れた。

 

「おう、綿貫!」

「伊海田ぐん、佐渡ぐん、国中さんも〜」

「こんにちは!」

「こんにちは、綿貫くん。この時間はお部屋にいるって猫塚くんが言ってたけど……お腹空いた?」

「ええっ! なんでわがっだの? まざにぞうなんよ〜。おやつ漁りに来で……」

 

 先程の三人とのやりとりを思い出して、有子は綿貫を見つめた。当てずっぽうに言ったことだったが、彼はまんまるな自分のお腹を撫でながらはにかんで笑った。今朝ぽよぽよと赤ずきんに遊ばれていた可愛らしいお腹は、未だ健在である。

 よいせと机の上に両手いっぱいの菓子を広げた白うさぎは、まんまる狸のその言葉を聞くと名案を思い付いたかのように、にっこりと笑う。

 

「なら、たぬきくんも一緒におやつにしようよ! 太郎くんも! みんな一緒だとたのしいよー!」

「えー! いいの〜?」

「オレは嬉しいけどよぃ……。野郎三人に囲まれちゃぁ、国中は気まずくねぇかぃ?」

「ううん。みんなの話、聞きたいなって思ってたよ」

「ウッ……やさしい女子……!」

「伊海田ぐん、大丈夫け?」

 

 有子はもちろん快く受け入れた。もっとここの皆と仲を深めたいと、純粋にそう思ったのだ。

 微笑む有子を見てぎゅっと目を瞑る伊海田。彼の苦手意識は、だいぶ重症のようだ……。それが正解なのかは全く分からないが、彼の前ではあまり女の子らしいことをしないように心掛けようと思った。

 

 

 

 

 ぱくぱくとチョコレートやクッキーをつまみながら、有子は三人との会話を弾ませる。今朝の食事の際の話題だった好きな食べ物の話から始まり、好きな駄菓子のこと、おやつに関するエピソードと続き、現在の話題は食べる量。

 

「みんな案外、食が細いよね〜。おいらは食べるの好ぎだがらなあ、ついつい大盛りにしぢまうげんど……。ぞれ抜ぎにじだっで、食べなざずぎじゃねぇ?」

「加連と佐渡は見た目に反して良く食うなぃ!」

「ぼくはおいしいもの、たくさん食べたいんだ! ……でも、確かに靴屋くんは細身だけど、たくさん食べているね!」

「わがる! いいよねぇ、加連ぐん……めっちゃ美味ぞに食うがんなぁ〜。見でるどごっぢも食欲増しで……。おいら、太っぢまっだんだよぉ〜! ただでさえでっぷりなんに……」

「お前、今度から青錆の方見ながら食えばぃ? めっ……ちゃ不安になって、メシどころじゃなくなるぜぃ……」

「青錆ぐん……青錆ぐん見でるどなぁ……。美味ぐながっだがってしょげぢまう……」

「あー…………。そもそも、食べるのしんどそうだからなぃ……」

「ベジタリアンなのかな、彼。お肉料理に関しては、全く手付けて無さそうだよね」

「細すぎんだよぃ、あいつ……。時間掛けてでも、もっと食った方が絶対良いんだってぃ……。少食と言えば、猫塚も大概ヤバくねぇかぃ!?」

「あーでも、猫塚ぐんはー……結構味見じでっがら……。調理中にお腹膨れぢまってるんじゃねえがな?」

「それなら良いけどよぃ……。どいつもこいつも細すぎんだよなぃ!」

 

 そう言って伊海田はまたクッキーをつまむ。確かに、筋肉質で大柄な体躯の彼から見れば、城主や執事は()()()()部類だろう。けれども有子は、先程の……執事が少女を軽々と抱いてみせた光景を目の当たりにしていたため、彼がただの頼りない細身の男性だとは思わなかった。

 伊海田といい、綿貫といい、章平といい。この場にいる男子陣はとても良く食べる部類の面々だ。章平が両手いっぱいに運んで来たお菓子は、もうほとんどが彼らの口に運ばれてしまっていた。初めはこんなにたくさんおやつを食べてしまっては、夕食が入るか心配だったが……。男子高校生の胃袋は、有子が思っていたより丈夫で欲張りだった。

 

 後の夕飯は、有子の予想通り。育ち盛りの男子たちは大盛りを平らげてしまうのであった。

 

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